トレセン用務員のおっちゃん   作:魔女っ子アルト姫

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第35話

天皇賞秋、最高の走りを見せる筈だったサイレンススズカに襲いかかった悲劇。左足の骨折、乱れた走りに会場中は騒然とした。第4コーナーへと差し掛かる前に、倒れこむように走る事を止めた。幸いとも言えるのが即座に救護班がスズカを病院へと搬送する事が出来たので的確かつ迅速な治療を行う事が出来たという事だろうか。

 

「皆っ」

「とっつぁん……たづなさんも……」

 

病院に着いた時、待合室には酷く沈んだ面持ちでいたスピカの面々がいた。全員がスズカを心配している、唯々静かに彼女が目覚めるのを待っている、だがそれでも心配で堪らずに震えている。沖野も普段の飄々として顔ではなく、沈み青くなっていた。当然だろう、ヒビキは話を聞いただけで真っ青になった、実際に目の当たりにした身としては堪らないだろう。

 

「とっつぁんが救護班を直ぐに出れるように言ってくれたんだったな……有難う、だからこそスズカは直ぐに搬送されたし、倒れた時の怪我も直ぐに治療された。そっちは何ともないらしい……」

「そう……スペちゃんは」

「スズカさんに付いて今病室に……」

「そうか……」

 

思わず握り込んだ拳、こんな時に何もしてやれない無力さが憎たらしい。代われる物ならば代わってやりたいと強く思っているとたづなが握り込んでいた手を開くように、と促すように触れて来た。気付くと金具を握り込んだ際の傷がまた開いたのか、血が流れていた。

 

「おじさん……スズカ、大丈夫だよね……?」

 

不安そうに尋ねてくるテイオー、大丈夫かもしれないし駄目かもしれない。そんな不安が胸をいっぱいに満ちてくる、決壊しそうなダムのように溜め込んだ感情が行き場所を失っているような状況になっている。それはこの場にいる全員が同じ気持ちでいる事だろう、だからこそ言葉が欲しい。大丈夫だと言って欲しい、たづなもそう言ってあげて欲しいと言いたげな視線を送ってくる。答えるように―――テイオーの頭を撫でる。

 

「大丈夫だよ。スズちゃんは強いだろう、彼女はこんな事でへこたれないし怪我だってすぐに治すさ。それにさ直ぐに救護班が出動して応急手当しつつ搬送してくれたんだ」

「そう、だよね……だとしたらおじさんはスズカの恩人だね……アハハッ」

「そうだと、良いんだけどね……俺は何もしてないから」

 

力の無い笑いに応えるように静かに笑う、確かな笑いが生まれた事で僅かだがその場の雰囲気が柔らかくなった。沖野も幾分か気持ちが楽になった、本当にヒビキが来てくれた事に感謝しなければ……と思っているとスペが走って来た。

 

「トレーナーさん、スズカさんが起きましたぁ!!」

「本当か、そうか良かった……」

 

その言葉に生まれる活気、喜ぶの声で待合室が埋まる。きっと大丈夫だとは思っていたが、心配になって可笑しくなりそうだった。目を覚まして口を利けると分かると矢張り変わってくるというものだ。

 

「沖君行ってあげな、トレーナーとして」

「ああ勿論だ……とっつぁんも来いよ、アンタが一言掛けてくれたからスズカは直ぐに病院まで来れたんだ。たづなさんも一緒に」

「……ああそうだね、んじゃ皆ちょっと行ってくる」

 

皆も一緒に行きたそうにするが、流石に目覚めたばかりなのに大勢で押し掛ける訳にも行かないと皆も分かっているらしく了承してくれた。長い廊下を渡っていくと辿り着いたサイレンススズカと書かれた病室へと入る。そこでは此方を見たスズカが身体を起こそうとしていた。

 

「スズちゃん、楽にして」

「ヒビキさん……たづなさんも」

「はいっ大丈夫そうで少しばかり安心しました。兎も角サイレンススズカさん、無理に身体を起こそうとしないでください。今、背凭れを出しますから」

 

たづなは手際よくベットに背もたれを作ってあげるとスズカはそこにゆったりと体重を掛けた、倒れた際に少なからず脚以外にもダメージは来ている。出来る限り安静した方が良いのである。

 

「何にしろ、俺は安心したよ。お前の顔を見てな」

「ご心配おかけしました……ヒビキさんやたづなさんも来てくれるなんて……」

「この位なんでもないよ」

「はいっ私もです」

 

