じんせいみてい!   作:湯切

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第九話 ちょっと三途まで

 三代目自ら大蛇丸の研究所に向かったという報告は俺のところにも届いた。

 夜は非番だった俺とは違い、ちょうど夜勤に就いていたキノエさんが一人で任務に向かったと聞いている。

 

 ついに三代目が動き出してしまった。この間の暗殺事件もそうだし、そろそろ根自体が解体されたっておかしくない。

 

 自分しかいないアパートの自室、敷きっぱなしの布団の上でごろんと寝返りを打つ。

 やっとゆっくり寝られるってのに、心配事が多すぎてまったく心が休まらなかった。

 

「…………」

 

 キノエさんは無事だろうか。ダンゾウってやっぱ人員配置が下手すぎるというか、むしろ嫌がらせかと思うレベルだ。

 いくらキノエさんでも、たった一人で三代目やその直属の暗部に追われてる大蛇丸のフォローなんてできないって。体がいくつあっても足りないよ。

 

 俺も数時間後には別の任務があるから助っ人にはいけないし……今は大人しく寝るしかない。

 バサッと掛け布団を目元まで被って、猫のように体を丸めて目を閉じる。

 

 短時間でも十分な休息が取れるように訓練してきたおかげか、俺の意識はあっという間に夜の闇に溶けていった。

 

 

 

 大蛇丸が無事に里を抜けてから数ヶ月経った。もう一生戻ってこなくていいぞ。

 

 俺も九歳の誕生日を迎え、根での地位もそれなりに確立されてきたと思う。

 モズが単独任務に就いている時限定ではあるものの、隊長を任されることが増えてきたし、仕事にもやりがいを……感じることはなかったが、まあ苦痛は感じてない。慣れてきたしね。

 

「クロ、以前からお前の元に家族から手紙が届いていたな」

『…………』

 

 そう、ダンゾウからの急なラブコールだって慣れっこだ。

 

 いつものように急に屋敷に呼び出してきたと思ったらこれだよ。

 ダンゾウは俺の目の前で見覚えがありすぎる封筒を見せびらかすようにひらひらと揺らしてきた。煽りのつもりか?

 

「お前にとっては興味のないものかもしれないが、ワシが代わりに開封しておいた」

『…………』

 

 ツッコミどころが多すぎて追いつかない。まずは未だに俺の元に届く手紙を監視してたのかってことと、大切に自室の机の引き出しに仕舞い込んでいたはずの手紙が、どうして今ダンゾウの手元にあるのかってことだ。

 

「送られてきた手紙は読むべきだとは思わんかね?」

 

 まあその意見には概ね同意するが、人の手紙を勝手に開封しないべきだとは思わんかね?

 

 家族からの手紙を読んだら家に帰りたくなっちゃうから自制してたに決まってるだろ。決してダンゾウに開封される為に大事に置いてたんじゃないから! 

 

「うちはフガクが、お前をうちはの定例会に参加させたがっているようだ」

 

 ピキッと額のどこかで青筋が立ったのが分かる。まさか父さんがそんな露骨な内容の手紙を俺に送っていたとは。

 これまで一度も返事がない時点で察してくれてるかと思ってたんだけど。

 

「お前に暫し暇を言い渡す。まずはうちはの定例会に参加し、あちらの情報を手に入れてくるのだ」

『……暇、ですか?』

「お前には期待しているからこそだ」

 

 どうやら不満げにでも聞こえたらしい。俺としてはマジで休んでいいの? 実家に帰っていいの? 状態だったんだけど。

 

「うちはフガク達は木ノ葉に不信感を抱いている。必ず定例会でボロを出すだろう。この機会にお前はうちは側の人間だと示し、彼らから信頼を得てきなさい」

『……はい。承知致しました』

「任せたぞ」

 

 い、やったあああああ! 俺、今ならダンゾウと握手どころか両手を握りながらスキップだって出来る! やんないけど!

 

「それでは早急に手紙の返事をだ、」

『すぐに荷物を纏めて実家に帰ります』

「……そうだな」

 

 俺はその場でお面を外して、瞠目しているダンゾウに軽く一礼をした。

 いやあ、あのままお面を被ってると余計なことを口走りそうで。うふふふふ。どうしよう。ここ最近で一番嬉しい。根に入ってから一番のグッドニュースだ。

 俺の顔、気持ち悪いくらいニヤけちゃってたりしないかな?

 

 

 

 ダンゾウへの宣言通り、俺はアパートに戻ってすぐに荷物を纏めて(とは言っても小さな鞄に入る程度だ)任務で不在なキノエさんに置き手紙を残して家を出た。

 

 心臓がドキドキと高鳴っている。念のため身内によるストーカーもとい監視の目がないか、さりげなく写輪眼で辺りを見渡してみる。

 ……大丈夫そうだ。異常なくらい気配を消すのが上手いモズが潜んでない限り。

 彼は長期任務中のはずだからまさに俺の天下である。フハハハ!

