――体術とは肉体の強さではなく、精神の強さにあり。
「スバル。何読んでるの?」
「…………」
「木ノ葉新聞か。僕にもあとで見せてくれる?」
「…………」
「ありがとう」
アカデミーの昼休憩。この三十分間に出来ることは限られてる。ゆっくりご飯を食べる人もいれば、食事もそこそこに体を動かすことに夢中になる人がいたり、午後の授業の予習にあてる人もいる。
俺の場合はおむすび片手に新聞を読む、だった。
クラスメイトにはドン引きされてるけどやめるつもりはない。なぜって? 弟が大好きだと言ったこの国のことをもっと知っておきたいし、里で危険なことが起きていると予め知っておけば、警戒することもできるからだ。
まあでも今は忍界大戦のせいで特に変わり映えもしない記事ばかりが並んでる。◯◯橋での攻防戦はどうなったかとか、◯の国の最新の動向だとか、優秀な忍が戦死したとか。
時期火影候補に挙がってる黄色い閃光の目覚ましい活躍のおかげで、敗戦の色濃い木ノ葉もなんとか他里に食らいついている状況らしい。
……木ノ葉が負けて、他里がここまで攻め入ってくるなんてことあるのかな。
自分の想像にぶるりと身震いする。ナシナシ、今のナシ。洒落になんないよ、マジで。
今日の新聞もいつもと同じ。それも仕方ないことかと、ため息と共に新聞を閉じようとしていた俺は、隅っこの記事になんとなく目を向けて――首を傾げた。
真っ先にインパクトを与えてきたのは、添えられていた小さな写真に写っている人物。綺麗な歯を見せてニカリと豪快に笑っている。
誰だこれ。なんか濃っゆいな……。
いかにも大戦と無関係そうな記事が逆に気になって、閉じかけていた新聞を開き直す。
書かれていたのは――
「あれ、スバルまだ読んで……」
離席していたセキが戻ってきて、不思議そうに俺の顔を覗き込んでくる。
「なんだか……嬉しそう」
「…………」
そりゃあ、もう。嬉しいなんて言葉だけじゃ足りないくらいだ。
セキがふわりと笑う。
「そっか。この人、スバルとちょっと似てるんだね」
似てる、のかな。
この人は俺以上に恵まれない環境にいながら、きっと苦しいだけの日々もたくさんあっただろうに、己の努力を信じ抜いて体術だけを極めた。
本当に……すごい人だ。
――体術の核は肉体ではなく、精神に宿る。
憧れは、ひたむきさに。目的についてくるだけだった努力は、自信に。
イタチを守れるよう、兄として恥ずかしくないよう、ただただ強くなりたかった。でも忍術も幻術も上手くいかなくて……。
そんな時に背中を押してもらったというより、むしろ引き留めてもらったというか。
出来ないことは罪じゃないって許されたような気になったんだよ。
不得意なものがあったっていい。得意なものを大切に育てて伸ばしていけばいいんだって。
――声も出せない出来損ないだって、努力すれば一人前として認めてもらえるんだって。
あの頃の俺は一族や家族という狭い世界の中で生きていたから。彼らからの評価が絶対で、それを信じて疑わなかった。
一族の大人たちに認めてもらいたい。
弟にとって頼れる兄でありたい。
俺は夢を叶えたようでいて……全部手放した。この手に掴みかけたものたちを、何の躊躇いもなく。いや、躊躇いにすら気づかないふりをして。
「……どうした? なぜ反撃してこない」
「…………」
過去へと飛んでいた思考が戻ってくる。
ああ……そうだったな。
お面の裏側で表情が強張ったのが分かる。
混乱の渦に巻き込まれている闘技場内は慌ただしく、根の仲間たちが一人また一人と倒れていく。
ずっと垂れ下げていた両腕を持ち上げて――構えた。
「ようやくやる気になったようだな」
「…………」
その人は、真剣な表情をして俺とまったく同じ構えをとる。
胸がドキドキして煩い。他には何も聞こえないかと思いきや、相手の息遣いだとか、動かした足が砂利を撫で付ける音とかは、やけにはっきりと聞こえてくる。
ああどうしよう。死にそう。ここにいたのが俺じゃなくて本体だったら、もっと上手くやったのかな。
この人に目をつけられた時点で、逃げるという選択肢はないに等しい。足の速さで勝てる気はまったくしないし……。
だからって大人しく白旗を振るつもりもない。
みっともなく逃げ出したなんて部下からダンゾウの野郎に密告されたら終わるからな。
そもそも前提が間違ってた。
勝てるか勝てないかじゃない。
ですよね、ガイ大先輩。ずっと追いかけるだけだった貴方に少しでも届くのなら。
俺は今ここで、貴方に勝ちたい。さあ、手合わせ願おうか。
ガイ大先輩が動いた、と思ったらもう目の前にいた。あっ、ちょっ。
「木ノ葉――」
――木ノ葉
「旋風ッ!!」
――旋風!!
