じんせいみてい!   作:湯切

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第七話 リンドウに揺れる

 薄い雲の隙間からゆっくりと顔を出したのは、まんまると満ちた月。

 

 イタチはサスケを抱いて縁側で夜空を見上げていた。

 

 まだ首がすわっていない弟の首後ろを左腕で支えながら、ゆらゆらと体を揺らす。やわらかな月明かりとゆりかごにいるような振動に、サスケはすっかり夢の中にいる。

 

 すうすうと眠っている弟に目を細め、その背中を優しく一定のリズムで叩いてやった。

 忙しい両親に代わって弟の面倒をよくみているイタチは、どうすれば弟が心地よく眠れるか何でも知っていた。

 

「サスケ、今夜は満月だ」

 

 弟を起こさないよう小さく呟くように口にする。

 

「スバル兄さんも同じ月を見てるかな」

 

 イタチはこれまで何度もサスケに兄の話をしてきた。

 いつ兄が家に帰ってきてもいいように、人見知りな弟が大好きな兄を怖がらないように。

 

 イタチの兄であるスバルが暗部に配属されてからというもの、彼はこれまで一度も実家に顔を出さなかった。

 母であるミコトの出した手紙にも返事はなく、家族の誰もがスバルの顔すら見ていない。

 

(毎月帰ってくるって約束したのに)

 

 アカデミーを一年で卒業どころか、下忍になると同時に暗部に配属されるほど優秀な兄のことだ。きっと任務に追われる毎日を送っているんだろう。

 

 頭では分かっていても、寂しいものは寂しかった。

 

(どんなに忙しくても、サスケの顔を見に帰ってきてくれると思ってた)

 

 イタチの心の機微を敏感に感じ取ったサスケが目を覚ましてしまった。きょとんとした表情で、イタチの顔を見上げている。

 

「……兄さんは、オレたちのこと忘れちゃったのかな」

 

 無邪気に笑っているサスケを見ていると心が安らぐ。沈みかけた心が解れていくようだ。

 

「サスケだって兄さんに会いたいよね」

 

 イタチもつられて微笑みながら、もう一度空を見上げる。

 

 ぐんぐんと雲が風に流されていく。またすっぽりと雲に隠れてしまった月がぼんやりとした光を放つ。辺りは一時的に薄暗くなり、ぽつりぽつりと街明かりが鮮明になってきた。

 

「……何だ?」

 

 それは確信の持てないほんの僅かな違和感だった。こちらまで流れてきた風がまるで“良くない”ものまで運んできてしまったかのような……。

 

 腕の中のサスケが大きな声で泣き始めた。小さな不安が芽を出すように心を蝕んでいく。それでもイタチは弟の前では気丈に笑っていた。

 

「大丈夫。何があってもお兄ちゃんがサスケを守るから」

 

 

 イタチはサスケを抱きしめながら走っていた。

 

 家から持ち出せたのは長めの布のみで、手が離れてもサスケを落とさないよう、抱っこ紐のようにしっかりと結んだ。

 崩れ落ちた屋根の一部や瓦礫が散乱していて、役割を果たしていない道なき道を、ぐねぐねと縦横無尽に駆け抜けていく。

 

 サスケの小さな泣き声は、そこらじゅうで上がっている悲鳴や爆発音のようなものにかき消され、足元に転がるのは瓦礫だけではなくなっていった。人だ。たくさんの人が倒れている。

 

 里で何が起きているのかイタチには分からなかった。

 時々こちらまで轟いてくる獣の唸り声が地面を震わせるたびに、逃げ惑う人々の恐怖が伝染してくる。

 

 ――あれは自然災害だ、人の手ではどうにもならない。

 

 すれ違った男がそう叫んでいる。腕の中のサスケの泣き声がいっとう大きくなった。

 

「大丈夫、大丈夫だ、サスケ…………」

 

 自分にも言い聞かせるように何度も口にする。

 

 一族の敷地内はとっくに抜けていた。今目の前に広がっているのは、大国の隠れ里らしく、常に人々の往来が絶えない大通りのはずだった。

 まるで廃墟のような変わり果てた姿に息をのむ。

 

