じんせいみてい!   作:湯切

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第二十五話 “希望の中にいる”

『万華鏡写輪眼…………』

 

 姿見鏡に映った俺の瞳には六つの小さな星がゆらゆらと浮かんでいる。

 それは写輪眼のオタマジャクシに少し似ているが、全身を包むチャクラの質の変化は明らかだった。これではダンゾウに開眼したことを隠し通すことは難しいだろう。

 

 写輪眼といい、どこまでも心の存在を浮き彫りにする力だと思う。

 

 母さんの両眼は自分の部屋にあったケースに入れて、すでに懐に隠している。

 託されたこの眼をどうすればいいのか、俺には分からない。考える余裕もなかった。

 

 ただ、これだけはダンゾウから守り抜かなくてはならない。

 

 うちは一族の写輪眼は昔から里によって厳重に管理されてきた。里の外で戦死した場合は可能な限り回収され、リストと照合される。

 

 今回も異例ではあるがきちんと処理は行われるだろう。母さんはそのリストに載っていないはずだから死体を確認されることはないと思うが……警戒はしておいた方がいい。

 

 ユノの両眼にもダンゾウの使用済み写輪眼が移植されていることもあって、その辺りはダンゾウが上手くやるはずだ。むしろそれくらいはやってもらわなければ困る。

 

 ふらりと立ち上がる。留まりすぎてしまった。

 障子に手をかけながら、顔だけを部屋に向ける。

 

『さようなら……父さん、母さん』

 

 二人に割いていた心が過去のものであろうとも、その事実が消えることはない。

 

 部屋を出る。廊下の向こう、赤で満ちた世界で、二つのチャクラが揺らめいていた。

 

 

 

 場所を移して遠くからイタチとユノの姿を確認すると、動かなくなったユノを見下ろしていたイタチが家に入っていくところだった。

 

 その姿を見届けた俺はダンゾウの元へと戻っていた。任務完了を報告する為に。

 

「これで木ノ葉の未来は守られた」

 

 ダンゾウの前で跪きながら、背中に隠した拳を血が滲むまで握りしめる。

 

 ――命じられたことは、何だってやってきた。

 

 幼い子供も、善良な大人も、命令であれば一人残さず殺した。弟を守る為だと言い訳をして、俺は一体どれだけの罪を重ねたことだろう。

 

 ……もう俺は、二人の兄などではない。

 

 その資格はとうに失せた。うちはスバルは死んでしまった。二人に認められなくても、許されなくても、俺は兄であり続けるつもりだった。

 

 万華鏡写輪眼を開眼する、その時までは。

 

「お前とイタチはよく働いてくれた」

 

 珍しいダンゾウの賛辞にすら心は動かない。

 

「ヒルゼンの部下達が死体の確認を終えるまで、お前は身を隠しておいた方がいいだろう」

『問題ありません。彼らに俺の動きを悟ることはできないでしょうから』

 

 警戒すべきはカカシとテンゾウさんくらいだ。裏で動くくらいなら支障はない。

 俺にはまだするべきことがある。

 

「キノト達にイタチの始末を命じているが、お前が手を出す必要はない。万が一、イタチが逃げ延びた際にお前の生存を知られては厄介だからな」

 

 そうくると思っていた。俺はダンゾウに頷くことで同意を示して、屋敷を離れた。

 

 

 

 長い夜が明ける。

 

 二十四時間体制で集落の監視をしていたはずの火影直属の暗部達が、こうなるまで気づかなかったのには理由がある。

 

 イタチが一族抹殺を開始する寸前、根の忍が監視室を襲撃してその場にいた全員を殺していたからだ。監視カメラも壊してしまえば、あの夜の記録が残ることはない。

 そうしてダンゾウの目論見通り、彼らが異変に気づいたのは次の監視担当が交代にやってきたタイミング……その頃には、全てが終わった後だった。

 

 往来で倒れていたサスケを暗部が発見して木ノ葉病院へと運んでいくのを見守り、閑散としている集落の演習場に来ていた。

 当然だが、俺以外に人の気配はない。

 

 イタチは三代目に接触するために必ずもう一度木ノ葉に戻ってくるだろう。それは恐らく、夜。

 イタチの暗殺を命じられた根の忍たちが動くのもその時だ。

 

『…………』

 

 最後に俺に遺された場所が演習場(ここ)しかないなんて滑稽だな。

 

 もうどこにも居場所がない。帰る場所がない。

 

 うちはの集落中に転がる死体は太陽が真上に昇る前には綺麗に片付けられ、集落自体も閉鎖されてしまう。そこに住まう人間がいなくなれば当然のことだった。

 

 抜け忍となったイタチはこれからどうなる? たった一人里に残されるサスケは?

 

 次々と溢れてくる不安に胸が押し潰されそうだ。

 

 演習場の脇にある大きな丸太に腰掛け、お面の上から手のひらで覆う。いつまでそうしていたのか定かではないが、こちらに近づいてくる気配に、俺はゆっくりと顔を上げた。

 

『……どうして?』

 

 自分でも随分と幼い口調になってしまって驚いた。どうしてここにいるのか。どうして俺はここを離れるという選択をせずに、間抜けにも留まってしまっているのか。

 

 気配が俺の隣に腰掛けた。癖のない黒髪が揺れている。

 

『…………セキ』

 

 セキの顔を見ただけで張り詰めていた糸が緩くなっていく。すぐに首を振って、頭に浮かんだ愚かな考えを振り払う。

 

 セキは全てを見透かしたように笑った。

 

「チャクラの質が変わっても、離れていても、私にはスバルのことが分かるよ」

 

 膝の上に置いていた手を掴まれて、身体ごとセキの方を向かされる。俺はされるがままだった。

 

「血だらけだね」

 

 俺の手のひらを見たセキが眉を寄せる。ダンゾウの屋敷を出てから、治療するという考えすら浮かばなかった。

 

「スバルは自分勝手だよ。昔から……他の人の心なんて何も分かってない」

 

 まさかここにきて説教されるとは思わなかった。

 

「貴方が痛いと私も痛いって、分かってないでしょう?」

『セキが痛い?』

「ほら、やっぱり分かってない」

 

 なんだか理不尽な怒られ方をされてる気がする。

 セキが俺の手に自分の手を重ねる。肩を強張らせると、温かな光が灯った。

 

『医療忍術……』

「私の得意な水と相性が良かったから、少しだけ齧ったんだ。役に立って良かった」

 

 セキが手を離すと、自らの爪でつけてしまった傷は完全に塞がっていた。

 

