対魔忍ユキカゼ2 〜疾風異譚〜   作:茶玄

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第3話 仙風道骨(上)

 晩秋の寒さが冬の訪れを感じさせる宵の刻。久方振りに寝所を出た凜子は、カーディガンを肩にかけ、屋敷の縁側に腰を下ろした。

 

 齢八十を超え、近頃は一日中床に()すことも少なくない。凜子は数日前から己の死期が近いことを悟っていた。

 

(明日をも知れぬ命よな…)

 

 生涯未婚を貫いた凜子にとって、唯一の懸案であった逸刀流の跡取り問題も、一人娘の綾に《分家の親戚筋に》引継いで久しい。

 

 凜子は夜空に浮かぶ下弦の月を眺めながら、己の半生を思い返す。

 

ジャリ……

 

(砂利の音…野犬でも迷い込んだか)

 

 凜子が視線を下ろし庭先を見やると、ロングコートの襟を立て、ポケットに両手を突っ込み一人(たたず)む青年の姿が目に飛び込んできた。

 

「……ぇ?」

 

 有り得ない…月明かりに照らされたその輪郭(シルエット)は、凛子に若かりし頃の達郎を思い起こさせた。

 

「…久し振りだね、凛子姉《姉さん》」

 

 信じられない… 驚いたことにその声色も、あの頃の達郎と何ら変わらない。

 

 凜子は青年の下へ近寄ろうと、軒下のサンダルにつま先をかけた。

 

「……まさか…達郎なのか?」

 

 月夜の闇の下、恐る恐る青年へと近付く凜子。年老いた目でその顔を識別するには、まだ余りにも距離が遠い。

 

「あぁ。随分遅くなってしまったけど…間に合って良かった」

 

 青年の正面まで近付き、ようやく焦点を結んだ凜子の両目に映ったのは……遠慮がちに微笑む紛うことなき達郎の姿だった。

 

「あ…あぁ……」

 

 凜子は、眼前の邂逅(かいこう)が己の幻想でないことを確かめるかのように、達郎の頬を両手で(もっ)(しき)りに撫で回す。 

 

「達郎、達郎… よくぞ無事で…うぅ……」

 

 達郎の胸元に顔を寄せ(むせ)び泣く凛子。達郎は凜子の背中に両腕を回し、その身体をそっと抱き寄せた。

「…よもや、こんな奇蹟が待っていようとはな」

 

 抱擁を終えた二人は縁側に腰を下ろした。凜子は達郎の肩に頭を乗せ、達郎もまた凜子の腰に腕を回し、互いにこれまでのことを語り合った。

 

「そうだったんだね…正直、綾《結生(ゆき)》のことは気になっていたから、話しを聞いて安心したよ」

 

「うむ、良き伴侶を得て子宝にも恵まれ、今も家族と幸せに暮らしている。何も心配はいらないぞ」

 

(でも、凜子姉《姉さん》はずっと…)

 

 この屋敷で一人きりだったに違いない。全てはあの日、一方通行の空間跳躍の泡沫(ゲート)に自分が飛び込んだばかりに。達郎は苦悶の表情を浮かべずにはいられない。

 

「凛子姉《姉さん》、俺は…」

 

()せ、達郎」

 

 間を置かず、達郎の言葉を(さえぎ)るように凜子が呟く。その表情は、達郎の考えなど全てお見通しと言わんばかりだ。

 

「私が選び歩んだ道、私の人生だ…達郎が気に病む必要などない。それに…何もお前が私の全てだったという訳でもないのだからな」

 

 無論、嘘だった…今にして振り返れば、凜子にとって達郎こそが己の全てだった。

 

 凜子とて達郎を失って以降、ただ悲嘆に暮れていた訳ではない。対魔忍仲間や身内の人々と喜び笑うことも当然あった。

 

 だがしかし、ふとした何気ない瞬間にフラッシュバックに襲われては、過大な喪失感に(さいな)まれた。

 

 延々と繰り返す心押し潰されるような痛みを、ある時は薬にも(すが)り生き長らえてきた。

 

 だからこそ…最期に再び巡り会えたからには、以前と変わらない姉として気丈に振る舞い、達郎の後悔の念を取り除いてやらねばと凜子は考えたのだ。

 

 やがて凜子は話し疲れたのか、目を瞑り今にも眠りそうな様子を見せはじめた。

 

「凛子姉《姉さん》…疲れたのなら少し眠ったら?」

 

「…そうだな達郎。長話が老骨の身には少々(こた)えたようだ」

 

「……」

 

 逡巡の後、凛子の耳元に不意に聞こえてきたのは、告白の言葉だった。

 

「…愛しているよ、凜子姉《姉さん》」

 

 凜子は一瞬目を見開き全身を震わせるも、すぐにまた達郎に身体をもたれかけた。

 

「ふふっ…その言葉、五十年振りに聞いたぞ《五十年前に聞きたかったぞ》」

 

(今更、改めて私の気持ちを口にしたところで…残される達郎の心の傷が深まるだけだろう……)

 

(私も愛していたよ…ありがとう、達郎……)

 

 そうして遂に、凜子は達郎に胸の内を明かすことなく、最期の眠りについたのだった。

 




 今回は私の趣味趣向一辺倒なお話となりました。

 ちなみに当初は、凜子の口調を年相応の柔らかい雰囲気に変えていたのですが、全くしっくりこなかったので元に戻しました。
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