急接近してきたガイ大先輩の後ろに回り込むように身体を捻らせ、勢いを殺さぬよう注意を払いながら回転と共に蹴り上げた。
俺とガイ大先輩はお互いの蹴りの衝撃を殺し合い、それを利用してさらに高く飛び上がる。
「ほう……」
そんな感嘆のため息のようなものを聞いた気がしたが、感情を割く余裕すらない。
くるくると何度か回転して闘技場の観客席に着地する。しかし、すぐ横に飛んだ。さっきまで俺がいた場所は大岩でも降ってきたのかと思うくらいの大穴があき、そこにはガイ大先輩が立っていた。
「…………ッ!!」
もうもうと視界を遮る砂埃。そこから飛び出してきた突きを間一髪で避ける。
この視界不良で正確にこっちの急所を突いてくるか、普通!?
二転三転して距離をとり、俺の動きに追従するように迫ってきた蹴りを背中から抜き取った忍刀で受け止める。
ああっ、体術のみでやりたかったのに!
でもそんなこと言っていられる状況じゃない。やっぱバケモンだろこの人!!
写輪眼になれば完全に目で追えるだろうけど……さっきも言われたように身体が置いていかれてるんじゃ意味がない。
スライム体なのにさっきから冷や汗が止まらない。
…………なんて遠いんだ。
俺の刀を押し返そうとするゴリラを彷彿とさせる力。そのあまりの強さに刀を手を持つ両手は震え、刀からはカタカタカタと音がする。
作られた時に本体から貰ったチャクラを両手両足に纏わせ、一気に押し戻す。
「くっ……!」
一瞬バランスを崩したガイ大先輩に近づく。その時点ですでにガイ大先輩は俺からの攻撃を予測して受け身の体勢になっていた。
……なんというかもう、完敗だ。大したダメージが入らないのを承知で蹴り飛ばす。
「…………?」
ガイ大先輩はやはりすぐに立ち上がったが、その表情は固まっていた。
なんだ?
不思議に思っていたら、背筋をゾクリと悪寒のようなものが撫で上げていった。
思わずその場から飛び退く。俺の後ろにいたのは――
「…………」
暗部のお面を被った忍。見たことのない面だ。服や額当てにも返り血を浴びていて、とくに右腕は酷い有様だった。まるで、その腕で人間の体を貫いたような……。
「……誰だ?」
俺の気持ちを代弁するようなガイ大先輩の言葉に、少しずつ頭が冷静さを取り戻していく。
その忍はすらりと引き抜いた忍刀を構える。
ぽたり、ぽたり。暗部が刀に添えている手のひらから返り血が滴り落ちていく。
一瞬の静寂。
忍は瞬く間にガイ大先輩の真上に移動する。
太陽の光を反射した刀が、勢いよく振り下ろされた。
***
時間は止まってしまった。何度も何度も、あの日の後悔を繰り返してばかりいる。
俺だけは絶対にそばを離れちゃいけなかったのに。
どうして寄り道をしてしまったんだろう?
――まちがっていた。ぜんぶ、ただのまちがい。
イタチと交わした最初で最後の約束すら守れなければ俺が生きている意味はない。
……依頼人の家族なんてどうでも良かったじゃないか。
ガトーの言葉を無視して真っ直ぐ橋に向かっていればサスケが死ぬことなんてなかった。
ああ……ちがう。ちがっただろ。サスケは死んじゃいなかった。
でも死んだようなものじゃないか。サスケは、一度死んだ。
運が良かっただけ。運が悪ければすべて現実のもの。
ふれたときのつめたさも、ぜつぼうも……。
ここにあるべきはずのものだった。
「今日から本戦……いよいよね」
「…………」
「クロネコ。アナタは
大蛇丸の言葉に頷いて、首を垂れる。
今の俺はこの手で殺した風影の側近の一人になりすましているから、お面を被ることは出来ない。
「音忍たちが無事に結界を張ることができたら、あとは好きにするといいわ。そうね……観客がいた方が盛り上がるけれど、結界に集まってきた奴らを始末するのはどうかしら。アナタだって暇は嫌いでしょう?」
「…………」
「さあ……もう行かなくては。私たちの
地面についていた片膝を伸ばして立ち上がる。
「楽しみだわ……猿飛
風影の姿のまま、大蛇丸は不敵な笑みを浮かべる。
長い舌をだらりと垂らすその姿は、まさに獲物を前にした
第三の試験。まさにこの中忍試験の本命とも呼べる二人の対決が行われている最中、作戦は決行された。
幻術に包まれる観客席からは悲鳴の一つすら上がらない。見事な手腕だった。
