万魔殿の主〜胡散臭いトレーナーとウマ娘たちは日本を驚かせたい   作:仙託びゟ

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※番手は脱字ではありません。


天に蓋などなく、我らに枷などなく

『さぁ今一斉にスタート。先頭に立ちましたのはミホ……いえ、違う! キョウエイボーガン!! キョウエイボーガンです! キョウエイボーガンが先頭! ミホノブルボンは番手です!』

 

 観客席がざわめく。(おおゆみ)に弾かれた矢の如く、文字通りゲートから飛び出したのは、(やじり)のような流星を持つウマ娘、キョウエイボーガンだった。

 誰しもがミホノブルボンがハナを取ると思っていた。キョウエイボーガンと、ミホノブルボン以外は。

 

(そう簡単に動じないよなぁ!!)

 

(それは、想定内です。キョウエイボーガンさん)

 

 既に領域(ゾーン)の中にいるミホノブルボンだが、前を走る存在には気がついていた。それが誰かはわからないが。そして、既にその程度で揺れるような精神ではない。

 そもそも、ハナを取られることは想定していた。宝塚記念で一度体験している以上、それは奇策でも未知でもない。

 というよりも、そもそも前に他者がいる程度のことに気を取られている余裕もないのだが。

 

(……ッ!!)

 

 首筋に当たる冷たい感触。決して現実ではありえない、自分の脳が作り出した紛い物ではあるが、それが五感を伴ってそこに存在している場合、虚実を如何にして判別すればいいのか。

 全身の感覚が危険を訴えている。逃げろと、死にたいのかと、あらゆる計器が赤いランプで警告し、ミホノブルボンの恐怖心を駆り立てる。

 しかし、荊棘は来ない。呼吸の乱れと疲労を具現化した荊棘がミホノブルボンを縛ることはなく、ただ針で刺したかのような殺気に似た威圧だけがミホノブルボンを襲う。ミホノブルボンがライスシャワーのペースに呑まれていない証拠である。

 危機が瞬きのうちに命を刈り取ることができる位置にあるという錯覚を前に、ミホノブルボンはそれを受け入れ、反抗せずに抵抗した。

 威圧を返すほど意識を割くことはできない。しかし、ただただ耐え抜くだけならば。

 

(落ち着きましょう……冷静に考えて、健全な女学生が()()()()()()()()()()()()……さらに立ち返ってみれば、そもそも()()()()()()()()()())

 

 そも殺気とはなんぞや。ウマ娘は日々レースという死の淵を駆けているが、レースに、コースに、ウマ娘を殺そうなどという意思は存在していない。

 果たして、自らを殺そうという意思に直面した事がある者が、殺気を浴びたことがある者がどれほどいるのだろうか。殺気を浴びたことのないミホノブルボンが、なぜそれを殺気だと断言できるのか。

 

(ライスシャワーさんが発しているのは()()()()()()。定義不明の強い感情の発露でしかない。死の危険はあくまで錯覚(エラー))

 

 ミホノブルボンの推測はおおよそ当たっている。ライスシャワーはあくまで、スパートのタイミングを逃さないように、マーク対象の動きをつぶさに観察しているだけ。

 それを殺気だと感じてしまうのは、要するに、錯覚なのだ。

 ミホノブルボンへ斬りかかっていた殺気が霧散する。いや、正確に言えば、威圧のようにすら感じるほどの強烈なマークの圧力は未だ存在している。

 しかし、そこに殺意がない以上それは殺気ではない。焦りを抱く可能性こそあれど、恐怖を覚える必要などない。

 

 目に見えて安定したミホノブルボンの走りを見て、ライスシャワーは嘆息する。ライスシャワーは自身のマークと威圧の特異性を既に自覚していた。

 というか、あれだけ様々な場所で自分のレースが繰り返し流され、自分に関する記事を目にしていれば嫌でも自覚する。

 とはいえ、ライスシャワーが自覚できているのは自らの威圧がそれこそ殺気と呼べる性質を帯びていることと、自分と走っているとペースを乱されるということだけだ。未だに、威圧を制御することもできていない。

 それでも、自分の威圧の脅威は正しく理解できているはずだ。ヴィンテージクロップやユーザーフレンドリーがあれほど疲弊していたのだから。

 しかし、眼前2バ身差の辺りを走っているミホノブルボンは、恐らくそれを克服してみせた。

 

(やっぱり……ブルボンさん、すごい……!!)

