じんせいみてい!   作:湯切

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第十八話 破鏡不照

「会合まで時間がある。こんな早くに出てどうするつもりだ?」

「少し身体を動かしてきます」

 

 父さんの訝るような視線に気づかぬ振りをして、朝稽古をすると嘘をついた。

 本当は行く当てなどない。ただ、少しでも家にいる時間を減らしたいだけだった。

 

 これまでずっと、目を背けてきたことがある。スバル兄さんのことだ。

 兄さんの任務での活躍や、一族への貢献を父さんが褒めているのを見るたびに……心がざわつく。

 

 兄さんはクーデターのことをどう考えているんだろう。

 

 絶対などというものは無いと分かっていたはずなのに、オレは心のどこかで兄さんは自分と同じ考えなのだと決めつけていた。

 

 兄さんは今も昔も変わらず優しい人だ。

 里のためにその身を捧げ、常にオレとサスケの前を歩き続ける――そう思っていた。

 

「そうか、お前はまだスバルさんと共に会合に参加したことがなかったな」

 

 会合までの僅かな時間、ふらっと立ち寄った演習場にはすでに友人の姿があった。

 うちはシスイ。志を同じくする、数少ない一族の人間。

 

「オレにはイタチのようにスバルさんの感情の機微を感じ取ることはできない。その行動が本心に基づくものかどうかも……ただ、ハッキリしていることは、スバルさんが既に里の情報を一族に流しているということだけだ」

「……兄さんが、」

 

 ショックだった。勝手にそうだと決めつけて、期待して――失望するなど。兄さんにとってもいい迷惑だろう。

 

 いつだってオレとサスケに甘くて、優しい兄さん。だからこそ理解したくなかった。

 スバル兄さんが、一族の為だけに、より多くの犠牲を望んでいるかもしれないなんて。

 

「まだそうと決まったわけではないだろう」

 

 シスイの慰めだけが、オレの支えだった。

 

「仮にそうだとして……優しい人なんだろ、お前のお兄さんは。一族というよりも、お前やサスケ君の為に、うちはの地位を確固たるものにしようとしている……そう考えられないか?」

「…………」

 

 柔らかな笑みを浮かべながらオレとサスケを見つめているあの瞳。オレにしか分からないほど僅かな変化。

 

 兄さんから受けてきた愛を疑うことは……出来なかった。

 

 

 

 南賀ノ神社での会合は予定通り行われた。

 

 いつもと変わらぬ内容に疲弊する。ここに来るたびに心が摩耗し、感覚が鈍っていく。

 

 前回の会合では一族の言葉に納得ができず口答えをしてしまったことを、オレはずっと後悔していた。

 今でも気持ちは変わらない。でも、熱に浮かされた人間に何を言っても無駄だということは、分かっているはずだった。

 

 どうにか……彼らを止める手段はないのだろうか?

 このままでは里の上層部だけに留まらず、木ノ葉の危機を察知した他国からの侵略を受けて大勢の命が失われてしまうかもしれない。

 仮にクーデターが失敗に終わったとしても、一族が受ける被害は想像を絶するものになるだろう。

 里と一族、共存の道を探し出すことができれば……。

 

「イタチの暗部入りを機に、我らは里へのクーデターを実行へと移す」

 

 父さんだけでなく、こちらを振り向いた一族の瞳が赤に染まっている。

 彼らの視線から逃れるように隣に向いたオレの目は、会合中ずっと無表情だった兄さんの横顔に辿り着く。

 兄さんの瞳もまた……一族に同調するように写輪眼になっていた。

 

 

 

 会合が終わり、真っ先に立ち上がって部屋を出たのは兄さんだった。

 そんな兄さんの姿に、部屋に残った一族の何人かが「立派になったものだ」「フガクさんの育て方が良かったんだろう」と口にする。

 兄さんは本当に、父さんたちの考えに賛同しているんだろうか。

 

 兄さんは鳥居の前で立ち止まり、何かを思案しているようだった。

 そんな兄さんに「期待している」と声をかけて去っていく人たち。

 幼い頃の記憶が蘇る。外でうちはの大人に会うたびに、冷たい視線や言葉を受けていた兄さん。今更態度を変えてきた彼らに思うところが無いはずがない。

 

