運命に噛みついたウマ娘。 作:うまだっちシステム。
第3コーナーに入った辺りで、アグネスタキオンの速度が僅かに落ちた。
それを敏に察知したクロフネは、此処が勝負所だと見定める。バ群が沈む、深海の奥深くに引き摺り込まれるように他のウマ娘が速度を落とす中、クロフネは自らの身体能力にモノを云わせて駆け上がった。現時点で、同世代の中では最も高い筋力を持つのはクロフネだ。海外産まれ、海外育ちの優れた肉体を見せつけるように先頭を走るアグネスタキオンを外から抜き去った。
更に距離を稼ごうとするクロフネに、ジャングルポケットもまた負けじとアグネスタキオンを抜いてクロフネの背中を追いかける。
世界記録に匹敵する超々ハイペースだ。
常識的に考えて、前残り確定の状況でクロフネとジャングルポケットが抜け出す。
逃げるクロフネ、追うジャングルポケット。最終コーナーを曲がっての直線、少々外に寄れてしまったジャングルポケットが、渾身の力を振り絞る。勝負は二人の手に委ねられた──と実況が声を上げたその時、急激に失速する。残り200メートル。中山レース場、最後の難関。距離70メートル、高低差2.2メートルという坂に脚を踏み入れた瞬間、2人の脚がガクガクと震えて思うように動かなくなった。そこが世界最速のペースで走り続けた二人の限界だった。体力は尽きた、筋力は摩耗し切った。勾配2.2%が、二人にとって壁のように立ち塞がる。
それでも二人は意地と執念を見せつけた。蹴り上げる事が出来ない脚を太腿で持ち上げて、膝から地面に叩きつける。勝利、ただそれだけを目指し、クロフネとジャングルポケットの二人が坂を懸命に登る。常に全身全霊、最初から最後まで全力疾走。全てを出し切った今、二人に残されたのは根性だけだった。
そのガス欠の二人を、嘲笑うように抜き去ったのは白衣の栗毛、アグネスタキオンだ。
第3コーナー、アグネスタキオンは体力が尽きた訳ではない。
息を入れた。抜かれるのも構わず、このペースでは最後まで走りきれないと脚を抜いて、僅かに体力を温存した。
ただ、それだけだ。それだけの差が、クロフネとジャングルポケットとの致命的な差を生み出した。
そして、それは彼女達を大波の中に引き摺り込む事になる。
『アグネスタキオン! 続いてハッピーミーク、ゴールドシップ! ゴ、ゴールドシップ!? 最後方から何時の間にかゴールドシップ!!』
白毛と芦毛の二大巨塔が、先頭を走る超高速に挑んだ。
最終コーナー手前、ハッピーミークはアグネスタキオンをマークしていた。
第3コーナーで周りの速度がガクッと落とした時、ハッピーミークは速度を落とさずにコーナーを曲がり、一息入れたアグネスタキオンの背中まで距離を詰めた。その後はアグネスタキオンがスパートを仕掛けるタイミングで同時に勝負を仕掛ける。
特別な何かがあった訳ではない。
問題なのは、ゴールドシップ。
沈むバ群の最後方、体力の尽きたウマ娘は脚に踏ん張りが効かず、中山レース場の小回りなコーナーで大外にヨレる。得意の三角捲りを狙ったモミジもまた波に攫われるように他のウマ娘達によって大外の外へと流されてしまった。すると当然、開くの内。ゴールドシップが狙ったのは最内だ。まだ何名かのウマ娘が必死に内埒にしがみ付いていたが、もう踏ん張りの効かないウマ娘を内から蹴散らすなんてゴールドシップにとっては造作もない事であった。
沈んだバ群から浮上する。深海の奥深くから浮上する船の名は、ゴールドシップ。前の世界では、不沈艦と呼ばれた彼女が最後の直線を前に抜錨する!