 ぼんやりと手のひらを見つめる。傷は消えた。なのに……どうしてこんなにも痛い。

 

「火影様が教えてくれた。万華鏡写輪眼を開眼した人は良くも悪くもチャクラの質が変化して、時には心さえも変わってしまうことがあるって」

 

 これまでの人生で、こんなにも心が沈んで浮かび上がらないことなんてなかった。

 同じ絶望でも昔とは違う。両親からの愛を諦めたあの頃と今では、簡単に諦められるほど背負ったものは軽くなかった。

 

 胸の辺りに言葉では言い表せないモヤモヤとした黒い霧のようなものが見える。……存在している。これがうちは一族特有の闇堕ちと呼ばれるものだとしたら、確かに抗い難い。

 気を抜けば負のオーラに飲み込まれて、自分自身を見失ってしまいそうだ。

 

『…………こわいんだ、ずっと』

 

 まるで小さな子供が罪を告白するような響き。

 

『出口が見えない……一生ここから出られないんじゃないかって』

 

 軽口でもなく、心の底からの弱音を吐いた。両親や弟達にも見せたことのない、本当の自分を。

 

『でも……俺はあの人から逃げられない』

 

 ダンゾウがイタチやサスケに手を出す可能性が残っている限り、俺はこの場所に留まり続けるだろう。たとえ、目の前に出口が見えていようとも。

 

 二人の兄だから? いいや、違う。今はもう、違うんだ。俺は兄としての肩書きを失ったとしても、二人を……イタチとサスケを愛している。理屈で感情を語る段階からはすでに抜け出していた。

 

「帰る場所がないって言ったよね」

『…………』

 

 言ってない。言ってないけど、心の中では思っていた。あの時からすでに読まれていたらしい。

 

「ここにある。スバルが帰ってくる場所」

 

 セキが両手を広げる。反応に困っていると、頭の後ろにセキの腕が回ってきて引き寄せられた。

 

「スバルは、もっと自分の望むままに生きたらいいんじゃないかな」

『…………』

 

 俺を抱きしめたままセキが言う。優しい声だった。俺の望むままに……。

 父さんの最期の言葉を思い出す。

 

「君の望みは全部誰かの為じゃないか。君が自分のためだけに、望むことだってあるはずだよ」

『そんなもの…………』

「無ければ作ればいい。私と一緒に」

 

 セキと一緒に。驚いて目を瞬かせる。

 

「今は理由が必要なら……私のために生きて」

『…………』

「私はずっと君のことが好きだよ、スバル」

 

 脳が痺れるような感覚があった。

 

 目を閉じる。規則正しい鼓動の音に耳を澄ませていると、心がかつての穏やかさを取り戻していく。さわさわと小さな風がお互いの髪と頬を柔らかく撫でていった。

 

 セキの背中に腕を回す。俺より随分と細い腰を抱き寄せて、さらに密着する。心臓の音がより一層大きくなった。

 

「す、スバル…………?」

 

 あれほど積極的なセキだったが、こちらから来られるのは耐性がなかったようだ。顔を見なくても真っ赤になっているのが分かる。

 思わず、ぶはっと笑った。

 

『なんでそんなに動揺してるんだよ。そっちから始めたくせにさ』

「口調までらしくなっちゃって……」

『……セキくらいだよ。らしいなんて言うのは』

 

 久しぶりに笑った気がする。いや、むしろここまで心が晴れやかだったことはない。

 

『俺も…………』

 

 抱きしめていたセキから離れる。どこか物足りなさそうな顔が見えて、俺はもう一度笑った。

 

 両手をお面に添えて、外す。座っていた丸太の上に置いて、そのままセキの頬に触れた。

 

 ずっと、好きだった。

 

 確実に届くように、強く頭に思い浮かべる。

 

 ぽろっとセキの瞳から涙がこぼれる。……あーあ、我慢しようと思ってたのに。

 

 セキの瞳に唇を寄せる。小さな悲鳴を上げて腕に力を込めて離れようとするセキ。

 いやいや、この状況で逃すわけないだろ。

 

「どういう……」

 

 どういう意味だと言いかけたセキの口を自分のもので塞ぐ。面白いくらいに硬直した身体にまた笑いそうになるのを抑えて、すぐに唇を離す。

 

 至近距離で見つめ合ったセキの顔は可哀想なくらい真っ赤で、そうじゃない部分を探す方が難しい。こっちまで頬に熱が集まる。

 

「そっちまで赤く……」

「…………」

 

 俺たちは一体何をやってるんだろう。セキがちらりとこちらを上目遣いで見上げてきた。

 

 またセキに近づこうとすると、俺の心を先読みしたらしい彼女が、丸太の上のお面を手に取って無理やり被せてきた。

 

『……そこそこ痛かったんだけど。酷くない?』

「悪いけど半径一メートル以内に入ってこないで」

『そんなに!?』

 

 

 

 ものは試しだと左眼を抉り取った俺に、セキがドン引きしながら「まともじゃないよ……」と呟いた。俺をまともな人間だと思ってたんだとしたら猛者すぎない? 自分が一般の枠からはずれてる自覚くらいはある。

 

「ちゃんと痛覚はあるんだよね?」

 

 当たり前だ。滅茶苦茶痛い。

 

 俺の左眼(もう眼球ないけど)からは出血が止まらないし事故現場すぎる。

 

 セキが先ほど俺が渡したケースの中から、母さんの眼球を恐る恐る取り出した。

 

「うう……まさか眼球に触れる日が来るなんて」

 

 なんともカオスな光景と発言ではあるが、気持ちは分かる。それこそ、まともに生きてたら一生体験することはないと思う。

 

 俺がなぜ急に自分の眼球を抉り取るマゾムーブをしているのかというと、かつてのカカシの発言を思い出したからだった。

 

「お母さんの意志を継ぎたい……ってこと?」

『それもある。残された側の自己満足だって分かってるんだけど』

「……いいと思うよ。それが君の生きる糧になるなら、お母さんも嬉しいんじゃないかな」

 

 セキの言葉は不思議だ。聞いてるだけで心がぽかぽかと温かくなる。

 

『でもそれ以上に、余った俺の眼がイタチの役に立ったらいいなって』

「……まあ、いい、んじゃないかな」

 

 仕方なく言ってやった感がすごい。いいよ、こういうのは俺だけが理解できていれば。

 

 うちは流多重影分身の術の指南書に書いてあったことが事実なら、ふたつ目の瞳……つまり万華鏡写輪眼はいずれ失明に向かう瞳らしい。

 イタチがいつか失明するなんて俺には考えられない。最初は母さんの眼をそのままイタチに預けるつもりだったけど、ほら……イタチの大ファンとしては俺の眼を使ってほしいなと思ったわけだ。

 ダンゾウにストックとして使われるよりは、イタチにそうしてもらった方がありがたいし。

 

「でもイタチくんはスバルが死んだと思ってるんでしょ。どうやってその眼を渡すの? 私だったら、見知らぬ他人が急に亡くなったお兄さんの眼球取り出してたら怒っちゃうけどな」

『……それはなんとかする』

 

 そこまで考えてなかった。そうか、受取拒否どころか、他人の眼球をなんで勝手に奪ってきてんだテメー! ってなる可能性もあるのか。

 ああ、イタチ。その勢いのまま俺に豪火球の術を放ってくれないだろうか?

