じんせいみてい!   作:湯切

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第二十一話 鳴かず飛ばず

 明日はうちは一族にとって最も重要な会合だった。ついにクーデターの決行日について話し合いが行われる。

 

 今を逃せば二度とクーデターを止められないかもしれない。そう言ったシスイが秘めていた決意を話してくれた。

 

「フガク様にこの万華鏡写輪眼、別天神(ことあまつかみ)を使う」

 

 父さんの心を偽りで書き換えることに一切の躊躇いはなかった。

 親友であるシスイに頼るしかない現状には罪悪感を抱いたが、もしもオレがシスイの立場であったとしても同じことをしていただろう。

 父さんの口からクーデター中止が知らされれば、一族が賛同するかどうかはともかく、開始を遅らせることはできる。

 それからは父さんを筆頭に一人一人説得してオレ達と志を同じくする仲間を増やしていけばいい。

 

「スバルさんのことはお前に任せた方が良さそうだな」

「……オレの言葉は、兄さんに届くだろうか」

 

 自身の口から弱音が飛び出したことに驚いた。

 兄さんはいつも父さんに従ってきたとはいえ、父さんの変貌ぶりを訝しむだろう。兄さんは聡い人だ。万華鏡写輪眼を用いたことにすら気づかれてしまうかもしれない。

 

「スバルさんがお前たちを大切に扱っていることは、第三者であるオレの目にも明らかだ」

「…………」

 

 シスイは笑った。オレの中にある全ての不安を払うように。

 

「大丈夫。必ず分かってくれるさ、お前の気持ちも、オレ達の夢も」

 

 

 

 すでに会合が始まっているであろう時間、オレは一足先にシスイとの合流地点に辿り着いていた。眼前に広がる崖を見下ろしながら、友を待つ。

 父さんに別天神を使って上手くやっている頃合いだろうか。

 父さんをこちら側に引き込んだ後、どうやって一族全員、いや大半を説得すればいい? ここに来てからそればかり考えているが、何も策が浮かんでこない。

 

 せめてスバル兄さんだけでも考えを改めてくれたら……。シスイと兄さん頼みな計画は実行にすら移せなくなり、もっと時間を稼げるはずなのに。

 

「イタチ」

 

 思考に沈んでいたせいで、背後に現れた気配に気付くのが遅れた。

 

 振り返った先にはシスイが立っていた。

 まだ会合が終わるには早い。なにより、シスイの閉じられた右眼から頬にかけて残る血の乾いた跡がオレ達の計画の失敗を示唆していた。

 

「シスイ……その右眼は」

「すまない」

 

 シスイの声は沈んでいた。それでいて凪いだ海のように静かで、いっそ不気味だった。

 

 問いかけに答えないシスイに焦燥感を抱く。一体、彼に何が起きたというのか。

 

「――失敗した。フガク様に接触する前にダンゾウからの邪魔が入ったんだ。もうオレ達ではクーデターを止められない」

「その眼もダンゾウが」

「あの男の手下に油女一族の者がいることは知っているか? ……虫の毒を受けたオレはもう助からない」

 

 ダンゾウの部下……油女一族。すぐに一人の男の顔が浮かぶ。その男は暗部入りと共にダンゾウからオレの手足にと押し付けられた根の忍だった。

 

「ダンゾウはオレの右眼を奪い、根のやり方でクーデターを止めるつもりらしい」

 

 シスイはそこで言葉を切った。彼はずっと崖を見つめていた目をこちらを向ける。その目に滲むのは、戸惑いと――畏れ。

 

「イタチ…………スバルさんを信用するな」

 

 胸を鷲掴みにされるような衝撃だった。

 

「なぜ、ここで兄さんのことが」

「確証はない。だが、オレは……」

 

 シスイの目は、また崖に向けられてしまった。隠された感情の続きを読むことはできない。

 

「いいや、今のは忘れてくれ。そんなはずはない……」

 

 シスイは独り言のように呟く。

 

「残った左眼がダンゾウの手に渡る前に、親友(とも)であるお前に託したい」

 

 その後の記憶が、徐々に黒く塗り潰されていった。

 かつての親友を殺したシスイが、万華鏡写輪眼を開眼した話。左眼だけでなくもう一つ渡したいものがあるのだと無理やりに笑う顔。

 

 それぞれの記憶がバラバラに散って、砕けて、この両手に集中する。シスイの背中に向かって伸びる、この二つの手に。

 

 親友を殺した悔恨の情によって、シスイは万華鏡写輪眼を開眼した。彼の言ったもう一つ渡したいものとは……聞くまでもないことだった。

 

「オレは毒のせいで死を待つのみだ。どうせなら、友であるお前に新たな力を託して死にたい――オレの最期の望みを、どうか叶えてくれ」

「…………」

 

 こちらに背を向けたままのシスイが微かに笑った気配がする。

 

 シスイは、オレにとって二人目の兄のような存在だった。長い時間を共に過ごし、切磋琢磨してきた。

 

 ――死ぬな。

 

 言葉にすることは許されないと分かっていた。

 頬を伝う温もりを自覚した途端、その場で崩れ落ちそうになるのを必死に耐える。

 

「この里を、うちはを……頼む」

「シスイ……」

「お別れだ、イタチ」

 

 背を向けたままなのに、シスイの浮かべた表情がはっきりと()()()

 