 忍界大戦での記憶が蘇る。地に伏すもの言わぬ肉片と、血を吸って重たい自分の身体と、止むことのない雨。

 ここでは雨は降っていないし、自分の身体が重いのはサスケを抱いているからで……あの時とは違うんだと理解していても、一度頭にこびりついた映像は離れてくれない。

 

「そんなところにいたら危ないぞ」

 

 誰かに声を掛けられたと思ったと同時に、ずりっと頭上で何かがズレるような音が聞こえた。

 イタチは声を掛けてきた男の忍装束にすっかり目を奪われていて、反応が僅かに遅れてしまった。

 

 ――あれは、スバル兄さんと同じ暗部の……!

 

 ぐんっと大きく引っ張られた。サスケが布から飛び出さないよう、咄嗟に強く抱きしめた。耳元で小さなため息のようなものが聞こえて、ゆっくりと顔を上げる。

 

 誰かに抱き上げられているようで、その人物の肩越しに先ほど自分達のいた位置に瓦礫がくずれ落ちているのが見えてゾッとする。

 イタチ一人なら軽い傷で済んだかもしれない。けれど、もしサスケの頭などに当たっていたら……。

 

「おい、そろそろオレたちも行かないと」

 

 最初に声を掛けてきた男が、イタチ達を落ちてくる瓦礫から救った男に向かって言う。

 

『……はい。モズ隊長』

 

 聞き慣れぬ声が耳を打った。声の持ち主はイタチをそっと地面に下ろして、何も言えずにいるイタチの頭にぽんっと手を置いた。

 

 それから、壊れ物に触るような手つきでそっとサスケの額に触れる。

 イタチは人見知りな弟が大声で泣くんじゃないかと心配したが、サスケはきょとんとしたのちにニコニコと嬉しそうに笑った。

 それを見た男の纏う雰囲気が随分和らいだ気がする。暗部のお面越しの表情は見えないが、イタチにはそう感じられた。

 

「あの…………」

『避難所の場所は分かるか』

「……はい、大丈夫です」

 

 男の手が離れていくと、ご機嫌だったはずのサスケがまたぐずりはじめた。イタチが「よしよし」とあやしても一向に泣き止まない。

 まるで彼と別れるのを嫌がっているかのように。

 

「“クロネコ”! 招集時間に遅れる気か?」

『それ、やっぱり別のにしません? なんかほら、安直すぎるし……』

「オレの一存でころころ変えられるわけないだろ」

 

 イタチの前にいる男のお面は猫をモチーフにしているようだったが、どちらかというと白猫だった。クロネコというのはコードネームのようだが、本人は気に入っていないらしい。

 

 がくりと肩を落として、モズと呼んでいた男に向かって『分かりましたよ』と渋々答えている。

 

『ちゃんと避難所に行けよ』

 

 彼は最後にそう言い残して、イタチの返事を待たずに消えてしまった。モズという男の姿も消えている。

 

 その場に残されたのはさっきより激しく泣き叫んでいるサスケと、そんなサスケを必死にあやすイタチだけだった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 イタチに会った。俺はイタチに会ったぞ。大事なことなので二回言った。しかもイタチが抱いていたのは俺のもう一人のキューピッド、サスケに違いない。

 

 実は親戚の子どもを一時的に預かってるとか、こんな時だからその辺に落ちてた赤ん坊を心優しいイタチが拾ったとかそんなんじゃないよね? ちゃんとサスケだよね? 俺はちゃんと念願の弟たちとふれ合いタイムできたんだよねっ!?

