万魔殿の主〜胡散臭いトレーナーとウマ娘たちは日本を驚かせたい   作:仙託びゟ

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 遅れました。


その先へ

 11月3日、京都レース場、菊花賞開催。

 トウカイテイオーは療養中のため、ツインターボは秋の天皇賞へ出走したために不出走となったこのレース。優勝候補は4人。

 

 1番人気、日本ダービーで自らトロフィーを手放したものの元1着、チーム《ミラ》への期待も票として現れたナイスネイチャ。

 2番人気、GⅠ2勝ながらいずれもマイル。ただし中長距離への適性は見せており、長距離への期待もかかるイブキマイカグラ。

 3番人気、GⅠ未勝利ながら日本ダービーとトライアルレースでステイヤーの気質を見せたレオダーバン。

 4番人気、他の3人、ないし5人に比べ明確に劣ると評され始めているシャコーグレイド。

 

 突出して警戒すべき相手(トウカイテイオー)はおらず、警戒したところでどうしようもない相手(ツインターボ)もいない。

 全員がこう考えることに抵抗を覚えながらも、明確に「これはチャンスである」と考えていた。それは、今名前が挙がらなかった14人の出走者もまた同様だ。

 クラシック最終戦。そこにかける想いは皆同様に大きい。もうじき冬も始まるというのに、ジリジリとした真夏のような熱気に包まれていた。

 

 地下バ道にカンカンという高い音が響く。イブキマイカグラがアメリカンクラッカーを鳴らしていた。間違いなくレース前の舌戦を避けられたから、単純に音で集中を乱す作戦だろう。

 本人は白い耳カバーを着けて音の影響が少ないのか、真剣にアメリカンクラッカーで遊んでいるため逆に集中できているフシがある。敵にデバフ、自分にバフだ。

 何人か間違いなく苛立ち紛れに体を揺すったり顔を顰めているので効いてはいる。ナイスネイチャはその行動を呆れ眼で横見し、自身の耳カバーをキュッと結び直した。

 

(確かに有効そうだけど、なんか、真似したくはないなアレ……)

 

 恐らく、今最も警戒されているのはナイスネイチャである。理由は簡単、その行動ひとつひとつが自分の走りを乱してくる、そんな相手を警戒しないわけがない。

 そして警戒してくる相手の何割かは、マークをすることで逆にナイスネイチャの作戦の幅が広がることに気づいており、そのうち数名はナイスネイチャの行動を努めて無視しようとしてもやりようがあることにも気づいている。

 ナイスネイチャ自身は長距離に強いというわけではない。しかし、距離が延びれば駆け引きの時間も延び、それだけ多く働きかけることができる。

 特にスタミナがギリギリの後半などは、どれだけ警戒していても対応に限界が出てくるだろう。並みのスタミナでも、ナイスネイチャは持久戦にはめっぽう強い。

 

 結局、イブキマイカグラはゲート入りギリギリまで地下バ道でアメリカンクラッカーを弄っており、時間になるとそれを地下バ道の隅にポイと捨ててさっさとターフへ走っていった。

 何人かがそのアメリカンクラッカーを忌々しそうに睨みながらターフへ向かう。ヘイトを一身に受けながらも、イブキマイカグラは顔色一つ変えていなかった。

 

(ライス先輩の妹弟子*1とは聞いてたけど、マイペースというか図太いところはそっくり……やっぱり師弟って似るものなんだ……)

 

 ナイスネイチャは余計な思考を打ち切ってゲートへと入る。関東とは違う関西用のファンファーレが流れてしばらく。集中が途切れるか否かの嫌なタイミングでゲートが開いた。

 同時に飛び出したのはシンホリスキーとイイデサターン。これまでのクラシックレースでも先陣を切ろうとし、ツインターボによって阻まれてきたふたりだ。

 飛び出したとは言え今回は3000m、しかもスタート地点は淀の坂の途中から。ツインターボが避け、スタミナが保つとは到底思えない長距離GⅠだ。ふたりも努めてスローペースに保とうと、競り合いもそこそこに脚を緩める。

