今度こそこっちも闇堕ちの影響を受けるんじゃないかと思ったけど、そんなことはなかった。多分。自覚がないタイプだったら分かんない。
ついに中忍試験が始まった。
大蛇丸はすでに数人の部下を連れて受験生として紛れ込んでいる。
ダンゾウには「これも木ノ葉崩し前の余興でしかないわ」だとか言っていたが、十中八九サスケが目的だろう。
これまでの大蛇丸の口ぶりからしてサスケの命を奪いに来たわけではなさそうだ。でも、警戒はしておかないと。
〔…………〕
キュッキュとクナイを磨く。
受験生としてではないが大蛇丸のそばには本体がいる。試験官や受験生たちに存在を悟られないよう、ある程度離れた場所から監視しているはずだ。
〔…………〕
磨きすぎてもはや黒曜石かなってくらい綺麗になってしまったクナイをさらに磨き続ける。
そもそも、大蛇丸はサスケをどうしたいんだよ。
それとなく聞いてみたら世継ぎがどうのって言われたから〔鏡見てます?〕って返しておいたけどさ?
歳の差と性別はまあいいとして(あの人そういうのはお得意の研究成果とやらでクリアしそうだし)、変態蛇野郎と俺の可愛い弟が釣り合うはずがないだろ。この世に産まれるところからやり直してくれ。
カタンッと背後で物音がした。びっくりして振り返ると、そこには白猫面を被った青年が立っている。
咄嗟に握りかけたクナイを机に置く。
本体は気配を消していたわけじゃないけど、自分の気配はなかなか気づきにくい。
〔…………〕
『…………』
かける言葉が見つからない。向こうもそうなのか、それとも言葉をかけようとも思っていないのか。
無言のまま部屋の隅に置いていた荷物を持って再び部屋を出ていく本体。
ぽつんと自室に残された俺は、いつの間にか止めていた息をぶはっと勢いよく吐いた。
〔……きっつぅ〜〕
必要なものを取りに戻ってきただけらしい。
俺がまだ本体だった時、影分身とすら会話をしたくないと考えていたことを覚えている分、自分のためにも話しかけようとは思わなかった。
千千姫を使って精神的負荷がリセットされていようと、この苦しみは本体だけのものじゃない。
本当にサスケが死んだと思っていた時、俺は、俺じゃない何かに支配されていた。
胸の奥に渦巻く暗くて冷たい――絶望と怒り。
〔……あれ、なんだったんだろう〕
激情に突き動かされるままに発動した奥の手は、いつもと様子が違っていた。
握った剣の感触に、ギリギリまで研ぎ澄まされた感覚。耳元で鳴り止まぬ“声”。
まるで俺自身があの王になったかのように。
力を力のままに振り回すのはとても気持ち良かった。
力は大切なものを守るためにあればいい、なんて思っていた過去の自分を嘲笑うかのように――溺れていた。
……あの力はもう使っちゃいけない。使えば使うほど心が蝕まれていく、そんな気がした。
机の上のクナイを睨みつけていると、障子の向こうから気配が近づいてきていた。気配は障子の前で立ち止まり、控えめに声をかけてくる。
「隊長、イロです」
〔入っていいよ〕
ホッと息を吐き出したイロが障子を開けて部屋に入ってくる。
どうやら部下たちの間で本体=怖い、影分身=まだマシという認識があるらしく、俺の元を訪ねる時は鬼が出るか蛇が出るかといった様子だ。
……どっちも悪いか? まあとにかく本体が闇堕ちしちゃったのがいけない。俺は無罪。
「ダンゾウ様から、ツミ隊長の手が空いていれば一緒に里周辺を見て回るようにと」
〔分かった。すぐに準備する〕
「はい。外でお待ちしてます」
ずっと愛用してる無地のジャージを脱いで暗部の忍装束に着替える。
動きやすければなんでもいいんじゃないかと思ったりするけど、こうやって着替えると気が引き締まる気もする。やっぱ大事なんだな。
用意していた装備はさっき本体が持っていっちゃったから、代わりに引き出しから新しいものを取り出す。
〔おまたせ〕
部屋の外で待っていたイロの肩に手を置く。彼はぼんやりとこちらを見上げてくる。
何か言いたげだ。……そろそろ指摘されるだろうなって思ってたんだよ。
「ツミ隊長はクロ隊長とは別人みたいです」
〔……色々あってね〕
うちは一族特有の闇堕ちパワーの恐ろしさがこれだ。可視化できて良かったんじゃないだろうか。
ずっと他人事だと思ってたのになあ。
〔本体は俺より余裕ないけどさ……許してやってよ〕
伸ばした手のひらでイロの髪をくしゃりとかき混ぜる。
少しだけ雰囲気がサスケに似ていることもあって、イロは俺にとって密かな癒しだった。
本体はそれが余計に辛いみたいで波の国の件があってからは以前より距離をとっている。
だからって嫌いになったわけじゃない。
「……はい」
イロはゆるゆると力を抜いて、安堵したように微笑んだ。
中忍試験期間中は他里の忍の出入りが多くなることもあり、当然のように不法侵入者の数が増える。
この時期、火影直属の暗部はてんてこまいの忙しさだ。
火影の護衛人数もいつもより多い。客人に何かあれば国際問題にも発展するのでいつも以上に警備に気を使うことになる。
根が機能していた頃はそれとなく役割分担していたがそれも出来なくなった。
今となっては根が不法侵入者を手引きして火影の首を狙ってるんだもんな。前科持ちだし。
やっぱり三代目はあの時ダンゾウの首をチョンパしておくべきだった。優しすぎるんだよ、あの人は。
「すごい人ですね」
〔そうだな……〕
イロと二人、適当な屋根の上から木ノ葉を見下ろす。
俺が中忍試験を受けた時ってこんなに人多かったっけ?
