「次、うちはスバル。前に出なさい」
卒業試験の内容は分身の術だった。
急遽組まれた試験とはいえ、落ちたとなるとそれはそれでイタチに顔向けできないくらい落ち込む。けど、これから先奴隷として生きていくよりは何倍もマシだろう。……そう思っていました。ほんの数秒前までは。
何でよりによって分身の術? かつて俺が何度も挑んでは何度も失敗し、まるで親兄弟を殺されたかの如く憎んだ術が卒業試験に来るなんて。
はっはっはっ、此処で会ったが百年目! 底なし沼の術すら会得した今の俺にとって、こんな初級忍術なんて朝飯前っ!
両手で印を結び意識を集中させる。ボンッという音と共に俺の隣に現れたのは、双子かと思うくらい完璧に再現された自分自身の姿だった。よっしゃー!!
「よし、卒業試験は合格だ。明後日の卒業式には忘れずに参加するように」
「…………」
賢者タイム終了のお知らせ。
俺はなんて意志の弱い人間なんだろう。一時の快楽を得る為に今後の人生を棒に振るなんて。まあどうせ俺がわざと卒業試験に落ちたとしても、ダンゾウの権力で再試験なり結果の書き換えなりされてただろうけど。
「ああ、すまない。忘れるところだったよ」
試験官がにっこりと笑って、教卓の上に置かれていた箱から手のひらサイズの何かを取り出した。
一体何だろうと身を乗り出した俺の額に冷たいものが触れる。するりと布地が頭の後ろまでまわり、きゅっと結ばれたのが分かった。
「下忍おめでとう」
ゆっくりと額に触れる。里の忍として認められた証でもある額当てだ。思っていたよりもずっしりと重くて、存在感がある。
「卒業式はそれをつけて参加するように。これから頑張れよ」
じわりじわりと目頭が熱くなった。
決して感動してるわけじゃない。これからはなけなしの親の庇護も完全に無くなって、辛く苦しい奴隷生活が待ってるんだと思うと……しくしくしく。
木ノ葉マークが刻まれた額当てを指でずらして目元を覆い隠す。
その場で俯いた俺に、試験官が「お前も人間だったんだなあ」なんて言いながらバシバシと背中を叩いてくる。……俺は生まれてからこれまで、人間以外の生き物になった覚えはないんだけどな?
「卒業試験合格おめでとう! スバル兄さんっ」
帰宅した俺が玄関の扉を開けると同時に、イタチが胸に飛び込んできた。
ぽかんと間抜け顔のまま思考が停止する。それでも両腕はしっかりとイタチを抱きとめていたので自分で自分を褒めたい。ノーベルファインプレーで賞。
「……あ、あのね。結果を誰かに聞いたわけじゃないんだけど、兄さんなら絶対に合格してるだろうなって。そうだよね?」
控えめに言って俺の弟は天使だった。控えなかったら神。合格しててよかった……!