 

 この一年間ほとんどを写輪眼の強化に費やしたおかげで、この目は本当によく()()()ようになった。

 

 片目だけなのにコピー忍者のカカシなんて異名が他国にまで轟き始めている人とは比べ物にならないだろうけどさ。あの人実は右目にも写輪眼入ってたりしない? もしくは前世うちは一族だろ。

 

 アパートを出てたくさんの人が行き交う商店街を抜け、次第に人が疎になっていく一本道。ここを真っ直ぐに進んでいけばやがてうちは一族の敷地内に入る。

 

 以前はもっと里の中枢に近い位置にあったが、九尾襲撃事件を経て今の場所に落ち着いたらしい。……まあ、追いやられた、が正しいんだけどね。

 ダンゾウは三代目アンチだし、父さんは木ノ葉の上層部アンチだし、もっと仲良くしてくれたらいいのに。平和が一番だよ。

 

 カサリとポケットに入れていた手紙を取り出す。ダンゾウが見せびらかしていた父さんからの手紙だ。新しい住所はここにきちんと記載されている。

 

 俺が今まで開封もせず仕舞い込んでいた手紙たちはアパートに置いてきてしまった。

 中には差出人がイタチのものもいくつかあったが、ここ一年は母さんや父さんからのみになっていたはず。……どうしよう。急に帰るのが怖くなってきた。

 

 うちは一族の敷地を跨ぐと、顔に穴が開くんじゃないかと思うくらいじろじろと見られた。ついでにコソコソ話もされてる。う〜ん懐かしいなこの感じ。これでも昔よりは幾分かマシになったほうだ。

 

 新しくなった我が家はすぐに見つかった。外装はかつて住んでいた家に寄せているせいか、懐かしさすら感じる。

 

「…………」

 

 玄関の引き戸の前でぼんやりと思考する。不思議だ。あんなに帰りたかった我が家がここにあるのに、知らない誰かの家に来てしまったような気がしてくる。

 胸を焦がすような懐かしさは、確かにここにあったのに。

 

「どちら様ですか」

 

 意を決して引き戸に手をかけると、後ろから声を掛けられた。どこか背伸びをしたような口調だ。

 

「両親は出掛けているので」

 

 目元が潤む。ああ、もうだめだ。

 

「何か伝言があれば…………え?」

 

 くるりと振り返った先。一年前に会った時よりも成長していた。見開きすぎて落っこちるんじゃないかと思うくらい大きな瞳が俺の姿を映して揺れている。

 

 肩に掛けていた鞄がするりと地面に落ちる。そんなことには構わずに、俺は目の前の弟を抱きしめた。

 

 イタチが痛くないように力を調節するのに精一杯で、もう、とにかく実感がない。イタチの肩に顔を埋めると懐かしい香りがした。

 

「スバル……兄さん?」

 

 困惑したような声は掠れていて、躊躇いがちに俺の背中に回ってきた腕は震えている。

 

 ええ……なんだか俺まで困惑してきた。幸福過多で脳内がお花畑だよ。大丈夫? 夢オチじゃないよね?

 

 抱きしめていたイタチを離して、お互い無言で見つめ合う。今更のこのこと帰ってきて何を言えばいいのか分からない。

 どのツラ下げて帰ってきたんだって責められてもおかしくない。

 

 イタチ、お兄ちゃんは覚悟できてるよ。さあ、思いつく限りの罵詈雑言をこの弟不幸者な兄に浴びせておくれ!

 

「スバル兄さん……! やっと、やっと帰ってきてくれた……」

 

 俺の心臓が緊急停止した。動いて、動いて、死んじゃうよお!

 

 イタチはぽろぽろと泣いているのに、花が綻ぶような笑みを浮かべた。

 

「おかえりなさい、スバル兄さん……!!」

 

 俺の心臓はすでに木ノ葉病院まで搬送された。

 

 

 

「よく帰ってきたな」

 

 どこか偉そうな父さんの発言にすら涙ぐんでしまうくらい、今の俺は実家に帰ってきたという安心感に気が緩んでいた。

 父さん……手紙の件は後で問いただすことにするよ。

 

「ほら、サスケ。スバル兄さんだよ」

 

 イタチが紹介してくれる前にすでに俺の膝を占領していた天使が、こちらを見上げてにっこりと笑っている。

 ここは天国かな? どうやら俺は無事に三途の川を渡れたらしい。

 

「……どうしてサスケは泣かないんだ? 未だにオレの顔を見て泣き出すのに」

 

 父さんの不満げな声に俺の鼻はぐんぐん伸びる。サスケはお利口さんだなあ。パパよりお兄ちゃんの方が大好きでちゅよね〜!

 

「に、に!」

「…………」

 

 かつてのイタチを彷彿とさせるカワイイパンチにタコ殴りにされた俺は、こっそりと胸を押さえて悶絶した。

 ああ、可愛い。なんてことだ。一年以上こんなに可愛い存在と触れ合ってこなかったなんて大損失だ!

 そうだ、ダンゾウに慰謝料請求しよう。俺はその金でうちはの敷地内にブラザーランドを創設し、弟達と夢の世界を――

 

「暗部ではどうだった」

 

 俺の妄想に土足で入り込んできた父さんが頭にネズミの耳をつけたまま尋ねてきた。幻覚でも似合ってないなそれ。

 

 俺はサスケの身体を腕で支えながら、指文字を綴る。

 

《とくに なにも》

 

 ダンゾウがブラックってこと以外はわりと順調だと思う。それが一番の問題なんだけど。

 大蛇丸の里抜けにより例の研究は凍結されちゃったし、ほんの少しはホワイトなダンゾウに近づいたんじゃないだろうか。一ミクロンくらい。

 

「ならばどうしてこれまで一度も……いや、この話は後でするとしよう」

《わかった》

 

 盆栽の手入れに戻っていった父さんの背中を見送る。

 まるで滑り台を逆走するかのように黙々と俺の体を登ってきていたサスケの背中をさする。ヤンチャだなあ。

 

 かつての俺やイタチの部屋と同じように小窓が付いているのサスケの部屋に、夕飯の支度をしていた母さんがひょっこりと顔を出した。

 

