万魔殿の主〜胡散臭いトレーナーとウマ娘たちは日本を驚かせたい 作:仙託びゟ
10月某日。点十字病院第3分院屋上。
「失礼、ニシノフラワーさんでよろしいですか?」
手すりの向こうを眺めていたニシノフラワーに声をかけたのは、網馬のような黒ずくめではなくグレーに近い色のスーツを着た男性ふたり。こういうものですと出したその手に掲げられていたのは桜の代紋。
ニシノフラワーは隣に立っているボディガードに目で確認を取る。対してボディガードが軽く肯く。本物であると言う意味だ。
「はい、私がニシノフラワーです。刑事さんが何かご用でしょうか」
「サンキューをどこへやった」
食い気味に詰問したのは当然刑事ふたりではない。その後ろにいた人物、ニシノフラワーも知った顔である。彼こそがサンエイサンキューの実の父親、水崎喜晴であった。
ニシノフラワーへ食ってかかろうとした水崎を刑事の片割れが宥め、もうひとりの刑事が丁寧に事情を聞き始める。
「昨晩、サンエイサンキューさんが行方不明になりました」
違う。ニシノフラワーはそれを知っている。サンエイサンキューが行方不明になったのは3日前の晩だと。刑事が嘘をついているのではなく、水崎が刑事へ嘘を伝えたのだろう。
水崎がそうした動機は、すぐ刑事によって明示された。
「えー、彼がサンエイサンキューさんのお父上なんですが、彼曰く担当トレーナーとの契約解除が済んでから姿が見えなくなり、連絡もつかなくなったとのことで……」
つまり、サンエイサンキューと羽原トレーナーとの担当契約解除が受理されるのを待っていたのだ。羽原がサンエイサンキューを連れ去ったその時、羽原がまだサンエイサンキューの担当だったか否か、つまり保護者としての権限があったか否かで、警察の対応が変わるから。
サンエイサンキューが行方不明になったときまだ羽原が担当であれば、なんらかの事情があるのかもしれないと考慮される場合がある。しかし、契約解除の直後に行方不明となれば、むしろ羽原への疑いが強くなる。
そもそも、羽原の世間での評判はそれほどよくない。トレーナーとしての才能はあるが、人格面で難があるというのが一般的な評価だ。
その原因は彼の歯に衣着せぬ物言いと直情、過去の八百長疑惑や、マスコミとのいざこざによるイメージの悪化が主な理由である。特に、直近のトラブルは報道各社によって取り上げられている。
トラブルのきっかけは秋華賞前のインタビューだった。サンエイサンキューの調子を聞かれ「見ればわかるでしょう」「こんな出来では勝てない」と不満を隠さない答弁のあと、独り言として「ここまで悪く言って2着以上とかだったら頭でも丸めなきゃな」と漏らした。
その独り言が月刊ターフの特報に、「羽原、秋華賞でサンエイサンキューが2着以上なら坊主」という、まるで羽原がサンエイサンキューを勝たせる気がないかのような解釈ができる見出しで掲載されたのだ。
原因は月刊ターフの記者が遅刻し、取材に間に合わなかったことだった。その記者、岩戸記者は羽原へ直接インタビューを試みるが、過去の八百長疑惑で月刊ターフと確執があった羽原はこれを拒否。
コメントを取れなかった岩戸記者は、取材に間に合っていた他社の記者たちから取材内容を又聞きし、このような見出しを作ったのだ。
そして、サンエイサンキューの評価を下げまいと、それまで過酷なローテーションについては陣営内で意見が割れたとしか明言していなかったことが、この勝つ気がないという解釈によって最悪の形で仇になっていた。
すなわち、「羽原は八百長のためにわざと拒否するサンエイサンキューに過酷なローテーションを組ませたのではないか」という憶測が生まれたのだ。
そして、その憶測を前提にすれば「羽原の狙いが外れ、ローズステークスは2着、紫苑ステークスと秋華賞で勝ってしまったサンエイサンキューとの担当契約が切れた直後にふたりが行方不明」という構図が出来上がってしまったのである。
厄介なのは、当の月刊ターフ自身は今回については事実しか書いていないことだ。だからこそ、証言が出る。サンエイサンキューのローテーションや行方不明は事実だし、羽原の呟きもニュアンスに違いはあれど文字に起こせば変わらない。
月刊ターフの疑わしい記事だからという理由で裏を取った人間ほど、今回の件についてはドツボにはまっていた。