はにかんだイタチの笑顔が眩しすぎて灰になりそう。母さん譲りのピュアスマイルだ。豆腐屋のお婆さんや俺みたいなアンデッドタイプは直視すると死ぬ。
感情が大渋滞を起こして上手く反応できなかったせいか、イタチの目が不安げに揺れている。
しまった、心の中で幸福を噛み締めてる場合じゃなかった。
俺は急いでこくこくと頷き、調子に乗ってイタチの頬にキスをした。ラブ・イタチ! 卒業後の憂鬱が一瞬で吹き飛んだよ。
「…………兄さんって、急にこういうことするよね」
「!?」
頬を押さえながら、イタチが不服そうな顔をする。まさか、嫌だった? これ以上の思考は新たなる鬱ルートが開拓されそうだったのでプツンと遮断する。
俺の心配とは裏腹に、イタチはくすくすと笑った。
「ふふ……兄さんって、分かりにくいけど分かりやすいんだね。オレにもやっと見分けがつくようになったよ」
「…………」
イタチは一体何の話をしているんでしょうか。
「ほら、今日は庭でオレの変わり身の術を見てくれる約束だったでしょ。早く行こうよ」
ぐいぐいと服の裾を引っ張ってくるイタチに苦笑して、大人しく誘導されることにした。
期待してくれているイタチには大変申し訳ないことに、俺の変わり身の術の失敗回数は三桁を超えている。むしろ成功したの何回だっけ……。
「がんばって、スバル兄さん!」
おかしいなあ、おかしさしかないなあ。イタチの修行に付き合っていたはずが、なぜか俺の修行に切り替わっていた。どういうことだってばさ。
「今だよ!」
イタチの合図と同時に、近くにあった盆栽と自分の体を入れ替える。元々俺の体があった位置に飛ばされた盆栽が、イタチの投げた手裏剣によって蜂の巣になった。
……どれも急所に当たってるんだけど。しかもこれ、よく見たら父さんが毎日愛情込めて世話してる盆栽シリーズじゃん。一つ一つに名前まで付けてた気がする。
俺が足場にしていた盆栽台がガラガラと音を立てて崩れた。
「すごい! 兄さん、本当に変わり身の術が苦手だったの?」
「…………」
一度理論を教えただけで変わり身の術を一発で成功させたイタチに《おれよりうまい》と褒めたのが悲劇の始まりだった。
「兄さんが苦手ならオレが手伝ってあげる!」
そのありがたい提案を脳死で受け入れたのが運の尽き。父さんの遺伝子を立派に受け継いでいたらしいイタチは、なかなかにスパルタだった。というか、手裏剣を投げる寸前の目つきがマジだった。
命がけの修行に俺のコンディションも最高潮に達し、イタチの全ての攻撃を変わり身の術で躱した結果こうなってしまったわけだ。この調子だと愛する弟の手にかかって死ぬという俺の将来の夢は簡単に叶いそうだなあ。
「……これは、何事だ」
唖然とした声が耳を打つ。父さんの声だ。くるりと振り返る。
縁側に立っていた父さんが俺とイタチを交互に見比べて、最後に悲惨なことになっている盆栽たちに向いた。
あちゃー。父さんが帰ってくるまでに証拠隠滅しようと思ってたのに。
「あ…………」
ようやくイタチもこの事態に気がついたらしい。うん、ちょっとはしゃぎすぎちゃったね。
「オレの……盆栽、が」
「……父さん?」
父さんの目がちょっと赤かった。泣いてるわけじゃなくて、まさかの写輪眼になる寸前だった。
さすが愛情深いうちは一族の当主、盆栽ですら愛の喪失対象とは恐れ入った!
「…………はぁ」
父さんは深いため息をついて、手のひらで目元を隠す。そして気持ちを切り替えるように無理のある笑みを浮かべた。それは思いっきり引き攣っていて見てるこっちが気まずい。
「そろそろ母さんが帰ってくる。……今日は大事な話があるから、早く手を洗って居間に来なさい」
「大事な話……また、戦争がはじまるの?」
悲しげに目を伏せたイタチの頭を父さんが撫でた。
「戦争なんてそう何度も起こるものじゃないから心配するな。……母さんが明日から数日間ほど検査入院することになった。でも悪い知らせじゃない。詳細は後で話す」
「母さんが……? 大丈夫なの?」
「ああ」
二人の会話を聞いていた俺にはピンとくるものがあった。
そういえば、ダンゾウによる不法侵入奴隷契約押し売り事件があった時も、父さんと母さんは木ノ葉病院に行っていたような。
俺から送られてくる熱烈な視線に気づいた父さんが、ぎくりと身動いだ。失礼な反応だな!
「……そうだな、スバル。お前にとっても喜ばしい知らせだろう」
最後に「……喜んでる、で合ってるな?」と恐る恐る付け加えた父さん。本当に失礼だ。
俺はイタチの手を握って急いで洗面所へと向かった。
そわそわしてしょうがない。まさか、こんな日が一度ならず二度も来るなんて!
男の子かな、女の子かな。どちらでも嬉しいな。
死にかけの表情筋がゆるゆると緩むのを感じる。ああ、母さん。早く帰ってきて!
