「―――っ……」
「理事長、秋川理事長?」
その日、理事長である秋川 やよいは職務に励んでいた。元よりウマ娘の為ならば自腹を切って設備の増強や機材購入などを積極的に行う彼女にとって学園の運営という仕事はハッキリ言って苦痛などではない。寧ろ使命感やこれこそ生き甲斐というレベルの物である為、基本的に仕事は一切滞る事が無い、勿論部下に仕事を押し付ける事なんて事もあり得ない理想の上司の鑑―――なのだが、この日、たづなは初めてと言っても良いかもしれない程の光景を見た。仕事の手を止めてある資料に釘付けになっていた。
「理事長、如何なさったんですか?」
「……っお、おう何かなたづな。謝罪、つい見入ってしまっていた」
「いえ、ヒビキさんから修繕箇所の見積もりが終了したのでその書類をお持ちしました」
「ウッウムッご苦労!!ヒビキ用務員にも確りと休んでもらうように言っておいてくれ!!」
「多分、無駄だと思いますよ。ヒビキさんったら他の用務員さんのお手伝いに行っちゃいましたから」
本当に助かりますよね、と問いかけてくるそれにやよいは何処かぎこちなく答える事しか出来なかった。たづなも普段ならば快活にウムッ!!と返すであろう理事長にしては反応が悪いと首を傾げてしまう。
「理事長、如何かなさったんですか。その資料を見てから如何にもご様子が……」
「……」
「り、理事長……!?血がっ……!」
血が滲み出る程に手を握り締める、爪が皮膚を突き破って肉に食い込んでいくのを構う事もなく握り続ける理事長の手を強引に開かせながらもたづなは救急箱から薬や包帯を使って応急手当てをする。がそんな痛みなんて痛くもなかった、自分が行ってしまっていた行いに比べたら……無言のまま、たづなへと一部が血に染まってしまった資料を進める。
「あの、これは……」
「……アシタノユメ、彼女に関する事だ。桐矢研修生が提出してくれたものだ……」
京介はアシタノユメ、アスムの兄。だが何故今なのかとそれを見た時……言葉を失ってしまった、何故ならば……そこにあったのはアスムが既にこの世に居ない事を示すデータが並べられていたからである。
「だって、ヒビキさんは……」
「……言える訳もないのも道理、やり切れる訳が無い……彼がトレーナーを辞退し続けた訳も分かる……それなのに……押し付けてしまった……」
自分を許せないように拳を振り下ろす、それにつられるように言葉を失い……それを落してしまった。自分達は何故、ヒビキがトレーナーをしたくないという事の理由に目を向けなかったのか、人が良く優しい彼が指導という立場に上がらなかったのかも全て理解出来た。そしてどうして京介が中央に来たのかさえも……。
「沖野、トレーナーにお伝えしますか……?」
「今から伝えた所で、何が変わるのだろうか、いやだがこのままにも……」
「でも……」
「たづな、手始めに彼のスケジュールを見直す。いや、用務員だけではなく全職員のスケジュールをだ!!やれる事を全てやるぞ!!」
「はい、お付き合いします!!」
「ヒビキさん有難う御座いました~!!」
「ええよええよ~何時でも相談しにきな~」
ひらひらと手を振りながら相談しに来たウマ娘を見送るヒビキ、相談の内容は遠距離恋愛中の彼氏へのプレゼントの相談だった。何でも相手は大学生らしく、大人っぽくてカッコいい物を送って喜ばせてあげたいという事で大人の男である自分に相談に来たとの事。後、交際経験もあると聞いたから頼るになると思ったらしい。
「やれやれ、俺が言える事なんて何にもないんだけどあれで良いのかねぇ」
まともなアドバイスなんて出来ずにボロボロだった様な気がするのだが……一先ず、年齢の割に童顔で大人っぽい物に憧れていると聞いたので自分が使っている持ち物を幾つかピックアップして上げたら、目を輝かせてくれたが……あんなので良いのだろうかと不安しかない。
