第十七話 転回
「ツミ隊長。これで最後です」
〔ああ〕
忍刀を軽く振って付着した血を払う。見上げた空は曇天で、今にも雨粒がこぼれ落ちてきそうだった。
「巻物は全て回収しました」
〔木ノ葉に戻る〕
「はい!」
元気よく返事をした部下たちから巻物を受け取り、落とさないよう上着の内ポケットに仕舞い込む。
仮面の男はあれから一度も姿を見せることもなく、表面上は平和な日常が戻ってきていた。
ちなみに俺もここ最近でかなり出世してしまった。今では小隊を率いるリーダーである。
まさか、本当にカカシにタメ口を使っても問題ないところまで来てしまうとは。人生というやつは何が起きるか分からない。
イタチは試験に合格して中忍になっているし、数ヶ月後にはサスケのアカデミー入学を控えている。
あのサスケがついに忍者学校に通う年になったのだと思うと感慨深い。
ううっ、入学式に参加するサスケの姿を想像しただけでお兄ちゃんは泣きそうだよ。
絶対に当日は休みを貰って参列するんだ。そして、今回こそサスケと一緒に家まで帰る。イタチの時は邪魔が入ったが、そうはさせるか。
「ツミ隊長、この後何かご予定でもあるんですか」
〔どうしてそんなことを聞く?〕
「いえ……いつもより雰囲気が楽しげでしたので」
それなりに長い付き合いになる部下達が「オレもそう思ってた!」「デートですか!?」と騒ぎ立てる。そんなに分かりやすかったかな。
〔子どもに会うんだ〕
「……子ども」
「え?」
正直に答えたらその場の空気が凍った。
いやあ、最近暗部の任務が忙しすぎてあまり会えてなかったから。ちゃんと飯食ってるのか気になってて。
「……へ、へえ、おいくつなんです?」
〔もうすぐ六歳だ〕
「ろっ!!」
部下の一人が盛大に顔を引き攣らせた。彼らは俺から距離をとり、お互いの肩に腕を回して内緒話を始める。
「隊長、何歳だっけ」「十四だと聞いたが……」「!?」コソコソと小声で話している内容はこちらには聞こえなかったが、その雰囲気から少なくともいい内容ではないことは分かる。
俺は溜息をついて腰に手を当てた。
〔置いていくぞ〕
「は、はいっ!」
今日の任務は、霧隠れの暗部が木ノ葉から無断で持ち出した巻物の奪還だった。国境ギリギリまで逃げられてしまったせいで帰るのも一苦労である。
不法侵入されすぎだろ木ノ葉。うーん、どこの里もこういうのは防ぎようがないって聞くけど。
抵抗されたら殺せという命令だったが、この状況で大人しく巻物を返してくれるはずもなく、結局全員斬り殺してしまった。
まったく、ちょっとはこちらの苦労も考えてほしい。
「あの……もう一つだけ聞いてもいいですか?」
木ノ葉へと続く道を走っている途中、隣に並んだ部下が恐る恐るといった様子で尋ねてくる。
一つくらいなら、と頷いた。
「隊長は、その子が可愛いんですか!?」
〔…………〕
いや……そんな、全力で質問する内容がそれでいいの?
〔まあ……それなりに〕
「…………」
この微妙な空気をどうしてくれるんだよ。
三代目に任務の報告を終えて、更衣室で着替えを済ませて一旦家に帰ることにした。
うちはの自治区に入り、暫く進んだところに俺の家がある。玄関の前に誰かが立っているのが見えた。
「あっ」
「…………」
イタチと同じくらいの年頃の……シスイか!
一番最初に参加したうちはの定例会で親切にしてくれた子だ。
「こんにちは」
丁寧に会釈付きの挨拶をしてくれたので、こちらも同じように頭を下げる。
「あの、オレ、イタチ君を待ってて……今サスケ君が呼びに行ってくれてるんです」
そうかそうか、イタチを。二人が友人関係だというのは以前イタチから聞いたことがある。小さく頷いて、俺も玄関に足を踏み入れる。
何でも一人で抱え込みがちな弟に心を許せる友がいるのはとても嬉しい。これからもイタチをよろしく頼むよ。
「スバルにいさん! おかえりなさい!」
靴を脱いでいると、背中に小さな衝撃があった。サスケが抱きついてきたらしい。
そんなサスケはシスイの方を見てむうっと頬を膨らませた。
「スバル兄さん……帰ってたんだ」
《ただいま》
少し遅れて、イタチが玄関に顔を出す。
《すぐにでる》
「スバルにいさんまで、イタチにいさん達と行っちゃうの!?」
《おれは にんむがある》
ああ、サスケがシスイを不満そうに見てたのはイタチを呼びにきたからか。イタチと過ごす時間が減っちゃうもんなあ。
しょぼんと項垂れてしまったサスケにちくりと胸が痛んだ。俺が一緒にいてあげたいけど……これからまた任務が……。
《いっしょに つれていけないのか?》
「うん……シスイと修行するから」
それは連れて行けないな。二人の修行に巻き込まれてサスケが怪我をするかもしれない。
「ごめんな、サスケ君」
「……むう」
シスイに対してむっつりとした顔を見せたサスケに笑いそうになる。
そんな可愛いのに敵意丸出しなことある?
