万魔殿の主〜胡散臭いトレーナーとウマ娘たちは日本を驚かせたい   作:仙託びゟ

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⚠警告
 この回には馬主さんのイメージを損ねる可能性がある描写があります。この作品はフィクションであり、実在の団体、人物とは関係ないことを念頭に置いてお読みください。


菊花賞前それぞれと、SOS

 

 

 

「なんとか勝てました……本当はメイクデビューでこれを出したかったんですけど……」

 

「いや、十分だ。そのメイクデビューだって2着だしな。なにはともあれ、よく頑張ったよ」

 

「はい……ありがとうございます、トレーナーさん……!」

 

 

 

 

 

 

「お疲れ様です、タンホイザさん」

 

 イクノディクタスが話しかけるが返事はない。そんな余裕は今のマチカネタンホイザにはなかった。

 彼女の所属するチーム《カノープス》は、中央トレセン学園では《リギル》《デネブ》《ポラリス》《アルタイル》に次ぐ歴史を持つ。そしてそれ相応の重賞ウマ娘を多数育て上げながらも、長らくGⅠウマ娘を輩出できていなかった。GⅢ、GⅡは勝ててもGⅠは善戦止まり。実力は疑いようがなくとも勝ちきれない。そんな印象が根強く残るほどには。

 しかし、その呪いを破壊したのが、マチカネタンホイザの友人である、このイクノディクタスだった。デビュー前の故障に悩まされたもののそれを乗り越えてからは一度の怪我もなく、確実に月に1走、場合によっては2走、中2週や中1週も珍しくないという破滅的なローテーションでトゥインクルシリーズを走ってきた。

 ついたあだ名が『鉄の女』。それだけ走ってもGⅡ以上では勝てたことがないことを揶揄するものだったが、それが変わったのが今年の大阪杯でのことだった。

 ツインターボとトウカイテイオーの激闘にホワイトストーンとともに参加していたイクノディクタスは、その戦いの中で一皮剥けた。何かを掴んだとも言えるかもしれない。

 ヴィクトリアマイルでは今年の高松宮記念を制した桜花賞ウマ娘、ダイイチルビーの追い込みから逃げ切り、見事《カノープス》に初のGⅠ勝利をもたらした。

 そんな仲間の姿を見せられて奮起しないわけがない。マチカネタンホイザは改めてクラシック戦線への志高く、イクノディクタスに続いて《カノープス》へとGⅠのトロフィーを持ち帰ると決めた。

 

 しかし日本ダービーで見せつけられたのは、その気勢を削ぐには十分なほどの、同期との間に立ちはだかったあまりにも大きな壁だった。

 無敗で二冠ウマ娘となった『サイボーグ』ミホノブルボン、日本ダービーこそ(おく)れを取ったが、海外の長距離レース或いはExtended区分のレースでは無双を続けている『黒い刺客』ライスシャワー。

 普通、5バ身の着差があれば話にならないほどの実力差があると言われるなかで、適正距離外で2着に入ったライスシャワーとミホノブルボンとの着差が5バ身。ミホノブルボンと自分との着差は、大差ギリギリの9バ身差だった。

 なによりマチカネタンホイザを打ちのめしたのは、両者ともに決して才能があるとは言えないなかでの敗北だったことだ。

 ミホノブルボンははじめスプリンターとしての期待を寄せられていたところを、距離適性をとにかく延ばし続けての勝利であるし、ライスシャワーの本領は超長距離であり日本ダービーでは少し短い。

 一方でマチカネタンホイザはステイヤー寄りではあるが、ミドルからの広い適性があると言われている。日本ダービーは十分、彼女の全力を発揮できる距離だったはずだ。

 あのふたりは普通じゃない。そんなふたりが、片やさらに努力を積み上げて距離適性を延ばし、片や今度は自分の本領を発揮して、菊花賞に臨んでくる。

 

 普通じゃ、勝てない。

 普通のままでは、普通の努力ではあのふたりに勝つことはできない。それを理解して諦めることができるほど、マチカネタンホイザは頭が良くはなかった。

 普通の努力で勝てないなら、普通でない努力をすればいい。その考えに行き着くのは当然の帰結だった。

 もともとイクノディクタスの過剰なローテーションを許可していた南坂トレーナーは、マチカネタンホイザからの要請に応え、尋常ではない負荷がかかるトレーニングメニューを組み立てた。

