それは大会から5日前のことだった。
「そういや聞いたか? 砂織さんまた入院するみたいなんだってよ」
いつもの場所のいつもの時間。いつものように憧れの人について友人たちと熱く語り合っていた時のこと。同じ志を分かち合った異性の友人、死愚魔高校の"さじ"から突然それは告げられた。
「砂織さんって豪田さんの妹さんだよね。身体が弱いとは聞いてたけど……」
「ああ、ここ最近は調子が良かったらしいんだがなあ……流石に豪田さんも気落ちしてたよ。人前では普通に振る舞ってたけどな」
豪田の気持ちを慮ってのことだろう。さじが沈痛な表情を浮かべている。人前では見せないはずの振る舞いを一体どうして知り得たのか、それを追及するような無粋な者はこの場に一人として存在しない。
豪田さんがかわいそう、とすすり泣く声が漏れ聞こえる。これではいけない――と、百合ヶ丘女子の生徒――"ちなつ"は思った。豪田の幸せの為に、何か自分たちができることはないかと必死に頭を巡らせる。
と、
「そういえば、交流テニス大会のお知らせが来てましたね」
不意に誰かが口を開いた。声からするに、最近この語らいに参加した娘だろう。
この緊急事態に何を――そう声を上げる者たちに「ちょっと待って」と告げる。
「話は最後まで聞くべきよ。構わず続きを言って」
「あ、はい。その大会ですが、優勝した暁には豪華な商品が貰えるとのこと。なのでそれを入院する砂織さんに渡すことができれば……」
おお……と、場がざわめいた。天啓を得たかのような素晴らしい意見に次々と称賛の声が上がる。
「ありがとう。今度剛田さんと出会ったら貴女のこともそれとなく伝えておくわね」
「は、はい!」
憧れの人に名前を覚えてもらえるかもしれないと、ぱあっと顔を明るくさせる彼女。
やり取りを終えたちなつがさじと話を詰めていく。
「てことで、参加は決定だな。ただ問題は……今回は男女ペアで参加ってことだ」
「え? そうなの」
「俺の高校にもお知らせが来てたからな。ちらっと見たんだわ。確かにそう書いてあった」
「なら、私とさじくんで組めば――」
「それで優勝できるのか?」
「……」
残酷な現実を突き付けられ、ちなつが押し黙る。例の運動会やその直後に行われた格闘大会に参加していた面子を見るに、現状では非常に厳しいと言わざるを得なかった。
わかりやすい反応に、いっそ清々しさを感じたさじが静かに口を開く。
「だから、今回は助っ人を頼もうと思う。ちなつちゃんはそいつと組んでくれないか?」
「わかったわ……けど当てはあるの? あの連中に勝つつもりなら相当な強さを持つ人じゃないと」
「問題無い。一人当てがあるんだ。実力があって、しかも豪田さんを心底慕っている。そいつとなら優勝も狙えるだろうよ」
よほど勝算があるのだろう。にやり、と笑みを浮かべるさじ。彼がそこまで言うのなら、あとは自分"たち"が結束すれば何とかなるかもしれない。
安堵したちなつの目が、大勢の同志たちの方へ向けられた。
「話は聞いてたわね。私だけじゃない。優勝するにはここにいる皆の力が必要なの! 共に戦いましょう……全ては豪田さんのために!」
「豪田さんのために!!」
「イェイイェイ! 豪田さん最高! 豪田さん最高!!」
「ようオマエ新入りか? オマエも豪田さん最高と叫びなさい!!」
熱狂冷めやらぬ豪田のファン。鳴り止まぬコールを放つその魂はやがて自身から子供へ、子供から孫へと受け継がれていくだろう。そうやっていつか豪田さんのDNAと混ざり合うのだ。それがファンと剛とのEternalなのだから。
ちなつたちから話を持ちかけられた五代は涙した。必ず、テニス大会に優勝しなければならぬと決意した。五代にはテニスがわからぬ。五代は、豪田の親友である。木刀を持ち、仲間とテキトーに暮して来た。けれども親友の危機に対しては、人一倍に敏感であった。
「オーケーオーケー。豪田が喜ぶんならテニスでも優勝でも何でもしちゃうよん」
目元の涙を拭いながら決意する五代。大会きってのデンジャラスコンビはこうして結成されたのだった。
「――てことで、大人しくやっつけられてくれよな、くにお」
「ざけんな」
間もなく行われる3回戦の試合会場で。
色々とつっこみどころのあるあらましを語り終えた五代の申し出を、くにおは切って捨てた。