シスイが苦笑した。
俺はサスケを抱き上げて肩車した。
《すこし さんぽするか》
「……うん!!」
約束の時間まで少し余裕がある。俺とサスケはイタチとシスイを訓練場近くまで見送って、その帰り道にうちは煎餅を買った。身内贔屓を無しにしてもこれは美味い。
手を繋いでいたサスケがじいっとこちらを見上げてきていたので、首を傾げる。
もう家に着いてしまった。散歩が物足りなかったかなと思っていたらサスケは「えへへ」と笑った。
「スバルにいさんもイタチにいさんも大好き!」
「…………」
帰宅した瞬間に爆弾を投下されてしまった俺は瀕死になったが、何とか地面から這い出して家を後にした。
「スバルにいちゃん、遅いってばよ!」
《すまない》
遅刻はしていないはずだが、時間ギリギリになってしまった。久しぶりに会うナルトは相変わらずだった。
家にお邪魔すると、以前のようにカップラーメンが並んでるだけではなくなったものの、まだまだ占める割合の多い棚が真っ先に目に入った。
ナルトが「……えへ」と誤魔化すように笑っている。俺の作り置きはとっくに食べきってしまったようだ。
「でもさ、でもさ! 昨日は自分で料理したから!」
《りょうり?》
「まだ残ってるからスバルにいちゃんも食べてみて!」
ぐいぐいと背中を押されて、椅子に座らされる。
《つくれるように なったのか》
「ふふーん。これでやっと、にいちゃんの驚く顔が見られるかな?」
すっかり指文字を読めるようになったナルトが得意げに笑う。
それは楽しみだ。ついさっきサスケと煎餅を食べたばかりでお腹は空いてないけど、入らないわけじゃない。
ナルトは冷蔵庫からラップのかかった皿を取り出して、温め直していた。
「じゃーん!」
「…………」
これは…………チャーハン! 俺の大好物!!
差し出されたスプーンを受け取り、早速食べてみ……うんま!?
「……もしかして、美味しい?」
こくこくと頷く。マジで美味い。
ご飯はパラパラじゃなくてしっとりなんだけど、しっかり味が染みこんでるニラがとにかく……美味い、美味すぎる。ベーコンとの相性も最高。なんだこれ。
「へへ! ちょっと驚いてるの、分かったってばよ」
《おいしい すごいな》
ちょっとどころか、だいぶ驚いてる。こんなに美味しいチャーハンは初めて食べた。
「にいちゃん、チャーハンが好きだって言ってたから、一楽で秘密のレシピを教えてもらっ……あ、」
「…………」
ごめん、笑っちゃダメなんだろうけど、ちょっとニヤけそうになった。内緒にしたかったことを、つい口にしちゃうところがナルトらしいというか。
それにしても……そこまでして俺の好物を作ってくれるなんて、嬉しいな。
《ありがとう》
常に指文字には心を込めてるつもりだけど、これはもっと特別だ。伝わっていればいい。
ナルトはニッと笑う。でも、すぐに寂しげな表情になってしまった。
「……ほら、もうすぐアカデミー始まるし…………」
「…………」
「火影のじいちゃんに頼まれてたの、入学までなんだろ?」
三代目に頼まれていたナルトの世話と護衛は、彼がアカデミーに入学するまでと言われていた。それももうすぐ終わる。
そろそろ伝えないとって思ってたから、ちょうど良かった。
《うん》
あっという間だったな。暗部の任務であまり来られないこともあったけど。
純粋に俺のことを慕ってくれているナルトの目はいつも真っ直ぐで、くすぐったい気持ちになる。
――ナルトといる時間が好きだ。
彼といる時だけは、一族のことも暗部のことも全部忘れて、一人の人間になれる。
それは無責任と同義でもあるが、一括りにしてしまうにはあまりにも惜しい感情だった。
俯いて表情が見えなくなってしまったナルトの頬を掴んで、引き伸ばした。
「いっ、痛いってばよ!」
絶対に痛くないって。サスケといい、ナルトといい、なんでそんな嘘をつくんだ。
パッと手を離すと伸びた皮膚がバチンッと戻っていく。…………アレ? もしかして本当に痛いやつ?