卒業式を明日に控え、アカデミーでの最後の授業を無事に終えた俺は、セキに誘われてラーメン一楽でチャーシュー丼を食べていた。
ここのチャーシューはマジで美味い。ラーメンも勿論好きだけど、今日は米の気分だったからこっちにした。セキはなぜか唐揚げ単品を注文して夢中で食べている。……美味しいけど、ラーメン屋でメインとして食べるのはちょっと違う気がする。
「ダンゾウという男には気をつけた方がいい」
ぽろりと、たった今口に運ぼうとしていたチャーシューが丼の上に落ちた。
「心配してくれてるの? こんなところで上層部の悪口を言ったら、僕に何かあるかもしれないって」
そりゃあね。この時間は比較的客足がまばらなものの、木ノ葉で一番美味いラーメン屋として有名なだけあって回転率は良く、店内はそれなりに繁盛している。どこに上層部信者が紛れ込んでるか分かったもんじゃない。セキは俺の唯一の友達だし、心配だってする。
「……ありがとう。でも大丈夫だよ。僕の血継限界は貴重だし、奪おうとして奪えるものじゃないからね。上層部とはいえ簡単に手出しはできない」
覚方一族の透視能力は脳が媒体になっているらしく、その能力を奪うためには自分の脳と彼の脳を総入れ替えしなきゃいけないって聞いたことがある。
しかも、その手の高度な移植手術を成功させられるのはほんの一握りの医療忍者だけだ。そんなリスクを負うぐらいならセキ本人を懐柔した方が早い。もしくは、俺たちの写輪眼とかで――
「そうだね。幻術返しは得意だけど、君の目に操られたら降参だ。大人しく従うよ」
セキは楽しげに笑った。今の会話のどこに笑うポイントがあったのか分からない。こっちは本気で心配してんのに。
小さくため息を吐くと、いつの間にか唐揚げを食べ終わっていたセキがニヤニヤとこちらを見ていた。
「長かったなあ、スバルが僕に心を開いてくれるまで。一年もかかるとは思わなかった」
はいはい。俺だって家族以外の人間と仲良くなれるとは思ってなかったよ。セキは本当に変わってる。
「それで、話を元に戻すけど。ダンゾウには本当に気をつけた方がいい。あの男は里のためなら……いや、自分の野望の為ならどんな卑劣な手段を使うことだって厭わない。悪魔みたいな男だよ」
なかなかに酷い言われようだった。擁護しようがないのもなんだか切なくなってくる。
「……おそらく、僕の作ったお面はスバルの元に渡ると思う」
なんのことだと首を傾げる。
「以前からダンゾウに頼まれていた物なんだ。僕の透視能力を組み込んだ装置を発動させて……面から直接言葉を紡ぐことができる」
もう一度口に運ぼうとしていたチャーシューが再び真っ白な米の上に落ちた。ええ……なんだその、全俺に需要たっぷりな便利グッズは。全力で貰い受けたい。
「声質で敵に正体がバレないようにとは言っていたけど、本来は他国の忍を捕まえて情報を吐かせる為に使うのかと思っていたんだ。……でも、君が根に所属すると聞いて…………」
セキの声はどんどん尻すぼみになっていき、ついには気まずい沈黙が流れた。
ええと、つまり。どういうことだ。
ダンゾウは俺に何を期待しているんだろう。セキの懸念が当たっているとしたら、ますます彼の考えが読めない。俺一人のためだけに、セキの協力を仰いでまでそんなお面を作らせたっていうのか?
「…………ごめん」
やっと胸の奥底から絞り出したような謝罪がセキの口から溢れた。まったく予想してなかった反応なだけに、今度は口からご飯粒がぽろぽろと落ちる。ごめん、流石にこれは汚いね。
「僕があんなものを完成させなければ、ダンゾウは君が根に入ることを諦めたかもしれないのに」
つう、と一筋の涙がセキの頬を伝った。
な、泣いてる……? なんで、どうして、こんなことで?
