腕時計を見た。午前八時を回っていた。俺は彼らの言った通りに、用意された(明らかにドアと窓ガラスの厚みが異常な)黒塗りの高級車に乗せられて官邸に向かっていた。
俺は後部座席に乗せられているのだが、例の如く左右を黒服に挟まれている。左に男、右に女性。女性の体温を感じることなど滅多に無いのでかなり緊張して身動きさえ取れないが、その逆方向には屈強な男が俺と膝を並べている。故に女性に対し妙な気は起きなかった。
何だ。そこまで想定してのこの配置なのか?
生憎車は渋滞にハマっている。運転士は平然を装っているが、時折腕時計をチラチラ見ているのがバレバレだ。少なくともそこに関しては想いが通じているらしく、終始無表情な黒服に人間味を感じて気が紛れた。
と言っても本当に何もやることがない。黒服の肩にもたれかかるわけにもいかないので眠気など全く襲って来ず、変に頭ばかり回って気持ちが悪い。
両サイドの二人はドンと構えて座っておられて、俺は両肩を前に押し出される形で若干身を屈めて座っている。片腕が女性の横胸に当たっているのだが、何もお色気などはない。と言うのも、終始女性の左胸にある何か硬く鈍重なものが俺の二の腕をゴリゴリ削ってくるのだ。いや、もう言ってしまうが明らかに自動拳銃だろう。これは。
この車、そんなに狭くないだろうに。態々俺を押し寿司みたく挟み込んで何がしたいのかと考えると、先程の疑惑が浮かんでくる。やっぱり全部計画通りなのではなかろうか。
というか、なぜ俺が官邸に呼ばれなきゃいけないんだ?確かに前職は政府の依頼でアラスカの永久凍土から見つかった妙な寄生虫の研究をしていたのだが、なぜか生物実験をする直前に研究が打ち切られた。お国は予算削減だとか無茶苦茶を言ってたが、この国のことだから案外あり得る話なのが腹立たしい。
今更気が変わったから、また研究をやり直せとでも言われるんだろうか。だとしてもあの寄生虫、全て焼却処分されたと聞いたが……。
だとしても、態々官邸に呼び出すか?いやあり得ない。目的が全く分からない。
答えが欲しい……その一心で隣の女性を横目に見たところ、彼女は鋭い眼光で俺を睨み返してきた。いや、睨んだつもりないんですが……。
ダメだ。何をしても何もしてないのに何かしようとしているのかと疑われてしまう。頭を回すしかやる事がないし、何でこんなことになってしまったのかでも思い出そうか。
朝はいつも通り、六時半に起きた。スーツに着替えて身嗜みを整えて、顔を洗い歯を磨き……
その後はいつもの通り朝のニュースでも見ようとソファに腰を降ろしたんだった。珍しいニュースに気を取られて……そうだ。あの時すぐに切り上げて早めに部屋を出ていれば、彼らに遇うことは無かったはずだ。
……いや、どうだろう。どのみち俺が家を出た途端に黒服が車からぞろぞろと出てきたろうな。
にしてもあのニュース、かなり衝撃的な見出しだったな。続報は出ているんだろうか?
記憶が正しければ、日本のEEZ(排他的経済水域)は沿岸から二○○海里までだったはず。接続水域は二四か、二五海里ぐらいだったろう。キロメートル換算すればEEZは三七○キロメートルまで、接続水域はおおよそ四五キロメートルといったところか。
となれば、沖縄の西二○○キロといえば日本の排他的経済水域内だろう。海賊だか工作員だかは分からないが、一体どのようにして海保や海自の哨戒網を切り抜けたのだろうか?
……気になる。今すぐニュースが見たい。テレビ局が集めた拙い情報を頼りに見当違いなことを言って、その日の学生達の話題に持ちきりになるような御用学者の意見でもいい。今はただあのニュースの続報が気になる……
ネット記事に何か上がっているかもしれない……と、俺はごそごそと腰を揺らしながらポケットの位置を調整して携帯電話を取り出そうとする。この閉鎖空間のストレスを紛らわすには丁度いい。しかし、その瞬間───
「いっ……たたたた!!!!」
携帯をポケットから取り出した瞬間、わけもわからず隣の男に間接技をくらった。腕を捻られ気がついた時には俺は男に背を向けていて、携帯電話を握っていた腕は完全に男の制御下にあった。
「何してるんだ!!」
こっちのセリフだ。
「何がっ……」
その時気がついた。今俺が顔を押し付けているのは───
顔を上げる。女性は明らかに眉間に皺を寄せ、怪訝そうな顔をしている。怖い。何が怖いって、顔のすぐそばに誰かの血でも吸っていそうなハンドガンがあるのも怖い。
「……あ。携帯……。」
男はそう呟いて、緩やかに拘束を解く。なるほど、ナイフでも取り出すものと思われたのか。……俺が凶器を隠し持つような人間に見えるか?
いや、一種の職業病のようなものなのかもしれないなと思いながら、「すみません」と一言女性に伝えて顔を上げた。
「いえ。こちらの不手際でした。申し訳ございません」
男が答えた。そちらに謝ったつもりは無いのだけれど。
「いえ、大丈夫です……」
とは言いつつも、明らかに俺と黒服の間に信頼感がない事が露呈してしまった。男は未だ警戒を緩めていないし、もう一方の女性に関しては、様子を伺うことさえ恐しい。
案内標識には『両国JCT』の文字。官邸まであと何キロなんだろう。どうか早く着いて欲しい。
……そう言えば、携帯を返して貰ってない。
ふと思い出して男を見た。しかし、気軽に声をかけられるような打ち解けた空気は、既に車内に残ってはいなかった。
面白可笑しい文章を書くのって、難しいですね。