白峰響との出会いから数日後。
守善はギルドで冒険者登録を済ませると 通学する大学に比較的近いF ランク迷宮へ赴いていた。
実は大学の構内にもダンジョンは存在する。冒険者部が管理するCランクのプライベートダンジョンだ。通常一般人の立ち入りが規制されるプライベートダンジョンだが、大学所属の冒険者に限り一部区画を除くEランク階層までは自由に攻略可能だったりする。
まず利便性の高いプライベートダンジョンを利用して冒険者のイロハを習う、そういうルートもあったが守善が拒否した。
守善の掲げる短期目標は二ツ星冒険者への昇級。
そのための条件はFランク迷宮十個の踏破である。プライベートダンジョンに挑んだところで腕は磨けても昇級には繋がらない。
響とも話し合い、利便性よりも F ランク迷宮の踏破という実績を求めて外部の迷宮を攻略することに決めたのだ。
大学の近辺にある F ランク迷宮を近い場所から十個攻略。それがとりあえずの目標である。
「ここが迷宮か」
「どうかな? 初めて入った迷宮の感想は」
周囲を見渡すと深い森の鬱蒼とした木立が立ち並ぶ。背後には黒く渦巻く奇妙な球体。これこそが迷宮の入り口であり出口。
守善達はつい先程この黒い球体を通って現実世界から迷宮へと
「特になにも。お化け屋敷も入り口に足を踏み入れた時点じゃ感想もなにもないでしょう」
「普通は結構驚くものだよ。なにせ外とは全く違う環境に放り出される訳だからね」
「まあ確かに。夕暮れのビル街から昼間の森の中へ突然の切り替わりは多少驚きましたが」
現実世界は日が暮れようかという夕方。だが守善達がいる迷宮は燦々と陽光に照らされ、深い森の奥に幾つも木漏れ日が出来ていた。まさに別世界に足を踏み入れたと言うべき環境の変化だ。
「ここはまだ安全地帯という認識で合ってますか?」
「そうだ。迷宮の出入り口となるゲートの前。そして各階層の階段前は安全地帯……モンスターの立ち入り不可区域だ。もちろん油断は禁物だけどね。なにせここは迷宮だ」
「了解。そのためにこんなゴツい装備まで整えたんだ。無駄にはしませんよもったいない」
言葉通り守善が身に纏う装備は迫力のあるミリタリー仕様だった。
冒険者ギルドで購入したボディアーマーとタクティカルベストを着込み、腰のベルトにはスタンロッドと強力なスリングショットを装備。さらにスリングショット用にうずらの卵サイズのパチンコ玉や役立つ小物を詰めたベルトポーチ。背中に背負ったミリタリーバッグには簡易の救急医療キットを始めとする攻略用の装備を詰めてあった。追加で保険として、回復用ポーションをいくつかリュックサックに詰めてある。
これだけで十数万円という消費だ。初期資金二百万円の一割弱を食いつぶしたことになる。
とにかく冒険者の始まりには初期投資がかかるということが嫌というほど理解できた。
「冒険者登録の時に貸したモンスターカードは持っているね」
「もちろん」
響が話を進め、守善も応じて懐からカードを一枚取り出した。
「Dランクモンスター、オーク。初心者が扱う分には手頃なところでしょう」
懐から取り出したカードに描かれているのは豚面が特徴の逞しい亜人型モンスター。
タフネスと膂力が売りで、弱点は鈍足と遠距離攻撃の手段を持たないこと。またあまり手先は器用ではない。不人気で比較的安い。
流れるようにモンスターの特徴を諳んじた守善に、響は感心した顔をした。
「流石。それじゃ早速召喚してくれ」
「分かりました」
召喚にあたり、特に難しいことはない。
自分の血を一滴カードに垂らしてマスター登録を行ったあと、モンスターを呼び出すことを強く念じるだけだ。
「来い、豚」
守善はベストのホルスターから取り出したカードを掲げ、短く呼びかけた。
「ブモオオオォォ……!」
カードが淡い光を放ち、唸るような咆哮とともに直立二足歩行する豚面の逞しい巨躯が虚空から現れる。
オークは出現するとすぐに何もない虚空から鉄の斧を取り出し、両手に構えてブンと力強くひと振り。武器の調子を確認するとそのまま黙って立ち尽くした。
