朝起きて顔を洗い、鏡に映った自分の顔を見つめる。
自分の顔つきに両親や兄の面影を探すのが日課になっていた。
幼い頃は母親似だと言われていたが、今ではそれもしっくりこない。ただ、父の顔とはもっと離れていると感じる。どちらかといえば父親似だと言われていた兄とは、さらに。
「…………」
オレとスバル兄さんを繋ぐように、あの男――うちはイタチは父と母の特徴を半分ずつ受け継いだような存在だった。
昔はそれが嬉しかった。スバル兄さんと二人で出掛けても周りの人たちはオレたちが兄弟だと気づかないことがあったけれど、イタチが一緒なら「あら三兄弟でどこに行くの?」と声をかけられる。
これまでもこれからも、ずっと三人一緒にいられると思い込んでいたから。
絶対なんてない。永遠なんてない。そんな簡単なことに気がつくまで、オレはどれだけの時間を浪費しただろう。
ぽたぽたと滴り落ちてくる水滴。きゅっと蛇口を捻って水を止める。
朝になるといつも身体が重い。スポンジみたいに水を吸って、どんどん重くなっていく。
洗面所を離れて、居間に向かう。数日前、家にきたナルトが作り置きしていったおかずをテーブルの上に並べた。
「…………うまい」
箸を手に、本人の前では絶対に言わない言葉を呟く。
なにかと手料理を振る舞ってくるナルトだが、日に日に腕前が上達している気がする。……アイツは将来料理人にでもなるつもりなのか。
食べ終わった食器を洗い、洗濯と目についた箇所の掃除だけ済ませて、最後に花瓶の水を換える。新しい花を花瓶にさし、居間に飾られている写真立ての前に置いた。
両親とスバル兄さんの三人が映ったアカデミーの入学式での写真や、赤子だったオレを恐々と抱っこしている父さんの写真(撮影者が誰かは分からない)、そして……兄弟三人で映った写真。
あの事件があってから、家にあったイタチの写真は全て燃やしてしまったというのに。ナルトのところにあったこの写真だけは捨てることもできずにいる。
スバル兄さんがわざわざ本の隙間に隠すように忍ばせて、ナルトに会っている時ですら時々眺めていたという写真。
あの人はとても不器用な人だった。その不器用な優しさが大好きだった。
スバル兄さんは思いもしなかっただろう。その優しさがイタチにも向けられていたことをこうやって突きつけられるたびに、オレの中のあの男への憎しみが消えることなく燻り続けることに。
「兄さん……オレは」
オレは、イタチを殺す。あなたが心を割いて大切にしていた男を殺す。
復讐するんだ。誰でもない。自分自身のために。
……兄さんは。スバル兄さんは、悲しむかもしれないけれど。
スバル兄さんの顔を思い出そうとするたび、いつも先にイタチの顔が浮かんでくる。
「…………どうして」
――――強くなったな、サスケ
「どうして……オレに」
先日会ったあの男は、懐かしむような、切なげな瞳であんなことを言ったんだろう。
ナルトが自来也と共に里を出た数日後。暫く活動を休止していた第七班が招集されることになった。
合流したサクラと一緒に指定された演習場に向かう途中。
「ねえ、サスケ君。新しい先生ってどんな人かしら」
「これを持ってきたガイは『気をつけろ』と言っていたが……」
相談役を介した、正式な任命書。
ガイは「今の木ノ葉は、動ける者には非常に簡易的な手続きで任務を振り当てている状態だ。カカシの代わりに短期間担当上忍を任せるだけの人物をわざわざ相談役の二人が推薦し、このようなものまで用意してくるのが逆に怪しい」と言っていた。言われてみればそうだった。
「暗部かもしれない」
「暗部ってエリート中のエリートしか所属できないっていう、あの?」
「ああ」
ガイがいうには、大蛇丸には色葉一族の部下が存在していたことがあるらしい。
今回オレたちの担当上忍に選ばれた男の名前は、色葉スイ。
色葉はどこの国にも属さず、住む場所を転々と変えながら暮らしている一族だ。木ノ葉で色葉の人間を目にすることは珍しく、大蛇丸の時もひっそりと話題になったという。その男は大蛇丸の部下になる前は志村ダンゾウの元に身を寄せていたそうで、大蛇丸の部下ではなくなってから、その行方は分からなくなっている。
そして……志村ダンゾウは“根”の創設者。
