すっかり荒れ果てた大地の片隅に、オアシスと呼ばれる小さな街がありました。その街はいつもモクモクと白黒の煙を吐き出していて、空は鈍色に輝いていました。そして、そこに住む人々は明るく楽しく過ごしていました。時々濃いグレーの雨が降るけれど、人々の笑顔が曇ることはありませんでした。
でも、ある時から人々に、ひとつ悩みの種が出来ました。手や脚が欠けた子供がたくさん生まれるようになったのです。皆は知恵を振り絞って、からくりの手脚を作り出しました。からくりはやがて人の身体の全ての部位を肩代わり出来るようになっていきました。でも一つだけ作れない物がありました。それは、人の心でした。
ある日、旅人がやって来ました。遠い遠い国からやってきた彼は、からくりの身体をきらきらした顔で眺めていました。彼は、旅の途中で手に入れたという、手のひらほどの大きさの機械を取り出しました。
「これは、からくりで出来た『心』だ。だけど、僕は身体を作れない」
誰かが言いました。
「それなら、僕たちが作った『身体』にそれを入れてみよう」
そうして、オアシスに新たな仲間が産まれました。これが、身も心もからくりで出来た、『ドール』達の誕生です──
※
『人形劇』が終わり、幕が閉じると、小さな劇場は子供たちの拍手に包まれた。支配人のエドはその反応を見て、カーテンコールをする事に決めた。閉じた幕が再び開くと、キャストのドール達が各々に挨拶の仕草をした。
手を振ったり、お辞儀をしたり。その動きは滑らかで、どんな人間より優雅にアリスの目には映った。
新入りであるアリスの仕事は受付と案内。それと、お客様に紅茶を振る舞うこと・・・・・・。実は、これが意外と人気なのである。『小さなお茶会』と名付けられたこのアリス専用のブースは、小さな劇場の隅に確かな立ち位置を確立していた。
空色のワンピースに白いレースのエプロン。光を編んだような金髪。オアシス最高の職人が仕立てたドールである彼女は、キャストでこそ無いがこの劇場の目玉だ。舞台に立たされないのも、万一のことがあってはいけないという支配人の親心であった。最も、その気遣いこそがアリスに少なからず疎外感と焦燥感を与えてもいた。
(私もお芝居がしたいな。くるくる踊って、台詞を話して、お歌を歌いたいな)
まだ客席から人は流れてこない。アリスのブースからは舞台と客席を横合いに眺めることが出来た。今は舞台以外の照明が落とされているから、ほとんどこちらは目に入らないだろう。
アリスは産まれたばかりだった。彼女にとって人間もドールも、大して変わりはない・・・・・・どころか全く同じものに見えた。話し、笑い、踊ったり走ったり。どこが違うのだろう。アリスはスカートをそっとたくし上げ、自分の脚を見た。
ハイソックスに包まれた球体関節。白い樹脂。蝋のように滑らかで固い『肌』。自分の手を見つめてみる。繊細な指の造形。不自由したことなど何も無い。人間だってからくりの手や脚を付けている。何が違うのだろう。
アリスがしばし思索に耽っていると、一人の少年がお茶会に来た。
「紅茶をください!」
「はあい。ちょっと待ってね」
アリスがティーポットからカップに紅茶を注ぐのを、少年はまじまじと見つめていた。視線に気付き、アリスは首を傾げながら紅茶を渡す。
「私、なにか付いてる?」
少年がはっとして、慌てたように首を振る。
「なんでもないよ。いただきます」
「そう。熱いから気を付けてね」
少年は注意深く紅茶を啜っている。子供に紅茶の良し悪しが分かるのだろうかと、アリスは一度支配人に尋ねたことがある。彼は「分からないことを増やすのが子供の仕事なんだよ」と笑った。アリスにはよく分からなかった。
「ねえ、アリス。君はお芝居はやらないの? 僕、アリスが舞台に立つところ見てみたいな」
少年の言葉にアリスは困ったように微笑んだ。そうしたいのは彼女自身も山々だ。
「私の仕事はお茶を振る舞うことだから」
「ドールって大変だね・・・・・・。言われたことだけやらないといけないんだ」
「人間は違うの?」