「お前と出会えて本当に良かった」

 

 それはこちらのセリフだ。これまでどれだけシスイの存在に救われてきたか……。

 

 指先が背中に触れる。力を込めたのか、込める必要もなかったのか――今となっては何も思い出せなかった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 オレが初めてイタチの兄に会ったのは、南賀ノ神社で行われた会合だった。

 うちは上層部がやってくるまでは比較的穏やかな雰囲気が漂っている会合の待ち時間。それが、今日は少し違っていた。

 

「今日はフガクさんの御子息が初めて参加するらしい」

「さてどうなるかな。我々はフガク殿を信頼しているが……」

 

 オレと共に部屋の隅に座っていた父が、話しかけてくる一族の人たちに愛想笑いを浮かべている。父は忍界大戦で足を負傷してから一日のほとんどを家で過ごしていた。こうやって重要な会合には無理して顔を出しているものの、そろそろ体力的にも厳しそうだ。次回からはオレ一人での参加になるだろう。

 

「…………来たぞ」

 

 聞こえてきた声にオレも入り口に顔を向ける。フガク様に背を押されるようにして入ってきた少年は、自分に向けられている視線など気にならないようで、まったく表情を変えることなく部屋に足を踏み入れた。

 ヤシロさんといくつか言葉を交わした少年が下座――つまりオレの隣に座る。

 凛と伸びた背中はオレと一つしか歳が違わないとは思えないくらい堂々としたもので、彼は会合が開始してからも一切感情を表に出すことはなかった。

 

 

 会合が中断されることなんて、そうあるものじゃない。木ノ葉上層部の情報を紙に書き出そうとしたフガク様の御子息、スバルさんが脇腹を押さえながら苦しみ始めた時は、誰もが立ち上がって何事かと目を丸くした。

 

「あの……?」

 

 そっと肩に手を置いて顔を覗き込む。しかし、すぐにこれはおかしいと気づく。顔が土色だ。全身が小刻みに震え、冷や汗もすごい。

 

 ――まるで命を削られているみたいだった。

 

 フガク様が怪訝そうな顔をして、スバルさんの上着の裾を捲る。

 

「…………これは」

 

 そこには見たことのない模様が刻まれていた――呪印だと、すぐに分かった。言葉を失ったのはオレだけじゃない。父親であるフガク様ですら困惑と怒りの混じった目でそれを見ていた。

 

「スバル、()()は根によるものか?」

「…………」

 

 ある程度呼吸が落ち着いてきたスバルさんは暫く迷う素振りを見せたが頷く。

 

「なんてことだ……いくら暗部とはいえ、このような……」

 

 誰かがぽつりと「うちは一族だからこのような仕打ちを受けているのでは」と口にすると、その憶測に伴う感情はあっという間に全体に広がる。

 クーデターに積極的ではないオレですら、情報漏洩を阻止するためとはいえ、これはやりすぎだろうと思った。スバルさんが紙に書き出そうとした内容が、暗部の機密に関わる重要なものだったとしてもだ。大人たちの無遠慮な視線にも顔色一つ変えなかった人だからこそ、それほどの痛みと苦しみを受けたのだと分かる。

 

「フガク殿、ひとまずは木ノ葉病院か自宅で安静にさせるべきかと……」

「……すまない」

 

 さっきまでスバルさんに横柄な態度を取っていた大人たちの顔に浮かぶのは――同情と後ろめたさ。

 フガク様はスバルさんの腕を肩に回し、立ち上がる手助けをする。真っ直ぐ部屋を出て行こうとした二人を慌てて呼び止めた。

 

「……あの!」

 

 振り返ったフガク様がオレの差し出した手拭いに目を細める。

 

「これ、使ってください」

 

 フガク様と一緒に振り返ったスバルさんが、じっと手拭いとオレの顔を交互に見た。何を考えているのか分からない瞳に見つめられるのは居心地が悪い。急に自分が場違いなことをしている気分になった。

 

「すまないな……シスイ」

「いえ」

 

 受け取ってくれたフガク様に笑みを向ける。スバルさんも思うところがあったのか、会釈をするように軽く頭を下げてくれた。そんな些細な仕草ですらやけに嬉しく感じられて、つい気安く手を振ってしまった。不快にさせてしまったかもしれない。

 

 スバルさんの右腕が僅かに持ち上がって、まるで話しているかのように何度も指を動かす。

 

「え?」

「…………」

 

 スバルさんはどこか困ったような表情をして、もう一度軽く頭を下げて前を向いてしまった。

 

「すぐに戻る。それまで次の会合で話し合う内容についてまとめておいてくれ」

「分かりました」

 

 フガク様とスバルさんが出て行った後、残った者たちで話し合われたのは、当然次の会合に関するものではなく――木ノ葉によるうちは一族への仕打ちについてだった。

 

 

 

 スバルさんの弟であるイタチとは、うちは一族の集落の外れにある森で出会った。

 イタチは年下でありながらすでの忍としての才能を開花させており、一族の大人たちが嫉妬するほどである。

 

 初めてイタチを見た時、絶対に友達になりたいと思った。イタチの強さに惹かれたというより、自分に近いものを感じたのかもしれない。実際、オレたちはとても気が合った。

 

 森で声をかけた時は警戒混じりだったイタチも、勝手に隣で修行をしているうちに、一緒に組み手や手裏剣術の腕を競ったりするようになり――今では隣を歩いて行動を共にするようになった。