そう言われることも折込済みなのだろう。けけけ、と五代が特徴的な笑い声をあげる。
「ま、どっちでもいいんだけど。けど今日の俺はちょっと違うから覚悟しといてくれよな」
「よろしくお願いします」
そう告げると、五代とちなつの二人が自分たちの休憩用ベンチに戻っていく。ちらりと観客席の方に目をやれば、修学旅行で立ち寄った甲子園さながらに豪田の熱狂的なファンたちで埋め尽くされていた。
「アウェー感はんぱねえな、こりゃ」
最前列に陣取り、女子高生がやってはいけないような手の形を作ってお見せしてくる百合ヶ丘女子の娘たちに、くにおが苦笑する。
正直に言えばまずい状況だ。勝たないといけない理由も熱量も、現状向こうが圧倒的に上回っている。たとえ実力が上回っていようとも、こういう時の喧嘩は不利になりやすい。
コイントスも外れ、後手となるレシーブ側に回る。いまいち気分が乗りきらないまま、くにおはラケットを構えた。
「そおーれっ!」
ママさんバレーのような掛け声と共に、五代が木刀で器用にサーブを放つ。打つというよりは袈裟がけに斬るような振りだ。強烈な斜め回転がかかったボールはバウンドすると、跳ね上がりながら更にコートの外側へと逃げていく。
「ちっ!」
力が入りきらない体勢でラケットを振らされるくにお。それでもどうにか相手コートへと返球する。が、
「甘いよーん」
いつの間にかネットの手前にまで詰めてきていた五代が木刀を振り下ろした。まさかのサーブ&ボレー。長谷部もくにおも全く触れないまま、バウンドしたボールが二人の間をすり抜けていく。
舌打ちしながら前衛側に移動するくにおを訝しげに見つめる長谷部だったが、すぐに切り替える。
「ほいさっ!」
今度は直進的なサーブ。バック側に飛んできたボールを長谷部は上手くいなした。先程同様に前に出て来られるのを警戒し、高めに打ち上げるロブショットを選択する。
五代は前に来ない。だが代わりにちなつの方がネットを飛び越え、くにおの方へ躍りかかるのが見えた。
「くにお!」
長谷部が声を上げると同時、ちなつの飛び蹴りをくにおがガードした。着地と同時に放たれた手刀の3連打――マッハチョップ――にもしっかり対処する。
だが――
「スキだらけじゃん、くにおってば」
ちなつが飛び退って自陣に戻った刹那、五代が木刀を振るう。彼女の対応に追われていたくにおは全く反応することができなかった。右隣を悠々と通過していったボールがコートの角をタッチする。
「30−0」
ちなつの乱入があったのに何事も無かったかのようにコールする審判。勿論普通のテニスなら即失格ものの行為だが、今大会のルールブックには「ボールを打つ際に対戦者は妨害行為等を行ってはならない」としている。至極当たり前のことを言っているようで、実際は「ボールを打つとき以外なら妨害OK」ということだ。ちなみにもし打つときに邪魔をした場合は故意過失に関わらずその選手は退場処分となる。
先の末城たち以上にルールを活用してきた五代たちに、くにおたちは為す術もない。その後も同じような展開で連続してポイントを取られ、ゲームカウントを1―0とされた。
観客席が大いに盛り上がるなか、くにおたちがベンチに戻ってくる。と、すかさず長谷部が声をかけた。
「くにお……どうかした?」
「何がだよ」
「今のゲーム妙に精彩を欠いていたわよ。自分でもわかっているんでしょ?」
「まあな……流石にごまかせねえか」
気まずそうに頭を掻きながら、くにおが息を吐く。
「大したことじゃねえよ。ただあいつらよりも勝ちたい、優勝したいっていう思いが薄いことに気づいちまった」
我にかえったというべきだろうか。そもそもこの大会に参加した一番の目的は後輩たちにペアの女性を見せるためだった。優勝は二の次、加えて五代たちの動機が至極真っ当なことから、心のどこかで「負けても仕方ねえか」という想いが芽生えつつあったのだ。
くにおの言葉を聞いた長谷部の目が、きっ、と鋭くなる。
「わざわざ誘っておいて何それ? どんな時も本気でぶつかっていくのが熱血硬派でしょ?」
「んなこたぁわかってる。けど今のままじゃ熱くなれねえ。どうしてもあいつらに勝ちたい理由が見つからねえんだよ!」
行き場のない感情をぶつけるくにお。そのまま長谷部と睨み合うような形になったものの、休憩終了のコールによって中断させられた。
