万魔殿の主〜胡散臭いトレーナーとウマ娘たちは日本を驚かせたい   作:仙託びゟ

93 / 188
お忍び

 府中某所。

 そこにその男の姿はあった。普段着ているカッチリとしたスーツとは違う、柔らかい素材のYシャツにベストとループタイ、下はチノパン。

 髪も下ろしており、普段と装いの異なる彼に注目する視線はない。いや、流石にその『ほぼコンパス』だの『体の半分脚』と呼ばれる長い脚は隠せていないので、誰何されるのとはまた別の注目を受けているのだが。

 腕時計を確認しながら誰かを待っている様子の彼に近づいてくる小柄な人影。長い髪は後ろで結い、いつもは片目が隠れるようにセットされている前髪は、うまいこと編み込まれて両目が見えるようになっている。

 ガーリーワンピースにメガネという装いでやってきたそのウマ娘は、耽美でやや近づきにくい雰囲気を醸し出している男へ躊躇いなく近づいていく。

 デートか、というには少々アブない年齢差を感じさせるふたり。見ようによっては兄妹に見えなくもない。

 男がウマ娘に気づいたタイミングで、ウマ娘が口を開いた。

 

「トレーナーさんって、黒い服着てないと本当に誰だかわからないね」

 

「前髪シンメトリーに切り揃えて差し上げましょうか?」

 

 喧嘩を売ったつもりはライスシャワーにはなかった。

 

 

 

 帰国後、網とライスシャワーはふたりきりで出かけていた。理由はと言えば、網が頻繁に通っている店に、ライスシャワーが興味を示したからだった。

 他のメンバーも誘ってはみたものの、あいにく都合がつかないか興味がないかの2択であったために、ライスシャワーとふたりきりという状況が出来上がってしまったのである。

 実年齢以上に歳の差があるように見えるふたりは既にこの辺りでは顔が売れすぎていることもあり、変装をして待ち合わせをしていた。

 

 府中駅前から少し歩いたところにその店はあった。パステルカラーを基調に使ったガーリーなカフェ。おおよそ網には似つかわしくない外装をしている。

 看板に書かれた店名は、『うさぎカフェ キャロット』。

 

「違和感がすごいね、トレーナー……」

 

「本当にズケズケと物を言いますね貴女?」

 

 喧嘩を売ったつもりはライスシャワーにはなかった。

 

 店のドアを開けるとカランコロンと軽快なベルの音が鳴り、ドアを開けてすぐ左側の台の上で寝ていたフレミッシュジャイアントがピクリと反応して、またすぐに眠りについた。陽がちょうど差し込むこの時間帯、この台は彼女の指定席である。

 手の消毒と検温を済ませていると、カウンターの奥から店員がやってきた。出迎えたウマ娘の店員は網とライスシャワーの顔を見て一瞬動きを止めるが、すぐにマスク越しでもわかる営業スマイルを取り戻す。

 完全会員制であるため網がライスシャワーにウマホを使った会員登録を促す。

 

「ところでアイネス、バイトは辞めたんじゃなかったのか?」

 

「……どうしても一日だけシフト入れないかって泣きつかれて……」

 

 トレードマークのサンバイザーを外して髪を下ろし、マスクを着けているため変装としては十分だろう。よく見ればメイクも普段と違うように見える。

 網としては、やることをやっているならバイトをするしないは制限しないので構わないし、それをアイネスフウジンも知ってはいるのだが、バイト先でトレーナーと会うのは流石に気まずいものがあった。

 

「登録終わったよ」

 

「あ、それではこちらで手続きをいたしますね」

 

「うん、お願いお姉さま」

 

「…………」

 

 流石に身内に通じるレベルの変装ではなく、ライスシャワーにも普通にバレていた。

 

 念入りに消毒を受けて店の奥に行くと、床に座れるようにマットが敷いてあり、そこにウサギが転がったり走ったり餌を食べたりしていた。

 常連である網は既にミトちゃん(ロップイヤー牝2歳)にロックオンされ、右脚におやつよこせ攻撃を受けているため、しゃがみこんであぐらの上に乗せ、注文したウサギ用のおやつを献上する。

 一方のライスシャワーは、ウサギたちに群がられて毛玉のようになっている奥の客が気になって仕方がなかった。

 

「あ、網トレーナー、今日はライスさんとご一緒なんですね」

 

「お久し振りです、ニシノフラワーさん、セイウンスカイさん。えぇ、ライスシャワーのメンタル回復のためですね」

 

「そうだ、グッドウッドカップと(イギリス)セントレジャーステークス、優勝おめでとうございます。あのライスさんが精神的に疲れるって、やっぱり海外レースだとプレッシャーが違うんですね……」

 

「そちらこそ、難敵を倒してのスプリンターズステークス制覇おめでとうございます。ライスシャワーのメンタルが削られたのはレース以外のところですけどね」

 

「ちょ、ちょ、ちょ、えっと! ふたりは知り合いだったのかな!?」

 

 黒い人の会話を止める赤いの質問にニシノフラワーは「これ触れないほうがいいやつだ」と察し、即座に話題を転換する。一方セイウンスカイは未だにウサギに埋もれている。

 

「はい、2月に初めてきた時に偶然お会いして、それからは頻繁に……というか、私が来たときには必ずいますよね?」

 

「週3で来てますからね」

 