「スバル、イタチ。ジャガイモの下拵えを手伝ってくれる?」

「サスケはどうするの?」

「お父さんに任せることにするわ。庭にいるんでしょう?」

「うん……」

 

 心配そうに俯いたイタチを怪訝に思っていたが、理由はすぐに分かった。

 

「いやあああああああ! ぎゃあああああ!!」

「さ、サスケ、こら! 髪を引っ張るんじゃない!!」

「…………」

 

 俺の手を離れ、父さんが抱き上げた瞬間にギャン泣きするサスケ。ここにいる全員の鼓膜を突き破るような大声だった。

 想像以上に嫌われてて楽し……いや、可哀想だな。父さんのあんな焦った顔、初めて見たかも。

 

「……スバル兄さん、なんだか嬉しそうだね」

 

 おっと、死にかけの表情筋が仕事をしていたらしい。それとも、イタチだから分かったんだろうか。

 

《まだ いってなかったな》

 

 俺はふっと笑みを浮かべる。本当に、ここに帰ってこられて良かった。イタチとサスケの隣に。

 

《ただいま》

 

 

 

「そうか、オレの手紙を読んで帰ってきたんだな?」

 

 イタチとサスケが寝静まった頃。蝋燭の灯りが揺らめく薄暗い部屋には、俺と父さんと母さんの三人しかいない。

 

「ここにはいつまで居られるんだ」

《わからない》

「……うちはの定例の会合が三日後にある。本来は下忍になった日から参加資格があったが、いよいよお前にも参加してもらうことになった」

 

 恒例の木ノ葉への悪口大会ね。楽しそうじゃないか。ダンゾウの悪口なら任せてくれ。

 

 こくりと頷いた俺に、母さんが正座を崩してすぐ隣にまでやってきた。労わるように俺の肩を撫でていく手のひらが温かい。

 

「暗部で辛いことはない? 貴方は昔から自分の心を素直に表現することが苦手だから……」

 

 俺が素直に感情を表現してたら、今すぐ父さんめがけてちゃぶ台返しして「そんなくだらない会合に参加してる時間があるならイタチとサスケを愛でてるわバーカ!!」って走り去ってるけどいいの? このまま二人が寝てるお布団にインしちゃうけど後悔しない?

 

《もんだいないよ》

 

 勿論賢い俺はそんなことはしないさ。これまでダンゾウの元でひたすら耐え忍んできたからな! これくらいは朝飯前である。

 

「スバルが帰ってきてくれて嬉しいわ。……もう戻ってこないんじゃないかって、」

「……おい」

「ごめんなさいね。不安だったの」

「…………」

 

 俺ももう二度と母さん達とこうして一緒に過ごせないんじゃないかと思ってたよ。

 

「イタチもずっと、スバル兄さんはスバル兄さんはって言ってたのよ。……どうしてこれまで一度も手紙の返事をくれなかったの?」

 

 聞かれるだろうなとは思ってたけど、いざとなると言い訳の一つも思いつかないものなんだな。

 ここで正直にダンゾウの監視の目が……なんて言ってしまえば、これまで俺がしてきたことが全て水の泡になってしまう。

 

《ごめん》

 

 どんなに忙しくても手紙の一通くらい出せたはずだ。俺にはただ、謝ることしかできない。

 

《こちらからだす てがみは》

 

 謝ることしか出来ないけど、罪を償うべきは俺じゃなくてダンゾウだしね?

 

《かならずないようを あらためられる》

 

 父さんと母さんがごくりと唾を飲んだ。

 

《だからへんじは ださないようにしていた》

 

 久しぶりにこんなにたくさん指を使って話したせいか、なんだか息切れしそうだ。変だよな、口で喋ってるわけでもないのに。

 

 実際は俺から出す手紙だけじゃなくて、父さん達からの手紙が内容を検められるんだけど。こっちは伏せといた方が良さそうだ。

 

「どうしてそこまで……?」

「……根は三代目すら全てを把握されていないほど機密が多い組織だ。外部に情報が漏れるリスクを少しでも減らす為だろう」

 

 俺が言いたかったことを代弁してくれた父さんに頷く。

 事実とは異なるけどそういうことにしておいてほしい。イタチ達をダンゾウの魔の手から守る為だ。

 

「だが、お前はうちは一族のスバル。そのことを忘れたわけではないな?」

 

 そんなことは生まれた時から嫌というほど分かってる。俺はそれ以外の何者にもなれない。

 うちは一族のスバルでなければ、俺はイタチやサスケのお兄ちゃんにすらなれないんだから。

 

「分かっているならいい。暫くは任務がないんだろう? イタチやサスケとたくさん遊んでやるといい」

《うん》

 

 それも言われるまでもない。大きく頷くと、母さんが何かを思い出したように目を輝かせた。

 

「そうよ、スバル。イタチが何歳になったか知ってる?」

「?」

 

 藪から棒に。イタチの年齢が一体……俺が九歳になったから、三つ下のイタチは六さ……ああっ!?

 

「そうなの。来月にはアカデミーの入学式よ。当然参加するわね?」

《ぜったいに いく》

「そうよね!」

 

 すっかり忘れてた! クソッ、兄としたことが何という体たらく。そうだよ、イタチもアカデミーに通う年齢じゃないか!

 

「それでこそスバルよ。お母さん安心しちゃった」

「……だが、休暇がいつまでか分からないんだろ? 大丈夫なのか」

 

 フッ、父さんもまだまだだな。今の俺はうちは側の人間だと見せつけてこいとダンゾウ直々に命令を受けている身。家族と交流を深めるためなら休暇延長申請くらい通るはずだ! いや、通してみせる!

