第十三話 負の遺産
「写輪眼を取ってくるのだ」
だからお前は何を言っているのだ。
無事に中忍と認められてからおよそ二年。風の知らせでセキとエビスも無事に昇格したと聞いている。
一年前にうちはの定例会への参加目的で実家に帰った時には、イタチはすでにアカデミーを卒業して下忍になっていた。しかも主席らしい。
照れくさそうに額当てをつけた姿を見せてくれて、嬉しさ半分寂しさ半分で泣いた。心の中で。
みんな頑張ってるなあ、俺もこんな職場だけど頑張らなくちゃなと気を引き締めて仕事に邁進する日々……だった。今この瞬間までは。
いつものようにダンゾウの屋敷に呼び出された俺は、こっそり左手首を抓った。痛い。こ、このふざけた発言が夢じゃない、だと!?
「写輪眼というものは、そもそも使い捨ての力だ。お前たち三人でこの右眼の代わりとなる写輪眼を手に入れてこい」
写輪眼持ちのうちは一族である俺がいるのに、使い捨てとかひどくない? ママのお腹の中にデリカシーを置いてきちゃったのかな、ダンゾウ君は。
「……うちは一族を手にかけるとなると、それなりの準備が必要になるかと」
ちらりと俺の顔色を窺ってから、同じようにダンゾウに呼び出された先輩が進言する。いいぞ、もっと言ってやれ。
これってもしかして、空気を読んで自分の眼を抉って「つまらないものですが……」って差し出さなきゃダメなやつ? そんな気軽にダンゾウと眼球シェアしたくないんだけど……。
「うちは一族の者ではなく、親兄弟もいない。しかし、写輪眼を持っている――そんな都合の良い人物が一人いるだろう」
ダンゾウとの強制眼球シェアは神回避したが、とんでもないところに飛び火した。
「……はたけカカシ」
俺と先輩の間に立っていたキノエさんが呟く。
ダンゾウが、この世の不穏をかき集めて煮詰めたような笑みを口元に浮かべる。ただの悪どい笑みである。
「クロの写輪眼とキノエの木遁があれば、あのはたけカカシにも容易に打ち勝てよう。……キノト、お前は二人のサポートをしてやりなさい」
「はい」
そういえば先輩の名前ってキノトだっけ。
俺が根に入る前までは、二人は同じ任務に割り振られることが多かったらしい。途中から入ってきた俺がキノエさんを寝取った形になるわけで、俺はいつキノトさんに夜道で襲われるかと眠れぬ夜を過ごしているわけだ。
ほら、キノエさん、毎日俺の隣(の部屋)で寝てるからさ……?
「はたけカカシは三代目の任務を受けて、大蛇丸が残した研究施設の後始末を任されているようだ。彼の任務に同行し、大蛇丸の実験体の仕業に見せかけて写輪眼を奪ってくる……できるな?」
『…………』
できるな? じゃないんだよ。まともな人間はできるとしてもやらないんだよ。そうだよな、ダンゾウにまともさを求めた俺が悪かったです。
とっても気になったんだけど、大蛇丸の研究施設がまだ残ってるのはともかく……実験体もまだ生きてるの……?