「俺にそんな事を言う資格なんざぁないのにさ……」
「何の話か知りませんが、私個人としてはヒビキさんは素晴らしい人だと思いますよ」
「あらま、お世辞かい南ちゃん」
振り返るとニコニコとした温和な笑顔を浮かべた南坂トレーナーがそこにいた。何やら自分に用があるのだろうか。
「実はヒビキさんに折言ってお願いがあるんですが宜しいですか?」
「南ちゃんがそんな事を言うなんて珍しいねぇ……何だい」
「実はゼンガーさんの事にだったり、後個人的に少々お力添えしていただきたいんです。これからお時間頂けますか」
「この後はスピカの皆の所に行っちゃうけど、それまでなら」
「其方でしたら沖野さんから許可をいただいてます、偶には休めですって」
「あらま、手が早い事」
それじゃあ断れないなぁと思いながらも恐らく京介が手を回したんだろうなぁと直感する。どうせ、この前の紅の一件もあるから少しでも自分を休ませてやろうという魂胆があるのだろう。
「そこまで御膳立てされてたら、断れないねぇ~」
「それじゃあ行きましょうか。最近美味しい居酒屋さんを見つけたんですよ、しかもお値段もお手頃ですし」
「いいね~偶には誰かの作ったご飯もいいよね、自炊してるとしみじみ思うよ」
「お話聞いて貰う立場ですし奢りますよ」
「そりゃ悪いよ、自分の分は出すよ?」
そう言いながらもヒビキは久方ぶりにトレセン学園の外へと南坂と共に出掛けて行く。そこでチーム運営の苦労話やら年頃の娘さん相手だから緊張するやらの愚痴やゼンガーの事に関して相談を受けるのであった。
「(さて、これで良いとして……理事長は何を話すんでしょうか……僕がこの役なのも意味があると言う事だとは思いますが……まあ、今はそれに徹しましょう)それでこの前なんてゼンガーさんの大声の影響で有望だと思ってスカウトした子がまた辞めちゃいまして……」
「あっちゃぁっ……そりゃ深刻だ……」
「はい……私としてもそこが彼女の長所で伸ばすべき所だという所は理解しているんですが……」
何やら役割があったとの事だが、途中から完全に愚痴になっていたのは言うまでもない。
「―――分かりました理事長、こうなったのも俺がとっつぁんを誘ったせいです。全力で協力させて貰います」
「当然私も。見過ごせないわ」
「俺もだ、おやっさんの為だ」
「感謝!!」
招集された沖野、東条、黒沼の三名はやよいとたづな、そして京介からある話を聞かされた。様々な反応を見せつつも全ては一つの方向へと収束していった。
「だけどマジか……そんな事になっちまってたなんて……すまん全部俺のせいだ!!」
「いや、思う所はあるけどあのおっさんのせいだ。何時までも一人で抱え過ぎてるからこうなった」
「でもこれは……抱えるな、という方が無理よ」
「だな……最早トラウマなんだろうな」
今回ばかりは大きく頭を下げた沖野をフォローする両名、京介自身もそれは分かっているのか沖野については言いたい事もあるがそれを飲み込む。響鬼はその肉体と同じように極めて堅牢な要塞のような精神状態にあるがその実は酷く脆い。それが崩れる前に何とかするというのが話の趣旨。
「とっつぁん……アンタ、マジで壊れるぞ」
瞳を落した先にある渡された資料、そこにあるのはアシタノユメの全てがあった。どんな人生を送って、どんな風に絆を響鬼と深めたかさえも詳細―――そしてその最後についても……アスムは唯亡くなった訳などではない―――アスムは……自ら命を絶ったのだ。
雷電 響鬼。
相談事に色恋沙汰が増えてきたおじさん。生徒職員問わず相談は多いが、色恋云々を自分に余りして欲しくないと思っている。
こっから一気に動かしていきます。