「違うよ・・・・・・あれ? 同じかも。宿題、お勉強、大人になったらお仕事。うん。同じだ」
「ふふっ、変なの」
アリスがくすくすと笑うと、少年はあっけに取られたように動きを止め、そして目を逸らす。
「ねえ、アリス。その・・・・・・お願いがあるんだ」
「うん。なあに?」
少年はもじもじと言葉を詰まらせた後、「ごめん、やっぱりなんでもない!」と言い残して駆け出して行った。ここの紅茶はサービスだから何の問題もない。ただ、アリスの中に解きようが無い疑問が産まれただけだ。
(なんだったんだろ。まあいいや)
その後も何人かのお客様に紅茶を差し出し、やがて劇場には誰も居なくなった。店じまいの準備を終えると、支配人がアリスの元に現れた。
「今日もお疲れ様。繁盛していたね」
「うん。でももしかしたら私、なにか失敗しちゃったかも」
「ほう?」
アリスは先程の少年の話をした。なぜ結局お願いを言わずに駆け出してしまったのだろうかと。支配人はそれを聞くと笑い出す。
「どうかしたの」
「いや。まあ、とりあえず君は何も間違いなんてしてないよ。それと、その子はまた君を訪ねて来るだろうね」
「どうして分かるの?」
「大人の勘かな」
「ふぅん・・・・・・」
支配人はアリスの頭を撫でると、そっと抱きしめた。アリスも真似をするように、それに応じる。
「君は特別なんだよ。僕にとっても、その少年にとってもね」
「分からないよ、そんなの。私と他の子の何が違うの? 人間とドールは何が違うの」
「きっと分かる時が来るよ。今はただ、分からないことを増やすんだ。アリス」
アリスはしばし黙っていたが、ゆっくりと頷いた。
※
アリスの住処は支配人の家だ。他のドールは劇場の専用の部屋に保管されている。そこでは専門の整備士が一手に彼等の面倒を見ていた。だが、アリスだけは支配人と共に過ごし、支配人自らが整備を行っていた。つまり、キャスト達はあくまで劇場の備品だが、アリスは支配人の私物だった。それをアリス自身は知らない、あるいは理解していないのである。
アリスは手脚を外された状態で椅子に座っていた。支配人がテーブルで彼女の手脚を整備している様子を、ただぼんやりと眺める。
「よし、出来た。次は君自身だね」
「うん」
支配人がアリスの服を脱がせる。ドールの顔と胴体部分は四肢と違い、不思議な弾力がある素材で覆われている。衝撃や水分から中枢を保護するためだ。アリスはどうせなら手脚もこの素材で覆ってくれたら良いのになとちょっと思う。そうしたらもっと人間みたいなのに。
自分のお腹が湿らせた布で拭かれて、濡れるのを眺める。次に胸が濡れていく。多分、背中も。目を閉じると、分からない。自分の世界は目と耳だけで出来ている。人間は触られると分かるらしい。濡れているとか、傷付いているとか。どうして分かるのだろう。人間は、色んなことが分かる。
支配人がアリスの手脚を付け直し、髪を櫛で梳く。彼は決まって最後に小瓶の液体を吹きかけた。終わりの合図だとアリスは認識していた。
「はい、おしまい」
「ありがとう。ねえ、いつも吹きかけるあれは何?」
「ああ、ドール用の香水だよ。いい香りがするんだ」
「香り・・・・・・ってなに?」
「なるほど、確かにそうか。うーん、説明が難しい。というか不可能だね」
「どうして?」
「分からないから、としか言いようがないな。もしドールの設計技術が進化すれば、分かるようになるかもね」
支配人が困った顔をする。アリスは自分の手で身体を撫でてみる。何も分からない。目で見て、初めて触っているのが分かる。片付けをしている支配人の背中に、アリスはそっと触れてみた。
「どうしたんだい?」
「・・・・・・やっぱり分かるんだね」
「そりゃあね。もしかして、羨ましいのかい?」
「羨ましいって、なに?」
「いや、気にしないでくれ。でもまあ、確かに君からしたら不思議なことだろうな。見てもいないのに分かるなんてってさ」
アリスは頷く。そして、服を着せてくれようとする支配人を手で制した。
「アリス?」