 

「お前の友になれて幸せだ」

 

 そんな風に言うとイタチはいつも照れくさそうな顔をする。そして、決してこちらとは目を合わさずに「……オレもそう思ってる」と薄ら微笑んでくれるのだ。

 

 

 

 イタチをただの友人と呼ぶにはついに物足りなくなり、お互いに親友と称するようになった頃。

 いつものように二人で修行をしようと、イタチの家まで迎えに行っていた。気配を察知したのか、玄関の前に立っただけで小さな影が家の奥から駆けてくる。

 

「サスケ君か? 大きくなったな」

 

 ガラッと玄関の扉が開いて、イタチをそのまま小さくしたような存在がこちらを見上げていた。大きな瞳がまんまるになり、やがてガッカリしたように肩を落とす。どうやらオレを別の誰かと勘違いしたようだ。

 

「こんにちは。イタチ君を呼んでくれるかな」

「……こんにちは」

 

 一応挨拶は返してくれたものの、イタチを取られると思っているのか不満そうに唇を尖らせている。サスケ君とは仲良くしたいと思っているのに上手くいかない。

 イタチの兄であるスバルさんとは違った意味で距離を感じていた。

 サスケ君が渋々とイタチを呼びに行った直後、背後から近づいてくる気配を感じた。噂をすればなんとやら、振り返るとスバルさんが立っている。……これほど近くに来るまで気づけなかった。

 

「こんにちは」

「…………」

 

 イタチ曰く、「よく見ていれば何を考えているか大体分かる」らしい。それならオレもとスバルさんを見つめてみたが……。分からない。分からないぞイタチ。脳内のイタチが首を傾げているが、オレもそうしたい気持ちだった。

 

 会合でのことを思い出して会釈してみると、ややあって頭を下げてくれた。それだけのことなのにやっぱり嬉しい。警戒心の強い猫が、ほんの少し歩み寄ってくれているような心地になるせいだろうか?

 

「あの、オレ、イタチ君を待ってて……今サスケ君が呼びに行ってくれてるんです」

「…………」

 

 あっと声を出しそうになった。イタチの名前を出した瞬間、スバルさんの目が急に優しいものに変わったからだ。

 

「スバルにいさん! おかえりなさい!」

 

 パタパタと音を立ててやってきたサスケ君が勢いよくスバルさんの背中に飛びつく。スバルさんは一体どんな反応をするのかと思ったら、穏やかな表情でサスケ君の頭を撫でている。事前にイタチから聞いていなければ幻術だと思ったかもしれない。

 

「スバル兄さん……帰ってたんだ」

 

 サスケ君より遅れて玄関にやってきたイタチに、スバルさんが何度か指を動かして見せた。

 イタチは「おかえりなさい」と口にしたから、きっと「ただいま」と言ったんだろう。

 

 スバルさんはこれからまた別の任務があるらしい。話に聞いていた通り多忙な人だ。

 

 家で一人になってしまうサスケ君に申し訳なく思っていると、スバルさんがサスケ君を肩車した。そして、イタチとサスケ君に向かって指文字らしきものを綴る。

 

「イタチ、スバルさんは何て?」

「……サスケと少し散歩するらしい。オレたちのことも途中まで送っていくと」

 

 意外だ。今日はそんなことの連続だった。

 これほどイタチやサスケ君のことを大切に想っている人がどうして……。

 イタチも同じことを考えていたのか、複雑そうな表情でスバルさんとサスケ君を見つめていた。

 

 

 

「オレも指文字を覚えたいな」

 

 訓練場に着いたオレとイタチは早速修行を始めるための準備を進めていた。手裏剣術を磨くために難しい位置に的を置いたり、木登りに最適な木を探したり。

 

「シスイが指文字を?」

 

 イタチは反対こそしなかったが、使う機会がないと思ったのかもしれない。オレは苦笑する。

 

「一つだけ知ってる。意味は分からないが」

 

 それはスバルさんと初めて会った日に彼がしていた指の動き。

 

「“ありがとう”? どこでそれを」

「……そうか、あれは“ありがとう”だったんだな」

 

 あの日のスバルさんの困ったような表情を思い出す。

 そういえば、彼は紙と筆を差し出した時もわざわざ「ありがとう」と書いてくれていた。

 

「そろそろスバルさんと話をしてみないか?」

「…………シスイ」

 

 これまでに何度も話題に上がっていたことだった。スバルさんが本当にクーデター決行を望んでいるのか知りたい。

 

「オレも指文字を覚えて、スバルさんと話をしたいんだ」

「…………」

 

 イタチの肩に手を置く。オレにはイタチの不安を取り除いてやることは出来ない。それができるのはスバルさんだけだからだ。

 

「信じよう。お前の大好きなお兄さんなんだろう?」

 

 

 

 イタチの暗部入りがほぼ決定した。まだダンゾウ様の用意した任務があるが、イタチならクリアするだろう。それに当日はオレも同行することになっている。全力でサポートするつもりだ。

 

 その日のうちはの定例会は案の定、イタチの暗部入りに関して話し合われた。今日は珍しくスバルさんも参加している。オレもイタチも会合よりもこれからのことで頭がいっぱいだった。

 

 会合が予定通りの時間に終わる。いよいよだ。

 