「(それはもう)飼っては(いかがですか)?」

 

「どうにも生き物を飼うのは苦手で……」

 

 ニシノフラワーの圧縮言語による提案を切り捨てる網。その膝の上ではカエデちゃん(ネザーランドドワーフ牝3歳)が構えとスタンピングを繰り返している。ミトちゃんはおやつを食ってどっか行ってしまった。

 

「折角ですからおふたりで戯れてきては? ライスシャワーは学園も休んでいましたし、ニシノフラワーさんとは今日が久しぶりでしょう」

 

「じゃあそうしましょうか。ライスさん、こっちの大きい子と遊びませんか?」

 

「わぁ……おっきい……」

 

 同年代に見えるが実際はダブルスコアの年齢差があるニシノフラワーとライスシャワーがリンちゃん(フレミッシュジャイアント牝6歳)と遊び始めるのを見て、網は手元のカエデちゃんを撫で始める。

 すると、そんな網にウサギたちの中から起き上がったセイウンスカイが近づいてきて隣りに座った。

 

「いやー、お久し振りです網トレーナー。セイちゃん寂しかったですよ〜」

 

「それほど仲が良かった記憶はありませんが?」

 

「もう、ツレないですねぇ、マブじゃないですか私たち〜」

 

 セイウンスカイは網に会うたびにこうやって実のない会話を仕掛けてくる。基本的に、どことも言えない着地点に不時着のような落とし方をして去っていくのだが、この日はどうやら話に方向性があるようだった。

 

「ああやってるとフラワーも年相応の女の子って感じですよね〜。ライス先輩はちょっと幼い感じですけど。知ってます? フラワーってメチャクチャ頭いいんですよ」

 

「えぇ知ってますよ。会うたびに聞かされますから」

 

「え〜? そうでしたっけ? おかしいな〜セイちゃんこの歳で健忘症かなぁ?」

 

 すっとぼけるセイウンスカイ。こうやって迂遠に、迂回して、迂曲の末に本題へ辿り着かせる。というよりも、本題を覚らせないようにいくつもあるどうでもいい話の中に紛れ込ませる。自分の本心を隠す会話術。ある意味では、それは網とは正反対の会話術だ。

 しかし、今回は割とわかりやすくはっきりと、そして早々に()()へ入った。

 

「……そう、フラワーもまだ子供なんですよね〜。8歳のお子様。それなのに経験に不釣り合いな才能を持たされて、トゥインクルシリーズで戦って、名家のオツキアイに担ぎ出されて……」

 

 遠い目で語るセイウンスカイの瞳に宿っているのは、非常に複雑な感情だ。

 

「8歳のお子様がですよ。年上の死闘に交ざって魂を削り合って、大人たちに交ざって汚い世界を渡ってるわけですよ。そりゃ幼馴染として心配にもなるの、網トレーナーならわかってもらえません?」

 

「……そうですね。心中お察ししますよ」

 

 網もそうだったから。違うのは、周りから求められていた才能がなかったことだけだ。そして、持っている者の負担も想像がつく。

 

「周りの大人がこぞって助けるどころか負担を増やす。情けないもんですよ。あいにく助けてあげたいセイちゃんもまだ子供なもので――」

 

「セイウンスカイさん。そうじゃありません」

 

 網がセイウンスカイの話を遮ってこぼす。

 

「そんな回りくどい真似しなくても、子供が大人に助けを求めるときは『助けて』でいいんですよ」

 

 セイウンスカイのそれは大人の駆け引きだ。本来子供には必要ないものだと網は思っている。

 そんな網の大人としての言葉を聞いて、セイウンスカイは安心したように笑う。

 

「言質、取ったと思ってもいいんですかね?」

 

「えぇ、そのようにニシノフラワーさんにはお伝えください」

 

 ――そして、強張った。

 

「……えっとそれは、頼りにしていいってことを、ですよね?」

 

「それもそうですが、こうやって回りくどく人を使わなくてもいいと伝えてください。少なくとも私はしがらみの少ない身ですから」

 

 ピクリと、今度はニシノフラワーの耳が反応した。

 セイウンスカイが網に対してこうして話を持ってきたのは、幼馴染を想うが故のセイウンスカイの独断ではない。ニシノフラワーからの指示だ。

 そもそも、2月にこの店に来たその理由も、不自然さがないように網と距離を詰めるための布石だった。

 

「基礎的なスペックではそちらが上なんでしょうけど、こういうのは結局()()ですから。あまりお気になさらず」

 

「……それも伝えておきますね〜」

 

「いえ、これは貴女に」

 

 セイウンスカイ、撃沈であった。

 

 

 

「いや〜、ごめんねフラワー。バレバレだったっぽいや」

 

 帰りの車の中で、セイウンスカイは特に気にした様子もなくニシノフラワーへと報告する。こちらの打算は見抜かれていたが、それを含めても(よしみ)を結べたため、ニシノフラワーはそれでひとまずは満足だった。

 不穏な色はニシノフラワーの目にも見え始めている。余裕はないかもしれない。だから、少しでも頼れる先は多くしておきたい。

 

「フラワー、私もいる。みんな味方さ、肩の力抜いて……ね?」

 

 セイウンスカイが微笑みかける。それにつられて、ニシノフラワーも顔を綻ばせた。

 秋華賞は近い。ただし、ニシノフラワーは出走しないが。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。