万魔殿の主〜胡散臭いトレーナーとウマ娘たちは日本を驚かせたい 作:仙託びゟ
府中市、某所。
人通りの多い道の端、自販機の前を陣取ってウマホをいじる人影が一つ。背はそれほど高くなく、スキニーのダメージジーンズと、『BITE "D" HARD』と書かれたラフな黒いTシャツに包まれた手脚は、一見すれば針金細工のように細長い。
手脚に相応しく体つきも貧相で、タイトなシャツが体にピッタリと張り付いているせいでそれが余計目立って見えた。
目深に被ったウマ娘用のベースボールキャップとスポーツタイプのサングラスでその顔を窺い知ることは難しいが、あまり手入れのされていない青鹿毛は、帽子に収まりきることなく溢れ出していた。
左右両方の耳に多くのピアスがついているが、一番目立つのは右耳につけた逆十字架のピアスだろう。
日本ではシルヴァーエンディングと名乗っているそのウマ娘は、ウマホを見ながら不機嫌そうに眉を寄せる。有り体に言えば、彼女は今、道に迷っていた。
去年の11月から日本に残り続けている彼女は、ゴールデンフェザントが置いていった監視役を撒いてよく遊びに出る。その結果できた野暮用でまたも監視役を撒いてホテルを出てきたものの、見事に迷ってしまったのだ。
募る苛立ちに貧乏ゆすりまで始まり、外国ウマ娘であることも合わさり本格的に誰も近寄らなくなってきたタイミングで、そんな彼女に話しかける勇気ある少女が現れた。
『あの、大丈夫ですか?』
(自称)シルヴァーエンディングより少し明るめな黒鹿毛の少女。ライスシャワーである。
『いやー、助かったぜ!! まさか道案内までしてくれるとはなぁ!!』
『役に立てたならよかったぁ……』
ライスシャワーが、(自称)シルヴァーエンディングの目的地が偶然にもライスシャワーの目的地と同じであったため、それならと道案内を買って出たことで、(自称)シルヴァーエンディングもやや機嫌が回復し、ふたりで大通りを歩いている。
『それにしても、今噂の"殺し屋"がこんなぽやぽやしてるとは思わなかったわ、ホント』
『こ、"殺し屋"!? なにそれ!?』
『なんだ、自分のことなのに知らなかったのか? ドバイとアメリカの長距離レースで、常にひとりをマークして追い回す"殺し屋"って、結構話題だぜ?』
正確には、『殺し屋』と呼んでいるのはごく一部であり、アメリカで有名な呼び方は『ニンジャガール』なのだが、シルヴァーエンディング(自)は『殺し屋』の方を気に入っているためそちらで覚えていた。
『さ、流石に恥ずかしいからやめてほしいかな……』
『そうか? いいと思うけどな……そんで、次走はどうすんだ? また長距離か?』
『……あ、ううん。一度日本ダービーに出てからかな。それからグッドウッドカップとイギリスセントレジャーに出る予定』
『……マジかよ。夏のシニアステイヤー王決定戦とイギリスクラシックの三冠目だぞ……マジに勝つつもりか……?』
『? 出るからには勝つつもりじゃないの?』
これはシルヴァーエンディング(仮)の聞き方が悪かった。「勝てるつもりか」と聞けば「勝てないかもしれないけど精一杯頑張る」くらいの返事が返ってきたのだ。
ただでさえ母語が違うのに、シルヴァーエンディング(偽)はところどころ言葉の使い方が適当なために起きたすれ違いだった。が、シルヴァーエンディング(笑)が抱いた印象は『可愛い顔してめっちゃ自信満々なやつ』であり、さして間違っていないどころか的を射ていた。
黒いのが立ち止まる。何故か。赤信号だからである。いくら彼女が傍若無人の権化であるからと言って、流石に車の行き交う赤信号を渡るのは無理だ。命に関わる。
しかし、かと言って看過するのも無理だ。何故か。ライスシャワーと歩き始めてから11の信号機すべてにおいて赤信号で引っかかっているからである。