『なんで、お前がソコにいる! いつの間に此処まで上がっていた!? 黄金船は時空を跳躍する術を持っているのか!?』
白い長髪、しなやかに伸びた肢体。
大跳びのストライドは大海を掻き分けるバタフライのように芝を駆け抜ける。彼女の肉体はジュニアクラス相当、しかし、その能力は既にクラシッククラス。
誰かが見せた黄金の旅路、その夢の先を彼女は紡いでいる。
中山の坂を駆け上がるのは、
『前からアグネスタキオン! ハッピーミーク! ゴールドシップ! 坂を懸命に駆け上がる!!』
以上三名に勝負の行方は絞られた。
◆
クロフネは最後の坂で脚が進まなくなった。
自体重すらも満足に支え切れない。ピッチ走法も難しい、地面を押すように坂を駆け上がる。
それでは追い付けない。ハッピーミーク、ゴールドシップにも抜かされた。
もう私のやるべき事は、どれだけ順位を維持できるのか。という段階に切り替わっている。
せめて、掲示板内。その為に歯を食い縛って走っている。
「…………?」
その時、クロフネの頬に熱いものが当たる。
隣を走るウマ娘が、未だ諦めず、前を目指して坂を登っていた。
もう勝てない、もう無理だ。そんな事は彼女にも分かっている。
それでも彼女は諦めず、懸命に手足を動かしていた。
「ち……く…………しょう……っ! うぅ…………くぅ……っ!」
ジャングルポケットの身体は、闘志ではなくて悔しさで動かされていた。
最初の違和感は最終コーナーでアグネスタキオンを抜かした時、確信に至ったのは坂で抜かされた時だ。
アグネスタキオン、彼女の顔は前に向けられていた。
抜かした時、自分には一瞥もせず、その瞳は自分よりも遥か先を見つめていた。その瞳が、ゴールを目指しているものであれば、まだ良かった。しかし坂で抜かされた時の彼女は、自分に一瞥もしなかった。視界にすら入っていなかった。口元は歓喜に満ちていたが、先頭に立った喜びもなければ、感動もない。
文字通り、自分は彼女の眼中にもなかったのだ。
「はぁ……はぁ……わた……しを! ……私、を……見…………ろ……!!」
それが悔しかった、怒りが込み上げてきた。
でも、彼女の後塵に配した今、再び彼女の瞳に入る事は叶わない。
彼女は追いかける。自分とは違う何かを目指して駆け上がる。
どんどん遠くなる背中に、苦汁を噛み締める。
絶対だ、絶対に追いついてやる。何時の日か、必ず、ギャフンと言わせてやる。
「……振り…………返れ……よぉ……。こっちを、見てくれ……よぅ…………」
ただの敗北よりも辛い現実は、血の味がした。
◆
処変わって先頭争い、ゴールドシップは知覚する。
先頭の更に先を走る黒いモヤの存在を知り、そして、それがアグネスタキオンに過度な影響を与えている事を察した。
地面を大きく踏み込んで、その身を引っ張り上げるように地面を蹴った。加速する、坂道だってなんのその! 最後方から加速し続ける衰え知らず末脚は、規格外の3冠ウマ娘を彷彿させた。
今、先を走るアグネスタキオンは、自分の知る彼女よりも更に先へと到達している。スタート前までは正直、勝てると思っていた。前の世界の自分では勝てなかったかも知れないが、今は積み重ねてきた経験がある。サボりがちなトレーニングも熟してきた。方法はアレだったが、真面目にトレーニングを積み重ねてきたのだ。
レースの作法を教えてくれたのは、大叔母様。走り方を教えてくれたのも、大叔母様。自分が好きに生きられるように必要な事は叩き込んで、その上で自分のやりたい事は遠くから見守ってくれていた。自分はきっと、メジロの御嬢様から程遠い。
それでも胸に刻まれたメジロの誇りは、一時だって忘れた事はない。
前の世界、彼女の人生は史実とは別の歩みをしていた。
彼女の、未来の姿を知っていた大叔母様と呼ばれるウマ娘は、彼女にある教えを授けた。