 

 その心中に渦巻くのは高揚。自分が超えるべき相手は、自分の遥か上にいてなお、まだ歩みを止めない。

 

(でも……ライスにはこれしかないから……!)

 

 小器用に走り方を変えるナイスネイチャのような真似はできない。ライスシャワーが網によって見出されたのは、ツインターボと同じ1つの武器を磨き続ける特化した才能。

 あまり認識されていないことではあるが、3000mという距離をまともに走れるウマ娘というのは非常に少ない。大抵は、スタミナを温存するために抑えて走り、なんとか保たせる。

 しかし、3000m以上がベストな距離であるライスシャワーは抑える必要がない。

 

(スパートは2回目の下り坂……そこで全力……!!)

 

 

 

 キョウエイボーガンには昔から見る夢があった。どんなシチュエーションなのかはわからない。ただ、自分自身を否定され続ける悪夢。

 

『勝てもしないくせに』

『くだらない走り』

『███████の邪魔をした』

 

 体が震え、全身が痛む。嗚咽が漏れ、吐き気に見舞われる。そうやってひとしきり苦しんで目を覚ます。

 何度夜中に飛び起きたか。うなされ、両親や同室の娘を心配させたことも少なくない。走るのが嫌になったこともある。それでも。

 

『坊は、走るの上手いねぇ』

 

 そんな母親の一言で、呪いは原動力へ化けた。

 一番最初の母親(ファン)が喜んでくれるなら悪夢なんて怖くない。傷ついた分だけ強くなって、折れた分だけ立ち上がって。

 気づけば周りに人は増えていた。チームの皆、トレーナー、走り方を教えてくれたメジロパーマーやダイタクヘリオス。キョウエイボーガンを応援してくれてる人は確実に存在する。

 

(邪魔だろうと! くだらなかろうと! 勝つためにここに来た!!)

 

 好きなだけ(なじ)ればいい。好きなだけ(ののし)ればいい。その程度で、撃ち出された矢が止まる理由にはならない。

 一度目のゴール板を越えて第1コーナーへ走る。速度はまだ衰えておらず、ミホノブルボンとの差はかなり開いている。

 

 このままキョウエイボーガンが失速しなければ。もしかしたらキョウエイボーガンは失速しないのかもしれない。初めこそ無謀だと笑っていた観客たちの間に、そんな雰囲気が漂い始める。

 しかし、ミホノブルボンに動揺はない。淡々と自分のペースを貫く。後方集団はライスシャワーの撹乱でジリジリとスタミナを削られ始めていて、レース前から諦観が見えていた者などはもう既に限界が近い。

 わずかに膨らみながらもコーナーを曲がっていくキョウエイボーガン、後を追って内側をきれいになぞるミホノブルボン。そして、内ラチギリギリをついていくライスシャワー。

 

 まだスタミナに余裕がある者は、虎視眈々と脚を溜めつつ機を狙う。その中で、それでは届かないと確信している者がいた。

 普通の先行や逃げなら、前半脚を溜めていれば多少差が開いていても、失速したタイミングでスパートをかけて差しきれるだろう。

 しかし、彼女たちが失速するだろうか? 本当に?

 

(だってあのふたりは()()()()()())

 

 それなら、普通じゃない相手に勝つには、普通のことをしていたのではダメだ。どうすれば差しきれるか、彼女はずっと考えていた。

 "領域(ゾーン)"に入る。差しの集団から抜けながら、息を入れる。スピードを上げながら休めるという地味な"領域(ゾーン)"だが、今は効果的だ。

 コーナーを越えて向正面。差しの先頭、先行の終端、好位差しと言える位置につけて機を窺う。

 幸いなことに体力には余裕がある。だから、誰よりも早くスパートをかける。しかし、早すぎれば体力は保たない。その見極め。

 

 一方、番手ミホノブルボン。襲い来る鋭い威圧に耐えながらも、余裕を失いつつあった。それは威圧が原因ではない。

 

(……試算終了。やはり、このままでは()()()()()())

 