混乱に乗じて大蛇丸が三代目を拘束し、部下たちが後に続く。
「なんだあいつらは!? 火影様に何を……!」
結界を張る邪魔をしようとした暗部の首をはねる。ごろごろと足元に転がってきたそれには目もくれず、次から次へとやってくる暗部を斬り殺していった。
想定よりも配置されていた暗部の数が多い。三代目も第二の試験で姿を見せた大蛇丸を甘くみてはいなかったようだ。
「同盟を組んでいる砂が裏切るなど、恥知らずな!!」
これは、元はといえば大蛇丸を放し飼いにしていた木ノ葉側の落ち度。風影が大蛇丸の手にかかってしまった時点で、砂隠れだけを責めることは出来なくなった。
“義”がどうのと騒ぎ立てている忍を殺し、根の部下たちが順調に仕事をこなしているのを横目に、漸く敵一人いない結界の前に立つ。
「……フン。あの程度の奴らの一掃にこれだけの時間がかかるとは」
結界を張っている大蛇丸の部下の一人がそう吐き捨てる。
これから大蛇丸の部下となる俺のことが気に入らないんだろう。その目は敵対心が露わになっていた。
「おい、無駄口叩いてると結界が
大蛇丸の部下である四人が張る結界に最初の不安定さはすでになく、三代目ですら容易には突破できないようだ。
「隊長! 影分身があのマイト・ガイと交戦中。苦戦しているようです」
「…………」
駆け寄ってきて、誰にも聞こえないよう耳打ちしてきた部下に頷く。
部下の右肩を指で押し、結界に目を向ける。
「はい。ここは我々にお任せください」
上手く伝わらなかった。首を横に振る。
「……向かわれないのですか」
そうだと頷く。いくらでも作り直せる影分身の為にこの場から離れるわけにはいかない。貴重な戦力ではあるが、最優先事項でもない。
「では、私たちだけで」
こくりと頷く。今度こそ正しく汲み取ってくれた部下は他の仲間を引き連れて姿を消した。
――ついにこの時がきた。
それほど長くもない時間でも、俺には永遠のように感じられてしまう。
大蛇丸と三代目を囲っていた巨大な結界が、みるみるうちに消失していく。
勝敗が決した。
どちらであろうと……俺は役目を全うするだけ。
溶け出した蝋のように沈んでいく結界から飛び出してきたのは、大蛇丸と四人の部下たちのみ。
地面を蹴り、彼らの後を追う。その際に結界があった場所に目を向けた。
「…………」
木ノ葉を守り続けた火影のあまりにも変わり果てた姿。
……あの人は最期まで最善を選び続けてきたのかもしれない。
そう思えるのは今だからこそだろう。俺は……。
「逃すか、囲い込め!!」
結界が破れてすぐ、タイミングを見計らっていた木ノ葉の忍たちの半数は三代目のところに、残りは大蛇丸の元へと走った。
大蛇丸の部下の一人が蜘蛛の巣を張って暗部たちを捕える。
「お前も手を貸せ! 大蛇丸様を安全なところへお連れする!」
「…………」
言われるまでもない。
大蛇丸に向けられた水遁をチャクラを纏った拳で破壊し、体術には体術でやり返して彼らの逃走を援護した。
木ノ葉の外れにある森へと逃げ込んだ時には、すでに追っ手の姿は一人も見当たらなくなっていた。
「はぁ……はぁ……」
部下たちに身体を支えられている大蛇丸の息は荒く、顔色は地面の土と大差ない。額にはいくつもの汗が浮かび、頬を流れていく。
大蛇丸は三代目の殺害には成功したが、失ったものの方が大きかった。
懐から取り出した白猫の面を付ける。軽い静電気のような痛みが額に走り、聞き慣れた音を発した。
『大蛇丸様』
「…………」
大蛇丸が顔を歪ませながらもこちらを振り返る。彼の部下たちも怪訝そうに俺を見た。
『ダンゾウ様から伝言と、これを預かっていました。全てが終わったら渡すようにと』
それは、藍色の紐で結ばれた巻物。
「後に……しなさい。今はそれどころでは」
『いいえ』
苛立ち混じりの大蛇丸の言葉を遮る。
俺は巻物を持ったまま大蛇丸へと近づき。
そして。
「なっ……!!」
『申し訳ありません』
大蛇丸の心臓を、忍ばせていた小刀で――貫いた。
俺の手から転がり落ちた巻物の紐が解かれ、何も書かれておらず真っ白なそれが地面に広がっていく。
白に飛び散った大蛇丸の血の赤さに目を細める。
『ダンゾウ様からの伝言は、“お前はワシの役に立ってくれたが、これ以上野放しにすることはできぬ”です』