「この話はここまでにしようか。まずはオークとコミニュケーションを取るところから始めよう」
「分かりました」
先程までの冷え込んだ空気を忘れたように平常運転の空気に戻る二人。お互い神経の太さは中々のものだ。
「おい、俺の声が聞こえるか」
と守善が声をかけるとオークはこっくりとうなずいた。
こちらの言葉も理解しているらしい。知性の伺えない醜い豚面の割に知能は高いようだ。更に獣臭くないのはカードの利点だなと守善は思う。
一度養豚場のバイトをしたことがあるが、あの凄まじい獣臭さと糞の悪臭はたまったものではない。豚舎に入れば無闇矢鱈と噛みついたり体当たりしてくるし、豚に対して良い思い出というものが全くない。
思い出したら腹が立ってきたなと無罪のオークを見ているだけで苛立ちが湧き上がってくる。かなり理不尽だ。
「そうか。いまのところ俺がお前を使うマスターだ。分かったら頷け」
ふたたびこっくりと頷くオーク。
このオークが従順なのは確認できた。ならば検証を始めようと次の指示を出す。
「それじゃ、次だ。俺を殴れ。全力じゃなくてもいいがそこそこ痛いくらいにだ、
当たり前だがその指示を聞いたオークは混乱した。
困ったように守善に、響に代わる代わる視線を送ってくる。その視線を受けた響がこめかみの辺りを押さえながら問いかける。
「それはどういう意図での指示かな?」
「カードのバリア機能の検証ですよ。なにせ迷宮に入るのは初めてのもので」
モンスターカードにはマスターを守るバリア機能がある。カードの戦闘力の半分はマスターを守るバリアの源となるという。モンスターを出している間マスターは一切のダメージを負わず、それらをすべてモンスターがすべて肩代わりしてくれるのだ。ずぶの素人が冒険者として迷宮に潜る度胸を担保する安全策の一つがこのバリアだ。
「ご安心を。痛いのはこいつだけです」
「……なまじ理屈が立っているだけにタチが悪いな。まあいい、程々にしたまえよ?」
もちろんカードにバリア機能があると聞いても全員が納得出来る訳ではない。中には自分で自分を殴ったりして試す者もいるが、それをモンスター自身にやらせるようなのは早々いないだろう。
守善自身もその存在を疑っているわけではないが、安全な内に試せるのなら試しておきたかった。
「理解したな。早くやれ」
「…………」
オークはとても不満そうな顔をするものの逆らいはしない。その丸太のように太い豪腕を振りかぶり、守善へ向けて勢いよく叩きつけた。瞬間、守善の身に襲いかかるのはまるで綿で出来た太い棍棒で叩かれたような衝撃だった。
「へぇ、こんな感じか」
衝撃に吹っ飛ばされ、地面を転がったが守善に痛みはない。バリア機能がダメージを肩代わりしたようだ。
「~~!」
そしてダメージは肩代わりした側であるオークへフィードバックとして送られる。オークは頭を抑えてうずくまり、痛みを堪えていた。なおその哀れな姿を見ても守善の心には同情の念は欠片も湧かない。徹底的にカードを
「ご苦労。さて、”本命”に取り掛かるか」
「本命? まだ何かあるのかい?」
「ええ、そのために少し集中させてもらいます」
いい加減にしてあげたら? と哀れみを込めた副音声を無視して次の検証へ進む。
(モンスターカードとマスターの間には目に見えない繋がりがある……。その繋がりを利用した技術があるという噂。これを確かめる)
モンスターカードとマスターの間には目に見えない繋がりがある。これは単なる精神論ではない。例えばつい先程検証したバリア機能を始めとした迷宮が構成するシステムの話だ。
そうした
大体の場合、現役冒険者から否定され、ネットの影に消えていくくだらない噂話だ。
だが守善はそれらをネット上の噂話と一蹴せず、様々なデータ……特にプロ冒険者の戦いを直に目に出来るモンスターコロシアムの視聴経験と突き合わせて検証した。その結果、守善はそれら噂話が事実の一片を含んでいるのではないかという仮説にたどり着いていた。
(プロ冒険者はどう見ても普通じゃない。絶対に何か裏がある)
プロ冒険者同士の戦闘では明らかに言葉を使うよりも早くカードがマスターの指示に従っているようにしか思えない場面が多く見受けられた。根本的な基礎スペックからして次元が違うカード同士の戦いに人間の動体視力が間に合うはずがないにも関わらず。
さらに明らかに格下のカードが格上のカードと互角以上に立ち回ったりする場面も少なからず存在した。
プロだから、の一言で思考停止せずに考えると明らかにおかしいことだらけだ。
(まずはその繋がりを探る。あると断じて探せばそれはある……はずだ)
深く息を吐いて吸う。
集中し、自分の奥底に潜っていく。
己とオークの間に何かがあると確信して探ってみれば、それは存外簡単に見つかった。オークから守善へ向けて無色無形の力が流れ込んでくる
「これか」
オークの感覚が守善に流れ込んでいく。どうやらいまオークはかなりの不快感を感じているようだった。どうやらラインを意識的に繋げるとモンスター側に著しい不快感が発生するようだ。
(まあ、知ったことじゃないが)
だが守善は頓着すること無く、むしろこの
「右手を上げろ」
「ブモォ……」
虚ろな瞳で従順に従うオーク。恐らくラインを通じた支配は上手くいっているのだろうが、これでは元々従順なのか支配が成功しているのか判断が出来ない。
(これじゃ検証にならないな)
ならば普通なら絶対にしないことをやらせればいい。
「おい、豚。聞こえるな?