大蛇丸の部下だった男と色葉スイが同一人物かは不明だが、可能性は限りなく高い。
「新しい担当上忍の人が、実は大蛇丸の回し者で、サスケ君のことを狙ってるかもしれないってことよね……」
サクラが「そんなのダメよ! サスケ君は私が守るんだから!」と叫ぶ。あまりにも大きな声だったので周りの人が一斉にこちらを振り返った。
「…………」
「…………」
オレたちは俯きながら早足で演習場に向かった。
演習場には例の担当上忍がすでに待機していた。
上忍のベストを身につけ、少し長めの前髪を額当てで押し上げている。太陽の光に透ける薄青色の髪に、灰がかった青色の瞳が特徴的な男。さらには一度も日に焼けたことがないのかと思うくらい真っ白な肌をしていた。
波の国で出会ったあの少年に、少しだけ雰囲気が似ているかもしれない。
歳は二十代後半くらいだろうか。老け顔というわけではないけれど、もう少し上にも見える。
「色葉スイだ。はたけカカシが復帰するまでの短い間だが、君たちの担当上忍を任されている」
ガイのは写しだったが、目の前の男が手渡してきたのは任命書の原本だった。
すでに見た内容をもう一度上からなぞるように目を通す。スイはそんなオレをどこか複雑そうな表情で見ていた。
カカシの後任がこんなに早く決まるとは思わなかったと言えば、すぐに「動ける人間が限られているからこれでも遅い方だ」と返ってくる。
さっさと任務に向かおうとするスイをサクラと二人で引き止め、無理矢理その場に座らせた。困惑顔をした彼の前に二人で並んで座る。
……なんだか妙な雰囲気だな。
この場に流れた気まずい空気には目を逸らした。
「まずは所属からだ」
気持ちが先走りすぎたようで、問い詰めるような口調になってしまった。スイは諦めたように肩をすくめる。
意外にも簡単に暗部所属であることを認めたスイは、知られても困らない情報だと判断したのかそれらしい理由を並べてきた。木ノ葉崩しの件を引き合いに出しているが、それでも相談役直々の推薦を受ける理由にはならない。
何か裏があるのではと勘繰ってしまうのは当然だろう。
「暗部は暗部でも――“根”の人間か?」
「…………」
ほんの一瞬。気のせいかと思うくらい僅かな時間、スイの表情が硬くぎこちないものになった。
「両親の遺品整理をしている時に、契約書を見つけた」
暗部養成部門“根”に所属することを示すいくつかの契約書の下部には、全てうちはスバルの名が血判と共に記入されていた。
スバル兄さんが火影直属の暗部に配属される前。記憶は朧げながら、兄さんがほとんど家にいなかったことを覚えてる。寮暮らしをしていて、たった一度しか実家に帰る許可を得られなかったことも。
火影直属の暗部になったスバル兄さんが実家に戻ってくることになって、一番喜んでいたのが母さんだった。
ほとんど使われたことのない兄さんの部屋を綺麗に掃除し、兄さんが後で買い足しせずに済むように生活用品を揃えていた。母さんが用意した部屋着はその時の兄さんには小さかったようで、スバル兄さんがオレとイタチを誘って三人で買いに行ったことも覚えている。
一度だけ、スバル兄さんが両親に呼び出されて何かを報告する際に、以前所属していた場所について言及されている場面に遭遇したことがある。
詳しい内容までは覚えていないけれど、父さんは兄さんが以前所属していたその場所に良い印象を抱いていない様子だった。「今はあのような環境にはいないだろう」と諭すように言っていたから。
「それは――」
スイが何かを言いかけた時、彼の肩めがけて小さな鳥が飛んできた。任務を知らせる忍鳥だ。
「……オレたちがいつまでも来ないから催促にきたようだな」
「まだ話は終わってない」
「お前たちに話すことはないし、任務は遊びじゃないんだ。さっさと行くぞ」
立ち上がろうとするスイに、サクラが「待ってください!」とその腕を掴んだ。
「能力くらいは教えてくれてもいいんじゃないですか? 今日の任務は店番だから必要ないかもしれないけど……ほらっ、明日以降のためにも!」
「…………そうだな」
足元で何かが動いた。背筋を駆け抜ける悪寒に、本能的にその場から飛び退こうとしたのに――身体が動かない。
オレだけではなく、サクラも同じ状況らしかった。
「目にしたことくらいはあるだろう。お前たちの同期にオレと同じ使い手がいるのだから」
