仲違いして別れた訳ではなく、お互いの夢を優先する為に一度別れ、夢が叶った時、同じ気持ちだったら結婚しようと誓いあっていた。
海外へと渡っている最中に相手が亡くなってしまったが、機械音痴なために連絡が取れずに知らずにいた。当然、彼女がスペシャルウィークを産んだ事も知らなかった。
無事、清めの儀式を終えた響鬼達、雷電一家たる鬼達。全身全霊を使い切った彼らはその後、家へと戻ると汗を流し、食事をとると直ぐに疲れが噴き出したかのように眠りについてしまった。清めの音は通常の音と異なり、正しく全身全霊を使って奏でられる、肉体だけではなく精神を極限まで擦り減らしての演奏になる為、速やかな回復が望まれる。確りとした食事も体力回復の為である。
既に昼頃になっている時間帯だが、まだ鬼達は眠り続けている。今は体力の回復の為に貪欲に身体が睡眠を欲する時、蔵王丸は当然の事、伊吹もまだ夢の中に居続けている。そんな中、一つの影が太陽の下に出ていた。身体を伸ばしながらリュックを背負い直している男、響鬼であった。
「やっぱり皆は夢の中か……やっぱ俺って可笑しい?」
「当たり前だろ、何でもう動けんだよ」
そんな自分に呆れかえった瞳を向けている京介と同じように切り株を椅子にして煙管をふかしている先代がそこにいた。何方とも何故響鬼が動けるのかと完全に呆れている。
「動けちゃうんだからしょうがなくない、というかみんな寝過ぎなだけっていう可能性は」
「ないわ阿呆。清めの儀式を行った鬼の回復には早くても数日は掛かると言われている、個人差こそあるが、蔵王丸達も起きるとしたら明後日。それなのに如何してお前は起きていられる、若造」
「毎日鍛え続けたから、ですかね」
「まあそれしかないわな……」
正直言ってそれしか説明する手段は存在しない。下がったレベルを戻す為の鍛錬を日常的に繰り返し続けた響鬼の肉体は鬼を越えている、人間の領域に留まっていた筈の鬼が魔人へと変貌している。たった一晩で此処までの回復を見せるのが良い証拠。
「んで響鬼さん、荷物持ってどうする気だ」
「帰るんだけど?清めの儀式は終わったし仕事も溜まってて、他の用務員連中が悲鳴上げてる頃だろうからねぇ~」
「ンだよそれ……故郷より仕事の方が大事だってのか!!」
激情に近い感情をぶつけられてしまうが、京介の言い分も分かる。久しぶりに帰ってきた故郷、此処にある思い出にも浸らずにさっさと帰ってしまうと言うのかと責め立てられてしまうが、響鬼はそれを甘んじて受ける。
「……まあ本当はいるべきだと思う。でも俺が此処に居ても何も出来ない、唯自分の無力さを思い知るだけだよ。何も出来なくて、恋人の心を察する事も出来なかったから」
「いやだから、アンタのせいじゃ……!!」
「京の字、その位にしておけい」
「でも先代!!」
「響鬼に取っちゃそれが一番の薬、好きにさせるが吉よ」
先代の配慮に頭を下げた響鬼はそのまま出発してしまった。京介はそれを止める事も出来ずに見届ける事しか出来ず、その憤りを先代へとぶつける。
「如何して行かせるんですか!?もっと此処に居てもいい筈でしょう!!」
「居たとしても、いたずらにあいつの傷を深めて拡げるだけよ」
「それだったらトレセンだって同じでしょうが!!」
トレーナーだって響鬼とアスムを強烈に結びつける要素だ、トレセンはその中央に位置するような場所だ。其処に居たとしてもそれは同じだろうと叫ぶが違う。
「此処にはある物が向こうにはない、そして向こうのウマ娘っ子はアスムとは無関係。寧ろ、そう言った連中と関わって自分を変えてくれる存在を待つ方が奴の為じゃろうて」
「……現れなかったら」
「その時は―――あいつがアスムの下に行くだけよ」
『疑問ッ折角の休暇なのにもう帰ってくると!?』
「用事も済みましたからね。まあぶっちゃけると残った仕事が不安でして、大丈夫なんですかそっち」
『無論ッ問題なし!!と言いたい所なのだが……大丈夫ではない……』
「ああやっぱり……」
途中、電車を待つ間に公衆電話で理事長へと電話を掛けてこれから学園に戻ると連絡を入れるのだが……如何やら問題が起きているらしい。トレーナーよりかはマシとはいえ、それでも起きている人数不足問題。不足分を補っていた自分が居ない事で他の用務員に圧し掛かっている、一部を簡略化したりしているが……それでも膨大な敷地のトレセンをカバーしきれずにいる。
『不覚……用務員の募集にもこれからはもっと力を入れなければ……』
「んでジャパンカップってどうなりました?俺、TVも全然見なかったんですけど」
『ウムッ実に拮抗!!スペシャルウィークは実に健闘していたぞ!!』
自分は一日中寝ただけで回復したが、眠っていた間にジャパンカップは行われてしまっていた。結果としては1位はチームリギルでスペの同期でもあるエルコンドルパサーだった、残念な結果だったがそれでもスペはなんとリギルのエアグルーヴに鼻差で上回り、2位をもぎ取る事に成功したのである。それでも彼女は悔し涙を流していたと理事長は語った。
「2位か……エアちゃん相手にそれなら上等すぎるな。エルちゃんだって相当に鍛え込んでた訳だし、勝負の世界に絶対はない」
『健闘、リギル相手に見事な走りであった。其方からも褒めてあげて欲しい』
「分かってますよ、俺が居なくても確りと走ったみたいですしね」
サブトレーナーとして彼女を褒めてあげなければと思いつつ、これはスペが気がするまでの食事かな?と内心で苦笑いを浮かべてしまった。
「んじゃまあ直ぐ帰りますよ、お土産何が良いですか?」
『ムッお土産……奈良と言ったら……シカや大仏、お寺か……?』
「あっやべ電車来ちゃった、んじゃ理事長。妥協案で耳かきって事で」
『驚愕!?何故選りに選って耳かき―――』
最後まで聞く事なく、受話器を置いてホームへと飛び込んで電車へと乗り込む。程なくして扉が閉まって電車が動き出していく、流れていく景色の中に消えていく故郷。不思議とその光景に安堵を感じてしまう自分が居た。
「アスム、俺ってこんなに嫌な奴だったかな……お前が遠ざかっているのに」
雷電 響鬼。
清めの儀式後、たった一日で回復したおじさん。毎日鍛え続けた結果、先代公認の鬼離れとなった。
アスムに対する想いは強く、同時に強いトラウマにもなっている。