『おいライスシャワー。都会の信号機ってのは嫌がらせのためにカメラでもついてんのか?』
『ううん、違うと思う。わたしよく信号待ちするけどカメラとか見たことないから……』
『いやいや11分の11だぞ。どんな確率だよ。そういうのはカジノのスロットで出してくれよ』
『大したことじゃないよ。わたしお出かけすると行き帰りで2、30回は赤信号に引っかかるし……』
『じゃあお前だよ原因!!』
黒いのが苛立ち紛れに交差点のポールを蹴飛ばす。このポールはウマ娘による攻撃に耐えるため、根本以外はぐにゃりと簡単に曲がり、じんわりと元の形に戻っていく特殊なゴムで作られている。1分もしないうちに戻るだろう。
そして理不尽にも思える黒いのの叫びはあながち間違いではない。信号機はライスシャワーの歩調だとおおよそ7割程度の確率で赤になり、黒いのは道を教えてもらうためにその歩調に合わせて歩いているのだから、原因は間違いなくライスシャワーにあった。
『お前あれだ、信号機変える係のヤツに嫌われてんだよ。それかそういう星の下に生まれてきたんだ』
『やだなぁ、大都市は何者かの管理下にあってあらゆるものが監視され操作されているとか、超常現象を無意識のうちに発生させる存在と生まれながらに決められているとか、そんなことが実際に起こるわけないよ。ファンタジーやメルヘンじゃないんだから』
『おいどうした急に』
ちょっとキツめのジョークのつもりで言ったら、いきなり目からハイライトを消した低く平坦な早口で現実的すぎるド正論で反論してきたライスシャワーに、けっこう呑気してた黒いのもビビった。
『とにかく、お前と歩いてると信号に引っかかり続けるのは理解した』
調子を狂わされっぱなしな黒いのは帽子越しにガシガシと頭を掻くと、ライスシャワーをひょいと小脇に抱えた。
『もう俺様が運んでいくから、お前ナビだけしてろ』
『うん、わかった……あ、今のところ右……』
『おせぇよ!! もっと早く言えや!!』
彼女のお世話係が見れば目を剥くだろう、振り回されっぱなしの黒いのがそこにはいた。
◆◇◆
同時刻、府中市、点十字病院第2分院。
「アタシはね、ライブにテイオーが出てなかったときにまさかと思って、テイオーが故障したって聞いたときはもう血の気が引いたわけよ?」
ナイスネイチャとツインターボは、入院中の同期のもとへお見舞いに来ていた。
ぐちぐちとぼやくナイスネイチャの横では、ツインターボがペティナイフでくるくるとリンゴの皮を剥いていた。見事に繋がったまま、しかも薄めである。
「そんで気が気でない状態で学園に戻ったらテイオーに迎えられてマジでビビったわ。軽度の剥離骨折で激しい運動は厳禁だけど日常生活に問題はなし、秋天やジャパンカップは厳しいけど有馬記念には間に合いそうって言われたときは気が抜けてマーベラスやマヤノと一緒にくすぐりの刑に処しましたとも」
誰の見舞いか。もちろんトウカイテイオーではない。彼女は今頃寮の自室でマヤノトップガンに遊ばれているだろう。
「3日も経たないうちになんでアンタが故障してるんですかねェマイカグラ……!?」
「あはは、やってもうたわ」
イブキマイカグラであった。
春の天皇賞から2日後の未明、イブキマイカグラはこの病院へ意識不明の状態で運び込まれた。救急車を呼んだ同伴者曰く、スリップしバランスを崩して転倒。ガードレールに頭をぶつけて気を失ったとのこと。
奇しくも同世代で同じような故障から引退に追い込まれた天才スプリンターがいたことで、過敏になっていたテレビ各局のマスコミはニュース速報としてこれを報じ、瞬く間にお茶の間へ伝えられた。それを視聴していたナイスネイチャは茶碗を落とした。
しかし、結果から言えばイブキマイカグラは翌日には目を覚まし、ただの脳震盪で受け答えにも問題なし。脚はぽっきりときれいに折れていたためくっつけば後遺症なし。