「スバルさん」

 

 オレの隣に立ったシスイが兄さんの名を呼ぶ。オレ達の気配には気づいていたはずなのに、兄さんは興味もなさそうに顔だけをこちらを向けた。

 胸がざわつく。己に向けられた瞳にここまで温度を感じられなかったのは、初めてだった。

 

 場所を変えて話をしようと提案するシスイに、兄さんが頷く。

 神社から演習場に着くまで、兄さんと目が合うことは一切なかった。

 

 

 

 投げたクナイを全て的に命中させていく兄さんを盗み見る。シスイも兄さんの動きに魅入っていて、自分の手元が疎かになっているようだった。

 

 ――もしも兄さんと戦うことになったら、勝てるのか?

 

 最近ずっと考えていたことだ。答えは出ていない。兄さんが一族側として木ノ葉と敵対するのなら、そのような未来もあり得る。

 そうなったら……勝たなくてはならない。何としても。

 

 俺が兄さんの戦いを間近で見たのは、大戦の時だけだ。今でも絶賛されている体術の腕は相当なものであるのは間違いない。

 体術に幻術で対抗しようにも、同じ写輪眼を持つ兄さんがそう簡単に幻術にかかってくれることはないだろう。

 

「スバルさんは、一族のことをどう考えているんですか」

 

 思考に沈んだままだったオレの代わりに、シスイが尋ねる。

 兄さんはまるで質問された事実すらなかったかのように平然としたまま、クナイを回収しようとしている。

 最後の一つを的から引き抜いた兄さんが小さくため息をついた。

 

《どういう いみだ》

 

 呆れというよりも、苛立ちが滲んでいる。どうしてわざわざそのようなことを聞くのかという煩わしさからだろうか。

 

 指文字を教えたことのあるシスイの緊張がこちらにまで伝わってくる。

 

 兄さんは、クーデターを“止まらない”と言った。……そんなことはない。まだ道はあるはずだ。

 兄さんが一族を“止められない”と判断したのなら、これから共に考え、力を合わせていけばいい。

 

《とめて どうする》

 

 シスイの提案を一蹴した兄さんが痛いところをついてくる。クーデターを止めて、それから……。

 

「……兄さんは木ノ葉を憎んでいるのか?」

 

 口にしてすぐに後悔した。ここで言うつもりではなかったのに。

 

 今日一日ずっと読めなかった兄さんの感情が表に溢れた。――悲しみ。自分の言葉が兄さんを酷く傷つけてしまったという事実に頭が真っ白になる。

 思考が正常でないというのに、オレの口は止まってくれなかった。呪印のことにまで触れ、やはり兄さんは……という可能性がチラつく。……苦しい。でもそれ以上に兄さんの方が辛そうだった。

 

 シスイの制止がなければどこまで問い詰めていただろう。

 ――違う、違うんだ、スバル兄さん。オレは貴方を責めたいわけじゃない。

 兄さんはあの戦争で人間同士が殺し合いを続けることをどう思った? 仲間が倒れても顧みることすら許されず、がむしゃらに他国の忍を殺し続けたことを、一体どんな気持ちで……。

 うちは一族の身勝手なクーデターが、またあのような惨劇を引き起こすかもしれないのに!

 

 オレはただ、兄さんのことが知りたかった。

 今も昔も、いつだって兄さんのことを知りたくてしょうがない。一度でいいからその心に触れてみたかった。

 

《そうだとして なんのかんけいがある》

 

 それは、やわらかな心臓を握りつぶすような――拒絶。

 

 ありとあらゆる物事が、取り返しのつかない過去となる。

 オレはこの感覚をよく知っていた。痛いくらいに。

 

「……イタチ」

 

 ギリッと唇を噛みしめる。血の味がした。

 兄さんを引き止めることすら出来なかったオレとシスイは、ぽつりぽつりと降り始めた雨に肩が濡れても、暫くの間その場から動けなかった。

 

 

 

「……スバルにいさんとケンカしたの?」

 