 

 

 

 うちは一族の敷地内にある南賀ノ神社。

 

 父さんに促されるまま障子を開くと、いくつもの目が一斉にこちらを向いた。広くもない部屋を二十人以上の一族の人間が埋めている。

 

 その場で足踏みしそうになった俺の逃げ道を断つかのように、背後で障子がピシャリと閉まる音がする。

 わあ、これでもう逃げられないね!

 

「フガクさん」

 

 見覚えのある顔が父さんを呼んだ。うちは一族の中で父さんの次かその次くらいに発言力のある人……だったはず。

 

「ヤシロ、どうした」

 

 そうそう、ヤシロさんだ。彼は父さんに何かを耳打ちすると、気遣わしげにこちらを見る。

 

「……そうか。だが、皆には納得してもらうしかない」

 

 父さんが僅かに眉を寄せる。俺絡みで何か不都合が起きたとみた。……まあ、大体の見当はついてるけど。

 険しい顔つきで部屋の一番奥にまで進んで行った父さん。俺はこの後どうすればいいのかと思っていると、ヤシロさんがすぐに気づいてフォローを入れてくれた。

 

「もっと小さい頃に会ったことがあるんだが……ヤシロだ。今日はよろしく頼む」

「…………」

 

 お互いに軽く会釈する。

 

「スバルはそこに座っていてくれ。すぐに会合が始まる」

 

 こくりと頷いて、指示された場所に座った。見事に下座である。上座に座ってるのは、勿論父さんだ。

 その隣にヤシロさんが座ると、その場にいる全員が小声でのお喋りをぴたりと止める。

 

「会合を始める前に新顔を紹介する」

 

 ヤシロさんの目がこちらに向くと、その場の空気が一気に冷たくなった。その中には明らかに俺に敵意を向けている人もいてひどく居心地が悪い。

 

「フガク殿の御子息、スバルだ。今日から会合に参加することになった」

「息子はすでに暗部として里の内部に身を置いている。……我々の情報が漏れるのではないかと危惧している者がいることも理解している」

 

 一体九歳の子どもの何を恐れてるんだと言いたい。

 俺はまだぴちぴちで人畜無害なうちはスバル君だぞ! ダンゾウには逆らえないので実はスパイ目的でここにいるけど怖くないよ。誓って無害だよ。

 

「しかし、息子は紛れもなくうちは側の人間であると保証する――これは父親としてではなく、オレ自身の言葉として皆には受け止めてもらいたい」

「…………」

 

 これ実は俺への精神攻撃だったりする? 滅茶苦茶刺さってるんだけど。父さんへの後ろめたさで心が痛……くはないな。無傷だったわ。

 

 父さんが深く頭を下げると、さっきまで俺に敵意を向けていた人たちの中に動揺が走った。

 父親にここまでされて息子である俺がそのままでいるわけにもいかない。きちんと姿勢を正して、頭を下げる。

 微かに残っていた敵意が薄らいでいくのを感じた。

 

「それでは、会合を始める」

 

 ヤシロさんの厳格な声に耳を傾ける。会合での議題はやはり、木ノ葉上層部によるうちは差別を何とかしようぜ! だった。

 

 俺が死ぬほど頑張ってダンゾウの隙をついて殺すでもしないと無理だと思うなあ。死ぬほど頑張っても殺せそうにないのがダンゾウなんだけど。

 

 九尾襲撃事件後にうちは一族が里の端っこに追いやられたのだって、言い出しっぺはダンゾウだったはずだ。三代目の意見のみが通っていたなら、きっとこうはなっていない。

 

 ……待てよ。ここで父さんたちが里に反旗を翻したとして、大戦と九尾襲撃による傷がまだまだ癒えてない木ノ葉にとって大打撃なのは間違いない。

 木ノ葉が傾けば、隣国は迷わず攻め込んでくるだろう。誰だって甘い蜜は吸いたいものだ。

 

 そもそもうちはがここまで追い詰められたのは誰のせい? ダンゾウですね。アイツが全部悪いじゃん。何これ。

 辛うじて父さん達は今すぐ木ノ葉をぶっ潰すぞ! とまではなっていないみたいだが、時間の問題な気がする。

 

「スバル。暗部であるお前から見て、三代目や側近のダンゾウ、相談役の二人はどうだ?」

 

 急に父さんから話を振られてびくりと肩が震える。びっくりした。少なくとも今日は話を聞き流してるだけで済むと思ってたから油断してた。下っ端に意見を求めないでくれよ。

 

 指文字で返答するにはそこそこ長くなりそうで億劫に思っていたら、隣に座っていた人から紙と筆を手渡された。えっ、これに書いていいの?

 

 紙を受け取ってから真っ先に《ありがとう》と書くと、その人はちょっと意外そうな顔をしたが、すぐに嬉しそうにニカッと笑う。

 よく見れば俺と同じか少し下くらいの年頃の少年だった。

 

《相談役の二人とは直接話したことはない。三代目は良くも悪くも慎重で、白黒をつけずにグレーにするような人だ》

 

 下座から部屋の中央に移動して、紙にすらすらと文字を書いていく。

 父さんたちが興味深そうに覗き込んできてるんだけど、こんなに人に囲まれるの苦手だから正直やめていただきたい。暑苦しい。

 

 さてさて、ここからが本番だ。気を取り直してダンゾウの悪口大会を開催しようと、筆を持つ力にぐっと力を込める。

 

《ダンゾウ様は――》

 

「…………ッ!」

 

 手から滑り落ちた筆が、紙の上に墨をばら撒いて転がっていく。

 

「おい、どうした!?」

「スバル!?」

 