これまでの人生、目の前で泣かれたことがあるとすればイタチくらいだし、そもそも自分の泣き顔すら見たことがない。啜り泣いていた時に鏡でよく見ておけば良かった。いや、そんなこと言ってる場合じゃなくて。
万年ぼっちな俺が泣いてる同級生の慰め方なんて知ってるはずもなく。困惑している間にセキの瞳は大洪水に見舞われていた。
あっ、ちょっ、ダムを、心のダムを堰き止めてもらっていいですか!?
ぐいっと強引に腕で涙を拭ったセキが悔しげに言った。
「……涙を見せても動揺すらしてくれないなんて、僕たちの関係はまだまだってことか」
「…………」
それはもう、めちゃくちゃに取り乱しましたとも。
セキと別れた後、俺はその足で木ノ葉病院に向かった。施設中に消毒液や薬の独特の匂いが漂っていてなんだか落ち着く。受付で面会の手続きを済ませ、教えてもらった病室に入った。
「兄さん!」
駆け寄ってきたイタチを流れるような動作で抱っこして、後ろ手で扉を閉める。すりすりと俺の首に頭を押し付けてくるのがとんでもなく可愛い。はあ、癒される。
《さきに きてたんだな》
「うん。修行が予定より早く終わったから、父さんが行ってきていいって」
俺と違ってあらゆる忍術や幻術をほぼ一発で成功させるイタチの修行は、それはそれはスムーズに進んでいることだろう。父さんの誇らしげな顔が頭に浮かぶ。
俺の時にだいぶ苦労したせいか、イタチが術を成功させるたびに大喜びするんだよあの人。気持ちは分かるけど。一時期「オレの教え方がそんなに悪いのか……?」って本気で落ち込んでたもんね。
「いらっしゃい、スバル」
個室らしく、一つしかないベッドに座っている母さんの顔色は悪くなさそうだった。妊娠初期に入院だなんて心配してたけど、元気そうで良かった。
「管理入院だから明日の夕方には退院できると思うわ」
なんでも、切迫流産のリスクがあるらしい。動いても大丈夫らしいが、あまり部屋からは出られないんだとか。
「卒業式には間に合わなくてごめんなさいね」
母さんが申し訳なさそうに眉を下げる。俺はふるふると首を横に振った。母さんには自分のためにもお腹の子のためにも、安静にしていてほしい。
「オレが父さんと一緒に行くからね、スバル兄さん」
心強いイタチの言葉に頬が緩む。俺は世界一幸せなお兄ちゃんだ。
「一人暮らしに必要なものはまとめてあるから、そのまま持っていけるはずよ」
母さんの言葉はありがたかったが、忘れようとしていた事実を突きつけられて鬱が加速した。
そう、そうなんだよ。明日から根が管理してるアパートで一人暮らしなんだよなあ、俺。一人暮らしというか、寝る場所以外は共同で使う部屋が多くて、ほぼシェアハウス状態らしい。つまり四方八方を暗部に囲まれながら暮らすわけだ。寝首を掻かれないように気をつけよう。
「……たくさん帰ってきてくれる?」
たくさんどころか毎日実家に帰りたい。切実な叫びを心の奥に仕舞い込んで、イタチの頭を撫でた。もちろん、と答えられないのは俺も辛いけど。
《どりょくする》
今はこれで精一杯。暗部がどれだけ多忙かはイタチもなんとなく分かってるはずだ。
「スバルならきっと大丈夫。イタチに会うためなら週一で帰ってこれるわよね?」
「!?」
さらっと無理難題を押し付けられてると思ったら、母さんは満面の笑みだった。俺がイタチの前だと断れないって分かっててやってるな!
「本当? それじゃあ、毎週体術の修行に付き合ってね!」
いやいやいや?
一緒に遊ぶとかじゃなくて修行ってところがイタチらしいけど、そういうことじゃなくて!