 先に部屋を出たスバルさんが神社の鳥居の前で立ち止まる。まるでオレたちに呼び止められるのを知っていたみたいに。

 

「スバルさん」

 

 ゆっくりと振り返ったスバルさんの瞳には、以前イタチに向けていた優しい色はどこにもなかった。

 

 

 

 スバルさんは心の底からクーデターを望んでいるのかもしれない。先ほどまでスバルさんと話をしていたのが幻だったかのようだ。

 

 この場に残されたのはオレとイタチだけ。

 スバルさんはオレたちにはっきりとした拒絶を示して去ってしまった。

 

「……諦めてはダメだ。スバルさんはクーデターを“止めたくない”とは言わなかった」

 

 隣で聞いているはずのイタチの反応はない。冷静になってスバルさんとの会話を思い返してみれば、おかしなことだらけだ。

 

《もう とまらない》

《とめて どうする》

《おまえたちに できることはない》

 

 どれも全部、スバルさんの望みを伴わないものだ。あの人は最後まで自分の考えを口にしなかった。

 

「だから――イタチ」

 

 オレはイタチの顔を見た。続けようとしていた言葉が宙に浮かんで……消えてしまう。

 

「もういいんだシスイ」

「もういいって何を――」

「スバル兄さんは本気だった」

 

 イタチの言葉は重かった。

 

「本気で、オレたちには何も出来ないと思ってる」

「……そんなこと」

 

 そんなことはないとは言えなかった。

 

 望みも考えも伴っていなくとも、感情はそこにある。スバルさんがオレたちに出来ることはないと思っているのは事実らしかった。

 

「それでも歩き続けるしかない」

「……ああ」

「――絶対にクーデターを止める。オレとイタチで」

 

 平穏が崩れる音はすぐそこまで迫ってきていた。

 

 

 

 次の会合ではクーデターの決行日について話し合うことになっていた。オレとイタチに残された時間はもうない。

 

「フガク様にこの万華鏡写輪眼、別天神(ことあまつかみ)を使う」

 

 会合が始まる前にフガク様に接触し、別天神による幻術をかけるつもりだった。親友の父であり、うちは一族の長でもあるフガク様にこのような手を使わなければならないとは……。

 それでもクーデター決行によって流れる血のことを思えば罪悪感を抱いている場合ではない。

 イタチの同意を得たオレは早速フガク様の元へ向かおうとした。幻術にかけるタイミングを図るためである。

 

 しかし、その道中で足止めを食らうことになった。

 

「遅かったな」

「…………」

 

 志村ダンゾウ。三代目火影の側近であり、根の創設者でもある男が立っていた。

 根の屋敷の門前。なぜ自分がここに呼び出されたのか、なぜこのタイミングなのか、悟るには十分だった。

 

「明日、南賀ノ神社で会合があるそうだな」

 

 三代目を光とするなら、目の前の男は闇だ。

 

 独自に木ノ葉中に張り巡らせた“根”を伝ってあらゆる情報を手に入れ、操作している。

 この男ならば知っていてもおかしくないと分かっていながら、()()()()知られているのかと背筋が冷えるような気持ちだった。

 

「……一族は泳がされていた、ということですか」

「お前は実に聡明だ、うちはシスイ」

 

 脳内で何度も警笛が鳴る。この男はあまりにも危険だと。オレがあえて“一族”と線引きしたことにすら気づいて、“うちはシスイ”と呼んだ。

 

「それでオレに何のご用ですか。時間もありませんので……」

「そうだな。ワシの話が長引けばうちはフガクを襲撃する機を失ってしまう。お前も必死だろう」

 

 自然と眉間に力が入る。まさかそこまで知られているとは思わなかった。いつから? 一体どこから漏れた?

 

 オレの心など手に取るように分かるのか、ダンゾウが薄く微笑んだ。

 

「奴の名誉のために言っておくがヒルゼンではない。お前が一番よく分かっているように、うちはイタチでもない……。ワシの手の者が調べ上げた結果だ」

「…………」

 

 冷や汗が止まらない。人間に対してここまで恐れを抱いたのは初めてのことだった。

 この男はオレを聡明などと言っておきながら、心の内ではずっと嘲笑っていたのだろう。何も知らない若輩者が自分の手のひらの上で踊っていると……機が熟すのを待ちながら。

 

「お前の瞳術でうちはフガクに幻術をかけ、一族によるクーデターを阻止する。唯一無二の写輪眼を持つ者にしか出来ないことだ。しかし――」

 

 オレがフガク様に万華鏡写輪眼を使うと決めたのは数日前のこと。それがすでにダンゾウに筒抜けになっている。異常な情報収集能力だった。

 

「今更うちはフガク一人が心変わりしたところで高が知れている。お前はその貴重な能力をみすみす無駄にするのだ」

「やってもいないことで無駄と決めつけるのは……」

「お前の計画は必ず破綻する」

 

 ――おまえたちに できることはない

 

「…………」

 

 今ここであの言葉を思い出したのは何故だろう。ダンゾウの自信に満ちた響きにあの日のスバルさんの姿を重ねてしまったから? あの人は一族が止まらないことをすでに確信しているようだった。

 

 ――そうだとして なんのかんけいがある

 

 関係? あるだろう。オレもイタチもうちは一族だ。それと同じように木ノ葉の人間だ。心の底から一族を愛しているからこそ、木ノ葉隠れの里を愛しているからこそ、両者を守るために足掻いて何が悪い。オレたちにだって出来ることはあるはずだ。