ちっ、と舌打ちをして、くにおがコートへと向かう。ボールを突きながらプレーへの集中を高めていこうとするも、どうにも上手くいかない。
(ダセえな……全然俺らしくねえし、わざわざ来てくれた長谷部にも申し訳が立たねえ)
頭ではわかっているのに、心の方がついてこない。自身にイライラを覚えながらくにおがサーブを放った。だが無意識に力んでいたせいかすっぽ抜け、コースもスピードも中途半端なものになる。
「おおお、絶好球じゃん!」
打ち頃の球を見た五代は木刀を正眼に構えると、前進しながら独楽のように回転を始めた。棒術すぺしゃる――五代の代名詞とも言える必殺技だ。
まるで竜巻のような渦の中に、バウンドしたボールが吸い込まれ――超速で弾き飛んでいく。
「くにおっ!」
サーブを打った体勢をくにおは未だ戻しきれないでいた。このままではまともに食らうと判断した長谷部が瞬時に横っ跳ぶ。
かろうじて軌道はそらせたものの、衝撃を受けた彼女の身体は激しくぶっ飛ばされ、地面を転がった。
「長谷部!!」
血相を変えたくにおが瞬時に彼女の下に行き、助け起こした。幸い上手く受け身をとったらしく、ダメージはそこまでではない様子だ。
「良かった。くにおは無事みたいね」
「ああ、お前のおかげでな。悪い……俺が腑抜けてたせいで」
自分が招いたも同然のミスだった。バツの悪い顔をするくにおに、立ち上がった長谷部が語りかける。
「まあ腑抜けていたのは事実だったけど……今のをくにおが気にすることないわよ。言ったでしょ、今度は私が守ってあげるって」
そう言って笑いかける長谷部。彼女の性格はよく知っているものの、本当に身体を張ってまで約束を果たすとは思いもしなかった。
思わず胸を熱くするくにおに、彼女が更に告げる。
「で、これで戦う理由ができたでしょ」
「理由?」
「か弱い女の子がぶっ飛ばされたのよ。熱血硬派ならこんなときどうするの?」
びっ、と指を突きつけながら、長谷部。一瞬ぽかんとしていたくにおだったが、やがて堪らずに吹き出した。確かに――理由としては十分だ。
気が楽になったくにおがふと観客席に目を向ける。相変わらず大勢の豪田のファンたちが取り囲むなか、ごく僅かなスペースに白い学ランが集まっているのが見えた。姿や七瀬に一条……1回戦でやり合った末城や芦野の姿もある。
皆心配そうな表情をしながらも一生懸命に声援を送っているのを見て、くにおの心に再び火が灯った。あいつらの期待に応えようと、己を奮い立たせる。
「サンキューな長谷部。けどか弱い女の子って言うのはちょっと無理があるんじゃねえか?」
「うるさいわね。いいじゃない」
いつもの軽口も戻ってきた。頬を膨らませながら顔をそむける長谷部に、くにおがそっと告げる。
「お前はか弱くなんてねえだろ。マジで強くて――いい女だ」
「えっ?」
聞き間違いかとくにおに振り向いた長谷部。が、既に彼の姿はそこになかった。さっさと持ち場に戻っていく背中をぼうっとした様子で見つめる。
「おおっ? まだやる気なのかー?」
「ああ、やられっ放しってのは性に合わねえしな。こっからはマジでやらせてもらうぜ!」
「絶対に負けませんから」
「そうね。私もよ」
互いに口上を交わしてプレーが再開される。0―15からのくにおのサーブ。集中を取り戻した挨拶代わりのナッツショットが猛烈な勢いでセンターラインを掠めていった。
「15―15」
ノータッチエースを決めたくにおがサイドを変え、すぐさまサーブする。今度もセンターよりのフラットサーブ。コート中央からはあまり角度のついた球が打てないことから、ちなつは素直にくにおへ返球する。
その瞬間――
「なっ?」
まるでボールと入れ替わるかのように、長谷部が自身の目の前に現れた。縮地による高速移動からの体当たり技――ニトロアタックを繰り出したのだ。
慌ててガード体勢を取ったその上から厚い衝撃がのしかかる。
「さっきのお返しよ」
尚も長谷部の攻めは終わらない。続けざまに鮮華――掌を上にした貫手の3連打――を放ち、相手の足を完全に止める。そうして長谷部が自陣に退くと、阿吽の呼吸でくにおがラケットを振り抜いた。再びラグビーボール状に変形した球は、ちなつの左脇を堂々すり抜けるとコートに叩きつけられた。