 ミホノブルボンのスパルタトレーニングは有名だ。彼女が結果を出すそれ以前は、他トレーナーから苦情が来るほどだった。マチカネタンホイザのトレーニングメニューはそれを超えるハードトレーニングだった。

 マチカネタンホイザにはミホノブルボンやライスシャワーを超える精神力はない。それでも、そのハードトレーニングを維持するためにあらゆる工夫を施した。そのうちのひとつが、イクノディクタスなど第三者による管理だ。

 特にイクノディクタスは適任だった。自分に厳しいローテーションを課しているだけあって、依頼すればマチカネタンホイザが泣こうが喚こうがトレーニングメニューを終えるまでやめることを許さなかった。

 正直、トレーニング量に後悔することもある。それでも、やれることすべてをやらずに菊花賞を迎えるほうがよほど後悔することを、マチカネタンホイザは確信していた。

 

「次はプールでの水泳です。私は先に行っていますので、タンホイザさんは着替えてきてください」

 

「ヴェアアアアア……」

 

 今日も悲痛な鳴き声が響く。

 

 

 

 

 

 

「トレーナーさん……ごめんなさい、負けてしまいました……」

 

「名家のニシノ家相手によくやったよ。しかも半バ身差じゃないか。ジュニアGⅠでこれだけできればクラシックも十分期待が持てるさ」

 

「そうでしょうか……お父さんにはあと少しだったのにと言われたんですが……」

 

「あぁ……まぁ、あの人はどうやらニシノ家をライバル視してるみたいだからな……勝ったのがニシノだったから気が立っていたんだろう。オレからもあまり追い詰めないように言ってみるよ」

 

「はい……ありがとうございます……」

 

 

 

 

 

 

 息も絶え絶えというのはこういうことを言うのだろう。そんなことをメジロパーマーは考えながら、倒れ伏すふたりを見つめていた。

 

「あー……どうする? 今日はこんなもんにしとく?」

 

「ヴェェッフォ!! ゲホッ、っはー、ま、まだアゲてけるっしょ……」

 

「そう? 君は?」

 

「や、やれまひゅ……」

 

 去年末からの相棒であるダイタクヘリオスと、つい最近自分たちのトレーニングに同行するようになった『A』のような流星を持つウマ娘は明らかにまだやれるという雰囲気ではないが、これももはや見慣れた光景だ。

 ダイタクヘリオスはスプリント~マイル路線ではトップクラスの実力を持っているのだが、何故だかより長い距離、しかもミドルどころかクラシックディスタンスを目指しているようで、ミホノブルボンの距離適性延長がさらなる起爆剤になって燃えている。

 一方『A』は今年クラシック級であり、菊花賞での勝利を目標としていて、どうやらメジロパーマーの時と同じ()()占い師に焚きつけられてやってきたようだった。

 菊花賞で爆逃げをするつもりだとすれば、その理由はミホノブルボンなのだろう。ミホノブルボンはレコードタイムに()()タイム――ツインターボというレコードタイムを大幅に押し上げた存在が原因で、ミホノブルボンはここまでのクラシック二冠ではレコードタイムを更新できていない――を正確に刻んで走っている。だからこそ、このラップ逃げを完遂させることは、レコードタイムに()()タイムでゴールすることを許すということになる。

 ミホノブルボンの敗戦は現状、前を押さえられた宝塚記念だけである。もちろん敗着の理由が前を押さえられたことであるとは限定できないが、あの時のミホノブルボンは間違いなくいつものコンディションで走れてはいなかった。

 ミホノブルボンに勝つにはふたつにひとつ、レコードタイムを更新するほどの走りをするか、ミホノブルボンのペースを崩すしかない。

 

 しかし、菊花賞の本命はミホノブルボンではない。長距離という舞台において未だ負けなしの世代最強ステイヤー、ライスシャワーだ。

 ライスシャワーの得意な戦法は、優勝候補を決め打ちして執拗にマークし、スタミナで磨り潰す好位追走だ。今回、ライスシャワーがマークしてくるのは十中八九ミホノブルボンだろう。そしてそのミホノブルボンは先頭を走るのだ。つまり、ミホノブルボンの前を走らない限り、ライスシャワーの後方への幻惑を食らい続けることになる。