そわそわしていたら、ナルトがぷっと吹き出した。
「ウソだって、にいちゃん、心配しすぎ!」
「………………」
ついに五歳児にまで心を弄ばれるようになっちゃったのか、オレは。
《また あそびにくるよ》
ぴたりとナルトの表情が固まった。
《こんどは にんむじゃなくて》
ナルトの目がまん丸になって、犬か猫のように俺の胸に飛び込んでくる。その小さな体を受け止めて頭を撫でた。
……俺にもう一人弟がいたら、こんな感じだったのかな。
「約束……嘘ついたら針千本だってばよ」
「…………」
ついさっき嘘をついた人間が何をとは思ったが、大人な俺は不問にしてやることにした。
俺に抱きついているナルトには指文字は見えない。それなら。
「……にいちゃん?」
そっとナルトを抱きしめ返す。思えば、イタチとサスケ以外の誰かを抱きしめたのは初めてだった。
とくとくと少し早い鼓動の音が聞こえる。腕の中のナルトは緊張で動きがぎこちなかったが、構わずそのままでいた。
……なんか、違うな。イタチとサスケを抱きしめてる時ってこう、俺もう死ぬのかなあって思うし実際にそんな状態なんだけど、ナルト相手だとひたすら心が穏やかというか……。
ちょっと何言ってるのか分かんない。誰か翻訳してくれないか? スバル語は習得難易度Sだって誰かが言ってた。
「よっ、ツミ隊長。最近どう?」
〔…………〕
ポンッと肩を叩かれて振り返れば、二つのニヤニヤ顔が視界に入った。テンゾウさんとカカシだ。
俺がろ班を離れてから、更衣室で一緒になる度に隊長呼びして揶揄ってくる。それなりに照れるからやめてほしい。
この二人、こういう時だけ無駄に結束力あるんだよな。
すでに任務服から着替え終わっていた俺はパタンとロッカーの扉を閉めた。部屋を出る前に外そうと思っていたお面に触れる。
〔ぼちぼちかな〕
「ま、元気にやってるようで良かったよ」
同じ班ではなくなったとはいえ、こうやって更衣室で頻繁に顔を合わせるし、一から編成した即席チームで一緒に任務をこなすこともある。
そのせいか、俺の方はまだろ班に所属しているような気分だった。隊長としての自覚がないだけかもしれない。
「もう帰るのか?」
〔行くところがあるから〕
「ろ班のみんなとラーメンでも食べに行こうって話してたから声掛けようと思ってたのに」
テンゾウさんが残念そうに言う。それは是非とも行きたかった。
でも、俺はこれから死地に赴かなくちゃいけないんだよ……骨は拾ってくれ。
鳥のお面を外して更衣室を出た俺は、監視がついていないか慎重に周辺の気配を探ってから、人通りの少ない道に身を潜めた。
仕舞い込んだ鳥のお面の代わりに猫のお面を被って、真っ直ぐ目的地に向かって走る。
――ダンゾウの待つ根の本拠地だ。
地下へと潜ると、暗がりで何かが光ったのが見えた。すぐさまホルスターからクナイを取り出して、それを弾く。
カランッと音を立てて飛んできた何かが、俺が着地したパイプ菅の上に転がる。手裏剣だ。
『俺です、キノトさん』
「クロか」
戦闘態勢に入っていたキノトさんが緊張を緩める。
ちゃんと正規ルートを使わなかった俺が悪いとはいえ、せめてお面を確認してから攻撃してほしいものだ。
「ダンゾウ様がお待ちだ」
どうやらこのまま案内してくれるらしい。キノトさんの隣に並ぶと、暫く沈黙が流れた。
……何でもいいから喋ってほしい。
「お前とこうやって言葉を交わすのはキノエが抜けた時以来だな」
『そうですね』
気を引き締めるように息を吐き出すキノトさん。
「お前、あの時……オレに幻術をかけたり、しなかったよな……?」
『…………』
バッチリかけました! 途中で目を覚まさないか心配になってビンタもしちゃいました!
