万魔殿の主〜胡散臭いトレーナーとウマ娘たちは日本を驚かせたい 作:仙託びゟ
ライスシャワーはイギリスを満喫していた。
グッドウッドカップが開催されるのは8月1日で、渡英したその日は6月1日、ちょうどふた月前だった。
当然、時差ボケなどが落ち着いた3日後からイギリスの芝に慣れるためのトレーニングが始まるのだが、それも毎日ということはない。去年のフランス合宿と同じようなメニューになった。
ただひとつだけ違ったのが、7月の中旬頃にライスシャワーがまとめて1週間分の休みを頼んだことだった。ストイックなライスシャワーには珍しいことだが、ブランクが出ない程度の軽いトレーニングはするということだったので網馬も許可を出した。
そんな1週間、ライスシャワーはイギリス観光を楽しんでいた。ライスシャワーたちはグッドウッドレース場があるイギリス南部の都市に宿泊していたが、ライスシャワーはまずそこから列車で北上し、黄色いクマの出身地へと向かった。
100エーカーと言われているが実際は6400エーカーある森をはじめとした黄色いクマの舞台となった町並みを楽しみ、ハチミツなどを買い込んだ。
続いてさらに北上し、青い蒸気機関車のモデルとなった機関車が保存されている国立鉄道博物館を見学。次に不思議の国のアリスの作者であるルイス・キャロル由縁の街を巡った。
そこからまた北上すれば、今度は野ウサギの出身地であるミュージアムがある。
ライスシャワーはイギリスでの絵本の聖地巡礼を満喫していた。
(よかった……とっても……!)
移動時間含めた1週間の聖地巡礼を終え宿泊地へ戻ってきたライスシャワーは、トレーニング終わりにカフェでデジカメに収めた写真を眺めながら余韻に浸っていた。
ライスシャワーの絵本という趣味は絵本を読むことに留まらず、ライスシャワー自身が絵本を自作することにも及んでいる。レースの賞金で500色の色鉛筆をはじめとした絵本製作のための道具を購入してから、彼女の創作意欲は右肩上がりとなっていた。
当然、それでトレーニングがおろそかになるようなことはない。ライスシャワーのストイックさは、現在日本で滝行に勤しんでいるミホノブルボンに負けずとも劣らないものだ。
ライスシャワーは手元の紙ナプキンに持っていた鉛筆で軽くスケッチをする。デフォルメされた大きなカラスと小さな黒猫の絵は、次回作の構想だろう。
ライスシャワーが紅茶を飲もうとしてナプキンがなににも押さえられていない状態になった時、タイミング悪く風が吹いてナプキンを宙に舞い上げた。
ライスシャワー自身、あくまでアイデアを出力するために描いただけの落書きであり、そこまで執着はなかったので特に慌てることもなく、誰かに見られないといいななどと考える程度であった。
しかし運悪く、というか間の悪いことに、飛んでいったナプキンは通行人の顔にぺしゃりと張り付いてしまった。
これには流石に声にならない悲鳴をあげるライスシャワー。いくら事故で図太くなったとはいえ、これを謝ることなく済ませるという考えはライスシャワーの中にはなかった。
さらに言えば、ナプキンを手に取ったその通行人が、ナプキンに描かれていたイラストを見てしまったことも原因だった。
すぐに謝ろうとしたライスシャワーだったが、彼女が戸惑っているうちに、その通行人のウマ娘の表情が変わったからだ。それも怒りや悲しみといった負の感情ではなく、喜びや興奮といった正の感情を表すほうへと。
しばらくナプキンを眺めていたその鹿毛のウマ娘は、小走りにライスシャワーの方へと走ってきた。ライスシャワーのテーブルに鉛筆が転がっていることから、描いたのがライスシャワーだと気づいたのだろう。
よく見てみれば少女の身なりはライスシャワーから見てもいいものであると判断でき、見るからに上流階級と言えるものだ。
いくら上流階級が身近にいる上にマイペースなライスシャワーであっても、赤の他人相手に気軽さを持つことはできない。確かにライスシャワーの感性はズレがあるが、一致しているところに関してはかなり敏感であった。
『ネェ、これ描いたのってキミ?』
『ひゃい! そ、そうです……』
ライスシャワーはてっきりイギリスの貴族かと思っていたのだが、聞こえてきたのは流暢なアメリカ英語だった。甘噛みしながらも答えたライスシャワーに、少女は質問を重ねた。
『コレ、なんてマンガのキャラ?』
