万魔殿の主〜胡散臭いトレーナーとウマ娘たちは日本を驚かせたい 作:仙託びゟ
ナイスネイチャが彼女を見た第一印象は「関わりたくない」だった。だって明らかにガラが悪い。しかし不運なことにこの部屋の出入り口はひとつしかない。
などとグルグル考えているうちに、不良(確定)はナイスネイチャなど気にせずズンズンと近づいてくる。と言ったタイミングで、ようやく彼女の小脇にライスシャワーが抱えられていることに気づいた。
「ライス先輩!?」
『あ? 何だお前こいつの連れか?』
『え、あ、えっと……』
昨年のフランス合宿の後、網馬に「せめて英会話くらいはできるようにしましょう」と詰められたため、それなりに英会話はできるようになったナイスネイチャだが、急に話を振られると流石に動揺した。
そんなナイスネイチャをよそに、質問に答えたのはツインターボだった。
『おー、ライスはあたしらのチームメイトだぞ』
『ほー。ってことはあれか、お前ら全員凱旋門賞ウマ娘と同チームってわけね。ま、いいや』
黒いのはそれで興味を失ったのか、ライスシャワーを割と雑におろしてイブキマイカグラに近づく。
『俺様が見舞いに来てやったってのに寝てんのかよオイ。あ? なんだ泣いてんのか? ガキっぽいとこもあんだな』
ゲラゲラと下品な笑い方をする黒いのだが、イブキマイカグラは負けたことでも怪我のことでもなく、お預けされた好物のことで泣いていた。
ツインターボが剥いてそのままになっていたウサギのりんごを当たり前のように口にしながら笑う黒いのを見る、ライスシャワーを除いたチーム《ミラ》ふたりの感情はおおよそ「なんだこいつ」である。
そしてまた唐突に、黒いのは『そうだ』と顔をナイスネイチャたちの方へ向けた。
『思い出した。お前らもコイツと同じであれだろ。皇帝の一番弟子に土つけたライバル共。ええと……ナイスネイチャとツインターボ、だっけか』
正確に言えば、イブキマイカグラはトウカイテイオーに先着したことも、GⅠを勝ったこともあれど、トウカイテイオーが出走したGⅠという条件で1着をとったことはないのだが。そしてそれは、ナイスネイチャもまた同じである――少なくとも公式な結果はそうなっている。
しかし、トウカイテイオーのライバルと言われればそれは間違いではないし、名前を呼ばれたのだから人違いでもない。ふたりはその問いに頷いた。
黒いのはそんなふたりをジロジロと不躾に観察し、一通り満足して鼻で笑った。
『大した事なさそうだわ』
『なんだとぉ!!』
瞬間沸騰するツインターボを適当に押さえつけながらナイスネイチャは考える。目の前にいるのがイブキマイカグラと野良ロードレースでやりあった相手なのだろう。
見た限りでは決して強そうとは思えない。もちろん喧嘩であれば別だろうが、競技者として見れば100人中100人が走らないと答えるだろう。
ロードレース、すなわち公道を使ったレースは条例で制限されていることが多い。アスファルトの硬い路面はウマ娘の脚にかかる負担が強く、事故の危険性も高まるからだ。
しかしながらこれを禁止しきれていない、黙認すらしてしまっているのは『ウマ娘専用レーンで偶然複数人で走っているだけだ』と強弁されてしまえば完全に否定することはできないからだ。精々できることはスピード違反での取り締まりくらいだろう。
閑話休題、そんなロードレースでとはいえ、イブキマイカグラ相手に競り合える相手だ。ただものでないのはわかる。たとえ、外見がまったくそう見えなかったとしても。
(言われっぱなしなのは癪に障るけど、アタシが3流なのは……今はそうでもないかもしんないけど、まぁ自認はしてますし? 下手につっかかって取っ組み合いになるのもアホらしいだけだし、適当に流しますよーっと)
カッとなることもあるが、基本的にナイスネイチャは事なかれ主義である。揉め事は起きないに越したことはない。
ツインターボの口にお見舞いのニンジンを放り込んで黙らせると、お得意の愛想笑いで流す。黒いのはそれをつまらなさそうに見ると、懐から取り出したペパーミントキャンディーを咥えて、踵を返して病室の出入り口へと向かった。
『……これに負けてるんじゃトウカイテイオーも底が知れてんな』
「
自称シルヴァーエンディング――