だからこそ、表向きは娘を心配する父親でしかない水崎の言葉を、警察は容易に信用した。とはいえ、水崎が「ニシノもグルだ」と言ったにも関わらずこうして丁寧に対応している辺り、盲信しているわけではないようだ。ニシノフラワーへ話を聞きに来たのも、彼女の両親への聞き取りが終わったあとである。
「そういうわけですので、羽原氏かサンエイサンキューさんの行方について、何か心当たりがあれば教えていただけると……」
「こいつらがあの男を匿ってるに決まってる!」
いきりたった水崎が叫ぶが、刑事によって止められる。ボディガードの元ばんえいウマ娘が前に出てニシノフラワーを庇う後ろで、ニシノフラワーは考えを巡らせながら冷静に応える。
「匿ってません。病院にいると思いますよ」
「ふん、そう言うと思って近辺の大きい病院に確認は取った!! 入院させたら私に連れ戻されるから、お前たちが匿っているんだろう!!」
「そもそも、私がサンキューさんを誘拐する理由も、それに協力する理由もありません」
「知っているんだぞ! お前がエリザベス女王杯に出るということ!! サンキューがエリザベス女王杯に出たら負けるから、出させないように監禁しているんだろう!!」
その叫びで、刑事の片割れは勘違いに気づき、もう片方も違和感を覚えたようだ。それはそうだろう、その叫びは水崎がサンエイサンキューをエリザベス女王杯に出そうとしていると言っているようなもの。過酷なローテーションを提案していたのが羽原ではなく水崎だと言っているようなものなのだから。
そもそも、水崎が嘘を吐いたのはサンエイサンキューが行方不明になった日時だけである。ローテーションに関することは言及すらしていない。そして言及したとして嘘を吐く気もなかっただろう。水崎には間違ったローテーションを提案したというつもりはまるでないのだ。
そしてそのことで、ニシノフラワーは昨晩網馬に提示された可能性が事実であったと理解して、やりきれない想いを飲み込む。
「……匿ってはいませんが、行き先は知っています」
「ほらな!! やっぱりグルだ!!」
「落ち着いてください水崎さん。えー、ニシノフラワーさん、サンエイサンキューさんがどこにいるのか教えていただいても?」
「えぇ、もちろんいいですよ」
その言葉に、ニシノフラワーが観念したと思ったのか、水崎が勝ち誇ったような顔をする。これでサンエイサンキューがどこにいようと、親として連れ戻すことができる。
たとえ本当に入院していたとしても、羽原とニシノがグルになって病院に圧をかけ、嘘の診断をしたのだと主張できる。世論は水崎に傾いているのだから。仮にそれが難しくても、羽原が選んだ病院など信用できないと、自分の息のかかった病院へ移させればいいのだ。
しかし、ニシノフラワーが口にした言葉で、水崎の思考は完全に停止した。
「サンキューさんは、アイルランド王立シャーガー医学院にいます」
「……は?」
◆◇◆
「つまり、サンエイサンキューさんを彼女の父親から、合法的に手の届かないところへやってほしいと?」
「は、はい……そうと言えばそう……? です……」
「ふむ……少々お待ちを」
3日前、ニシノフラワーとサンエイサンキュー、羽原らを自宅へ――網馬は寮ではなく自宅からの出勤である――招き入れた網馬は、ニシノフラワーが自分の住所を知っていた理由には触れず、隣の部屋へと姿を消した。
網馬の人柄について、ここでサンエイサンキューを見捨てるような人間でないことはわかっている。今隣の部屋で通報をしているということはないだろう。
しかし、ニシノフラワーは網馬の反応に違和感を覚えていた。ニシノフラワーに報告されている情報では、網馬はその生い立ちから、子供に過剰な干渉をして未来を操作しようとする親という存在を心底嫌っているはずだ。それにしては、網馬の反応は冷静すぎた。
しばらくして戻ってきた網馬はこう切り出した。
「ツテを辿って、アイルランド王立シャーガー医学院にコンタクトが取れました。ご存知ですか?」
「へ……? えっと、ごめんなさい、わからないです……」
「王族のウマ娘も利用している、アイルランド王国の最高権威的病院ですよ。愚弟……あぁ、ふたりいるうちの下の方が都合のいいことにアイルランド王族とコネクションがありまして、今少し相談してきました」