以前より平和的関係を築いてる国が多いんだからその分来訪者が増えるのは当然か。中忍試験を見にきたことがきっかけで、木ノ葉に移住する人だっているし。三代目の継続的な努力の賜物だろう。
〔試験は今どのあたりか分かるか〕
「第一の試験は無事に終わったと聞いているので、第二の試験の最中かと」
なんで本体に聞かないの? という雰囲気を出しつつも答えてくれたイロ。
本体とはね、不干渉同盟中なんだ。まさか自分とこの同盟を結ぶことになるなんてな!
「……全部終わったら、もう木ノ葉には戻って来ないんですか?」
〔ダンゾウ様次第だろう〕
全部終わったら。中忍試験のことじゃなくて木ノ葉崩しのことだ。
そもそもあの三代目が大蛇丸にそう簡単にやられるかって話だが……。
いざとなれば全力でサポートするようにとダンゾウに口酸っぱく言われてるものの、俺では三代目は殺せないし、無理に大蛇丸と三代目の戦いに乱入すれば無駄死にするだけなのでは?
伝説と伝説の戦いに一般人が足突っ込むとかもはや自殺行為だろ。
大蛇丸は部下たちに結界を張らせて三代目と一対一に持ち込むと言っていた。その間、根は外部の人間が邪魔しないようゴミ掃除をしとけってことらしい。
大蛇丸による木ノ葉崩しが成功すれば、俺はそのまま大蛇丸の部下として里を抜ける。何かとうちはのケツを付け狙ってる大蛇丸を監視する為にはこうするしかない。
いくらダンゾウでも三代目が死んで低迷期に入るであろう木ノ葉ですぐに問題を起こすことはない。暫くは様子を見るはずだ。
大蛇丸曰くヒヨコ同然な伝説の三忍の誰かが火影になってからは、ダンゾウは三代目という抑止力がなくなった木ノ葉で信頼回復につとめる。いつか自分に火影の座が回ってくる日まで。
〔…………〕
三代目を殺す手助けをすることは、結果としてサスケを守る人間を減らすことに繋がる。
うちは一族抹殺の話が出た時と同じだ。
最善の道ではないが、もう他には残されていない手詰まり感。
だからって本体のように視野が狭まるのも良い傾向とは言えない。
ふう、と思わずため息がこぼれる。そんな俺を観察するように見ていたイロは、心なしか嬉しそうな顔をした。
「木ノ葉を離れるのはツミ隊長たちの本意ではないですよね」
〔……そうだな〕
正直ちゃんと聞いてなかった。
作られた時に精神的負荷はリセットされてるはずなのになあ。なんでこんなに考えることが多くて頭が痛くなるんだ?
本体は別方向に吹っ切れちゃったせいか以前のような頭痛もないようだし。ずるい。
「ボクが……ダンゾウ様に」
〔ダンゾウ様に?〕
「……いえ。何でもありません」
〔…………〕
ここ最近イロが何かと意味深なことを言い出すことが増えた気がする。本体に似てきてるんじゃないだろうな。
***
「オレたちが発見した時にはもう……」
里の外れに並んでいる地蔵菩薩に飛び散っている血痕。その前には三人の死体が転がっていた。
三人全員の顔が無くなっていて、抜き取られずに放置されていた身分証から彼らが草隠れの下忍ということが分かっている。
「セキ、アンタも分かるでしょ。誰がこれをやったのか」
「……はい」
アンコさんの言葉に頷く。
執拗に命を狙われた日から、私は可能な限りその忍のことを調べていた。そこで交流を持つようになったのが、その忍の元弟子であり被害者でもあるアンコさんだ。
――大蛇丸が木ノ葉にいる。
怒りと恐怖で身体が震えた。
こんな目立つ場所に誰の仕業か一目瞭然な状態で放置するなんて。
挑発的で、憎たらしいくらい自信に溢れてる。
それにしても……おかしい。どうしてこの死体を発見したのが根の暗部ではないの?
