万魔殿の主〜胡散臭いトレーナーとウマ娘たちは日本を驚かせたい   作:仙託びゟ

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 9月12日、ドンカスターレース場、英セントレジャーステークス開催。

 前評判では、長距離での実績を持つライスシャワーが1番人気を獲得した。日本のウマ娘が海外で1番人気を獲得するのはかつてないことであるが、グッドウッドカップを勝利したことはそれだけの実績となっていた。

 一方、ほぼ拮抗した票数で2番人気になったのはユーザーフレンドリー。オークスと名のつくGⅠを3勝した、ティアラ路線の優駿だ。長距離の実績こそないものの、十分な優勝候補である。

 

(あれがライスシャワー……相対してみるとそれほど凄みを感じませんね……レースが始まるとスイッチが入るのか、それとも擬態なのか……)

 

(ユーザーフレンドリーさん……すごい気迫……ブルボンさんと比べると、広くて重い感じがする気迫だ……疑ってたわけじゃないけど、絶対強い……)

 

 彼女たちの間に言葉はない。しかし、それでも互いの立ち居振る舞いを見れば、ある程度の実力は測ることができる。

 ユーザーフレンドリーの勝負服は、スコットランドヤードの制服に似たフォーマルファッションに黄色と黒の安全ベストを合わせたもの。それに加えて官帽を被っている。

 ライスシャワーと同じく黒を基調としながらも、アクセントとなっている色は青と黄色で対照的だ。

 

 実力伯仲のこのふたり以外の評価があまり高くないうえに出走者自体が少なくマッチレースと囁かれていることや、ウマ娘だけでなくトレーナーも対照的であるがゆえに『ホームズ&レストレード警部VSモリアーティ教授&ジャック・ザ・リッパー』『東西の若き天才トレーナー対決』などと煽られ、例年以上の観客を動員していた。

 

『父親はスコットランドヤードの警視監、既に英オークス、愛オークス、ヨークシャーオークスと3つのオークスを制覇したティアラ路線の名刑事ユーザーフレンドリーと、各国の長距離レースを強襲してはその道の先達をことごとく沈めてきたグッドウッドカップ王者の『黒い刺客』ライスシャワー。片やティアラ路線から、片や遠く極東から、イギリスのクラシック路線最後の一冠、14F(ハロン)132Y(ヤード)に殴り込んできた異分子たちによる、イギリスウマ娘レース史上もっとも異色な英セントレジャーステークスが始まろうとしております』

 

 出走者のゲート入りが終わり、発走準備が整った。

 先陣を切ったのはマックザナイフ。ソナスがそれに続き、ユーザーフレンドリーは3番手、そのすぐ後ろにライスシャワーがついた。

 ドンカスターレース場を一言で言うならば、右倒しになった洋梨である。そのヘタ付近、ヘアピンカーブが終わった直後がスタートラインとなる。

 そこから長い直線、左回りの長く緩いカーブ、そしてまた長い最終直線へと続く。

 

(耳カバー……意外にちゃんと機能してますね。外の音が聞こえなくなることより、()()()()()()()()()()()()()()ことが大きい……)

 

 ライスシャワーを含む他のウマ娘の呼吸音と足音は、今のユーザーフレンドリーには聞こえていない。自分の呼吸音を正確に認識することが、ペース維持に繋がっている。

 ユーザーフレンドリーにとって、3000m弱という距離は未知の世界。多少先頭から離されてもスタミナを温存するためにローペースに持ち込みたい。

 もちろん、ライスシャワーにはそれに付き合う義理はない。

 

『400m地点、ライスシャワーが早くもユーザーフレンドリーを躱して……抜かない! いや、やや抜いたか、ユーザーフレンドリーの右前に出て速度を合わせる!』

 

 そもそも、マークするのに真後ろへつける必要など毛頭ない。ライスシャワーにしてみれば、ユーザーフレンドリーの仕掛けるタイミングをつぶさに把握できればそれでいい。

 ライスシャワーはそれほど柔軟性や機転が利くタイプではない。自分で考えるより、他者に従うほうが向いている。だからこれも、先んじて網に指示されていた作戦のひとつに過ぎない。

 そして、ユーザーフレンドリーとアーサーも、ライスシャワーがマークしながらも前に出る可能性については思い当たり、警戒していた。

 

