万魔殿の主〜胡散臭いトレーナーとウマ娘たちは日本を驚かせたい   作:仙託びゟ

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しかく

 4月21日、アメリカ、サンタアニタパークレース場。

 シニア混合のGⅢ長距離レース、サンファンカピストラーノステークスでは、ひとりのウマ娘が警戒された。

 ひと月前、3200mのGⅡレース、ドバイゴールドカップを勝利した()()()()()()の日本ウマ娘、ライスシャワー。

 そして、その警戒は正しく、かつ無駄になった。

 

(クソッ、なんなんだ、コイツ!!)

 

 イギリスから参戦した彼女は自分の後ろにピッタリとついて追走するライスシャワーに戦慄する。2800m、3000mを超えていないとはいえ、それは十分Extended(長距離)クラスに相当する距離だ。

 逃げをうつものはおらず、自然先行集団が固まって先頭を走る。よくあるスローペースでの前残りの展開だ。普通ならば。

 

 しかし、実際はひとりが抜けて集団を引っ張る形になっている。不本意にも。今まで逃げたことなどない彼女がそうなっていることを、しかし誰も文句は言わないだろう。

 シニア2年目のそれなりにレースの経験を積んできた、位置取り争いが激しく大小の衝突さえ日常茶飯事である海外のレースでさえ感じたことのない、あまりにも明確で鋭い()()

 首筋にナイフを当てられたかのような、自分が今、死の淵にいるのだという身も凍るようなプレッシャーを流し込まれ、彼女の脚は下がることを許されない。後ろには死神がいる、極東からやってきた真っ黒い毛色の刺客が。

 掛かる、掛かる、掛かる、スパートこそかけていない、実際のスピード自体は恐らくそれほどではないのだが、長距離レースとはとても思えないペースで走る。そしてその後ろを、ライスシャワーはほとんど離れず追っていく。

 そしてレース終盤、スタミナ自慢たちが溜めていた脚を使ってスパートをかけ、ハイペースで体力を磨り潰したはずの前を走るふたりを躱そうと迫る。

 

 その瞬間、先頭を走らされていた彼女は、世界がズレたような感覚に陥った。

 

 それは例えば、世界が自分を残して丸々僅かに異なるものへ変わってしまったかのような違和感。不安感。緊張感。それは、殺気によって張り詰めていた彼女の精神を急激に消耗させる。

 息が乱れる。満足に呼吸のテンポを整えることもできず、みるみるうちに酸素の供給が追いつかなくなる。荊棘(いばら)(つる)が首に、脚に、腕に、巻き付き締め付けているかのような息苦しさと体の鈍り。

 目の前が暗闇に閉ざされていく。頭が回らなくなり、自分が走っている意味さえ見失いかけた時、ふっとすべての(いまし)めが解けた。

 体の緊張が消えると同時に力も抜けていく。糸を切られた操り人形のようにズルズルとバ群へ消えていく。もはやまともに動かなくなった脚に鞭打つ彼女はその寸前、黒い影が自分の横を通り抜けていくのを見た。

 

 一方、それを後ろから見ていた中団のウマ娘たちは目を疑う。ハナの後ろにピッタリとつけて逃げていたライスシャワーが、想定よりも早いタイミングでスパートを始めた上、想定よりもスピードを出しているからだった。

 ネットでの中継を見ていた日本人はその黒にかつての白を重ねた。"地を這うような"と(たと)えられた、地面ギリギリまで体を低くしたその前傾姿勢は、さながらかの『芦毛の怪物』を想起させるものだったからだ。

 正面から受ける空気抵抗を限りなく削ぎ落とすため、空気と衝突する面積を狭めながら、ライスシャワーは前へ前へと進もうとする体をさらに前へ蹴り出すために脚を動かす。

 ブレーキなどない。体重移動と蹴り足の両方がアクセル。いくら洋芝より軽いからと言って、それでも日本の芝よりかは幾分かクッション性があり重たいアメリカの芝を、まるで日本の高速バ場でも走っているかのように滑る黒い影に、観客は恐怖すら覚えた。

 なにより、彼女の目は、少しでもバランスを崩せばそのまま顔面から地面と衝突するとは思えないくらいに凪いでいて。隣に死があるとは思えないくらいに平静で。

 

 それがゴール板を駆け抜けたとき、歓声は起こらなかった。

 海外のウマ娘が激しく競り合いをする様を『命知らず』などと言うこともあるが、それとはまったく別の方向性を持つ『命知らず』な走りに、皆が皆一様に呑まれていた。

 絶句、あるいは唖然。2400m(Long)級でさえ長いと言われるこのクラシック前半に、2つ目の長距離(Extended)級重賞レースを勝ち取った新進気鋭のステイヤーへの畏怖。

 

『ねぇ、ちょっと、そこの黒いの』

 

 平然と息を整えてクールダウンのストレッチを行うライスシャワーに、十分に脚を溜めてスパートをかけた結果1バ身差の2着に破れたウマ娘が話しかける。スラング交じりなアメリカ英語ではあるが悪意は感じられない。

 

『あんた、あんな景気よく逃げ打ってたのにあの末脚残すって……どんなスタミナしてんのよ……』

 