 

 まあそんなわけで、俺は自分の眼を抉り取って、今に至るわけだ。

 

 俺が理想の死に方について思いを馳せている間に、セキが眼球の移植を続けてくれていた。

 糸状のチャクラが神経を繋げるように動いているのが分かる。何度か根の医療忍者の世話になったことがあるが、本当に繊細な術だと思う。手先が不器用な俺には難しそうだ。

 もしかして俺、あまりに不器用すぎるせいで忍術と幻術が壊滅的だったりする?

 

「できたよ。目を開けてみて」

 

 右眼にもまったく同じ手順を踏んで、ゆっくりと目を開ける。 

 

「…………綺麗」

 

 セキが溜息をつく。

 

「四芒星と――六連星(むつらぼし)だね」

 

 ここには鏡がないから自分の目がどうなっているのか確認できない。

 

 あの小さい星たちも残ってるだって?

 

「うん。最初に見せてもらった六つの星と、スバルのお母さんの四芒星が合わさってるみたい」

 

 元々の俺の眼球はすでに取り出して、例のケースに仕舞ってある。

 

 もしかして俺の写輪眼の能力は自分の中に残ったままで、ケースに入ってる眼球はただの眼球になってたりするんだろうか……。

 もしそうだとしたら、ただのゴミをイタチに押し付けることになってしまうのでは?

 

 ケースを斜めに傾けると、中の眼球がころりと動く。くり抜いただけで能力が失われるなら、ダンゾウが執拗にカカシやシスイの眼を奪おうとするはずがないか。きっと大丈夫だろう。

 

 膝の上に置いていた猫のお面を被る。

 

 顔を上げると、空は朱色に染まっていた。

 

「もう時間だね」

『……森でのことも、今も、俺がこうして自分を取り戻せたのはセキのおかげだ』

 

 今はただ、前に進んでいよう。

 

 胸の奥にあるモヤモヤとした何かが消えたわけじゃない。それ以上の温かなもので上書きされていて、一時的に見えなくなってしまった。

 

「…………」

『…………』

 

 あれ? と首を傾げる。

 

『逃げなくていいの?』

 

 俺の思考を読んでいる彼女なら、すでに俺から距離をとっているはずだった。

 そんな彼女に苦笑して、俺はこのままイタチの元へ向かうつもりでいたのに。

 

 丸太から立ち上がった俺を、座ったままのセキが見上げている。これは受け入れ態勢とみた。

 

 お面を上にずらして、セキの額にキスする。

 

『行ってきます』

「……いってらっしゃい」

 

 そっと自分の額を押さえたセキの顔は赤くなかった。残念。

 

 

 

 夜。とっくに太陽は眠りについて、微かに虫の囁く声が聞こえてくる。

 

 遠くでフォーマンセルの背中が小さく見えていた。俺の視力では見えないが、さらにその奥にスリーマンセルが待機しており、そのさらに奥にはイタチがいる。なんだこれ、ややこしいな。

 

 つまりは、イタチをストーカーする油女ヨウジのいるスリーマンセルと、彼らがしくじった時用のキノトさん率いるフォーマンセルが息を潜めて機会を窺っているわけだ。

 で、俺はそんな彼らを監視している。勿論ダンゾウはこのことを知らない。

 

 遠目でキノトさんが腕を上げて、振り下ろしたのが見えた。こういう時、根の手の動きで指示を出すところは便利だ。おかげで突撃のタイミングが分かった。

 

 後ろから放ったクナイが、四人組のうちの一人に命中する。痛みに喘ぐ声に、キノトさんが異変に気づいて振り返った。

 

「何者だ!!」

『お久しぶりですね、先輩』

「そのお面……声…………クロネコ!?」

 

 お面の裏でにっこり笑う。覚えていてくれて嬉しいよ。最近ほぼ会ってなかったもんね。

 

 茂みから姿を現した俺に、四人の中に動揺が走っている。

 

『ああ……もう敬語なんていらないか』

「お前ほどの男がなぜこんなことを」

『死んでからじっくり考えたらどうだ?』

 

 ダンゾウや俺たちが犯してしまった、罪の重さってやつをさ。

 

 背中に深く刺さったクナイを引き抜こうとしていた男が急に苦しみ始めて、地面に何度も何度も爪を立てながら悶えている。

 逃げ遅れたその男の首を忍刀で貫く。

 

『……解毒剤も仕込んでいないとは』

 

 ダンゾウも随分と間抜けな奴にイタチの暗殺を命じたもんだ。見慣れないお面だったし、新入りかもしれない。

 

「シナミ、ハヤ! こいつとは目を合わせるな、写輪眼の使い手だ」

「キノト隊長……」

 

 眉を寄せる。聞いたことすらない名前だ。

 どうやら、本当にキノトさん以外は入ったばかりの新人らしい。俺が写輪眼使いということすら知らされていないなんて。

 

 三代目に俺とキノエさんをぶつけようとした時より悪化してない? 判断能力にデバフがかかってる気がする。こればっかりは他人事じゃないから早急に治療してほしい。

 

 キノトさんが二人と共に駆け出した。イタチのいる場所を目指して。

 

 わざわざイタチのところに向かうなんて焼身自殺希望者なの……?

 

 キノトさんもダンゾウ化してきたのかと呆れながら追いかける。

 

 それとも俺の将来の夢がイタチによる火遁で死ぬことだと見抜いた上でマウンティング取ってくる気か? 許せねえ。

 

 イタチィ! こんな奴らを燃やす前に俺を燃やしてくれ!