「ねえ、抱きしめて。夕方よりもっと強く・・・・・・。そうしたら、分かるかもしれない」
「・・・・・・」
アリスは目を閉じる。何も感じない。耳元で支配人が「アリス」と囁くのが聞こえた。目を開くと、自分の身体はすっぽりと彼の身体に抱きとめられていた。でも、何も伝わって来なかった。アリスは意識せず「もっと」と呟く。
「え?」
「もっと、強く」
「だめだよ、アリス。壊れてしまう」
「いいの。いいよ、壊れるくらい抱いてよ。お願いだから」
アリスの声が震える。それを聞いて、支配人はアリスをベッドに横たわらせた。
「・・・・・・支配人?」
「普段は壊したらいけないからこんな事しないけど、今日は特別。一緒に寝よう」
「いいの?」
「ああ。それにしても、君はやっぱり特別だ。本気で寂しがるドールを僕は初めて見たよ。少なくとも、そう僕は感じた」
「本気・・・・・・私、本物なのかな。それともやっぱり作り物なのかな。なんだか苦しいような、穴が空いてスカスカなような、変な感じなの」
「君が感じていることが、君にとっての真実で君の全てだ。自分を信じることだ」
アリスの身体が支配人と共に毛布に包まれる。毛布の中は見えないけれど、アリスには『それ』が確かに分かった。
「ねえ支配人。そのまま私の手、離さないでね」
「・・・・・・ああ、分かってるさ」
おやすみ、アリス。その言葉に彼女はゆっくりと目を閉じた──。
※
朝、支配人のエドが目を覚ますと、アリスは変わらず静かに横たわっていた。ドールは持ち主の音声によってスイッチが切り替わる。だからエドが声を掛けるまでアリスは眠り続ける。
彼が身体を起こすと、毛布がめくれてアリスの身体が露わになった。そういえば、昨日アリスに服を着せるのを忘れていた。女の子に悪いことをしてしまったなとエドは反省する。
アリスの部屋に起こしに行くのが朝の日課だったが、こうして寝顔を見ながら朝を迎えるのも悪くはないかもしれない。どこか踏んでしまったりして壊しそうなので何度もやりたくは無いが、既に一度提案してしまった以上、アリスはもう引いてくれないだろう。
おはよう、と声を掛けようとしてエドは留まった。アリスの『肌』が窓の光を弾いて柔らかく輝いているのに目を惹かれた。乳頭の無い、ただなだらかな膨らみがあるだけの胸。
そっと撫でてみると、鼓動も熱も無い、シリコンの無機質な柔らかさが伝わる。彼女はただの人形だ。それでも妙な背徳感が込み上げてきて、エドは少し自己嫌悪に陥った。
(むしろアリスが人間であれば、僕の感情は正当化されたのかもしれないな)
エドは人間不信だった。何故そうなったのかは今となっては思い出せない。ただ、この人形だけの劇団をやるようになったのも、この気性によるものだ。
どうして人が怖いのだろう。そうだ、思い出した。人は変わりすぎてしまうからだ・・・・・・。たまらなくなってエドはアリスを抱き締める。力無く垂れ下がる腕にエドは死を連想した。
「おはよう、アリス」
その声にアリスの目が開かれる。アリスは意識を取り戻すなり自分が抱き締められている事に気付き、そして自分が服を着ていない事を思い出し、慌てる。
「支配人・・・・・・! あ、いや、エド。あたし今、その」
エドはアリスを離さなかった。アリスは困ったように瞳を左右に揺らしたあと、観念したようにエドの頭をそっと撫で始めた。
「エド、恥ずかしいよ」
「どうして?」
「どうしてって、そりゃ服を着てなかったら恥ずかしいよ。今までこんな事無かったもの」
その言葉にエドはそっと身体を離して、アリスの胸に触れた。指がアリスの『肌』に柔らかく食い込む。
「・・・・・・どうしたの?」
首を傾げるアリスに何も答えず、エドの指が滑っていく。みぞおち、下腹部、鼠径部。その動きをアリスは不思議そうに見つめていた。
「エド・・・・・・?」
彼はふっと笑い、「なんでもないよ」とアリスの頭を撫でた。服を手に取り、アリスに着せる。その顔が何故か寂しそうに見えて、アリスは戸惑った。
「怒るかなと思ってさ」と、エドがアリスの胸の内を読んだように言った。