二人分のキラキラとした眩しい笑みを全身で受けてしまった俺には、もはや為す術はなかった。
《まいつき、なら》
死ぬ気で任務を終わらせよう。もしダメだったらダンゾウを脅してでも家に帰る。そうしよう。
「本日の卒業式は本来、桜が舞う春に行われる予定でした。それほどまでに大戦によって受けた傷は深く、木ノ葉隠れの里に重たい影を落としてしまっています。私たちは今日から忍として……」
ふわぁ、と欠伸をすると隣に立っていた子が迷惑そうにこちらを見た。ごめんなさい。
卒業生代表のなんとかさんが答辞を読み終わる。長ったらしい名前だったから覚えられなかった。でも顔は何度か見かけたことがある。俺のような異例(戦後の人手不足)に異例(ダンゾウによるラブコール)が重なってしまったパターンを除けば、アカデミーを最年少で卒業するほど優秀な人だった。確か、九歳だったはず。
第二次忍界大戦前後は一瞬で入学して一瞬で卒業とかいうふざけたパターンが多かったらしいので、勿論これも除外する。あの世代はバケモノが多いって婆ちゃんが言ってた。婆ちゃん、俺が生まれる前に死んでるけど。
卒業式は例年通りであれば暖かい春に行われる予定だったが、こんなクソ寒い冬真っ只中で行われることになってしまった。いい加減凍りそう。せめて教室内でやってくれと言いたい。後ろで聞いてるイタチが風邪ひいたらどうしてくれるんだ。
卒業生代表の答辞から数人の教師陣の挨拶を経て、ついに三代目火影が壇上に上がった。そういえば、そろそろ三代目が引退するって噂は本当なんだろうか。
「卒業生の諸君、卒業おめでとう。これからは木ノ葉の一人前の忍としての自覚を持ち、頑張ってもらいたい」
入学式と同じように、三代目のありがたい言葉が俺の心に届くことはなかった。あれほど入学したくなかったアカデミーも、今となっては卒業が名残惜しい。社畜ダメ、ゼッタイ!
桜の代わりにちらほらと雪が降る中、悴む両手を擦り合わせながら校舎を後にした。
もうここにくることはないだろう。暗部入りの件がなくても、ちょっと寂しいかもしれない。
イタチや父さんとは卒業式の直後にいくつか言葉を交わしたきりだった。一緒に家に帰りたかったけど、俺には行かなければならない場所がある。
暗部としてこれから何度もお世話になるであろう、装備品たちを受け取りに行く必要がある。正直、イタチとの帰宅と比べたら重要度は低い。
そう思いつつも足は真っ直ぐに暗部専用の更衣室や装備部が一緒になった建物に向かって進んでいて、ため息が止まらない。あーあ。この身に染み付いた真面目ちゃんはそう易々と消えてくれそうにないな。
「こちらがアナタの装備一式です」
ありがとうという気持ちを込めて軽く会釈する。火影直属だろうとダンゾウ直属だろうと、お世話になる装備部だけは同じらしい。
ありがたく装備を受け取り、同じ階にある更衣室のドアノブを捻る。まだ俺が住むアパートの契約が済んでいないこともあり、今日だけは着替えもここで済まさなきゃいけないらしい。
更衣室に入った途端、こちらを射抜くような鋭い視線がいくつも飛んできた。その中心人物だと思われる一人の男が、ずいっと俺の前に立ちはだかる。
「うちはスバルか」
はい、そうです。
「……左奥が空いている。今日はそこを使え」
それはどうもありがとうございます!
まるで俺の心が通じているかのような完璧な流れだった。心が浮き足立ったまま声をかけてくれた男の前を通り過ぎようとしたら、盛大に舌打ちされてしまった。
「チッ、すました顔しやがって。無視かよ」
ですよね。いつものパターンだって知ってた!
どこにいっても俺の顔って不評だ。そんなにムカつく顔してるかなあ。普通に父さん似だと思うんだけど。つまり、父さんの顔も一般的にはムカつく部類ってことでファイナルアンサー?
指定された左奥のロッカーを開ける。まずは着ていた服を脱いでハンガーに吊るし、暗部の忍装束に袖を通した。
ここにいる暗部の人とはデザインが僅かに違っている。……そういえば、俺のスリーサイズはどこでバレたんだろう。誰にも言ったことないし測らせたこともないのにピッタリで怖い。
ま、まさか……! ダ…………俺の思考はここで途切れた。
とりあえず、不法侵入奴隷契約押し売り勝手にスリーサイズ把握野郎のことは一旦忘れることにしよう。いや、今から会いに行かなくちゃいけないからすぐに思い出すことになるんだけど。鬱。
背中に刀を差して最後に猫をモチーフにしたお面を被る。よし、これで準備完了!