 そもそもライスシャワーに勝つこと自体が困難すぎることをさておいても、勝ち筋は極端に狭いと言っていい。後方からの追い込み一気か、ミホノブルボンに並走以上の走りをするか。

 その二択で後者を選んだのだが、どちらにしろイバラの道だ。

 

(まぁ、あっちの思惑がどうあれ、あの占い師のおかげで事態が好転したのは確かだし、後継を育てられるほど自分の能力があるとは思ってないけど、乗り掛かった舟は沈ませたくないよね)

 

 『A』がシニアに上がる来年は、自分たちも最後の年になるだろう。果たしてその1年で脅威になりうるかはさておいて、とりあえずはこの後輩を難敵相手に善戦できる程度までは仕上げてやりたい。

 それに、どうやらメジロパーマーの()()()には、彼女についてこられるレベルの相手が必要なようだから。

 

「それじゃ、もうワンセット行こうかー」

 

「「うぃーっす……!」」

 

 よろよろと立ち上がるゾンビたちを見ながら、メジロパーマーは苦笑するのだった。

 

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

「桜花賞は残念だったが、そこまで気落ちすることはない……と言いたいけど、やっぱりお父上か?」

 

「……はい。期待外れだと……」

 

「今回もニシノが1着か……責めるわけじゃないが、チューリップ賞じゃなくて弥生賞を希望したのもお父上からの指示なんだろう? オレはお前の希望はなるたけ通したいと思ってるが、お父上の指示にただ盲目に従う必要はないんじゃないか?」

 

「ありがとうございます、トレーナーさん……でも、もう少しだけ頑張ってみます……」

 

「……そうか。わかった。オレもお前が勝てるように最善を尽くすよ」

 

 

 

 

 

 

『菊近し、淀の坂越え、一人旅、と言った様子でしょうか』

 

 諸事情により例年の阪神レース場ではなく、京都レース場での開催になった神戸新聞杯――菊花賞トライアルは、実況の一句通りミホノブルボンの独走状態となっていた。

 京都レース場はその長い坂が特徴であり、他のレース場に比べるとスタミナが必要となる。いわんや、もともと長距離レースである菊花賞など。ミホノブルボンが二冠を獲りながらもこのトライアルに臨んだのは、例年とは違って京都レース場の予行ができるからというのが大きかった。

 しかし、はっきり言ってしまえばそれ以外の収穫がないに等しいと言っていいレース。ミホノブルボンは今までにない感情を抱いていた。

 ミホノブルボンにとって最重要なのはクラシック三冠の夢を叶えることであり、淡々と、下見が必要であるからこの神戸新聞杯に出走した。であれば、レース内容の如何は問われないはず。もちろん他者から何か言われることはあろうが、少なくともミホノブルボン自身に不満は浮かばないはずなのだ。

 しかし、ただの通過点であるはずのこのレースにおける圧倒的な展開でミホノブルボンは無感情ではなく、漠然とした()()()()()を感じていた。

 敗北の危機を覚えた日本ダービーや、圧倒的な格上としのぎを削った宝塚記念に比べて、あまりにもあっけなく、あまりにも中身のないレース。ただ、走っただけ。そんな思考が、ミホノブルボンの心理を動かしていた。

 

『ヤマニンミラクルはまだ遠い! 影も踏めない! ミホノブルボンの影を踏むことはできない! 完全にミホノブルボン先頭だ! 三冠へ向かって視界よし! ミホノブルボン快勝! 圧勝です!』

 

 後続を突き放して5バ身差の圧勝。無意識のうちに日本ダービーの時のように、しかしあの時とは明確に異なる理由で不必要な着差をつけての勝利となった神戸新聞杯。観客から贈られる声援は、ミホノブルボンの心を埋めることはなかった。

 この不可解な感情についてトレーナーに尋ねることを、感情についての説明そのものが漠然としすぎているという理由で中止してしまったミホノブルボンにとって、もはや解析は手詰まりだった。

 

(ライスシャワーさん……やはりあなたは私の悪夢(ウイルス)なのですか……? 私を蝕むこの感情(バグ)は……)

 

 自らに芽生えた特異点の先に見える景色はなんなのか、今のミホノブルボンにそれを知る術はない。

 

 

 

 

 

 

「オークスはよく頑張った。向こうの距離適性の関係もあるんだろうが、ニシノに先着できたじゃないか」

 

「ありがとうございます……でも、勝つことはできませんでした……」

 

