閉め切っていた窓を開くと、冷たい夜風が部屋に吹き込んできた。
「お腹冷えるよ」
「うん」
もう少しだけ、と伝えると同居人は苦笑して「カイロ持ってきてあげるね」と部屋を出ていく。
彼女とはアカデミー時代からの仲で、スバルを除くと唯一友人と呼べる存在だった。
住む場所を転々と変えなければならない私に付き合ってくれる理解ある人で、思わず「あなたのような人と結婚したい」と口にしてしまうことがあるくらいには、人として好ましく思っている。
「ほら、肩は冷やさない。お腹も冷やさない。足も――」
「わ、分かったから」
戻ってきた友人が私の肩に毛布を被せてくる。
背中とお腹にぺたりとカイロを貼ってくれた彼女がもう一枚毛布を取ってこようとしたので止める。
「そんなこといって、すぐ寝込むんだから。火影様からの依頼だから仕方ないけど……もう少し減らせないの?」
「……火影様の期待に応えたい。少しくらいの無理はするよ」
中忍になってから本格的に木ノ葉の裏の仕事を請け負うようになった。
ある事情があって捕らえた他里の忍の頭の中を覗いて情報を抜き取る機械的な作業。
それらは山中一族であるいのいちさんと行うことが多く、最終的にお互いの得た情報を擦り合わせて火影様に報告する。
単純だけれど精神力とチャクラの両方を消耗する難しい仕事だった。
「例のお面も一つならまだしも二つも作ったんでしょう? あれはセキの持つチャクラ以上のものを奪っていくから……」
「あれは、いいんだ」
一つ目のお面を作った時に随分と消耗したこともあり、次の製作は厳しいとダンゾウと火影様には伝えていた。
それにあれは私の大切な人を不幸にするきっかけとなったもの。いっそ壊れてしまえばいいのに……とまで思っていた。
スバルは知っているのかな。
もう一つお面が欲しいと火影様に言われた時、私はスバルが根から火影直属の暗部へと転属になったことを聞かされた。
……心の底から嬉しかった。やっと彼の不幸が終わったのだと、喜んで新たなお面を作って――
「…………」
私は何も知らなかった。以前ある森で再会したスバルの纏うオーラはすっかり変わっていて、心の声は記憶にあるよりも冷たく……痛々しいものになっていた。
彼の不幸は終わっていない。それどころかこれから始まって、いつ終わるかも分からないのだと……。
窓の向こうを見つめ続ける私に、同居人が小さなため息をつく。
彼女が自分の部屋へ戻っていっても、私は窓の前から動かずにいた。
ズキズキとした痛みを発するお腹をさする。――私はついに子を成せる身体になってしまった。
火影様が腕の立つ忍を手配してくれているようで、こうやって今も生きている。その忍に心当たりがある私は、ずっと闇に潜む姿を探していた。
会いたい。
スバルに……会いたい。
私の切実な願いは、思ってもみない形で叶えられることになった。
――風が、止んだ。
美しい満月が雲に隠れて、部屋を照らすのは小さな蝋燭の灯りのみ。
それまで静寂を保っていた世界が突如として音に満たされていく。
「覚方……セキだな?」
感情を伴わない無機質な声。開いた窓の向こう側に佇んだ影が私を見ていた。影は岩隠れの額当てをしている。思わず窓の桟を掴む。
「あ…………」
私の心を占めたのは恐怖じゃなくて、歓喜だった。覚方の血を求める侵入者の存在なんてとっくに頭にない。
岩隠れの忍が伸ばした腕は私に届く前に斬り落とされていた。
「ぎ……ぎぃ、ああああっ!?」
〔――触れるな〕