「おい、待てよ」
これからダンゾウの所もとい戦地に赴こうとしていた俺の肩を強引に掴む手のひらがあった。先ほど俺に声を掛けてくれた男のものだ。
「暗部の先輩に対してその態度はないだろ。喋れないってんなら、土下座してでも誠意を示せよ」
男と、彼の背後に立っている暗部の忍たちが一斉に笑い声を上げた。
ええ……。なんか、俺ってこういう無茶振りを受ける率高くない?
ひっそりと苛ついたのと同時に、被ったお面の内側が触れている額に、ビリッと静電気が走った時のような痛みが生じた。
「それで、土下座はまだ……」
『やだなあ、先輩! 勿論嫌に決まってるじゃないスか〜!』
一瞬でその場の空気が凍りついた。俺もわけが分からなかった。この状況にそぐわない底抜けに明るい声が聞こえた気がする。……もしかしなくても、俺のお面から。
肩を鷲掴みにしていた男の手を出来るだけ丁寧に振り解いて、逆にぽんっと相手の肩に手を置いた。
『代わりに先輩が土下座する?』
首を傾げながら、被っていたお面を外す。やっぱりこれ、このお面から出てる声だ。外した途端に静電気みたいな痛みも無くなっている。セキお手製の貴重なお面が、本当に俺の手に渡るなんて。
俺と目が合った男の顔は恐怖に歪んでいた。
「すっ、するわけねーだろ! 着替え終わったならさっさと出ていけよっ!」
とっくに着替え終わってたくせに新人いびりに熱心だった先輩がそれを言っちゃうのか。
今お面を付け直したら一体何を口走るか分かったもんじゃない。俺はモヤモヤとする心に蓋をして、お面を手に持ったまま更衣室を出た。
やっぱりあともう一言、いや三言くらいは返しておけば良かったかもしれない。
里の裏門近くにひっそりと建てられた資料庫の重い扉を開いて、足を踏み入れる。まだ夕方ですらないっていうのに、光を取り入れる窓が極端に少ないせいで辺りは薄暗く、湿気でジメジメとしている。
何かの儀式のように通路の隅に等間隔で置かれた蝋燭の灯りを見つめた。俺、このまま怪しげな黒魔術の生贄にされちゃったりしないよね?
表向きは資料室、実際はダンゾウの居室という最悪の極みなこの屋敷は、裏門近くというより火影岩のほぼ真下に建てられていた。
火影でもないのにこんなところに屋敷を構えてる時点でダンゾウの野望が嫌というくらい滲み出ている。本来火影に近いのはこのオレなんだぞって言わんばかりだ。メンタル強靭すぎだって。
屋敷の最奥、一際光を放っている部屋の前で立ちどまる。息を吸って〜吐いて〜。よし、精神統一ばっちり。いけるいける!
意を決して障子を開ける。机を挟んだ向かい側に座っているダンゾウの姿を視認した瞬間、整えたはずの精神が乱れた。
「これで、正式にお前は暗部……根の一員だ」
薄く笑っているダンゾウにひくっと口端が歪みそうになるのを必死に我慢して首を垂れる。我慢しろ俺、イタチの為だ!
「暗部の面はどうした。装備部で受け取っただろう」
「…………」
やっぱり付けなくちゃいけないのか……? 仕方なく懐に仕舞っていた猫のお面を被る。後悔しても知らないからな。
「その面は、話せないお前のためにワシが覚方セキに作らせたものだ。感想を聞かせてくれ」
ビリッとまたあの静電気のような痛みが額に流れた。あっ、マズい。
『それより俺のスリーサイズはどうやって把握したんですか? まさか舐め回すように俺のこと、見てたんですか?』
「………………」
あのダンゾウが黙った。根の創設者なだけあって、その表情はまったく動かない。そのプロ根性だけは認めてやってもいい。
『失礼しました。舐め回すまではしてないですよね。一度見ただけで把握しちゃう特殊能力持ちで?』
「……どうやら、その面には不具合が残っていたようだな」
表情には出てないけど全身で怒ってますアピールをされた。いや、ごめんて。反省してるのでその物騒なチャクラは仕舞ってください!
