万魔殿の主〜胡散臭いトレーナーとウマ娘たちは日本を驚かせたい 作:仙託びゟ
結論から言えば、ツインターボのスカウトは成功した。それはもう呆気なく成功した。強いて言うなら、ツインターボに対していきなり敬語無しで話しかけたことにアイネスフウジンが不満を表したくらいか。
網馬にしてみれば、
スカウトに成功したとはいえ、まだ網馬は複数の担当を抱えることを許されるだけの実績がないため、NHKマイル杯と日本ダービーを勝ったあと、それまでは仮ということになったのだが。
アイネスフウジンは「え? そんな条件でOKするの?」という顔をしていたが、ツインターボは二つ返事でOKしていた。
恐らく何も考えていないのだろう。そうでもなければあと少しでメイクデビューが始まるというその直前の時期までトレーナーを得ずスカウトの予約を待つなんて恐ろしくてとてもできない。しかも口約束だ。
ツインターボは教官による合同トレーニングのあと、自主トレの時間帯に抜け出して網馬たちのトレーニングに加わっている。
網馬がアイネスフウジンにつきっきりにならなければならないのは技術的な指導だけなので、それなりの時間ツインターボに付き合ってやることができた。
「えええ!? 走らないの!?」
「お前の場合、走り方にも問題は多いがそれ以前の問題だ。スタミナがなさ過ぎる」
網馬はまず、アイネスフウジンが遠泳をするプールサイドで、ツインターボが克服すべき課題について説明していた。
わざわざ買ってきたスケッチブックに図を描いて説明するあたり、網馬も適当に相手をしているわけではないのがわかる。
プールサイドでやる理由は、担当ウマ娘のトレーニングにおける安全管理もトレーナーの仕事であり、完全に目を離すことはできないからだ。
「体を動かす燃料には2種類の使い方がある。呼吸をして酸素を取り入れることで燃料を燃やす有酸素運動と、酸素を使わずに燃料を燃やす無酸素運動だ。スタミナが足りないとか体力が足りないと聞くと、この燃料が足りないように聞こえるが、ほとんどの場合は間違いだ」
「そうなの!?」
「ほとんどの場合はな。いいか、レース中に使うのは基本的に有酸素運動だ。スタミナが足りないっていうのは、この燃料を燃やすための酸素を取り込む能力が足りないという意味だ。この能力は心肺機能が強ければ高くなる。何故かわかるか?」
「えー? んー、心肺は心臓と肺でしょー? 酸素を取り込むってことは息を吸うってことだから、肺が強ければたくさん酸素が吸えるから?」
「半分正解だ。その酸素を血液に載せて全身に送り届けるために、血管とポンプである心臓の強さが必要なんだ。これが弱いと酸素が足りなくなり、燃料が燃やせない」
「あ、それじゃあ、もう一個の使えばいいんじゃない!? 酸素いらないやつ!」
「そう、実際体もそうしてる。だけど、無酸素運動は有酸素運動より短時間に出せるパワーが大きい分、有酸素運動に比べて遥かに疲れやすいんだ。だから長く運動するときは疲れにくい有酸素運動を多く使う。つまり?」
「えっとつまり、息を吸うのが足りないと疲れやすい使い方ばっかりになるからすぐに疲れるってこと? だから、息を吸う力を鍛えればいいんだ!」
「
こうやって必要性を本人から引き出させ、アイネスフウジンと同じトレーニングに誘導することに成功した。
ちなみにツインターボにとってのわかりやすさを優先させているため、網馬の説明も完璧に正しいとは言えない。
それでも、ツインターボ自身の理解を深めるためというより、ツインターボ自身に
この先、長期的に指導するなら反発は少ないほうがいい。無理矢理やらせるより納得の上でやらせたほうが、はじめの手間はかかっても最終的な労力は遥かに軽減できる。特に
「ん? でもそれなら走ってても鍛えられるんじゃないのか?」
「走ればその分、脚に負担がかかるだろ。脚に負担がかからないトレーニングがあるならそっちの方が得だ。練習で速く走れても本番のレースをあんまり走れないうちに引退とか嫌だろ?」