 

「……オレは一族も木ノ葉も守り抜いてみせる。あなたがどう考えていようと関係がない」

 

 あの人がどうしてオレたちを遠ざけようとしたのか――イタチを突き放したのか。関係ないだなんて悲しい言葉を弟であるイタチに吐き出さなければならなかったのか。

 

 オレたちは知らないことが多すぎたのかもしれない。この事態を予測できなかったように。

 

 包帯に覆われていないダンゾウの左眼が怪しく光った。

 

「だが、ワシならば……ワシがその眼を持っていたならば、話は違っただろう」

「なっ……」

 

 ゆっくりと持ち上がったダンゾウの腕に慌てて飛び退こうとした――が、その場から動けない。

 

「ようやく気がついたか」

 

 両足の感覚がない。まるで切り取られてしまったかのように。

 

「オレに……何をした!?」

 

 背後でゆらりと気配が揺れる。顔だけで振り返ることはできたが、相変わらず足はほとんど動かない。

 

 そこには見覚えのない白虎の面をつけた男が立っていた。

 

「その男は油女一族の者……聡いお前にはこれ以上の説明は不要だろう」

「くっ……」

 

 油女一族が蟲を扱うことは有名だ。オレの足が動かないのも蟲の毒によるものだろうが、こうなるまで身体が毒に侵されていることに気づかせない手腕は見事としか言いようがない。

 

「その毒は即死性は低いものだ。必ず死に至るが……今すぐではない」

 

 ダンゾウが一歩、また一歩とこちらに近づいてくる。

 

「写輪眼は、死人よりも生きた人間から抜き取った方が馴染むのが早い。こちらも、抜き取る前に死んでもらっては困るのだ」

「アンタは何を……?」

 

 ついに眼前まで迫っていたダンゾウの指が、一気に鋭さを増した。

 

「こうするのだ」

 

 オレの右眼に勢いよく突き立てられた指が、グジュルと形容し難い音を立てて動いている。オレは思わず叫んだが、痛みはない。毒のせいで感覚が麻痺している。

 ヌルッと自分の右側から球体のようなものが抉り出されたのが分かった。球体とオレを繋ぐ最後の糸のようなものがぶつんっと千切り取られ、オレは恍惚の表情になっているダンゾウを見上げた。

 

 ――狂ってる。

 

「あとひとつ」

 

 ダンゾウがそう呟いた瞬間、オレの残された左眼は弱々しい最後の光を放った。

 

 

 

 瞬身は成功したが、追手から完全に逃れることは出来なかった。あの油女一族の男と数人の暗部の姿は見えなくなったが、一番最後に合流した狐面の男だけはぴたりと後ろを追いかけてきている。

 

「はぁ……はぁ……」

 

 限界が近い。身体の痺れは無くなって足が動かせるようになっても、全身をめぐる毒のせいで震えが止まらない。さっきからずっと心臓が痛いのも、自分の死期がすぐそこまで迫ってきているのを感じる。

 

 後ろから飛んできたクナイを弾き、オレは何度もイタチと修行した森の中に逃げ込んだ。

 

「うっ」

 

 倒れた木の枝に足を取られて転ぶ。普段ならば絶対にしない失態だった。そんな隙を見逃してくれる相手ではない。

 

 あっという間に距離を詰めてきた狐面の男が腰の忍刀を抜いて振り下ろしてくる。

 

「ぐ…………」

 

 こんなところで死ねない。死んでたまるか。

 オレを突き動かしているのは意地と親友との約束だった。

 

 両手に構えたクナイで刀を受け止める。力が入らないせいでギリギリと刀がオレの喉元へと近づいてくるが、諦めることは出来なかった。

 

 なけなしの力を振り絞って男を押し戻す。たたらを踏んだ男に向かって、ホルスターから取り出した手裏剣を投げた。

 

 男はすぐに持ち直して刀で手裏剣を弾いたが……弾いた先が悪かった。

 手裏剣はくるくると回転して、男の被っている狐面の端に当たる。

 ズレたお面の内側にある顔と目が合った。

 

「そん……な……」

「…………」

 

 ここにあるはずのない顔だった。

 

 それは一瞬の出来事で、男はすぐにズレたお面を元に戻してしまったから顔全体を見られたわけでもない。

 

 あれは、うちはスバル。イタチの兄の顔だった。

 

 

 

 自分のお面を手で支えながら戦闘続行はできないと判断したのか、狐面の男は闇に紛れて消えてしまった。

 だが油断はできない。オレは最大限の注意を払ってイタチとの約束の場所に来ていた。崖の前でオレを待っている後ろ姿を見ると全身の力が抜けそうになる。

 

「シスイ…………?」

 

 気を抜かずにイタチの前に立つ。

 

「すまない、イタチ」

 

 困惑しているイタチを追い越して崖の前に立った。……もう時間がない。

 

 オレはイタチに全てを話した。計画が失敗したこと、ダンゾウに右眼を奪われたこと、油女一族の男の毒を受けてもうすぐ死ぬこと。

 

「イタチ……スバルさんを信用するな」

 

 そう、全てを話さなければならない。オレの考えはイタチの表情を見て霧が晴れるように消えていく。あの狐面の男をスバルさんだと断言するには、あまりにも情報が少なすぎると気づいたからだ。

 

 あれは本当にスバルさんだったのだろうか?