などと白状するわけにはいかないので、お面で見えないとはいえ、一応神妙な表情で首を横に振った。
『キノトさんはダンゾウ様を呼びに向かった途中で侵入者であるカカシと交戦し、幻術を受けたと聞いていますが』
「オレもそう聞いてる。でも……最後に見たの、お前の顔だった気がするんだよ」
『ああ、写輪眼による幻術を受けた際に起きる記憶の混乱でしょうね。よくあるんです』
大嘘である。しかし、キノトさんは写輪眼持ちである俺が言うならそうかもしれないと思ったのか「なるほど」と少し安心したように頷いていた。ちょろいぜ。
「疑って悪い、忘れてくれ」
『いえ。キノトさんが無事で本当に良かったです』
「クロ……」
キノトさんが感動したようにこちらを見てくる。
バレたら殺されるなこれ。言い換えればバレなきゃ何してもいいってことだ。素晴らしい世界だよ。
そんな話をしていたらダンゾウの待つ部屋に到着した。
「オレはここまでだ」
『はい。ありがとうございました』
キノトさんの姿が消えたのを確認してから『ダンゾウ様、クロです』障子越しに声を掛ける。
障子の向こうで気配が揺れた。ややあって、小さな声で「入れ」と許可を貰った。
おい、「入ってください」だろうが! やり直し。
脳内のダンゾウが「お入りください」と言ったので、満足した俺はやっと障子を開けた。
ダンゾウは座布団に腰掛けて、こちらを気怠げに見つめている。暗部の任務終わりにここまで呼びつけた人間の態度とは思えない。
三代目なら労いの言葉が出てきてるところだ。
「うちはフガクから、うちはイタチを暗部に推薦したいと打診があった」
『…………』
「クロ……お前はこれをどうみる?」
父さんがついに動き出したか。ダンゾウから熱い視線を受けながら、俺は思考を止めないように気をつけた。
『彼は、うちはイタチを一族のスパイとして利用するつもりだと思われます』
「ほう……己の父に対して他人行儀な言い方だな」
『俺はダンゾウ様の部下です』
ダンゾウが満足げに笑った。いいぞ、もっと気持ち良くなれ!
「お前はよくやってくれている。……三代目の元にやったのも、結果としては根に益をもたらしてくれた」
『…………』
俺が三代目の動きを逐一報告しているおかげで、ダンゾウはお得意の“悪巧み”を邪魔されることなく、非常に有意義な時間を過ごしているようだった。
また俺の知らない間に謎の研究施設が木ノ葉に増えてるんじゃないだろうな。
「うちはイタチは優秀な忍だ。今は根に呼び込むことは難しいが、いずれそうなる」
ダンゾウの言葉に眉を顰める。いずれそうなる? やけに自信があるようだ。
「うちはイタチの暗部入りの条件として、一つ任務を与えることになっている。簡単ではないが、きっと上手くこなすだろう」
熱に浮かされているような表情で、ダンゾウが続ける。
「うちはフガクのこともある。根によるうちは地区の監視人数も増やすつもりだ。お前は表向きは一族の者となっているが、監視のことは気取られないようにしろ」
『はい』
ダンゾウから、一族に信用してもらう為にある程度はチクっていいよと言われていた俺はちょっと残念だった。
勿論ダンゾウや根の機密に関わる内容は呪印的にもアウトだが、今日の集会は暗部に監視されてるよとか、あの人が最近上層部に目をつけられてるらしいよとか、そういった些細な情報を一族に流していたわけだ。
仲間であるはずの俺に監視をバラされた根の人の気配が思いっきり動揺していたり、まあ、楽しかったよね。……本当に残念だ。
「これからも期待しているぞ、クロ」
『お任せください』
俺は跪いていた状態から立ち上がって、一度頭を下げて部屋を出た。
深く息を吸う。うーん、やっぱダンゾウのいる空間って空気が不味いんだよな。
ダンゾウに呼び出された日は、ほぼ必ずと言っていいほど甘味を摂取してから帰宅している。家にまでこの鬱々しい気分を持ち帰りたくないからだ。切り替えって大事。
「スバル兄さん……?」
「…………」
あ、ああ……ああああ!?
里の中心部にある茶屋。外側にある長椅子に腰掛けてみたらし団子を二本同時に頬張っていた俺は、ダラダラと背中に大量の汗をかいていた。
……やべえ、イタチが女の子とデートしてる。
「どうして兄さんがここに……」
イタチが気まずそうに視線を逸らす。
イタチの隣に立っていた女の子は、俺たちの顔を何度か見比べて「イタチ君のお兄さん!?」と悲鳴を上げた。
「任務が終わって、ここに?」
「…………」
ごくんと咀嚼していた団子を飲み込む。きつい、きつすぎる。
基本的に人付き合いが苦手な人種である俺は、弟のデート現場に居合わせた時の正しい対応が分からない。
イタチのぎこちない反応からして、今すぐこの場を去るべきなんだろうか? それともこの泥棒猫! って女の子をビンタするべき?