ボトンと肉の塊が床に落ちる。至近距離で血飛沫を浴びた私は、ただ茫然と立ち尽くすしかなかった。
再び顔を出した月明かりに反射した忍刀の、すらりと伸びる刀身の美しさに目を奪われる。
刀を振り払って血を落としたその人は、斬られた右腕を押さえて叫んでいる岩隠れの忍を冷たく見下ろしていた。
「木ノ葉の暗部か!!」
〔……何をしようとした?〕
見覚えのある鳥のお面をつけ、暗部の忍装束に身を包んだその人の発する“声”は、こちらが震え上がるほどの怒りに支配されている。
彼は怯んだ岩隠れの忍に一歩ずつ近づいていく。
〔彼女に何をするつもりだった〕
「そ……それは……」
“里に連れ帰って子を作らせた後は脳を摘出して殺す”
動揺のせいか、手で触れずとも心の声が流れ込んできた。気持ち悪さに吐き気すら覚える。
〔……言葉にできないようなことをするつもりだったんだな〕
鳥面をつけた青年の思い浮かべたイメージの一部が見えた。あまりにも強い感情は時として映像となって私に共有されることがある。映像の中の私も殺されていた。
映像はところどころ不鮮明でノイズが走っていて、作り出した本人の拒絶する心が表れている。
ぺたりとその場に座り込む。隣の部屋にいる同居人は無事だろうか……。
私が現実逃避するように同居人の安否を気にしている間に、岩隠れの忍の首が飛んでいた。
刀を背中に隠した青年が目の前でスッとしゃがんだ。
その手が私の頬に触れる前に躊躇うように彷徨って――触れずに終わる。
〔……何か拭くものを〕
そうだ、私の顔は返り血を浴びていた。それを拭おうとしてくれていたんだろう。小さく震えている足を掴んで唇を噛む。
「…………」
幼い頃から多くの戦争を目にしてきた私は、人同士が傷つけ合うことで流れる血が苦手だった。これでも慣れてきた方とはいえ、今みたいに震えが止まらなくなることがある。
火影様が私を里外の任務に出さないのは覚方の血を守るためだけじゃない。……私が弱いせいだ。
「……スバル」
青年の名を呼ぶと、ぴくりと指先が動いたのが見えた。
「隣の……部屋に、私の友人が」
〔…………〕
「無事か確かめたいの。そして、敵がまだいるのならここから離れて、彼女を巻き込まないように……」
いつもなら手に取るように分かる彼の心が見えない。私の心がざわついているせいだろうか。
スバルはこくんと頷いて私の腰に腕を回した。
そのままいわゆるお姫様抱っこをされてしまい、さすがに慌てて止めに入る。
「スバル、あの……これは」
〔すぐだから〕
密着すれば嫌でも相手の心が読める。スバルの心にはやましい気持ちは一切なく、純粋に私を心配してくれているようだった。……恥ずかしいだなんて言える状況じゃない。
緊張で強張る体からできるだけ力を抜いて身を預ける。
スバルの胸に頬を寄せると心臓の音が大きくなった。彼も緊張していることが分かってホッとする。
スバルは私を抱き上げたまま隣の部屋に向かい、友人の無事を確認するとすぐに部屋から飛び出した。
びゅんびゅんと風を切りながら走るスバルが立ち止まったのは、すでに使われていない廃工場の折板屋根の上。
彼はその場に私をおろすや否や、一瞬で姿を消す。
ぽつりぽつりと小さく聞こえていた“声”がスバルが移動するたびに消えていく。まだ聞こえてくる声は多く、次々と集まってきているようだ。
スバルの手から逃れて私に向かってきた忍のクナイをクナイで受け止める。
渾身の力を込めて相手のクナイを弾きとばし、素早く印を結んだ。