 

『……モズ隊長』

「……なんだよ」

 

 招集場所であるダンゾウの元へ向かう道中、深刻な表情と声でモズに話しかける。まだ何も言ってないのに、彼は既に呆れたような声色だった。

 

 俺はお面の内側でニカッと笑った。出来ているかはともかく、ガイ大先輩スマイルである。親指を立てることも忘れない。

 

『グッジョブ・九尾』

「お前……ッ! 人前でそれを言うなよ!? 後ろから全員に刺されるぞ! 何ならオレが刺してやろうか!?」

『心配なさらなくても、俺の心は隊長にだけオープン・ザ・ドア〜です』

「一生閉じてろ」

 

 流石に不謹慎の塊な発言だって自覚はある。

 でも……やっと会えた。この先二度と会えない可能性だってあった、弟たちに。

 

『それにしても根が動かないってどうなるんですかね、コレ』

「さあな。……オレたちはダンゾウ様に従うのみだ。考える必要はない」

『まったくその通りですね』

 

 モズの声のトーンが変わったところで、俺も心を引き締める。ダンゾウの屋敷が見えてきた。ここから先は余計なことを口にした途端に首が飛ぶ。もちろん比喩ではなく。

 

 屋敷の前には根に所属しているほぼ全員が揃っているようだった。全ての人間と面識があるわけではないが、ちらほらと見知った顔がいる。

 

 ここにいないことが判明してるのはキノエさんだ。彼は昨日の任務で負った傷のせいで自宅待機を言い渡されている。俺たちのアパート、九尾に踏み潰されてなかったらいいけど。

 

 キノエさんの心配? いらないいらない。あの人自分で豪邸建てちゃうくらい逞しいから何とかやってると思う。

 

「集まったか」

 

 輪の中心にはダンゾウが立っていた。なんかそうしてると口寄せで召喚されたみたいだな。

 

「何者かが九尾を里に野放しにした。九尾のことは火影直属の暗部に任せ、我々は黒幕を突き止めることに専念する」

 

 ダンゾウの言葉に異を唱えるものはいない。ここにはイエスマンしかいないからな。俺も表向きはすっかりコイツらの仲間入りをしている。

 そう、俺は仕方なく全肯定スバ太郎の皮を被ってるだけなのだ。ダンゾウの靴の裏を舐めるとおいしいのだ!

 

「まずは警務部隊の動きを監視する。スルカの隊は共に来なさい。モズとクロは周辺の警戒を。その他の者たちは――」

 

 まあ、それっぽいことを仰っているが、つまりは我らがダンゾウ様は、ここで四代目が倒れて尚且つ里も半壊してくれた方がご都合がよろしいらしい。

 これまで近くで見てきたから分かる。この人がどれだけ火影になりたいのかってことが。

 

「クロネコ、さっさと持ち場につくぞ」

『……隊長もダンゾウ様みたいに、せめてクロって呼んでくれません?』

「名前は大切にしろ」

『わあ、モズ隊長がそんな殊勝な心がけをされていたとは思いませんでした!』

「お前のような無礼なやつには一生無理な心がけだろうな」

『…………』

 

 元々俺への当たりがキツい人だったとはいえ、ここ数ヶ月はとくに酷い。息を吸うようにメンタル抉ってくる。

 癖になってんのか……部下のSAN値削るの……。

 やめて、口で勝てる気がしない。

 

 そうそう、いつだったか、急に「やはりお前のお面越しの発言は全部本心だったんだな」なんて言われたんだっけ。『当たり前体操〜』ってその場で踊りながら返事した気がする。

 

 それからというもの、一切の容赦がなくなりました。理不尽すぎない? お面の不具合って決め付けてたのそっちなのに!

 

「そのシロネコの面が真っ黒になるくらい血で染め上げた快楽殺人鬼ってのが名前の由来なんだって? ぴったりじゃないか」

『ただの皮肉ですよ。そもそもプロは返り血浴びないんでしょ』

「そんな迷信を信じてる奴がまだいるとは」

 

 酸化した血ってなかなか落ちないんだよね。他の人と違って俺のお面は替えがきかないから、毎回必死に汚れを落としてるんだけど、これがだいぶ心が折れる作業だったりする。

 風呂場でひっそりとやってたら間違って入ってきたキノエさんに「殺人現場!?」って驚かれたことあるし。

 

 そんなくだらない雑談に花を咲かせつつ、ダンゾウの指示通り、周辺の警戒ついでに飛んできた屋根の一部を拳で破壊したり、視界の範囲内で困ってる人を見かけたら助けたりした。

 