しかも、木ノ葉の誉れであるはたけカカシが
毎度のことながらこの場にはイエスマンしかいないので、ダンゾウに異を唱える者はいなかった。
そんな危険な任務に代替が利く俺やキノトさんはともかく、キノエさんを連れて行くのはどうなんだろう。
三代目暗殺任務の時もそうだったけど、ダンゾウはキノエさんを木ノ葉最強だと考えている節がある。
そりゃあ、キノエさんは木遁忍術が使えるし、忍としての才もある。怒らせると自ら写輪眼の一つや二つを差し出したくなるくらいには恐ろしい。
だからって、三代目やカカシ+大蛇丸の実験体とやり合って無事で済むとは限らないのに。
「クロ?」
ダンゾウが離席してもまったく動かない俺を不審がって、キノエさんが首を傾げる。
『…………いえ』
キノエさん、いつかの任務でカカシに世話になったってこっそり教えてくれたことがあったけど……大丈夫なのかなあ。
俺、キノエさん、キノトさんのスリーマンセルは、絶賛はたけカカシをストーキングしていた。
俺たちは大蛇丸が残した施設の詳しい場所は知らされていないので、このまま案内してもらおうという魂胆である。
なんでも、別の任務を遂行していた小隊が偶然見つけた施設らしい。
「どうやらあの辺りのようだな。オレは入口を見張るから、お前たち二人はダンゾウ様の指示通りに中へ」
「はい」
木ノ葉の西側に広がる森の中。青々とした緑が生い茂る豊かなこの場所は人の手がほぼ入っていないこともあって、何かを隠すにはうってつけとも言える。
自然と生えた草木たちが都合の悪い物を覆い隠してくれるからだ。
「クロ、僕が先に入るから着いてきて」
『……分かりました』
先ほどカカシが消えていった円状の入口は、どうやら地下へと続いているらしい。
ダンゾウ様、ここ、とっても嫌な感じがします。今すぐ帰りたい。
このパイプのような入口からして、絶対いる。大蛇丸二号のような、蛇の形をした実験体が! 俺の心の写輪眼がそう言ってるんだよ!
「おい、キノエはもう入ったぞ。お前もさっさと行ってこい」
キノトさん、俺たちのサポート役といいつつ、実は俺がちゃんと中に入るかどうかの監視役だったりする? はいはい、入ればいいんだろ!
ヤケクソで地下に降りると、案外早く底に足がついた。想像よりも浅い位置に作ってあるらしい。
くんっと鼻を鳴らす。長いこと放置されていたせいか、埃っぽい匂いがする。
「こっち」
キノエさんが小声で手招きする。こくりと頷いて、後に続く。
ところどころ老朽化が進んでおり、音を立てずに歩くので精一杯だった。
あまり早い段階でカカシに存在を気取られると、ずっとストーカーしていたのがバレてしまう。
どうせ合流するとはいえ、ストーカー野郎のレッテルは貼られたくない。全部ダンゾウが悪いんです。
研究施設へと繋がる扉はすぐに見つかった。封印の札が貼られた扉の前でカカシが立ち止まっている。
カカシが札に触れる――しかし、何も起きない。
まさか暗号が必要だったのか? 大蛇丸への愛を囁けば開くに全財産!!
「なっ……!?」
札の術式が時間差で発動する。暗号で開くどころか、不用意に触れた人間ごと爆発に巻き込んで殺す鬼畜仕様だったらしい。俺の全財産……。
間近で爆風に巻き込まれたカカシの身体が炎に包まれる前に、印を組んだキノエさんが水遁で援護に入る。火はすぐに鎮火され、足元は水浸しになった。
瞬時にこちらを振り返ったカカシの目が大きく見開かれる。
「キノエ……と、うちはスバル!」
「お久しぶりですね、カカシさん」
『…………』
お面が特徴的すぎてすぐに正体を見破られる暗部。それでいいのか暗部!
「どうしてここに」
「任務ですから」
感情を押し殺したような声が響く。カカシはそんなキノエさんには気付いた様子もなく、肩をすくめた。
「まさか、オレのバックアップにきたわけじゃないんだろう? ダンゾウ様に言われて、根が独自に大蛇丸の施設を探りにきたってところか」
いい感じに勘違いしてくれていてむしろ罪悪感が増した。キノエさんもデバフを食らったようで口を噤んでいる。
この流れでお前の眼球をよこせなんて誰が言える?
俺とキノエさんはそれとなく目を合わせて……頷き合った。
眼球強奪はもっと油断させてからだな。ついでに施設の状態も確認してこいって言われてるし。
かつてダンゾウと大蛇丸は共同で実験を行なっていたことがあるものの、大蛇丸の研究施設の数とその内容を全て把握していたわけではないらしい。
ダンゾウって木ノ葉の里を
「どちらにせよ助かった。お前のおかげで命拾いしたよ、キノエ」
「か、カカシさんが燃えてしまっては僕も困りますから……!」
側から見ればツンデレ拗らせた発言に見えなくもない。
現実はカカシ(の写輪眼)が燃えたら困るってだけの話だ。
でも、黒焦げになった写輪眼をダンゾウに献上するのも楽しそうじゃない?