 ライスシャワーがスパートで見せた末脚は彼女たちのそれに比べれば数段劣るものだったが、しかしそれは彼女たちが脚を残していたからであり、序盤からハイペースで走り続けたライスシャワーとは条件が違う。

 それでいながら潰れている様子もなく、こうして息を整えるだけでごく平常に見えるライスシャワーに戦慄しながらも、そのウマ娘はライスシャワーのスタミナを称えた。

 それに対してライスシャワーが返した答えは、彼女を面くらわすには十分だった。

 

『ありがとう。でもわたし逃げてないよ? 逃げの人の後ろを走ってたんだから、先行でしょ? 脚はちゃんと溜めてあったよ』

 

 確かに、ひとり逃げを打った相手を追走するにしろ、それに競り合いを仕掛けてハナを奪いに行くのでなければ、脚質区分的には逃げではなく先行になる。

 

 しかし、しかし()()()()()()()()()

 

 それを言うならハナを走った彼女も逃げではない。ただ運悪く少し前に位置を取ろうとした結果ライスシャワーに目をつけられ、逃げの如きペースで走り続けざるを得なかった不幸な先行ウマ娘だ。

 そしてそれをほぼ同じペースで追走したライスシャワーも、脚質としては先行でも走行ペースは逃げ並みではないのか。

 話しかけてきたウマ娘や周囲でそれを聞いていたウマ娘はまた絶句し、英語間違えたかな? などと思いながら、ウイニングライブの最終チェックのため控室へ戻るライスシャワーを見送った。

 

 翌日、ライスシャワーにインタビューしようとしたアメリカのマスコミは、彼女がレース当日中にアーケーディアを発ち、今朝日本への飛行機に乗って帰国したことを知り、再び唖然とするのだった。

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

 ライスシャワーが海外で初めて『極東の黒い刺客』と認識されてから5日。

 4月26日、京都レース場、天皇賞開催。

 ライスシャワーがレース後即帰国したのも、当然ただのマイペースというわけではなく、この天皇賞の観戦に間に合わせるためでもあった。

 なにせ貴重な国内の長距離GⅠである。しかも、来年自分が戦うであろう国内最高峰のステイヤー、メジロマックイーンが出走するのだから、観ないという選択肢はなかった。

 出走者で注目株は他に、菊花賞ウマ娘であり今話題のチーム《ミラ》メンバーでもあるナイスネイチャ、国内長距離GⅢであるダイヤモンドステークスを制覇したイブキマイカグラ、そして、初めての長距離となるトウカイテイオーだ。

 元々出走を予定していたカミノクレッセは、開催日が近いJpn1ダートのかしわ記念に空きが出たためそちらへと出走登録を移した。

 国内でも有力なステイヤーであるレオダーバンは、未だ療養中である。

 

 そして、それらの挑戦者よりも王者メジロマックイーンの心を揺らす存在もまた出走していた。

 

「パーマーさん……」

 

 メジロパーマー。自分と同じメジロの娘。

 メジロライアンから、メジロパーマーとの間の隔たりについては聞いていた。そのうえで、メジロマックイーンは対話を選ばなかった。

 メジロマックイーンは、ある程度距離が縮まった相手でないとコミュニケーションに難が出る性格をしている。取り繕うあまり冷たい印象を与えるからだ。

 幼少期はまだ交流があったが、トレセン学園にメジロパーマーとメジロライアンが入学した日から交流が滞っていた。今のメジロマックイーンが対話をしようとすれば、余計に拗れる可能性があると判断したのだ。

 それよりも、今は目の前のレース。前年王者、メジロの血筋として、天皇賞の連覇を落とすわけにはいかない。特に、このレースには油断できない相手が多く出ているのだから。

 有記念でも肉薄されたナイスネイチャとイブキマイカグラ、そして、トウカイテイオー。2500mが短かったと言い訳はできない。一筋の慢心もなく、勝ち取らなければならない。

 そんなメジロマックイーンの決意は、地下バ道で僅かに揺さぶられた。

 

 長かった髪はゴムでまとめられ、勝負服は以前見たことのあるデザイン案から一新された、スポーティでアクティブなものになっている。

 それそのものはメジロライアンもさして変わらないのだが、問題はそれがメジロパーマーであるということだ。メジロパーマーは、メジロ家から期待されないが故に。期待されても応えられないが故に。せめて令嬢然としようとしていた、そうでなければ、メジロ家である資格でさえ失うとまで考えていたのだから。

 

(……心境に変化があったのですね、パーマーさん。それが吉であるか凶であるかは存じませんが)

 

 メジロパーマーに何があったのかを、メジロマックイーンは正確には知らない。だから、すべてはレースで知ろうと考えた。

 全選手がゲートに入る。天皇賞というレースのブランドは、それこそ大阪杯とは真逆。天皇の名を頂く栄光あるレースだ。相応しいだけの緊張感が、ゲートを取り巻いている。

 

 緊張が高まる。それを乗り越えようとする者、意に介さない者、利用しようと考える者。様々な思惑が交差する中でゲートが開く。

 

 真っ先にゲートを飛び出したのはメジロパーマー。

 その脚は、既にハイスピードを刻んでいた。




 炊きたて半ライス。
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