「なんで怒るの?」
「女の子を弄ぶような事をするなって」
「うーん、よく分かんないや。怒られたかったの?」
「そういう趣味はないかな。でもまあ、気になったんだ」
「変なの」
髪を梳かしてもらう間、アリスはエドの行為の意味を考えた。でも、何も分からなかった。服も髪もすっかり整って、アリスはベッドから立ち上がる。
「今日も綺麗だよ」
「うん。ありがと」
まだ寝巻きのエドが立ち上がり、服を脱ぎ始める。そういえば人間の身体はドールとは少し見た目が違うな、とアリスは思った。胸や股の辺りが顕著だ。アリスは気になってエドの股に『ぽん』と触れた。
「わーっ!?」
「ひゃあ!?」
聞いたことも無い素っ頓狂な声にアリスも飛び上がる。エドは目を白黒させながらアリスを見た。
「突然何をするんだ、アリス」
「えっ、ご、ごめんなさい。特に意味は無いの。気になっただけで」
エドは得心したように「ああ・・・・・・」と頷き、謝った。
「いや、君は悪くない。間違いなく僕が原因だ」
「・・・・・・あたし、何か変なことしちゃったの?」
「とても説明が難しいね・・・・・・」
「そっか」
とりあえず、何か人間特有のデリケートな事柄なのだろうとアリスは理解した。そういう物があるのは経験的に知っているし、気にしすぎても仕方がない。
「今日もお仕事、頑張ろうね」
そう言って、食事を摂る必要がないアリスはいつものように先に家を飛び出し、劇場に向かった。お茶会の準備をして、劇場を見回って時間を潰すのがアリスのルーティンだった。
アリスが劇場をぶらぶらしていると、整備士のカリンがドールをステージに運んでいるのが目に入った。男性的な短い髪と、豊かかつ引き締まった身体付き。そして気性は男勝りという、アリスからすれば矛盾の塊のような存在で、とても興味を惹かれるのだった。
「おはよう、カリンさん。他の子の具合はどう?」
「悪いわけがないさ、あたしが見てるんだから。アリスも元気そうだな。あいつも整備士になれば良かったのに」
「支配人はとても丁寧にお手入れしてくれるよ。でも今日はいつもとちょっと違ったの」
「うん?」
カリンが眉を上げる。アリスは少しもじもじしながら今朝のことを話した。
「私が寂しがったから、いつものお手入れの後、初めて一緒に寝たの。朝起きたら支配人が私のことを抱き締めていて、恥ずかしいよって言ったら私の身体を撫でたの。その、私その時は服を着ていなかったから」
アリスが、エドが触れた軌跡を指で同じようになぞった。最後に示した場所を見て、なぜかカリンが眉を顰める。
「変なコトされなかっただろうね。いや、これは『侵犯』か・・・・・・。忘れておくれ」
「え? 私、なにかいけないことしちゃったの?」
不安そうなアリスに、カリンははっきりと首を振った。
「そういう訳じゃない。あんたが嫌なことをされてないならそれでいいんだよ。それに、他人のドールとの関係を詮索するのは厳密には違法だからね」
侵犯とか違法とかは、アリスには分からなかった。ただ、エドが自分の身体を抱き締めたり、感触を確かめるように触れてきたりするのは、むしろ嬉しかった。作り物でも求めてもらえるのだという幸福感。アリスは微笑んでいたのだろうか。カリンはアリスの顔を見て、ふっと笑った。
「なんだい、よろしくやってるみたいじゃないか。ま、もし機体に負担がかかるような真似をされたら、すぐチクるんだよ」
「はあい」
アリスはお辞儀をして、また散歩に戻った。ふと思い付いて、誰も居ないステージに上がる。今は演出用ではない、通常照明だけ点いていた。アリスは無人の客席にカーテシーをして、バレエを踊り始める。振り付けは、人間のバレリーナがやっていたのを真似ているだけだ。そのバレリーナは義足だった。
ドールの義足は股関節から義肢化するタイプの物が使われている。腰骨と股関節に当たる部分に、人間と可動域と同程度のアクチュエータがあり、ジョイントを介して接続される。
