万魔殿の主〜胡散臭いトレーナーとウマ娘たちは日本を驚かせたい 作:仙託びゟ
11月12日、京都レース場、火曜日。天候は晴、良バ場。
『勝った勝った! 先月の東京に続いて京都も制した! 名家シンボリ未だに健在! これで破竹の3連勝、年末の中山に向けて大きな弾みをつけました!!』
掲示板を見る。同じ名家のシンボリが1着を飾る中、自分は着外。もはや溜息も出ない。乾いた笑いを溢して重い足取りでその場をあとにする。
自分がなんのために走っているのかわからなくなっていた。想いを乗せて走るのはあの娘たちがいる。なら、何も持っていない自分が、何ももたせられずに走る意味は?
下手に重賞を獲ってしまったから条件戦の馴れ合いにも戻れず、なんとか自分を励まそうとするトレーナーの痛々しいほど前向きな言葉が突き刺さる。
先のことを考えようとすると立ち込めている暗雲に遮られる。いつ来るかもわからないタイムリミットに怯えて、焦りを原動力に脚を動かしていた。
『秋の中山大障害に向けて、シンボリクリエンス、京都ジャンプステークスを制覇です!』
耳の中の残響を叩き出して京都レース場をあとにする。もう、バックダンサーの振り付けは完璧に踊れるなと述懐しながら駅へと向かうその途中、ふと気づけば道を逸れ別の場所へ向かっていた。
向かった先は、鴨川。なぜほど近い淀川ではなく鴨川に来たのかはわからないが、ただなんとなくそちらへ向けて歩いていた。
鴨川の土手に座りこみ、川の流れを眺める。冷たくなり始めた風が、まだ薄っすらと汗をかいている顔を撫ぜた。
ふと、遠くに小学生ほどのウマ娘が数人、かけっこをして走っていくのが見えた。その姿が幼い頃の自分と重なって、カバンから定期入れを取り出し、そこに入れておいた写真を眺めた。
髪を切る前のメジロライアン、まだ黒鹿毛の黒髪なままのメジロアルダン、澄まし顔のメジロラモーヌ、ヤンチャそのものなメジロマックイーン。
そして、まだ何も知らない
仲間たちと肩を並べて走れることを疑ってもいないその無垢な笑顔に締め付けられて、定期入れから写真を取り出し、真ん中からふたつに引き裂こうとして、できなかった。
当たり前だ。いくら本家の人間たちに見放されたところで、彼女たちまで自分を嘲るような性格はしてないなんてわかりきっているのだから。
メジロラモーヌも、メジロアルダンも、メジロライアンも、メジロマックイーンも、そして総帥たるお祖母様も、とてもお優しい。
いつまでも浸かっていたくなる心地よい
いっそ、こんな絆なんて最初からなければなんて思いながら、心のどこかでそれに縋って離れられない自分に軽蔑する。
こんな想いをしている娘なんて、メジロ家にさえ、特に分家筋には大勢いるのに、悲劇のヒロイン気取り。偶々はじめから本家筋で、有力な同期と縁ができただけの無才。
自虐に浸っていると、不意に吹いた風が写真を攫った。
あ、と。声を出す間もなく反射的にそれを追いかけ、なんとか掴まえたはいいものの、斜面になっている土手を踏み外し、そのまま鴨川へと着水した。
カバンは無事だった。土手に置きっぱなしになっていたからだ。無駄にヒラヒラとした私服のドレスと長い髪はビショ濡れになってしまったけど。
この状態で新幹線に乗ることなどできず、仕方なく近場のホテルに宿泊予約を入れて、乾くまでまたその辺りを歩くことにしたメジロパーマーを、年齢のよくわからない声が呼び止めた。
「そこな水も滴るいいお嬢さん。どうだい? ひとつ辻占いでも」
特に意識もせずに声の方を向いたメジロパーマーの目に入ったのは、コテコテの紫ローブを着て目深なフードで顔を隠した、仮定ウマ娘だった。
これまた紫色のテーブルクロスを敷いた台を前にして座り、水晶玉なんぞを弄っている。はっきり言って、ベタすぎて胡散臭さよりバカにしているのかという苛立ちが勝った。
「お代は結構、お若いお嬢さんの未来をちょいと覗かせてもらいたいだけさね」
ボイスチェンジャーでも使っているのか、声から年齢はわからない。そもそも、耳が痛くなるからウマ娘という種自体がノイズが入りやすいボイスチェンジャーをあまり好かない。
そこまでして素性を隠したいとなれば顔見知りの犯行かとも考えたが、生憎こんな茶番を仕掛けてくる交友関係はない。結局、メジロパーマーは考えることを放棄して流れに身を任せることにした。
「……どうぞ」
「ありがとよ……むっ、こ、これは……お嬢さん、あんたもう少しだけ京都にいたほうがいいね。うん、具体的には日曜日くらいまで」
「…………」