(落ち着いて……ライスシャワーを意識してしまうのはその強い違和感から来るもの。ならばそれ自体は()()()()()()()()()、それだけのことです)

 

 物事を纏めて考えるのではなく別個で考える。線で繋がった点ではなく、ふたつの点と線を見る。そもそも、意識してしまったら必ずペースが乱れるわけではないのだ。

 意識しないという根本的な対策が取れなくなったなら、現象に対する別個の対応をするだけ。ユーザーフレンドリーは、ここ数日の間インターネットで探していた、条件に合うジャズを脳内で再生し始める。

 暇があれば繰り返し繰り返し、それこそ夢に見るほどに何度も聴いた曲だ。そのテンポが乱れることは早々ない。

 彼女が探していた曲の条件とは言わずもがな、彼女の走りとテンポが合致することである。自分の中にペースメーカーを作ることで、ライスシャワーの影響から外れたのだ。

 

(すごい……ユーザーフレンドリーさん、全然揺らいでない……残り2000mくらい、リードがないと厳しいかもしれない……)

 

 ライスシャワーは作戦を再び切り替える。ユーザーフレンドリーを突き放すため、自分の出せる流し速度の最高速ギリギリを攻めながら、カーブへと突入する。

 一瞬だけ内ラチに頬がかすりひりつくような痛みが走るが、それで怯むこともなく最内のさらに内を狙い、体勢を低くしながら曲がっていく。

 

(な、なんですかそれ!? そんな位置、少しでも上体が……いや、頭を上げたら……それどころか、崩れた体勢を保たせ直そうとしただけでも、内ラチの底に頭から突っ込むことになるじゃないですか!?)

 

 内ラチのレーン直下、膝上程度の高さしかない、ポールまでの僅かな余白に潜り込んだライスシャワーの、地面を這うような低い、低い姿勢に、ユーザーフレンドリーが動揺する。

 怪我をすること、死ぬことが怖くないとは言わないが、それで走れなくなるくらいなら死んだほうがマシ。死ぬのが怖いくらいで走れなくなるわけがない。確かにユーザーフレンドリーはそうアーサーに言外の肯定を返したし、それを撤回するつもりはない。

 しかし、ライスシャワーのそれはもはやそういう次元にない。まるで恐怖そのものを抱いていないかのような、躊躇いのない危険への吶喊(とっかん)

 そもそも、相手の真後ろにつけるマークというそれさえ普通とは言い難いのだ。マーク対象が垂れたとき、一瞬でも判断を間違えばそのまま激突し、縺れたまま転倒すれば死の可能性すらあるのだから。

 それをさも当然かのように行っていたライスシャワーの異常さを改めて認識して、ユーザーフレンドリーは戦慄した。

 

 そして、ライスシャワーに引っ張られた意識を辿り、荊棘(いばら)のツルが伸びる。

 

(ッ! しまった!)

 

 ズレによる撹乱こそないものの、叩きつけられる殺気じみた威圧は背中越しでもユーザーフレンドリーの精神力を削るのには十分な威力がある。

 ライスシャワーは位置的なマークを外していても、未だにユーザーフレンドリーを意識から外していなかった。

 ライスシャワーのほうが前にいるのに、あたかも追われているような感覚に陥るユーザーフレンドリー。押し潰すような圧ではない、薄く鋭く研がれた刃を首筋に突きつけられたかのような冷たい殺気に背筋が寒くなる。

 カーブは半ば。レースも後半戦へ突入すると言ったところ。しかし、ユーザーフレンドリーもただこのままおとなしくやられているつもりは毛頭ない。マークと威圧は、ライスシャワーの専売特許ではない。

 

 ライスシャワーの荊棘が一本、置き換わるようにその姿を変えていく。緑色だったそれは鈍く光る銀に、伸びていたツルは頑丈な鎖に。

 その先端がライスシャワーの手首を捉え、カシャンと金属音がライスシャワーの耳へ届く。彼女の手首を(いまし)めたのは、手錠だった。それと同時に、ライスシャワーは全身が軋むような強い圧迫感を覚えた。