「――水遁・花心拿捕の術」
私の背中から生えたチャクラの塊が巨大な腕となって、目の前の忍の腕を握り潰そうとする。
岩隠れの額当てをつけた忍は背中の忍刀を引き抜いて私の“腕”を斬り落とすことで逃れていた。
ただの水となったチャクラの塊が岩隠れの忍の足元で水溜りを作り――再び生成される。
「なっ……!?」
「いくら壊したって無駄。あなたが人としての心を持つ限り――私のチャクラがある限り、それはあなたの前に立ちはだかる」
二つに分かれたチャクラの腕が“グー”の形になり、一気に振り下ろされる。
水と血液が混じり合ったものが屋根に広がって、ぽたりと雨粒のように落ちていく。
「…………」
いつの間にか隣にはスバルが立っていた。彼のお面や刀も血に濡れている。
無性に泣きたいような気持ちになった。こんな時でさえスバルの心は静かで……昔のように容易に読むことはできない。
彼が忍として心を閉ざす術を身につけてしまった証だった。
「今ので最後だね」
独り言のようにぽつりと呟く。スバルはそれを受け止めて小さく頷いてくれた。
〔……どうして今更お前が狙われる?〕
「…………それは」
言い淀んでしまった私に、スバルは優しく〔言いたくなければいい〕と微笑む。
お面で表情は見えないし、以前のようにはっきりと心の声は聞こえていないのに、そんな気がした。
「言いたくないわけじゃない。私は、スバルに隠し事なんてしない」
彼は私に無理をしないでほしいと思ってくれているようだったが、
不可抗力とはいえ勝手に他人の心を覗いてしまう私を受け入れてくれた人。
私が抱く感情とは別に、友人としていつだって対等な立場でいたいと思うのは我儘だろうか?
いつだって自分の心を偽らないスバルの前では、どんな些細な嘘だってつきたくなかった。
「……月のやつが来たんだ」
お面の内側で真っ黒な瞳が大きく見開かれる。予想すらしていなかったらしい。
与えられた任務で他里の忍から情報を得ているからよく分かる。
戦争という目に見える形をとっていないだけで、どの里もお互いの“弱み”に飢えている。常に相手の弱点を探り、隙ができるのを待っていた。
他里の情報を得るのが想像以上に容易だったように、木ノ葉の――私の情報なんて少し努力すればいくらでも手に入るだろう。
もう慣れてしまった。女として生まれてしまった絶望も、苦しみも。それでも私は恵まれているのだと胸を張って言えるようになったから。
「火影様に優秀な忍をつけるって言われた日から、スバルかもしれないって思ってた……ありがとう」
〔……俺がいない時は、別の暗部がお前を守る。何も心配しなくていい〕
“俺がずっとそばにいられたらいいのに”
やっと鮮明に聞こえてきた声に頬が緩む。この人はいつも他人のことばかり気にかけている。
優しい人……優しいからこそ、時に残酷な手段を選び取ってしまうのだろうか。
「やっぱりスバルは優しいね」
数日前に再会した時に見えた決意は今も変わっていない。
「優しいから、そういう道しか選べなかったんだよね?」
少し責めるような口調になってしまったかもしれない。
でも、私にはそんなつもりはなかった。スバルの心に小さな波紋が広がり……やがて落ち着いていく。
「私にはあなたを止められないよ」
――本当は、そんな道を選ばないでって言いたかった。
うちは一族のことも、ダンゾウのことも……火影様のことも。私の見てる世界とスバルの見てる世界はこんなにも違う。
同じ場所にいるのに、こんなにも遠いのはどうして?