「それはヤダ!! わかった! ターボ頑張る!」
「走り方の指導も挟むからその時に思う存分走れ。お前の場合、走り方にも課題が山盛りだ」
アイネスフウジンのアルバイト中は走り方のアドバイスが主だ。端的に言ってしまえば、ツインターボの走り方には無駄が多かった。
ただでさえツインターボはピッチ走法であり、無酸素運動の比率が高いために疲れやすい。そこに無駄な動きが加わると一気に燃費が悪くなるのだ。
その走り方こそ網馬が注目したポイントではあるのだが、諸刃の剣である以上しっかりと指導しないとデメリットしか現れない。
アイネスフウジンにメイクデビューで確認させたような基本的な心構えを徹底的に教えこんだ。とはいえ、そんなに簡単に無駄を削れれば苦労などない。
「か、体、上下させない、着地、へぶっ!!?」
案の定、脚が
「ゔー……考えながら走るの難しい……」
「お前それレース全否定だぞ」
逃げほど考えて走ってる脚質もない。ペースメーカーと呼ばれ、レース全体に働きかける力が最も強いのが逃げなのだ。
それは大逃げも同様で、ペースメーカーとしての役割を放棄する代償に、スタミナ管理に関しては通常の逃げ以上に神経質にならざるを得ない。破滅と紙一重であり、その境界で踏み留まるだけのスタミナ管理ができるからこそ大逃げが成立するのだ。
しかしツインターボはスタミナ管理などできない。常にエンジンを全開にして走る、それしかやらないのではなく、それしかできないのだ。
何故ならレース中にものを考えられないから。それはマルチタスクが苦手ということでもあり、脳に回す酸素が足りないと言うことでもある。
だから網馬はそれを補い破滅逃げのまま大逃げにする道を選んだ。ペースを考えずとも済むほどのスタミナをつけ、かつ消費するスタミナを削る。そうしてようやくツインターボはスタートラインに立てる。網馬はそう考えた。
ツインターボの『走りの無駄を削るトレーニング』は二段階。今は考えなくて済む、体が覚えれば反射的に行える部分を反復練習で刻み込む作業。
コーナリングのような少し考える必要がある部分は、もう少し全身持久力が向上し、脳に酸素が回るようになってからの二段階目の作業となる。
網馬の仕事量は倍以上に増えた。アイネスフウジンが聞き分けがよく真面目で、飲み込みも早いためあまり手がかからないタイプだったのに対し、ツインターボは渋々でやらせると効率が一気に下がるうえに不器用だったからだ。
アイネスフウジンのレースローテは既に決まっているので、それにあわせたカーボローディング*3の計算、トレーニング後のケア、基礎トレーニングの運動量調整、運動能力の計測と記録、仮想敵のデータ収集。そこにツインターボの技術指導とケアが加わる形になる。
朝日杯から1週間、仕事量が増えた日々にもようやく慣れてきた頃。網馬はトレーニング後にアイネスフウジンから相談を持ちかけられていた。
「トレーナー、ちょっと聞きたいことがあるの。レースの賞金のことなんだけど……」
「あー……仕送りか? お前の場合」
ウマ娘のレース賞金は一般的な成人の年収を上回るほど高い。それ故に一部のウマ娘を除いて多くのウマ娘は高額の賞金を得ると同時に銀行口座を2つ作り、管理を学園に委託する。
片方はウマ娘が自由に引き出せる口座で、もう片方は引き出しに学園への申請が必要となる。当然、それぞれの口座に振り込まれる金額には差があり、まず賞金をウマ娘とトレーナーで分配し、それぞれ税金が引かれる。
ウマ娘が受け取った賞金のうち、ひと月に最高15万円分が自由口座へ、残りが貯蓄口座へ振り込まれる。また、ウマ娘とトレーナーの分配比や自由口座へ振り込まれる金額上限は変更が可能だ。
「仕送りの場合、この他口座に送金っていうのがいいと思うんだけど、実際どうなの?」
