第五十六話 記憶の中の人
およそ三年間。オレが根に所属してから今日までで得られた情報は少なく、それほどまでに根の機密は厳重に守られているようだった。
最近になって少しずつダンゾウから直接任務を言い渡される機会も増えてきている。このタイミングで第二部隊が戻ってきたのは幸運だろう。これで少しはスイの監視の目を気にしなくて済むはずだ。
自室を出て、屋敷の入り口へ向かう。
すでに屋敷内にいる人間のほとんどが集まっているらしく、ここからでは帰還したという第二部隊の姿は見えない。
「戻ったか、クロ」
屋敷の奥からスイが現れた途端、第二部隊を取り囲んでいた根の者たちがあっという間に道をあけた。
『お久しぶりです。モズ隊長』
中心に立っていたシロネコのお面をつけた青年が、スイの言葉に反応して軽く会釈する。
カカシが言っていた通りだ。波の国で一時的に共闘した白猫面の男が、根の第二部隊の隊長。
……スバル兄さんのお面とコードネームを引き継いだ男だ。
オレとナルトが巻物を持ち出した時や、中忍試験中に現れた鳥面の男の姿は見当たらない。白猫面の男が隊長ならば、あの男は隊員の一人だと思ったんだが……。
「ダンゾウ様は外出なさっている。任務の報告は戻られてからで構わないだろう」
『分かりました』
「……身長が伸びたな」
『二十超えてからは伸びませんよ』
それなりに気心の知れた仲なのか、お面で表情が一切見えないクロネコはともかく、スイの方は随分と和らいだ表情をしていた。
三年間アイツの部下として過ごしてきたが、あのような顔は一度も見たことがない。
『…………』
唐突にクロネコの視線がこちらに向いた。思わず肩が揺れる。
感情を伴わない二つの瞳が静かにオレを見つめていた。
「ああ、そこにいるのはシキだ。お前が戻ってくるまでオレの隊で預かっていた」
『……そうですか。今年の選別で?』
「三年前だな。ちょうどお前が影分身を送ってこなくなった頃だから知らないだろう」
クロネコがこくりと頷く。その視線はなかなかオレから外れない。
『…………あのお面』
「そう、ユノが使っていたものだ。狐面はあのデザインしか残っていなかったからな」
『…………』
オレの正体に感づいたのではなく、このお面に何かあるらしい。ユノという名前に聞き覚えもない。もう使われていないお面ということは……死んだんだろう。
「今日からお前の隊に合流させても構わないか? 実力は保証する」
『ええ。……イロ』
「はい」
『面倒を見てやるといい。お前と組ませる』
クロネコの後ろに控えていた青年はお面を被っていなかった。
彼はこちらを振り向き、オレに手を差し出す。愛想笑いの一つすら浮かべる気はないらしかった。
「ボクはイロ。君がボクの足を引っ張るタマ無し野郎じゃないことを願うよ」
オレが仮で与えられていた部屋は元々イロのものだったらしく、今日から二人で使うようにと言い渡されてしまった。少しやりづらくなる。
モズとクロネコが二人でどこかへ消えてしまったので、オレとイロは自室に戻ってきていた。
「あのモズさんがあそこまで言うってことは、キミは相当な実力者なんだろうね」
「…………」
「だからってボクが新人の面倒を見ることになるなんて……。ボクはクロ隊長の右腕なのに。他に適任者がいたと思わないかい?」
「……そう、ですか」
「まあ構わないよ。優秀なんだろ? ボクの足を引っ張ることさえなければ……ね」
イロは根の装備部から貰ってきた段ボールを部屋の中央に置き、中からクナイや手裏剣などを一つ一つ取り出していく。
「君は運がいい。同じ新入りでも、第一や第二に配属された者とそうでない者とでは生存率が全く違うから」
取り出した忍具を丁寧に棚に仕舞ったイロが立ち上がる。部屋の入り口に立っているオレに目を向けた。
「とはいえ、今回の長期任務では半分以上が死んだよ。……やはり君は運がいい」
第二部隊は大蛇丸の研究施設を一掃するために長期間木ノ葉を離れていた。今回の任務で根が把握しているものは全て潰したらしい。
「クロ隊長はまだまだ大蛇丸の施設は残っているだろうと言っていた。勿論、アジトも。こちらもついでに探したけれど、全く掴めなくてね」
「…………」
「……君はお喋りは好きじゃないタイプか。困ったな。ボクにも組む相手ができたら、あの人達のようになれると思ったのに」
「あの人達?」
「モズさんとクロ隊長のことさ」
一貫して無表情を貫いていたイロの表情が微かに動く。
