白峰響は有名人である。
在籍する大学では知らぬ者のいない高嶺の花と言っていい。
容姿端麗、才色兼備、彼女を見れば花が羞じらい月は雲に身を隠す……と言うと
ともあれその恵まれたビジュアルは言うに及ばず、在籍する学部の中でも上から数えたほうが早いほど成績も優秀で、教授からの受けもいい。
それでいて恵まれたスペックを鼻にかけず、誰とでも気さくに声を交わし、時に親身になって相談に乗ることもある。その王子様っぷりからむしろ男子よりも女子からの人気が高い。
芸能人でも何でもない一大学生の身分で彼女のファンを自称する者が山といると知ればその人気が伺えるだろう。
それでいて本人は世間からも注目される三ツ星冒険者という肩書きを持ちながらストイックに上を目指しており、周囲にナンパな男を一切寄せ付けない。加えて強豪で知られる冒険者部とは距離を置いている辺りにミステリアスさを感じるファンも多数。
安心して推せる、とは彼女の非公式ファンクラブ会長の言葉である。
「先輩ならいわゆるアイドル冒険者としても十分やっていけそうですね」
「なんだい、突然。私がどうかしたかな? 守善君」
「いえ、ふとそう思っただけです。お気になさらず」
そんな高嶺の花に纏わりつく悪い虫こと堂島守善は周囲から無数に突き刺さる嫉妬の視線を見てそう思った。
白峰響の注目度が高いほど、彼女の周りに突然現れた異分子を周囲が見咎めるのは当然だった。ましてやその異分子が周囲と全く馴染む気配のない、コミュ力を捨て去って別の
「ああ……。すまない、悪目立ちしてしまったかな」
「いえ、別にどうでも」
自身の人気を自覚している響は少し申し訳無さそうだったが、守善は言葉通り気にした様子を見せずにあっさりと答えた。周囲との協調性が皆無なタイプなのだ。この大学に友人と言える人間は一人もいないし作ろうともしていないくらいには。
「とはいえ、もう半分の視線が見ているのは君だよ」
「でしょうね。先輩に纏わりつく悪い虫ですから」
「いや、そういうことじゃない」
「?」
心当たりのない守善は首を傾げた。
「
「ああ、普通ダンジョン攻略は日を跨いで余裕をもたせてやるものでしたか」
ダンジョンの空気は一種独特だ。
Dランクカードが一枚あればFランク迷宮のモンスターなど敵ではないとはいえ、油断をすれば命を失うことには変わりがない。そうした非日常の殺伐とした空気に慣れないエンジョイ勢や初心者は一度ダンジョンに潜れば数日間は時間を空ける。誰に言われずとも本能が精神的な休息を求めるのだ。
「その通り。本当なら君もそう指導するべきかと最初は思ったが……」
「無意味に時間を空けるのは時間の浪費なので。無駄な心配です」
狷介で強気な言い草。普通ならダンジョンを甘く見るなと叱咤するところだが、あいにくと堂島守善は普通ではなかった。
「
「ありがたい。やはり先輩はやりやすくて助かります」
メンターとして同行し、危うい時はフォローできるからとはいえ自身の無茶を聞き入れた響の懐の深さに頭を下げる。これで必要な時には頭を下げるという社会性の欠片くらいは持ち合わせているのだ。
「ですがこれで約束した通り……」
「分かっているよ。君の攻略の手際は十分確かめた。君の要望がない限り私がメンターとして同行するのは昨日の攻略が最後だ」
「ありがたい。先輩の時間を奪う気はありませんが、かといって俺にばかり付き合ってもらうわけにもいかないので」
三ツ星冒険者であり、大学内でも付き合いの広い響はかなり多忙だ。多忙な響に合わせて迷宮の攻略をこなしていては守善が満足する密度の迷宮攻略にならない。それを危惧した守善は早々にメンター制度からの脱却を目指し、そして成功した。
この一週間はかなり響に無理をさせたスケジュールだったが、今後はフリーに動けるだろう。それは響にとっても大きなメリットだ。
もちろんメンター制度から脱却したからとそれで縁切りという訳ではない。これからも守善は響に指導を仰ぐだろうし、響もそれに応えるだろう。ただ常にメンターが迷宮攻略に同行する初心者期間は脱したというだけだ。
「初心者とは思えない手際をあれだけ見せつけられればね。私としても正直手間がかからないのは助かる」
この一週間で踏破した五つのFランク迷宮、その全てで守善はミスを犯さなかった。正確にはミスを犯してもフォロー可能な体制を整えてから攻略した。それを響が評価した形だ。