「スバルも。目的が同じなら一緒に行こう。お前がいてくれると心強い」
『…………』
む、胸が痛い。そんな全幅の信頼を置いてるような目で俺を見ないで!
「うちは……スバルだよな? さっきから話さないが……」
「クロ……スバルは人見知りするんです。僕とならまだしも、カカシさんと楽しくお喋りするはずがありません」
キノエさんがどことなく誇らしげに言う。そんな設定初耳なんですけど。余計に喋りにくくなったんだが?
「いや、オレも普通に話をしたことは――」
「もう行きましょうよ。ほら、スバルも」
カカシの言葉を遮ってキノエさんが扉の向こうに足を踏み入れた。
度胸あるぅ! 扉が爆破されてるのに先に進む勇気があるなんて。トラップを上手く躱せそうなカカシに囮になってもらう気満々だったよ。
「スバル、前を歩いて先導してくれる?」
『お断りします』
「あ、喋った」
これ以上死亡フラグを増やしてたまるか! ただでさえ写輪眼持ちだからって通常任務でも最前線に配置されることが多いってのに。俺は弾除けじゃないんだぞ。
俺とキノエさんの隣に並んできたカカシが、興味深そうに俺たちをジロジロと眺めてくる。
「根って、もっと殺伐としてるのかと思ってた」
「僕とスバルの仲が特別良いだけです。勘違いしないでください」
「……あのさぁ、その妙にツンデレ混じりの発言どうにかならないのか? そんなキャラじゃないだろ、お前」
「つ……ツンデレ!?」
キノエさんが唖然とした声色で叫ぶ。無自覚だったのか。
『キノエさんは元々そうですから』
とりあえずさっさと施設内の散策任務を終わらせようよ。こんな物騒な場所からは一秒でも早く退散したい。
「元々ってどういうこと、スバル!?」
『そのままの意味です』
「……やっぱ仲良いな、お前ら」
こんな騒がしい任務があっていいんだろうか。気が削がれる。
「どうやら、トラップは最初の扉のみのようだな。あの大蛇丸も里抜けの際に新たな罠を仕掛ける余裕もなかったらしい」
「……でも、用心は必要ですよ」
そうそう、とくに俺たちのことは警戒してほしい。ここまで信頼されてると逆にやりにくいって。
長い通路を抜けて、漸く研究室にたどり着いた。罠が仕掛けられてないことを確認して、中に入る。
テーブルの上にはいくつかの資料が出しっぱなしになっているし、調合して長期間放置されたせいか、毒々しい色になっている液体まで放置されていた。
う〜ん、こっそり持って帰ってダンゾウが飲むお茶にでも混ぜたい。
「何も残っていませんね」
「ああ」
生死問わず、実験体の一つや二つくらい残ってるかと思ってた。
ここにあるのは経過を記録する資料や使用した器具くらいで、ダンゾウへの手土産としてはちょっと弱い。
それに実験体がいないとなると、カカシの写輪眼をくり抜いた罪を誰に擦りつければいいのか……。
いっそ俺のスライムを実験体に見せかけて、底なし沼の術で溺死という手も――って、殺しちゃダメなんだった。
仕方がないから写輪眼は貰い受けるつもりだが、命まで奪ってしまえばガイ大先輩が悲しむ。恩人の悲しみは俺の悲しみである。どうすっかなあ。
「あっちの部屋も調べよう」
カカシが指差した部屋の扉には鍵が掛かっていた。蹴り破ろうとした俺をキノエさんが制する。
「木遁忍術……」
印を結んだキノエさんの指先には木でできた鍵が生成されていて、カチリとぴったり鍵穴にはまった。
キノエさんの前では施錠は無意味だな。
ということは、俺の自室も……考えないようにしとこ。
無事に部屋に入った俺たちは、再び中を物色し始めた。
鍵がついてたってことは、さっきの部屋よりも重要な秘密が隠されている可能性が高い。
「木遁術は、木ノ葉にとって重要な意味を持つ」
カカシが無造作に置かれていた分厚い本を捲りながら続ける。
「木ノ葉には九尾の人柱力がいる。その力は九尾をコントロールできる力の一つだ」
「写輪眼もその一つだということは知っています」
二人の視線が、フラスコを手にまじまじと中の液体を凝視していた俺に向けられた。え、何?