 イブキマイカグラとシャコーグレイドはいつも通り脚を溜める後方に控え、レオダーバンは中団やや後ろの位置。3枠5番で比較的内側にいるナイスネイチャは、パリで培ったパワーを活かして坂を上り前目に控えた。

 

 209m、すぐにカーブに入りながらもやや上り坂が続き、急勾配の下りが来る。シンホリスキーとイイデサターンはスピードを抑えてスタミナを保とうとする。

 しかし、その内を突いてふたりの前に現れたナイスネイチャの姿を見てシンホリスキーは動揺し、イイデサターンは舌打ちを飛ばした。

 

(《ミラ》お得意のお手軽加速……! どうせあとで脚を溜めるために垂れてくる、どうやらお隣さん(シンホリスキー)は掛かったようだし、ここは冷静に……)

 

 ナイスネイチャに釣られて速度を上げてしまったシンホリスキーとは対照的に、イイデサターンはセオリー通りゆっくりと坂を下る。

 イイデサターンの予想通り、坂を下り終わったナイスネイチャはゆっくりとスピードを下げながら、最内をスルスルと垂れてくる。

 息を整えながら、ナイスネイチャは最内のまま中団辺りまで垂れてきてその位置をキープした。

 

(中盤はしっかり脚を溜める……アタシはなかなかにズブいから次の下りでは全力で下る必要がある。それだと最終コーナーは大回りになるし、スタミナは温存しないと……)

 

 そんなナイスネイチャの考えとは反対に、周りはやや速まったペースで進む。菊花賞では比較的中盤のペースが速くなりやすい傾向にある。

 ナイスネイチャは考える。はっきり言って、今回のレースは人気上位4人以外は勝手に垂れていくだろう。根本的にスタミナが足りていない。

 菊花賞は特にまぐれが起こりにくいレースだ。今この状態で脚を溜めようとできていないウマ娘が上位に来るのは難しい。そういう意味では、しっかり脚を溜めているのはやはり、イブキマイカグラ、レオダーバン、シャコーグレイド、そして……

 

(フジヤマケンザン……あれはダークブロワーだ)

 

 ナイスネイチャより少し前、先行集団の殿を行くウマ娘。8番人気のフジヤマケンザンは、しっかりと息を入れていた。

 

(さて……どうしようかね……アタシの技術って基本前にしか効果ないし……レオダーバンはともかく、怖いふたりが揃って追込なのよね……)

 

 ミスターシービーのイメージがあるから勘違いされがちだが、菊花賞で追い込みというのは比較的不利な脚質になる。王道の先行か差しが強いのだ。

 だからか、イブキマイカグラは普段より前につけて差し気味の位置を走っている。

 

(……仕方ない、ぶっつけ本番だけど、やってみるか)

 

 上手くいくことを願いながら、ナイスネイチャは膠着する状況で動かないことを決めた。正確には簡単な小競り合いで囲まれないようにだけ注意しつつ、できるだけスタミナを温存する。

 そして、現れるのは心臓破り淀の坂。ここに来てシンホリスキーは一気に垂れ始める。イイデサターンも粘るが失速していることは否めない。

 ペースが速かった面子も少しずつ垂れ始めた。大きく(ふる)い分けされ、1着争いに絡めるか否かの烙印を押されていく。

 ナイスネイチャも限界を訴え始める脚を叱咤して坂を登る。そして坂の頂上、コーナーへ入ってしばらく経ち、ナイスネイチャから見て追込のふたりの位置が()()()()()()()()()()()()()

 

 ナイスネイチャの《八方睨み》は、要するに視線を利用した威圧の一種だ。受ける側はともかく、与える側のナイスネイチャは相手を強く意識する必要がある。

 だから逆に言えば、見えれば使える。

 

(ッ!! クソっ!!)