 心配そうにこちらを見上げてくるサスケの頭を撫でて、苦笑する。

 

 任務はないはずなのに日が昇るよりも先にどこかへ出掛けてしまったスバル兄さん。

 会合があった日から、兄さんが家にいる時間はほぼゼロに等しかった。

 元々複数の任務を掛け持ちしているようで多忙な人ではあったが、ここまで姿を見かけないのは初めてだった。

 

 オレやサスケより先に起きて、オレ達が寝静まった頃に気配すらも消して帰ってくる。その繰り返し。

 

 何度か翌日に響くと分かっていながら兄さんの帰りを寝ずに待っていたこともあったが、やっと帰ってきた兄さんと話をすることは出来ず仕舞いだった。

 ……話しかける勇気すら打ち砕かれるほど、兄さんからの拒絶は強い。

 あの冷たい瞳と目が合っただけで足がすくんで動けなくなってしまう。

 

「仲直り、しないの?」

「……できるならしたいさ」

「それなら大丈夫だよ! スバルにいさん、優しいもん。ごめんなさいしたら、すぐに許してくれるよ」

「……そうだな」

 

 両手に握ったクナイを擦り合わせる。明日は暗部入りの条件でもある重要な任務がある。よって、今日一日は通常任務もなく休暇となっていた。

 

 サスケに何度もお願いされて修行に付き合うことになったが、そろそろ明日に備えたい。

 家に帰ろうと声をかけると、サスケの頬がぷっくりと膨らんだ。

 

「明日の任務のためだ」

 

 強がってはいるが、すでに目元が潤んでいる弟に罪悪感を抱く。

 オレも折角の休暇をもっとサスケと過ごしたかった。

 

「……兄さんのうそつき」

 

 サスケが拗ねたように鼻を鳴らす。完全に臍を曲げてしまった。

 

 仕方なくこちらを睨みつけてくるサスケを手招きすると、あっという間に浮かんだ笑み。

 ここにいるのがオレではなくスバル兄さんだったなら、嬉しそうに駆け寄ってくるサスケを腕を広げて抱きとめただろう。そんな想像にすら胸が痛んだ。

 

「許せサスケ……また今度だ」

 

 こつんと額を小突く。痛い! と大袈裟に叫んだサスケに笑って、曲げていた膝を伸ばした。

 

 

 

 意地でも修行を見てもらおうと無茶をしたサスケが足首を捻ってしまったので、おぶってやるとすっかりご機嫌になった。

 

 帰り道の途中、背中のサスケが「あっ」と声を上げる。

 

「ここでしょ、父さんが働いてるのって」

 

 木ノ葉警務部隊の本部。

 

「イタチ兄さんもここに入るの?」

 

 何の意図もない純粋なサスケの疑問が胸に突き刺さる。

 自身も望んでいることを除けば、木ノ葉とのパイプ役が欲しい父や一族のために暗部に入ることになっていた。

 

「どうだろうな……」

 

 否定も肯定もできずに濁したオレに、サスケは「そうしなよ!」と叫ぶ。

 

「大きくなったら、オレも警務部隊に入るからさ! スバルにいさんと、イタチにいさんと、オレでこの里の治安を守るんだ」

「…………」

 

 スバル兄さんやサスケと共に警務部隊に入り、里を守る。そのような未来を思い浮かべるだけで胸が温かく、満たされていく。

 一族がこのような状況でなければあったかもしれない、今では絶対に来ないであろう夢のような日々。

 

 顔を見なくとも、サスケがどのような表情なのかは弾んだ声ですぐに分かった。

 

「明日の入学式には父さんも来てくれる。オレの夢の第一歩だ」

 

 

 

 うちは地区の入り口で待っていた父さんと共に家に帰り、話があると言った父さんの部屋の障子を開く。

 

「…………」

「あ、スバル兄さん! 朝からずっとどこに行ってたの?」

 

 部屋にはすでに兄さんが待機していて、きちんと正座をして座っている。

 早朝でも深夜でもない時間に兄さんの姿を見るのは久しぶりだった。兄さんに会えた嬉しさと気まずさで感情がぐちゃぐちゃになる。

 