「あー……言っておくが俺の担当はお前が初めてだから、経験則とかはあんまり役に立たないかもしれんが……まず、未成年の娘から仕送りを貰って素直に受け取る親はいない」
「ゔっ……」
「反応からするとなんとなく察してたみたいだな……まぁ世の中には子に
「物納?」
「直接金なんか渡すから生々しくなる。妹いるんだろ? 子供のウマ娘なんて手加減知らないから靴なんか消耗品だ。幼児用のシューズなんか贈ってやれば拒否したって行き場がないしお前本人は使えないし受け取るしかないだろ」
「な、なるほど……」
アイネスフウジンは入学前のことを思い出す。自分も頻繁に買い替えていた記憶があるし、妹たちも相当数の靴を履き潰していた。
レース選手のウマ娘がトレーニングで履き潰すのとは質が違う、手加減なしかつ無茶な制動で履き潰される幼児用のシューズは、男子小学生の傘、消しゴムと並ぶ消耗品であった。
「それから、学費の振り込みを貯蓄口座からにしとけばそっちから引き落とされる。今は親に出してもらってんだろ? あとは食い物だな、日持ちするようなやつ。それなら比較的向こうも受け取りやすいし。他には旅行券とか家族分贈ってやって休みにでも……って、そうだ。お前明日どうすんの?」
「明日……あぁ、クリスマス! それなら外泊許可を取ってあるから、家族と過ごすつもりなの」
既にトレセン学園は冬季休暇に入っており、レース前のウマ娘以外は帰省して家族と過ごす場合もあるし、学園に残り年末年始もトレーニングというストイックな娘もいる。
「もしかしてトレーニングするつもりだったの?」
「いや、お前から希望がなけりゃ休みのつもりだった……あと年末年始もな。そんくらい休んだって支障は出ねぇよ。んで、帰省すんならケーキとか妹へのクリスマスプレゼントとか買ってってやりゃいいんじゃねえかな。書類には仕送り代って書いときゃ通るし」
貯蓄口座からの引き出しに申請が必要と言っても、それは金銭感覚が狂ったり詐欺に遭ったりして大金を引き出すことを予防するためであり、それほど多額でなければ大抵の理由で通る。
過去には甘味代という名目で月に1万おろしていたウマ娘もいたらしい。
「うん、ありがと、そうしてみるの!」
「おーう」
アイネスフウジンを見送った網馬は再び書類に目を落とす。
家族。網馬の世話を焼いたのはベビーシッターだったし、サンタの魔法にかかったこともない。兄弟でひとつのケーキを分け合った覚えもない。しかしそれを孤独だと思ったこともないし、寂しいと思ったこともない。手にしたこともないものの何を羨めというのか。
網馬にとっての家族像の多くは創作物から得られる知識であり、その多くは自分と同じ家族とも呼べないものか、あるいはアイネスフウジンのような愛に溢れた家族。
普通の家族は滅多に書かれない。書く必要などないから。彼の家族はごく一般的な家族だと書いておけば皆想像できるから、わざわざそこに文を割くことをしない。
だから、断片的な情報で思い浮かべる網馬の中の普通の家族像は、両極端な家族のイメージよりも曖昧で不安定なものだ。
「トレーナァーっ!! 練習すんぞ!!」
「ノックくらいしろクソガキ」
散歩をせがむ犬のようなテンションで部屋に入ってきたツインターボにセンチな感情を蹴散らされた網馬は思わず半眼になる。
「お前、クリスマスとか年末年始に帰省とかしないのか。友達と過ごしたり」
「んー、ネイチャもイクノも帰ったし、ターボは帰るより走ったほうが楽しいからいいや!」
「あっそ……」
中央トレセンに入っている以上、家族仲に問題があるわけではないだろう。ターボの家は便りがないのがいい便りなのだろうと網馬は納得した。
「そうか。そんじゃ、今日はトレーニングのあとケーキとなんか欲しいもんでも買いに行くぞ」
「えっ!? いいの!? ターボぬいぐるみ欲しい!!」
「勉強道具でもいいんだが?」
「イ゛ヤ゛」
今日くらいサンタクロースになってやってもいいかと、網馬は柄にもなくそう思った。