 その場に蹲って体を折り曲げて震え出した俺に、父さんとヤシロさんが焦ったように肩を掴んでくる。

 

 ポタポタと冷や汗が畳の上に落ちる。呼吸もできなくなるんじゃないかと思うくらいの激痛だった。

 

 痛みの出どころは分かってる。俺は右の脇腹を押さえながら、ひたすら浅い呼吸を繰り返した。

 まるで自分の身体の中で別の生き物が暴れ回っているかのよう。それは次第に弱まっていき、だんだんと頭に酸素が行き渡るようになってきた。

 額に浮かんでいた汗を腕で拭うと、ぼやけた視界の中で父さんが見たことのない表情でこちらを見ているのが分かった。

 

「スバル……お前…………」

「…………」

 

 ダンゾウの呪印が発動したらしい。

 

 本来、根の人間にはダンゾウや根に関することを外部に話せないように、舌にダンゾウの呪印が施されることになっている。

 

 なぜ舌なのかと言うと「死人に口なし」「口は禍の元」などという諺があるように人間というものは己の中にある何かを他の誰かに共有しようとする時、大概は口を使う。

 

 ダンゾウの呪印は口のみではなく、今回のような紙に文字を書く場合でも発動するが、こういった“呪い”は形式がとくに大事らしい。舌とその他の場所に同じ呪印を施すのとでは、ずいぶん効力に差が出るのだとか。

 

 俺の場合は舌ではなく右の脇腹の辺りにダンゾウの呪印がある。元々喋れないから舌よりもそっちの方が縛りやすいって理由らしい。

 初期の反抗的な態度が悪かったのか、情報漏洩阻止目的以外にも、ダンゾウへの強い敵対心を抱いただけで呪印が発動したりする。

 

 ほら、前にキノエさんに「家族のことは忘れろ」って言われた日もそうだった。あの時は相当強い憎しみを抱いてたからなあ。

 

「……今日の会合はここまでとする」

 

 父さんは一族の集まりよりも俺の体調を考慮してくれたようだ。

 

 なんだか申し訳ない。まさかダンゾウの悪口を紙いっぱいに書き連ねようとした代償がここまで重いとは思わなかった。

 てっきり、以前のように脇腹の辺りがびりびりと軽く痺れる程度だとばかり。……ダンゾウ、俺の呪印だけ強めにしてるとかじゃないよな?

 

「……あの!」

 

 父さんの肩を借りながら部屋を出ようとしたら、先ほど俺に紙と筆を貸してくれた少年が慌てて立ち上がるのが見えた。

 

「これ、使ってください」

 

 それは綺麗にたたまれた手拭いだった。お礼を伝える気力もなかった俺の代わりに、父さんが少年の手のひらから受け取る。

 

「すまないな……シスイ」

「いえ」

 

 少年はにこりと笑って、未だに冷や汗をたっぷり掻いている俺に向かってひらりと手を振った。

 弱ってる時は他人の優しさが身に染みる。シスイ君、この御恩は一生忘れないからね。

 

 

 

 南賀ノ神社から帰ってきてすぐに気絶するように寝て起きたら、隣でイタチがすうすうと眠っていた。

 疲労が一瞬で飛んでいった気がする。イタチパワーすごい。

 

 ゆっくりと伸ばした手のひらでイタチに触れる。うわ、頬がびっくりするくらいぷにぷにだ。俺がイタチくらいの年頃の時ってこんなに柔らかくなかった気がするのに。

 

「……兄さん?」

 

 ぼんやりと開いた瞳と目が合った。やべ、つい触りすぎて起こしちゃった。

 イタチはゴシゴシと手の甲で目元を擦りながら身体を起こす。被っていた薄い毛布がはらりと落ちた。

 

「え?」

 

 イタチの指が俺の目元で何かを拭うような動作をする。

 

「スバル兄さん……どうして――泣いてるの?」

 

 泣いてる? 俺が?

 

 むしろ今にも泣き出しそうなのはイタチの方だった。鼻を赤くさせて、顔の中心にぎゅうっと力が入っている。

 

「父さんと何かあった?」

「…………」

 

 目を覆っていた薄い膜が破れる感覚がしたと思ったら、ぽろっとこぼれた滴が頬を濡らしていた。これには流石に驚いて、イタチの指に被せるようにして自分の顔に触れる。

 ……どうやら、本当に泣いているのは俺の方だったらしい。

 

 嘘だろ。弟の前で泣くなんて格好悪い。今まで一度もイタチに見られたことなんてなかったのに。

 

 イタチは唇を噛みしめて、勢いよく俺に抱きついてきた。動揺しまくっていた俺の思考が完全に停止する。

 イタチと俺、どちらのものか分からない心臓の音がとくんとくんと一定のリズムで鳴っていて、全身に血が巡っていく。ホッと息をついた。

 

「大丈夫、大丈夫だよ兄さん。オレがずっとここにいる」

「…………」

 

 昔から、イタチは俺にとって“魔法”だった。ただそこにいてくれるだけで心が安らぎ、その言葉はいつだって俺を救ってくれる。

 

 落ち着いてきていたはずの涙腺がまたゆるっと緩む。もうダンゾウの呪印による痛みもないはずなのに、痛くて痛くてしょうがない。

 呪印による痛みなんてただのきっかけにすぎない。俺はただ……ずっと辛かった。根に入ってダンゾウの元で任務をこなし始めてから、何もかも。

 

 だけど、もうこれ以上弟の前で醜態を晒すわけにはいかない。涙が溢れないように極力目元に力が入らないように気をつけながら、ずずっと鼻を啜る。

 くそう、いかにも泣いてます! と主張してくる鼻を啜る音すら恥ずかしい。

 

 もう大丈夫。これ以上は余計に泣きそうだからちょっと……。

 ありがたさ半分気恥ずかしさ半分で、俺に抱きついていたイタチを引き剥がそうとしたら、倍以上の力で反抗された。なんで!?