「キノエやスバルの力は、本来はもっと里のために広く使われるべきものだと思う」
謎の液体に夢中でまったく聞いてなかった。ごめん、真面目な話をしてたのね。
「九尾をコントロールできる二つの力をダンゾウ様が手元に置いているのも、何か考えがあってのことだろう。だが、お前たちも、もっと日の当たる場所に出たくはないのか?」
「日の当たる場所……」
何かどころか、自分が火影になって九尾を支配下に置くことしか考えてないです、あの爺さん。
「二人の居場所は根よりも、火影直属の暗部の方が相応しい」
『ふっ……』
ここまではっきりと言葉にされるとは思わず、つい笑ってしまった。
キノエさんとカカシが首がもげるんじゃないかと思うような勢いでこちらを振り返る。
「スバルが……笑った」
ク◯ラが立ったみたいな反応はやめて。
『そうか……貴方は四代目の弟子でしたね』
どうりでなんだか懐かしい気持ちになるわけだ。直接的な物言いといい、あのダンゾウを恐れない強気な態度。
そして――常に木ノ葉隠れの里を第一に考えて行動している姿勢まで。
あの日の竜胆の香りすら鮮明に思い出せる。手向けた花は無事に届いただろうか。
あの人が理想としていた世界にはまだ届いていないけれど……。
彼の火の意志はきちんと受け継がれているようだから、そう遠くない未来なのかもしれない。
扉に手をかける。この部屋にも収穫はなかったな。未だに呆けている二人に声を掛けた。
『次の部屋に移りましょう』
次に足を踏み入れた部屋には、ひんやりと冷たい空気が漂い、部屋全体が霞がかったように薄ぼんやりとしている。
資料や小さな実験器具ばかりの小部屋とは違って、中央にはチューブに繋がれた巨大なケースがいくつも鎮座していた。
ケース表面の結露のせいで中の様子は分からない。
俺の心の中の写輪眼が今すぐここから逃げろと以下略! ああ嫌だ。こんなの明らかに“そう”じゃんか。
「中に何かあるぞ」
カカシが結露を拭うようにケースに触れた手を動かす。
そりゃいるでしょうね。そのサイズ、間違いなく大蛇丸の――
脳内で【にげる】【たたかう】のコマンドを表示させていると、俺の隣にいたキノエさんが突然走り出したのが見えた。えっ。
結露がただの水滴になり、ケースにキノエさんの姿が映ったんだろう。
キノエさんが右手に構えたクナイがカカシの腕を切り裂き、追撃を逃れたカカシめがけて放たれる。
「キノエ!? 何のつもりだ!」
俺もまったく同じことを叫びそうになった。
開始の合図くらい欲しかった! それに、いかにも大蛇丸の実験体がいそうなこの部屋で戦いたくないよ!
キノエさんが放ったクナイを背中の忍刀で弾いたカカシだったが、死角から飛び出してきた木遁に投げ飛ばされてしまった。
うわあ、容赦ない。あの腹パンは効く。
「くっ」
迫りくるキノエさんに、カカシが額当てをずらして写輪眼を見せる。
俺との手合わせで対写輪眼戦を熟知しているキノエさんは、瞬時に左腕で己の視界を塞ぎ、素早く後退して身を隠した。
一連の流れを部屋の入り口で眺めているだけだった俺に、カカシが叫ぶ。
「……スバルッ! まさか、お前もか!?」
俺はブルータス、その通りだ。
写輪眼戦になるとキノエさんは正面から戦えない。ここからは俺の出番だ。
『任務を遂行させていただきます』
さあ、大人しくその写輪眼を渡してもらおうか。
キノエさんは命ごと奪うつもりだろうが、俺は違う。キノエさんに殺される前に、ほら、早く!
