サイド名義にて、pixiv同時掲載です。
「街はつづく、人生みたいに……か」
事務所近くの公園のベンチに俺は座り、カップコーヒーを飲みながら呟く。
腕時計を見れば、針は夕方の六時半を指し、初冬の空が深い青と淡く光る星々を湛えていた。
視線の先には背の高い新しい建築物……透がキャッチコピーのイメージとして関わったビルがある。
「あれ、プロデューサー?」
不意に声をかけられ、顔を向けるとそこには制服姿の透が立っていた。
寒さもあってか、きっちりとブレザーを羽織り、首元にはもこもこしたマフラーが巻かれている。
「透? どうしたんだ、こんな時間に」
俺の問いを受けた透は、ベンチの隣にある自動販売機前へ立って答えた。
「あー……。散歩してた。今日は仕事、なかったから」
冷たい木枯らしに吹かれ、その耳先が少し赤く染まっていることに気付きながら、俺は頷く。
「そう言えば、今日はオフだっけか。どこか行ってたのか?」
「……んー」
財布から小銭を取り出す透の口調は曖昧で、歯切れが悪い。
そんな風に言葉を選ぶのは、やはりあの案件での出来事……ファンとの接し方やお金、そして自身の立ち振る舞いに関して、いくつか噛み合わないことあったからだろう。
やがて透はブレンドのボタンを押し、口を開いた。
「ほら、あったじゃん、この間。衣装買い取ったこと」
「買い取った……? ああ、歌番組でスタイリストさんが用意してくれたやつか」
透が、「そう、それ」と頷き、缶を手に取る。
俺はその時の出来事を思い出しながら、軽く苦笑した。
「ノクチルとして呼ばれて、プロのスタイリストさんが選んでくれたやつだから、雛菜が欲しがったんだよな」
「この業界、同じチャンスは二度来ないしね。……実際、きれいだったよ?」
「そうだな。小糸は迷惑じゃないかって焦ってたなあ」
透はホットの缶を手の平で包み込みながら、少し首を傾げる。
「結局、買っちゃったけど。……大丈夫だった?」
「ああ、それは気にしなくていい。衣装の買い取りは結構ある話だし、お金だって透達の自腹だっただろ?」
「樋口が渋い顔してたなー。割といい値段だったし。……まあ、私も気に入ったから、さっきブランドショップへ行ってたんだけど」
予想外の言葉に俺は驚きながら、自動販売機へ背を預けた透へ問う。
「へえ、いいじゃないか。何か気になるのあったか?」
「んー……」
特にヘンなことを聞いたつもりもないのだが、透の反応は鈍い。
ああいうことがあったとはいえ、そこまで行動を制限するつもりはないのだが、俺が想像する以上に気にしているのかもしれないな、と思う。
だが、透はまた予想外の返答を寄越してきた。
「あったよ、いいの。でも、だから買えなかった」
「……すまん、どういう意味だ? よかったなら、買えばいいのに」
透はその時のことを思い出しているのか、手の平で宙をすくうような動作を見せた。
……服の袖を撫でている、とかだろうか? と想像してしまったが、透の表情には陰りがある。
「これ、いいですねって店員さんに伝えたら、言われたんだ。『そういえば、あの有名なアイドルの――』」
透の口からこぼれ落ちた名前は他の事務所で売り出し中のアイドルのもので、俺もテレビや動画などで知っている女の子だった。
「『――さんも購入されていったんですよ! あなたもどうですか!?』って」
そう言って、透は居心地が悪そうに目を伏せる。
「そしたら、買えなくなっちゃって」
「気まずくなるから、わざわざ言わなくていいのに、か……」
俺は思わず眉根をしかめ、渋い表情になってしまう。
業界あるあるだ。
プライベートな情報ではあるが、とがめるほどのマナー違反でもない。
逆にそれをプロモーションにする芸能人や業者さんもいるから、判断はそれぞれの裁量に任されているグレーゾーン。
だが――。
「……」
口を噤み、せっかく買った缶コーヒーに口を付けない透の佇まいを見ていると、居たたまれなくなってしまう。
私生活の情報が流出する……その辺りのマナー意識は、あの映画館での出来事を思い出させるから、透も見て見ぬふりができなかったのかもしれない。
首元までしっかり巻かれているマフラーに口元を埋め直し、透は自動販売機に背を預けたまま、ぼうっと立ち尽くしているように見えた。
「透……」
