晩秋の寒さが冬の訪れを感じさせる宵の刻。久方振りに寝所を出た凜子は、カーディガンを肩にかけ、屋敷の縁側に腰を下ろした。
齢八十を超え、近頃は一日中床に
(明日をも知れぬ命よな…)
生涯未婚を貫いた凜子にとって、唯一の懸案であった逸刀流の跡取り問題も、一人娘の綾に《分家の親戚筋に》引継いで久しい。
凜子は夜空に浮かぶ下弦の月を眺めながら、己の半生を思い返す。
ジャリ……
(砂利の音…野犬でも迷い込んだか)
凜子が視線を下ろし庭先を見やると、ロングコートの襟を立て、ポケットに両手を突っ込み一人
「……ぇ?」
有り得ない…月明かりに照らされたその
「…久し振りだね、凛子姉《姉さん》」
信じられない… 驚いたことにその声色も、あの頃の達郎と何ら変わらない。
凜子は青年の下へ近寄ろうと、軒下のサンダルにつま先をかけた。
「……まさか…達郎なのか?」
月夜の闇の下、恐る恐る青年へと近付く凜子。年老いた目でその顔を識別するには、まだ余りにも距離が遠い。
「あぁ。随分遅くなってしまったけど…間に合って良かった」
青年の正面まで近付き、ようやく焦点を結んだ凜子の両目に映ったのは……遠慮がちに微笑む紛うことなき達郎の姿だった。
「あ…あぁ……」
凜子は、眼前の
「達郎、達郎… よくぞ無事で…うぅ……」
達郎の胸元に顔を寄せ
・
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・
・
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「…よもや、こんな奇蹟が待っていようとはな」
抱擁を終えた二人は縁側に腰を下ろした。凜子は達郎の肩に頭を乗せ、達郎もまた凜子の腰に腕を回し、互いにこれまでのことを語り合った。
「そうだったんだね…正直、綾《
「うむ、良き伴侶を得て子宝にも恵まれ、今も家族と幸せに暮らしている。何も心配はいらないぞ」
(でも、凜子姉《姉さん》はずっと…)
この屋敷で一人きりだったに違いない。全てはあの日、一方通行の空間跳躍の
「凛子姉《姉さん》、俺は…」
「
間を置かず、達郎の言葉を
「私が選び歩んだ道、私の人生だ…達郎が気に病む必要などない。それに…何もお前が私の全てだったという訳でもないのだからな」
無論、嘘だった…今にして振り返れば、凜子にとって達郎こそが己の全てだった。
凜子とて達郎を失って以降、ただ悲嘆に暮れていた訳ではない。対魔忍仲間や身内の人々と喜び笑うことも当然あった。
だがしかし、ふとした何気ない瞬間にフラッシュバックに襲われては、過大な喪失感に
延々と繰り返す心押し潰されるような痛みを、ある時は薬にも
だからこそ…最期に再び巡り会えたからには、以前と変わらない姉として気丈に振る舞い、達郎の後悔の念を取り除いてやらねばと凜子は考えたのだ。
やがて凜子は話し疲れたのか、目を瞑り今にも眠りそうな様子を見せはじめた。
「凛子姉《姉さん》…疲れたのなら少し眠ったら?」
「…そうだな達郎。長話が老骨の身には少々
「……」
逡巡の後、凛子の耳元に不意に聞こえてきたのは、告白の言葉だった。
「…愛しているよ、凜子姉《姉さん》」
凜子は一瞬目を見開き全身を震わせるも、すぐにまた達郎に身体をもたれかけた。
「ふふっ…その言葉、五十年振りに聞いたぞ《五十年前に聞きたかったぞ》」
(今更、改めて私の気持ちを口にしたところで…残される達郎の心の傷が深まるだけだろう……)
(私も愛していたよ…ありがとう、達郎……)
そうして遂に、凜子は達郎に胸の内を明かすことなく、最期の眠りについたのだった。
続
今回は私の趣味趣向一辺倒なお話となりました。
ちなみに当初は、凜子の口調を年相応の柔らかい雰囲気に変えていたのですが、全くしっくりこなかったので元に戻しました。