万魔殿の主〜胡散臭いトレーナーとウマ娘たちは日本を驚かせたい   作:仙託びゟ

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 昨日寝落ちしました。


むべ山風を

 ガシャン、と金属音がして、ウマ娘たちの目の前のゲートが開かれると同時に逃げウマ娘がハナをとるために飛び出す。

 中には先頭でなくとも逃げのペースで走れればいいという逃げウマ娘もいるにはいるが、大半の逃げウマ娘は先頭に立ってペースを作ることを目的としたり、心理的な問題で先頭に立たなければならなかったりする。そのため、位置取り争いは常である。

 そして、今回その先頭争いをする逃げウマ娘は、出走者13人のうち6人。ほぼ半数だ。しかもそのうち4人はGⅠを複数回制覇している。当然、激しい競り合いが予想されていた。

 

 しかし。

 

『ゲートオープンと同時にハナをとったの、は……め、メイショウビトリアです!! メイショウビトリア先頭!! 続いてメジロパーマーとダイタクヘリオス、アイネスフウジンの順!! ツインターボとミホノブルボンは出遅れました!!』

 

 誰もが予想し得なかった展開に会場中がザワつく。当然、メイショウビトリア自身も驚愕である。

 そして、多くの観客たちが、ターフを走るウマ娘たちが、何が起こったかを予測する。天皇賞の時と同じく、不審な状況の元凶となり得るウマ娘へ視線が集まった。

 

(……あ〜らあら、また人のせいにしてくれちゃって〜……ま、今回はアタシなんだけど)

 

 『八方睨み』ナイスネイチャ。天皇賞でこそ予測していなかったメジロパーマーの大逃げを牽制しきれなかったが、今回は多くが逃げてくることがわかっている状態でのスタートだ。

 それならそれで、やりようはある。

 

(結局ぶっつけ本番になったけど、うまくいってよかった……とはいえ、効いたのはアイネス先輩にブルボン先輩、あとターボか……ま、半分止められれば上々かな)

 

 ナイスネイチャが行ったのは普段彼女がやっているのとほぼ同じ、視線による威圧である。外枠近くに配置され、ナイスネイチャの右手側にすべての逃げウマ娘たちが揃っていたことを利用した。

 本来、こうした威圧はレース中の興奮によって感覚過敏になっているウマ娘にこそ効果がある。だから、ほとんどの威圧はレース中盤から終盤にかけて行われる。

 しかし例外もある。それが、ゲート内。ゲートが開く瞬間を見極めるために集中しているそのタイミングは、ラストスパートと同じくらいに感覚が過敏になる。

 

 スタートダッシュには2種類ある。テンが速いタイプと、ゲートが巧いタイプだ。

 前者は即ちパワーがあるタイプであり、多少の出遅れをひっくり返すだけの加速ができる。反面、ゲートから出た直後に前を押さえられて蓋をされることもしばしばある。

 後者は文字通り、ゲートが開くタイミングを見極めるのが巧いタイプだ。ゲートが開いた瞬間に飛び出す、そんな最初の一歩が巧い。

 当然、このふたつの特性を併せ持つウマ娘もいるがそれはさておく。重要なのは、後者の特徴があるウマ娘はゲート内で集中状態にあるということだ。

 

 ナイスネイチャのしたことは文字にすれば単純だ。ゲートに集中して感覚が過敏になっている相手に対して、ゲートが開くというそのタイミングで、視線での威圧をぶつけた。それだけである。

 それだけだが、効果は劇的だった。集中して構えている間、身体は緊張状態にある。そして、ゲートが開いた瞬間に緊張を解いて、バネのように走り出すのがスタートの基本だ。

 ゲートの方向へ向けた意識が、緊張を解いたその瞬間に横からの威圧を貰えばどうなるか。その結果がこれだった。

 

 なんということはない。集中しきれていなかったメイショウビトリアは逆に威圧に気づくことなくスタートを切ることができた。多少なりとも集中はしていたが加速力に頼るタイプだったメジロパーマーとダイタクヘリオスはそれを追走。

 深く集中してスタートを切るタイプであるアイネスフウジンはモロに威圧を食らい、"領域(ゾーン)"が発生するほどの()()()()()()()()()()ツインターボとミホノブルボンは、"領域(ゾーン)"が割れるほどのダメージを負って出遅れたのだ。

 