 喉までせり上がってきていた悲鳴をグッと呑み込み、ライスシャワーはそれを受け止める。考えるまでもない、ユーザーフレンドリーから返ってきた威圧だ。

 網が分析したユーザーフレンドリーの情報には、ひとつ大きな認識齟齬があった。網はユーザーフレンドリーを「地力は高いが際立った武器はない」と評した。しかし、表側に露出していないだけで、彼女には間違いなく大きな武器が備わっていた。

 

 それが、この負けん気の強さだった。

 

 並の威圧ではしてきたほうが潰れかねないほどのカウンター。追い詰めた犯人を逃さないとでも言うかのような、猟犬のような、あるいは壁のような分厚い圧迫感。

 恐怖こそない。その執念と強い意志から与えられる感情は畏怖だ。勝利への自信を、確信を、揺るがせるには十分なほどの、研がれてなどいない鈍器のような畏怖。

 もちろん、それでユーザーフレンドリーへとのしかかっている威圧が和らぐわけではない。あくまでも一方的に殴られ続けるという状況でなくなったというだけだ。

 ここから先は、真っ向からの殴り合いだ。どちらが先に倒れるか。互いの精神の削り合い。視線は交わらない、しかし、激化した感覚がより相手の姿を鮮明に映し出す。

 少しでも気を抜けば、己を支えることを止めれば、あっという間に軟くなった精神を削り取られ、あるいは押し潰され、()()()()ことになるだろう。

 

(……すごい)

 

 ライスシャワーは素直にそう感じた。決してグッドウッドカップの出走者たちが弱かったわけではない。ファーザーフライトなどは明らかに自分よりも格上であったし、ヴィンテージクロップもベテランながら伸びしろを感じさせた。

 ライスシャワーが勝てたのはひとえに精神力の差だ。身体的な能力では恐らくスタミナさえ及ばないが、それを補って余りある精神力で磨り潰した。自覚はないが、結果そうなった。

 ユーザーフレンドリーはそのふたりに比べれば身体的な能力ではやや劣る代わり、強い精神力を持っていた。

 

 ライスシャワーは精神力こそ強いものの、それを持て余している。自己主張もするしマイペースどころかゴーイングマイロードだから忘れられがちだが、彼女にはその強靭な自我によって押し通したいほどの想いがないのだ。

 優しさ、他者を優先する謙虚さと言えば聞こえはいいが、それは人格形成期に培われるべきだった目的意識の欠如だ。自らが目的を持って動けば不幸が降り注いだから。しかも、自分にだけでなく周りにも。

 だからライスシャワーは憧れる。眩い光に向かって、たとえ傷ついてもまっすぐに歩いていける者に。

 それは、才能を持たず生まれた舞台での栄冠を目指す者であり、荒れ狂う暴風の中でも笑顔を浮かべて誰かを信じることができる者であり、そして、強い精神で恐怖に立ち向かいながらそれに打ち勝つことを選べる者だ。

 勝つことを諦めないのではなく、勝って得るものを諦めないことができる者だ。挫折しようとも、妥協しない者だ。

 

(だから……勝ちたい! この人に、ユーザーフレンドリーさんに!!)

 

 彼女の中で、レースに勝ちたいのではなく、ユーザーフレンドリーに勝ちたいのだと決まった。

 相手をこれと決めた時のライスシャワーは、怖い。

 

『ッグ……なぁっ!!?』

 

 思わず、ユーザーフレンドリーから呻き声が漏れた。

 ライスシャワーの圧力が強まった。それこそ、膨れ上がったと言っていいほどに。

 想定はしていた。ライスシャワーの殺気が無意識である可能性も、更に上がある可能性も。事前にアーサーからも伝えられていた。その上でなお、想定を上回られた。

 精神ではない、本能へ直接響く恐怖。目の前に刃物を突きつけられれば目を閉じてしまうように、暗闇を前に躊躇するように、寒さを前に身体を竦めるように、それは自分の命を守るためにプログラムされた不随意運動。集中が途切れて、ふたりを結んでいた手錠の鎖が引きちぎれる。

 一瞬の硬直は幸いにして、ユーザーフレンドリーにとっての不利になることはなかった。ただ、その瞬間ライスシャワーの精神力はユーザーフレンドリーを凌駕したという事実を、眼前に突きつけられた。

 

Bloody hell(クソッ)!!」

 

 悪態をつき、あえて頭に血を上らせることで交感神経を優位にし、血管迷走神経反射に備える。急激な緊張から解放されて弛緩しつつある体の筋肉を振り絞り速度を維持する。

 カーブは終わりを告げ、1000m近い最終直線へと入る。ライスシャワーがそれとほぼ同時にスパートをかけ始めるとユーザーフレンドリーは目を(みは)った。

 

(ここからスパートをかけられるんですか!? あれだけのスピードで道中を走っておいて!? グッドウッドカップのときとは違って、スリップストリームもないんですよ!?)