 

 スバルさんは根に所属していたことがあるとはいえ、今は火影様直属の暗部。うちは一族のクーデターに賛同している急進派の一人でもある。

 ダンゾウはあくまで木ノ葉側の人間だ。そんな彼にスバルさんが従うはずがない。もしもあれが本当にスバルさんだとしたら彼は……ずっと一族を裏切っていたことになる。

 

「シスイ?」

「いいや、今のは忘れてくれ……そんなはずはない……」

 

 そうだ、そんなはずはない。スバルさんが一族を裏切ってまでダンゾウの元にいることを説明できない。

 

「お前に頼みがある」

 

 さいごのひとつ。オレが親友に与えられる唯一のものであり、たった一つ永遠に背負わせなければならないもの。

 

 自分の左眼を自ら抉り取り、イタチに差し出す。もう何も見えない。オレには未来がないが、イタチは違う。彼はこれから先を見ていける。

 

「この左眼がダンゾウの手に渡る前に、親友(とも)であるお前に託したい」

 

 自分の口元が穏やかに緩んだのが分かる。イタチの顔を見られないことだけが心残りだった。

 

「オレは毒のせいで死を待つのみだ。どうせなら、お前に新たな力を託して死にたい――オレの最期の望みを、どうか叶えてくれ」

 

 イタチはオレにとって対等な友であり、弟のような存在でもあった。

 

 間違った道を選ぼうとする一族と板挟みになっていたオレの前に差し込んだ、たった一つの希望の光。

 

「お前なら大丈夫だ」

 

 オレは自分の言葉がイタチの人生を縛る呪いになるとは思っていなかった。

 

 ――万華鏡写輪眼の開眼条件は、大切な人間の死に触れること。

 

 自らの死を以てイタチに新たな力を遺せることを誇りに思う。そして、何よりイタチのことを誇りに思う。彼ならばきっとうちはと木ノ葉を救ってくれると信じているから。

 

「お前に出会えてよかった」

 

 ――お前の友になれて幸せだ

 

 あの日と同じ響きなのにこんなにも重い。オレの本当の心はここに留まりたいと叫んでいた。

 

「…………」

 

 ふっと笑う。時間だ。

 

 イタチの両手が弱々しく背中に触れた。押される感触があるかないか、そんなタイミングでオレは体重を前に傾ける。

 

 自分の体がこんなに軽かったことはない。落ちて、落ちて、落ちていく。

 

 意識が途切れる寸前、オレは見えるはずのない“眼”でイタチを見た。今より身長は高く、まるで未来の姿を見ているかのようだった。

 

 カラスの羽が舞っている。

 

 その中にいるイタチの瞳が見つめる先には――

 

 

 

 ***

 

 

 

 親友の死を目の当たりにしても、オレは()()()()日々の中に囚われている必要があった。

 

 今日もスバル兄さんは朝からどこかへ出掛けているようで、家の中にその姿は見当たらない。

 

 ――スバルさんを信用するな

 

 あの言葉がずっと頭から離れない。シスイは一体何を見たのだろう。今となっては聞くことも出来ない。

 

「……凄いな、サスケ」

 

 サスケと並んで縁側に座っていたオレは、手にしていたアカデミーの成績表を閉じて笑みを向ける。学年一位。非の打ち所がない成績だった。

 

「母さん達にはもう見せたのか?」

「父さんとスバルにいさんには……」

 

 こんなにも素晴らしい成績だというのに、サスケの表情は暗い。

 

「スバルにいさん……声をかけて、ちゃんと聞こえてたはずなのに、見てもくれなかったんだ」

「……スバル兄さんが?」

 

 あの兄さんがそんな態度を取るはずがない。少なくとも、サスケには。

 

 兄さんはクーデターのことを何も知らないサスケに対しては以前と変わらない対応を貫いていた。

 

「父さんはこの調子でにいさん達のように頑張りなさいって、そればっかり」

 

 サスケの言葉には、父さんに対するものというよりオレやスバル兄さんへの負の感情が含まれているように感じた。

 それは兄を持つ弟ならば珍しくもない感情なのかもしれない。だが、オレはスバル兄さんに対してそのような想いを抱いたことすらなかった。

 

「オレがうとましいか?」

 

 サスケの瞳が大きく見開かれる。図星を突かれて驚いているのか、はたまた、全くの別物か。オレには判断できそうにない。

 それでもサスケの無言を肯定と見做して続ける。

 

「それでもいい」

 

 心からそう思っていた。愛する弟から向けられる感情が憧れだろうと疎ましさだろうと、オレがサスケに抱く想いは変わらない。

 

「…………」

 

 スバル兄さんに対してもそうだ。シスイの言葉は気になるが、兄さんが例えクーデターの実行を望み、オレとは相反する道を進もうとしていても……オレにとっては、今も昔もたった一人の大切な兄だった。

 それに、誰かに憎まれるのは慣れている。忍として生きていく以上、誰かを殺し、彼らや残された者達から恨まれることからは避けて通れない。

 

 小日向(こひなた)ムカイの妻子はどうなっただろう。

 

 あの白猫の面と共に、ムカイの最期の言葉が蘇る。忍の死に様……彼に残されたのは、本当にあのような最期だけだったのか? 今更考えても仕方のないこと。彼を死に追いやったのは、紛れもなくオレなのだから。