私の葛藤すら見透かしたようにスバルは小さく笑った。
〔俺は後悔しない。もう決めたことだから〕
「うん……」
ああ、どうしよう。
伸ばした手のひらがスバルのお面に触れる。血が固まった部分を指でなぞれば塵となって風に攫われていく。
この人が好きだ。初めて会った時からずっと……どうしようもないくらいに。
かつて幸せな感情を注いで作り上げたお面にそっと手をかけて外す。
怪訝そうにしているスバルと直に目が合えば、自然と頬が緩んでしまった。……変わってないなあ。
「お面がちゃんと機能してて良かったけど……私の前では必要ないでしょ?」
ただ顔が見たかった。見るだけじゃなくて、触れたい。一つ叶えば次から次へと生まれてくる欲に自分でも戸惑う。
こういう時こそ相手の心が見えたらいいのに。
スバルの頬に触れる。薄らとしか聞こえていなかった声が大きくなって、まるで閉じていた目を開いたかのよう。
私にとって心の声は世界だ。望めばいつだってそこにある。
引き寄せたスバルが目を閉じようとしていたので、私の動きはぴたりと止まった。
スバルの心は色んな音が混じっていてどれを拾えばいいのか分からない。
「…………スバルのえっち」
「!?」
スバルが固まった瞬間を狙って、その頬に唇を寄せる。
「……? …………!?」
心を読むまでもなく明らかに戸惑っているスバルに吹き出してしまった。
「隙あり」
「…………」
ようやく状況が飲み込めてきたのか、スバルは不服そうにしている。……揶揄ったわけじゃないのに。あれが精一杯だっただけ。
「怒らないでよ」
スバルは拗ねたようにそっぽを向いてしまった。そんな姿でさえも可愛いと思ってしまう。
弁解しようと口を開く前に、くしゅんとクシャミをした。
震えながら腕を摩っているとスバルがぺたぺたと自分の服を触って、しゅんっと落ち込む。
……言うタイミングを逃してたけど、暗部の忍装束は露出が多すぎる。それ以上脱いだらどうなるんだろう。
今でさえ目のやり場に困るのに。
「大丈夫だよ。そんなに寒くはないから」
「…………」
スバルは迷いに迷って、私の腰に腕を回した。そのまま引き寄せられて……ぴたりとお互いの身体が密着する。
「…………」
「…………」
そんなに照れるなら初めからやらなきゃいいのに。
私はスバルにぎこちなく抱きしめられながら、鳥のお面で自分の顔を隠してこっそりと笑った。
***
木ノ葉上層部は警務部隊に対する大幅な予算削減案を提出し、うちはの会合は大いに荒れていた。
ダンゾウには今回こそクーデターに向けて具体的な話が出るに違いないと言われ、俺は三代目から休暇を貰ってまで会合に出席していた。
今日はイタチとシスイも参加しており、彼らは険しい表情で父さん達の言葉に耳を傾けている。
「スバル、お前は何も聞いていないのか」
父さんの腹心であるヤシロの言葉に首を横に振る。
いくらなんでもダンゾウ、三代目、相談役二人の会議に参加するような権限は俺にはない。
どうせいつものようにダンゾウと相談役が暴走した結果、警務部隊予算削減という火に油を注ぐ結果になったんだろうが……いや、ダンゾウの場合は確信犯だったな。
それにしても、毎度のことながら三代目の“弱腰”も笑えなくなってきた。
さっさとクーデターを起こしてうちはが滅んでも仕方ないという大義名分を得たいダンゾウと、和平を求めていながら具体的な案すら出せずに燻り続けている三代目。
最悪の組み合わせだ。
三代目の純粋に里を想う気持ちを理解しているからこそ、やるせない。彼がうちは一族のことを重んじてくれていることも分かってるつもりだ。
……三代目はシスイに一族の命運を託したまま、動かないつもりだろうか?
