ウマ娘エンデューロスター   作:STORICKS

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2R カッコいいから

 坂路の往復を終えて、トレーナーから黒いタオルを受け取り、水分を補給するクルフュルスト。

 背中から立ち昇る湯気は、彼女が立ち止まるごとに色を濃くする。

「──体調は?」

「ん……問題ないっス」

「よし。今日はクルマで行こう」

 そう言ってトレーナーは踵を返した。

 彼が、職員用の駐車場からクルマを出してくるあいだ、私は二人きりになったクルフュルストに、少々不躾ではあったが、いちばん気になっている質問を投げかけてみる。

「ところで……貴方はどうして、障害競走に進んだの?」

 首にかけたタオルを握っていた手を緩め、そしてまたぎゅっと握り直して、クルフュルストはいったん緩めた歩調を元に戻した。

「う~ん、カッコよかったからかなぁ……」

 それからひとしきり、彼女は色々と言葉を紡ごうと考えていたようだが、結局それっきりで、また会話は途切れる。

 他に理由が無いわけではないだろうし、障害競走につきものの転倒、競争中止を経験し、G1も制しているクルフュルストには、障害競走がただ『カッコいい』だけではないことも身に沁みて分かっているはずだ。

 ともあれ、それ以降彼女は言葉を発することなく、寮舎の脇を歩いて裏の通用門へと向かっていく。

 辿り着くと、既にワンボックスがスライドドアを開いて待ち構えていた。

 青いビニールシートを敷いた荷台には、救急箱とタンカが積んである。

 クルフュルストは何を言うでもなく、後ろのシートに乗り込み、かなり倒れていた背もたれを起こした。

 私は促されて、助手席に座る。

 エアコンの温度設定を少し下げて、トレーナーはクルマを走らせた。

 

 

「でも、珍しいですよね」

「ん?」

「テラダイナスティ……芝で走り始めて、日本に来て障害競走になんて……」

 というより、国ごとに障害の造りやコース設定も千差万別なのが障害競走なのだが、おおよそ同じようなオーバルコースがほとんどの平地競争に比べると、幾分マル外縛りが緩いとはいえ、他国の障害競走にデビューするというのは並大抵のことではない。

「それだけ香港でのライバルが強かったってコトなんだろう」

「ええ」

 外国の障害競走がどれぐらい人気があるのか、そもそも日本のようにある程度の規模のレースカレンダーを維持しているのかは知らないが、URAの中でも一定の存在感を発揮しているこの国の障害競走は、他国に比べてレベルが低いわけでもないはずだ。

 クルフュルストのように、『カッコいい』という理由で障害競走の門をくぐるウマ娘も多くいる。

 それは単純に、そのウマ娘が生まれて初めて見たレースが何であったかによるのかもしれない。

「ちょっと昔の頃は、どっちかというと平地の方が格上みたいなトコ、あったけどな」

「そうなんですか?」

「俺がまだ平地のトレーナーだった時代の話だよ──」

 その話を深く聞こうと思った矢先、クルマは中山競バ場に到着する。

 守衛に身分証を見せ、ラミネートされた駐車票を受け取って、トレーナーは左右を確認してから、ゆっくりとクルマを進めた。

「こっちから行くの?」

「ああ──もう一度ストレッチしなきゃな」

「了解っ」

 中央のレース場のひとつである中山競バ場には、敷地内に宿泊施設がある。

 府中のトレセン学園最寄り駅から電車一本で来れるとはいえ、レース開催日には大量のファンの移動もあるため、電車が遅れることも多い。

 一昔前は鉄道会社がトレセン学園専用の団体臨時列車を走らせていたが、車両の老朽化で最近は行われなくなった。

 それでなくとも、不慮の事故や体調管理を考えて、早いウマ娘では一週間も前から泊まり込む者もいる。

 クルフュルストは、クルマでの移動時間も十五分程度とすぐ近所の中山障害専門校所属だが、それでも前日は泊まることにしているらしい。

「そういえば、来週からこっちですね」

「ジャパンカップが終わったら、府中開催は終了だな」

 今年のジャパンカップは──と言いかけて、私はその問いを投げかけるのをやめた。

 ついさっき彼が、『自分は昔平地のトレーナーだった』と言った時、あまり誇らしい表情ではなかったからだ。

 だが、そんな私の気遣いとは裏腹に、彼は口を開く。

「──まあ、今年も『キタちゃん』だろうなぁ」

「ですか」

 ファンの人気もひときわ高く、その愛称で呼ばれることの多い『キタサンブラック』は、大柄な体格と遺伝系統から長距離は合わないと言われていたが、一昨年の菊花賞、そして春の天皇賞連覇──距離の長いG1を制したことで、その評価を完全に覆した。

 先日の秋の天皇賞を勝ったこともあるが、特に今年の春天は、それまでと違って『強さ』を主張する勝ち方だっただけに、彼のような内部の人間でも、一目も二目も置くところなのだろう。