『ハナをとったメイショウビトリアをメジロパーマーとダイタクヘリオスが躱して先頭争いが始まりました! ツインターボも猛追!! 懸命に爆逃げふたりを追って先頭を目指す!! アイネスフウジンはハイペースながら普段よりも抑えて先行気味の動き、ミホノブルボンはそのやや後方にいます、こちらも先行策か!?』

 

 まずはツインターボが掛かった。彼女は気性によってハナを取ろうとしているタイプであり、前を走られるという状況に対してミホノブルボンよりも弱い。

 ごく一般的な逃げのペースをキープしようとするメイショウビトリアをさっさと追い抜いて、破滅ペースの逃げを見せるメジロパーマーとダイタクヘリオス。それを今に抜かさんと言う勢いで、ツインターボはアイネスフウジンやメイショウビトリアを追い抜いて駆け上がっていく。

 

 次々に追い抜かれたことでメイショウビトリアも掛かって、ややハイペースな走り方になる。アイネスフウジンはその後ろでスリップストリームを確保した。

 そしてミホノブルボン。想定よりも更に過酷な、スタート時点で既に"領域(ゾーン)"を割られ過集中から引きずり出されるという状態でのスタートになった。

 

(想定外……いえ、油断していました。想定できる範囲内であったはず……これ以上の思考は無駄であると判断。プラン2へ移行します)

 

 ミホノブルボンが考えていたこのレースの1つ目の目的は、前を走られている状態でいかに"領域(ゾーン)"を維持して、掛からずに走れるかであった。しかし、それはレース開始とともに崩れた。

 故に2つ目。擬似的な"領域(ゾーン)"への潜航。"領域(ゾーン)"を経由せずに脚を残し、最終直線で末脚を発揮する。

 ミホノブルボンの"領域(ゾーン)"は過集中状態へ潜航することによって発揮される自己管理能力と精神統一であり、最終直線での末脚はその副産物に過ぎない。つまり、"領域(ゾーン)"なしでも予定通りのタイムで走ることができれば、最終直線で加速することは理論上可能だ。

 星の海ではなく緑のターフに航路を転換したミホノブルボンだが、しかしペースは既に速くなり(掛かり)始めていた。

 

 先頭集団は2-1-2-1で進んでいる。ハナを競り合うのがメジロパーマーとツインターボで、その後ろにダイタクヘリオスがつける。1バ身ほど開いて掛かり気味のミホノブルボンとメイショウビトリア、メイショウビトリアの後ろにアイネスフウジンが走っている。

 そして、その後ろは今までの大逃げほど離れていない。逃げ全体が出遅れたことが響いているのか、ハイペースに巻き込まれているのか、団子となったウマ娘たちが位置取りを争っている。

 ナイスネイチャは逃げへの干渉を諦め、今は周りへの工作に専念していた。アイネスフウジンが()()()逃げの殿(しんがり)に陣取ったことが原因だ。

 逃げへちょっかいをかけるには、威圧による干渉と他のウマ娘を介した干渉がある。前者は弾数制限があり多くは使えない。かと言って、後者はシニア2年目のアイネスフウジンによってしっかりと防がれていた。

 前への干渉を無駄だと理解させることで、ナイスネイチャの牽制を後ろに集中させるのが目的だろう。ナイスネイチャはそのことに気づいていたが、だからといってどうにかなることではない。

 

(機会を待つしかないかぁ……)

 

 今は相手の思惑通りに動くしかないし、実際それが最善だろう。

 一方で、先頭争いはレース半分を過ぎてなお苛烈だった。互いに差し返しあうツインターボとメジロパーマー。一見互角に見えるふたりだが、主導権は明確にメジロパーマーが握っていた。

 理由はメジロパーマーがしばらくの間出走していた障害競走にあった。障害競走はその名の通り、コース上にある障害物を飛び越えて行うレースだ。ジャンプするたび、小刻みな加速をする必要がある。その経験が、この先頭争いに対して有利に働いた。

 そんなふたりを見ながら、元々先行策をより得意としているダイタクヘリオスはふたりの後ろで爆逃げしつつも機を窺う。

 

 そして、遂にレースが大きく動く。

 

「っ……!! カハッ!!」

 