 嬉しそうに駆け寄ったサスケの頭を兄さんが撫でている。その目がゆっくりと立ったままのオレに向けられた。

 

「…………」

 

 スバル兄さんは何も言わなかったけれど、これまで騒ついていた心が一気に落ち着いていくのを感じる。

 あの瞳じゃない。いつもの、温度を感じられる兄さんの瞳に戻っていた。

 

「二人とも座れ」

 

 父さんがオレとサスケにそう言って、部屋の一番奥の座布団に座る。

 オレは兄さんの隣、サスケはオレの隣に座って、姿勢を正した。

 

「明日だそうだな」

 

 明日――小日向ムカイ暗殺任務のことだとすぐに察した。なぜ父さんがそのことを?

 

「その特別任務にオレもついて行くことにした」

 

 ――オレの夢の第一歩だ!

 

 明日はサスケのアカデミーの入学式。一族のことばかりで、大切なことを忘れるなんて。

 

 父さんへの怒りで溢れそうになる心を必死に押さえつけた。

 オレの隣でサスケは笑っていた。きっと悲しくて悔しくてどうしようもないだろうに、必死に耐えて……笑っている。

 我慢しなくていい。お前は自分の望みを口にしたっていいんだ。

 頷いたオレに背中を押されて、サスケが恐々と口を開く。

 

「父さん、明日はオレの……」

「明日の任務はうちは一族にとって――」

 

 サスケの言葉を勢いよく遮った父さんの言葉が不自然に途切れる。

 オレの左隣に座っていた兄さんが急に立ち上がったせいだ。

 

「スバル?」

 

 父さんを見下ろす兄さんは、無表情で何を考えているのか分からない。先ほど見られた僅かな温度すら形を潜めてしまっている。

 

 兄さんが両腕を持ち上げた。指文字だ。兄さんが指文字を使っているところを見るのも、オレにとっては会合以来だった。

 

《とうさんが どうこうする ひつようはない》

「一体どういう意味だ……スバル」

《さすけの にゅうがくしきも》

 

 父さんがハッとした表情でサスケを見た。

 

《おれがいく とうさんはいらない》

「いらない、だと、お前はいつもそうだ、親に向かってその口の利き方は……」

《こんどこそ ぜったいに いっしょにかえるんだ》

「は?」

 

 父さんの間の抜けた顔なんて、一生に一度見られるかどうかじゃないだろうか。隣のサスケもぽかんとしている。

 

《あのやろう いつも おれのじゃまを》

「…………」

 

 話の流れが掴めない。そう思ったのはオレだけじゃなかったようで少し安心した。

 

《とうさんは るすばん すればいい》

「……お前が何を言いたいのかさっぱりだが、よく分かった」

 

 ……結局何も分かってないのでは? と思ったが、突っ込む人間はこの場にいない。

 

「サスケの入学式にはオレが行く。……スバル、お前も明日は急遽任務が入ったと言っていただろう」

「…………」

 

 兄さんは腕を下ろして、もう何も言うことはないという顔をした。

 

 父さんが額に手を当てて、ため息をつく。やがて立ち上がって、母さんの待つ食卓へと足を向けた。

 その背中を、捻った左足を庇いながらサスケが追いかけて行く。

 

「スバル兄さん」

「…………」

 

 サスケの後ろ姿を心配そうに見送っていた兄さんを呼ぶ。兄さんの両腕が持ち上がったのを見て、心が震えた。

 ――会話をしようとしてくれている。

 それだけでも嬉しくて、どうにかなりそうだった。

 

《おれのいしは かわらない》

「…………」

 

 兄さんは父さんと一緒にクーデターを実行に移していく。

 

 僅かな期待はすぐに砕かれてしまったけれど、まともに目も合わせてもらえないよりはずっとマシに思えた。

 

《でも》

 

 兄さんの瞳が寂しげに瞬く。

 

《わるかった》

 

 何についての謝罪なのかは、聞いてはいけない気がする。

 兄さんはオレの頭に手を伸ばして……触れる前に引っ込めた。

 

《あした むりはするな》

 