……ダメだ、後者は絶対にイタチに嫌われる。そもそもこのような可愛らしい女の子をビンタしたくない。キノトさんに再ビンタした方がマシだ。
邪魔してごめん! どうかお幸せに!
お茶と菓子代を先払いしていて良かった。
俺はまともにイタチ達の顔も見られずに、逃げるようにその場を離れ――ようとしたが、腕を掴まれて後ろに引き戻された。
「あっ、あの!」
イタチとデートしている女の子だ。俺の左腕を両手で握っていて離してくれそうにない。
もういっぱいいっぱいだった俺は泣きそうだった。
「うちはイズミといいます。その、イタチ君にはよくお世話になっていて……お隣いいですか?」
「…………」
俺は見た。こちらを見上げているイズミという少女は気づいていないだろうが、彼女の後ろに立っていたイタチがちょっと嫌そうな顔をしたのを。
嫌そうというか……迷惑そうというか……無理だ。俺が死ぬ。弟に嫌われるくらいなら今すぐ存在を消したい。
俺だって弟の恋路を邪魔する無粋な兄のレッテルを貼られたくない。
俺は全力で首を振った。横に。少女――イズミが「ええっ」と声を上げる。
「どうしてですか? この後用事でも?」
俺は助けを求めるようにイタチを見た。今すぐ別の茶屋に行くか、俺の腕を掴んでいる少女に手を離すように言って! 頼むから!
「……ごめん、兄さん。イズミは言い出したら聞かないんだ」
「…………」
死刑宣告だった。俺は項垂れて、そのまま長椅子に座り直す。絶望だ……。
そんな俺とは対照的に太陽のような笑みを浮かべたイズミが、嬉しそうに俺の隣に座った。
待ってくれ、せめてイタチを真ん中にしないか?
「すみません、二人追加で」
俺の心の叫びなど聞こえていないようで、イズミが元気よく店の奥に向かって声を張り上げた。
「はーい」
やってきたのは、先ほど俺の注文を受けてくれた女の子だった。
彼女は俺を見てにっこりと笑うと、隣に座るイズミとイタチに気づいて目を丸くした。
「イタチ君やなかね!」
「シンコ」
俺とイズミは勢いよくイタチを見た。イタチは心なしか嬉しそうに……見えなくもない表情でシンコと呼んだ少女と言葉を交わしている。
まさか……ここにきて二股か? 弟よ……。
「私、今はここで働きよるとよ」
「そうか」
安心したように目を細めて返事をするイタチに、イズミが二人を見比べて……肩を落としてしまった。
ああっ、そんな、落ち込まないで! まだ分からないぞ。イタチは誠実な子だ、きっと勘違いに決まってる。
茶屋のシンコがイズミに目を向けて、首を傾げる。
「彼女?」
「友人だ」
俺とイズミは即答したイタチを見た。本命はそっちだったっていうのか!?
イズミがずぅーんっとこの世の闇を全て背負ってしまったような表情になったので、あまりにも不憫に思えてしまった俺はその背中を撫でてやった。強く生きろよ……。
「ふふっ。この子、すごくガッカリしたばい」
「が、ガッカリだなんて……!」
イズミが顔を真っ赤にして否定する。分かりやすい。しかし、肝心のイタチには伝わっていないようだ。
「それにしても、やっぱりイタチ君のお兄さんやったとね」
シンコが俺に笑みを向ける。
「兄さんを知ってたのか?」
「うん。常連さんやから」
「…………」
ああ……弟に茶屋によく出没してることがバレてしまった。さっきも団子二本踊り食いしてるの見られちゃったし……兄としての威厳が微塵もないじゃないか。
シンコはイタチとイズミの分のお茶を出すと「注文が決まった頃にまた来るけん」と言い残してまた店の奥に引っ込んでしまった。
この場に取り残されてしまった俺たちの間に気まずい空気が流れる。
「イタチ君……今の人は?」
「昔の仲間だ」
昔の仲間と聞いて、真っ先にテンマという少年の顔が浮かんだ。
もしかして、あの時のイタチの班員の一人か? あの少年の死がきっかけで忍を辞めてこの茶屋で働くようになったのかもしれない。
仮面の男による被害がこんなところにまで影を落としているとは。まったく、なんてやつだ。
「そっか……あっ、イタチ君のお兄さん、今更なんですがお名前を聞いてもいいですか?」
「…………」
本当に今更だ。イズミが名乗ってくれた時にこちらも名乗るべきだった。
ただ、多分この子、俺が話せないことを知らないと思うんだよ。
《いたち》
俺の指文字を見たイズミがぎょっとする。しかし、すぐに自分の反応が失礼だと気づいたのか身を縮こまらせた。……優しい子だ。
《じゃまをして わるかったな》
「兄さん……そんなこと」
イタチが少し泣きそうな顔で首を振る。
「ごめんなさい! 私……」
「…………」