「次回の会合で、具体的なクーデター決行日について皆と話し合いたいと思っている」
父さんの言葉に、南賀ノ神社に集まったほぼ全員が立ち上がって口々に何かを叫ぶ――ついにこの日が来た。
父さんやヤシロ達の目が俺とシスイに向かう。
「クーデターの成功はお前たち二人の働きにかかっている。頼んだぞ」
「…………」
俺は小さく頷くだけに留めたが、シスイは険しい表情を崩さず、俯いたままだった。
父さんたちの作戦はこうなっている――まずは俺が火影屋敷に堂々と正面から侵入して三代目と接触する。火影直属の暗部という立場を利用するわけだ。
三代目に重要な相談があるように見せかけて彼の気を引いている間にシスイが瞬身で現れ、二人で三代目を拘束し、警務部隊本部まで拉致する。
ここまでなら現実的にも可能なレベルではあると思う。
しかし、まず前提としてこの計画はすでに破綻している。……だって、クーデター反対派であるシスイが三代目の拘束に協力してくれるはずがない。
むしろ火影屋敷に現れたシスイに俺が殺されるパターンだろこれ。
物申したいところは他にもある。仮に三代目の拉致監禁が成功したとして、あのダンゾウや相談役が「三代目の命より大切なものはない……里を明け渡そう」ってなると思うか? なるわけがない。
絶対喜んで三代目を殺すように煽って、表向きは三代目の弔い合戦ってことで堂々とうちはを討ちに来るぞ。
絶対にあり得ないが……仮に、ダンゾウ達が大人しく引き下がったとしよう。
父さん達は無血革命などと大袈裟なものを掲げているが、里の人たちから信望が厚い三代目を過程と内容はどうであれ排斥した時点で、彼らからの支持は永遠に得られない。
解決策は里の人間も全員殺すことだが……昔から少しずつ縮小されていっているうちは一族にそこまでの軍事力があるはずもない。
そう、俺たちは詰んでいたのだ、初めから……。
ダンゾウの底すら無い悪意の前ではなす術なしってことだよ。
こんな穴だらけ夢だらけな計画をここにいる全員が成功すると思い込んでいるんだから、救いようがない。
正直、イタチやシスイが彼らを踏み止まらせようと動いていること自体、俺には滑稽に思えてしょうがない。この一族には勿体ないくらいだ。
一族という小さな枠にとらわれず、里、国、さらにもっと広い世界にまで手を伸ばして平和を望む二人は、こんな場所に生まれなければもっと自由に、心の赴くままに、生きていけただろうに。
――どうしてこの国は、戦争なんてするのかな
なあ、イタチ。俺もお前もあの時の疑問に答える術をもう手に入れてしまったけれど。
お前の心があの日から変わっていないことは、俺が誰よりも知ってる。
「分かってるな、スバル」
父さんが何かを念押ししてきたが、過去のイタチに思いを馳せていた俺は勿論聞いてなかった。
イタチがよく笑顔を見せてくれていた時代に繋がるヘブンズ・ドアーは強制的に閉じられ、一気に現実へと押し戻される。
……なんてことをしてくれたんだ。
怒りを内側に押し込んで適当にこくこくと頷いたら、父さんは満足そうにしていた。
「それでは解散」
ヤシロの言葉に、会合に集まった一族たちは一人また一人と部屋を出ていく。
イタチとシスイがお互いに顔を見合わせながら、何やらアイコンタクトを取っている。
……シスイはいい奴だ。いい奴だからこそ、これからうちは一族がどうなるかを知っている俺は苦しくてしょうがなかった。
会合が終わってすぐ、俺はいつものようにダンゾウに呼び出されていた。
「次の会合で決行日が決まるか」
『そのようです』
「ゴズとメズからも報告を受けている。お前がうちはシスイと共に計画の中核を担うそうだな」
『……はい』
ゴズとメズというのは、俺が根に入る前からうちは一族にスパイとして潜り込んでいる双子のことだ。
顔には整形を施して、あるうちは一族の男になりすましている。
うちはカゲン。それは、誰にも知られることなくひっそりと命を失った哀れな男に残された唯一の存在証明だ。
「それで…………クロ」
手にしていた資料から顔を上げたダンゾウの片目が俺を射抜く。ぴくりと俺の指が動いた。
「なぜ、覚方セキの護衛任務を受けていたことを、ワシにすぐ報告しなかった?」
『…………』
久しぶりに受けるダンゾウからの圧は、思ったより平気だった。
昔は情けなくもこれに怯えていたが、俺もそれなりに成長したということらしい。
俺はダンゾウから目を逸らさず、言葉をお面に委ねた。
『ダンゾウ様は以前、火影様からの任務を全て報告する必要はないと仰いました』
「そうだ。しかし、九尾の人柱力の時は迅速な報告があったではないか。同じく里にとっての重要人物だ。お前が報告を渋るのに、何か個人的な理由があったのではないのかと疑うのは自然なことだろう」
陰湿な奴って口も達者なことが多いから厄介だ。だからって言い負かされるつもりもないけど。
『俺は、覚方セキが里にとってそれほど重要だとは考えていませんでした』
「……なに?」
『俺にとって里とは、根であり、ダンゾウ様です。彼女は根に不信感を抱いている――ダンゾウ様に益をもたらすことはない、そう判断したまで』
「…………」
ダンゾウは未だにどうにかしてセキを手元に置いておきたいと思っている。
しかし、三代目に不信感を抱いていたカカシを懐柔できそうだったあの時とは状況が違う。
――彼女はダンゾウに従うくらいなら死を選ぶ。
俺がみすみすセキを死なせると思うか?