 立場の違う兄さんからの、精一杯の激励だった。それを手放しで喜ぶには……失ったものが多すぎる。

 

「……うん。頑張るよ」

 

 もう昔のように兄さんに頭を撫でてもらうことも、抱きしめてもらうこともできない。

 

 それでも、平和のために歩みを止めない――己の忍道を捨てることは、どうしても出来なかった。

 

 

 

 裏切り者の末路は呆気ないものだった。

 

 シスイの万華鏡写輪眼によって脳に干渉を受けた小日向ムカイが、自ら己の腹を切り裂いた。

 ムカイは他里のスパイ……敵に情報を抜かれる前に自害するような術を仕込まれていたんだろう。

 

「忍の死に様なんざこんなもんさ……」

 

 最期に任務中でも手放せなかったタバコを手に、ムカイは完全に動かなくなった。

 

「あとはこちらで処理します」

 

 初めから闇に紛れて潜んでいたのか、暗部がすぐに駆けつける。

 ムカイの全身を確認したのち、死体を布袋に入れていく。

 後からやってきたもう一人の暗部が袋を受け取って、肩に担いだ。

 

「クロさん、それくらいオレがやりますよ」

『問題ない。お前は先に戻ってダンゾウ様に報告を』

「はい!」

 

 白猫のお面の少年だった。やはり火影直属ではなく、ダンゾウの指揮する暗部――根の所属だったか。

 かつて、スバル兄さんが在籍していたところだ。

 

 少年は辺りに落ちていたクナイや、タバコの吸い殻に至るまで全てを回収すると、オレとシスイに背を向けて両足にチャクラを込める。

 

「待ってくれ!」

 

 シスイが少年を呼び止める。少年は振り返らなかったが、足を止めて話だけは聞いてくれるようだった。

 

「小日向ムカイの裏切り行為に、彼の妻子は関係がない。どうか――もう一人の暗部にも伝えてほしい」

『お優しいんだな』

 

 オレ達より先にダンゾウ様へ報告に向かった二人が、そのままムカイの家族に制裁を下す可能性は高い。

 

 シスイの言葉に少年が笑ったような気配があったが、不思議と不快感はなかった。

 

『全てはダンゾウ様が決めることだが……伝えておこう』

 

 そう言って、少年が姿を消す。

 

 自分にとっても、一族にとっても重要な任務が無事に終わった。

 安堵の息を吐き出したオレの肩に、シスイが頭を預けてくる。

 

「……シスイ、近い」

「今の、ちょっとスバルさんに似てるよな。背格好と、雰囲気がとくに」

「…………」

 

 オレも以前から思っていたことだ。でも兄さんは話せないし、何より根からは脱退している。……他人の空似だろう。

 

 

 

 装備部で必要なものを受け取り、指定された扉の前に立つ。

 ――ついにここまで来た。

 暗部専用の更衣室の前で、深呼吸する。

 

〔へえ、テンゾウさんらしいですね……。ああ、扉、開けてもらってもいいですか〕

「あ……すみません」

〔いえ、だいじょ――うわああっ!?〕

「!?」

 

 いつまでも扉の前に突っ立っていたせいで、通せんぼしてしまったようだ。

 軽く謝罪して横に移動すると、後ろにいた二人のうち、声をかけてきた一人が叫んだ。

 まるで幽霊か怪物でも見たかのような悲鳴だった。

 

〔ヒッ……い、イタチ……?〕

「…………」

 

 なんだろう、怖い。しかも、噛みしめるように名前を呼ばれてしまった。

 

 奇妙な発言をしたその人は鳥をモチーフにしたお面を被っており、その隣に立っていた青年はお面を被っていないものの、体を折り曲げて何やら悶絶しているようで、顔は見えなかった。

 

「ぶっ……ふふっ、あはは!」

 

 悶絶どころか顔を上げての大爆笑である。

 ひいひい苦しそうな顔をしながら腹を押さえている。

 オレは一体何が何だか分からなくなって、その場で立ち尽くすしかなかった。

 

「やっぱり、そのお面最高だよ……ここまで酷いのは初めてじゃないかい?」

〔……楽しそうですね、テンゾウさん〕

「ああ……もう正常に戻っちゃったか。残念」

 