端的かつ残酷な命令に対し、オークは反抗すること無くのっそりとした動きで地に膝を着け、地面に広げた片手を置く。そのまま斧を構えるとまっすぐ手首のあたりに向けて振り下ろそうとし――――、
「待ちたまえ!」
凛とした制止が割って入り、鈍い光を放つ斧が止まった。守善がオークを操って止めた。
制止したのはもちろん響だ。見ると響が目を怒らせながらも同時に困惑を浮かべていた。
「なにか?」
何故邪魔をするのかと守善は首を傾げる。いま重要な検証の最中だったのだが、と若干の不満すら覚えていた。
「それはこちらの台詞だね、一体何をしているんだい?」
「検証を少し。マスターがカードを思い通りに動かせるのかどうか試しているところです」
そのセリフを聞いて心当たりがあったのか、響は驚きに目をみはる。
「まさか……君はリンクを使えるのか?」
信じがたいものを見た驚きを満面に示しながら問いかけた。
「リンク?」
「モンスターと心や感覚を繋げる技術だ。色々と応用が利き、プロレベルなら必須の技術と言われている。その様子を見ると知らなかったようだね。……信じられないが」
「へぇ、これが。リンク、中々面白そうな技術ですね」
なおこの場合の面白いというのは悪用の可能性を含めてだ。守善の感覚だが、モンスターを遠隔操作のように操って事故に見せかけて他の冒険者を襲わせたりといった真似も出来そうだ。リターンがリスクを上回らない限りそんな真似は決して実行しないだろうが。
「どこでリンクのことを?」
「自分なりの情報収集して推論を立て、いま検証中だった。そんなところですね」
「……本当にそれだけ?」
あからさまに疑念を押し出した尋問じみた勢いの問いかけ。ありもしない疑惑を晴らすのも馬鹿馬鹿しくなり、守善はありのままを語った。
「まず公開されているモンスターコロシアムの映像は倍速で全て視聴済み。それと冒険者ギルドが無料で公開している情報については一通り。あとは時間と金が許す限り集めたモンスターカードやスキルの情報含めて全部
トントンと自身の頭を叩きながら気負った様子もなく守善は言う。モンコロの歴史は長く、冒険者ギルドの公開情報も恐ろしく幅広い。その言葉が本当なら膨大な量の知識を膨大な時間をかけて頭に叩き込んだはずだが、気負いや自慢のようなものは一切感じられなかった。
「その上でネットの噂と頭に叩き込んだ情報を突き合わせて推論を立て、たったいま検証中に止められたところです」
若干の不機嫌さをアピールする守善を他所に、響の顔は明らかにヤバい危険物を見た時のソレだ。設置された爆弾を偶然見つけてしまった一般人のようにその端正な顔に冷や汗が滴っている。緊張に喉の渇きを覚えたのか、ゴクリと鍔を飲み込む音が聞こえた。
「……全て? それは比喩ではなくてかい?」
「
鬱屈した念を叩きつけるように答えると、響は頭痛をこらえるように頭を抱えた。
リンクはかなり才能に左右される技術だ。才能のある者はなにも知らずとも数ヶ月でキッカケくらいは掴めるし、才能がない者はいくら努力しても芽が出ないこともある。
その理屈で言えば迷宮に潜ってものの数十分でリンクの感覚を掴んだ守善の資質は規格外と言わざるを得ない。
だが響はそれ以上にリンクの存在を確信するに至った下積みにこそ衝撃を覚えた。
文字通りあらゆる情報を脳味噌に叩き込み、活用する。してみせた。
理屈としては理解できるが、実行するのは狂人の部類に入るだろう。三ツ星冒険者の響ですらそう思うのだ。
「それは……正気の沙汰じゃない」
「正気……?」
思わず漏れた響の呟きに守善は失笑した。
「俺は冒険者になるために二百万を稼いだ。この二百万を稼ぐために少なくない時間をつぎ込んでいます。いわば俺にとって冒険者稼業は人生をかけたギャンブル」
ギャンブルと言いながら博打打ち特有の狂気はない。その代わりに守銭奴が抱く金への執着がおぞましいほどに伝わってくる。
「ギャンブルで運以外の全てを埋め尽くすために努力するのは
守善は言外にこう言っていた。
『お前らがヌルいだけだ』
と。