本来、ナイスネイチャなどの一部のウマ娘が駆使する《八方睨み》と呼ばれる技術を始めとした所謂『威圧系デバフ』は、レース中で感覚過敏に陥った状態の相手にこそ効果を発揮する。超能力ではない純然たる技術だ。
しかし、SSはこう見えて多くの激戦を制してきた猛者であり、それ以上に過酷な運命を乗り越えてきた
そして、そんなSSに突き刺さっているのは、ナイスネイチャがこれまで能動的に出してきたものとはそもそも質が違う。溜め込んだストレスを局所的に発散するそれではない。
爆発的に増加した負の感情が濁流のように溢れ出すのを、指向性を持たせてSSに突きつけている。
『……喧嘩を買ったと思っていいんだな?』
『「生憎、腰抜けに払う金はないね」』
ナイスネイチャがツインターボの翻訳を通して伝えた言葉。安い挑発ではあるが、少なくとも先程まで事態を丸く収めようとしていた者のすることではない。SSは再びナイスネイチャに興味を向けた。
『「アンタと違ってこっちには競技者として超えちゃいけない一線がある。それをわかった上でそのラインの外から挑発するなんて、檻の中のライオンに石投げてる腰抜けと何が違うのさ?」』
『ご自分がライオンだとでも? 人間様がどいつから絞めようか悩んでる
『「そう思いたいなら
交わされる言葉の応酬。それを聞いているライスシャワーとイブキマイカグラ(狸寝入り)は、単純にツインターボの翻訳能力に舌を巻いていた。
返ってきた思いの外 強烈な挑発に、青筋を浮かべながらも楽しそうに笑うSS。ニイッと裂けた笑みの隙間から鋭い牙のような歯が覗く。
しかし、完全に
『「アンタがウマ娘で、逃げずに檻の中へ来るって言うなら、そっちが売った喧嘩は適正価格で買ってやる。晩秋の府中、詳しい日付は自分で調べな」』
『
『「お生憎様、
『おいおい先に芝っつったのはそっちだろうがよ』
『「日本じゃ、獅子は兎を狩るにも全力を尽くすって言うのよ?」』
言い合いが一度止まる。SSからすれば、取ろうと思えば取れる揚げ足も突ける穴もいくらでもある。いい負けた雰囲気になるのは癪だが、しかし条件は整った。これ以上続けるのは見苦しい。
「
キャンディーを噛み砕いて、SSが笑う。幸い防音設備が整っているため、周囲から苦情は来ないだろう。一通り笑ったSSは、凶悪な笑みを浮かべたままナイスネイチャを睨む。
『ふぅ……シルヴァーエンディングだ。
『「
ナイスネイチャの返事を鼻で笑って、SSは今度こそ病室から出ていった。
◇◆◇
「それで、冷静になってから思い返すたびにひっくり返ってるんですか? あれは」
「もう1ヶ月前のことなの……」
控室のベンチにうつ伏せで突っ伏すナイスネイチャをよそに、チーム《ミラ》によるレース前の作戦会議が始まった。
5月31日、東京レース場。ライスシャワーが出走する日本ダービーの開催である。
出走するのは当然ライスシャワーだけだが、勉強になるということで出走しないメンバーも作戦会議には参加している。
「注意すべきはマチカネタンホイザとミホノブルボンですね。要注意だったレガシーワールドは昨年末の事件で担当トレーナーに契約を打ち切られ、さらに制裁としてクラシック限定GⅠへの出走を禁止されました。現在は新しいトレーナーがついていますが、ライスシャワーが当たるとしてもステイヤーズステークスでしょう」
「そう言えば、その新しいトレーナーってどんな人なの?」
「競走ウマ娘として有名だった方なので、多分知ってると思いますよ? ギャロップダイナですよ、GⅠウマ娘の」
数秒の沈黙。それはレガシーワールドに捧げられた黙祷だった。
問題児ではあった。しかし、ギャロップダイナに委ねられたならば、もう。
「話を続けますが、マチカネタンホイザはあまり考えなくてもいいと思います。潰れることはないと思いますが、ミホノブルボンより速いということはまずありませんから」
「……やっぱり、ブルボンさんだね」
「はい。知っての通りですが、ミホノブルボンの脚質は逃げ。それも、従来の逃げとも、ハイペースな逃げとも、大逃げや破滅逃げの類でもない。常に同じペースで走り続ける逃げ方を得意としています。他の逃げのようにペースコントロールをするでもなく、掛からせてスタミナを消耗させるでもなく、あくまで自分の世界に没入する逃げです」