「初心者が迷宮を連続攻略、加えてメンター制度から最速で卒業。どちらも冒険者なら一目置くに十分な実績だ。少なくとも注目に値する」
初心者が一週間でメンター制度から脱却した。しかも三ツ星冒険者によるお墨付き。これもまた前例がない。
響からの称賛の色を込めた説明にそういうことかと頷く。
「君に向けられる視線の半分は私に関心がある野次馬のもの。だがもう半分は新進気鋭の新人冒険者を警戒する、この大学の冒険者達というわけさ」
「なるほど……」
これまで一切頓着してなかった周囲から向けられる視線の質の違い。なんとはなしに感じていた違和感が、響の説明を受けて腑に落ちる。
見れば感じるのは好奇心だけではない。どこか目に剣呑な光を宿した物騒な雰囲気の男たちもいる。冒険者部あるいは冒険者サークルの構成員達だろう。
「いまこの大学の冒険者界隈では君に注目が集まっている。結構血の気が荒い人も多いから周囲に気を付けたほうがいい。……実力のない人ほど初心者や非冒険者に向けて態度が大きいのは何故なんだろうね? 不思議なほどそういう人たちをよく見るんだ」
「日々命懸け(笑)の冒険を繰り広げて気が大きくなっているんでしょう。武勇伝には事欠かなさそうだ」
「別段冒険者だから偉いという訳じゃないんだけどね。地上ではマナーを弁えて普通に過ごすだけのことがどうして出来ないのやら」
心底辟易した声音で愚痴を漏らす響。聞けば飲み会の席で酒の飲み方に失敗するレベルで頻繁に見るらしい。
なるほど、それはうんざりするなと守善も胸の内で同意した。痛々しくてとても見ていられない。
「巻き込まれるのも馬鹿らしいからね。身の回りには気を付けて過ごすように」
「ご忠告どうも。精々身を低くしてやり過ごすことにしますよ」
ちょっとした忠告に肩をすくめて守善は返答した。本音だった。響が言った通り、おかしな輩に巻き込まれるのはあまりに馬鹿らしい。
このやり取りを最後に響とは別れ、それから十数分後。
何故か守善は冒険者部の一年生、
◇◆◇◆◇◆◇
堂島守善は大学生である。
なのでいつもいつも冒険者として迷宮攻略にばかりかまけていられない。
授業の単位が得られなければ卒業はできず、卒業出来なければ落伍者となる。そして日本の社会は落伍者にとても厳しい。ゆえに守善といえども、ある程度、授業には出席をしておかなければならない。
なので響と別れた後、卒業に必須である授業へ出席していた。なお周囲には友達や知り合いもなく、ポツンと単独で座っていたが、それを特に問題に思うこともない。
根本的なところでパーソナルスペースが広い。つまり他人を信用しない人間なのである。友情というあやふやな繋がりよりも利益で繋がる関係こそ信頼できると見做すタイプだ。
「それでこの間、冒険者部の先輩方が僕たち一年生を連れてプライベートダンジョンのDランク階層まで連れて行ってくれたのさ」
「…………」
だからこそ今この状況はとても不本意であった。
守善の隣に同席を許した覚えもない冒険者部の一年生。守善とちょっとした因縁のある
以前に守善が冒険者部への入部を希望した場所で、同じ一年生でありながら上から目線で暴言を投げつけてきた男である。
身も蓋もなく言えば守善の心の閻魔帳に名前が記された、口の周りだけはいいカッコつけ男だ。
「あれは凄かった。Dランクカードと言えば、僕たち新入生の主力だ。それと同等のモンスターが湯水のように湧き出てくるのに先輩たちは出現早々に雑草を刈るみたいになぎ払っていくんだ」
「…………」
ひたすらに無言で返す守善を気に留めた様子もなく喋り続けている。
「僕よりも一、二年程度年上なだけだととても思えなかったよ。強烈に憧れた。僕も先輩たちから指導を受けて迷宮でカードの扱いを磨く。そして先輩たちのように活躍するんだ」
「そうか、頑張れ」
憧れというよりも自身に都合のいい妄想を滔々と語るキャリアだけは長い一ツ星冒険者。ついさっき響から聞いた初心者や非冒険者にマウントを取りに行く、威勢だけは達者な冒険者そのものだ。
フラグってあるもんだな、と守善は感心した。
一応は単位取得に向けて真面目に授業を聞いている守善よりも軽薄で薄っぺらい態度としか言いようがない。面倒臭さが極まった守善は心の全く籠もっていない適当な相槌を打ち、講義に集中することにした。