いいんだよ気にしなくて。そういうのには慣れてるし、俺だって立場が違えば全く同じ反応をしてる自信がある。
そもそも、俺がデートを邪魔したのが悪いんだから。
二人の頭に手のひらを乗せると、ぽかんとした顔でこちらを見上げてくる。
本人は気づいていないようだが、イタチはイズミを友人以上に想っているように感じる。
なんだろ、兄としての勘ってやつ? 弟に対する俺の勘はそこそこに当たると自負してる。
《ちゃんと おくってやれよ》
「うん……」
それならいい。イタチの頭を撫ででいると、イズミが意外そうな顔で見ていた。その視線に気づいたイタチの頬が赤に染まる。
しまった、好きな女の子の前で子ども扱いされたくないよな。ごめんよ、イタチ。可愛くてつい!
パッと手を離して、背中の後ろに隠した。そろそろ俺は自分の両腕を切り落とした方がいいのかもしれない。
イタチの暗部入りの為の任務が正式に決定したらしい。態度に出ないようにしているようだが、その日からイタチの纏う雰囲気はどこか暗く、人を寄せつけない。
サスケは気にせず話しかけにいっているようで、あのコミュ力を見習いたいと思ったりする。
俺? 目も合わせられないよ。任務内容もダンゾウから聞いてるし、軽率に頑張って! なんて声も掛けられない。
三代目も三代目だ。あのダンゾウに任務を任せたらえげつないのを選んでくるに決まってるじゃないか!
イタチがダンゾウに任された任務は、
ちなみに俺もよく知っている人物で、なんと暗部の同僚だったりする。よくある「まさかあの人がねぇ……」状態だ。
火影直属の暗部でありながら、どうやらコソコソと霧隠れに里の情報を流していたらしい。けしからん奴だ。
この時点で、これから暗部に入ろうというイタチに暗部のベテランをぶつける気? 正気か……? と思ったが、ダンゾウが正気ではないことは俺がよーく知ってるので今更である。
アイツ、平気でライオンにネコぶつけようとするからな。◯子VS◯◯子を観て出直してきてほしい。
同格同士がぶつかり合って生じる一瞬の煌めきに魅せられて来い。
名前で察している人もいるだろうが、彼は日向一族の遠縁にあたる家柄だ。
血が薄い小日向家の人間でありながら白眼を有しており、俺と同じく体術メインで戦う人だ。
何度か近くで戦ってるところを見たことあるんだけど、これがまた強いんだよ。
攻撃と攻撃を繋ぐ動きの一つ一つに無駄が一切ない。つまり隙を作らない。白眼のおかげで視野も広く、敵の攻撃を察知するのも早いから、まず初速からして違う。
体術を扱う者として、写輪眼ではなく白眼を持っていればと何度考えたことか。
……そう考えると瞳術なしで体術のスペシャリストとまで呼ばれるようになったガイ大先輩はやっぱり凄いな。
俺もいつか写輪眼に頼らずあの境地まで辿り着きたいものだ。
話が逸れた。そう、そんなムカイにイタチをぶつけるのはどうなのって話なんだけど、実はこの二人、初対面じゃない。
少なくともムカイはイタチのことをある程度知っている。
――例の大名護送任務に選ばれた暗部のチームに、カカシと一緒に参加していたからだ。
カカシ以外の全員が幻術に嵌ったという、悪い言い方をするとマジで使えなかった暗部の一人である。
あの人が特別幻術に弱いって情報は聞いてないが、もしかしたらそうなのかもしれない。
だとするとイタチにも勝ち目はあるということか。どんな手練れでも幻術にかかってしまえば解術できない限り対抗できない。
それに、今回の任務はイタチ一人でこなすわけじゃない。
ダンゾウは一人だけ同行を許可しているようだから、きっとシスイに頼むんじゃないかと俺は踏んでいる。
イタチとまともに話もできないまま、うちはの定例会を迎えてしまった。そもそも、なんかずっと避けられてる気がする。気まずい。
実はイタチが下忍となって参加資格を得てから、初めて一緒に参加する会合である。
俺は暗部の任務で忙しくてほぼ参加できてなかったし、イタチも度々欠席していて、見事にすれ違っていたわけだ。
あの息苦しい木ノ葉アンチの会に共に参加しなくて済んだことにホッとしてたのに。憂鬱がすぎる。
「スバル、もう出るぞ。イタチは先に行ってる」
《わかった》
部屋に呼びにきた父さんに頷く。両親も俺もイタチも出る為、家にはサスケ一人になってしまう。
「……行ってらっしゃい」
「…………」
玄関にまで見送りに来てくれたサスケが、言葉とは裏腹に俺の服を掴んで離さない。
俺の中の罪悪値と幸福値が同時にカンストした。
「サスケ。兄さんは大事な会合があるんだ。困らせるのはやめなさい」
「……はぁい」
父さんの言葉に、サスケが渋々と手を離す。ガッデム!!