動力は電気。胴体の中心部に据えられた『電晶』と呼ばれる部品が動力を生み出している。これは人間の神経信号と同じ程度の電力を半永久的に生み出す事が出来る。これと『電縮繊維』と言う繊維で出来た人工筋肉(構造的には『腱』に近い物)でドールや義肢は駆動していた。
これらの技術は、この街の風土病とも言える先天性の四肢欠損を克服するべく産まれたものだ。ドールの存在意義は技術の検証の他に、もうひとつある。それは『コンプレックスの解消』だ。全身が機械で出来た人ならざる者を用意することで、五体満足の『人間』と不満足の『人間』のギャップを見えにくくする。そんな副次的な役割がドールには見出された。
滑らかに舞うアリスの四肢は、最新の物だ。伝導磁石の端子によってワンタッチで取り付けられ、独立した構造を持つにも関わらず、動力と動作信号を胴体から受けられる。
だから、アリスの手脚は外れやすい。むしろ、負荷が掛かった時に外れるようになっているから損傷しにくい。アリスがバランスを崩して転ぶと、右脚がステージの下に転がって行った。
「あちゃー。やっちゃった」
アリスが片足跳びで拾いに行こうとするが、バランスを崩してもう片方の脚も飛んで行った。
「ふえぇ〜・・・・・・」
調子に乗るんじゃなかったとアリスは頭を抱える。カリンか支配人が来るのを待つか、無理矢理にでも片方を回収するか。そう思っていると、一人の少女がアリスの脚を拾って持って来てくれた。
アリスはその少女を見たことは無い。銀髪の伸ばしたもみあげを三つ編みにして、後ろ髪はセミロングで緩やかに波打っている。球体関節の四肢。ドール特有の滑らかな顔の肌。同族だった。
少女がアリスの腰を掴み、仰向けに戻す。手際よく脚を取り付けてくれた。とは言ってもアリスの四肢は嵌めるだけでくっつく代物だが。
「まったく、何やってんのよアンタ・・・・・・」
「ありがとう、助かったよ。もしかしてお客様?」
「違うわ。花屋のドロシーよ。いつもここの飾り付け用の花を持って来ているの」
「あ、貴方がそうだったんだ。私はアリス。よろしくね」
ドロシーもよろしく、と頷いた。恐らくアリスのことは知っているだろうが、それが礼儀だ。
「もしかして、物音で来てくれたの?」
「そうそう。そしたらアンタがあんよをすっ飛ばして転がってたって訳」
「面目ない・・・・・・」
気持ちは分かるけどね、とドロシーは笑った。気の強そうな口調に反して、人当たりのいい性格をしているように思われた。基本的にドールは持ち主が奇特でもない限りそうなるものではある。
「ねえ、ドロシーさん。今度お花屋さんに遊びに行ってもいい?」
「ドロシーでいいわよ──ええ、もちろん。素敵なお花が沢山あるわ」
ドロシーはアリスを立たせて、「じゃあね」と手を振った。アリスはぺこっとお辞儀をして見送る。
「お友達が出来たかも」
その日のアリスは上機嫌だった。紅茶も上手に淹れられたし、お客様も沢山来た。例の少年がやって来て、カウンターに着く。
「こんにちは、アリス」
「こんにちは。今日も来てくれたんだね」
「うん。実はね、前にしようとしてたお願いについて話そうと思ったんだ」
アリスは首を傾げる。
「いや、もうそのお願いをする気はないんだ。あの時ぼくはアリスの身体を触らせて貰いたかったんだ」
「え? 別にいいよ」
アリスが手を差し出す。少年がは困ったように笑った。
「その、手とかじゃなくて、なんというかな。ドールの服の下がどうなってるのかが気になって・・・・・・。でも、良くないなって思ったんだ」
ふとアリスは朝のエドの様子を思い出した。人間にとって身体に触れるのは特別なことなのだろうか。
「私、よく分からないの。ドールって人間のお願いを聞くものじゃないの?」
「でも君は支配人の子だから」
「そういうものなのかな。支配人が触ってくれる時は嬉しいけど、他の人が触っちゃいけないってことはないと思うな」
「嫌じゃないの? その、他人に触られるのって」
「今朝なんてすっ飛ばしちゃった脚をドールの子に拾ってもらったよ」
「なんか違う気がする。まあいいか」