 

「キノト隊長! ダメです追いつかれます化け物ですよあの人!!」

「嘘だろ!?」

 

 生い茂る草木を腕で薙ぎ払いながら突き進む。俺の中のイタチレーダーに大きな反応があった。

 

 クソッ、イタチに会う前に彼らを始末しておきたかったのに。焼身自殺を横取りされちまう!

 

 キノトさん達が草むらを抜けた先に、イタチが立っていた。

 

 キノトさんはイタチの足元に転がる三つの死体を見て「ヨウジまでやられたのか!?」と叫ぶ。

 

 なるほど。自殺を希望していたわけではなく、俺を殺せるのはヨウジの毒蟲しかいないと判断して援護を求めにいったわけか……ヨウジがすでにイタチを始末していると思い込んで。

 

「う、裏切るつもりか、ダンゾウ様を!!」

 

 前にはイタチ、後ろには俺。死神に挟まれた三人の絶望が伝わってくる。打つ手なし。最後の悪あがきをするしかないキノトさんが、聞くまでもないことをわざわざ問いかけてくる。

 この状況で俺がダンゾウの味方なわけないだろ。

 

 それより……。俺もキノトさんのようにイタチの足元に目を向ける。油女ヨウジ含む、最初にイタチに敵意を向けたであろう三人の死体に小さな黒い炎が見えた気がする。豪火球とは別の術で燃やされたんだろうか? いいなあ。

 

「必ず我らの仲間がお前を見つけ出して殺す!」

『死人に口無し。この場にいる根がすでにお前達だけだとなぜ分からない』

 

 俺が手にかけた根の忍は、さっきの間抜けな男だけじゃない。ここに来るまでに近くに潜んでいた者は全て殺してきた。彼らはイタチの動向を報告するためにこの辺りに身を隠していたんだろうが、俺にとっては邪魔になる。

 

 キノトさんが後退りしながら「嘘だ」と呟く。

 

『俺が一体何年あの場所にいたと思ってる』

 

 キノトさんよりは後だが、今ではモズの次にダンゾウに近い立ち位置にある。我ながらとんでもない執念でここまで上り詰めたものだと思う。ここまできたら……あとは堕ちるだけ。

 

『そう心配するな。お前達の分まで、俺がこれからもダンゾウの元で務めを果たしていく――最後の瞬間まで』

 

 あの男を終わらせるのは俺だ。その為だけに生きてきた。俺は…………もう二度と迷わない。これから先、どれだけの苦しみと痛みを伴おうとも。

 

「だ、ダンゾウ様……」

 

 握っていた刀を揺らす。

 

『現世に遺す言葉がそれでいいんですか? …………キノト先輩』

 

 キノトさんは煽りだと思ったのか激昂した。

 

 俺は主にキノエさんの件でキノトさんにいい感情を抱いていない。

 この人はどこまでも根の忍で、かつてのモズのように盲目的にダンゾウを慕って、敬っている。

 

 かつてこの人がキノエさんの心を踏み躙ったことを一生忘れないし、今日イタチを殺そうとしたことも許すことはできないだろう。

 

 それでも、キノトさんが一人の忍として己の信念を立派に貫いてきたことは尊敬していた。

 形が違っただけ、信じるものが違っただけ、俺とキノトさんの間にあるのはその程度の差。どちらも正しくて、間違っている。

 

 だからこそ、最期にダンゾウに縋るような姿だけは見たくなかった。

 

『そっちの方がいいですよ』

 

 同じ罪を背負ったもの同士、死んだら行き着く先は同じだろう。俺への怒りは、その時まで取っておいてくれたらいい。

 

『先に向こうで待っていてください……俺も、そう遠くない未来に追いつくでしょうから』

 

 どうせ俺は長く生きられない。それほど待たせることもないだろう。

 

 腕を軽く動かしただけで呆気なく首が転がる。

 

「ひ、ヒィッ!」

 

 地面に転がったキノトさんと目が合ってしまったらしい残りの二人を殺すのは、さらに容易かった。

 

 深い森の中、ついに立っている人間は二人だけ。

 

「貴方は…………」

 

 イタチの声を聞いただけで胸が痛くて苦しい。目が合っただけで泣きそうだ。

 

 忍刀を軽く振って、背中に戻す。

 

 こんな再会をするつもりではなかった。イタチにはあくまで根の忍だと認識された上で、俺の心を託したかった。

 

『これを見た人間は全員殺さなきゃいけないんだけど、お前のことは殺せそうにないなあ……』

 

 キノトさん達を目の前で殺してしまった時点で、俺が根の人間ではないと知られてしまった。

 

 俺の本質は……ずっとお前たちと共にある。

 

『一生知る必要のない感情の話だよ、イタチ』

 

 お前はずっと知らなくていい。知らないでいてほしい。お前たちの兄である資格すら失った人間のことなんて。

 

 感情がゆらゆらと振り子のように揺れて、たたらを踏む。

 

 …………未練。兄だった過去の自分への執着、弟だった彼らへの色褪せない――愛情。

 

 感情の昂りが身体中の熱を一点に集めたのは必然だった。

 

「どこでその眼を…………」 

 

 俺が自分の失態に気づいたのは、イタチの言葉を耳にした後だった。

 急いでイタチから顔を背けたがもう遅い。……見られてしまった。

 

 暗闇の中では決して無視できない(くれない)の光を。

 

 万華鏡写輪眼。

 

 ダンゾウやカカシの例がある。早く何か言い訳をしなくてはと焦る俺の思考を止めたのは、イタチの両目からこぼれ落ちる涙だった。

 

 瞳の熱が一気に引く。正面からイタチの涙を見てしまった衝撃は大きい。この状況ではどう考えても俺がイタチを泣かせてしまった原因だった。

 

 怯んで後退りする俺の腕をイタチが掴んだ。

 

 震える唇が、確かめるように言葉を紡ぐ。

 

「…………兄さんは、ずっとそうやってオレ達を守ってくれていたの?」

 

 掴まれた腕を振り払うことなんて簡単だった。

 それができなかったのは、イタチの浮かべた表情があまりにも痛々しかったから。

 

『…………』

 

 俺はもう、お前に兄と呼んでもらう資格なんてないんだよ……イタチ。

 

『誰と勘違いしてるのか知らないが、俺は、』

「あの日死んだのがユノという男だったことは知っている」

 

 俺の腕を掴む力が強くなる。まさかユノがしくじっていたとは…………迂闊だった。

 

 ゆっくりと近づいてきたイタチとの距離が拳数個分になった時、俺の腕を掴んでいた手が離れた。

 

 イタチの頭が俺の胸に当たる。背中に回ってきた腕が服に皺ができるくらい強く握りしめた。

 

「やっと辿り着いた。スバル兄さんのところに」

 

 イタチの言葉を理解するには、俺の頭はもういっぱいいっぱいだった。

 

 背中を抱く力が強すぎて痛いのも、俺の胸に涙の跡が見えるのも、イタチの身体が震えているのも……現実だ。苦しいくらいに現実の中にいる。

 

 イタチやシスイと対立し、うちは一族の処遇がダンゾウによって決定した時から、こんな日は二度と来ないと思っていた。……イタチに抱きしめられる日なんて。ゆっくりと持ち上がった両手がイタチに触れる前に止まる。

 

 俺は許された気でいるのか?