「正気なのか? 仲間同士で殺し合うなんて!」
残念ながらダンゾウが正気だったことなんて一度もないんだよ。むしろ正気の状態で狂ってる。
『火遁・豪火球の術!』
先ほどの腹パンのダメージが蓄積されているらしく、俺の挨拶代わりの火遁すらギリギリで避けるカカシ。
これなら体術でスピード勝負した方が手っ取り早そうだ。
カカシが体勢を立て直す前に、その懐に入って思い切り蹴り上げる。写輪眼は俺の動きについてきていたが、身体はそうではない。
顎ごと脳を揺さぶられたカカシは、再び壁に強く打ち付けられた。
ほら、俺たちを信用しすぎるからこうなる。卑怯だとは言わせないぞ。
カカシが痛みによる苦悶の表情を浮かべながら、口を開く。
「……スバル、お前が望まぬ場所にいることは、ミナト先生から聞いて知っている」
言葉で改心を促すつもりらしいが、無駄だ。この任務に俺の意志は関係ない。
その場から動けそうにないカカシに近づいて、ホルスターからクナイを取り出した。切っ先が眩く光っている。
「ダンゾウ様の命令に従ってオレを殺すことが、お前の弟達を守ることに繋がると本当に思っているのか……?」
『…………』
お面の内側で眉を顰める。守ることになるのではなく、すでに“守ってきた”つもりだ。
あの男の手が、決して弟達に伸びることがないように。
イタチやサスケには、この世の綺麗なものだけを見ていて欲しいから。
『俺にそのような感情はない』
「嘘をつくな! それなら何故、あの時オレを――」
ぴくりとクナイを持つ腕が反応する。
まさか、根に監視されてるぜってバラした時の話をするつもりか? それは不味い。キノエさんに聞かれるわけにはいかない。
さっさと写輪眼を奪ってずらかろう。
振りかぶったクナイがカカシの左眼を抉り取った……と思ったら、ポンッという軽快な音と共に辺りが煙に包まれる。
煙が消えた後に手元を見れば、俺のクナイは室内にあった椅子の足部分に突き刺さっていた。変わり身の術……。
後ろを振り返れば、俺の背後を取ろうとしていたカカシVSさらにその後ろを取ったキノエさんというマトリョーシカ戦が始まっていた。ややこしいよ。
「狙いは写輪眼か」
ご名答。俺が真っ先に写輪眼を抉り取ろうとしてたの、やっぱりバレちゃった。
「キノエ、お前も仲間同士で殺し合うなどおかしいと思わないのか!?」
「任務ですから」
キノエさんにまったく同じ返しを受けたカカシの表情が歪む。
「仲間を殺す任務なんてあるわけがない! お前達にそのような任務を与えた人間が間違ってる!」
「ダンゾウ様が……間違ってる?」
キノエさんは経緯はどうであれ、自分を拾って育ててくれたダンゾウに恩を感じてる。
モズもそうだって言ってたっけ。幼少期からの刷り込みは侮れない。どう考えても二人は被害者なのに。
「ダンゾウ様が間違ってるはずがない!」
一度でも怯んだ己を恥じるように、キノエさんが刀を振りかぶる。
それを難なく受け止めたカカシが、動かない俺を訝るように一度だけ視線を寄越した。
俺の目は、二人の攻防戦ではなく、その更に奥に向けられていた――正確には彼らの背後にある巨大なガラスケースに。
俺たちのそこそこに激しい戦いは、当然ながら室内の備品を破壊しながら行われていた。
その中にはケースも含まれていて、例えばキノエさんが投げた手裏剣だったり、吹き飛ばされた刀であったり、俺が外した蹴りであったり……それらがガラスにヒビを入れていたわけだ。
……お分かりいただけただろうか。
僅かに入った亀裂を押し広げるような、ドンッ! とケースの内側から何かを打ち付けるような音が響いた。
霧がかった室内に不気味なシルエットが浮かび上がる。
キノエさんとカカシも戦うのをやめて、ゆっくりと後ろを振り返っていた。
もう一度、ドンッと施設全体が揺れるような衝撃がくる。
「まさか……」
そのまさか、だ!