まるでこちらの命令を待つように。
(聞いていたとおりだな。モンスターはマスターの奴隷ってわけだ)
モンスターカードは基本的にマスターの命令に服従する。そしてマスターを傷つけることはできない。
ただし例外もあり反逆系のマイナススキルを持つモンスターは命令に従わなかったり、もっと積極的に逆らうこともあるという。
ただカードがマスターに危害を加えることはできない。これはかなり確かな情報だ。
そして守善にとってひとまずそれだけわかっていれば十分だった。
「それじゃあ私も。来てくれ、オルマ」
響が呼び出すのはDランクモンスター、シルキー。
イングランドに伝わる家妖精の一種であり、屋敷に憑いて家事を行うと言われている。
その外見を一言で言えば、ロングの美しい銀髪を翻した瀟洒なメイドだ。
※シルキー・オルマのイメージAA
オークと比較すればビジュアルの差は一目瞭然。豚と真珠、美女と野獣だ。
「ほぉ……」
思わず感嘆のため息が漏れる。流石は女の子モンスター。人間の上澄みレベルの美女がデフォルトという反則的な顔面偏差値だ。
メイド喫茶で見るような色気優先のパチモノとは明らかに違う落ち着いた雰囲気のメイド服がよく似合っている。
顔とスタイルは女らしさを全面に押し出した極上モノ。折れてしまいそうなくらい細い腰なのにバストとヒップはたっぷりと育っている。肉の果実と言えばまさにこれを指すと言っても言い過ぎではないだろう。
優しげな顔立ちはマスターがどんな我が儘を言っても優しく受け入れてくれそうだ。加えてメイドという男心を強烈にくすぐるフェチズム。
売り払えば一体いくらになるだろうかとついソロバンを弾いてしまったのは守銭奴の性だろう。
(マスターが男なら絶対に手放さないだろうな)
単なる事実に基づく感想として、守善はそう思った。手元において愛人として寵愛するに違いない。
優雅で瀟洒なメイドそのもののくせにエロティックな魅力が尋常ではない。特に首元と両手首に嵌められた首輪・手枷はマスターへの隷属を無言で主張しているようで背徳的ですらあった。
「先輩はモンスターに名付けを?」
名付け。
それは所有するモンスターに固有の名前を与える事ができる迷宮のシステム。例えば響はシルキーをオルマと呼んだが、これがまさに名付けをされたモンスターだ。
通常モンスターは限界以上のダメージを与えられるとロストし、カードは失われる。だが名付けを行うことでロストしてもソウルカードが残され、同種族・同性のモンスターカードを使うことでそのままの人格・容姿をもつモンスターを復活させることが出来る。珍しいスキルを所持していたりチームとしての連携を覚え込ませたモンスターを復活出来るのは一見とても大きなメリットだ。
だが名付けをしたカードは初期化不可……他人が扱うことが出来なくなり、売買の対象から外れる。つまりは
カードの売買は冒険者にとって重要な収入の柱であり、軽々に名付けをする冒険者は冒険者失格とすら言われている。
守善にとっても自らカードの金銭的価値を損なうありえない行為、という認識だ。
「メインで使うカードにはほとんどね。迷宮では信頼できる仲間は何よりも貴重だから」
「お初にお目にかかります。お嬢様のメイド、オルマと申します」
「堂島守善だ。先輩の教え子ということになる。よろしく」
片足を斜め後ろの内側に引き、もう片方の足の膝を軽く曲げる。背筋は伸ばしたままスカートの両裾を持ち上げて優雅に一礼。気品すら漂うお手本のようなカーテシーに感心しながら軽く挨拶を交わす。
「ところで仲間、とはモンスターのことですか?」
「もちろんだ。彼らは誰よりも私と苦楽を共にする一番の仲間だ」
はっきり言って理解しがたい。その念を込めた問いにも堂々とそう返す響。守善にはその言葉を本当の意味で理解することはできない。ただ、本気で言っていることだけは分かった。
理解はできずとも、先達である三ツ星冒険者の言葉だ。ふむ、と一つ漏らして守銭奴は守銭奴なりに響の言葉を理解しようと務める。