そして、俺も言葉をなくしてしまう。
あの出来事があってから、こんな風に気まずい沈黙が落ちることが増えた。
ライブを終え、一区切りは付いたものの、お互いの中で消化し切れないものがあるからだろう。
ファン、クライアント、お金、SNS。
今、目の前にいる十七歳の『浅倉透』と、業界内やネットで一人歩きを始めているアイドルの『浅倉透』との隔たりを、俺もどう捉えていいのか分からないのだ。
「……ははっ。それで仕事を残して、外へ出たんだから、俺も半端だよなあ……」
思わずごちた言葉に、透が反応する。
「残業? また、事務所へ戻るの?」
「ああ、山積みの書類が待ってる。今日の残業は長くなりそうだ」
「あー……」
曖昧な答えを返した透へ、俺は苦笑して問いを投げた。
「透はこのまま帰るのか?」
「うん、お母さんからチェインあって。夕ご飯できてるって」
「いいなあ、独り身には響く言葉だ……」
透が小さく笑う。
「ご飯くらい作りなよ」
「も、もう少し、いろいろ余裕ができたら……きっと」
「ふふっ、結局、やらない人が言いそう」
「う……」
実際、その予定もないので俺は反論できなかったが、ふと思い出した言葉があったので、それを口にした。
「透、ネガティブリストって聞いた事あるか?」
「え?」
透は驚いた様子で缶コーヒーへ口を付けながら、首を左右に振る。
「ざっくり言えば、禁止するものをリスト化することだな。『コレをしちゃダメ』みたいな感じで」
「……ええと、誰が使うの? それ」
「極端なところだけど、軍隊とか。いざという時、判断で迷わないように、『何があっても、コレは絶対にやっちゃダメ』ってリストが存在してる」
「あー、なんか、便利そう。……それがあれば、交通事故は起きないし、起こったとしても対応は分かるってことだよね?」
俺は頷いて一口、カップコーヒーを飲む。
「逆にポジティブリストってのもある。食品や薬品製造での話だけど、『使ってもいいよ』ってものだけリスト化して、それ以外は使えないって感じ。……今言ってた、料理のレシピとかもそうだな」
「……つまり、書かれてないことやっちゃうと」
透の言葉を繋ぎ、俺は両腕を開いて見せた。
「味の保証はしないぞ、と。その辺り、透なら校則、俺なら就業規則とかになる」
「へぇ、なんか面白いね。見方を変えただけなのに。……でも」
すうっ、と透の声のトーンが低くなり、冷たさが滲む。
「私にも、あった方がいいと思った? ネガティブリスト」
「……っ!」
鋭く踏み込んでくる発言だったから、俺は動揺してしまったが、やがて首を左右に振って見せた。
「いや……考えてないよ、そういうのは。以前も言ったけど、透には自由でいて欲しいし、何かで縛ったりしたくない。でも、俺も弱気になってたから、そういうリストが目に入っちゃったんだと思う」
「……悩んでる?」
透は夜空を見上げながら、聞いてくる。
ベンチと自動販売機。
少し離れた立ち位置が、透も俺との距離感を測りかねていることを、如実に表しているように思えてしまう。
俺は一度、重いため息をこぼした後、ぬるくなってしまったコーヒーをあおって、答えた。
「一つ、言いたいことというか、禁止事項はあるけど……それはまあ、やっぱりよくない気がするしな……」
「……別に、言ってくれてもいいのに」
「いや、無理をさせることになりそうだし……」
何気なく漏らした言葉だったが、聞き遂げた透の表情は冴えず、どこか冷めた雰囲気だったから俺は、ぎくりとする。
やがて透は空になった缶をゴミ箱へ入れ、俺の顔を一度見た後、目を伏せた。
「伝わってるって、思ってた」
「え?」
透は俺に背を向け、あのビルへ視線を投げながら、ぽつりと呟く。
「ライブが終わった後、あのビルの前で。……私が交通事故を起こしたら、『責任を一緒に取ろう』って」
「あ、ああ。けど、それが……?」
透は振り返らないまま、言葉を続ける。
「だから多少ムリしても、いいと思ってた。……でも、言ってくれないんだね、『辛いかもしれないけど、頼む』って」
「あ……」
そう言われ、俺は改めて、あのビルの前でのやり取りを思い出す。
確かに、透はもし交通事故を起こしたら、『取ってくれるんでしょ、責任。一緒に』と俺へ告げた。
だがそれは、俺がつまづいた時も一緒に、という意味だとしたら……?