父さんがいつまで経っても動こうとしない俺の腕を掴んで家を出ようとする。
ああっ、サスケ! すぐに帰ってくるからな、俺が帰ってくるまでに変な人がお家を訪ねてきても出ちゃダメだからな!
「それでは、定例の会合を始める」
俺とイタチは、死刑を待つ死刑囚のような表情でヤシロさんの言葉に耳を傾けていた。離れたところにシスイの姿も見える。
気のせいかな、隣に座るイタチからの視線が痛い。この場に俺がいるのに違和感があるのか、それとも別の理由からか。
分からないが、あまりの居心地の悪さに正座している足を僅かにずらした。
「イタチの暗部入りが目前に迫った」
は?
隣の気配が揺らいでいる。俺の纏うチャクラも一瞬不安定になって、すぐに落ち着きを取り戻す。
父さんは任務のことを知らなかったか……? いや、知ってるはずだ。内容までは詳しく知らされていなくとも、それがイタチの命をかけて行われることくらい分かってるはずだ。
父として息子への信頼の表れかもしれないが、どうにも納得がいかない。
「暗部にはすでに長男であるスバルが所属している。きっと上手くイタチを手引きしてくれるだろう」
おいおい、そんな話聞いてないぞ。隣からの視線が強くなった。許せない。
「これでようやく、我らの悲願が叶う大きな一歩となる」
俺は静かに目を閉じて、時が過ぎるのを待つ。ここから先はいつものパターンだ。満足するまで木ノ葉への恨みつらみを吐き出して、終わり。
言葉は呪いだ。吐き出すことによって感情をより高め、支配する。
俺が次に目を開けたのは、神殿を背にして熱弁する父さんのチャクラの質が変わった時だった。……写輪眼になっている。言葉に熱が篭ってるわけだ。
「イタチの暗部入りを機に、我らは里へのクーデターを実行へと移す」
一斉に歓喜の声が上がった。
「スバル、イタチ。お前達には木ノ葉上層部に近づいて、彼らの情報を流してもらう」
イタチの動揺がこちらにも届いた。……イタチが暗部入りの為に受けた任務もまた、スパイを殺すこと。
ダンゾウも人が悪い。彼は言外にこう伝えているわけだ。木ノ葉を裏切るようなことがあれば、お前もこうなる運命なのだ、と。
俺とイタチを見る一族の眼がどいつもこいつも真っ赤だったので、俺も思わず写輪眼になった。
攻撃されてるのかと思った。興奮してるだけか、ややこしい。
南賀ノ神社の鳥居のそばで立ち止まり、空を見上げた。
名前も分からない小さな鳥が気持ちよさそうに青に混じって飛んでいる。
――自由、か。
後から出てきた人たちが俺の肩を叩いて「期待してるぞ」と声を掛けて去っていく。
俺がまだ幼かった頃、散々白い目で見てきた人たちだ。
調子がいいなという思いもあれば、彼らにも苦悩や葛藤があったんだろうと察する気持ちもある。正当化はできないけれど。
「スバルさん」
俺の後ろで立ち止まっていた気配には気づいていたが、あえて振り向かずにいた。
名前を呼ばれたことで、やっと首だけを横に向ける――シスイだ。
「お話ししたいことがあります……イタチ君と一緒に」
「…………」
シスイの隣にはイタチが立っていた。ああ、これはきっと良くない話だな。
二人の纏う雰囲気ですぐに察した俺は、断ることも出来ずに頷くしかなかった。
人目を憚るように移動した先は、演習場だった。ここで一体何を?