 

 ライスシャワーの複合的なスタミナの豊富さの理由のひとつに、そのLT値の高さというものがある。走るスピードを上げればそれだけ疲れるのは当然だが、ある一定のスピードを超えるとその疲れる度合いが指数関数的に上昇する。それがLT値だ。

 簡単に言ってしまえば、他のウマ娘に比べて速いスピードで走っても、疲労する速度が回復する速度を超えにくいために、疲れにくいのだ。

 やや遅れて、残り800m地点でユーザーフレンドリーもスパートをかけ始める。スタミナが持つかは賭けだが、これ以上待ったら追いつけなくなると本能が告げていた。

 

 ユーザーフレンドリーがスパートをかけたタイミングから、ライスシャワーとユーザーフレンドリーの距離はジリジリと縮まっていく。その前ではハナに立っていたマックザナイフをソナスが追い抜き先頭に立つが、ライスシャワーが後ろから近づくと、ライスシャワーから放たれる殺気に怯み、ふたりともが一瞬硬直し、躱された。

 残り400m。ユーザーフレンドリーがソナスを躱してライスシャワーに迫る。脚が悲鳴をあげているが、それを無視してゴールへと駆ける。ライスシャワーの殺気は未だにジクジクと全身を斬りつける。しかし、大量分泌したアドレナリンが、怖気を完全に拭い去る。

 並びかけてきたユーザーフレンドリーを見て、ライスシャワーは歯を食いしばりながらさらに脚に力を込める。教会の鐘は鳴らない。彼女はまだそこには至っていない。

 

 間違いなくマッチレース、わかりきっていた構図、しかしそれであっても、観客たちへと提示されたその光景は胸を高鳴らせるものがあった。

 紳士気取りのナイスミドルが杖を握りしめて叫ぶ。騒がしく野次を飛ばしていた子供が息を呑んで行く末を見守る。

 リビングのテレビの前で有休を取ったサラリーマンがライスシャワーを応援すれば、ドンカスターのスタンドから女学生のグループがユーザーフレンドリーに声援を送る。

 東京にある大学の研究室でノートパソコンを覗き込みながら青年がユーザーフレンドリーを励ませば、ロンドンを行くビジネスマンがイヤホンのラジオに耳を澄ませながらライスシャワーの勝利を祈る。

 

 ライスシャワーの儚げな表情も、ユーザーフレンドリーの澄まし顔もそこにはない。あるのは闘争本能を剥き出しにした、ウマ娘という獣が宿す戦士の表情。

 言葉はない。叫びもない。口よりもまず体を動かせと、堅い芝を(えぐ)りながら、一歩でも、相手より、前へ。

 

 実況がゴールを叫ぶ。ドンカスターレース場に、示し合わせたかのような沈黙が降りる。天を仰ぐライスシャワーと、へたり込むユーザーフレンドリー。3着のソナスが早々に決定し、1着は写真判定。

 ライスシャワーが長距離無敗記録を更新するのか、ユーザーフレンドリーがオークス三冠にクラシックの冠を重ねるのか。その答えが、掲示板に表示された。

 

 スカートを翻し、勝者が観客たちへと淑女としてのカーテシーを捧げる。そして戦士として、引き抜いた短剣を空へ掲げた。

 

 1着、ライスシャワー。着差、アタマ差。

 接戦を制した『黒い刺客』へ悲喜交交(ひきこもごも)の、しかし満場の祝福が籠もった拍手が贈られた。




 仕事終わりにせっせか書いた文と、休日一日使って書いた文の量がほぼ同じだと、この世の理不尽を覚えるな。

 ペース、テンポは早いも速いも間違いではなく、本作では速いを採用しております。誤字報告はお控えください。

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