「……伝わってるって、思ってた。その時は私も背負うから、一人で何とかしようとしないでって。……なんか、ずっと前にもこういうやり取り、あったね」
「WINGの時の……?」
背を向ける透の髪先が夜風に揺れ、俺にはそれがひどく寂し気なものに見えてしまう。
そんな風に距離が開けてしまったのは、きっと俺の無責任な言葉が原因だ。
「ずいぶん、時間も流れたから。……もう、大丈夫って思ってたんだけど」
「と、透……」
透は公園の柱時計に目を向けた後、どこか淡々とした口調で言った。
「ゴメン。私も今日はちょっと、ヘンみたい。……気にしないで、次会った時はいつも通りだよ」
そして透は家へ向かって、歩き出す。
時刻はもう七時に近く、周囲の人影も少ない。
けど今、その背中が夜闇へ消えて行くのを見届けられる自信がなかったから、俺はベンチから腰を上げ、思い切って口を開いた。
「ま、待ってくれ、透! さっき、よくないって言ったのは、頼りにしてないとかそういう意味じゃなくて……!」
ぴたり、と透の足が止まるが、もう少し踏み出せばその背中は夜闇と雑踏の中へ消えてしまうだろう。
だから、俺はそれを引き止めるようにためらっていた言葉を口にした。
「一つだけあるんだ、禁止事項」
「……ネガティブリスト?」
「ああ。俺自身、まだいろいろ動揺してるから言えなかったんだけど……」
「……?」
やがて、俺は背中に戸惑いを滲ませる透へ告げた。
「禁止したいのは一つだけ。……もう、『カレシ』は勘弁して欲しい」
「えっ」
そして透は驚いた表情で、こちらへ振り向く。
俺の脳裏に映画館の裏口で、知らない男性と並んで立っている透の姿が思い出され、下唇を噛んでしまった。
「頭が真っ白になるから、さ。……俺が頼みたかったのはそれだけだ」
「プロデューサー、それって……」
透は目を瞬かせて俺を見るが、こっちはこっちで何を言っているのか把握しきれない。
だが相当、恥ずかしいことを口にしてしまったのは自覚できていたため、俺は透から顔をそむける。
「じゃ、じゃあ、そういうことだから……! 透も帰り道、気を付けてな!」
そして、今度は俺が背を向け、事務所への道を歩き出す。
だが、『夕食の時間だから』と言っていたはずの透がすぐに追い付き、結局、並んで歩く形となってしまう。
「……えっと、プロデューサー」
透はややうつむき加減のまま、小さく呟く。
その耳先はさっきから変わらず赤いが、それは頬も同じだ。
急いで走り寄ったから、と言いたいところだが、息が切れるほど遠くにいたワケでもなかったから、俺の胸にもどかしい感情が湧き上がる。
やがて透がささやくような口調で、俺に言った。
「ね、さっきの返答だけど」
「……」
そして、声を潜めて告げた。
「約束はできないよ、その頼み」
「え?」
驚いた俺が足を止め、隣へ顔を向けると透は悪戯っぽく笑って答える。
「突然だったから、聞き逃しちゃったんだ、さっきの言葉。……もう一回、聞きたいな」
……絶対聞こえてたクセに、と思いつつ、俺は事務所への足を止めない。
「残念だ。さっき透が言った通り、同じチャンスは二度来ないのが、この業界だから」
「減るものじゃないし」
「増えても困るんだ。今回は諦めてくれ」
「えー、いいじゃん。結構きたよ、バチーンって」
透は目を細め、嬉しそうに微笑みながら、そんなことを口にする。
その距離感はすっかりいつものものだったから、俺は内心で胸を撫で下ろしてしまう。
そして、そんな俺の反応を見た透が不意に告げた。
「じゃあ、私からもいい? 一つだけ」
「……? 禁止事項か?」
「うん」
「それは構わないけど」
俺は深く考えずに頷いたが、透は一度だけ瞳を閉じ、悪戯っぽい口調で言う。
「プロデューサーもダメだよ、『カノジョ』は」
「えっ」
驚く俺に透は口元に淡い微笑みを覗かせながら、こちらを見上げた。
その瞳が痛切に俺の返答を待っているように思え、ほとんど衝動的に言葉が口を突いて出る。
「……元々、そのつもりはないから心配しなくていい。制限ってほどでもないし」
自分でも驚くほどストレートな言葉だったが、それだけに本心だと言えるし、それは伝わったらしく、透はほのかに頬を染めて、「うん」とだけ頷いた。
そして、息苦しさのない沈黙が落ち、やがて透は左手の小指を差し出した。
「なら、約束」
「あ、ああ、指きりか。……?」
「どうしたの?」
「いや、透って右利きだったよなって。なのに」
俺が視線をその左手に向けると透は、「あー……」と声をもらす。