 人柱力がいながら何の前触れもなく九尾が里に放たれるなんて、未曾有の事態だ。ダンゾウがうちは一族を警戒するのも仕方がない。

 九尾が人為的に放し飼いにされているのだとしたら、そんなの写輪眼を持っている人間にしか成せないことだ。

 

 ただ、九尾を操れるほどの実力者となると俺には思い当たる人物がいない。あの父さんですら難しい気がする。

 

『俺たちが加勢すればこの状況が何とかなると思いますか?』

 

 頭に浮かんだのは四代目の顔だった。そして、四代目が警戒していた人物。妙な写輪眼を所持していたあの男だ。

 俺の隣で影寄せの術で爆風の影響を受けそうになっていた人たちをまとめて安全な場所に集めていたモズが、苛立ったように舌打ちをする。

 

「九尾を何とかできるのは写輪眼か、高度な封印術くらいだろ! お前の写輪眼でも無理、オレの影真似でも当然無理、これでどうにかなると思ってんのか?」

『……そうですよね』

「ダンゾウ様なら何とかできるかもしれないが、あの人はすでに動かないと決めた。もう四代目と三代目に託すしかない」

 

 部下にも手の内を見せないダンゾウが、どのような実力でどのような術を持っているのか俺たちは知らない。知らされてもいない。

 

 用意周到なあの人のことだから、あらゆる事態に対処できるだけの手段は持っていそうではあるが。キノエさんの件もあるし。

 

 九尾をコントロールできるのは現状写輪眼と封印術ってだけで、実はもう一つある。――初代火影だけが持っていたとされる木遁忍術だ。

 

 ダンゾウは自分が火影になった後、九尾を完全に支配下に置くために、木遁を使えるキノエさんと写輪眼を持つ俺という最高の人材を手放したくないようだからな。

 

 ……あれ、もしかして俺、将来的には九尾を操れるほどの瞳力を身につけなきゃいけないフラグ立ってる? 超期待されちゃってる?

 

『モズ隊長』

「…………」

 

 ついには返事すらしてくれなくなったが、こんなことで挫ける俺ではない。気にせず続ける。

 

『ペットの躾って得意ですか?』

「お前が何を考えているのか理解できてしまう自分が嫌になるよ」

『それ知ってます! 類友ってことですよねっ!』

「断じて違う」

 

 

 

***

 

 

 

「惜しい人を亡くしたものだ」

 

 残された者たちは黒を身に纏い、誰も彼もが心にぽっかりと穴が空いたような顔をしていた。

 

 墓石に供えられた色とりどりの花たちがそよ風に吹かれている。

 原型を留めておらず、最後まで身元不明のままだった者たちの墓には、里の子どもたちが朝から集めた竜胆の小さな花束がそっと置かれていた。

 

 ダンゾウのすぐ後ろで影の一つとして佇んでいたうちはスバルは、僅かに漂ってくる草花の香りを胸いっぱいに吸い込んで目を閉じる。

 

 竜胆の花言葉は――あなたの悲しみに寄り添う。

 

 御伽噺の一部のような九尾襲撃事件は、四代目火影とその他大勢の命を犠牲にして幕を下ろした。

 

 スバルは真っ白に磨き抜かれた墓石たちが、里の端の端まで続いているんじゃないかと思った。

 

 決して紙の上にある数字だけでは推し量れないほどたくさんの人々が死んでしまった。

 家族や大切な人を亡くし、その場で崩れ落ちて泣き出してしまう者。まるで感情を無くしてしまったように微動だにしない者。

 抱く感情はそれぞれだろうが、誰も彼もが傷を負っていることは明らかだった。

 

 スバルはお面越しに、うちは一族が参列している場所に目を向ける。

 まだ少年と呼べる年齢にある彼は、他人の生死に関しては随分と大人びた、あるいは著しく偏った価値観を抱いていた。

 彼は里のほとんどの人間が死んだとしても胸が痛むことも、涙を流すこともない。心の底からどうでも良いと思っている。

 

 ――ただ、家族に関してはその限りではなかった。

 

「クロ」

 