 

 一族殺しの汚名を被せ、恋人にすら手をかけるように取り計らった人間が、どうして許されるなどと思う。

 

 頭の片隅に浮かんだセキの笑顔が消えていく。

 

 本当は全部俺がやるべきことだった。恋人も友人も家族も、この手で殺さなければならなかった。

 

 俺がイタチだったら……出来たのか?

 

 セキを殺し、兄のように慕った友を殺され、両親には別れを告げることすらできずに。それでも木ノ葉隠れの里の為に、全ての罪を背負って抜け忍となり生きていくことが。

 

 ぐにゃりと視界が歪む。

 

 ――苦痛。そんな単純な言葉で表せられるものじゃない。地獄だ。俺がこの場所に引きずり落としてしまった。

 

『お前の兄なんかじゃない』

 

 俺の胸に顔を埋めていたイタチが顔を上げる。

 

『そんな資格は、とうにないんだ』

 

 頬に温かな感触があった。見られないように俯いてイタチの肩に額を乗せる。

 

『お前とサスケの幸せな未来を壊してしまった』

 

 何度も何度も自問自答を繰り返した。この道しかなかったのかと。

 イタチやシスイから協力を求められた時だって、三人でなら一族を止められるのではないかと少しも思わなかったわけじゃない。

 ……ただ、俺は嫌というほど知っていた。己の未熟さと、ダンゾウという男の狡猾さを。

 

『お前たちにはもっと綺麗で美しい世界だけを見ていてほしかったのに』

 

 見てばかりいる。

 四代目の目指した未来をこの胸に宿したあの日から、ずっと覚めることのない夢を。

 あの人は大切なものを守って死んでしまった。

 

 ――見られるだろ、今からでも

 

 カカシの言葉が、あの時とは違う質量を持ってのしかかってくる。

 

 …………可笑しいよなあ。たった一度交わした言葉にいつまでも囚われているなんて。もう、すべてが手遅れだっていうのに。

 

「…………資格?」

 

 どこまでも深く落ちていった思考を浮上させたのは、イタチの小さな呟きだった。

 

「貴方は……過去も現在も未来も、オレのたった一人の兄さんだ」

 

 涙が……止まった。

 そっと身体を離したイタチの顔がよく見える。

 

 イタチは泣けばいいのか笑えばいいのか、感情をどちらに傾ければいいのか迷っているような表情をしていた。

 

「オレの兄は自分だけだって言ってくれたよね」

 

 イタチと暗部の更衣室で初めてお面越しの会話をした日のことだろう。ふざけたユノの発言を見逃せなかった。

 あの頃の俺はユノが自分の代わりに死ぬことになるとは思っていなかったが、ユノはそうじゃない。似たような年頃、似たような背格好、似たようなチャクラ質。彼は元々、うちはが滅ぶ前提でダンゾウが用意した俺の身代わりだった。

 

 自分がいずれイタチの兄として死ぬと分かった上で言ったのだと、俺は気づきもしなかった。

 

『…………言った』

「あれは嘘だったの?」

 

 嘘なんかじゃない。

 

『俺はいつだってお前たちの兄であることに幸福を感じていた』

「それならどうして、オレ達とのことを過去にしようとする」

 

 少しずつ周りを見る余裕が出てきたのか、ここにくる前に聞こえてきていた虫の囁き声や、風が草木を撫でる音が耳に入ってくる。

 

 そろそろ薄明に照らされた木ノ葉が微睡から覚める頃だろう。イタチとの時間が終わる。

 

 頭に浮かぶのは、心が擦り切れるまで言い聞かされた言葉。

 

『根は――名前はない。感情はない。過去はない。未来はない。あるのは……任務のみ』

 

 イタチの肩に触れる。

 

『偽りの姿とはいえ、俺は根で生きる者。うちはスバルはもう死んでしまった』

「死んでない! 兄さんはここに、」

『…………ごめん、イタチ』

 

 イタチの肩に触れていた手を背中に移動させて、控えめに抱きしめる。イタチの嗚咽がさらに酷くなった。

 

 また夢を見てもいいだろうか。全部終わったら……二人の兄として生きる未来を。

 

 目を閉じる。どこで終わりとするかも分からない、途方もない夢の話。

 分かってるつもりだ。そんな未来は絶対にやってこないと。夢は叶わない。

 

 俺にはダンゾウの施した呪印がある。ダンゾウを殺すということは、俺が死ぬということ。

 

 それに、きっとダンゾウを殺すだけでは足りないだろう。あの男はあれでいて木ノ葉を守る側の人間でもある。事なかれ主義である三代目だけでは、今回のクーデターはもっと最悪の結末を迎えていたかもしれない。

 

『お別れだ』

 

 夜が明ける。指でイタチの涙を拭った。ぎゅっと眉を寄せ、耐えるように涙を流す姿に胸が締め付けられる。

 

『……俺は、お前を泣かせてばかりいるな』

 

 困ったように息を吐き出す。……ああ、名残惜しい。ずっとここにいたい。

 使命も何もかも放り出してイタチやサスケと共に逃げ出せたらどんなに幸せだろう。この期に及んで希望に縋りたくなる自分に嫌気が差す。

 

『イタチ』

 

 名前を呼ぶ。たったこれだけのことで胸がいっぱいになった。

 

 未練は、ここに置いていく。

 

 俺にはずっと忘れられない記憶がある。記憶だけは置いていかない。ずっと持っている。

 

『俺は…………』

 

 

 

「うちはイタチを追っていた五つの隊が全滅。油女ヨウジの虫も全て黒炎に燃やし尽くされていて追跡はできなかったようです。記録も残っていませんでした」

 

 隣で淡々と報告するモズの声に耳を傾ける。

 

 油女ヨウジのいた小隊はイタチが、残りの四つの隊は俺が手にかけた。

 