『心に干渉するセキにそういった類いの術は効かないですしね』
従わせる方法などいくらでもある、と言い出しそうなダンゾウに先手を打つ。
『俺はダンゾウ様の忍です。貴方が覚方セキを殺せと命じれば実行しましょう』
「……その必要はない」
ダンゾウが問答に疲れたようにため息をついた。
張り詰めていた緊張の糸が解ける。すとん、と全身の力が抜けた。
ダンゾウがセキを諦めて始末を命じるはずがない――頭の冷静な部分では分かっていたが、もしも違っていたら俺は…………ダンゾウを殺すつもりだった。
例えその前に呪印が発動して死ぬことになろうとも。
ダンゾウがそう決めたのなら、俺が従わなくても他の根の忍たちがありとあらゆる手段を使ってセキを殺しに向かう。
止めるには、ここでダンゾウを殺す以外の手がなかった。呪印が無くても万華鏡写輪眼すら開眼していない俺に勝ち目はないだろう。
それでも……それでも、彼女の死を黙って受け入れる気はなかった。
「大蛇丸が里を抜けていなければ……」
ダンゾウが悔しそうに呟く。大蛇丸がここにいれば、セキを従わせる術はあったかもしれない。
それが無理でも、以前彼が言っていたように出産させてその子どもを利用することも……。
セキが妊娠可能となった今、大蛇丸が木ノ葉に干渉できない現状は唯一の幸運ともいえる。
「報告を怠った件は不問にする。だが、動きがあれば必ず知らせろ」
『はい』
「お前を信用している、クロ」
『……お任せください』
俺を信用していると何度も口にするわりに疑り深いのは、そういう
呪印という縛りをつけてやっと「ワシに危害を加えることができないと“確信している”」そんなレベルだ。
この男が自分と同等かそれ以上に俺を信用するようになるには……あとどれだけの犠牲を払えばいいんだろう。
今夜も元気に闇に潜んでいた他里の暗部を殺して回っていた。
「お前は……木ノ葉のクロネコ……!」
『…………』
コードネームがそのまんま有名になっちゃうのも問題だな。表向きは一応引退したことになってるし。
どこかで三代目の耳にでも入ったら大変だ。よし、死んでもらおう。
俺は地に這いつくばっていた忍にトドメを刺して、忍刀に付着した血液を布で丁寧に拭った。
いい加減この里の結界システムもっと厳重にしてくれないかな。足を踏み入れた瞬間に地獄の業火に焼かれるとかさあ。
ゴキブリ並みに不法侵入してくる輩が多すぎる。
「お前は相変わらず動きに無駄が多すぎる。遊びすぎだ」
『俺はいつも真面目にやってますよ』
隣を見れば、ちょうどモズも敵の喉にクナイを突き立てているところだった。
この場に立っている人間は俺たちしかいない。
今夜の任務は最近多発している不法侵入者たちの一掃だった。そう、セキを狙った奴らのね。
ダンゾウも他国にセキを渡すつもりはないようで、こうやって根の忍を総動員して守りにきたというわけだ。
モズが配属されてる時点でダンゾウの本気度が分かる。彼ほどダンゾウに信頼されてる根の忍はいないし、その貢献度も然り。
モズが普段任されてる任務は、そこそこ根で上の立場にいる俺でも把握できていないくらいだ。
「キノエは元気にやってるか」