三度目の衝撃音は、ガラスが割れる音と共に部屋中に響き渡った。
「キノエ、そこから離れろ!」
カカシが伸ばした腕は届かず、キノエさんは霧にまぎれた“それ”の牙に捕われて見えなくなってしまう。
そう、これだよこれ。囚われの姫って普通こういうシチュエーションだよな! やっぱりあの中忍試験は……って思い出し殺意抱いてる場合じゃなかった!
『チッ』
お行儀が悪いけど許されたい。こんなの舌打ちしたくなってもおかしくないだろ?
俺とカカシは天井すれすれに移動した。
ガラスケースに入っていた液体が蒸発したせいか、さらに霧が濃くなっている。これでは部屋の様子が分からない。
全身のチャクラを両眼に集中させ、視界が赤に染まる。
キノエさんの居場所はすぐに分かった。
非常に残念なことにすぐそばに別の気配がある。それも、禍々しいチャクラの持ち主が。
『木ノ葉旋風!』
深い霧の中に身を滑り込ませた勢いそのまま、ガラスケースから逃げ出したと思われる“それ”に向かって連続した蹴りを放つ。
ゆらりと気配ごと髪が揺れる。それは、とにかく大きかった。
巨大な大蛇に人のような顔がついている化け物がこちらを見下ろしていた。
肝心のキノエさんは大蛇の尾に巻きつかれて身動きが取れなくなっている。
きつく締め付けられているのか、苦しげな呻き声まで出していた。
まさに大蛇丸と蛇を足して二で割ったような実験体の姿に空いた口が塞がらない。
なんか顔も大蛇丸に似てる気がするし、ご丁寧に立派な御髪までついている。ノーベル気持ち悪いで賞!
「スバル、足元だ!」
『…………これは』
この状況では一時休戦してくれているカカシの存在がありがたい。
同じように上から降りてきたカカシの言葉を受けて足元に目をやれば、夥しい数の白蛇が蠢いていた。
人面蛇と比べれば小さく、通常サイズではあるものの、床を埋め尽くさんとする規模だ。しかも明らかに毒を持ってますよと言わんばかりの見た目である。
奥歯に解毒剤は仕込んでいるが、一気に噛まれたら解毒が追いつかずにあの世行きになりそうだ。
例え毒がなくても、大蛇丸産の蛇に噛まれると何か大事なものを無くしてしまう気がする。貞操とか。
『火遁・豪火球の術!』
カカシへの挨拶代わりに放ったものより数段大きな炎の塊が、範囲内の白蛇を一掃していく。
炎を逃れた蛇は直接刀で切り裂きながら、こちらの隙をついてくる大蛇の攻撃も同時に躱す。
忙しすぎる。蛇自体がトラウマになりそうだ。
「はっ……お前、さっきの炎、まったく本気じゃなかったんだな」
『あの程度だと思われたら心外ですね』
息も絶え絶えなカカシの軽口につい反応してしまった。
俺たちは自然と背中合わせになって、忍刀を握る手に力がこもる。
任務の遂行に俺の意志は関係ないが……破綻してしまったものは仕方がない。
『任務は放棄します。キノエさんの命の方が大事ですから』
この場にダンゾウがいたとしてもそう判断しただろう。
写輪眼を手に入れる任務と、この世にたった一人しか存在しない木遁術の使い手であるキノエさんの命、どちらが重いかは明白だ。
あの大蛇を始末した後に、カカシと殺り合う体力が残っているとは思えない。
「……感情がないとか言ってたのは、」
『これ以上根での立ち位置を悪くするわけにはいかないので』
背中越しにカカシの動揺が伝わってくる。
今ならキノエさんに俺たちの会話を聞いている余裕もないだろうと考えての発言だったが、喋りすぎたかもしれない。
まあ、きっとこれが最後だからいいか。カカシと話をする機会なんてそうあるもんじゃない。
『…………俺は、四代目の見ていた未来をこの眼でも見てみたかった』
戦争がなく、幼い子ども達が呆気なく命を落とすこともない世界。
まるで絵本の中から飛び出してきたような、平穏な日常。
そんな世界で生きるイタチとサスケはどのように暮らすのだろう。
忍という存在がなくなっていれば、修行で怪我をするなんてこともなくなっているのかもしれない。