 クーデターの前日、モズは集落を監視していた火影直属の暗部を皆殺しにして、集落周辺に無関係な人間が立ち入らないように取り計らう任務を受けていた。

 

 もしもイタチを追っていた小隊の中にモズがいれば俺の作戦は上手くいってなかっただろう。

 こんな時だけはダンゾウの采配ミスをありがたく思ったりする。

 

 ダンゾウの屋敷、居室。モズの報告を受けたダンゾウは苦々しい表情をしていた。

 

 根に所属していた人間のほとんどがダンゾウの呪印を解かれて脱退している。今回のうちは一族虐殺事件を受けて、三代目がダンゾウの失脚と根の解体を同時に言い渡したからだった。

 

 あれから数日。サスケはまだ木ノ葉病院にいるものの命に別状はなく、里にも平穏が戻っている。

 

 うちは一族の『暴走』に晒されることなく平和を享受している彼らは、あの夜の惨劇を知らない。それだけ上層部が上手く動いたということだ。

 

「うちはイタチ……あの者の里への想いは買っているが、その思想がワシの前に立ち塞がらないとは限らぬ。動向だけは追いたかったがな」

 

 もしもイタチの監視をモズが担当していれば、今イタチがどこにいるのかすらダンゾウに筒抜けだったかもしれないと思うとゾッとする。

 

 イタチなら俺と違ってモズの気配を察知できるかもしれないが、相手はストーカー検定一級持ちのベテランだ。それだけに特化してきたとすれば、俺の体術に近い執念を感じる。

 

「ヒルゼンによって根が解体され、ワシの手元に残ったのはお前たちを含む数人と、まだ里外で育成途中の者たちだけ」

 

 強制脱退したり俺とイタチに殺されたりで、一気に主戦力が消えた根の勢いはこのまま失速……なんてことにならないのが嫌なところだ。これからもダンゾウは、水面下で己に忠実で都合のいい忍を養成していくだろう。

 

「近いうちに残った根の忍を全てこの屋敷に集める。お前たち二人も暫くはここで過ごし、決して里側に存在を気取られるでないぞ」

 

 ここにダンゾウとの同居が決定してしまった。嫌すぎる。全力でお断りしたい。

 

「これから、二人には若手の育成に力を注いでもらう。表向き根が解体された以上、これまでのように動き回ることはできない。まずは失われた力を取り戻すのが先決だ」

「オレとクロで新人を管理する……ということでよろしいでしょうか」

「これまではある程度の状態になるまでワシが管理していたが、体制が整うまでは二人に一任する」

 

 ダンゾウはサラッと言ってるが、これは大変なことなんじゃないだろうか。あのダンゾウが、これからの根を担う忍の育成……つまり思想の管理すらも俺とモズに任せるということだ。

 

『お任せください』

 

 ここまでの信頼を示されたことはない。うちは一族の件で、やっと俺もスタート地点に立てた。

 

 一礼して、モズと共に部屋を下がる。

 

 長い廊下を二人で歩いている途中、モズがふいに口を開いた。

 

「……変わったな、お前は」

 

 俺は変わったんじゃない。元に戻っただけだ。イタチが生まれて、愛が何かを知ったあの日より前の自分に。

 

「チャクラの変化もそう……何を考えている?」

 

 やっぱりチャクラの質は変わっていたか。それならばダンゾウにも間違いなくバレている。

 俺が万華鏡写輪眼を開眼したことを追及されるまで時間はない。

 

『一族が滅んですっきりしたんです。ダンゾウ様もご存知の通り、俺は随分と彼らに嫌われていましたからね』

 

 瞳が熱を持つ。薄らと浮かんだ四芒星の周りを泳ぐ六つの星がモズの姿を捉える。完全に万華鏡に移行する前に、瞳は元の色に戻った。

 

『そう警戒しなくても、俺はまだこの能力を使えませんよ』

 

 俺の瞳に赤が滲む前から危険を察知して距離を取ったモズに苦笑する。……やっぱりこの人には敵わないな。俺はまだこの両眼に宿った能力すら把握していない。

 能力を発動する前に眼を入れ替えてしまったせいで、その能力が自分のものか母さんのものか、その両方なのかすら分からないだろう。

 

「お前のチャクラの質が変わったのは、その眼のせいか……?」

『どうでしょう』

「ダンゾウ様への報告は」

『していませんよ。でも、次に俺一人で呼び出された時に見せることになるでしょうね』

 

 ため息をつく。もしもシスイのように他人の思考に干渉する能力だった場合、ダンゾウに眼球を強奪される可能性がある。

 そうならないことを願うばかりだ。

 

「……うちはサスケは、まだ目を覚ましていないようだな」

 

 足を止める。止めてしまった。一瞬揺らいだチャクラにも気づかれてしまっただろう。

 

 振り返ると、同じように立ち止まっていたモズが微かに安心したように笑っていた。お面をしていないからその表情を遮るものはない。

 

「お前が変わっていないようで安心したよ」

『…………』

「これから忙しくなる。屋敷に人を受け入れる前にするべきことがたくさんあるぞ」

『…………はい』

 

 俺の前を歩き出したモズの後を追いかける。

 

 万華鏡写輪眼の能力が何であろうと、もしもあの場で発動したなら容赦しないつもりだった。

 利用できるものはなんでも利用する。それがたとえ、彼であろうと。

 

 拳を握りしめる。

 

 良かった……これで良かったんだ。失わずにいられるのなら、その方がいい。身体を覆うチャクラの冷たさが少し和らいだ気がした。

 

「クロ?」

 

 いつまで経っても追いかけてこない俺を呼ぶ声。

 そういえば、いつの間にこの人は俺をクロネコではなくクロと呼ぶようになったんだろう?

 

『すぐ行きます。モズ隊長』

 

 

 

 ***

 

 

 

 ――このくにがすきか?

 

 あの日の言葉が、目の前の青年の声で再生される。戦争の悲惨さを知らない子供だったオレの無邪気な笑みに、頭に降ってきた兄さんの温かい手のひらも、ついこの間の出来事のようだ。

 

 真実に近づいたオレの頭の中では、これまでの出来事がまるで走馬灯のようにいくつも浮かび、その一つ一つを掬い上げていく度に心が擦り切れていくようだった。

 

 ――兄さんは木ノ葉を憎んでいるのか?

 

 愚かな問いかけだった。守られていた。ずっと、守ってくれていた。他でもないオレが兄さんに呪いをかけた。この国が好きだという言葉が、あの人を縛りつけたくせに。

 

 オレが一歩踏み出せば、兄さんが一歩離れていく。掴む腕に力を込めれば、兄さんの肩が小さく揺れてその場で足踏みする。

 

 この人はいつから感情を押し殺して生きてきた?