 ツインターボが大きく口を開けズルズルと垂れ始める。およそ2年ぶり、人によっては初めて見ることになるだろう、ツインターボの逆噴射だ。

 ツインターボの破滅しない破滅逃げは"領域(ゾーン)"を使って誰よりも早くゲートを飛び出し、他のウマ娘が加速しきる前にハナを奪い、誰もいない先頭を競り合うことなく走り続けることを前提としている。

 つまり、そもそも競り合いを想定していないのだ。何故ならツインターボに競り合いの判断などできない、そこまで頭が回らないから。だから、はじめから切り捨てていた。

 

 第3コーナーでツインターボが沈みはじめ、ここまで耐えていたメイショウビトリアにも翳りが見え始める。それを見たアイネスフウジンが、最終コーナーでメイショウビトリアを躱してスパートをかけるために準備を始める。

 しかし、そのタイミングでメイショウビトリアが()()()()と大きく失速した。メイショウビトリアの失速に巻き込まれ、後ろに張り付いていたアイネスフウジンも速度を下げざるを得なくなる。

 

(ネイちゃんなの!! また嫌なタイミングで……)

 

 ナイスネイチャの威圧だ。間違いなく絶妙なタイミング。アイネスフウジンが前傾姿勢に入ろうとしたタイミングでの威圧を、メイショウビトリアに対して放った。

 元々失速しつつあったメイショウビトリアはそれで完全に失速し、後ろにいたアイネスフウジンはスパートを中止してメイショウビトリアを避けることに集中しなければならなくなった。

 さらに、メイショウビトリアを躱して今度こそスパートをかけようとしたタイミングで、今度はアイネスフウジン自身へ威圧が飛んでくる。アイネスフウジンだけでなく、メジロパーマーやダイタクヘリオスもそれを受けたらしく、ふたりの体勢がやや揺らぐ。

 

 体勢を立て直したアイネスフウジンとメジロパーマーが、最終直線に入ってようやくスパートをかけ始める。そんなふたりの内を抉るように、ダイタクヘリオスが"領域(ゾーン)"に入りながらスパートをかけ。

 

「ゲ、ェエッ!!?」

 

 かけ、ようとして、踏ん張りきれなかった脚が芝の上を滑り、力が流れて"領域(ゾーン)"が強制的に解除される。先程の威圧でスタミナを削られきったのが原因だった。

 なんとか体勢を立て直そうとするが、完全にスタミナが底をついて、走るのがやっとの状態。転ばないようにするので限界だった。

 

「アハハハハハ!! ムーリー!! あとは頼んだパーマー!! アハハハハハ!!」

 

「オッケー!」

 

 そのまま大きく外に逸れながら失速していく、失速慣れしている感があるダイタクヘリオスに託されたメジロパーマーが最終直線を駆ける。

 

(G00(座標指定)1st. F∞(速度無限大); ……エラー。疲労蓄積率が規定値を大幅に逸脱……通常のスパート態勢に移行します)

 

 掛かり気味だったミホノブルボンは末脚を発揮しきれず、なんとか失速をしないように持ちこたえている。

 追走するアイネスフウジン。ナイスネイチャも迫ってきているが間に合うかはわからない。仁川の舞台には、これから坂がある。

 

 アイネスフウジンがメジロパーマーのすぐ後ろまで接近し、"領域(ゾーン)"の条件が満たされる。乱気流を纏ったアイネスフウジンが加速し、メジロパーマーを躱す。

 

「こっな……くっそぉ!!」

 

 目の前の乱気流を乗り越えようと意地でそれを差し返し、再び先頭をメジロパーマーが取り戻す。しかし、この競り合いでアイネスフウジンが、もうひとつの"領域(ゾーン)"の条件を満たした。

 風に押され走るアイネスフウジンと、風を乗り越えんと進むメジロパーマー。疾風と嵐が仁川の坂へと差し掛かる。どちらも上り坂を得意とするふたり。大きな失速を見せることはない。

 

『アイネスフウジンか!? メジロパーマーか!? 今ふたり並んでゴール!! 写真判定は……アイネスフウジン!! クビ差でアイネスフウジンが勝利をもぎ取りました!!』

 

 勝負根性は互角、決め手となったのは、残されたスタミナだった。序盤から競り合いを続けていたメジロパーマーと、スリップストリームで温存を続けたアイネスフウジンとの差。メジロパーマーが力押しで勝つには、その差は開きすぎていた。