「本当に……凄かったんだ。二人が組んでるところを見たのはあの一度きり。言葉を交わさずとも、姿を視界に入れなくても、相手がどこにいて何をしているのか全部分かってるみたいだった。……ああいうのを信頼っていうのかな?」
イロがこちらに手を差し出してくる。先ほどとは違って、その顔に嘘くさい笑みを浮かべながら。
「さっきは悪かったよ。……これからよろしく、シキ」
第二部隊でイロと組むようになってから数週間。
やることは第一にいた時とそれほど変わらない。
ただ、第二の隊長であるクロネコは必要最低限しか顔を見せていない。第一では隊長を呼びに行く役目は新人に任されることが多かったのに、第二では全てイロが担当している。
だから、オレは未だにクロネコの素顔すら見たことがなかった。
〔…………〕
『…………』
「…………」
急遽ダンゾウに呼び出されたかと思えば、部屋に入った途端、二つのお面が同時にこちらを振り返った。一つは白猫面で、もう一つは――スバル兄さんが火影直属の暗部時代に使っていた雀鷹面だ。
……やはり同じ第二に所属していたか。今日まで一切姿を見かけなかったのは、別任務にでも駆り出されていたんだろう。
部屋の奥、上座にいるダンゾウの視線に促されるまま、二人の後ろで膝をつく。
「揃ったか」
ダンゾウから発せられる独特の圧のようなものにも慣れてきた。未だにこの男の戦闘能力は未知数だが、そう遠くないうちに手が届く予感はしている。
オレ自身も根で数々の任務をこなすうちに、それなりの実力が付いてきた自負がある。表の任務が子供の遊戯に思えるほど、暗部に回ってくる任務は精神的にも過酷なものが多い。
「これから三人に任務を与える」
〔ダンゾウ様。一と一を足したら、〕
『どのような任務でしょうか』
クロネコが雀鷹面の男の言葉を遮るように言った。
微かに眉を持ち上げていたダンゾウだったが、気を取り直して続ける。
「暁を追っていた部隊から直接巻物を受け取ってこい。すでに国境周辺まで戻ってきているはずだ」
クロネコがダンゾウから何かを受け取る。オレの位置からはよく見えない。
「必要に応じて対処するように」
『はい。お任せください』
たったそれだけのやり取りでクロネコ達は部屋を出ようとする。ダンゾウの前で余計な口を挟むわけにもいかず、大人しく二人の背中を追いかけた。
「……あの、任務内容はどのような」
足早に屋敷の出口に向かう背中に声をかける。クロネコではなく、雀鷹面の男が振り返った。
〔道中で説明する。ツーマンセルだから場合によってはキツい任務になるぞ〕
「ツーマンセル……クロ隊長は別任務ですか?」
〔……ん?〕
雀鷹面の男が驚いたような声を出して立ち止まる。クロネコも立ち止まり、『それも道中で説明を、』と言いかけた。
雀鷹面の男が一歩オレに近づく。
〔……シキ、だったな?〕
「はい」
〔…………〕
『いい加減にしろ。この任務は急ぎだ。無駄話に花を咲かせている時間はない』
雀鷹面の男はそれでも〔俺はそれどころじゃなくて〕とか〔つまりお前もそれどころじゃなくてだな〕とか〔……いやそんなはずはないからそれどころかもしれない〕と早口で捲し立てていたが、最終的にはクロネコに無理やり連れ出される形で屋敷を出ていた。
〔暁を追っていた部隊はどこだったか把握しているか?〕
火の国の国境へと続く道の途中、前を走る雀鷹面の男が問いかけてくる。
「第六と第七だと聞いています」
〔正確には第七だな。第六は早い段階で離脱して別任務を任されている。第七はこれまで一度も里への帰還を許されていない〕
「……何故ですか?」
〔第六部隊が、暁側に人間の記憶に干渉する術を持つ者がいることを掴んだからだ〕
人間の記憶に干渉……ということは。
〔
第六部隊が早々にその情報を掴んで木ノ葉に帰還し、今は別の任務を割り当てられている。そして、残された第七部隊は未だに帰還を許されていない。
「……第七はすでに敵に操作されている、ということですか」
〔さあな。幻術に掛けられているだけなら対処のしようもあったが、記憶となるとこちらも確かめようがない。可能性があるというだけだ〕
雀鷹面の男は少し投げやりな口調だった。
〔ダンゾウ様は暁のサソリが死ぬか、何らかの手段で彼らの潔白が証明されない限りは、第七部隊の帰還を認めないおつもりだ。……今回の俺たちの任務は、
そう口にした雀鷹面の男が片腕を横に広げる。
……何のつもりだ?