 ミホノブルボンの予定タイムより、ライスシャワーの予測タイムのほうがゴールが早い。

 これがミホノブルボンの最大の弱点である。予定タイムよりも遅い相手には必ず勝てるが、予定タイムより速い相手には勝てない。

 もちろん、それをミホノブルボンが把握していないはずはない。だから、少し余裕を見て、レコードタイムよりも速いタイムを目標に据えた。

 しかし、ライスシャワーはそれすら上回っている。

 

(マスター……プランBへ移行、プロトコル・ハメッシュ・アバニームを開始します)

 

 向正面に入った直後のミホノブルボンを見て、また観客からざわめきがあがる。ミホノブルボンのスピードが目に見えて上がったからだ。

 すわ掛かったかと疑う声の中、ライスシャワーはひとり「違う」と確信していた。

 

(迷ってない。焦ってるわけでもない。ブルボンさんは冷静に間に合わないと判断して、自分でスピードを上げたんだ……!)

 

 驚嘆するライスシャワー。彼女は当たり前のように、その判断が()()()()()()()()()()()()()()()ことを前提にしていた。

 しかし、観戦席の網はより正確に状況を見ている。

 

「果たしてあのスピードでスタミナが保つのか……?」

 

 端的に言えば、今ミホノブルボンが走っている速度を出し続ければ、確実に失速する。

 

「……ブルボン……」

 

 サングラスの奥の眼光を歪めながら、黒沼が静かに呟いた。

 

 "領域(ゾーン)"の宇宙を進んでいたミホノブルボンの感覚に赤いCAUTION(注意)の文字が浮かぶ。彼女自身、このままではスタミナが足りないことには気づいていた。

 

(しかし、この速度を維持しなければ、間違いなく敗北する(ミッションフェイルド)……ならば維持することが前提条件。そのうえでスタミナを温存する……)

 

 ゆっくりと、深く大きな呼吸をするミホノブルボン。彼女の内側で展開していた"領域(ゾーン)"が拡張していく。

 

(十分な酸素を循環させ補足する。(Circulating and Complementing ample Oxygen.)……オペレーション・CaCao、開始)

 

 ミホノブルボンの内側にあった"領域(ゾーン)"は形を変え、ミホノブルボンの血液循環効率を上げるものへと変化する。

 ミホノブルボンの疲労が軽減し、視界からCAUTIONが消えていく。この土壇場で、ミホノブルボンは"領域(ゾーン)"を派生させた。当然意図的なものではない。しかし、意志なしにそれは起こらない。

 

(システム、オールグリーン……!)

 

 淀の坂に差し掛かり、キョウエイボーガンの勢いがガクッと落ちる。観客はそら見たことかと目を覆う。しかし、それでもキョウエイボーガンは止まっていない。

 

「こっ……な、くそおおおおおおお!!」

 

 叫びながら脚を動かす。それは"領域(ゾーン)"なんて整ったものではない。本来、"領域(ゾーン)"として引き出される力が暴走しているような、粗雑で強引な過集中。

 脚に溜まっている疲労物質が筋肉の動きを阻害する、それでもその抵抗そのものを無視して無理矢理に動かす。無茶であろうと、彼女は止まらない。

 幸い、キョウエイボーガンほどではないが後続も失速している。ミホノブルボンでさえ、この上りではわずかに失速した。

 

(このリードを、絶対に守りきるッ!!)

 

 一方ライスシャワー。淀の坂を上りきりコーナーを往く。前とはそれほど離されていないが、油断をすれば逃げきられるだろう。

 下り坂を前にして、ライスシャワーはスパートの準備を始めて……その途中、何者かが横を通り過ぎた。

 

(ッ……!!)

 

 想定外の相手。下り坂に差し掛かっているミホノブルボンを追い抜いてキョウエイボーガンを追う彼女は、マチカネタンホイザ。

 どうやって追いついたのか。場面はわずかに遡る。向正面の終盤、マチカネタンホイザは覚悟を決めた。

 

(普通じゃない相手に普通じゃ勝てない……普通じゃないやり方をしなきゃ……!)