 こちらに背を向けているダンゾウからの呼びかけに、スバルは即座に反応した。すぐにダンゾウの右斜め後ろに駆け寄り、地面に膝をつく。

 己に忠実な部下を見下ろすダンゾウの目は冷たく、その感情は読み取れない。

 

「こんな日くらい、お前を家族の元に返してもいいと思っておる」

 

 スバルの指がぴくりと動いた。

 

「根に所属している他の者たちと違って、お前は()()()()()()ワシのところへ来た。心残りも多いことだろう」

 

 ダンゾウの目が先ほどスバルが見ていた場所に向けられたが、スバルは俯いたまま顔を上げることすらしなかった。沈黙はすぐに破られ、少しくぐもった声が響いた。

 

『必要ありません』

 

 ハッキリと告げられた言葉にダンゾウが目を細める。

 

「そうか……そうであったな。無駄な時間を取らせた」

『いえ』

「それとは別に、お前とモズには明日一日休暇を与える。キノエと共に身を休めるがよい」

『承知しました』

 

 ダンゾウは一つ頷くと、視線だけでこの場から去るように促した。スバルは言われるままに音もなく姿を消すと、離れたところで待機しているモズの元へと向かって行った。

 

 すでに告別式が終わっていることもあり、その場に留まっている人間も徐々に少なくなってきている。

 大戦直後にも見られた光景に、やはりダンゾウの心も動かない。彼の頭を占めているのは亡くなった者たちに向ける感傷でも、残された者たちへの憐憫でもなく……次の火影が誰になるのか、ただそれだけであった。

 

 

 

 今は亡き師匠の墓の前で、カカシは縫い止められたように、ただじっと佇んでいた。

 空席となった火影の座は、前任者であるヒルゼンが埋めることになりそうだと風の噂で耳にした。

 

 左腕の刺青がじくじくと痛む気がして、そっと手で触れる。カカシを忍として育てたのも、暗部として裏の世界で生きるようにしたのも、四代目火影であるミナトであった。

 

 カカシはこれまで己の生き方に疑問を抱いたことなどない。生まれてから死ぬまで忍であり続ける。

 それはかつて父と友が示してきた道であり、いつしか当たり前のようにカカシの忍道にもなっていた。

 

「ミナト先生…………」

 

 きつく寄せられた眉には深い悲しみが彩られている。父は死に、友も死に、守ると誓った大切な人を死なせ……ついには師まで失ってしまった。

 これから己が歩んでいくべき道がどこにあるのか分からない。見えやしない。ハッキリとしていることは、己にはもう何も無く、空っぽだということだけだった。

 

 わざと立てられた足音に、カカシは振り返った。

 

 そこにいたのは、こちらを鋭く睨め付ける左眼が印象的な男だった。右眼は分厚い包帯で覆われている。

 男は自らの存在を印象付けるかのように、こちらにゆっくりと歩み寄ってきた。

 

「ダンゾウ様」

 

 ヒルゼンの側近である志村ダンゾウだった。

 こちらの心を見透かすような瞳に、カカシは思わず後退りしそうになるのをぐっと堪える。

 

「はたけカカシ。ワシの元で働いてみる気はないか?」

 

 それはあまりにも寝耳に水な誘いだった。二人の間を吹き抜ける風は冷たく、微かに竜胆の香りがする。

 カカシはその場に漂っている悲しみを振り解くように口にした。

 

「オレはミナト先生の部下です」

「しかし、そのミナトはもうこの世にいない」

 

 はっきりとした物言いにカカシの次の言葉が詰まる。力なく俯いた姿に、ダンゾウが畳み掛けるように言った。

 

「三代目の平和主義による保守的な姿勢により引き延ばされた戦争で、お前の大切なオビトやリンが死に……九尾襲撃時には三代目の出した命によりお前たちは戦いに加わることができなかった」

 

 以上はダンゾウにとっては盛大なブーメラン発言ではあったが、襲撃の夜にダンゾウがどこで何をしていたのか知る由もないカカシには、彼の言葉の上部だけが胸に突き刺さる。

 