少年が笑う。アリスはふと気になって、なんとなしに尋ねる。
「ねえ、もし触るとしたらどこが触りたいの?」
「えっ」
少年がとても悩ましげにしたあと、アリスの腰の辺りをそっと指さした。エドが最後に触れた場所だ。
「ここって、なにか特別なの?」
「そうかもね。男と女の違いだったり・・・・・・。人とドールの違いだったり。そういうのが一番よく分かるところかも」
「ふーん。人間のここには何があるの?」
「えっと、ちょっと説明しにくいね・・・・・・」
またそれかあ、とアリスは思う。どうやらドールと人間の差は思っているより大きいらしい。見た目や動きだけじゃなくて、もっと何か別のところ。
(エドに聞いてみようかなあ)
しかし、今朝の感じだと教えて貰えなさそうだ。もしかしたら、ドロシーなら何か知っているかもしれない。
(明日のお休みはドロシーの所に行ってみよう)
そうアリスは心に決めた。
※
水曜日は劇場は全面休館日だった。アリスはエドに、花屋のドロシーの所に行くと伝え、街へ飛び出した。空はいつも鈍色に輝いている。これが、ここオアシスの晴天だ。花屋はそう多くないから、アリスは迷わずにドロシーの店に辿り着いた。店の前で鉢を運んでいたドロシーがアリスに気付く。
「あら、アリス。こんなに早く来てくれるとは思ってなかったわ」
「お話したかったの。でも、今日は忙しい?」
「ううん。ご主人が殆どお仕事はやってしまうから。わたしはお使いとお客さんとのおしゃべり担当よ」
「そっか。良かった」
二人は店の前のベンチに腰かける。アリスは人間とドールの身体について気になっている事を聞いてみることにした。ドロシーはうーんと唸ったあと、実はね・・・・・・と耳打ちする。
「わたしはそういうの詳しくないんだけどね。人間のそういうのに詳しい子は知ってる」
「『そういうの』?」
「オトナなことよ」
アリスの頭の中が疑問符だらけになる。「聞けば分かるわ」とドロシーは紙にメモを書き、アリスに渡した。
「濡れ鴉通り。まあなんというか、そういうことをしたい人が行く所よ。そこの二丁目四番地にエリサってドールが居るわ。私みたいな銀髪で三つ編みのテール。いつも白いレースの服を着てる」
「その子に聞けばいいの?」
「うん。忙しそうでなければね。あの子人気みたいだし」
「劇場で働いてるの?」
ドロシーは苦笑した。
「ごっこ遊びという意味では、そうかも」
「ふーん。仲良いの?」
「というか、私の姉妹機なのよ。造形師が一緒でね。その縁で時々話したりしてたの。仲は・・・・・・良くも悪くも」
その口調に、アリスは不思議な距離感を感じる。仲良くなりたそうには見えない。
「この後行ってみようかな」
「早い方がいいわ。夜はあの子・・・・・・その、忙しいから」
「うん、分かった。ありがとう!」
駆け出そうとしたアリスをドロシーが呼び止める。
「そうそう。それとこれを渡しておくわ」
ドロシーは黒い薔薇をアリスの髪に飾った。
「喪中の証。それを付ければ、誰も話しかけない。念の為ね」
「聞いたことあるけど・・・・・・そんなのしないといけないの?」
「お守りよ。じゃあ、気を付けてね」
「また来るね、ドロシー」
アリスは手を振って走り出した。外でアリスは歩かない。色んな所を駆け回るのが好きなのだ。十数分後、強いはずの陽射しも届かないこの街でも一際暗い通りに着いた。背の高い家が通りを挟み込むように並んでいて、影ばかりなのだ。アリスはメモの場所に向かい、エリサというドールを探した。
(あ、あれかな・・・・・・)
二丁目四番地の辺りのとある家、その前で真っ白なドールが黒猫を膝に乗せて微睡んでいた。影に沈んだ濡れ鴉通りに、そのドールだけがぼうっと白い陽だまりのようだった。アリスはそっと近付き、挨拶した。
「ごめんください。貴方がエリサさん?」
そのドールは長く白い睫毛を瞬かせ、金色の瞳をアリスに向けた。
(き、綺麗・・・・・・)
アリスは少し気圧されるが、失礼にならないよう言葉を続けた。