「まずは二つ星冒険者が目標かな。やはりここが冒険者部の新入生の中でも、エリートと落ちこぼれを開ける一つの壁らしい。もちろん僕はエリートになるけどね」
その後も籠付は自分は冒険者部のエリート様であり、それを許されなかった有象無象とは違うのだと自慢気にしていた。かなりナチュラルが見下しが入った言葉で、牽制するかのように二ツ星冒険者昇格への意気込みを語っている。しかし根拠のない優越感に浸った言葉は空気よりもスカスカだ。
しかも教授による講義もお構いなしに私語を大声で語っている。周囲からも迷惑そうな目を向けられていた。
(そもそも先輩の指導だけをアテにしている時点で箸にも棒にもかからん有象無象だろうが。やれることを全て済ませてから指導を仰げ)
と、自身の努力だけで初心者脱却を叶えた守銭奴が心の内で呟く。
(お、早速重要そうなところが……。メモメモと)
なおも隣で喋り散らしている男を無視して講義の内容をカリカリとノートにペンで書きつける。
どう考えても籠付の自慰が入った自慢話に耳を傾けるよりも、講義を真面目に受けた方がよほど有益だ。
不幸なことに、守善とこの男は同じ学部らしく、つまり今後も同じ授業に出席するらしい。似たようなことが続くようなら対策が必要だなと心のメモ帳に記しておいた。
「そういえば、君はまだ冒険者を始めたばかりなんだっけ? Fランク迷宮も頑張って攻略しているみたいだけどその程度で調子に乗っているようじゃあ、ねえ?」
「……?」
と、自身も一ツ星冒険者の身で意味のわからないマウントを取りに来る籠付。
あまりにも自信満々な顔で意味不明な妄言を垂れ流す籠付に、一瞬だけ自分の耳の不調を疑う守善。明らかに間違っていることを堂々と主張されると、自分の方が間違っているのではないかと一瞬自信が無くなるアレだ。
「悪いこと言わないからこれ以上調子に乗るのは止めておいた方がいい。迷宮のモンスターの恐ろしさには、僕でさえ一瞬心底から震え上がってしまったんだ。君のような凡人にはとても耐え切れないだろう。ましてや見るからに貧乏な身の上の君ではね。カード一枚が割れただけで即破産だろう。
忠告するよ、君は冒険者向いていない」
その事実に気付いているのかいないのか。どこまでも上から目線で守善を見下す男。
傍から見れば滑稽極まりない道化芝居なのだろうが、それに付き合わされる守善としてはそろそろ飽きてきたというのが本音だ。正直に言えば最早相手をしていることすら阿呆らしい。
守善は無言で講義に向き直った。
そしてその瞬間にキンコンカンコンと講義の終わりを告げるチャイムの音が響く。
「よし、今日はこれでおしまい。次回は、さっき話したページまで予習を進めておくこと。以上、解散」
講義の終わりを告げた教授の締めの言葉に従って、教室に座っていた生徒たちが三々五々に別れていく。
守善もその流れに乗り、隣の籠付に目もくれることもなく立ち去ろうとした。
「な……、待ちなよ。話を聞いてたのか? 折角僕が忠告してあげたって言うのにさぁ!」
「…………」
「待て! 僕の話を聞けって――――」
これ以上籠付に構うことなく手早くノートと筆記用具を片付けると無言で去っていこうとする守善。籠付はその肩に手をかけて無理やり振り向かせようとした。その瞬間にパシンと無造作な手付きで籠付の手を叩く。ゴミを払うような仕草だった。
「触るな。喋るな。無能が移る。一ツ星の底辺が野望を語るのは自由だが、話を聞かせたいなら実績を作ってから出直して来い」
強烈な罵倒だった。それも害虫を見るかのような冷たい視線のおまけ付きだ。
これまで無反応だった守善の反抗(?)に籠付は予想外だと言わんばかりに驚いていた。驚きはやがて怒りと攻撃性に変わり、エリートに逆らった底辺へと向けられる。
「お前……底辺の分際でよくもこの僕に!」
「同じ一ツ星の底辺に分際もなにもあるか。尤も俺は底辺のままでいるつもりはないがね、
才能のある冒険者は割とすぐに二ツ星に上がる傾向にある。キャリアの長い一ツ星など上に行くのを諦めたエンジョイ勢か能力のない無能だと自分で主張しているようなものだ。
その点を突いて痛烈な皮肉を叩きつけられた籠付は怒りで頭に血を上らせた。
「お前こそ調子に乗るな、白峰先輩に気に入られて下駄を履かされただけの初心者が! どうせお前なんか先輩から強いカードを借りただけの金魚のフンだろうが!」