「三代目が強固な姿勢を見せて戦争を早く終わらせていれば。九尾との戦いにお前たちを参加させていれば。お前の大切な者たちは死ぬことはなかったのではないか?」

 

 ダンゾウの頬に冷笑が浮かぶ。

 

「あのような者にこの里の行く末を任せるわけにはいかぬ」

 

 踵を返したダンゾウが来た時と同じようにゆっくりと去っていく。

 カカシはその後ろ姿をただ見送ることしか出来なかった。

 

 

 

 カカシは火影直属の暗部にのみ渡される次の任務の計画書を手に、木ノ葉の地下へと潜っていた。

 張り巡らされた配管の間にいくつか鉄格子がはめられている。地上もしくは地下への連絡用だろう。

 

「木遁・大樹林の術!」

 

 壁の鉄格子を足場にして一息ついたところで、配管の隙間から無数の木片がこちらに向かって襲いかかってきた。

 

「木遁……?」

 

 カカシはその場から飛び退いて攻撃を避ける。

 

(木遁を扱えるのは柱間様だけだったはずだ)

 

 思考する間も無くこちらを追尾するようにさらに伸びてきた木片に対抗すべく、三つの印を丁寧に結んだ。

 

(――千鳥!!)

 

 バチバチと迸る稲妻を手のひらに宿し、カカシは右手を大きく振りかざそうとしたが、物陰から現れたもう一人に気を取られた。

 

 暗がりで不気味に光った赤色を認識した時にはもう遅かった。

 ここが敵陣ではないという油断も相まって、カカシの体は一度びくりと大きく震えた後、指一本動かせなくなってしまう……写輪眼による幻術だ。

 

『侵入者か』

 

 動かない体と、凍りついてしまったかのような頭の向こうで、カカシは確かにその声を聞いた。

 両眼に写輪眼を宿した少年が立っている。暗部の証であるネコのお面を被っていて、顔立ちは分からない。

 

 動けないカカシの体を先ほど木遁を使っていた少年が拘束する。……これでは何のためにここまで来たというのか。

 まずは彼らの誤解を解くのが先決だと、カカシは左眼の写輪眼を発動させようとしたのだが――

 

「キノエ、クロ!」

 

 カカシの頭上で「こいつどうする?」と会議を始めていた二人が一斉に顔を上げる。

 

『ダンゾウ様』

「その者はワシが招待したのだ」

 

 するりと物理的に体を拘束していた木片たちが消えていく。

 

「よく来てくれたな、はたけカカシ」

 

 ダンゾウが薄らと微笑んだ。それを見たネコのお面の少年が『……うわ』と軽蔑するように呟く。カカシは聞き間違いだと思った。

 

 ネコのお面の少年はややあって、緩慢にカカシを見下ろしてきた。

 

『はたけ……カカシ?』

「…………そうだけ、ど」

 

 やっと写輪眼による幻術を解いてくれた少年は、じいっとこちらに顔を近づけてきたかと思えば『…………本当に写輪眼を持ってるんだ』と感心したように言った。

 小さな子どものような素直な反応に毒気が抜かれる。カカシの肩に入っていた力が緩んだ。

 

 彼はカカシの腕を掴むと、その場から立ち上がらせる。カカシには、お面の裏で少年がニッと笑ったように見えた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 これは神様とやらが俺に与えてくれたチャンスなのかもしれない。幻術が解けたカカシが立ち上がるのを手伝いながら、俺は内心ほくそ笑んでいた。

 

 どうしてカカシがここにいるのか? そんなことは今はどうでいい。いや、大体の察しはついている。

 どうせ欲に欲をかいたダンゾウが引き抜きに成功したんだろう。もしくはその過程にあるか。まあ、どっちだろうが構わない。

 

 俺にとって重要なのは……いかにしてカカシと親しくなるかだ。彼と仲良くなれば自然とガイ大先輩との距離も縮まる。

 

 ガイ大先輩との友情の架け橋になってくれるであろうカカシに話しかけようとしたその瞬間……歴史は動いた。否、ダンゾウが動いた。

 

「キノエとクロは下がっていなさい」

『…………』

 

 ダンゾウ絶許。夢見る時間くらい与えてくれよ。

 

「ほら、行くよ」

 

 俺の服の裾を掴んで引っ張るキノエさんの後を渋々とついていく。目だけはカカシから逸らさないようにしていたら、向こうも俺を熱く見つめていた。

 これはやはり……! 写輪眼使いは写輪眼使いにひかれ合う……!! デスティニー!!