 負けはした、しかし確かに感じた手応えを噛みしめるメジロパーマーに、差し出される手があった。顔をあげると、アイネスフウジンが握手を求めていた。

 

「パーマーちゃん、ナイスランだったの」

 

「あ、はは。意地だよ意地。まぁ、今回は随分引っかき回されてたから、それに助けられたのもあるけど……」

 

「それを上手く利用できるところまで含めて実力なの!」

 

「おやぁ、もしかしてターボ磨り潰してアイネス先輩の足引っ張っただけのアタシの話してます?」

 

 求められた握手に応じるメジロパーマー。9番人気が見せたまさかの大善戦と、アイネスフウジンが彼女の実力を認めたことにより、観客たちが大きくどよめきながらも歓声を上げる。

 そんなふたりの話に交ざってきたのはお馴染み、3着に駆け込んだナイスネイチャだった。自虐風におどけながらの登場に、そういう会話には慣れていないメジロパーマーはややギョッとした感じだったが、アイネスフウジンは笑いながら対応する。

 

「チーミング疑われないから好都合なの。それより、ネイちゃんまた手札増やしたの?」

 

「前々から考えてはいたんですけど試すタイミングがなくて……もうちょっと相手が少なければ意識が分散されなかったと思うんですけど、流石に6人はキツいっすわ……」

 

 アイネスフウジン1着、メジロパーマー2着と上位に食い込んだ逃げウマ娘であるが、ミホノブルボンは5着、ダイタクヘリオスは7着、ツインターボは11着、メイショウビトリアは12着と大きく順位を落としており、掲示板入りしたのはミホノブルボンだけだった。

 その結果を作り出したのはほぼほぼナイスネイチャが原因であるため、間違いなく技術はアップしている。

 

「ま、課題も見えましたよ。やっぱアタシ基本的に『弱者』なんで、しばらくは基礎能力の底上げですね」

 

「ネイちゃんとターボちゃんはランニング系のトレーニング全面解禁するように言われてるから、トップスピード上げ頑張るの! トレーニング後のケアも忘れずに……って、そう言えばターボちゃんは大丈夫なの?」

 

 アイネスフウジンがツインターボの姿を探すと、端の方で酸素ボンベを吸入しているのが見えた。天皇賞のときと違って意識はあり、体を起こしている状態だ。単純にスタミナ切れだろう。

 

 一方、掲示板入りはしたものの完敗と言える結果となったミホノブルボンは、別の方向性でのメンタルトレーニングの必要性を感じ取っていた。

 ミホノブルボンは強い精神力を持っている。それは間違いない。しかしそれは、目標に向かうまでの困難に耐えるという点での強さだった。

 今回浮き彫りになったのは、その真っ直ぐ向いた精神力、集中力を根本から逸らされる、ズラされることへの弱さ。そして、一度崩れたところからのリカバリーの難しさだった。

 掛かり癖はその発露のひとつでしかなかった。

 

(この強化は間違いなくライスシャワーさんへの対抗策(セキュリティ)になる……マスターと再度話し合わなくては)

 

 チームでの会話へ向かったアイネスフウジンとナイスネイチャを見送り、メジロパーマーは大の字になっているダイタクヘリオスのもとへ向かう。

 

「ヘリオスー無事かー?」

 

「パーマー……ちょ、体力ミリだわ……だいぶキャパい……」

 

「へばってんね〜……ま、今回は乙ってことで」

 

 ダイタクヘリオスの手を引っ張り立ち上がらせるメジロパーマーは、ダイタクヘリオスへと悪戯の相談でもするかのように、こっそりと話し始める。

 

「ちょっとこのあとトレーニング付き合ってくれる? ()()のコツ、掴んだかも知んない」

 

「……マ? やったじゃんパーマー」

 

「できることなら秋天までに仕上げたいけど、どうせなら完璧にしてからかましたいし……中途半端に見せるくらいなら秋天負けてでも有までお預けってことで……」

 

「イイじゃん……おけまるっド肝バッコーンしてやろうZE☆」

 

 かくして、荒れに荒れた宝塚記念は幕を下ろすこととなる。しかし、忘れてはならない。嵐は思っているより大きいのかもしれない。

 去ったと思っていた嵐が、実は単に()の部分に入っただけだった、ということも、少なくはないのだから。




 パンサラッサドバイターフ逃げ切り同着1位おめでとう。
 シャフリヤールドバイシーマクラシック1着おめでとう。

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