理事長に連絡せずに此方に来てしまったが、ヒビキがたづなと共に学園を出たという話を既に聞いて察したのか、たづなの分をカバーする処置を既に行っていた。故にたづなは何の心配もする必要はない。

 

「骨折、ですよね……また治って走れますよね……!?」

「治せる。だがその後はお前次第だスズカ、その後走れるようになるのかどうかは全部お前の努力次第だ」

 

ウマ娘の骨折はかなり重い怪我に入る、例え治ったとしても今まで通りの100%の力で走れるようになるかは分からない。懸命なリハビリも必要だし当人の努力が必要不可欠になってくる。

 

「私頑張ります、絶対に走って見せます―――スペちゃんと一緒に走るって約束も、守らないといけませんし」

「ズズガさぁぁ~ん……」

「夢が希望を与えてくれる、ですね」

 

たづなはいい顔をしていると思う、彼女自身何か思う所があるのか怪我をしたと聞いた時は顔を酷く青くしてしまった。だが、これなら大丈夫だと思っていると沖野がスズカに礼を言っておきなと言った。

 

「スズカ、お前に応急処置をしてくれた救護班はとっつぁんの言葉があったからあんなに速く来てくれたんだ。だからとっつぁんに良く感謝しとけよ」

「そ、そうなんですかヒビキさん」

「凄いヒビキさんはスズカさんの恩人ですね!!」

「大した事はしてない、むしろ当然のことを指摘しただけだよ」

「当然だからこそしてよかったんだろ、胸を張れよとっつぁん。アンタは俺の大切なチームメンバーを救ってくれたんだ」

 

そう言われても照れくさくなる、自分は本当に何もしていないのだから。連絡をしなくてもきっと運命は変わらなかった、中央でのレースなのだからきっとそれは間違いないのだろう。自分の行いは蛇足だった筈だ―――それでも口を出さずにいられなかったんだ。

 

「スズちゃん、君はきっと元通りに走れるよ。何だったら骨折が治ってから俺がメニューを作ってあげようか」

「はいっお願いしたいです」

「わぁっスズカさん良かったですね!!ヒビキさんのなら間違いないですよ!!」

「おいスペ、俺のメニューじゃ不安みたいな言い方やめろよ」

「それならいきなりツイスターやらせるのを自重したらいいんじゃないですか?」

「たづなさんまで言うか……」

 

思わず生まれた笑いに背後の扉が突然開かれた、それと同時に雪崩のように他のスピカの面々が入って来てしまった。如何やらスズカの事が心配で来てしまったらしい。だがそれを見てスズカは笑みを強めて、レースが終わった後のような晴れやかな表情になっていた。

 

「いやぁ~にしてもおっちゃん、何であんな事言えたんだ」

「んっ……まあ、そうだね……経験した事があるからね、似たような事を」

 

その言葉に皆が驚いた、あれだけ自分の過去を語ろうともしなかったヒビキが自分から何かを示した。酷く断片的なそれだが―――ヒビキは言葉を止めるつもりはなかったが、アキラがそれを止めた。

 

「―――おじ様、良いの」

「皆気になるだろこんな状況じゃ、当事者なんだから聞かないと納得しない。それが筋さ」

「……おじ様が良いなら何も言わないよ」

 

そしてそのまま、ヒビキは語り出した。

 

「多分最初から話すべきなんだろうね。俺に元カノがいるって話あったじゃない、それが深く関係してる」

「ヒビキさんの彼女さん……どんな人だったのか凄い興味あるわ私……」

「俺も、というかみんなその事で議論してたりするもんな」

「何、皆暇なの。おじさんの恋バナに興味あるとか」

「ヒビキさんはそれだけ皆さん大好きって事ですよ」

 

たづなの言葉に皆が頷いた。奇妙な感覚だが、まあそれだけ気になる立場だと言う事は分かった。

 

「んじゃ話そうかなって、皆たちばなで盗み聞きしてたから一部は知ってるか」

「き、気付いたのか……!?」

「当たり前だよ。まあいいや、それならある意味都合がいい―――俺が鬼になろうって決めたのは一人の幼馴染が決め手だった。あいつの走る姿が好きだった、そんな彼女の支えになろう、相手にもなれるように頑張ろうと思って俺は鬼にもなってトレーナーにもなった。彼女の名前は―――アシタノユメ。俺はアスムって呼んでた」




雷電 響鬼。

病院でスズカの様子を見て、思った以上ではなくて少し安心した用務員のおじさん。

鬼、そしてトレーナー資格を取った理由となった幼馴染の名前、アシタノユメ。当人はアスムと呼んでいた。
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