 

 

 

 運命の二人は引き裂かれてしまったように思えたが、俺はどこまでも()()()()男だったらしい。

 その後の任務を無事に終え、俺はキノエさんと別れた後、一人で大通りを歩いていた。

 

 さあて、今日のご飯は何にしようかな。グルメそうな顔してるけど何でも美味しいって食べてくれるからなあ、キノエさん。

 ご本人に伝えたら「グルメそうな顔って……褒めてないよね?」と非常に怖いお顔をされたので言葉には気をつけようと思った。地雷がどこに転がってるか分からないので。

 

 最近肌寒くなってきたし鍋もいいな。いくつか浮かんだ晩飯候補達に頭を悩ませていた俺を呼び止める声が、真後ろから聞こえてきた。

 

「うちはスバル」

 

 ピタッと足を止める。振り返ろうかと思ったが、すぐに思いとどまる。

 今の俺はお面をつけていないとはいえ、うちはの家紋が入っていないシンプルなジャージを着て、さらに目深くフードを被っている。

 ばったり家族や知り合いにエンカウントしても正体がバレないようにだ。任務外でお面無しで外を出歩く際には、ほぼ常にこの格好をしている。

 

「お前に尋ねたいことがある」

「…………」

 

 振り返る勇気がない小心者な俺を鼓舞するように、声の主が言葉を続ける。

 俺の正体に確信を持っているらしいその声は、最悪なことについさっき耳にしたものだった。

 

「場所を変えよう」

 

 ゆっくりと振り返った先では、夕日に染め上げられた色素の薄い髪が揺れている。

 ――はたけカカシ。

 

 どうして彼が俺の正体を見抜いてこうして声を掛けてきたのか。俺にとって都合がいいとはいえ、手放しで喜べるものじゃない。あーあ、己の未熟さが嫌になる。

 俺はため息一つ吐いて、こくりと小さく頷いた。

 

 

 

 俺とカカシは火影岩の上でお互いに口を閉じたまま、気まずい雰囲気になっていた。

 

 喋れない俺にとっては不可抗力ではあったが、そもそも場所のチョイスが最悪すぎる。もっと他にいいところがあっただろうに。

 

「……ダンゾウ様との話が終わってから、丁度任務を終えたお前のことをずっとつけていた」

「…………」

 

 やっと話を切り出してくれたかと思ったらストーカー宣言をされた。これ、俺はどんな顔して聞けばいいの? 

 できるだけストーカー被害者っぽい顔を心がけたつもりだったが、すでに被っていたフードを下ろしている俺を見たカカシが若干諦めの混じった顔で俯いた。いや何その反応。

 

「驚かないってことは、やはり気づいていたか。気取られていないつもりだったんだが」

 

 これまでの人生経験からこうなる気はしてた。

 俺は神に誓ってストーカーを察知していませんでした。気づいてたら真っ直ぐお家に帰ってキノエさんに泣きついてたよ。呑気に鍋の具材なんて考えてなかった。

 

「うちはスバルに関しては、アカデミーの一件で有名だから」

 

 アカデミーってのはアレか、結果的に一人の教師が闇に葬り去られちゃったヤツね。つまり最初から俺がうちはスバルだと気づいていたらしい。

 言われてみれば暗部に所属してるうちはって俺だけな気がするし、この調子だと暗部姿の時に写輪眼使っただけで全員に正体バレちゃいそうだな……?