彼らが殺されたのはたった数分前というわけではない。それなりに時間が経っている状態で、彼らがこれに気づかないはずが……。
ダンゾウの周到さはよく知ってる。
根が解体されてから随分経った。彼らも以前と同等……いや、それ以上の組織力を持っていてもおかしくないのに。
中忍試験の影響で火影直属の暗部による監視が厳しくなったから?
やはり不自然だ。あり得ない。私の把握していないところで何かが起きようとしてる。
「死体から離れていてください」
「何をするおつもりで?」
「彼らが心身ともに未熟な下忍であれば、最後に発した感情が表面に漂っているかもしれません」
強い感情はその人の肉体が死を迎えた後でもこの世に残り続けることがある。
顔のない女性の前に膝を下ろして心臓の位置に触れる。
「……ごめんなさい」
途端に流れ込んでくる、絶望、痛み、空虚感。
どんなに恐ろしかっただろう。心細かっただろう。
そっと触れていた手を離す。
致命傷となったのは大蛇丸の顔を奪う術。
でも、助けを求めて逃げ出そうとした彼らの動きを止めたのは――クナイ。
「セキさん?」
「……彼らを運んであげてください」
羽織っていた薄めの上着を脱いで女性の顔に被せる。
露出した私の右腕には、暗部の証である刺青が刻まれている。
あとは両腕のバンドに取り付けてあるチャクラ蓄積装置がきちんと機能していることを確認して……うん、問題ない。
中忍たちに火影様へ連絡するよう指示しているアンコさんの隣に立った。
いつも持ち歩いているウサギのお面を被る。
「セキ……アンタ、まさか」
「私も連れて行ってください――大蛇丸のところへ」
死の森に入るのはいつぶりだろう。
これまでにも何度か中忍試験の補佐をしてきたけれど、実際に森の中に入ったことはなかった。自分が受けた中忍試験以来かもしれない。
あの頃の私はスバルと一緒にいられることがとにかく嬉しくて、楽しくて……幸せで。
心が読めるからってその人の全てを理解できるわけじゃないのに。
心という海の上澄み部分だけを掬って、全部分かった気でいた。
「セキ! 絶対に声を出すんじゃないわよ。大蛇丸がアンタの正体に気づいたら……」
「そうなっても気にせず見捨ててください」
「アンタねぇ……今からでも置いてくわよ! 断るなら一人でも行くって脅すから仕方なく……!」
前を走りながら振り返ったアンコさんの表情は怒っているというより、心配そう。
「戦いが始まれば確実にバレます。私の忍術はちょっと変わってるから」
「だからそれを使うなって言ってるんじゃない!」
「手を抜いて殺せる相手なら私もそうします」
それどころか全力を出しても……。
アンコさんは物言いたげな顔をしていたけれど、口を閉じて前に向き直る。
そろそろ森の中央を流れる川が見えてくるはずだ。実戦に不慣れな子どもたちの心の声がいくつも聞こえてきている。
「……誰かの泣き声」
「大蛇丸にやられた子かしら」
「そこまでは……でも、」
前方で何かが光った。
私より素早く反応したアンコさんが飛んできたクナイを弾き落とす。
日が落ちてきて薄暗い森の中。闇に溶け込むようにして立っていたのは――狐のお面を被った青年。所属を表す額当てをしていない。
「……アンタ、受験生じゃないわね」
「…………」
狐面の青年は無言で新しいクナイを構える。フッと軽快な動作でこちらに飛びかかってくる青年がアンコさんとクナイを交え、簡単に押し戻した。
「ぐっ……!!」
バランスを崩したアンコさんの隣に並び、その背中を支える。
「大蛇丸の部下……私たちを足止めしに来たのね」
「アンコさん」
私は狐面の青年に聞こえないよう小さな声で耳打ちする。
「私が引き付けます。その隙に大蛇丸のところへ」
「…………あとで追いついて来ないと許さないから」
「はい。約束です」
ウサギのお面で見えないだろうけど、安心させるように微笑む。
アンコさんが去って行くと当然のように青年は追いかけようとしたが――行かせない。
貴方の相手は私がする。
煩わしそうに伸ばされた拳が私の首を掠めた。チリッと鈍い痛みが走る。
……避けきれなかった。反射神経は結構いい方なのに。
でも、今度はそっちが避けられない方だから!