網馬の弟については知っていた。網馬
「出国は早いほうがいい。恐らくサンエイサンキューさんのお父上は通報を遅らせますから、その間に現地入りしてください。ビジネスジェットをチャーターします。大体2000万かからないくらいですが、賞金で十分賄えますね? あぁ、即金で無理そうなら立て替えておきますよ、無利子で」
「へ? は、えっと……」
「決めるなら早いほうがいいので、
網馬は耳元を叩きながらそう言った。それが何を指しているかは自明だ。ニシノフラワーが耳カバーの中に仕込んだワイヤレスイヤホンと、ミニサイズのピンマイク。
見抜かれていたことに若干の恥ずかしさはあったが、しかしこれに関しては、相談せずとも答えを決めていた。
◇◆◇
「疑わしいとお考えなら確認してみては? それで連れ戻したければお好きにどうぞ。私がとやかく言えることではありませんから。あぁそうそう、羽原さんもそこにいらっしゃいますよ」
水崎は歯噛みする。連れ戻せるはずがない。ニシノに勝つことに拘るほど世間体を気にしている水崎には。王族が懇意にしているような病院を相手にして無理やり連れて帰るなど。喧嘩を売っているようなものなのだから。
そしてこれを明かすことになんの問題もない。むしろ明かすべきだ。羽原はケガをしたサンエイサンキューを病院に連れていき、自分も入院しているだけ。ニシノフラワーは病院のツテがなかったから知り合いを頼っただけだし、網馬は病院を紹介しただけだと。後ろ暗いところはなにもないと。
ニシノフラワーが暗にそう主張していることに気づいた水崎は砕けんばかりに歯を噛み締めて、そして、その場に倒れ込んだ。
「タキさん! お医者さんを呼んできてください!」
この展開を予期していた――網馬によって伝えられていた――ニシノフラワーは、ボディガードのウマ娘に素早く指示を出す。
サンエイサンキュー自身から聞いたことがあった。男手ひとつで育ててくれた自慢の父なのだと。それを、網馬もライスシャワーから伝え聞いていた。
網馬の持つB種免許はあくまでウマ娘の故障などに対する医療行為を許可するものであり、人間の細かい医学知識を保証するものではないが、それでも単純に知識として持っていたその可能性を、網馬はニシノフラワーへ、あくまでひとつの可能性として話していた。
脳腫瘍や脳卒中などの脳へのダメージで、性格が大きく変わってしまう症例について。
結果だけ言えば、倒れた場所が病院の屋上だったこともあり、水崎は一命をとりとめた。倒れた原因はくも膜下出血であり、それとは別に脳梗塞が見つかった。それが原因で性格が変わった可能性は十分にあるというのが、担当医師の診断だった。
後日、このことはアイルランドのサンエイサンキューへ伝えられた。その時はすぐにでも日本に帰ろうとしたサンエイサンキューだったが、羽原とニシノフラワーからの説得もあり、まずは最低限日常生活に支障が出なくなるまではアイルランドで療養することになった。
水崎は命は助かったものの、意識を取り戻していない。そんな水崎が目を覚ます前に競技人生を終わらせてしまうのはどうなのかと羽原が説得し、サンエイサンキューはひとまず無理なローテーションをしないことを約束した。
また、担当契約については水崎が錯乱状態であったことから、復帰後にURAから派遣された職員がサブトレーナーとして補助につくことを条件に再契約されることとなった。
担架で運ばれていく水崎を見送り、ニシノフラワーはふっと息をついた。ひとまず、親友を蝕もうとしていた『最悪の結末』は遠ざけることができたのだ。
水崎がいつ目を覚ますのかも、目を覚まして性格がどうなっているかもわからない。しかし少なくとも、サンエイサンキューがアイルランドで療養する限りは故障の心配はない。
水崎の入院も報じられるだろう。脳機能の低下を理由にすれば、過酷なローテーションを提案していたのが水崎であることを公表しても、サンエイサンキューのイメージダウンは抑えられるだろう。そうすれば、羽原の悪名も改善されるはずだ。
この先どうなるかはまだわからない。しかし、ニシノフラワーは確かにひとつの運命を覆したのだ。
結末について賛否両論あるでしょうが、とりあえずはこの方向で。