「……また、お父上か? お前自身はニシノ……ニシノフラワーと仲はいいんだろうに……お守りを貰ったって嬉しそうにしてたじゃないか」

 

「トレーナーさん……次走は札幌記念をお願いします」

 

「夏の重賞か……正直、勧めたくはない。オレ自身は、夏は休養とトレーニングに当てるべきだと思う。正直、ここまでのローテーションもかなり無理をしているんだ」

 

「大丈夫ですよ……イクノさんやヘリオスさんのような方々もいるじゃないですか」

 

「特殊な例をそれが一般的であるかのように持ち出すのはやめろ……とにかく、札幌記念は出ていい。だが、秋華賞までにお父上ともう一度よく話し合ってくれ」

 

「……わかり、ました……」

 

 

 

 

 

 

「あ、アイネス先輩!!? 今手ぇ空いてます!? てか空けてください!!」

 

「どうしたのネイちゃん、そんな泡食ったような顔して」

 

 能力維持のためのトレーニングを終えて他のメンバーよりひと足早くチームルームへ戻り、サブトレーナーとして資料作成やら情報収集やらをやっていたアイネスフウジンは、なにやら慌てた様子のナイスネイチャが駆け込んできたことに驚いた。

 普段どっしり構えているナイスネイチャが思わぬ事態に慌てるということは日常茶飯事ではあるが、これほど大仰な慌て方はそれほど多くない。

 一旦ナイスネイチャを落ち着かせようとするが、時間が惜しいと言ったような勢いで――と言うより、ナイスネイチャ自身も混乱しているのか――ナイスネイチャはまくしたてる。

 

「いやあの、なんか、アイネス先輩にご来客が来てんですけど、それがあの、えーと……」

 

「チョイと失礼、おおいたいた。久しぶりだね(フウ)の字!」

 

 ナイスネイチャを押し退けて顔を出したのは、女丈夫と言った雰囲気を纏うウマ娘だった。

 雑に纏められた青毛は黒く美しく、荒いその様さえ映えさせている。着崩した着流しに下駄というラフな格好はいやらしさを感じさせずむしろ様になっており、たすきで纏めた袖口から覗く腕や、裾からはみ出した脚などは、全盛期をとうに過ぎた今でもなまじいな実力の現役に劣ることはないだろう。

 中性的でありながら少年然とはまだ違う、迫力のあるハスキーボイスに、荒々しくも流麗なその様は、かつて男女を問わず多くのファンを惹きつけたことを確信させる。

 トゥインクルレースでの栄光を、特にティアラ路線でのそれを志すウマ娘であれば、彼女の顔を知らぬ者はいない。

 彼女が戴いた桜で実況を担当したベテランのアナウンサーが、その経験を以てして「後ろからはなんにも来ない」と三度叫ぶ以外の言葉を持ち合わせなかったというその逸話は、伝説時代においてさえ彼女の世代が『最狂世代』、或いは『三狂世代』と称される一因なのだから。

 

「ビー姉! 去年ぶりなの!」

 

「おーう、元気そうでなによりさ!」

 

 『狂戦士』テスコガビー。伝説時代を彩った一角であり、アイネスフウジンの母親の姉弟子であり、アイネスフウジンのもうひとりの師ともいえる存在である。

 

 

 

 唐突な有名人との遭遇で完全にテンパっていたナイスネイチャ(なお、同じく遭遇した他のメンバーはナリタタイシンが少し驚いた程度で、網含めまったく動じていなかった)をトレーニングへ送り返し、アイネスフウジンはテスコガビーの相手を始めた。

 とはいえ特に緊急の用事があるわけではなく、近くに寄ったからついでに顔を見に、という程度のものだったために、交わされる会話はとりとめのないものであるが。

 

「んでその時の記者がガマガエルだか肉団子だかみたいなやつでさぁ。あんまり失礼だったから睨んでやったら逃げてったんだ……でもそれからも色々と粘着されてねぇ……や、マスコミもピンキリなのはわかってるけどね? 随分執念深いやつだったからウザったいったらありゃしなかったよ。引退してからもしつこく難癖つけてきてねぇ……」

 

「あ、あはは……」

 

 殆どは愚痴だったが。シラフではあるはずである。

 そして、そろそろ帰るかという直前になって、テスコガビーは唐突に真剣そうな顔で話し始めた。

 