 

 

 

「イタチはいるか! 出てこい!」

 

 玄関に複数人の気配が近づいてきていることにはとっくに気づいていた。勢いよく扉が開く音がして、見知った声が響く。

 

「に、にいさん……」

 

 立ち上がったオレを引き留めるようにサスケが服を掴む。そんな弟を安心させるように笑みを浮かべる。

 

「心配しなくていい」

 

 サスケの手を優しく解いて玄関に向かう。

 父さんの腹心であるイナビ、ヤシロ、テッカが立っていて、高圧的にこちらを見下ろしていた。

 

「どうされたんですか」

 

 彼らがどのような目的でオレを訪ねてきたのかすでに察していたが、冷静に問いかける。

 

「昨日の会合に来なかったやつが二人いる……イタチ、お前は何故来なかった?」

 

 もう一人はシスイのことだ。

 

 彼らはすでにシスイが死んでいることを把握している。シスイの死をオレに伏せたまま、敢えてこのような遠回しな言い方をしているということは――疑われているのだろう。

 

「昨夜は重要な任務に就いていました。父から知らせを受けていませんでしたか?」

「お前が暗部として様々な任務に駆り出されていることは承知している。お前の父上も多忙なお前を庇ってはいるが……己を特別などと思わないことだ」

 

 あれほど一族に望まれた暗部入りだというのに、今となってはこのような言われようだ。それに、オレは一度たりとも自分を特別な存在などと思ったことはない。

 

「……暗部の任務はオレの一存でどうにかなるものではありませんが、心に留めておきます」

 

 ――そろそろお引き取りください。

 

 そう続けようとした言葉は、ヤシロに遮られてしまった。

 

「最後にもう一つ、訊かなければならないことがある」

 

 これ以上話を続けると彼らへの怒りを抑えられそうにない。しかし、ヤシロ達はそう簡単にオレを解放する気はないようだった。

 

「昨夜、南賀ノ川に身投げして自殺した、うちはシスイについてだ。……お前はヤツを実の兄のように慕っていたな?」

「…………」

 

 実の兄のように。そこまで知っていて、シスイにオレの監視を命じたのは目の前の三人だった。

 激情が外側に溢れそうになる。シスイを死に至らしめたのは、オレであり、一族の里への反発心という愚かで、稚拙な、集よりも個を優先する利己的な感情のせいだ。

 彼らの口からシスイの名前が出てくるだけで瞳に熱が集まっていく。許せなかった。何も知らない人間に、オレ達の志を穢されたかのような心地ですらあった。

 

 震えるオレの腕をおさえているのは、他でもないシスイの遺した言葉。

 

 ――里と一族を頼む

 

 残酷だった。こんな愚かな一族の為にお前は……。

 

「我々警務部隊は、この件を全力で捜査することにした」

 

 イナビがこちらに紙切れを差し出してくる。オレが受け取ったのを確認してから、再び口を開いた。

 

「シスイの遺書だ。筆跡の鑑定は済んでる。間違いなく本人が書いたものだと」

「…………自殺が明らかであるなら、一体何を捜査するのですか」

 

 白々しい。間違いなくお互いが相手に対して思っていることだった。

 

「写輪眼を使える者なら筆跡のコピーなど容易い」

 

 遺書の内容は見ずとも全て()()()()()。これはシスイ本人から受け取った言葉をオレが書いたものだ。

 

 これ以上“道”に背くことはできない。

 

 道とは何か。それは一族がいずれ辿り着く先の話だと解釈している。このままではうちはに未来はない。

 シスイはこの言葉で少しでも一族の暴走を止められたらと考えていたようだが、目の前の三人の様子を見るに一つたりとも伝わらなかったようだ。

 

「とりあえずその遺書はお前に預ける。お前から暗部に捜査協力を要請しろ」

「……了解しました」

 

 信頼しているスバル兄さんではなくオレに命じる時点で、彼らがオレを“クロ”だと考えているのは明白だった。

 

 三人がこちらを背を向ける。

 

 危ないところだったが、何とか耐えられた……胸を撫で下ろしそうになったその時、敷居をまたぐところだったヤシロがオレに聞こえるよう、わざとらしく言った。

 

「手がかりが出てくるといいがな」

 

 何が言いたい。眉を寄せたオレに、これまで一言も発さなかったテッカがヤシロの発言を拾った。

 

警務部隊(オレたち)には同じ暗部に所属するお前の兄がいる。……要請を怠れば、すぐこちらにも伝わるぞ」

「…………」

 

 兄はお前ではなく一族を選ぶ。そう言われたのだと分かって、これまでのシスイに対する侮辱行為と相まって、目の前が真っ赤に染まった。

 

「……直接的に言ったらどうだ」

 

 もう抑えられそうにない。

 立ち止まった三人がこちらを振り返る。彼らの瞳はすでに写輪眼になっていた。

 

「オレを疑ってるのか?」

 

 彼らの写輪眼に応えるように、瞳の模様が変化する。

 

「そのとおりだ……クソガキ」

 

 みすみすシスイを死なせてしまった自分のことが許せない。しかし、一族への怒りがそれに勝った。

 未だに自分達が優位に立っていると信じて疑わない三人に足を踏み出す。

 まずは自分より体格も身長もあるヤシロを軽々と蹴り飛ばし、残りの二人が反応を見せるよりも早く、急所を突いて地面に転がす。

 