『今はもう班が違いますが、カカシといいコンビらしいです』
モズの表情は根の忍らしく基本的に動かないが、僅かに目元が柔らかくなったのが分かる。
任務中はこんなもんだ。任務が終わった後だともう少し感情豊かなんだけど。
ダンゾウに信頼されまくってて、根を裏切った部下であるテンゾウさんのことを今でも気にかけてるとか、最高の上司だと思う。欠点を探す方が難しい。
ああ、短気なのは直した方がいいかな。俺の為に。
『モズ隊長も火影様のところに来ればいいのに』
「……お前、そろそろ己の失言で死ぬぞ」
『隊長がいる時は他に監視の目がない時だって知ってるんで!』
「……はぁ」
さっきも言ったが、ダンゾウはモズを随分と信用しているので、彼がいる任務に他の根の忍を監視につけることがない。
つまり今だけはダンゾウの悪口言い放題ってことだ。なんて素晴らしい世界なんだろう!
俺とモズは死体を全て布袋に詰め込んで、可能な限りここで戦闘が起きたと分からないように痕跡を消していた。
里内の任務ってこういう後始末が必要だから嫌なんだよな。
モズが袋の口を縛りながら、ぽつりと続ける。
「悪かったな。覚方セキのこと」
『ああ……やっぱりモズ隊長だったんスね』
セキの護衛任務に向かう際には、必ず根の監視をそれとなく撒いてからにしていた。
それが今回バレたということは、俺の足の速さについてきた上、俺にまったく気配を悟らせなかった人物……ここまでくるとモズしかいないことになる。
『いずれ報告するつもりではいましたから』
モズも立場上、報告せざるを得なかったんだろう。彼はよく俺に不都合なことをダンゾウに黙ってくれているが、今回のことはいずれ明るみに出る。
自分の立場を危うくしてまで俺に味方する義理はない。
「……そうか」
気にしなくていいと伝えたのに、モズはまだ何か言いたげだ。首を傾げると、彼はちらりとこちらを見て躊躇いがちに口を開いた。
……待てよ。モズが俺とセキのことを知っているということは、まさか昨日の出来事も全部見られ――
「……お前が覚方セキに恋愛感情を抱いていたとは知らなかった」
『エッ』
一体何を言い出すんだ。
モズはお面越しに俺を見て、少し驚いたようだった。
「その反応を見る限り、本当なんだな」
『…………』
そーっと視線を逸らす。自覚がまったくなかったわけじゃない。そうかもしれないとは思ってた。
いつからと言われると自信はないけど。
俺が一番に優先すべきはイタチとサスケだと決めていたから、今更前提がブレるような感情を認めたくなかったのも事実で……。
――そうだ、そのはずだったのに。
俺は今日、セキの為ならこの命を差し出してもいいと考えていた。
一族のせいで弟たちにどのような被害があるか不透明なこの時期に死んでもいいだなんて。……どうかしてる。
「いや、マジかよ……お前」
モズらしくないというか、もしかすると彼の素なのかもしれない口調に顔を上げる。
モズの指が俺に伸びてきて、通り過ぎたと思ったら耳朶を掴まれていた。いだだだっ!?
「耳まで真っ赤」
『……!!……!?』
全身に熱が広がった。
ねえ、まってなんの拷問なのこれ!?