「で、風の字あんたドリームシリーズ行くらしいじゃないさ」

 

「うん、サブトレーナーやりながらだけど」

 

「それならこいつは先達としての忠告だ。いいかい? ドリームシリーズはトゥインクルシリーズ以上に()()()()()()()()()()()()。トゥインクルシリーズは挑戦だが、ドリームシリーズは文字通り夢だからだ。だからマスコミ以上に、観客に振り回されるんじゃないよ。なんのために走るのか、走り続けるのか、しっかり考えておきな」

 

 言いたいことだけ告げて、テスコガビーは返事も聞かずにチームルームを後にする。アイネスフウジンが幼い頃からのことではあるが、テスコガビーというウマ娘はなんとも自由な女だった。

 とはいえ、その言葉に考えさせられることはできた。正直に言えば、既に税金を差し引いても一生の生活ができるだけの貯金ができている。稼ぐにしろ走らずとも、講演会やら自伝やらは歓迎されるだろう。

 

 今の自分が走りたいと思う理由、それはなんだろうか。友人たちとの再戦か、先達への挑戦か、あるいは。そんな風に考えて、やめた。

 

「理由なんてなくていいの」

 

 走りたいと思ったから走る。走るからには負けたくない。そんな自分に夢を見たいなら勝手に見ていればいい。ガヤに振り回されるほど自分の風は弱くない。

 あの日アイネスフウジンの背中を押してくれた風はまだ吹いている。なら、前に進むのは難しくない。

 

 風は、迷わない。

 

 

 

 

 

 

「必要ない! 紫苑ステークスかローズステークスか、片方だけで十分だ! いや、ローズステークスから秋華賞までじゃあロクに休養もとれない。ローズステークスに出る必要はない!」

 

「いえ、お願いします、トレーナーさん」

 

「無茶だ! そもそも、札幌記念は勝ったからいいものの、そのあとの函館記念だって無茶だったんだ! お父上が無理を通してるならオレから説得する! だから無理はしないでくれ!」

 

「ありがとうございます。気持ちは嬉しいです。でも、ダメなんです。お願いします、走らせてください」

 

「なんでっ……! お前がそんな……そんなことする必要はないだろうっ……!」

 

「お父さんは悪くないんです。お父さんの期待に応えたい、それだけなんです」

 

「……っ!! わかった、出てもいい……ただ、秋華賞の結果には、責任が持てない……っ」

 

「……ありがとう、ございます……」

 

 

 

 

 

 

 夜の府中を走る車の中で、ニシノフラワーはスクラップブックを眺めていた。その顔は憂いに満ちていて、しかし瞳の奥には覚悟したような雰囲気を(たた)えている。

 スクラップブックに集められた記事は、とあるウマ娘とそのトレーナーについてのことだ。善戦しながらも結果は残せずにいた彼女は、イクノディクタスを彷彿とさせるローテーションを進みながら、札幌記念や紫苑ステークスという重賞を勝利したことによって注目を集めていた。

 しかし、そのローテーションにトレーナーは反対であったらしい。それでもそのウマ娘が厳しいローテーションを押し通したのは、彼女の父親が理由だった。

 彼女の父親は寒門のスクールを経営しており、自分の娘であるそのウマ娘もそこでレースを教えた。自分の娘だから、おそらくはそんな理由で重すぎる期待を籠めた。

 そんな期待は、彼の学生時代に確執があった男への対抗心へと変わった。あの男の子供よりいい成績をとれと、男の子供であるニシノフラワーなどに負けるなと。そのウマ娘の父親に対するインタビューからは、そんな本音が透けて見えた。

 

 ニシノフラワーはそのウマ娘自身とは、非常に友好的な付き合いがある。自己主張と自己肯定感は少ないが、控えめで気遣いのできるいい娘だ。当然、ニシノフラワーのほうが歳下ではあるのだが。

 だからこそ、自分への対抗心なんかで壊れてほしくなかった。本人を説得したこともあったが、そのウマ娘自身父親と共依存的な関係にあるのか、父親に従うことに強迫観念を持っているようで、意見を変えることは叶わなかった。

 ヘタに干渉すれば父親にそれが伝わり、ニシノフラワーとの関係そのものを切るように言われるかもしれない。そうなると、派手に動くことも出来ない。父親の因縁ではあるが、ニシノ家の問題ではないためにニシノ家の力は借りられない。