ただ一つ確かなことは、二人は……今よりずっと笑顔でいてくれるんだろうな。
カカシが笑った。憑きものが取れたような晴れ晴れとした笑みだ。
「見られるだろ――今からでも」
『…………』
同じ夢を見ることは諦めていたはずなのに。不思議だ。本当にそうなる気がしてくるんだから。
休まず刀を振り続けていた腕が少し痺れてきた。足元の白蛇はほぼ始末したし、頃合いだろう。
カカシは右手に千鳥を、俺はありったけのチャクラを両足に集めて、勢いよく地面を蹴った。
カカシの千鳥が大蛇の尾を切断し、キノエさんの拘束が緩む。
キノエさんが床に落下する前にカカシが受け止めたのを横目に、尾を無くしてバランスを崩した大蛇に渾身の蹴りをお見舞いした。
耳を防ぎたくなるような絶叫が響く。ひどく耳障りな断末魔と共に、大蛇の体が傾いて床に転がる。
大蛇丸の実験体なだけあって、半端なチャクラではダメージを与えられそうになかった。
おかげで立っているのもやっとだ。ダンゾウに特別手当請求しよ。
「ごほっ……」
「大丈夫か?」
カカシに上半身を起こされたキノエさんがぼんやりと目を開く。顔色は良くないが、無事でよかった。
「どうして…………助けたんですか。あなたを殺そうとした、僕を」
「死にたかったのか?」
「…………いえ」
キノエさんの声は弱々しく、感情が乗せられていないようでいて、今にも泣き出しそうだった。
「僕は……死にたくはありませんでした」
「それなら、生きていることに感謝するんだな」
キノエさんにとっては酷なことだろう。一度だってそんな生き方をしてきたことはないはずだ。
「早くここから脱出を、」
カカシの言葉が途切れる。俺とキノエさんも、部屋に満ちていく瘴気に気づいた。その出どころが分かったところで、もう手遅れらしい。
ぐにゃりと視界が歪む。
「スバル!?」
『キノエさ、ん、これを吸わないでくださ……い』
思考が途切れ途切れになったせいか、お面の声もノイズ混じりになる。
いつもの静電気が額に走るような感覚がぷつんと消える。
違う。思考のせいじゃない、チャクラ切れだ。
体内のチャクラ量が一定以下になると、使用者の安全のためにお面の機能が停止するって聞いていたような……。
キノエさんが俺の肩に腕を回して支えてくれた。
「解毒剤を!」
なんとか頷いて、ガリッと奥歯に仕込んでいた解毒剤を噛み砕く。
キノエさんやモズほど毒への耐性がないから結構きつい。
いいや、あの大蛇丸の実験体の体液から生成された毒の霧だ。その辺で耐性を作れるようなものは使っていないだろう。
だとすると、キノエさんやカカシですら危ないってことか?
「う……」
「カカシさん!」
俺に続いて、カカシが倒れた。しかも、こっちはさらに重症で意識すら手放している。
そりゃそうだ。俺とキノエさん二人がかりの戦いで疲弊していた上、うちは一族でもないのに写輪眼を多用したから肉体への負担も大きい。
嫌な予感ばかりが的中する。
ああもう、写輪眼強奪任務が大蛇丸の残した実験体退治に切り替わったかと思えば、最後は全滅フラグ! あの毒まみれの実験体をケースに入れて持ち帰ってダンゾウの屋敷にぶちまけてもいいんじゃないかな!?
《じぶんで あるけます》
だから、キノエさんはカカシを頼みます。
そんな思いを込めて、ぐっとキノエさんを押し退ける。
ふらりと踏み出した足がずりっと地面の上を滑る。
体内の熱が一気に頭にのぼるような感覚に包まれてひやっとした。しかし、予想した痛みはやってこない。
俺の腰にはキノエさんの腕から飛び出した木遁がしっかりと巻き付いていた。……もう少しで地面に顔面強打するところだった。
「僕はスバルより年上だし、暗部でも先輩だ」
キノエさんは倒れていたカカシを担いで、さらに木遁で作った“腕”で俺を支えた。か、かっこいい……。
「大丈夫、このまま部屋を突破するよ!」
一生ついていきます、キノエ先輩!!