念の為1週間入院ということにはなったが、事態とは裏腹に非常に軽症で済んでいた。
「しかも!! その原因が野良ロードレース中の事故って!! なんで長距離GⅠ走った2日後の深夜に峠攻めてんのよアンタは!!」
「あんたやない、
「知らんわ!!」
「おう、剥けたぞ」
「あらおおきに」
呑気に剥かれたリンゴを頬張る
一方ツインターボはリンゴでうさぎを作り始めていた。
「えぇほんまに。元気そうでなによりやわ、マイカグラ」
そんな、はんなりと上品でやわらかな響きであるのにも関わらず、室温を数度下げたのではないかというほどの冷たさを纏った声がかかり、ナイスネイチャは病室の出入り口を振り返る。
立っていたのはひとりの妙齢のヒトミミ女性だった。いかにも着物美人と言った風体で、なかなかに大人の気品と余裕を感じさせる。
顔に浮かべた微笑みは優しげであるが、しかしどこかイブキマイカグラと似たような雰囲気を感じさせた。言うなればそう、凄味である。
「天皇賞では惜しかったからヘコんでるんやないかと心配やったけど元気いっぱいそうで安心したわ」
「と、トレーナー……ご機嫌うるわしゅう……」
慄いている。
あのイブキマイカグラが顔面蒼白で慄き声を震わせている。ナイスネイチャは信じられないものを見たという顔をした。
「厳しいローテーション結構、野良ロードレース結構。結果として実ぃになっとるんやったら調整すんのはこっちの役目やわ……せやから、結果にはご褒美あげんとあかんわなぁ?」
「え、ええて! そんな無理せんでも!!」
「あかんえ? 大事なだーいじな教え子にご褒美も与えられんようなトレーナーになりたないし」
「そ、そないイケズなこと言わんで……堪忍やぁ! な? 今回だけ赦してぇ……!」
必死に縋りつくイブキマイカグラには、普段の飄々として余裕ぶった雰囲気は欠片もない。あまりの落差にナイスネイチャの顔はキング・クリムゾンのCDジャケットのようになっていた。
しかし、イブキマイカグラのトレーナーは無慈悲にも死刑宣告をくだした。
「ひと月、餡こ抜きや」
餡こ? アンコ? ANKO?
首を傾げるナイスネイチャ。しかし、イブキマイカグラの顔は絶望に染まっていた。
「そんな……後生や……それだけは……」
「だーめ。せやから、これもうちがいただきます」
「えゃっ!!? そ、それ、御福餅○家の御福餅……」
手を伸ばすイブキマイカグラの目の前で、トレーナーはそれを頬張る。ついでにツインターボの口にも放り込む。
呑気に「うめー!」と叫ぶツインターボを見て、イブキマイカグラは力なく腕を下ろし項垂れた。
この言い草だと当然トレーナーは事前に知っていたはずなので、わざわざこれをするためだけに菓子を買ってきたことになる。
(このトレーナーにしてこのウマ娘あり、か……)
「挨拶遅れまして失礼。うちはイブキマイカグラのトレーナーで社北グループ専属トレーナーの伊吹大江言います。あんじょうよろしゅう」
「あ、はい。ナイスネイチャです。よろしくおねがいします」
「うちの子、ちぃとヤンチャやけど悪い子やないから、これからも仲良ぅしたってな? アホなことやっとったらうちに言うてくれれば叱ったるさかい」
そう言って渡された名刺には、恐らく伊吹に繋がるであろう電話番号が書かれていた。なんとなく、悪魔と契約してしまったような気分になったナイスネイチャだった。
にこやかに、かつどこかツヤツヤとした伊吹が帰ったあとすぐ、イブキマイカグラは不貞腐れたように眠ってしまった。微かに鼻を啜る音が聞こえたので泣いているのかもしれない。
見舞いの相手も寝てしまったため、それじゃあそろそろ帰るかなどとナイスネイチャが立ち上がったタイミングだった。病室のドアが再び開いた音が聞こえた。
『おー
公式ライスとの共通点
・他人に対して優しいし他人のために頑張れる娘
・間も悪いし要領も悪い