拝啓、セキくん。このお面、あまりに性能がキレッキレすぎて俺の命が危ないです。
ダンゾウに半ギレされたり、後から合流した男(確かモズって名前のヤツだ)にドン引きされたり、記念すべき暗部初日は不満だらけで幕を閉じようとしていた。
しかも、俺の所属する隊の隊長は他でもないモズだという死刑宣告まで受けてしまった。今からでも遅くない。俺の暗部入りを白紙に戻してくれ!
俺とモズはダンゾウの屋敷の外で暗部入隊に関する最終確認を行っていた。何で外かというと、すっかり不機嫌になってしまったダンゾウに追い出されたからだ。
「明日からは根の管理するアパートに移ってもらう。任務内容は当日に知らせるから、今日は実家に帰って休むといい」
『あの、質問があるんですが』
「ダメだ。その面をつけている間は無駄口は慎め」
にべもなく断られる。いつから俺の質問は無駄口認定されたんでしょうか。
『俺の忍服のサイズを指定したのってダンゾウ様じゃなくてモズ隊長だったんですか?』
「……待て、聞いてなかったのか。なに平然と質問してるんだ」
『俺の質問が無駄かどうかは俺が決めるんで』
「オレが決めるんだよ!?」
勢いのあるツッコミに拍手を送りたくなった。すげえ、暗部の人間ってこういうところまでエリートなんだな。っていうかこの人、家で会った時と雰囲気違いすぎない?
『それで、どうなんです?』
「お前のそのどうでもいいことへの執念は何なんだよ……忍服はオレの担当だけどそれが何か?」
『ああ……隊長がショタコンでも、俺、その、大丈夫です! 偏見たっぷりなんで!』
「はぁ!?」
ダンゾウごめん。冤罪だったわ。真犯人みっけ!
モズがゴキブリを見るかのような目でこちらを見た。
「……マジで不具合だらけだなその面。お前のその顔で言ってんのかと思うと寒気がする」
『…………』
これには面を装着した俺もだんまりしてしまった。これ、不具合どころかまんま俺の心の声を反映しちゃってるんですけど……。
「いいか、明日の任務が終わったら覚方に面の修理を申請する。それまで、お前は聞かれたこと以外は喋るなよ。当然だが無駄かどうかを判断するのはこのオレだ」
『恐怖政治ってやつですね』
「そういうのをヤメロって言ってんの!」
ガチギレされた。どうどう。イライラするのは良くない。平和主義を具現化したような俺の振る舞いを見習ってくれ。モズは眉間にぐっと力を入れて腕を組んだ。
「暗部の世界は今までお前がいた表の世界ほど優しくない。口が軽いやつから消されていく。例えば、アカデミーで軽率に根の存在を口にした教師とかな」
絶句。そういえばあの先生、次の日から姿を見かけなかった気がする。
「あの男は根から送り込まれたアカデミーの監視役だったが、もう根にも、木ノ葉の里にもいない。この意味が分かるよな?」
――あのダンゾウ様が直々にお前を指名したそうだ。
あの時、俺にだけ聞こえるようにそう言っていた。何で今まで気づかなかったんだろう。あんなの、明らかに根の人間の発言じゃないか!