「君は名付け反対派かい?」
難しい顔をして唸る守善へ響が問いかける。すると悩むのを止めた守善は疑問を浮かべながら率直に意見を述べた。
「反対というよりもモンスターを仲間と呼ぶ意味が分からない、が近いですね。モンスターはマスターの道具でしょう?」
「……なるほど。君はそういうタイプか」
「なにか問題でも?」
守善ほど割り切ってカードを道具扱いするマスターは珍しいが、実のところ似たような考え方のマスターは決して少なくない。マスターに絶対服従のモンスターという構図は両者が互いを対等の仲間と見做すには大きすぎる障害なのだ。
「いや、マスターとカードの関係性は他人が口出しすべきものじゃない。私は好まないが、君と同じ考えの冒険者も多いしね。そこは君の裁量に任せるさ。だが――」
しかしながら、迷宮に深く長く潜るプロ冒険者ほどカードに対して強い愛着と信頼を持つ。これもまた事実である。
故に「だが」の次に続く言葉こそ響が本当に言いたいことなのだろう。
「
「行き詰まらなければ考え直す必要もない。いまはそう捉えさせてもらいます」
真摯な声音での忠告も冒険者に成り立ての守善には遠い世界からのアドバイスだ。肩をすくめて軽く返すと、響もあっさりと頷いた。
「今はそれでいい。ただ、頭の片隅にでも置いて忘れないで欲しい」
何を言うかよりも誰が言うかの方が重要なことは世の中にままある。守善の考え方を変えるほどの信頼を響が得ているかと言えばもちろん否だ。
特にこの忠告は冒険者としての
【プライベートダンジョン】
私有地などに現れた迷宮のうち、プロなどに管理を任せるなどして一般の冒険者たちには公開しない迷宮のことをプライベートダンジョンと呼ぶ。
一般公開されている迷宮と比べアンゴルモアの可能性が高いプライベートダンジョンは、国によって厳しい基準を設けられており、Fランク迷宮であっても四ツ星以上でなくては管理できず、その依頼料も非常に高額となっている。
そのためほとんどのプライベートダンジョンはFランク迷宮か、逆にCランク迷宮以上の準シークレットダンジョンとなっており、その所有者も個人ではなく法人が多い。
プライベートダンジョンの管理は冒険者として非常に美味しい仕事だが、それだけに管理の仕事を任されるかどうかはコネ次第である。
なお、プライベートダンジョンとは言えアンゴルモア対策のためゲートの設置は義務であり、一定期間攻略が行われていないことを感知すると即座にプライベートダンジョン認定が解除され、管理者の冒険者ライセンスも没収される。
【Tips】迷宮内部
迷宮は、異空間となっており森林型、山道型、海辺型、坑道型、迷路型、墓地型とさまざまなタイプが存在する。また、季節・天気・時間帯が変化せず、持ち込んだ食べ物なども腐らないことが判明している。熟練の冒険者たちは、皆実年齢よりも若々しいことから、迷宮内部は時の流れが止まっているという説が有力。しかし実際に時が止まっているのなら動くことも不可能なはずなため、謎は多い。
リア充冒険者たちは、この特性を利用して夏だろうが冬だろうがスキーにサーフィンと迷宮で季節のスポーツを一年中楽しんでいる。そしてたまに油断して死ぬ。
【Tips】カードの名付け
カードには固有の名前をつけることが出来る。名付けされたカードは初期化することができなくなるため、売却が不可能となる。一方で、ロストしてもそのカードの魂を宿したソウルカードが残され、同種族・同性の未使用カードを消費することで復活させることができるようになる。
カードをカード以上に大事に思ってしまったマスターへの救済措置。
冒険者の間では、カードに名付けするマスターは「恥ずかしいヤツ」のレッテル張りをする風潮がある。
これはカードの名付けは流通を妨げるということから一部の冒険者が意図的に流したもの。
補足:なお本作主人公が名付けに否定的なことと世間の風潮は全く関係がない。
※上記は原作者である百均氏より許可を頂き、転載しております。