同日 一三時二三分
「……らしくなかったよ」
「だな」
それからどれくらい経ったかわからない。しかししばらくして唐突にクリスが口を開いた。
「どうすんだい。ありゃ相当オカンムリだよ」
「だろうな」
気のない返事が返ってくる。
「……!」
瞬間、勢いよくクリスが立ち上がった。
「本当にどうしたんだい!殴られて頭おかしくなっちまったのか!?」
「……どうしろっていうんだ」
「……アンタねぇ……」
クリスは深くため息をつくと、再び椅子に身を預ける。
「……何があったんだい」
「なんもねぇよ。俺が馬鹿だっただけの話だ」
「ンなわけあるかい。アンタは確かにバカだけどマヌケじゃない」
「買いかぶり過ぎだ」
「いいから。言ってみなよ」
「……」
イシュナ歴一四五七年 七月十日 一九時五二分
「おい!ニシザワはいるか!」
二日前。ペトラとクリスが部屋を出ていった後、入れ替わりで部屋に男が転がり込んできた。
「おう……いるがどうした」
「大変だ、港でまたエイドスモークが漏れ始めてる!」
「なんだって!?」
突然伝えられた報せに修一は驚き、布団から飛び出す。
「状況は」
「エイドがまた出てくるようになって、港の封鎖が破られそうになってる。今あちこちで戦えそうなやつをかき集めてるところだが、あんたも来てくれ!」
今になって考えれば、おかしなところしか無い話であった。港の封鎖が破られそうになっているのなら、この男が修一に伝えに来るうちに騒ぎになっているはずだし、いくら戦力をかき集めているとはいえ、わざわざ一人の傷病人を直接呼びに来るなど不自然極まる。
しかし、この時修一は冷静さを失っていた。エイドが暴れたことによってもたらされた被害を修一は忘れることができなかった。あれに近い被害が出るかもしれない──、そう思うと、修一の冷静さは急速に失われていったのである。
「わかった、今行く。着替えるから待っててくれ」
修一は部屋の隅に掛けられていたジャケットを手に取るとそう告げた。
「しかしどうやって漏れだしたんだ、洗い流したんじゃなかったのか?」
しばらくし、病院を後にした修一が男と共に街中を走りながら不意に口を開いた。
「例の飛空艇を回収したんだが、そこにまだ残ってたみたいだな」
「くそ!最後まで人騒がせな……!」
舌打ちして港を見据える。坂を下り、階段を飛び降り、真っすぐに目的地を目指した。
「着いた!」
港へ出る。しかし──
「……?」
相変わらず、港は静かだった。回収された飛空艇から何かが漏れ出ている様子もなく、封鎖も解かれていない。
「これは……」
「まだ気づかないか」
振り返る。するとそこには、先ほどの男が数人の飛行士と連れだって立っていた。
「なんのことだ」
「端的に言えば、全部嘘だったってことだ」
「嘘……?」
「明後日、レースは再開する。悪いが、俺たちも勝ちたいんでな」
男たちが修一の包囲網を強める。そうして、ある一点でいきなり修一の腕が掴まれた。
イシュナ歴一四五七年 七月一二日 一三時三二分
「あとは知っての通りだよ」
「どこまでお人よしなんだか」
「笑ってくれ、あまりにも間抜けだった」
不意にクリスが顔を上げる。
「でも、アンタが責められる話じゃないだろ。なんで正直に話してやらなかった」
「言いたくなかったんだ」
反対に、修一は顔を伏せた。
「あいつに、怒ってもらいたかった。殴ってもらいたかった。俺はそれだけのことをした。理由はどうあれ、俺は騙されて足を引っ張った上に、それを黙って出発して結果的にあいつを危険に晒した。あいつは怒るのはもっともだ」
「だけど!……いや、何言ってもムダだね」
クリスは溜息と同時に立ち上がると、窓に歩み寄ってカーテンを引いた。
「とにかく、今は回復に努めな。歴史書をたくさん持ってきてやる。それでも読みながらこんどこそ安静にしてんだね」
修一は何も答えない。代わりに、微妙に頷いただけだった。
「……くそっ!」
一方その頃、クリスのアパート。その一室。そこではペトラが忌々し気に言葉を吐き捨てていた。
元よりひどく散らかった部屋ではあったが、何やら汚い字で書き込まれた紙が散らばっている。ペトラは何か思いついたようにペンを走らせては、またそれを壁に投げつける。
「どうしろっていうんだよ……」
壁に背を預け、うずくまる。そうして絞り出すように呟いた。
三度目の予定変更。すでに当初の予定は大きく狂ってしまっている。修一の体は現状飛行に堪える状態ではない。しかし、それでもレースは進んでいく──、
「……くそっ、くそっ……!」
暗い部屋の中、少女は、飛び去って行った勝ち筋を思いながら小さく呻いた。
イシュナ歴一四五七年 七月二一日 一五時三七分
それから、修一とペトラはペペラーナをかなり遅れて出発した。
ペペラーナを出発してから二日。クリスと別れ再び二人旅になった修一とぺトラは途中休憩を挟みながらやがて目的地、仮設都市マルダへとたどり着いた──のだが──
「見えてきたぞ、あそこでいいのか?」
「うん。地図だと南に港があるみたいだからそこに留めよう」
修一の言葉にぺトラが無機質な返事を返す。その言葉に修一は少し肩を落とす。
ペペラーナでの一件の後、ぺトラの修一に対する態度は極端に冷淡になっていた。必要最低限の言葉しか交わそうとせず、ここに至るまでの二日間は修一にとって非常に居心地の悪いものになってしまっていた。