 お面をつけていない青年が、目尻に浮かんだ涙を指で拭いながら「ごめんごめん」と謝る。

 

「うちはイタチ君だよね。僕はテンゾウ。同じろ班に所属している」

「……うちはイタチです。今日からよろしくお願いします」

「うん。それで、隣にいるのが……」

 

 テンゾウと名乗った青年が、隣の鳥のお面の少年に目を向ける。

 

「僕が紹介するまでもないと思うんだけど」

「?」

「ほら、スバル」

 

 スバル。まさかこの場でその名前が出てくるとは思わず、思考が停止する。

 鳥面の少年は、ややあって顔を逸らしながら声を出した。

 

〔……うちはスバル。今日からよろしく〕

 

 

 

 更衣室に入ると、オレの配属されたろ班の隊長であるカカシさんをはじめとする班員たちに、それなりの歓迎を受けた。

 中には離れたところからこちらを見定めるような視線を送ってくる人もいたが、気にしていられない。

 

 ろ班はスバル兄さんの班と共同でこの部屋を使っているようで、ちょうど空いてるからと兄さんの隣のロッカーを使用するようにと言われた。

 ……想像もしていなかった展開続きで頭がついていかない。

 

 まず、なぜ兄さんが話せるようになっているのか。……まさか、影分身? もしも影分身が話せるとしたら、どうしてこれまでもそうしなかったのだろう。

 

 次々と浮かんでくる疑問にパンクしそうになっていると、いつの間にかカカシさんとテンゾウさんがオレを囲うようにして立っていた。

 二人の顔はニヤついていて、反射的に身を引いてしまった。

 

「ちょっと、スバル。まさかこのまま黙って任務に行っちゃうつもり? 弟君に説明が必要だと思うけど?」

「そうだよ。それに、さっきから全然話さないじゃないか」

〔……性格悪い〕

「オレ達は親切心で言ってんの! ねっ、テンゾウ」

「勿論ですよ、カカシさん」

 

 ぱちりと目を瞬く。兄さんが家族以外の誰かと好意的に、さらには気安く話をしているのを見るのは……初めてだ。

 

 兄さんは背中に忍刀をさして、ため息をついた。

 

〔イタチ〕

「あ……はい」

〔…………〕

 

 突然名前を呼ばれて上手く反応できなかった。まだ任務前とはいえ暗部に入った以上、先輩である兄さんに敬語は必須なはず。

 そのはずなのに、どうにも失言したような気持ちになるのはどうしてだろう。

 ……絶対に、さっきから笑いを堪えきれずにぷるぷると体を震わせている例の二人のせいだ。

 

〔このお面は、覚方セキの能力のおかげでオレの意思を汲み取り、言葉にしてくれる。オレがこうして話をできるのはそのおかげだ〕

「覚方一族の……」

 

 この世にたった一人の生き残りが木ノ葉にいることは知っていた。他人の心を読み取り、己のチャクラとする一族。

 まだ会ったことはないが、その人はアカデミーでスバル兄さんと特別親しかったと聞いている。

 

「僕はスバルとは根の時からの付き合いでね。ずっとキミの話ばっかりしてたよ」

「オレのことを、ですか」

〔…………〕

 

 スバル兄さんは両手でお面の上から顔を覆っている。……それはちょっと、ずるいんじゃないだろうか。

 

「キミやサスケ君とまた一緒に暮らすことになった時も、早く会いたいな……なんて夢見る少女のように言っ、」

〔さっきから酷いじゃないですか! オレに何か恨みでもあるんです!?〕

「ぶっ……そんな、恨みなんて、ふふっ」

〔この野郎……!〕

 

 ぽかんと目の前の光景を眺めていると、未だに顔がニヤついたままのカカシさんが「ま、そんなわけで」と続ける。

 

「あのお面、ちょっと不具合あるらしくてな。時々ああやって()()()()()発言するけど、気にしないでやってくれ」

「ちょっと……」

 

 ちょっとどころではないと思う。……この現実を受け入れるのに時間がかかる程度には、変だ。

 