ぼけっとしている俺の手に、シスイがクナイを握らせた。ええ?
俺の脳内でイタチ&シスイVS俺という、まさにライオンとネコの戦いが繰り広げられたが、その妄想は俺の死体が転がったところで打ち砕かれた。
「監視がいるんでしょう」
「…………」
「オレ達はスバルさんに修行を見てもらいたくてここに来た……そういうことです」
フリをしろってことね。それにしてもこの監視に気づくとは。
俺がクナイを離れた的に投げると、シスイがそれに倣う。イタチも同様だった。
それにしても、さっきからイタチが一言も喋ってくれない。
最近ずっと避けられてたからな……あれ、最後にイタチとまともに会話したのって茶屋以降無い? あとは「おはよう」とか「おやすみ」くらいしか無かったような……。
「スバルさんは、一族のことをどう考えているんですか」
「…………」
いきなりクリティカル出してくるじゃないか。死体蹴りまでしてくるなんて。
俺は的に刺さったクナイを抜き取って、ため息をついた。
そろそろストレスで禿げそう。うちわ型に。
《どういう いみだ》
シスイがごくりと息を呑む。威圧したつもりはなかったが、ちょっと配慮が足りなかったかもしれない。
ごめんね、俺も余裕がなくて。
「……貴方はきっとオレ達と志を同じくしているのかと」
《まさか》
二人がクーデターに反対していることは、その態度で知っている。父さんもだ。
実際、イタチは前回の定例会で一族の前で反論してしまったらしい。
父さんから相談を受けた時は《いたちも そのうち わかるようになる》と伝えたが、正直腑が煮えくり返りそうだった。
《もう とまらない》
「それを止められるのが、オレ達です」
《とめて どうする》
返す言葉を用意してなかったのか、シスイが怯んだ。
そういえばナチュラルに指文字で会話してたけど、いつの間に覚えたんだろう。
「……兄さんは木ノ葉を憎んでいるのか?」
ずっと黙っていたイタチが、拳を震わせながら口にする。今度は俺が怯む番だった。
「兄さんが上層部に付けられた呪印で苦しんでいることを、シスイから聞いた」
「…………」
イタチにそんな気はまったくないことは理解してる。でも、イタチの態度そのものが俺に留めを刺そうとしていた。
――失望。
兄として、弟からその感情を向けられることがどれほど辛いか。俺は……知らなかった。今この時までは。
「スバル兄さんも、父さんのように……」
――聞きたくない。意識が乖離するような感覚があったが、すぐに引き戻された。
「待て、イタチ」
シスイがイタチの次の言葉を遮ってくれたおかげで、俺は自分が呼吸すらも忘れていたことに気づく。
二人に悟られない程度に急いで新鮮な空気を肺に取り入れた。それでも苦しい。誰かに心臓を握られているかのようだ。
「感情的になるな。冷静に話をしようと言っただろ」
二人は、冷静に、俺を糾弾しようとしているわけだ。最近のイタチが俺を避けていた理由はこれだったのか。
イタチが平和のために忍として努力してきたことを知っていながら、父と共に里へのクーデターを進めようとしている兄。……失望されて当然だな。
イタチは優しいから、これまでずっとその感情を押し殺して俺に接していたんだと思うと、さらに胸が苦しくなった。
――この くにが すきか?
かつて、自分がイタチに向けた言葉。屈託なく笑ったあの幼い笑顔は、今でも忘れられない。あの時から俺は……。
《…………》
手が震えて、指文字が言葉とならない。このくらいで動揺してどうする。
全部覚悟の上だったじゃないか。今更……こんなところで、心を折るなんて、そんなこと。
木ノ葉を憎んでいるかだって? 否定はできない。
でもイタチが……他でもない、お前が!
……このどうしようもない国を好きだと言ったんだ。そんなお前の心を俺が踏み躙っていいはずがない。
……もうやめよう。言い訳はこれで最後だ。
《そうだとして なんのかんけいがある》
シスイとイタチが完全に言葉を失ったのが分かった。
半分嘘で、半分は真実。だからこそ苦しかった。
イタチやサスケを守るために始まった嘘が、今では何よりも二人を傷つけると知りながら、俺はもう止まれないところまで来てしまっている。
《おまえたちに できることはない》
少しの怒りもあったのかもしれない。こんなの、完全に八つ当たりだ。イタチの傷ついたような表情に目を逸らす。
これ以上ここに留まれない。二人に背を向けると、力強い声が届いた。シスイだ。
「でも、オレ達は止めてみせます――必ず!」