「……」
その日、ヒビキはトレーナーとしての休みを貰っていた。用務員としての仕事を終わらせると直ぐに部屋へと戻り座禅を組んでいた。これから起きるであろうそれに対しての絶対的な備え、いや礼儀や作法と言ってもいいだろうか。万全の構えを取る為に不動の構えを取っている。唯々、没入していく。一切の雑音は無く、人がいるとは思えない程に無音に満ちている。
「……」
外の風の音すら木霊する程の完璧な無音の状態、命の気配すら感じ取れない程に静寂に包まれているそこは命がある筈の世界とは思えない程に異質な空間へとなっていた。異常なまでの集中、いやそれすらせずに無我の境地へと至っているヒビキ。時を待ち続ける、待つという感覚すらないのに唯そこに居続ける、生き物として根本的に可笑しい。
「―――時間か」
その言葉との直後用務員の扉がノックされた。時間を認識した訳ではない、気配を察知した。待っていた人が来たと。立ち上がりながら扉を開けるとそこには待っていたウマ娘がそこにいた。
「やぁっ悪いね呼び出して」
「いえ、私も確りとお話を聞きたいと思っていましたので」
其処に居たのは長い黒髪と金色の瞳をしたウマ娘、マンハッタンカフェ。態々呼び出してしまった事への負い目もあるが、彼女も彼女で自分には一度しっかりとした話をしたいと思っていたらしい。彼女を部屋へと上げながらも珈琲を淹れる。
「俺のスペシャルブレンドでいいかい?その都度味が変わるから保証は出来ないけどね」
「お願いします、ヒビキさんの珈琲にハズレはありませんから」
「どうも」
彼女は席に着きながらも此方をジッと見つめてくる、何処か鋭く真っ直ぐとした瞳による視線は不思議と重く感じられるがヒビキは何ともない。そんな彼女に出す為の珈琲の香りが用務員室に充満する。そしてカップを二つ持って、彼女の下へと出す。
「はいヒビキさんスペシャルブレンド」
「有難う御座います、彼女も感謝しています」
「どういたしまして」
不自然に彼女の下へと置かれた二つのカップ、一つはカフェの分だがもう一つは彼女の友人の分。飲めるかは分からないが来てくれているならば出すのが礼儀だと思っている。そして自分の分の珈琲を啜る。豊かな酸味と深いコクと濃厚な甘みが口にいっぱいに広がる、如何やら今回はコスタリカの豆を中心にブレンドしたらしい。
「うん、悪くないね」
「とてもおいしいです」
「お気に召したようで何より、お友達もどうもね」
肩が叩かれる感触がある、背後に誰かが居るという確かに気配もあるがそこに姿はない。透明な誰かが居ると言った感覚に近いが、これはカフェといる時には必ず起きると言ってもいいそれだ。彼女には友人がいる、それは一般的には幽霊などに区分される存在らしく彼女には霊感やそれに似た能力がある。時折虚空を見つめては会話しているが、その存在と話しているとの事だが、周囲から完全に不気味な光景にしか映らない。
「それで如何だいカフェちゃん―――分かるかい?」
早速本題へと入った。彼女を呼んだのはその能力に頼る為である、あの時、スペとスズカにアスムの事を話した際に見たアスムの姿。それが自分と共に居続けたアスムの姿ならばカフェならば知覚出来ると思ったからだ。そしてその言葉にカフェは確りと頷いた。
「はい、ハッキリと見えます」
初めて会った時にもカフェはヒビキに何かが居ると言う事を知覚していた、だがそれは自分の知る友達とは違ってハッキリと認識出来なかった。取り憑いている、というよりも最早ヒビキと一体化しているに等しい状態のそれがそこにいたのである。カフェでも理解出来ず、そして何を言っているのかも分からない程に。
「フクちゃんの占い通りだったか」
「矢張りご相談を」
「うん、力借りたよ素直にね」
座禅を行うに当たってあるウマ娘の力も借りている、それは占いが大好きなウマ娘のマチカネフクキタル。彼女は占いだけではなくシラオキ様という神様……で良いのだろうか、それを熱心に祈りを捧げている。それの力を借りて占いをして貰った所―――
『ヒビキさんっ貴方は一度死に近づかなければなりません、死ぬ気で死へと近づく事が貴方のやろうとしている事への吉!!!』
という占い結果を頂いている。死に近づけと言うのも可笑しな話だが……今ならその意味が良く理解出来る。
「極限を越えた集中の末の無我の境地、それにとって僅かな間だけヒビキさんは周囲の環境と一つになった、生物として限りなく死に近づいた。だからこそ一体化していたその方、アスムさんは姿を見せてくれました」
「フクちゃんの占いって本当に凄いな、今度お礼しに行かなきゃね」
アスムは確かにいる、それ所かほぼ完璧にヒビキと融合していたらしい。それ程までにアスムはヒビキの事を愛していた、そしてヒビキもそれは同じであり強い想いが共鳴して共にあり続けた。正しく人馬一体である。
「にしても……マジで一緒に居たのか―――アスム」
「照れてます」
「どうせあれでしょ、耳ごと頭を押さえるような感じでそっぽ向いてんでしょ」
「アタリです……見えてます?」
「20年以上一緒に居たんだよ、その位分かるさ。まあ見えてないけどそうされてるって言われたらそうやるだろうなってのぐらいは分かるよ」
カフェの目にはヒビキの右後ろ辺りでその通りのポーズで悶絶している姿が見えている、此処まで分かっているのかと驚く。20年、一口に言ってしまえる事だがそれだけ長い時間を共にして絆と思い出を築いてきた証明でもある。
「にしても……本当に一緒に居たんだな、鍛錬の中でしかお前を感じられなかったなんて、俺は何をやってたんだろうなぁ……」
「いえ、でもこれは分からないと思います……文字通りの一心同体でしたから……」
言うなれば身体の中に生まれた異常に自覚症状もない状態で自力で気付けというような物だ。幾らなんでもそんな事は出来ない、だから分からなくて当然なのだ。
「ヒビキさん、直接アスムさんと……お話してみます……?」
「―――出来るの、かい?」
その言葉の直後、お友達へと出した珈琲のカップが酷く揺れ始めた。誰が見てもカフェへの発言への抗議のように見える、だが彼女はそれを諫める。
「少し疲れるけど、ヒビキさんにはお世話になってるから……ねっ?」
そう言われると少しずつ揺れが静まっていく、渋々だが納得してくれたらしい。カフェは一旦深呼吸してから瞳を閉じた、そのまま数分の時間が立つ。静寂の中にある用務員室に彼女の呼吸音が木霊する中で訪れた。突然呼吸音が変わる。瞳を開けた時、僅かだが瞳の色が変わっているように見えた。そして―――
「響鬼さん……お久しぶり、こんな風に話すなんて思わなかったけど……中央って凄い子がいるんだね」
「そうだな、カフェちゃんは本当に凄いと思うよ―――俺もこうして話すとは思わなかったよ、アスム」
「うん―――アタシもだよ、響鬼さん」
声色が変化して口調もカフェの物とは異なっていた、それはもう彼女ではない。ヒビキの目には一人のウマ娘に変化していた。アシタノユメ……自分が愛したウマ娘が確かにそこにいた。