「やるじゃん、くにお」
感心した様子でけけけと笑った五代が木刀の切っ先をくにおに向けた。棒術すぺしゃるの構え。おそらくは真っ向からくにおを迎え撃つ腹なのだろう。
へっ、と口角を上げたくにおがゆっくりとサーブの構えに入る。一騎打ちを思わせる雰囲気に周囲が静まり返った刹那――トスを上げ、全力で叩き込んだ。火の玉スパイクと名付けられた通り、炎を渦巻いたボールはバウンドすると、五代に向かって真っ直ぐに飛んでいく。
同時に、既に十分な回転をしていた五代が木刀をぶち当てた。
「うっひょおおおー熱っちい!」
言葉の割には何故か嬉しそうな様子の五代。身体のあちこちを燃やしながらもボールを抑え込み、跳ね返すことに成功した。
更に威力を増したボールがくにおの元へ向かう。振りかぶる暇すら与えないほどのスピードに、ラケットを使うことを諦めたくにおは前方にマッハキックを放った。
「ははっ!」
まるで殴り合いのような攻防に、くにおの心は激しく躍っていた。熱い何かが身体の内側から湧き上がってくる。
再び超速で返ってきたボールに、ラケットを手放した彼はもはや我慢できないとばかりに思いの丈を解き放った。
「うおらああ!」
まるで時間が止まったかのような感覚に陥るなか、本能に従うまま身体を動かす。空中に静止したボールに拳を突き出すと、次の瞬間には後ろへと通り抜けていた。
アクセルマッハパンチ――かつての友に会いに行く道中で覚えた拳打の奥義だ。すり抜ける瞬間に放った無数の拳がボールに伝わったと確信した瞬間、世界が元に戻る。
「お、死んだなこりゃ」
飛んできた球を棒術すぺしゃるで受け止めた瞬間、五代は敗北を覚悟した。奥義の威力をそのまま内包したテニスボールは木刀を破壊すると彼の腹に命中し、そのまま粉々になる。
まるで爆風のような衝撃に吹っ飛ばされた五代は、そのまま観客席の壁にまで叩きつけられると、ずるずると崩れ落ちていった。
「い、生きてますか? 五代さん……」
一部始終を傍観者のまま終わったちなつが五代の下に駆け寄るなり声をかけた。最初は一切反応が無かったが、呼びかけているうちに唐突に目が開く。
「お、おお? どこだここ。くにおに殺されてあの世に行ったんじゃないのか?」
「勝手に殺人者にすんじゃねえよ」
「違うのか? ならきっとゾンビとして蘇ったんだな。よーしくにお、次はこのゾンビ五代くんと再戦しようぜ……っとと」
言葉こそ元気な五代だったが、立ち上がった瞬間にたたらを踏む。やはりダメージは深いのだろう。ちなつに肩をかしてもらいながら前衛のポジションにつく。
「まだやる気かよ」
「まーなんせゾンビだし。あと最後まで楽しむのが俺のモットーじゃん?」
背中から新たな木刀を取り出して、五代。それを聞いたちなつもまだまだ諦めるわけにはいかなかった。どうにか五代の体力を回復させようと策を講じる。
「次は私と勝負して下さい。くにおさん」
堂々と宣言して、観客を大いに沸かせる。彼らの性格からするに、これで長谷部が横槍を入れてくることはない。熱血硬派とはいえ、なんだかんだで女性には甘いことも知っている。タイマンであれば十分に時間は稼げるだろう。
案の定快諾したくにおが、周囲の盛り上がりと共にプレーを再開しようとしたその時だった。それまでポイントをコールするだけだった審判が何故か手を上げる。
「失礼。テニスの公式ルールでは、プレー中にボールがパンクした場合、そのポイントをやり直すことになっています」
「え?」
「ですので……申し上げにくいのですが、先程のポイントは無効となります。30―15からとなりますので五代選手はもう一度くにお選手のサーブを受けて下さい」
「えっ?」
予想外の展開にぽかんとするちなつ。そうこうしているうちに互いに係員に付き添われて先のポジションに戻された。どうやら休めると思ってたのは五代の方も同じだったらしく、その顔にははっきりと冷や汗が浮かんでいる。
「くにお」
「ん?」
「次も必殺ショット?」
「そりゃあな。ゾンビは焼却処分するのがセオリーだろ?」
にこやかに悪い笑みを浮かべながら、くにお。もはや握力の残らない手でどうにか木刀を構えた五代は親友の姿を心に描くと、にやりと笑う。
数秒後、容赦なく放たれた炎の全力サーブが五代の意識をきっちりと刈り取った。