「ああ、なるほど。だから強気に出ていたわけだ」
なお実態はわざわざ癖の強い不良品カードをレンタルした上で初攻略の迷宮ながら平均を大幅に超えたタイムを叩き出す初心者詐欺の守銭奴だ。
「どちらにせよ下らんね。俺を叩いて悦に入ったところでお前が二ツ星に昇格出来る訳でもないだろう。そんな暇があるなら迷宮の一つも攻略したらどうだ」
少なくとも迷宮を攻略すれば踏破報酬が出るし、二ツ星資格挑戦のための戦力調達の資金になるはずだ。
「大体二ツ星冒険者なぞ通過点だろうが。わざわざこだわるほどのものかよ」
「な……!? 素人が。二ツ星冒険者の昇格率を知らないのか!?」
ちなみに二ツ星冒険者の昇格率は約五十%。さらに落第した半分が二ツ星への昇格を諦めると言われている。
確かにかなり合格率の厳しい試験だが……。
「だからこそだ。才能のある半分はさっさと二ツ星に上がる。キャリアの長い一ツ星なぞ上に行く見込みのない穀潰しだろうが」
守善が言っていることもまた事実だ。
そして件のキャリアの長い一ツ星冒険者そのものである籠付を痛烈に罵倒する。真正面からはっきりと見下された経験がないのか、籠付は怒るよりむしろ呆気にとられているようだった。
「そもそもプロ冒険者がいるチームの構成員が二ツ星で満足していてどうする。そのザマじゃ卒業後の足切りでリストラを食らって放り出されるのがオチだな」
「お前、冒険者サークル如きがよくも……!」
この大学の冒険者部にはプロ冒険者が在籍していると言われているが、それは厳密には正しくない。当のプロ冒険者が在校生ではなく、大学のOBなのだ。冒険者部の関係者だが、冒険者部の所属ではない。
大学OBの現役プロ冒険者が作り上げた冒険者チームは別にある。その冒険者チームの下部組織が大学の冒険者部であり、言わば彼らは二軍なのだ。
プロ冒険者は頻繁に大学の部室に顔を出し、指導なども行い、共同で迷宮攻略を行っているらしい。だが卒業後に一軍のプロチームに迎え入れられるかは部員当人の力量次第と聞く。
少なくとも籠付にその見込みはないだろう。
「金魚のフンがよくもベラベラと! 僕を本気で怒らせたな!?」
「怒らせたからどうした? 迷宮で闇討ちでもする気か、アホらしい。すぐ足がついて警察の御用になるのがオチだろう」
迷宮では冒険者同士のトラブルを防ぐために何重にも安全策が講じられている。
万が一冒険者が別の冒険者をモンスターで襲ったとしても、その死に不審なところがあればすぐに調べがついてお縄だ。
だが売り言葉に買い言葉で籠付はついその一線を超えた。
「そうだと言ったらどうするよ? 僕が怖いか、負け犬の底辺がさぁ!?」
その瞬間。
「――――」
「いいのか?」
「ハッ、何がだよ! 今更になって怖気づいたんじゃ――――」
「お前が本気だと考えていいのかと聞いている」
その声音は平静だった。それが却って籠付の恐怖を煽った。
「冷静になって考えろ。気に食わないやつを殺すぞテメエ、と思うのは個人の自由だ。だが拳銃を持った奴に殺すぞテメエと言われれば、
本気だった。
少なくとも守善は冒険者になる上で、本気で冒険者同士の殺し合いになる状況を想定し、そうなった時の覚悟を決めている。籠付がイエスと答えたが最後、完全犯罪を目指して妥協なく動き出すだろう。
「もちろん俺はただの冗談だと思ってる。俺も言い過ぎた、悪かったよ。だがおかしな誤解はしたくないんだ。この際はっきりしておきたい」
冒険者として成り上がれば大金が動く。そして大金が動けば争いになる。金が絡めば人は簡単に一線を超える。平和な日本だからだと平和ボケ出来るような話ではないのだ。
「殺し合いか、冗談かの二つに一つだ。
返答や如何に。
殺気の籠もった問いかけに、籠付は喉のあたりを引き攣らせながら答えた。
「バ――――バカじゃないの!? こんなチャチな口喧嘩で本気になるとかダッセぇわ!」
「そうか、冗談ならいいんだ。悪かったな」
冷や汗を垂らして強がる籠付と冷静な様子の守善。どちらが勝者かは傍目にも明らかだった。
守善はこれで話は終わりだとばかりに無防備な背を見せ、軽い足取りで立ち去っていく。
「それじゃあな。
「テメェッ……!」
一見爽やかな別れの台詞だが、これまでの話を踏まえれば中々皮肉が効いている。
去っていく守善の背を見つめる籠付の視線は憎々しげに歪んでいた。