「―――それが俺とアスムの最後だった。次に会った時はあいつはこの世にはいなかった」
それが話せなかった響鬼の真実だった。最愛の恋人はレースで負った症状によって記憶障害までも併発していた、唯ウマ娘としての生命を絶たれただけではなく恋人としての自分すら失いそうになっていた事に耐えきれなかった。故にその前に自ら命を絶ったのだ。
「そんな……」
「あ、あのえっと……」
言葉が出ない、決して軽はずみな気持ちで聞いた訳などではなかった。彼女たちなりに確りとした気持ちを作って問いを投げかけたつもりだった。だが……これは余りにも予想していたよりも重い内容だった。もしかして事故か何かで……という事ぐらいしか思っていなかった、それよりもずっと……。
「あの時、あいつを一人にしちゃったのが俺の失敗……だったのかな。寄り添ってやってれば、違った結果だったかもしれない……」
意味の無いIFを思わず口にする、それはレースという勝負の舞台に上がっているスズカとスペが良く分かっている事だ。あの時、仕掛けるのが遅かったのかでは。もっと早く仕掛けていれば……大外枠でなければ……そんな考えが無い訳じゃないが、それを覆して行くのが自らの鍛錬、そしてそれを受け止めるのがアスリート。
「じゃあ、如何して、ヒビキさんは今も鍛えてるんですか……だってもう、鍛える意味なんて……」
「スペちゃん……でも、うん私もそう思います」
酷く言いにくそうだが、スペは意を決してそう問い質した。正直言ってもう鍛える意味なんてもうないのだ、最低限、鬼としての衰えを見せない程度の鍛えだけをするだけで事足りる。それなのにずっと鍛え続けている、改めて自分達ウマ娘と同じ領域に立っているヒビキが異常に映るのだ。
「ないね正直な話。鍛えるのも辞めようって思った事もあったんだけどさ……何もしてない時の……如何しようもない虚無感と、なんていうのかな……足元が崩れて奈落に落ちていくような感覚があるんだ。俺の人生は本当にアスムと一緒にあった……だからだろうね」
響鬼のとって鬼とはアスムと共に居る為のもの、それを失うという事は彼女との思い出を否定して唯の響になる事を意味する。唯響くだけで何もならずに消えていく、それだけの存在に成り果ててしまう。
「鍛えてるとさ、あいつと一緒に居る気がすんだよね。ずっと一緒だったら……もう、あいつをそういう所にしか感じられない。薄情だよね、こんな俺って」
薄情とは違う、そんな別れ方をしているのならば何かで自分を埋めようとするのは当たり前だしその人を感じられるものがあるのならば当然のものとも言えるだろう。誰よりもその人を想っていたからこそ、ヒビキは鍛えているんだと分かる。それが歪であるという事も、二人には何となくだが分かる。
「薄情なんかじゃないですよ!!だって、ずっと想い続けてあげてるんじゃないですか、私分かりますもん。私も私を産んでくれたお母ちゃん、見てくれてるって思ってますもん」
「お母ちゃん」
「スペちゃんにはお二人のお母さまが入るんですよ、ヒビキさん」
スペシャルウィークには自分を産んでくれた母と育ててくれた母が居る。彼女には生みの親である母の思い出はない、だがそれでも二人の母を心から想っているし感謝している。そんな母の為にも日本一のウマ娘になるという夢を叶えるために毎日を生きている、そんな自分の毎日を見てくれていると彼女は強く思っている。
「そうか、立派だなスペちゃんは……」
「ヒビキさん、後ヒビキさんの考えってちょっと失礼だと思います!!」
「―――えっ失礼?」
「だって、アスムさんとヒビキさんを結ぶものって鍛える事だけだったんですか?他にもいっぱいあったと私思います、ご飯食べたりとか、一緒に出掛けたりとか」
自分が母と一緒にした事を踏まえながらその事を伝えていく。彼女には母が居た、立派なウマ娘にする為に何だってしてくれた立派な母が。そんな母との日々の中でももう一人のお母ちゃんの存在は感じられていた。ずっと傍に居ると思う、だがヒビキは違う。鍛錬の中でしか感じられないと語り、そこにしかいないという。彼女との思い出はそれしかないと言っているような物だと言われて、思わず惚けたように口を開けた。
「一緒に歩いたり、一緒に学校行ったり、一緒に遊んだり、一緒にご飯食べたりとか色々あったでしょ。じゃあ鍛錬の時だって事はない筈ですよ。だって―――じゃなきゃヒビキさんが演奏した時にだっていない筈ですもん」
「―――」
その言葉は、胸に染みこむようだった。不思議とジィンッ……と胸にしみわたるかのように入り込んでくると、視界が全く違う物へと変貌していた。真っ白な世界の中に此方へと微笑みかけてくる一つの影があった。
「アス、ム……?」
自分の言葉に微笑みで返しながら頷くのはウマ娘だった。身長は自分に及ばないがそれでも高身長、肩まで伸ばされた鹿毛に少しだけタレた目、走り続ける事でそれに最適化されたかのような他のウマ娘よりも何処かガッチリとしつつも長い脚。そう、アシタノユメがそこにいた。如何してそれが居るのか、何も分からない。
『ヒビキさん』
聞き馴染んだ声が聞こえる。手を伸ばそうとするが―――
「あの、ヒビキさん?」
「ッ―――あ、ああ……ごめんちょっと、ね」
不意に呼び掛けられて世界が戻る、スズカの少し強めの言葉で正気に戻った。夢なのか、という思いがある中で何処か不意に胸が軽くなったような気がした。何かが変わったのか、何も分からない。だが変化が訪れようとしている事だけが明確に感じ取る事が出来た。
「アスムを感じようとして、俺は……アスムを……フフフッ……同じこと、か」
「はぇ?」
アスムも後悔したのだろう、軽々しく鬼になると言う事を。そして自分も分かった、鍛錬の中にしかアスムを感じないなんて……それは何て愚かしい事だったのかと。なんだか、気が楽になったというか、少しだけ、前向きになれたような気がする。思いっきり頬を叩く。
「よしっ有難う二人とも、それとごめんねこんな話をしちゃって」
「いえ、寧ろ私達が強引に聞いてしまったような……」
「わ、私だってヒビキさんのやってきた事をその、無駄みたいな言い方」
「いや実際そうだったのかも、一緒か……そうだよね。俺が良い顔して笑って、幸せそうにしてないとあいつも不安がるか……」
立ち上がって鍋へと向かう、丁度ニンジンが良い頃合に煮えた頃だったのでタイマーを止めて最後の仕上げに掛かる。
「さあ、スペちゃんにスズちゃん。今日は食べ放題だ、好きなだけ食べて良いからね。今日はお祝いって事にさせてくれ、俺も今日は食べて飲むぞ~!!」
「なんだかよく分からないけどやった~!!」
「はい、お酌しますね」
雷電 響鬼。
暗い話をしてしまった事のお詫びに食べ放題にしたら、スペに文字通りに食べ放題されたおじさん。
立ち直った訳ではないが―――切っ掛けは得たのかもしれない。