「これってシカマルの!?」
「そういうことだ。詳しい説明は必要ないだろ」
スルスルとこちらに伸びていた黒い影がスイの元へと戻っていく。
「あなたって一体……」
唖然と呟くサクラに、スイは微かな笑みを受かべた。
「お前たちと同じ、ただの木ノ葉の忍だ」
スイと共にスリーマンセルとして任務をこなすようになって一週間経った。
任務というより訓練に近い内容が多く、スイの影真似によるサポートを受けた状態でサクラとオレでターゲットを仕留める流れがお決まりになりつつある。
今日は久しぶりの午後休だ。溜まっている家事を片付けたり、そろそろ買い出しにも行かないと冷蔵庫の中身が空になってしまう。
今日は両親やスバル兄さんの部屋も片付けよう。
遺品整理として以前にもやったことがある。ただ、彼らの部屋にいるだけで辛くなって本格的にはやっていなかった。
そろそろ……心の整理もしたい。
スバル兄さんの部屋の障子を開く。定期的に換気をしているから埃っぽさはない。
「…………」
父さんと母さんはスバル兄さんの部屋で亡くなっていた。両親の部屋でも、イタチの部屋でもなく。
オレが病院で眠っている間に火影直属の暗部は全ての死体を確認して持って行ってしまったから、オレはスバル兄さん以外の死体をこの目で見ていない。イタチにかけられた幻術で当時の映像を見せられただけだ。
再び一族の死体が戻ってきた時には全員棺の中に入っていて、すぐに南賀ノ神社のそばに埋められた。
あの日、イタチは玄関前でスバル兄さんを殺し、家に入って両親を殺した。オレの悲鳴を聞きつけたイタチが家から出てきて……それから。
ズキッと頭に激痛が走る。眉を寄せ、痛みが過ぎ去るのを待つ。
まるで心臓を直接握られているような息苦しさ。服の上から胸を押さえた。
「はぁ……はぁ」
少し落ち着いてきた。額に浮かんだ汗を手の甲で拭う。
後で病室にやってきた火影には、家の中はほぼ当時のままにしてあると言われた。
退院したオレが真っ先に確認したのはスバル兄さんの部屋。血の跡は綺麗に拭き取られていたが、いつも綺麗に整えられていた兄さんの部屋が少し荒れていた。
ミニテーブルの位置はズレているし、姿見鏡は割れている。オレがやったのは割れた鏡を片付けたことくらいで、それ以外は触っていない。……いや、触ることすら出来なかった。
ここで兄さんが過ごしていた過去すらも消えてしまう気がして。
「今のは?」
兄さんの部屋に唯一ある棚に近づこうとすると、足元が不自然に沈んだ。立ち止まる。
「…………まさか」
うちは一族の氏神を祭る場所。南賀ノ神社本堂にも同じような地下への入り口があった。
棚を移動させ、畳を一枚押しのけた先。小部屋とも言い難い僅かな空間が存在していた。
そこには巻物が一つに、やけに分厚い本が三冊積み上げられている。
ごくりと唾を飲み込む。
まずは巻物を手に取った。紐をとき、全ての文字が見えるように広げる。
「うちは流……多重影分身の術?」
火影が保管していた禁術の一つである多重影分身の……うちは版だと? どうしてこんなものをスバル兄さんが?
巻物を足元に置き、隣の分厚い本のうち一つを持つ。見た目通りずっしりと重く、表紙を開くのもやっとだった。
きっとこれもあの巻物のようになにか重要な……。
「…………記録?」
何の記録だろう。忍術や任務に関するものだろうか?
次のページを捲る。ページ全体を赤子の写真が埋め尽くしていて反射的に本を閉じた。
「…………」
なんだ今の。オレは何を見せられた。
もう一度本を開く。今度は適当なページだ。
「…………」
そこも赤子の写真でびっしりと埋められていた。既視感がすごい。
「…………オレと、うちはイタチの写真、か?」
一度も見たことのない写真だが、どれもこれも覚えのある顔つきをしている。ピントは合っていないが、ところどころに父さんらしき人物の腕やら足が写っているものもある。
「…………」
二つ目の本に手を伸ばす。パラパラと捲って、最後の本に手をつけた。
「…………」
最後の本は最初の数ページにしか写真が貼られていなかった。
本を閉じ、元の場所に置いて、畳と棚を正しい位置に戻した。
スッと立ち上がり、口を開く。
「赤ん坊時代だけで本一冊分…………」