「ドラマで見たんだ。幸せは右の小指から入って、左の小指から逃げるって。……消えちゃわないように今ここで、捕まえておきたいから」
「そ、そうか……」
何気ないようで、大きな意味もありそうな仕草だが、「逃げないように、消えないように」という気持ちは同じだったので、俺は自分の右手の小指を透のソレに絡める。
「……ん」
冷えた冬の素肌が触れ合い、吐息のような透の声が耳へ届く。
そこには安心と信頼が滲んでいるように感じられ、俺もくすぐったい気持ちになる。
まして、初冬の夜空の下だというのに、驚くほどその体温は高く、熱い。
流石の俺もその原因がホットコーヒーだけだとは思えなかったので、結んだ指に力がこもってしまう。
「……ありがと、プロデューサー。ホントはさ、不安だったから、いろいろ」
そして透はそう答え、繋がった小指越しに、より高くなった暖かさを伝えてくれる。
公園の小道で、俺達はしばらくそのままの恰好で立っていたが、やがて透は名残惜しそうに指を離す。
俺も身体が熱を持っているのを自覚しつつ、意識して声を出して、次の提案をした。
「じゃあ、スーパー寄って帰るか。お腹も空いたし」
その言葉をどう受け取ったのか、透は「ふふっ」と笑って答えた。
「そうだね、一区切りできたし。……もちろん、夕食代はプロデューサーのオゴリだよね?」
「残業手当としては、些細なモノだけどな?」
「うん、それで手を打つよ。今回は。……もう貰っちゃったから、たくさん」
そんなことを言い合いながら、俺達は夜道を歩く。
クリスマスへ向けたイルミネーションが街路樹の枝先に見え、季節に合わせて街は様相を変えつつある。
ケーキの予約を受け付けるコンビニ、スーパーのチラシにも赤と白の彩りが多く見られ、透は軽い足取りで、輝く時を待つ電飾達を楽しそうに見上げていた。
そして俺は再び、あのビルの立っている場所へ視線を向ける。
「街はつづく、人生みたいに……か」
俺はその光景を眺めながら同じ言葉を呟いたが、唇に乗った重さはさっきよりずっと軽い。
気が付くと透もビルを見て、静かに笑っていた。
「でも、それも悪くないって気がするよ、今は」
「ああ、そうだな。……俺も、そう思うよ」
ファンのこと、クライアントのこと、お金のこと、ネットのこと。
きっと、これから先も問題は山積みで、頭を抱える場面は多いのだろう。
でも、もうそれを恐れる必要はない。
今日のように気持ちを言葉にして、話し合い、一緒に決めていけばいいだけの話だから。
「今更って感じだな、我ながら……」
「いいじゃん、遅くても早くても。気付かないより、ずっと」
けれど透はそう言って微笑み、こちらを見上げてくれたから、それで充分だと俺は思う。
「よし、じゃあ、今日の残業時間は予定の半分で済ますぞ! 透、頼めるな?」
俺が言うと、透は涼し気に微笑んだ。
「うん、任された。……一緒にがんばろ、プロデューサー?」
透はそう答え、拳を突き出して来たので、俺もそれに合わせ、こつんと拳をぶつけ合う。
一瞬触れた手のゆくもりに、「……これはこれで、バチーンって来るなあ」と感じた俺は思わず苦笑してしまう。
やがて雲が晴れ、星が瞬く空を見上げながら、俺達は事務所へ向かって歩き出した。
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そしてこの出来事以降、透は時々瞳を閉じ、右手で左手の小指を大切そうに包み込む仕草を見せるようになった。
その祈るような姿を見る度に、俺も繋いでいた右手の小指に暖かな熱が宿ることを感じるのだが、それはお互いのネガティブリスト同様、誰かに語られることはない。
ふと目が合った時、俺は右手を振り、透は左手を振る。
それはたった一つの禁止事項が生んだ、二人だけの秘密の形。
きっと、この先もいろいろな困難はあるんだろう。
だがこの暖かささえあればどうにかなる気がして、俺もまた何かと右手の小指を見る癖がついてしまった。
そして、不思議に思った社長やはづきさんにつっこまれ、慌てて誤魔化すのだが、それはそれでまた別の話である。
こんにちは、キョクアジサシです。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
Landing Pointでいろいろ感じたことがあり、それらの点を自分なりにまとめてみました。
GARDもそうでしたが、いつも予想できない方向性のシナリオが来るので、次はどうなるのか今から期待が高まりますね!
重ねて、お読みいただき、ありがとうございました!