 

「お前のことはミナト先生……四代目から聞いたことがある。信頼に足る人物だと」

 

 こちらを真摯に見つめてくるカカシに、同じ写輪眼使いとしてシンパシーのようなものを感じないこともなかったが、状況が状況だったので、こちらも脳を真面目な方向に切り替える。

 

 四代目とは結局あれっきりだった。

 

 自分の足元にある歴代の火影達の顔岩を見下ろす。あの人がそんな風に思ってくれていたなんてなあ。

 

 わざわざこんな目立つところに連れてきたのにも理由はあったようだ。

 人の目が集まるとはいえ、こんなところまで登ってこようとする人はまずいない。うっかり誰かに話を聞かれることはないだろう。

 

「九尾襲撃の夜、お前達が何をしていたのか……いや、()()()()()()()()()が知りたい」

「…………」

 

 初手からクリティカル持ってくるのやめない? うーん、特別察しがいいわけでもない俺でも大体掴めてきたぞ。

 

 任務帰りだったことが幸いし、俺は懐に入れっぱなしだったネコのお面を被った。いつものように静電気のような軽い痛みが額に走る。

 

『冷血のカカシという呼び名は、どうやら正しくないらしい』

 

 カカシは暗部に入ってからというもの、すっかり心が凍りついたんじゃないかって噂されてたけど。

 敵が命乞いをしても容赦なくあっさり殺すとか、たとえ逃げてもどこまでも追いかけて殺すとか。……今思うと当然のことしてるだけだよな。やっぱ噂ってアテになんないや。

 

 俺はお面に手を触れながら、空を見上げた。そろそろ完全に日が落ちる。

 最近は日が沈む時間も徐々に早くなってきているから、酉の刻にもなると辺りは真っ暗闇に包まれてしまう。

 

『それを聞いてどうするんですか。三代目を裏切ることを躊躇しているとでも?』

「オレは……」

『ダンゾウ様とどのような話をしたかは知らないですが、あまり賢明な行動とは思えませんね』

 

 ダンゾウは狡賢くて己の野望のためなら何でもするヤベー奴なんだよ。マジで。根に所属してない人間にはしっくりこないかもしれないけど。

 

 さっき“うっかり話を聞かれることはない”とは言ったが、ダンゾウは“しっかり話を聞いている”タイプの人間だ。

 壁に(ダンゾウの)耳あり障子に(ダンゾウの)目ありだと思ってほしい。

 

 周りの気配を探ってる感じ、根の誰かが俺とカカシに張り付いてる気配はしない。

 ただ、俺が存在を察知できないほどの実力者が監視に回ってるとしたら非常に厄介だ。

 とくにこの状況、新入り候補であるカカシにあのダンゾウが監視の目をつけていないとは考えにくい。

 ……あの人、基本的に抜け目ないくせに、たまーに変なところで抜けてるからなあ。本当に監視がいない可能性もあるっちゃある。そのせいで俺の心が何度弄ばれてきたか。策士かな?

 

 恐らく四代目が死んだのは三代目のせいだとか有る事無い事聞かされて、こっち側に足を突っ込んじゃったんだろう。

 その言葉のみを鵜呑みにせず、ダンゾウがあの夜に何をしていたかを知ろうとするのは分かる。四代目が信頼していた俺から情報を聞き出そうとしたのも、分からんでもない。

 

 しかし、その考えに至る時点でカカシは気づくべきだった。己の中にあるダンゾウへの懐疑心に。

 

『俺は貴方を歓迎しない』

 

 遠回しに根には来るなという意味だったが、果たして、ちゃんと俺の意図は届いただろうか。

 

 あーあ。これでカカシと仲良くなって憧れのガイ大先輩に急接近作戦もパーになった。

 でもさ、カカシが暗部どころか根に所属しちゃったら、他でもないガイ大先輩が悲しむと思うんだよね。俺の人生を変えてくれた恩人にはいつも笑顔でいてほしいし。

 

 その場で立ち上がって、ぐーっと伸びをした。

 

『それじゃ、ネギを買って帰らなきゃいけないんで』

「…………え?」

『この辺で失礼しまーす!』

 

 まるで鳩が豆鉄砲を食ったような反応をしているカカシを置き去りにして、俺はそろそろ閉店してしまうであろう八百屋を目指して全力疾走した。

 

 鍋にネギが入ってなかったら、またキノエさんに叱られちゃう!

 

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