響は怨念に近い執着が籠もった言葉に、否定の言葉を紡ぐことは出来なかった。
「君の主張は理解した」
守善の冒険者としてのスタイルについて、響は一時棚上げすることとした。この時点ではなんとか理解は出来るが肌で納得するには難しいと言わざるを得ない。
だがそれはそれ、これはこれという言葉もある。見逃せない点については率直に指摘していく。
「だからと言ってカードを悪戯に傷付けるのは感心しないな」
だが。
「何か問題でも?」
むしろ訝しげに守善は問い返した。
カードは道具だ。そしてオークを傷つけた分は自前のポーションを使って癒すつもりではあった。重傷でもあっという間に癒せる迷宮産ポーションなら四肢を傷つける程度問題なく治癒可能だ。
もちろん守善にとっても出費だが検証にはやむを得ない――その思考の過程を詳細に語る。
その上でもう一度改めて響に問いかけた。
「――何か、問題でも?」
「……分かった。もういい」
処置なし、と言わんばかりに額を抑えていたのが印象的だった。まるで頭痛をこらえているように。
守善にすればこれでも一応気を遣ったつもりなのだ。
オークの尊厳を踏みにじるような真似まではしていない。精神的苦痛と治る範囲での肉体的苦痛なら後者の方がマシだろう、と。
だが響の意見は違ったらしい。
「まずそのリンクを解除してくれ。いますぐにだ」
「構いませんが、理由を聞いても?」
「リンクはカードをの力をより引き出し、使いこなす技術だ。だがマスターと相性の悪いカード、絆を深めていないカードに対して使うと反逆系のマイナススキルを得たりとカードの価値を傷付けることがある」
それを聞いた守善はすぐにリンクを解除した。確かにそれは一大事。彼女が怒るのも尤もだとすぐさま
「知らぬこととは言え申し訳ありませんでした」
ある意味では極めて真摯な守善の謝罪を見て、響はさらに深いため息をついた。後輩の扱いに悩んでいるのは守善以外の誰が見ても一目瞭然だった。
「いや、構わない。だがいまの例があるようにリンクについては未知の部分が多い。くれぐれも慎重に扱うように」
「……承知しました。その代わりと言ってはなんですが」
「分かっているさ。リンクについて教えよう。生兵法で怪我をされても困るからね。ただしリンクについては私の指示に従ってもらう。絶対にだ」
「承知しました」
守善はすぐに承諾した。力関係は向こうの方が上なのだ。逆らうのは得策ではないし、何よりこのリンクという技術に非常に興味があった。
世間一般には隠されている技術であることを考えると、リンクという技術を習熟するのは冒険者として大きなアドバンテージになる可能性が極めて高い。
それを知っている響の価値も急上昇している。少なくともその技術の全てを学び尽くすまでは、響を怒らせるのは得策ではなかった。
「ひとまずそのオークのカードは返してくれ。そして私がいいというまで、リンクの技術をカードには使わないこと。カードの価値を傷付けるのは君の本意じゃないだろう」
「もちろん」
ある程度守善の取り扱いを学んだ響が守銭奴の価値観に沿う言い方でオークのカードを回収。響にとって特に思い入れのないカードだが、いつか労ってあげようと心に決めた。
「それじゃ改めて君に貸し出すカードを決めるとしよう」
「このまま別のオークを貸し出してくれるものと思っていましたが」
オークは D ランクカードの中でも不人気なカードだが、その分入手しやすく、まあまあ扱いやすい。
守善としては、見た目を気にしなければ優良なカードという認識である。
その評価には響も同意するが、迷宮に入る前とは状況が異なる。
「私も最初はそのつもりだったんだけどね。君がリンクに目覚めたとなると話が少し違ってくる」
「それは、どういう?」
「モンスターに属性が有ることは知っているかい?」
「ええ、アンデットやら悪魔やら妖精やら天使やら無駄に色々あることは」
「なら話が早い。マスターとカードには相性があり、属性が相性を左右する。マスターが持つ生まれつきの資質で変更の利かない先天属性と育ちや環境で変化する後天属性。この二つの属性に適合しているカードほどマスターにとって扱いやすい。