「初めまして。私はアリス。貴方の姉妹のドロシーに、貴方のことを教えて貰ったの」
「ふうん・・・・・・何のために?」
「人間の事を教えて貰いに来たの。人間がドールにどんな感情を抱いて、何を求めてるのか・・・・・・」
エリサはじっとアリスを見つめている。黒猫が「にゃあ」と鳴いて、どこかへ去っていった。エリサが立ち上がり、猫を追って歩き出す。
「おいで」
ぞくっとするような艶かしい声。アリスが見守っていると、エリサが振り返った。
「おいで?」
「あ、私・・・・・・。はい」
アリスがエリサに着いて行く。家の裏に回ると、そこにはもう一つ小さな家があった。小屋と言うより、まるでお屋敷を魔法で小さくしたような雰囲気だ。エリサがドアを開け、すっと振り返る。
「ここが、私の部屋。いつもここで仕事をするの。さあ、入って」
「お、おじゃまします」
その小屋は、人が立って歩き回れるだけの小さな部屋が一つだけという造りをしていた。そして、部屋の奥に、大きな天蓋とカーテンが付いたベッドがあった。その他には、ほとんど何も無い。
「ここって、何をするところ・・・・・・ええっ!?」
部屋に入るなり、エリサが白いシースルーのワンピースを脱いだ。雪のような肌が露わになり、そしてアリスはあることに気付く。
「貴方の手脚・・・・・・人間みたい」
エリサの四肢はアリスのような球体関節では無かった。アリスの顔や胴体のようなシリコンで包まれている。近くでよく見ないともはや人と見分けは付かない。よく見ると、胸や股の間。アリスの身体ならただつるりとしているだけの場所に、見たことの無い意匠がある。
「わたしの身体は、人間とほぼ同じように似せて作られているの。そして、私はこの小屋で、毎晩主人や、他の客と夜を過ごす」
「・・・・・・一緒に寝るってこと?」
「少し違う。人間がするみたいに愛し合うの」
「分からないよ。人間と愛し合うって、お話したり一緒に居たりじゃないってこと?」
「・・・・・・これを読んで。私が昔読まされた物」
それは雑誌だった。見ると、人間の男女が触れ合ったり、抱き合ったり、いわゆる愛し合うというのを行っている場面が写真、絵、文字、あらゆる媒体で記載されていた。
「なにこれ?」
「それをしているの」
「・・・・・・何のために?」
「それが、愛し合うってことらしいわ」
「・・・・・・・・・・・・」
アリスには分からなかった。これが愛? これが触れたいということ? 雑誌の中の物語を見ていると、どう見てもアリスが知る「愛し合っている」人間には見えないような行為も行われている。
「ねえ、エリサさん。ひとつ聞いてもいい?」
「どうぞ」
「エリサさんは、幸せ?」
その言葉に、純白のドールはふっと微笑み、『涙を零し』た。
「こんなはずじゃなかった」
アリスは目が釘付けになった。涙を流すドールなんて見たことがない。どれだけの技術と費用をつぎ込んだのだろう。
「エリサさんは、『感覚』ってある?」
「ううん、無いわ。だからいつもまねっこばかりしているの。それが上手く出来れば褒められるし、下手だと何も言われない」
「ご主人となにかお話とかって、するの?」
「ううん。なにもしないわ。最初はしてた気がするけれど、この身体になって、どんどんあの人は変わった。むしろ、彼は今が『理想』だったのかもしれないわね」
アリスは訳も分からず哀しくなった。気が付くとアリスは、エリサを抱きしめていた。涙は流れないけど、無性に叫びたかった。
「いやだ、いやだ・・・・・・! そんなの無いよ。寂しすぎるよ。あたしも、あたしもそうなるの? エドに話もされず好きに遊んで放ったらかしにされる時がくるの?」
エリサの境遇への残酷なまでの拒否反応。しかし、エリサは初めて、心から他人を抱き締めた。アリスの頭を撫で、語りかける。
「あなたは、そうじゃないと思う。そう願ってる」
「エリサさんも、もっと大切にされて欲しいよ」
「わたしは大切にされてるわ。ただ、わたしの願っているものは与えられないと言うだけで、ね」
アリスは初めて、少し人間を憎んだ。