それはある意味、ツインターボやアイネスフウジンよりも余程、カブラヤオーに似ている逃げだ。カブラヤオーは恐怖により肉体のアラートを無視するが、ミホノブルボンは自らの理性の下でそれを行っている。
狂気とは理性を失うことではなく、理性以外のすべてを失うことだと説いた作家がいた。それに基づくならば理性の怪物たるミホノブルボンは、まさに『狂気の逃げウマ娘』の再来であろう。
「2400m走りきるでしょう。余裕はないと思いますが」
「ライスはどうすればいいかな?」
「いつも通り、ミホノブルボンをマークして動いてください。厳しい戦いになるかもしれませんが」
「頑張ってなの、ライスちゃん」
「わかった! アイネスお姉さま、ライス頑張る!」
返事をして、頑張るぞーおー、と地下バ道へ向かうライスシャワーを見送るチーム《ミラ》。やがて、アイネスフウジンが切り出した。
「ライスちゃんのマーク、威圧を強くすればブルボンちゃんも削り切れるんじゃないの?」
「……ライスシャワーの威圧については、本人が無自覚なので指摘しようがないんですよ……何故あれほど強い威圧になっているのかもわかりませんし、根本的に感性が人とズレているので探るのも一苦労でしてね……」
「えぇ……」
困惑するアイネスフウジンは、自分を慕う後輩が出ていった扉をただただ見つめるだけだった。
◇◆◇
「今回もっとも警戒すべきなのはライスシャワーだ」
用意した資料に目を通しているミホノブルボンに対して黒沼がそう告げる。黒沼自身はそれほど徹底したデータ主義というわけではないのだが、ミホノブルボンはこうしたデータを逐一参照するタイプであるため、必要に応じて膨大なデータを整理して与えている。
本当に覚えられるのかと疑うこともあるが、ミホノブルボンは失念することこそあれど覚えられないということは一度もなかった。忘れていることも、指摘すれば思い出せる。
この強固な記憶力も、ミホノブルボンの持つ鋼の精神力を鍛えた一因なのだろう。嫌なことさえ忘れられないのだから。
「ホープフルステークスの時にお前が抱いた、漠然とした違和感。恐らく、今回は形になって襲ってくるだろう」
その言葉に、ミホノブルボンの視線が黒沼に向く。無機質な瞳だが、その奥には強い意志と熱量が含まれていることを黒沼は知っている。
「マスター、事案: ホープフルステークスはステータス『緊張』の影響による
「あぁ、お前はそう判断して、あくまで懸念材料として俺に報告した。その懸念が当たったんだよ」
ミホノブルボンは精密機械に弱い。装備によってある程度軽減できるため現代社会から排斥されるわけではないのだが、それとはまた別に単純な機械音痴も発症している。
そのため、ネット上でのデータ収集に関しては、ミホノブルボンはとことん疎くなる。
「ライスシャワーが出走した2度の海外レースとそれ以前に出走した国内レース。そのすべてで、ライスシャワーがマークした相手は強い殺気を感じたと証言している。お前がホープフルステークスで感じたのは、それと同質のものだろう」
ミホノブルボンの"
言うなれば、彼女の"
一段階目、スタートと同時にミホノブルボンは"
何者にも惑わされず、刻々と進む時間だけを頼りに、道なき道を目的の星に向けて一直線に進み続ける。未知に満ちた彼女だけの世界。
そして二段階目。すべての行程が成立した状態で最終直線に入ったときに発動する、星の海からの発進。彼女とともに走ったウマ娘が"
黒沼は、ミホノブルボンがライスシャワーの威圧を受けて違和感で済んでいたのは、この"
「お前の"
「
「あぁ。潰れることはないだろうが、その動揺がお前の掛かり癖を誘発して、二段階目に入れない可能性は十分考えられる」
ミホノブルボンの"
特に、ミホノブルボンは未体験、不測の事態に弱い。黒沼が憂慮するのはそこだった。
「……まぁ、なんだかんだ言ったが今のお前なら負ける相手ではないはずだ。落ち着いて、冷静にレースを進めれば勝てる。2つ目の冠もとってこい」
「オーダー『日本ダービーの制覇』を受領。ミッション内容を確認。ミホノブルボン、出撃します」
ミホノブルボンに油断はない。慢心も。ただ冷徹なまでに目の前の勝利を追い続ける『サイボーグ』。
ライスシャワーとミホノブルボンの、2度目の戦いが始まろうとしていた。