 

 ニシノフラワーはスクラップブックをめくる。そこにあったのはそのウマ娘のトレーナーに関する記事だった。

 そのウマ娘は結局紫苑ステークスを制覇し、ローズステークスで2着という結果を出したものの、秋華賞が控えているのに無茶なローテーションを断行したことで秋華賞に万全の状態で挑めなくなっていた。

 秋華賞前のインタビューで、そのウマ娘のトレーナーである羽原トレーナーは「調子は絶不調、こんな出来では勝てない」と漏らした。ここまでマイナスな言葉をインタビューで使うということが、そのウマ娘の状況がどれほどのものかを物語っていたのだろう。

 結論から言えば、そのウマ娘は秋華賞に勝った。

 ニシノフラワーは出走していなかったが現地で観戦していた。そのウマ娘が走る様子は、さながら手負いの獣のようだった。

 ゴールしたあとは立つのもやっとの状況で、1着であるにも関わらずウイニングライブを欠席するという事態にまで発展した。

 

 そのウマ娘の次走は、エリザベス女王杯を予定していると発表された。

 

 秋華賞からエリザベス女王杯へというローテーションは珍しいものではない。しかし、彼女の場合それに至るまでのローテーションが過酷すぎた。本来であれば年内は完全に休養に向けなければならないだろう。

 明らかに本人の体調を無視したこの決定は、そのウマ娘の父親による決定であるという。

 

 ニシノフラワーのウマホにメッセージが入る。セイウンスカイからだ。そこに書かれている言葉を見て、ニシノフラワーは素早くあるアプリを開く。

 そして、運転手に対して指示を出すと、ニシノフラワーを乗せた車は府中の町を走り出した。

 

 

 

 

 

 

「クソッ……ふざけるなっ、ウマ娘を……自分の娘を何だと思ってるんだっ……!」

 

 羽原はトレーナーとしては鍛えられた体で、自らの担当ウマ娘を背負って走っていた。

 その顔には強い怒りが見て取れた。その一因にはとある出版社とのいざこざがあるのだが……それ以上に、担当ウマ娘の父親の存在が彼の逆鱗に触れていた。

 限界をさらに振り絞ってまで獲った秋華賞での1着。サンエイサンキューが遂に獲った1着だというのに、父親はそれを褒めるのもおざなりにこう口にしたのだ。

 

「次はエリザベス女王杯だな」

 

 担当ウマ娘――サンエイサンキューの身体は明らかに限界を迎えている。エリザベス女王杯に出そうものなら、そこで壊れてしまうだろう。そんなことは素人でさえわかる、まがりなりにもレース指導者である父親なら言うまでもなくわかっているはずだ。

 羽原は直接抗議した。そもそも、ここまでの無茶なローテーションはこの父親がサンエイサンキューに半分強制したものだったのだ。これ以上はトレーナーとして見過ごせなかった。

 しかしそれに対しての父親の返事は「これ以上口を出すならトレーナー契約を解約する」というものだった。こんなことになるとは思っていなかった羽原は、契約の時に『保護者の判断で契約を解約することができる』というサンエイサンキューから提案された項目を加えたことを後悔した。

 

 半ば衝動的にサンエイサンキューを連れて出てきてしまった。しかしどうするというのだろう。トレーナー契約を解約されてしまえば、羽原はサンエイサンキューのトレーナー、保護者としての立場を失う。そうなってしまえばサンエイサンキューが同意していようが、未成年略取誘拐罪が成立してしまう。

 今のうちに病院へ連れていけば入院させることはできるだろう。しかし、保護者である父親に連れ戻されて終わりだ。

 いっそのこと犯罪者になってでも、サンエイサンキューのエリザベス女王杯出走を回避させたい。そんなことまで考え始めていた羽原の前に、1台の車が停車した。

 すわ父親が追いかけてきたのかと身構える羽原だったが、車からその手を伸ばしていたのは予想外の人物だった。

 

「乗ってください、サンキューさんのトレーナーさん」

 

 幼くも覚悟を決めたその声に、羽原は従うしかなかった。

 

 

 

 

 

 

「夜分遅くにすみません。網さん、お願いします、助けてください」




 題材にするのは色々と危ないかもしれないけど、どうしても書きたいと思いました。どうかよろしくお願いします。
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