貴女は自分の好きにやっても良い、好きなように生きたら良い。ちょっとくらい道を踏み外す事もあります、何度だって失敗しても構いません。その上で言います、何か事を為す時は自分の胸に問い掛けなさい。やって良い事と悪い事の区別を付けなさい。正しく、模範的に生きろと言っている訳ではありません。貴女には分かるはず、人生には必ず真剣になるべき時があります。その時を決して、見誤らないようにしてください。
自分自身に、胸を張れる生き方をしなさい。
黄金船の名を持つウマ娘。前の世界では、不沈艦とも呼ばれていた。名優2世と呼ばれたウマ娘が居た。
URA公認、顕彰ウマ娘のリストに彼女の名前がある。
その名の下に刻まれた主な優勝歴には、宝塚記念3連覇の文字。史上初となる同一GⅠ3連覇を果たした時、今は大叔母様。メジロ家の最高傑作と呼ばれたウマ娘はインタビューにて、「今はもう御家は亡くなりましたが、あえて言いましょう。メジロ家の最高傑作はゴールドシップです」と告げた。
そこから付いた二つ名が、名優2世。メジロの名を受け継げずとも、親愛する大叔母様の異名を引き継いだ。
しかし、それも存外に嬉しい事だったが、彼女にはもうひとつ、お気に入りの異名がある。
黄金旅客船。
秋のグランプリ1勝、春のグランプリ3連覇。春秋グランプリの出走回数は7回。
ファン投票から当たり前のように選出されて、その背中に夢と浪漫を乗せる。優勝回数は史上最多の4回、宝塚記念の頭文字と彼女の名前から取って、黄金旅客船。記録に残るのは当然だが、それ以上に記憶に残るウマ娘。
皆と共に走る、その異名が彼女は大好きだった。
ゴールドシップは沈まない。
胸にメジロ家の誇り、背中にはファンの夢と浪漫を乗せて、中山の坂を駆け上がる。
史実ゴールドシップも、ファンの声援を浴びて力を発揮する競走馬であった。
◆
ゴールドシップとハッピーミークが、1バ身先を行くアグネスタキオンを追いかける。
心臓は今にもはち切れそうで、酷使された肺が痛み出す。酸欠で頭痛を発し、視界は暗く、意識は朦朧とし始めた。それでも走り続ける、それでも全力を止めようとしない。先に堕ちたジャングルポケット、クロフネとの違いは潜ってきた修羅場の数。そして自分よりも格上の存在と戦い続けてきた経験だ。
一度、ゴールドシップは心が折れ掛けた事がある。
有マ記念、オルフェーヴルのラストラン。
絶対に敵わない相手がいる、と心の底から思った事がある。
同様にハッピーミークにも経験がある。
海外遠征、日本と世界の隔絶した差には絶望した。
しかし、二人は乗り越えた。
走る意欲を失わずに、ひたすらに勝利を目指す。
壁を乗り越えた彼女達は更なる成長を求めて走り続けた。
その結果、ゴールドシップは宝塚記念3連覇。ハッピーミークは怒涛の8連勝。
挑戦心を失わず、今一度、壁を乗り越えようと中山の坂を駆け登る。
『勝負の行方は……勝者は、坂を登り切ってアグネスタキオン! 伸びる、伸びる、まだ伸びる! 突き放す、これは強い!! もう誰も追いつけない、抜けた! 超高速のプリンセス、悠々と一人旅!!』
体力は枯渇した、気力を振り絞っている。限界を超えている。
それでも届かない。その差はひとつ、アグネスタキオンは息を入れた。
ただ、それだけだ。その一息が決定的な差を生み出した。
加速する。限界の果て、速度の向こう側を目指して、芝を蹴る。
追い求めるのは、ひとつの理想。静寂なる日曜日。漆黒のウマ娘、サンデーサイレンス。
彼女が第3コーナーで息を入れたのは何故か?
スパートの瞬間を見たかった為だ。コーナリングもよく観察したかったが、それよりも彼女が発揮する最高速の方が気になった。
最後の直線。速度を一切緩めず、更なる加速を施す。
ただ己の欲望に従って、好奇心と探究心を満たす為にアグネスタキオンは後方をぶっち切った。
評価、感想、お気に入り、ここすき、誤字報告などありがとうございます。
助かっております。気分よく創作をさせて貰っています。
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アンケート打ち切りました。