 

「今くらいはオレの好きなようにさせてよ」

「…………」

 

 イタチの好きなようにって、俺の情けない泣き顔を満足いくまで眺めることなの? なんの拷問?

 

 もうこれだけじっくり見られちゃってたら今更か。俺は諦めてぐったりと全身の力を抜いた。

 この勝負、お兄ちゃんの負けです。好きなようにしてください。五体投地。

 

 イタチは満足げに俺に擦り寄ってきて、ぴたりとさらにくっついてきた。もうどうにでもな〜れ。

 

 

 

 ***

 

 

 

 スバル兄さんが家を出てから何年経っただろう。あれから兄さんは一度も実家に顔を出すことなく、手紙をくれることもなかった。

 両親から「お前が出せばいけるはずだ」「あなただけが頼りなの、イタチ!」と謎の後押しを受けたオレが書いた手紙にも勿論返事は来ていない。

 

 “便りの無いのは良い便り”という言葉があるように、きっと兄さんは一人前の忍として忙しくも充実した日々を送っているのだろう。

 そんな物分かりのいい弟のような考えもあれば、手紙の一つくらい送ってくれたっていいのになんて自分勝手な考えも出てきたりする。

 

 兄さんはサスケが生まれたことや九尾によって以前住んでいた集落が跡形もなく破壊されてしまったことも知っているはずだ。

 

 オレの知る兄さんは大切な修行を中断してでもオレとの時間を優先してくれて、後で自分の睡眠時間を削ってきちんとノルマをこなすような真面目で優しい人だ。

 だから、そんな兄さんがここまで一度も家に帰ってこないなんて予想すらしていなかった。

 

 体を壊しているんじゃないだろうか。そんな心配も顔を出してくるし、毎日気が気じゃない。

 それ以上に、兄さんがオレたち家族のことをもうどうでもいいと思ってるんじゃないか、なんて想像をしてしまった日は辛かった。

 

 それでも時間は流れていき、ついにアカデミーに入学できる年になった。これでやっと一つスバル兄さんに近づける。

 

 その日は父さんも母さんも手が空いてなくて、久しぶりにたった一人で手裏剣術の修行をしていた。

 距離は近いとはいえ以前は難しかった位置にある的に突き刺さっている手裏剣を引き抜く。今日はこの辺にしておこう。

 

 家に帰る前にうちはの商店街に寄ると「サスケくんは元気かい?」「余り物だけど持っていきなさい」と次々に声をかけられて両手は貰い物でいっぱいになってしまった。

 これは母さんが幸せな悲鳴をあげるだろうなと苦笑する。

 

 自宅近くまで戻って来たところで、オレは玄関の前に誰かが立っていることに気づいた。

 こちらに背を向けているその人はうちはの家紋が入った服を着ていない。集落の外から来た人だろう。

 排他的で人を寄せ付けない雰囲気のあるこの場所にうちは一族以外の人が訪ねてくるのはとても珍しい。

 

「どちら様ですか」

 

 声をかけると僅かにその人の肩が震えた。その反応を怪訝に思いつつ言葉を続ける。

 

「両親は出掛けているので、何か伝言があれば……」

 

 その人がゆっくりとこちらを振り返る。後ろで一つ結びにしている髪が揺れて、あっと思った時には懐かしい瞳に見つめられていた。

 

 スバル兄さん。

 

 ずっと会いたかった兄がそこにいた。記憶にあるよりも髪が伸びていているし、身長はいうまでもない。

 顔つきも少し変わったかもしれない。オレを見つめる瞳の温度だけは以前のままで、胸の奥がじんっと熱くなった。

 

 スバル兄さんが肩に掛けていた鞄が地面に落ちる。その時点で「兄さんがオレたちのことをどうでもいいと思ってる」なんていうオレの想像は想像でしかなかったんだと気づいた。

 だって、その後すぐにオレのことを全力で抱きしめてくれたんだから。

 

 オレを抱きしめている兄さんは力の調節が上手くいっていないのか少し痛かったけれど、まったく気にならない。それ以上に嬉しかった。

 兄さんが目の前にいて、言葉にしなくても全身でオレのことが大切だと教えてくれている。こんなに幸せなことはない。

 

「…………やっと」

 

 喉の奥で何かがつっかえて息がしづらい。

 

「やっと、帰ってきてくれた……」

 

 一族の人には「イタチくんは随分と大人びてるのねえ」なんて言われてしまうオレが、この人の前でだけはどうしようもないくらい()()()になってしまう。

 

「おかえりなさい、スバル兄さん……!!」

 

 兄さんはオレの頬を濡らしていた涙を拭うと、昔のようにオレを抱き上げたまま家に入ろうとする。

 しかし、疲労のせいか途中で足がもつれてオレごと玄関に転んだ。兄さんが全力で庇ってくれたようで怪我はない。

 

「す、スバル兄さん!?」

「…………」

 

 むくりと起き上がった兄さんが再び玄関と一体化する。オレはサーッと顔を青くさせた。

 

「こっ……木ノ葉病院!!」

 

 今すぐにでも走り出そうとするオレの腕を掴んだ兄さんが首を横に振る。ああ、またそうやって我慢して強がって!