 

 いつから……オレ達の為に人生を捧げてきた?

 

 頭に浮かんだのは、あの不吉を纏った男がお面を被った部下を連れて家にやって来た時のこと。

 今思えば、あのお面はモズと呼ばれていた男の被っているものと一致している。

 

 オレの地獄はイズミを殺し、一族を手にかけ、弟に憎まれ――今この場所から始まるのだと思っていた。それは事実だが、これまでのオレの平穏な生活がすでにスバル兄さんの不幸の上に成り立っていたのだとしたら……兄さんの地獄がすでに始まっていたのだとしたら…………?

 オレはどれだけの間違いを犯してきたのだろう。

 

 掴んでいた腕を離す。今を逃せば二度と手の届かない場所に行ってしまう。そんな焦燥感に突き動かされるまま、兄さんの胸に頭をうずめた。両腕で逃がさないように強く抱きしめる。

 

「やっと辿り着いた。スバル兄さんのところに」

 

 猫のお面は沈黙を保っていて、垂れ下がったままの腕がいつかのようにオレを抱きしめることはない。……それでもいい。

 

 伝えたいことがたくさんあるのに言葉にならない。オレの口から漏れるのは嗚咽ばかりで、止まらない涙が兄さんの胸を濡らしていく。込み上げてくる感情が忙しなく胸を鳴らす。聞きたいことも、話したいことも、たくさんあったのに。

 

『お前の兄なんかじゃない』

 

 この距離だからこそ分かる、微かにノイズが混じった声。顔を上げる。

 

 お面の裏側で、赤の滲む瞳が揺らぐ。左眼に薄らと浮かんでいた雫が、つぅ……と流れていくのが見えた。

 

『そんな資格は、とうにないんだ』

 

 俯いた兄さんのお面が下にズレたのか、露出した額がオレの肩に触れる。

 

『俺はお前とサスケの未来を壊してしまった』

 

 感情を無理矢理に抑えたような弱々しい声が鼓膜を震わせるたびに、心に棘が刺さって抜けなくなっていく。

 

「…………資格?」

 

 この人が兄でないというのなら、誰がオレの兄だというのだろう?

 

 たった一人で全ての痛みを引き受けて生きてきたこの人が……今もこうしてオレとサスケを想って涙を流しているこの人が…………。

 

「貴方は……過去も現在も未来も、オレのたった一人の兄さんだ」

 

 そっと身体を離す。兄さんの涙は止まっていた。

 

「オレの兄は自分だけだって言ってくれたよね」

『…………言った』

「あれは嘘だったの?」

 

 兄さんがゆっくりと首を横に振る。

 

『嘘じゃない……俺はいつだってお前達の兄であることに幸福を感じていた』

「どうしてオレ達とのことを過去にしようとする」

 

 平行線を歩き続ける会話に、もどかしさでどうにかなりそうだ。

 

『俺が取り返しのつかないことをしたからだ』

「…………」

『お前とシスイの夢を知りながらダンゾウに一族の情報を流し続け……一族を抹殺する業すらお前に背負わせてしまった。本来は俺がするべきことだったのに』

 

 先ほどとは違う、はっきりとした意思の存在を感じる。

 

「オレの感情を無視するのはもう最後にして」

 

 怒り混じりに言う。まだ続きそうだった兄さんの言葉が止まった。

 

「一族のことはオレが選んだ道だ。決断に至るまでに、ダンゾウによる圧力があったことは否定しない。……貴方も知っていたように、遅かれ早かれこうなることは決まっていた」

 

 二代目の時代から抑圧され続けていた一族はもう限界だった。かつて自分達が追い出したうちはマダラの影に縋るほど……追い詰められていた。

 

「うちはにはこの里は小さすぎたんだ」

 

 千手と手を取り合って築き上げた里ですら居場所を確立できなかった、哀れな一族。

 

 手を取り続けるにはあまりにも木ノ葉の勢力は大きく、うちはの声は小さかった。

 それでも写輪眼という個々の強大な力を恐れた木ノ葉上層部による迫害と里の人間からの偏見と差別は消えない。心を代償に得られる力でさらに身も心も蝕まれた一族の行きつく先は……きっとここしかなかっただろう。

 

「兄さんが全てを背負うのは間違ってる」

 

 一族殺しという大罪を引き受けた日から、全て覚悟の上だった。今は……唯一の兄と共にあることに喜びすら感じている。

 

 兄さんから告げられたのは、拒絶の言葉だった。

 

『偽りの姿とはいえ、俺は根で生きる者。うちはスバルはもう死んでしまった』

「死んでない! 兄さんはここに、」

『……ごめん、イタチ』

 

 身を引き裂かれるような痛みとともに、優しく抱きしめられる。涙が溢れて止まらない。

 

 もどかしい。どうしてこの人はたった一人で生きていく道を選ぶことしかできないのか。……真実を知られても、かつて背負ったものを預けてくれないのか。

 

 兄さんが懐から小さなケースを取り出す。

 

『イタチとサスケを頼む。これが父さんと母さんからの最期の頼みだった』

「…………」

『お前が両親に別れを告げる機会を奪ったのも、俺だったな』

 

 差し出されたケースを受け取る。二つの眼球がころりと動く。

 

『今、俺の両眼にあるのは母さんの眼だ。そこにあるのは俺の……なんだけ、ど』

 

 急に歯切れが悪くなった兄さんが、オレの手のひらにあるケースを睨み付けている。

 

『お前は母さんの眼の方が良かったよな』

「…………そんなこと」

『俺はいつかダンゾウに写輪眼を抜かれるかもしれない。だからお前に渡しておきたくて』

「オレが持っていていいの?」

 

 兄さんは頷いた。その手が、ケースの上から撫でるように動く。

 

『万華鏡写輪眼はいずれ失明するらしい。その時は迷わずに俺の眼を移植してほしい』

「……オレが兄さんの眼を」

「サスケの為に残すだとか、サスケの為に命を捨てるようなことはするな」

 

 ぎくっとした。兄さんの目はすでに眼球の入ったケースではなくオレに向いている。

 その瞳では、先ほどと同じように四芒星と小さな星たちが眩しいほどの輝きを放っていた。

 

『いつかサスケが俺たちと同じ眼を手にした時のことは、後で考えればいい。今の俺の眼を使ったっていいんだ。俺が役目を終えていれば』

 