せめて努力をしろと言いたくなるような棒読みの大根芝居だったが、メジロパーマーに何を言いたいのかは伝わった。つまり、日曜日に開催されるマイルチャンピオンシップを観ていけと言いたいのだろう。なんのためにかはわかりかねるが。
メジロパーマーの適性はメジロライアンとおおよそ同じかそれより長いくらいで、マイルに適性はない。それは各所で太鼓判を捺されている。
しかし確かあのレースには、凱旋門賞を制覇したアイネスフウジンがでていたはずだ。奇しくも自分の領分と同じ
幸い、金なら――頭に『親の』と付くが――ある。支障はない。メジロパーマーは占い師もどきに一礼して、トレーナーに日曜日まで京都に滞在する旨を伝えるためにウマホをカバンから取り出しながら、ホテルに向かって歩き始めた。
「悪いね、メジロのお嬢さん。ちょっくら、あの娘達のために利用させてもらうよ」
フードを外してボイスチェンジャーを切る。鹿毛の髪が垂れたそのウマ娘は、歩き去るメジロパーマーの背を眺めながら独白した。
「わたしゃ結局あの娘達に何もしてやれなかったからね……ま、Win-Winなんだから赦しておくれよね」
そう呟き、彼女はそこから去って、鴨川の河川敷には誰も残らなかった。
☆★☆
「ミラ、わたくしです。入りますわね」
ダイイチルビーがノックをしてから病室へ入る。
スプリンターズステークスで故障と同時に事故を起こし、昏睡状態に陥ったケイエスミラクルが意識を取り戻したのはそれから1週間後のことだった。
命の危機は脱しており、順調に回復すれば来年の高松宮記念までには退院できると医者は言った。それと同時に、競技復帰は難しい、とも。
ケイエスミラクル自身は本人が自分の危険性をよく理解していたことと、本人の気性が穏やかであることも手伝って、ある程度は割り切れていた。
GⅠタイトルこそ手に入らなかったが、3つのレースでレコードを取ったことで十分名を残せたし、恩返しの方法はレースで勝つだけではない。後進の育成を助ければいいからだ。
それにショックを受けたのは、ケイエスミラクル本人よりもダイイチルビーだった。ダイイチルビーに自覚はなかったが、ダイイチルビーによるケイエスミラクルへの依存はそれほどのものだった。
それからダイイチルビーは毎日、トレーニングのある日はトレーニング後にケイエスミラクルの病室へ行脚している。
正直ここまで来ると鬱陶しいと思うのだが、微笑みを崩さず文句ひとつ言わないケイエスミラクルの器の大きさが窺える。
そんなケイエスミラクルの見舞いは、普段はほとんどダイイチルビー以外が来ることはない。保健室登校と言っても差し支えなかったケイエスミラクルの交友関係は狭く、それこそ親族かトレーナーか、それかあのパリピマイラーくらいのものである。
しかし、珍しいことにその日は先客がいた。しかも3人。いずれも見覚えのある顔ぶれだった。
ひとりは黒鹿毛。いかにも大和撫子と言わんばかりの真っ直ぐなぬばたまの黒髪を長く伸ばした落ち着いた雰囲気のウマ娘が、車椅子に座ってケイエスミラクルのベッドの横からダイイチルビーを見ている。
その車椅子を押しているのは鹿毛。ピンと伸びた背筋は黒鹿毛の
そしてその傍らにもうひとり鹿毛。おおよそ他方の鹿毛と同じくらいの背丈ながら、その童顔やミディアムにカットされたクセ毛が可愛らしく跳ねていることから、ややあどけない印象を与える。
総評すると、ご主人様と犬2匹といった風情の3人組だが、素性はそのような可愛らしいものではない。
今年の短距離路線に颯爽と現れ、既にGⅢふたつとGⅡひとつを制覇した異端の
『芦毛の怪物』と同じ世代に生まれ、師と同門の想いを背負い日本ダービーを制しながらも、ついぞ
そして、産みの両親と育ての母を早くに亡くし、唐突なトレーナーの辞任により担当の変更を余儀なくされ、二冠を咲かせながらも度重なる故障で日本ダービーはその指をすり抜け、有馬で散った悲運の
血統ではなく魂を継ぎ、桜の下で絆を誓う。名家に匹敵するとその名を轟かせる、名門サクラ軍団。その次期筆頭候補3人が、ケイエスミラクルの病室に集結していた。
異なる流派に身を置きながらも血脈を受け継いできた『華麗なる一族』のダイイチルビーとは正反対の存在。しかも、ひとりは自らと同じ短距離路線の有望株との邂逅に、反射的に警戒するダイイチルビー。
しかしその警戒はあっという間に削がれた。
「これはこれは!!! スプリンターズステークス連覇の実績を持つスプリントの女王、ダイイチルビーさんではないですか!!!