 

(……なるほどなぁ……)

 

 明らかにペースが落ちたシャコーグレイドと、冷や汗をかきながらもペースを崩さずスパートをかける準備をするイブキマイカグラ。

 

(流石にマイカグラは精神が太い……んで、()()()は外か) 

 

 ふたりの動揺を確認して、ナイスネイチャは前を向き直す。今の《八方睨み》で捉えられるのはコーナーの内側から見える、つまりまだ内で脚を溜めているウマ娘だ。

 つまり、外から差すために外側へ移動した者を確認することはできない。

 

「おおおおおおおおおおおおあおおおおおおおおおおっっっ!!!!」

 

 咆哮とともにナイスネイチャの左側を駆け抜けていった影。レオダーバンだ。ナイスネイチャと同じく、大回り覚悟で坂を駆け下りるつもりだろう。

 だが、そうなることを予期してナイスネイチャは敢えてスパートのタイミングをやや遅らせていた。

 

(もうっ……一発ッ!!)

 

 感情というものは消費する。怒りは怒ればそれだけ解消され、哀しみは泣くことで消えていく。余程のことがなければ、心のニュートラルは平静だ。

 だからこそ、《八方睨み》を連発することは難しい。一度のレースで1回か、効果が減ることを覚悟して2回使うか。

 ナイスネイチャは、レオダーバンが自分を躱して前へ出たときに、その2発目をフジヤマケンザンへと同時に叩き込んだ。

 

「ッ……オオオオオオオオオオオオオオ!!」

 

 レオダーバンはそれで一瞬体をよろめかせ、しかしすぐに持ち直して再び叫び、気合を入れてスパートを続ける。

 レオダーバンの一番の武器はこの肺活量だ。決して無理をして叫んでいるのではない。呼吸にあわせて声を出すだけでこれなのだ。

 

 最終直線、フジヤマケンザンが粘りながらハナを走り、レオダーバンとナイスネイチャがそれを追走する。そのやや後ろからイブキマイカグラが追い込み始め、シャコーグレイドがなんとか後方集団を押さえながら後を追う。

 フジヤマケンザンが失速し始め、レオダーバンが躱す。このままならレオダーバンが逃げきって1着だろう。イブキマイカグラももうすぐ後ろまで来ている。

 ナイスネイチャの視界が暗くなり始める。心臓は痛いくらいに脈打っていて、気管は焼け付くように痛い。口の中に鉄の味がにじみ、脚がただ軋む。

 

(保てっ!! もう少しなんだ!! あんだけ啖呵切っておいて、こんなとこで負けられるかっ!!)

 

 ナイスネイチャは、必死になった。手を伸ばせばそこにある輝きを追って走る。遠いところにあると思っていた。いつかと夢見ながらも届かないと諦めていた。

 かつてのあの日、輝きに目を焼かれ失ったものを積み直して今ここにいる。だからもう、()()()ではない。この先にあるものを求めて手を伸ばす。

 

(絶対にッ!! 勝つんだ!!)

 

 走って、走って、大音量に耳を()かれて我に返った。暗くなっていた視界は色を取り戻し、クラクラと左右に回りながら景色をナイスネイチャへ伝えてくる。

 脚はぷるぷると震えて、しゃがみこんでしまわないようにするのが精一杯で、喉がかすれ飛んでしまったのではないかと思うくらいに呼吸さえもが辛い。

 耳にぶつかるその音が歓声だと気づいてようやく、レースが決着したことに気づく。恐る恐る、ナイスネイチャは掲示板へと顔を向ける。

 

 1着、5番。

 

 何度見直しても変わらない。審議のランプも灯らない。2着とアタマ差の、紛うことなき1着。

 はしゃぐものだと、もっと声に出てしまうものだと思っていたが、考えていたより言葉が出てこない。

 

 ナイスネイチャはただ、勝ったのは自分だと拳を上に掲げた。

*1
史実では当然ながらイブキマイカグラのほうが先に産まれているが、本小説での設定だとイブキマイカグラは中等部生で年下であり、ライスシャワーのほうが先に教えを受けているため、イブキマイカグラが妹弟子ということにする。




 ウマ娘で時間が溶けてます。新シナリオ強い。
 しばらく更新頻度が落ちるかもしれません。頑張って書きますがウマ娘もやりたいのでやらせてください。

かしこ

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