 

「兄さんの大丈夫は大丈夫じゃないって知ってるんだからね。ほら、病院が嫌ならすぐに部屋に戻って、母さんが兄さんがいつ帰ってきてもいいようにって部屋を整えてくれてるから!」

「…………」

 

 身長と筋肉のせいか随分と重たいスバル兄さんをずるずると引きずりながら、何とか兄さんを布団の中に押し込むことに成功した。

 

 

 

 夕方になると出かけていた両親とサスケが家に帰ってきた。

 涙ぐむ母さんに抱きしめられたスバル兄さんがカチカチに固まっていたり(あれは動揺してる時の兄さんだ)、人見知りの激しいサスケが勝手知ったる我が家のように膝を占拠しているのを穏やかに見つめていたり、家族全員が初めて揃った時間はとても温かい。

 

 サスケがスバル兄さんに向かってにぱーっと笑うたびに兄さんは自分の胸を押さえて眉を寄せてしまう。

 どこか悪いんだろうか? さっき玄関で倒れたことといい、一度無理矢理にでも病院に連れて行った方がいいかもしれない。

 今だって涼しげな顔をしているけれど疲れているはずだ。

 

 

 スバル兄さんが一時的に実家で過ごすことになってから数日後。

 一族の会合に出席した兄さんが倒れたらしい。慌てて帰ってきた父さんはすぐに母さんを呼んで、オレはバタバタと兄さんの部屋を出たり入ったりする母さんの代わりに布団を敷いた。

 

 父さんに背負われて帰ってきたスバル兄さんの顔色は、びっくりするくらい悪かった。

 

「スバルがどうしてこんな……」

「説明は後だ。オレも戻らなければ」

「会合を途中で抜けてきたのね?」

「ああ。またすぐに帰ってくる」

 

 両親はぽんぽんと会話を続けて、部屋を出ようとした父さんは最後にスバル兄さんを見つめて……複雑な表情をしていた。

 

「スバル兄さん……」

 

 オレの声に反応した兄さんは布団に横になりながらこちらに手を伸ばしてくる。一瞬頬に触れた手のひらは冷たい。

 

《だいじょうぶ》

 

 指文字を綴った兄さんはそのまま眠ってしまった。

 

 

 

 スバル兄さんの額に浮かぶ汗を拭いたりしていたら、いつの間にか眠っていたらしい。

 頬に何かが触れたような気がして目を開けると、兄さんと目が合った。

 

 兄さんはどこか申し訳なさそうな表情をしたと思ったら、次の瞬間にはつうっとその頬を何かが伝っていく。兄さんの表情には一切変化がない。

 

「スバル兄さん……どうして――泣いてるの?」

 

 まるで自分が泣いているような……上手く言えないけれど、急に胸が苦しくなってぎゅっと唇を噛む。

 

 スバル兄さんは言われて初めて自分が泣いていることに気づいたらしい。自分の頬に触れて驚いたように目を見開いた。その拍子にまた一つ二つと大きな雫がこぼれ落ちていく。

 

 見ていて痛々しかった。兄さんは自分の痛みにあまりに鈍感すぎる。

 

 スバル兄さんは泣いている顔をオレに見せたくないのか顔を逸らそうとしたので、代わりにぎゅうっと抱きしめた。

 兄さんの身体がぎくりと強張ったのが分かる。暫くすれば肩に入った力も抜けていき、遠慮がちにオレの肩に頭を寄せてきた。

 自分の兄に向ける感情としては正しくない気もするけど、こういう時の兄さんはちょっと可愛いと思う。

 

 ……オレが兄さんを守れたらいいのに。

 

「大丈夫だよ」

 

 また時間が経った頃に思い出したように抵抗されたが「たまにはオレの好きにさせてよ」と言えば大人しくなった。諦めてくれたらしい。

 そっと顔を窺うとなんだか不貞腐れているようにも見える。もう一度さっきよりもスバル兄さんに密着して頬を胸に当てる。

 

「あのね、スバル兄さん。これから少しでもいいから……こうやってオレに弱いところも見せてくれたら嬉しいな」

「…………」

 

 返事の代わりに頭を撫でられた。これは適当に誤魔化そうとしている時のスバル兄さんの癖だ。

 

 オレはむうっと頬を膨らませる。しかし待ってましたと言わんばかりに飛んできたスバル兄さんの指によって頬の風船は破られてしまった。

 

「…………」

 

 昔からスバル兄さんはオレの膨らんだ頬を指で潰すのが好きだった。オレはまったく楽しくないのに。

 

「もういいよ。オレがちゃんと兄さんを見ていればいいだけだから」

 

 一緒に過ごすたびに兄さんの新しい一面を知っていける。

 スバル兄さんに笑みを向けると、今度は誤魔化しでも何でもなく、いつものように優しく頭を撫でてくれた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 会合があった翌日。すっかり元通りの元気を取り戻した俺は、サスケを抱っこしながら、うちはの商店街を歩いていた。

 やはり多方向から視線を感じるが、今日はなんだかいつもと雰囲気が違う。なんだろう。

 

「とーふ!」

 

 簡単な単語の意味ならしっかりと理解しているらしいサスケ。

 でも「とーふ!」と連呼しながら俺の頬をブスブスと指でブッ刺してくるのはちょっと違うかな。俺のほっぺは豆腐じゃありません。

 

 商店街の角にある豆腐屋に顔を出す。あのお婆さんは健在だった。

 ちらりとこちらを見たかと思うと、ガタンッと座っていた椅子から立ち上がった。ヒェッ。

 

「あ、ああ……いらっしゃい。よく来たね」

 

 耳を疑った。俺がここに来れば必ず盛大な舌打ちと共に出迎えてくれていたお婆さん。……幻術か?