うるさい。
ダイイチルビーの素直な感想だった。
それこそ、あのパリピのほうが幾分もマシだ。音量調節機能が狂っているのだろうか、あるいはそういう嫌がらせなのだろうかと目の前の壊れたスピーカーを睨んでみるも、あちらはとぼけた顔でこちらを見るばかり。
「……ここは病院ですので、どうかお静かに」
「ちょわっ!? それは失礼致しましたっ!」
まだ十二分にうるさいがそれでもマシになった声量でそう答えて、サクラバクシンオーは口を
「ご友垣様もいらしたことですし、私たちはそれにて失礼させていただきます。貴女様の未来に佳き星辰があらんことをお祈り申し上げます」
「ははは、ありがとう」
ケイエスミラクルの相槌を聞いて、サクラ軍団はそれぞれがケイエスミラクルとダイイチルビー双方に会釈をして病室を出ていく。あとには、ダイイチルビーとケイエスミラクルだけが残された。
「……サクラ軍団の方々、なんのご用向だったんですか?」
「警戒することはないさ。ただ短距離路線のライバルになり得る相手の顔を見に来ただけだよ。まだおれの引退は公表してないからね」
「ミラクルさん……やはり、考え直してはくださらないのですか……?」
「うん……もう決めたことだ。ごめん」
そう。ケイエスミラクルは今年中にトゥインクルシリーズを引退する。秋のGⅠ戦線での盛り上がりに水を差すことを良しとせず、引退発表を先延ばしにしている状態だった。
だから、ダイイチルビーも諦めきれないでいる。年末までになんとか説得しようと意固地になっているのだ。しかし、問題はもはや精神的な部分を超えている。
故障の内容こそ粉砕骨折であるが、その後、失速したとはいえそれなりのスピードで地面に頭部をぶつけたことが原因の、平衡感覚障害。
日常生活ならば問題にならない程度のものであるが、高速の世界に身を置くものとしては大問題だ。何より、彼女ひとりの危険に留まらない。
レース中に平衡感覚を欠き、斜行して他のウマ娘に衝突する可能性は十分にあるのだ。
リハビリで治ったとしても再発の可能性が考えられる以上、ケイエスミラクルは迷うことなく引退を決意していた。
ダイイチルビーの懇願は、もうただの我儘に過ぎない。
「……それでルビー、ひとつ頼みがあるんだ」
「!! はい! 私でよければお力になります! なんなりとおっしゃってください!」
「はは……今週の日曜日、外出許可が下りたから、連れて行ってほしいんだ。マイルチャンピオンシップの観戦に」
ケイエスミラクルの言葉に、ダイイチルビーは一瞬言葉に詰まった。マイルチャンピオンシップは、ダイイチルビーが今年出ようとして出られなかったレースだ。
ダイイチルビーの前走、マイルチャンピオンシップのトライアルレースであるスワンステークスで、ダイイチルビーは完全に折り合いを欠いていた。
結果、最下位は免れたものの16人中14着。スプリンターズステークスの連覇者としては目を覆いたくなる無様な走りだった。
それを理由に、目の前で親交の深い相手の故障を目にしたことが原因のイップスであると判断され、ダイイチルビーもまた療養することになり、マイルチャンピオンシップは回避を余儀なくされた。
普段のケイエスミラクルなら、そもそもそれを会話に出すことも避けようとするだろう。ケイエスミラクルが望めば、ダイイチルビーは自分の心情を度外視してそれを叶えようとするだろうから。
そして実際、ダイイチルビーはケイエスミラクルの頼みに是を返した。
「……それは……いえ、わかりました」
「ありがとう……あと、ごめん」
「いえ……私の暴走で、ミラクルさんには随分迷惑をかけていますから……」