自他共に認める負けず嫌いである私は、印を結んで地面に手をつく。
途端に、地震が来た時のように不安定に揺れる地面。ボコボコと音を立てて鋭く尖った土たちが突出する。
一見、土遁系列の技に見えるけれど歴とした水遁だ。地面から吸い上げられた水分たちが、乾燥して硬質的になった土ごと地面を突き上げていく。
呑気にその場に立っていれば簡単に串刺しになってしまうくらい強力な術。私のチャクラを纏っているから尚更だ。
狐面の青年は懐から細いワイヤーを取り出して遠くの木に飛ばすと、瞬時に手繰り寄せる。
人間というのは、地に足がついていない状態ではどうしても動きが不安定になるもの。
青年が完全に木に飛び移る前に、もう一度地面に手をついた。
今度は木の周辺の水分をありったけ手繰り寄せる。パキパキパキ……と根元に亀裂が入っていき、大木が傾き始める。
青年はそれでも冷静さを失わなかった。
落ち着いた様子で自身と木を繋ぐワイヤーを背中の忍刀で切り離す。そして、全く音を立てず地面に着地した。
「やるね。まさかこの術を披露した相手が無傷なんて」
「…………」
青年の動きが不自然に止まった。それを怪訝に思いつつ、私は次の印を結ぶ。
「今日は蓄積してきた分を使えるから……」
両腕に装着しているバンド。総チャクラ量が少ない私が、他人の心をチャクラに変換して効率よく貯めておくために必要不可欠な装置。
これから使う術はチャクラの消費があまりに激しく、還元速度に追いつかない術だ。
それが原因で以前は“彼”に負けてしまったけれど、今ならあんなことにはならない。
「水遁・花心――」
私の背中から生えようとしていたチャクラの塊が、形となる前にしなしなと萎びていく。
「…………え?」
腕を掴まれている。
術式を完全に構築する前に止められてしまったから、私は……?
「…………」
驚くくらいの速さで私の目と鼻の先に立った青年が、私の腕を掴み、こちらを見下ろしていた。
違う。避けるなり振り払うなりすれば良かっただけ。
どうして私は何もしなかったの?
その心は――読めない。読めないけれど、深い深い闇の中に沈んでいるような……不安定さは嫌というくらい伝わってきた。
「…………貴方、は」
青年は何度も躊躇うような仕草を経て私の首に触れた。生じた痛みに小さく声が出る。
「…………」
青年の指が離れていく寸前、僅かに広がった
私の首元の傷よりも痛くて、苦い感情。感じ取れたのはたったそれだけ。
「待って!」
青年は一度空を見上げ、次の瞬間には風と共に姿を消してしまった。
あれから私はすぐにアンコさんを探しに向かった。
「あなたは……」
「ヨルさん! それに、先輩方も」
アンコさんのところには、先に暗部のスリーマンセルが到着していた。
「……セキ。無事だったみたいね」
「顔色が……」
急いでチャクラを帯びた手のひらをアンコさんにかざす。傷が浅ければ私の医療忍術でも少しは……。
アンコさんがやんわりと私の腕を掴む。
「いい。これは怪我じゃなくて、呪印のせいだから」
「大蛇丸に会ったんですね」
「大蛇丸の狙いは、うちはサスケ。私の時と同じなら、彼にもすでに呪印が……」
「……そんな」
そんなはずは。だって、もしもあの人が“彼”だとしたら、大蛇丸の行動をみすみす見逃すはずがない。ましてや協力するなんてことは。
「アンコ。お前をすぐに火影様の元へ連れていく。詳しい話はそれからだ」
「いいえ、塔に行って。どうしても中忍試験を中止にするわけにはいかないのよ」
アンコさんはふと思い出したように「暗部に狐面を使ってる男はいる?」と尋ねた。
「狐面……
「ああ」
「ユノのやつが持ったまま蒸発しちまったからな」
ユノ……確か、ヨルさんと共にスバルの部下として暗部に所属していた青年の名前。
「どうして狐面の話を。まさか、見たの?」
「大蛇丸を追ってる途中でね」
「私が相手をしました。取り逃してしまいましたが……」
あれは、スバルではなくユノ? スバルの知人である私に怪我をさせたことに気づいてあんな行動を?
私の心はあの人がスバルだという可能性を捨てきれなかったが、どうしても、あのいっそ恐怖を覚えるくらい闇に染まった感情が以前のスバルと同じものだとは思えなかった。
「……とにかく今は一刻も早く中央塔へ。火影様もそこにお呼びして、ユノという男のことも調べるわよ」