しかしそれでも前に進まなくてはならない。以前のように着水前に横やりを入れられないよう気を付けながら高度を落とし、港近くの手頃な位置に着水した。
同日 一五時四八分
「ここもずいぶん……変わった街だな」
瑞雲から降り、街に入るなり修一がそう呟いた。明るい色が散見され開放的な雰囲気にあふれていたペペラーナと違い、マルダは全体的に閉鎖的な雰囲気を感じる場所であった。
まず街の形からして異常だ。街の上に〝屋根〟がある。港から街の中心部へ向かうと大きな屋根が街全体を覆い隠しており、さらにあちこちに階段が設けられ階層の概念が存在している。吹き抜けになった中心部にはそこを横断するようにいくつも橋がかけられていた。太陽光が入らない為少し薄暗いが、それを解消する為にあちこちらに照明が設置され、そのせいで夜の繁華街のような雰囲気に溢れている。
「仮設都市だからね。今回の開催に合わせて急造された人工島だから、自然物なんてものはないよ」
そう言いながらぺトラがつま先で地面を叩く。見ると地面も木でできており、軽い音が鳴った。
「すげぇな……このレベルの島を作っちまうのか」
「ペペラーナとは違って急造してレースが終われば解体されるから、造りは多少雑だけどね。埋め立てて造られてるわけじゃないから人工島っていうより、島みたいな船って感じかな」
「ほーん……」
「じゃ、ここからは別行動にしよう」
「……いいのか?」
唐突にぺトラがそう切り出す。あまりの唐突さに修一は驚き、ぺトラに言葉を投げ返す。
「一緒に厄介ごとに巻き込まれるのはごめんだからね。出発は明日。その間に僕は最終アタックの準備をするから、明日のこの時間にここに戻ってきて。いい?」
「お、おう……」
「それと」
ぺトラが指を突き出す。
「もう少しでも時間を無駄にできないから、絶ッ対に面倒ごとを起こさないでね」
威圧するようにそう付け加えられた言葉に修一は黙って首を縦に振ることしかできなかった。その反応を見たぺトラは軽く鼻を鳴らすとそのまま踵を返し歩いて行ってしまう。
「……はぁ」
あまりにも変わってしまった相棒の態度に修一は肩を落とし小さくため息をついた。
「どうすっかな……」
ぺトラはぺトラでやることがあるのだからいいだろうが、こうなってしまうと修一にはやることがない。せいぜい機体の調子の確認であろうが、補給と修理はぺトラや現地の職人が済ませてくれるので大して時間を潰す作業にもならないのだ。
「……メシでも食うかね」
周囲を見渡しながらそう呟く。レース参加者のゴール前の最終拠点とする為に作られた島だけあって多くの店が看板を並べている。ぺトラの手ほどきで異世界の言葉を覚えた修一だったが、何を売っているのかわからない店も多かった。
「しかし……こう暗いと時間感覚が狂うな……」
「お、そこのあんちゃん!」
不意に声をかけられる。なんとなしに声がした方を見やると、日本の居酒屋によく似た雰囲気の店が建っていた。その軒先に並べられたテーブルについた複数の男が手を振っている。
「俺か?」
「そうだよあんた。あんた、ニシザワだろ?ちょっと付き合ってくれよ!奢るからさ!」
「ふむ……じゃお言葉に甘えようかね」
出発は明日のこの時間。余裕はまだあると判断した修一はこの男の誘いに乗ることにした。
同日 一六時二四分
「うーん……」
ちょうどその頃、数階層上の仮設商店街でぺトラが声を漏らした。その視線の先には塩漬けにされた野菜の瓶詰めが並んでいた。当初予定されていたルートを外れてしまったせいで手持ちの食料が尽きかけており、持てるだけの分を用意する必要があった。
他にも水や救護用品、ペペラーナで摩耗した剣の手入れも必要だった。修一に一日の猶予を与えたが自分の方が一日で足りるか不安になってきた。
「ん」
ふと、細長い野菜を短く切ったものの瓶が視界に入る。この野菜は──修一が元居た世界のものと似ている、と喜んで食べていた。確かネギと呼んでいた気がする。
ふと、無意識にそれを手に取っていることに気付いた。
「……」
小さく息をついてそれから目を離す。好物を用意して喜ばせるのも腹立たしい。
今や修一に対する気持ちは複雑なものとなっていた。始めは怒りだったが、怒りというものはすぐに冷める。やがてそれは彼に対する失望が成り代わり、そうこうしている内に引っ込みがつかなくなってしまった。
自分が蒔いた種だとは思わないが、もはや修一に対してどういう態度を取るべきなのかわからなくなってしまった。彼に対して失望と懸念はあるが本当はもう怒りなんてない。
「どうしようか……」
小さく呟いて頭を振る。ゴールは目の前だ。どの道修一とはゴールするまでの関係のはずだ。ここまで来たならもう気にするな。勝つためには手段を選ぶな。
「そうだ……強くなるんだろ……!非情になるのも重要だ……!」
自分にそう言い聞かせながら横面を張る。いいのだ。いいのだ。もうこのまま強引にゴールしてしまえ。そう結論づけ、小さく息をついた。
「……ん」
ふと、眼下に水路が見えた。この先には港があり、他の参加者の乗り物が泊まっているはずだ。
「……そうだよね、非情になるのも重要だ……!」
引きつった笑みを浮かべる。綺麗ごとばかりでは勝てないとペペラーナで修一に手を出した連中が教えてくれただろう。ぺトラはそう決意を固め、下層へ向かう階段へと足を向けた。