自覚はあったんだ。そう声には出さない。そういう雰囲気じゃないことを、ケイエスミラクルはちゃんと理解していた。
一方、サクラ軍団。病院を出てすぐのバス停のベンチに座っていたウマ娘に、サクラスターオーは話しかけた。
「ケイエスミラクル様にはきちんとお伝えしましたよ」
「あざまる水産〜! いや、ウチが病院入るとメンブレしてるお嬢とワンチャン鉢合わせるからさぁ……それはちょっと、いや、ウチは平気だけどお嬢様が余計テンサゲかなーって日和ってたんだよねー」
口調からお分かりだろう。ダイイチルビーの同期でありマイルチャンピオンシップに出走予定のマイラー、ダイタクヘリオスだ。
何を考えているのかは窺えないが、サクラスターオーは病院の前でダイタクヘリオスに会ったとき、ケイエスミラクルへ「ダイイチルビーと一緒にマイルチャンピオンシップを観に来てほしい」と伝言を頼まれたのだ。
元々敵情視察だったから、ダイタクヘリオスからケイエスミラクル引退の情報を伝えられた時点で目的は終えているし、その情報の対価としてその頼みを受け入れた。
「しかし、良かったのですか? ケイエスミラクル様に無断で引退を明かしてしまって」
「んー、ヘーキだと思う。ミラクルが引退隠してんのって、せっかくバイブスアガってんのをサゲないようにだし、サクラのお嬢様たちもそのへん同じだから言いふらしたりしないっしょ?」
「ええ!! そういうことならば私!! 学級委員長の名に懸けて隠し通しますとも!!!」
「バクちゃん、声」
「ちょわっ!?」
サクラ軍団のやりとりにケラケラと笑うダイタクヘリオス。彼女は一体何を思うのだろうか。
その日は晩秋にも拘わらず、高い高い陽が出ていた。
☆★☆
『おい見ろよフェザント! こっちじゃこんなちっせーのがGⅠとってんだとよ!! レースは体格じゃねえんだよ!!』
府中にあるとあるホテルの一室。英訳された日本のウマ娘レースに関するページを見て、青鹿毛のウマ娘がスラング交じりのアメリカ英語で嗤うのを聞いて、芦毛の彼女は眉間を押さえた。
『……なぜ貴様がここにいる、サン――』
『おおっと、ここじゃあ俺のことはシルヴァーエンディングと呼べ』
『……毛色しかあってないじゃないか』
彼女の名はゴールデンフェザント。ジャパンカップへ出走するためにアメリカから来日した、米国のGⅠウマ娘だ。
ゴールデンフェザントは目の前のベッドであぐらをかいてスマホをイジる、慎みもなにもない
『シルヴァーエンディングにしろなんにしろ、ジャパンカップには出走しないはずだが? というか、本国で元気に走ってるんじゃないか?』
『おう。まぁ念の為だ。走りたくなったときに適当に借りる』
『…………』
ゴールデンフェザントは真面目な後輩を哀れんだ。どうせこのクソッタレな気性難に脅されて名義を貸してしまったのだろう。
『……いや、それにしても私の部屋にいることはおかしいだろう』
『あ? なんだよわかるだろ? 節約だよ節約。節制は美徳だぜ?』
『……それで得をするのは貴様だけだが』
『良かったじゃねえか、俺をもてなせて。徳を積んだぜ?』
――なぜゴアはこいつから目を離したのだ……
すっかり問題児の目付役が板についてしまった優等生に筋違いな恨み節を吐きながら、ゴールデンフェザントは目の前の黒いのをなんとか追い出すための策を講じ始めるのだった。
本小説のサクラバクシンオーはスプリンターとして骨を埋めるつもりでいます。
これはミホノブルボンを短距離の道へ誘っていたアニメ版の設定に近いものとなっており、アプリ版の全距離制覇を目論む委員長ではありません。ご了承ください。
あとパーマーがこの時期まで障害競走やってるのはオリジナル展開です。史実とは異なります。