 あっという間の出来事だった。

 

「ぐうっ……!」

「……くだらない」

 

 何も知らぬ愚か者の戯言だと聞き流すべきだ。僅かに残った冷静な部分が囁いてくるが、止められなかった。

 

「自分達がどうして地面に這いつくばっているのか……まだ分からないようだな」

 

 彼らがオレに敵うはずがない。力量も、内に秘めたる夢も、何もかも“格”が違う。オレの夢はオレだけのものではなく、唯一無二の友と目指した夢だった。

 父を革命のトップとして祭り上げ、友の監視をシスイに命じ、心優しい兄を利用し、自分達は一族の上層部でありながら、その手は一切汚さずにのうのうと生きている。

 

 急進派である彼らが死ねば、シスイの死により崩れかけている計画にさらなる穴を開けることができるのではないか?

 

 力なく下ろしていた腕を持ち上げる。そう、ここで彼らを殺してしまえば――

 

「やめろ、イタチ!」

 

 ぴたりと手を止める。振り返った先に、父さんと……スバル兄さんが立っていた。

 

 兄さんと目が合う。

 

「……スバル兄さん」

 

 縋るように呼んでしまった。兄さんはオレの隣を通り過ぎて、倒れている三人に手を差し出す。

 

「スバル……お前の弟はどうかしている……一体どんな教育をしてきたんだ」

「…………」

 

 兄さんに立ち上がるのを助けてもらった三人がこちらを睨みつけてくる。

 

《ここで なにを?》

 

 兄さんが微笑みを浮かべながら指文字を綴る。…………そう、笑っていた。

 

 これまでも主にオレやサスケに向けてかすかに微笑んでくれることはあったが――ここまでハッキリとした自然な笑みは見たことがない。隣の父さんも驚いているようだった。

 

「我々はうちはシスイの自殺について知らせに来ただけ」

《そうでしたか》

「それを、お前の弟が急に腹を立てて襲い掛かってきたのだ」

 

 保身のために事実を捻じ曲げるつもりか。ぐっと自分の腕を自分で押さえていると、兄さんが頭を下げた。

 

《もうしわけありません》

「……お前が謝ることでは……スバル、お前は本当によくやってくれている」

 

 唖然とした。……兄さんはこの場を丸く収める為にそう言ったのかもしれない。しかし、この違和感は一体なんだ?

 

 こちらを振り返った兄さんがオレの右腕を掴む。ぎくりと肩が揺れた。

 

 兄さんはやけにゆっくりとした動きで、空いている手で指文字を続けた。

 

《しゃざいを》

「…………」

 

 オレの右腕を握る力が強くなる。どうして……兄さんは、本当に…………彼らの言う通り、オレではなく一族を取るつもりだというのか?

 

 兄さんから厳しい言葉や態度を取られたことのないオレは、がくりとその場に膝をついた。

 

 シスイ……オレは……兄さんがオレやサスケの為に一族の地位を確固たるものにしようとしているのではないかというお前の言葉を信じていた。――兄さんを信じていた。

 

 だというのに、現実は、兄さんはオレを冷たく見下ろし、一族への謝罪が出てくるのを待っている。そこにあるのは“厄介な弟”に向ける感情だけ。優しい兄の姿はどこにもなかった。

 

「……シスイを殺したのはオレではありません」

 

 兄さんはシスイの死を耳にしても、まったく動じなかった。何も感じないみたいに。

 

 まるで人が変わったみたいだ。シスイと共に対立した日も、暗部のお面越しでも、いつでもその瞳を見れば温もりがあったのに――

 

「ですが、数々の失言については……申し訳ありませんでした」

 

 心からの謝罪でないことは父さんや兄さんには見抜かれているだろう。勿論、ヤシロ達にも。

 

「……スバル、暗部の仕事はキツいだろう」

 

 父さんが何の脈絡もなく兄さんに話を振った。兄さんはきょとんとしている。またしても、見たことのない表情だった。こんなに表情が動いている兄さんは、やはり見たことがない。

 

《そうですね》

 

 ヤシロ達がいるからか、やけに他人行儀な言葉に父さんが僅かに眉を寄せる。

 

「イタチも、慣れない任務に疲弊して平静さを失っていたんだろう……」

「隊長!! まさか、イタチの件を疲れなどという言葉で片付けるおつもりですか?」

「火影様直属の暗部を、警務部隊の一存で拘束することはできない。それにイタチのことは、父であるオレが責任を持って監視していく」

 

 ……シスイの代わりに。オレは無意識のうちに心の中で付け足していた。

 

「……頼む」

 

 父さんがヤシロ達に深く頭を下げた。一族のトップにここまでされてしまっては、彼らも引き下がるしかない。

 

「……分かりました」

 

 イナビが最後にオレを憎々しげに睨みつけて、ヤシロ達と共に去っていく。

 

 感情の昂まりが瞳を(くれない)へと変化させ、熱が一点に集中する。万華鏡写輪眼……。

 

 顔を上げたオレの視界の中にスバル兄さんがいる。

 

 スバル兄さんの唇が微かに動いたのを、写輪眼になったオレの瞳は見逃さなかった。

 

 “すぐに崩せる”

 

 音は無かったが、確かにそう動いた。

 

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