 

 だから、マチカネタンホイザは選んだ。『非常識』とさえ言われた天才の選択。

 

 すなわち、淀の上りでスパートを掛けた。

 かつて三冠ウマ娘、ミスターシービーが見せた離れ業。それをマチカネタンホイザはぶっつけ本番で敢行したのだ。

 重力に引かれ失速しそうになるのを耐え、先行集団を追い抜きながら外を回って先頭を目指す。

 そして、ライスシャワーとミホノブルボンを、差した。

 

(マチカネタンホイザさん……!? まさか、上りでスパートを……!?)

 

(あ、はは……本当に……!?)

 

(勝つ! 勝つ!! 勝つ!!! 勝つんだ!!!)

 

 未完の大器に水が満ちる。血と汗を溜め続けた大器が、今片鱗を覗かせた。

 

『マチカネタンホイザ!! 淀の昇り龍を成功させてみせた!! ライスシャワーとミホノブルボンを抜き去って、先頭キョウエイボーガンへ迫る!! しかし、ライスシャワーとミホノブルボンもそれを追う!! 本当に今まで逃げのペースで走っていたのか!? なぜそんな脚が残っているのか!! 菊の冠を戴くのはこの4人に絞られたか!?』

 

 実況も興奮を隠せない。完全なダークブロワー、マチカネタンホイザとキョウエイボーガンの奮闘。ライスシャワーとミホノブルボンのマッチレースとさえ目されていたレースでの熱狂。観客席からは怒号のような激励と声援が飛ぶ。

 

(G00(座標指定) 1st.F∞;(速度無限大)。システムオールグリーン。ミホノブルボン、行きます!!)

 

 最終直線、ミホノブルボンが"領域(ゾーン)"を飛び出し、1着の星へと駆ける。それを追走するライスシャワーも、坂を下った加速をそのまま、命知らずの超前傾姿勢でスパートに入る。

 

「負けるかあああああああああああああ!!!!」

 

 少しずつ、ほんの少しずつ失速しながらも、キョウエイボーガンは叫びで自らを奮起しながらゴールを目指す。

 淀の平坦な最終直線、残り100m。よっつの影が並んだ。全員が歯を食いしばり、後ろへ流れていく汗を気にすることもなく、前だけを睨みつけて走る。

 僅か100mの間に、ミホノブルボンがマチカネタンホイザを差す。ライスシャワーがキョウエイボーガンを差し、差されたキョウエイボーガンがライスシャワーを差し返す。

 

(……理解しました。今まで私は、目標しか見ていなかった)

 

 だからこそここまで来られた。それを否定はしない。一心不乱にクラシック三冠を目指してきたから、この舞台に立っている。

 

(でも今は、どうでもいい。クラシック三冠も、距離の壁も、どうだっていい)

 

 鋼の意志を持ったサイボーグは願う。燃料などではない、熱く煮えたぎった血潮を巡らせて。

 

(勝ちたい……ッ!! 皆さんに、()()()()()()()に、()()()()()()に……()()()()()に!! あなたたちに勝ちたい!!)

 

 4人の咆哮が重なった。

 

 

 

(……悪夢(ウイルス)だと、そう思っていました。不明な感情(バグ)を引き起こす悪夢(ウイルス)だと)

 

 朦朧とする意識の中でミホノブルボンは思う。

 

(でも、違った。クラシック三冠だけ、夢だけを見ていた私の世界は拡がった)

 

 写真判定のために引き伸ばされた掲示板に灯っている番号は5着のものだけ。

 

(この菊花賞、勝っていても負けていても、私はきっと()()()()()()。以前までなら……)

 

 4着、キョウエイボーガン。

 肩を落としながらも、かけられる温かな声にはにかみ手を振る。

 

 3着、マチカネタンホイザ。

 寝っ転がってジタバタと手脚を動かすが、その顔は困ったように笑っている。

 

 やや時間をおいて、2着と、1着。

 

(あなたは私にとっての、最高の奇跡(アップデート)でした)

 

 一度瞑目して、開き、勝者の手を掴んで、掲げる。

 今にも泣きそうなくらいに悔しいけれど。叫びだしそうなほどに胸が痛いけれど。

 それでも、今までのどのレースよりも満たされたから。

 

 1着、ライスシャワー。

 もつれあった4人全員がレコードタイムでのゴール。

 そこには悪役も端役もおらず。

 

 菊花賞、終幕。




 昨日なんか21時には寝てたっぽいんですよ。
 3、4時間返してくれ。

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