 役割、役目……ユノの言葉を思い出す。

 

『俺はダンゾウの懐刀となって、あの男の隣に在り続けるつもりだ』

 

 伸びてきた指がオレの目に浮かんだ涙に触れる。優しい手つきに視界がさらに滲む。

 

『サスケがダンゾウに害されないレベルまで強くなるか、俺があの男を殺すか……その両方か。未来は分からない。でも最後は必ずやってくる』

 

 お面の内側で、兄さんが目を伏せる。

 

『お前が生まれた日のことを、俺は昨日のことのように思い出せるよ』

 

 どこまでも優しくて柔らかい声だった。

 

『イタチ。お前が生まれてきてくれたから、俺をお前の兄にしてくれたから……俺はこの世界で生きてこられたんだ』

 

 呪いも足枷もなかった。そこにあったのは、

 

『――生きてくれ』

 

 お面が紡いだ言葉のはずなのに、その声は掠れているし、震えてもいる。まるで兄さんの感情すら反映しているみたいに。

 

『お前たちがいない世界なんて、何の価値もない……俺は…………』

 

 これほど強い感情を誰かに向けられたことなんてない。……いや、気づいていなかっただけだ。

 

『イタチとサスケを生かす道があるのなら、何をしたっていい。それがお前たちにとって痛みを伴うものであったとしても』

 

 ずっとスバル兄さんは強い人だと思っていた。

 

 過酷な戦争に身を置こうとも一切動じず、暗部に入れば淡々と任務をこなし、心が強いからそうあれるのだと思っていた。

 

 本当の兄さんはこんなにも何かを恐れ、怯え、可能性に縋り……限りなく人間に近くて、こんなにも愛おしい。

 

「…………約束する」

 

 無責任だと思われるだろう。オレはサスケの為に死ぬつもりでいる。

 同じ眼を手にした弟と対峙することになるであろう未来で、確実に、その手にかかって。

 

「オレは死なない。兄さんが再びオレの前で兄として存在できるようになる、その時まで」

 

 オレが弟としてできる最後のこと。この人が背負ってきたものを一つでも減らすことだ。

 

 兄さんが小さく笑った気配がする。

 オレの嘘を見抜いた上で、気づいていないフリをしてくれるようだ。

 

『お前はこれからどこに身を置く?』

「暁という組織に」

『暁…………』

 

 聞き覚えがあったのか、それとも記憶に刻もうとしたのか、兄さんが鸚鵡返しに呟く。

 

 ダンゾウの元にいる兄さんの耳にもいずれ入るだろうと判断して、正直に話すことにした。

 

「兄さんも知っている仮面の男……今回の件であの男の力を借りた。オレはこれから暁に身を置いて、あの男を探るつもりだ」

『…………』

「兄さん?」

 

 兄さんの目が大きく見開かれた。それはやがてわなわなと震え、怒りを露わにする。

 

『あの野郎……ついに手を出したか』

 

 オレは忘れていた。白猫の少年が、仮面の男をうちはのファン呼ばわりしていたことを。

 

「兄さん。あの男はそういうのでは、」

 

 うちはのファンどころか先祖なんだと伝えても信じてもらえないかもしれない。

 そもそもあの男への誤解をオレが必死に解く必要はないのだが、あまりにも不憫すぎて放置するのも罪悪感を刺激される。

 

「――こんなところにいたのか、うちはイタチ」

 

 最悪のタイミングだった。オレの真後ろの空間が歪み、そこから姿を現したのは、今まさに話題に上がっていた人物だった。

 

 目の前にいたはずの兄さんの姿がいつの間にか消えている。

 

 兄さんの蹴りが仮面の男、うちはマダラの腹を貫通していた。

 

「……なぜお前がここにいる」

『それはこっちのセリフだろうが。握手券も用意できないにわかがデカい面してんじゃねーよ』

 

 兄さんが何の話をしているのかは分からないが、マダラの神経を意図的に逆撫でしてることだけは分かる。それが効果抜群なことも。

 

「その様子では、イタチはすでにお前の正体を知っているようだな」

 

 会話すらしたくないのか、苦々しい口調でマダラが言う。

 

『気安くイタチの名を呼ぶな』

「お前の名前はいいのか? うちはスバル」

『……見る? 鳥肌立った』

 

 本当に服を捲って腕を晒した兄さん。ぶつぶつと毛穴が盛り上がった肌を見て、マダラが愉快そうに鼻で笑う。この二人、実はとても仲が良いのではないかと血迷ったことを考えてしまった自分が嫌になった。

 

『よりによってお前……よりによってうちはの害悪ファン…………』

 

 兄さんは暫く頭を抱えながらぶつぶつと呟いていたが、無理やりに吹っ切ったようだ。

 

『……イタチに手を出したら許さない』

「手を出すというのが殺すという意味であるなら、心配するな。イタチの力は暁に必要だ」

『そういう意味ではない手を出す方は心配しろって意味か?』

 

 マダラが無言で拳を向けたが、兄さんは軽々と避けてオレの隣に立った。

 

『納得はいかないが、お前の元ならダンゾウも易々と手を出せないだろう』

「随分とダンゾウという男を警戒しているんだな。オレには後は枯れるのを待つだけの、ただの老人に見えるが」

『お前はあの男を知らないからだ』

 

 テンポ良く続いた会話の中で、どうやらお互いの妥協点を擦り合わせたようだ。

 

『お前がうちはのファンではないことは認めよう』

「イタチが暁にとって有用である限り、殺さないことを約束しよう」

 

 どう考えても割に合わない約束事のはずだが、よほどファン呼ばわりが堪えていたらしい。マダラは満足そうだった。

 

 マダラがこちらを向く。空はすっかり明るくなっていた。

 

「時間がない。移動するぞ」

 

 兄さんの方を見ると、小さく頷いてくれた。

 

『……またな、イタチ』

「また……スバル兄さん」

 

 最後まで兄と呼び続けるオレに、兄さんが苦笑する。この先何があろうとも、兄さん自身が認めていなくても……オレにとって兄さんは兄さんだ。

 

 走り出したマダラの後に続く。

 

 最後に振り返った時にはすでにスバル兄さんの姿はなく、ぽつぽつと点を描くようにして転がった死体だけが深い森の中に置き去りにされていた。

 




内輪編完、そして第一部のようなものが終わった気がする

イタチがこの国を好きだと言わなければ、スバルはきっとクーデターを決行して木ノ葉を潰す道を選んでいたんじゃないかな
ここまでお付き合いありがとうございました!
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