例えば先天属性が善、後天属性が天使・精霊系のマスターは天使やユニコーン辺りと相性がいい。逆に悪魔・アンデットカードは使いづらい、合わないと感じるだろう」
一般に公開されていない情報にほうほうと興味深げに頷く守善。この情報だけでもかなり価値があるだろう。身を乗り出して真剣に聞き入る守善の様子に響はまた困ったような顔を浮かべた。
守善は色々な点で極端なのだ。カードの扱い方という面では響のやり方と全く噛み合わないが、一方で冒険者稼業に取り組むモチベーションや姿勢は模範的とすら言える。後者だけ見ればリンクの件もあってまさに金の卵なのだが、後輩としては扱い難いにも程がある。
(守善君を使いこなす。それくらいの気概でなければチームのリーダーは務まらない……だけど)
だけど、の先を全て飲み込みデキる美人の先輩というペルソナを被り続ける響。内心の葛藤を表には一切出さずに説明を続けた。
「そしてマスターとカードの相性はリンクに目覚めた直後ほど分かりやすいと言われている。折角の機会だ、私のカードホルダーにあるモンスターカードを片っ端から試してみよう。
実際に使ってみて肌に合う、使いやすいと感じたらそのカードが君の先天属性か、後天属性に適合している可能性は高い」
そして響のカードホルダーから取り出された何十枚というモンスターカード。さすがは三ッ星冒険者というべきか、不人気カードから誰もが求める女の子カードまでひと財産と言えるカードがズラリと並んでいる。
「おぉ……。眼福眼福」
この時ばかりはレア品を見せられたマニアのごとく素直な感嘆の叫びを漏らす守善。響から受け取ったカードの束からあれこれと抜き出し、楽しそうに眺めている。なお注目しているのは主にカードに付けられた金銭的価値だ。
「それじゃ早速」
守善はマスター登録に必要な、カードに垂らすための血液を得るため躊躇いなくナイフに親指の腹を滑らせると適合カードの選別を開始した。
【Tips】リンク
カードとマスターの間には、見えないラインが存在している。マスターに対するダメージの肩代わりなどはこのラインを介して行われている。リンクはそのラインを利用して感覚や感情の共有を行う技術である。
これにより、カードたちに迅速な指示が出せるようになる他、カード間の連携能力が飛躍的に向上する。
しかしそれらはまだリンクの入り口に立ったに過ぎない。
リンクにはさまざまな可能性が秘められており、リンクを使えない、使いこなせない冒険者はただカードを所有しているだけとも言える。
補足:本作主人公はリンク技術に極めて高い適性を持つ。逆に言えばそれ以外の技術や知識は全て努力の賜物。
ただし高いリンク適正の代償であるかのように稀に見る不幸体質。特に理由がなくとも不幸が訪れ、幸運の女神が微笑むことはない。
【Tips】カードの属性
カードの種族にはそれぞれ属性が存在する。
属性はスキルの対象先となるだけではなく、それ自体がステータスに影響している。
そのため、同じ戦闘力であっても属性が多い方がステータスや状態異常耐性などが高くなる傾向にあるが、同時に属性を対象としたスキルに対する弱点を抱えることにもなる。
またマスターによって、相性の良いカードの属性というモノも存在する。
【Tips】先天属性と後天属性
冒険者には、それぞれ得意なカードの属性が存在する。これは、リンクが心を繋ぐ技術であるため、マスターの体質や嗜好が影響してしまうためである。
このうち、体質などの生まれつきの理由で得意となる属性を先天属性。個人的嗜好や特定のカードの使い込みにとってその属性が得意になっていくことを、後天属性と言う。
先天属性と後天属性は、リンクのしやすさやカードの育成などに影響し、前者は変えることができないが、後者は嗜好の変化や使い込みなどによって変わる(変わってしまう)こともある。
このマスターの得意属性を極めた先にある、マスター固有のリンクも存在する。
※上記は原作者である百均氏より許可を頂き、転載しております。