『大丈夫です。俺、口だけは硬いんで』
「オレもそう思っていたが、その面のせいで全く信用できなくなったよ」
さっきからセキが作ってくれた面に対して失礼なヤツだな。信用って話題ならそれ、特大ブーメランだって知ってる? 初対面で非合法な契約書類にサインさせようとしたの忘れてないんですけど。
「スバル兄さん! おかえりなさい!」
着替えるのが面倒で暗部の服そのままで帰宅した。いつものように俺に抱きつこうとしていたイタチの動きがぴたりと止まる。物珍しそうに上から下まで俺の格好を確認してるのが、たまらなく可愛い。
そうだよな。いつも着てるうちは一族の服って背中にうちわのマークがある以外はとにかくシンプルなデザインだし。こうやって腕全体が露出するタイプの服を着るのも初めてかもしれない。
「これ、痛くないの?」
服に関して突っ込まれるかと思いきや、イタチが指差したのは俺の左腕の刺青だった。彫りたてほやほやである。そこそこ痛かったし、そんなに時間も経ってないから赤く腫れている。
《もう だいじょうぶだ》
「そっか……あっ、母さんが兄さんの大好物をたくさん作ってくれてるんだよ! 早く食べよう」
いつもの癖で指文字を使ってから、お面をつければよかったと後悔した。
でもあの面で会話した人間全員から不評だったしやめといた方がいいのかな。イタチに「寒気がする」なんて言われちゃった日には立ち直れない。そもそも正体を隠す目的のお面を家族の前で付けちゃダメなんだろうけど。
それに、思ったよりチャクラ消費が激しい。モズの言葉に従うようで面白くないが、任務中に喋りすぎると命取りになりそうだ。
「おかえりなさい、スバル。ちゃんと手は洗ったわね? すぐにご飯温め直すから」
母さんの言葉にこくりと頷いて席についた。時刻は午後九時。みんなとっくに晩ごはんは済ませているはずなのに、テーブルの上には二人分のお皿が用意されている。
不思議に思っていると、コーンスープを持ってきてくれた母さんがにこりと笑った。
「イタチがどうしてもスバルと一緒に食べたいって待ってたの」
「……母さん!」
「ふふふ、秘密だったかしら。ごめんなさいね」
むう、と頬を膨らませたイタチ。どうやら内緒にしたかったらしい。可愛い。
イタチの頬の風船を指で潰すと、すぐに膨らみが復活した。もう一度ぷすっとすれば今度は逆側が膨らんだ。エンドレス。人類のDNAの螺旋構造にイタチの頬風船潰しを組み込んでほしい。
《とうさんは?》
「自室にいるはずよ。……目を通したい資料があるって」
湯気が出ているコーンスープをスプーンで掬って口に運ぶ。
今に始まったことじゃないけど、父さんは熱心な木ノ葉上層部アンチだ。俺の暗部入りに色々と思うところがあったらしく、入隊が決まったその日から自室に篭って情報集めに奔走しているらしい。
うちはのトップである父さんを中心に、反社会組織もどきが完成しつつあることも知っている。木ノ葉がうちはに対してそれとなく距離を取った政策を取るたびに一族の敷地内にある神社にコソコソと集まるからバレバレだ。少なくとも俺には。
「アナタも下忍になったから、これからはお父さんのお手伝いもしてあげてね」
母さんに対しては基本的にはイエスマンな俺も素直に頷けなかった。イタチのいる前でするべき会話じゃない。母さんも察したのか、これ以上話を続けようとはしなかった。
空気を読んで俺と母さんの会話を見守っているイタチの頭を撫でる。母さんが寂しげに呟いた。
「……いつでも、ご飯を食べるだけでも帰ってきていいのよ。ここはアナタの家なんだから」
《うん》
最後のスープを飲み干す。イタチの言葉通り、俺の好物ばかりが並ぶ食卓だった。
次に母さんの手料理を食べられるのはいつだろう。そんなこと言われちゃったら毎日食べに帰っちゃいそうだ。
《ごちそうさま》
しっかりと両手を合わせてから指文字を綴る。母さんが嬉しそうに微笑んだ。
「ごちそうさま!」
イタチも元気に両手を合わせた。立ち上がって食器を集めようとすると母さんに制された。
「私がやっておくから、部屋でイタチとのんびりしてきなさい」
采配が神すぎる。キラキラとした目でこちらを見上げてくるイタチに、俺たちの心は一つになった。
一先ず一緒に風呂に入り、今日はイタチの部屋に二人分の布団を敷く。そう、俺たちの夜はまだまだこれからだっ!!