「バ場の悪い中で府中の二〇〇〇を勝ったからな。来週まで天気が良ければ、もう鉄板だろ」

「……ちなみに」

 私は少し、いやかなり意地悪な質問をぶつけてみた。

「──クルフュルストが平地の……例えばジャパンカップに出たら、勝てますか?」

「いやあ……クルフュルストに平地のG1は無理だろ」

 私のバカな問いにも、少しニヒルな笑みを浮かべて返すトレーナー。

「長い重賞──ステイヤーズステークスあたりなら、今年すぐ走ってもいい勝負はするかもしれないが……」

 イルミネーションジャンプと同日、11RのG2レースを、彼はあくまで仮説として挙げた。

 ステイヤー最強系列と言われるメジロ家でも、そのレースに出て来ることはまれな、平地競争では最も長い三六〇〇メートルという距離。

 それさえ、障害競走という特殊なステージで戦う彼女たちには、決して有利に働くものではないようだ。

「平地競争では、ふだんあいつらがやってる飛越トレーニングはそもそも必要ない。ゲートの出が多少バラついても三〇〇〇オーバーの距離に大して影響はないし、そもそも平地のペースについていける障害ウマ娘は、そうはいないよナ」

 ウォーミングアップの仕上げはそれと決めているのか、膝を深く曲げての高い跳躍を何度も繰り返し、クルフュルストは短い距離で、歩幅の長いダッシュを繰り返す。

「そろそろ行けるか?」

「うん──誰か来てるかな」

 宿舎とレースコース、そしてパドックや医務室を繋ぐように張り巡らされた地下通路を通り抜け、メインのレースコースに向かう。

 重賞クラスになれば、レース前にはパドックでファンに挨拶するのが常だが、今日は下見だし、熱心なファンが出待ちするほど有名なウマ娘が来ているわけでもない。

「リアライズ・レーシングのクルマがあったな」

「ん……」

 平地であれ障害であれ、全てのウマ娘がトレセン学園に在籍するわけではない。

 経済的な事情で入学できない場合や、数は少ないがそもそも競争生活を望まないウマ娘もいる。

 ところが、後者はともかく前者の中には素晴らしい素質を持つ者がおり、そういうウマ娘のために、競争生活を送り、その中で結果を出し続けることを前提として、金銭的な、いわば奨学金の援助をする団体が全国各地に存在する。

 リアライズ・レーシングはその中でも存在感が大きい所で、他団体の多くは人気のある平地競争、特に芝の重賞を走れる実力があるウマ娘にしか援助をしないが、リアライズは障害競走の分野でもサポートしているウマ娘を持っている。

「リアライズの障害ウマ娘だと、トラストあたりかな」

 床からはがれたらしいゴムチップを蹴飛ばしながら、クルフュルストは歩く。

「グライドじゃないか? リアライズトラストは先週東京で走ってただろう」

「あ、そっか」

 この時期の中山は、午後になるとメインスタンドの日陰がメインストレートに来る。

 入場エリアのあたりも少し薄暗い。

「コースは頭に入ってるか?」

「内周り脇からスタートして8の字、そっからぐるっと外回りだよね」

 返事を待たず、クルフュルストはジョグで私達から離れていった。

 のんびりしているように見える彼女だが、いざ『戦場』に立てば切り替わるということなのだろう。

「タフなコースですよね、中山大障害……」

 障害G1はいずれも過酷だが、ここ中山には地形を生かした『谷』、バンケットがある。

 他の競バ場にある小さなものとは違って、高低差はゆうに三メートルを超えるものだ。

「大障害のコースだと谷を六回クリアしないといけないが、まあ……それだけじゃないけどな」

 クルフュルストの要約をもう少し噛み砕いてみる。

 スタート直後、トップスピードに乗った頃に一つめの障害──一四〇センチの生け垣だ。

 ここで体勢を崩すと、立て直す間もなく右コーナーに差し掛かる。

 速度を落とせば左右から追い抜かれ、しばらくはライバルの背中を見て走らねばならない。

 ホームストレッチの中ほどには水壕障害があり、飛越の高さと距離が求められるが、ここは全障害レースの中でも特に難易度が高く、それだけ事故も多い──一刻も早く序盤のロスを回復したいところだが、前のウマ娘に続いてテールトゥノーズでは飛び込めないし、コーナーを抜けてからの位置取りも、後方からでは優先権が無い。

 ともあれ、すぐに三つめの障害だ。

 ここは最初と同じ、一四〇センチの生け垣。

 もう一つ同じ障害をクリアして、ダートを横切ると一つめの谷──。

 ちょうどクルフュルストは、緩いペースでその谷に差し掛かろうとしていた。

 ダートコースを横切る蹄鉄の音が音色を変えて、彼女の後ろに土煙が上がる。

 そして、あっという間にクルフュルストが谷を駆け降りたと思うと、トップスピードの彼女はほんの二秒もかからずにその姿を再び見せた。

「悪くないな」

「そう、ですね」

 正直私にはよくわからない。

 しかし、クルフュルストを始め多くの障害ウマ娘をG1に導いたトレーナーが言うのだから、彼女の調整は上々ということなのだろう。

 2コーナーを全力で回り、中山最大の五・三メートルの谷を降り、登る。

「どっちかというと、今日は『谷』をちゃんと偵察するのがメインだからな」

「なるほど……」

 確かに、先ほど学校で見たトレーニングでは、遠めに見る限りではここ中山のコースに設置されているものと全く同じ障害が置かれていた。

 しかし、この『谷』は別だ。

 これと同じものを設置しようとしたら、とんでもない土地が必要だ。

 なにしろこの『谷』は直線ではなく、三次元的に曲がっている。

 襷コースに入るところ──今まさにクルフュルストが3コーナー側から走り込もうとしている谷も、ついさっきクリアした2コーナーからの谷とは勾配や高さが微妙に異なる。

 飛越失敗以外では、ここも事故が多いポイントだ。

 鍛え上げられた障害ウマ娘が何故ここでクラッシュするのか?

 それはここが、立体的な複合コーナーだからだ。

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