聞かれた言葉の意味がわからず一瞬ポカンと呆けてしまったライスシャワーだが、なんとか再起動してそれに答えを返す。
『えと……なにかの作品のキャラじゃなくて、今適当に描いてただけなので……すみません……』
特になにか悪いわけではないのだが、自分が悪いと思ってしまうとあれほど図太かったメンタルが一気に弱るのがライスシャワーだ。以前はすべて自分が悪いと考えてしまう悪癖のせいで常時この状態だったのを矯正されてからはあまり見なくなったが、元々の性根であるため根治したわけではなかった。
そんなライスシャワーの様子とは対照的に少女は高揚したように頬を赤くして続ける。
『ナンデ謝るの? スゴいよ! とってもかわいくて素敵! ネェ、もしよかったらこれ、貰ってもイイ?』
『ふぇえ!? あ、えと、そ、そんなものでよければ……ど、どうぞ……』
『アリガトウ! そうだ! これボクのLANEアカウントなんだけど、もしよければトモダチ登録しない?』
『は、はひぃ……!』
完全に思考がこんがらがっているライスシャワーに対してどんどん懐へ入り込もうとする少女。気がつけば、ライスシャワーのLANEには少女のアカウントが登録されていた。
『えっと……シア、さん?』
『ウン! みんなからそう呼ばれてるから、キミもそう呼んでくれると嬉しいな! キミは……ライスだね、ヨロシク!』
そうまくし立てて一度握手をすると、少女――シアは『それじゃまたネ!』と言ってあっという間にいなくなった。
嵐に襲われたような気分になりながらも、自分の絵を褒められたという実感がようやく湧いてきたライスシャワーは、にへらと相好を崩す。
本格的に創作意欲が湧いてきたライスシャワーは残っていたスコーンを一口で食べ終わると、ウェイターを呼んで会計を済ませホテルの自室へと戻っていった。
『お嬢様、おみ脚のご加減は如何ですか?』
『心配しすぎだよ、フィー。ちょっと散歩しただけじゃないか』
フィーと呼ばれたスーツ姿のウマ娘は、現役の競走ウマ娘でもあり脚部不安があるシアの補助兼御目付役でもあった。
アメリカの名家の生まれであるシアは、その脚部不安からデビュー時期を決めあぐねている状態であり、暇を持て余した彼女が物見遊山に繰り出すのは珍しくない。
今回は、最強ステイヤー決定戦とも言えるグッドウッドカップを生で観たいとの一言により、こうしてイギリスまで足を運んでいた。
流石にこれほど遠出になることはそう多くない。アメリカは特性上、長距離、しかも芝のレースというものが非常に限られているということでの訪英だった。
フィーを伴って車へ乗り込んだシアは、つい先程の出会いについてフィーに語り始める。
『さっきイイ絵描きを見つけたんだ。絵柄はトゥーンやマンガというよりは絵本って感じだったけど、スッゴクかわいくて気に入っちゃった。本人も小さくてかわいいウマ娘で、持って帰っちゃいたいくらいだよ』
『冗談でもやめてくださいね。「
『そうそう、会長や
『……ご当主様には報告申し上げます。その方のお名前は?』
『エット……ライスなんとかだったハズ……?』
『……もしや、ライスシャワーでは?』
小柄な黒鹿毛でライス、それもグッドウッドカップを控えたこの時期に現地にいるとなれば、フィーにも思い当たるウマ娘がいた。
今まで
『……お嬢様、本気で慎重にお願いいたします。毎年の
『……そんなに?』
『今回のグッドウッドカップの優勝候補ですよ。クラシック級にも関わらず。今はまだ実績こそありませんが、それはつまり
フィーの言葉に『へぇ〜』などと気の抜けた返事を返しながら、シアは外側に曲がった右脚をプラプラと振る。
ライスシャワーのトレーナーも、ウマ娘レースとは無関係ではあるが上流階級の生まれで、彼の父は著名な画家、弟は先日アイルランド王室の依頼で肖像画を描いていたはず。
流石に
『フィー、勝てる?』
『無理でしょうね。私には荷が勝ちすぎます』
『弱気だナァ』
『そもそも、私の出走はお嬢様が観戦をするための建前でしょうに』
ライスシャワーとは違いシニア級であり、しかしGⅡウマ娘に留まる彼女が世界一を決めると言っていい舞台に立ったのは、そういう意味合いが強い。
当然シアもわかっていて言っているので、特段気にした様子もない。
『マァともあれ、俄然楽しみになってきたナァ、グッドウッドカップ』
シアはニヤリと笑うと、ライスシャワーのLANEへとスタンプを飛ばした。