 

 俺が写輪眼を発動するよりも早く、お婆さんが俺の手に豆腐の入った袋を握らせて「お代はいらないよ」と言った。

 いやいや。本当にどうしちゃったのさ。いつもならここで見送り代わりにもう一度舌打ちが飛んできてるところだろ?

 

「ばあば!」

 

 サスケが婆さんをビシッと指差す。あってる、あってるけど。サスケの満面の笑みに婆さんが怯んだ。いや、まだ光タイプに弱いのかよ。

 

「すまないねぇ……こんなに小さいのに、しっかりと里のために働いて……それをワシ達は、」

「…………」

 

 心からの言葉に聞こえた。

 

 でも、それを心の底から欲しがっていた子どもは、もういない。

 

 無性にやるせなかった。豆腐屋の婆さんがどうして急に俺に懺悔しようと思ったのかは分からないが、何もかもが遅すぎる。

 

 俺はポケットから豆腐代を取り出して、無理やり婆さんの手に握らせた。

 何が腹立つって、俺には今も昔もこの人に向けるべき感情なんて一つもないってことだ。それを今更こんな形で掘り返されることになろうとは。

 

「また来ておくれ」

 

 確かなことは、心の奥底ではもう一度ここに来たいと思ってることだった。

 

 

 

 サスケとのデートを終えて帰宅していた俺は、自覚があるくらい険しい表情で手元を睨みつけていた。

 

【中忍昇格試験を受けてきなさい】

 

 手に持っていた巻物を床に落とした。巻物は俺が読んだことを確認するや否や、するすると床に溶けるようにして消えていく。証拠隠滅に抜かりがない。

 

 代償が高くついたな。休暇延長申請を出して、漸く返事が来たと思ったら。

 

 今期の中忍試験が、ちょうどイタチのアカデミー入学前に行われるらしい。

 ダンゾウからの返事は「一ヶ月も悠々と休めると思うなよ。せめて中忍試験の一つでも受かってこい」だった。

 実際はこんな言い方じゃなくて、もっとこう……じわじわと追い詰めてくるような嫌な言い回しが使われてる。思い出したくもないよ。

 

 どうせ中忍試験は受けなくちゃいけなかったし、それでイタチの入学式に参列できるなら安いもんだ。……もし中忍になれなかったらどうなるんだろう。やっぱり入学式参加は取り消し? 断固阻止!

 

「すば、に?」

 

 来客用の部屋(帰省してる間は俺の部屋)で拳を握りしめていると、半分開いた障子の隙間から天使が顔を出していた。

 その声は、我が弟、サスケェではないか!?

 

 その場に膝をついて両手を広げると、天使がぱあっと破顔する。さ、サスケェッ! お前は俺にとってふたつ目の光だ! 愛してる!!

 

「すばにぃ!」

 

 ぽすんっと俺の腕の中に飛び込んできた天使がキラキラと目を輝かせながら見上げてくる。

 待って、すばにぃって、まさか、スバル兄さんってこと? 俺の名前を呼んでくれたの……?

 

 幸せメーターがカンストしかけた瞬間、俺の膝にお座りしていたサスケが真顔になった。

 唇を結んだまま、俺ではないどこか遠くを見ている。悟りを開いたかのような表情だ。

 

 その直後に、部屋中に芳しい香りが充満する。うん、そうだろうと思った。たくさん出したんだなサスケェ……。

 弟のオムツを替えるのは兄にとってご褒美である。これ、この世の理な。

 

 古いオムツを捨てて、汚れたお尻を綺麗に拭いてやると擽ったいのかキャッキャッと笑うサスケ。

 

 お前は本当にイタチにそっくりだなあ。将来は間違いなく美人になるぞ。男にしておくのが勿体無いくらいだ。

 ……いや、お兄ちゃんは弟だろうと妹だろうと、お前を愛する気持ちに変わりはないけどな! それだけは忘れないでくれ。

 

 よし、オムツも新しいのにしたし完璧だ。久しぶりの作業だったけど忘れてなくて良かった。

 

「にぃ、めっ」

 

 なんかよく分かんないけど叱られた。ごめんなさい。

 

 とりあえずサスケを抱き上げて部屋を出る。サスケは俺の肩をぺちぺち叩きながら「めっ、めっ」を繰り返していた。

 それは俺の存在がダメってことかい? サスケ君よ……。

 

「スバル兄さん! サスケ!」

 

 ちょうど父さんとの忍術の練習から帰ってきたイタチと縁側で鉢合わせになった。

 俺からサスケを受け取ったイタチが「あれ?」とサスケを目線の高さまで持ち上げて首を傾げる。

 そんなイタチの後ろから父さんがこちらにやってくるところだった。

 

「もしかして、スバル兄さんがサスケのオムツを替えたの?」

 

 えっ、よく分かったな。戸惑いつつ、こくりと頷く。もしかして、うちは流オムツ装着の術でもあった?

 

「スバルはイタチのオムツも替えたことがあるからな」

 

 父さんの言葉にイタチの顔が真っ赤になった。

 

 全てを察してしまって申し訳ない気持ちになる。ああ、俺がオムツを替えられないと思ってたのかイタチは。まさか自分のオムツを替えてもらってたなんて思わないよな。

 

「スバル兄さんが……オレの…………」

 

 ごめんな、イタチ。そんなことわざわざ言われたら誰だって恥ずかしいよなあ。

 

「ウッ!!」

 

 俺はすれ違うついでに父さんの足をさり気なく踏んでいった。これでおあいこってことで頼む!

 

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