 ガチャッと更衣室の扉が開く。ここにいるろ班の人たちとは少し雰囲気の違う三人組が入ってきて、彼らの目が真っ先にスバル兄さんに向かう。

 

「ツミ隊長。そろそろ集合時間です」

〔……すまない。すぐに向かう〕

「いえ、まだ余裕はありますから。外でお待ちしています」

 

 急に真面目なトーンになって彼らに返事をする兄さん。その温度差で風邪を引きそうだった。

 カカシさんとテンゾウさんはやっぱり笑っている。

 

「待ってますよ〜」

 

 三人組のうちの一人が、無駄に明るい声で兄さんに手を振る。個性が強い。なんならお面をつけている時の兄さんが一番強い。

 

「スバルの班、癖強いの多いよね」

〔そうですかね〕

「うん。でもスバルがぶっちぎりで優勝かな」

〔…………〕

 

 ちょうど考えていたことを兄さんとテンゾウさんが話していて微妙な気持ちになった。

 そんなオレに、カカシさんが首を傾げて問いかけてくる。

 

「もしかして、まだ本人か信じられない?」

「そんなことは……いえ、そうかもしれません」

 

 目の前の少年を「お前のお兄さんだよ」と言われるより、あの猫のお面の彼をそう言われた方が納得できる。

 それほどまでに、お面をつけた兄さんの発言は普段とかけ離れていた。

 

「これでいいんじゃない?」

〔あっ、〕

 

 カカシさんが兄さんのお面を外す。声は途切れ、見慣れた瞳と目が合った。

 

「…………」

「…………」

 

 スバル兄さんだった。兄さんが、今度はお面無しで両手で顔を覆う。……だから、それはずるいと思う。

 

《かえせ》

「はいはい。これでイタチにも納得してもらえただろうし、安心して任務に行けるでしょ」

〔余計なお世話だ〕

 

 お面を取り返した兄さんが素早く顔につけて、カカシさんを睨む。

 

〔……弟を頼む〕

「ん! 任せといて」

 

 カカシさんとテンゾウさんがニッと笑う。そんな二人に兄さんも安心したように肩の力を抜く。

 信頼。三人の中にある絆が羨ましくて、眩しかった。

 二人は、オレが見たことのない兄さんをたくさん知っている。

 

〔任務中のオレのコードネームは、ツミだ。班が違うから任務が一緒になることは少ないだろうが……〕

「ツミさん」

〔…………〕

 

 試しに呼んでみたのはいいものの、違和感しかない。兄さんもそう思ったのか、お面は暫く沈黙していた。

 

〔任務中以外はそう呼ぶ必要はない。口調も楽にしてくれて構わないから〕

「……分かった、兄さん」

 

 兄さんが満足げに頷く。穏やかな時間が流れ、オレの方も徐々にお面をつけた兄さんのことを受け入れつつあったその時、再び部屋の扉が勢いよく開いた。

 

「ツミ隊長! まだですかー? 待ちきれないです!」

 

 兄さんの部下と思われる三人のうち、先ほど最後に部屋を出て行った青年だ。

 

 ノックもなかった為、上半身裸だった誰かが「キャッ」と短い悲鳴を上げる。

 念のため言っておくが、ここにいるのは全員男である。

 

〔ユノ〕

「ヨルなんて、もうこーんな顔して待ってるんですよ。あの女怖いです。早く標的を殺しに行きましょう!」

〔もう行くよ〕

 

 兄さんが呆れたように肩をすくめるが、青年の口は止まらない。

 

「そういえば、弟さんですよね。隊長の弟さんならオレの弟でもあるわけで、オレのこともお兄様って呼んでくれても――」

〔イタチの兄はこの世で俺一人だけだ〕

「…………」

 

 きっぱりと告げた兄さんに、青年が不服そうにしている。

 

 兄さんは青年の腕を掴んで、扉に手をかけた。

 

「行ってらっしゃい」

 

 テンゾウさんが兄さんの背中に声をかける。

 

 兄さんは片手を上げて軽く振ると、未だにお兄様呼びについて語っている青年を引きずりながら部屋を出て行ってしまった。

 


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