やがて、雀鷹面の男が広げた腕がどろっと溶け出した。
「こっ、これは……一体!?」
〔俺はドロドロの実を食べた全身スライムに――〕
『こいつは俺の影分身で知能も低い。発言を真に受けるな』
「……影、分身?」
影分身が溶けるだなんて聞いたことがない。それに、雀鷹面の男の正体がクロネコだったとは……これはカカシですら知らなかった情報。
これまで黙って雀鷹面、いや、影分身に任務の説明をさせていたクロネコが深いため息をつく。
影分身は何も言わなかったが、少し不貞腐れているようにも見えた。
結果的に第七部隊との接触は難なく終わった。
もし第七がダンゾウの指示を無視して木ノ葉に帰還する素振りを見せたり、こちらへ襲いかかってきたら容赦なく
こちらは実質ツーマンセルで相手は第七部隊全員。これまでに何度も思ってきたことだが、ダンゾウはこちら側の戦力を見積もるのが致命的に、
〔お互い五体満足で木ノ葉に帰れることになって良かったな〕
「…………」
やっぱり常習犯か、あの男。
クロネコやその影分身との任務を終えた数日後。朝から屋敷と外を行ったり来たりしていたイロに呼び止められた。
「シキ。少しいいかな」
「イロ」
「これをクロ隊長に渡してほしいんだ。ボクはこれから急ぎの任務があるから」
「分かった」
今ではすっかり敬語を使わずに会話するようになったイロが、相変わらず嘘くさい笑みを浮かべている。
「隊長の部屋は分かるよね」
「ああ」
「それじゃあ、悪いけどもう行くよ」
手渡されたのは昨日の任務の追加報告書。こういったものは、ダンゾウに提出する前に一度クロネコを経由することになっていた。
以前はどれだけ忙しくてもイロが直接クロネコに手渡していたもの。……少しずつ信頼されてきているのかもしれない。
次の任務へ向かうイロの後ろ姿を見送り、ダンゾウの部屋に近い場所にあるクロネコの自室へ足を向けた。
クロネコがいるであろう部屋の前で立ち止まる。
声をかける前に『入れ』と中から聞こえてきた。……モズほどじゃないが、この男もそれなりに他人の気配に鋭い。
控えめな動作で障子を開ける。忍刀の手入れをしている最中だったらしい。クロネコが顔だけをこちらへ向けた。雀鷹面の影分身の姿は見えない。
白猫面にあいた穴から唯一見える瞳が細まる。
『……イロはどうした?』
「これから急ぎの任務があるようです。私が代わりに報告書をお持ちしました」
『そうか』
クロネコはよほどイロを信頼しているのか、重要な書類はアイツにしか預けない。
立ち上がったクロネコに、イロから託された報告書を差し出す。彼は軽く目を通して『確かに受け取った』と頷く。
『…………』
「……何か?」
『…………いや』
無言で見つめてきていたクロネコが気まずそうに顔を逸らす。
「このお面の前の持ち主のことですか」
『…………』
クロネコが小さくため息をつく。
波の国で関わった時も決して饒舌なタイプではなかったが、あの時より口数が少ない気がする。こちらが素なのかもしれない。
……影分身がやけに饒舌なのは未でも謎だ。
これ以上無駄話をする必要もないだろうと部屋を出ようとしたオレを引き留めるように、少し低めの声が鼓膜を震わせた。
『元の持ち主は少し……特別だった』
躊躇するかのように、間を開けて言葉が続く。
目の前に立っていたクロネコの手がこちらへ伸びてきて、ビクッと身体が震える。
「…………あ」
『…………』
頭の位置にくると思った手のひらは、オレの肩に乗せられていた。
『今日はもう任務はなかったな。部屋に戻って休むといい』
「……はい」
再び忍刀の手入れに戻ったクロネコを残し、部屋の外に出た。
無意識に胸元の服をぐしゃりと掴む。心臓の音がうるさい。張り裂けそうなくらいに。
トンッと背中を壁に預けた。
「…………」
どうかしている。
こちらに伸ばされた手のひらに、かつてのスバル兄さんの姿を重ねるだなんて。