「ゲームセット。五代・ちなつペアが棄権を申し出ました。これによりくにお・長谷部選手はベスト16に進出です」
「やったあ!」
審判がコールした瞬間、細々としていた熱血高校の応援スペースは歓喜の渦に包まれた。それと同時に五代・ちなつペア――というよりは豪田応援連合の空気は一気に冷え込んでいく。
「う……ううっ」
「だめよ。まだ泣いちゃだめ! 五代さんやちなつさんは懸命に戦ったの。二人の想いを無駄にするのは失礼よ」
「わかってます……でもこれじゃ豪田さんが、豪田さんがああ!」
お通夜のような悲しみに包まれる会場に、そこはかとない気まずさを覚える熱血高校応援団。
それとは打って変わって選手たちは普通の雰囲気だった。焼死体から無事に復活を遂げた五代は試合終了の握手を交わすとくにおに話しかける。
「あー楽しかった。やっぱ強ええなお前ら」
「まあな。誰が相手だろーと負けねーよ」
「よく言う……」
自信たっぷりに言い放つくにおに、長谷部が呆れた様子で息を吐く。一時は勝ちを自ら手放そうとした事実はすっかり忘却の彼方らしい。
と、
「やれやれ……負けちまったな」
「さじくん……」
ぼやきながらくにおたちの前に現れたのは死愚魔高校のさじだった。名前を呟いたちなつが途端に申し訳無さそうな顔をする。
「ごめんね。せっかく色々手配してくれたのに負けちゃった」
「いいって。マジいい試合だったし、これで負けたんなら仕方ねえさ。五代さんも助っ人ありがとな」
「けけけ、いーってことよ。おかげで久々にくにおと遊べたしな」
「五代さん……ありがとうございます。けど、これですっかり当てが外れちゃった。砂織さんの件、どうすれば……」
「あーその話だけどよ。俺たちが優勝したら商品譲ってやろうか?」
突如横入りしてきたくにおの申し出に、ちなつたちが「えっ?」と揃って声を上げる。
「今回は別に商品目的で参加したわけじゃねえしな。もちろん長谷部の方も了承済みだぜ」
「くにおさん……長谷部さん」
ちなつたちが長谷部の方を向く。目が合った彼女は気にするな、といった風に頷いた。
「豪田も砂織ちゃんも良い奴だしな。俺たちからの見舞いの品も兼ねてってことにしといてくれ」
「それよりまずは優勝するのが先だけどね」
「まあな。てことでこの後の試合、お前らも良かったら応援してくれな」
くにおの申し出に、ちなつたちは勿論と言った様子で力強く頷く。もちろん豪田と同じとまではいかないが、二人の器の大きさを感じて大いに心を動かされた。
会話を聞いて再び盛り上がりを見せている観客席に向かって、ちなつが告げる。
「皆聞いたわね。私たちは負けちゃったけど、代わりにくにおさんたちが引き継いでくれることになったわ。次からは皆で二人を応援するわよ!」
ちなつの扇動に、観客のボルテージは一層上がった。先程まで首切りゼスチャーを行っていた百合ヶ丘女子の面々などは、いまや黄色い声でくにお&長谷部コールだ。満更でもない光景に、くにおは得意満面な様子だった。
と――
「ん? 皆くにおの応援するのか。じゃあ俺は豪田の方を応援しに行ってくるわ」
五代の何気ない呟きに、会場の声がぴたりと止んだ。「なん…だと…」という心の声が漏れ聞こえてくるかのようだ。
「ご、五代さん? 今なんて……?」
「お、知らねえの? 豪田もこの大会に参加してるんだぞ。ま、申し込んだのは本人じゃないけどな」
けけけ、と笑う五代にちなつたちは呆然とする。豪田の動向は常にチェックしていたものの、本人以外の所で話が進んでいたのなら流石に把握のしようがない。
たっぷり奇妙な沈黙が続いた後、突如笑顔になったちなつはくにおたちに告げた。
「ごめんなさい。次の試合応援したいのはやまやまなんですが、今とっても緊急で重要な用事ができちゃいましたー。なのでこれで失礼しますね」
100%嘘とわかる理由を述べて、ちなつが走り去っていく。呆気にとられたくにおがふと観客席に目をやれば、見事なほどの淡々さで豪田応援団が引き上げていくのが見えた。
「お、俺たちはずっとくにお先輩の味方ですから」
「おう……」
「わ、私も長谷部ねえさん一筋ですよー」
「ええ……」
すっかりがらんとする観客席。後輩たちからかけられる痛々しいフォローに、くにおと長谷部は疲れたように返事をするのだった。