さて、初回の守りが終わった決勝戦。
降谷は一発こそ食らってしまったものの、その後はしっかりと立て直して最小失点に抑えた。
しかし、いきなり取られた、3点のリード。
しかも警戒していた1年生全員にやられた3点。
これはバッテリーとしても、大きな意味を持っていた。
「悪ぃ、降谷。少し雑になっちまった。」
「いえ…」
少し額に滲んだ汗を手の甲で拭い、降谷が帽子の鍔に手を当てる。
今日の気温は、かなり涼しい方。
しかし初回の猛攻のせいか、少し降谷の表情に疲れが浮かんでいる。
そんな姿を見て、捕手である御幸は歯を食いしばった。
「歩かせても良かった、と思ったが。」
ヘルメットを外し、防具をベンチに置く御幸の耳に、そんな言葉が入る。
幼い頃から何度も聞いてきたその声に、振り向いた。
「それほどのバッターだからな。だけど、簡単に歩かせる訳にもいかない。」
「そうか。」
御幸の返答に、大野が相槌を打つ。
そしてそのまま、打席に向かう準備をした。
「実際に降谷を1番近くで見ているお前が判断したんだ、俺からは何も言えない。のだが…」
「なんだ?」
言いかけて、大野はやめた。
「何でもない。お前も4番なんだから、準備しとけよ。回すから。」
「わーってる。取り返すさ。」
3点リードとは言え、まだ初回。
先制パンチこそ喰らってしまったが、裏の攻撃で反撃の意志を見せることが大事なのだ。
しかし、悔やまれる。
打たれることは仕方ない。
相手の実力が上だった、それだけのことだ。
だが、それでも自分の攻めに迷いがあったことに、自覚はあった。
攻めるなら攻める。
避けるなら避ける。
それを降谷に伝えられなかった。
というよりは、珍しく自分でも迷ってしまったのだ。
(なんで迷ってんだ、俺は。)
攻めきれなかった。
普段なら確実に攻めていたはずなのに。
無意識のうちに、御幸の中で少しばかりらしくない感情が、蠢いていた。
大野がいない。
これまで共に死線をくぐり抜けてきた戦友が、いない。
安定感然り、能力然り。
彼が最も信用のおける投手であり、ある種相談相手でもある。
何より、大野夏輝という男がエースにいたからこそ、彼の中の精神的な負担も軽くなっていた。
引っ張ってくれたエースがいない。
自分が強気に攻めても、抑えてくれている大野がいたから。
チームで野手としているのはわかっている。
しかしマウンドに上がらないというだけでも、何となく勝手が違った。
それに、大野はチームのことを考えすぎている。
それ故の自己犠牲がすぎる時もあるのだ。
だから、大野にも負荷をかけたくない。
自分のことだけを考えなくてはいけない。
御幸が、自分がまとめなくてはいけない。
突っ走りすぎないようにと、少し弱気な面も出ていた。
無論、無意識ということは御幸自身の意識が普段と違うことを自覚できていなかった。
だからこそ、迷いが生じてしまったのだ。
『4番、キャッチャー、御幸くん。』
1アウトランナー一、二塁。
このチャンスで、回ってきた打席。
しかしこの場面で、御幸はショートゴロ。
6−4−3のダブルプレーを打ってしまう。
(何やってんだ俺は。)
自分でも、迷いがある理由がわからない。
だからこそか、4番としてやっては行けないことをしてしまった。
「すぎたことだ、気にすんな。」
三塁ベースで残塁してしまった大野が、御幸の肩を叩く。
しかしそれでも彼の表情は、まだ暗いものであった。
今まで、どんなにリードで失敗したとしても。
それこそ失点してしまっても、攻撃では切り替えることができていた。
ある種ドライだからこそなのだろうが、勝負師としてある程度割り切っていたのだ。
それほど、大野が投げられない影響というのが出てしまった。
防具をつけながら、ふと息を吐く。
まだ心の中に蟠りがあるような感じがして、御幸はまた小さく舌打ちした。
ミットをつけて、ベンチを出る。
切り替えなくては。
そう何度も言い聞かせていると、外で待っていた大野が再度肩を叩いてきた。
「さっきはああ言ったけど、やっぱ言っとくわ。ちゃんと攻めてけよ、弱気なお前になんか、相手だって怖さなんて感じねえぞ。」
そして大野は、御幸の胸に拳を当てた。
自然と、胸の中にあったものがスーッと抜けていく感覚があった。
「らしく行こうぜ。面白え御幸一也の野球を見してくれよ。」
「うるせ。お前も外野飛んだらちゃんと取れよ。」
「へえへえ、わーってますよ。」
そうして、御幸の背中を叩いて、大野は足早に外野へ向かって走っていく。
その背中にまた、御幸は感じてしまった。
「かなわねえな、ほんと。」
そうして、ミットを叩く。
もう、迷いはない。
捕手御幸一也が、出陣する。
「降谷、こっからはガンガン攻めていくぞ。」
「御幸先輩こそ、もういいんですか。」
マウンド上、ぞれぞれ左手で口元を隠しながら、バッテリーは話す。
「気にすんな。それより、この回しっかり押さえれば反撃のチャンスはできる。一緒に攻めていこうぜ。」
小さく頷く降谷。
それを確認して、御幸は降谷の胸に右拳を当てた。
それはまるで、自分が大野にされたものと同じように。
「ピッチングでチームを鼓舞して、流れを掴む。それがエースの条件だぜ。」
「エース…。」
御幸の言葉に、降谷の中からいきなりオーラのようなものが沸き立つ。
さっきよりも明らかに、目つきが変わった。
「いこうぜ、相棒。」
ここから降谷のピッチングは圧巻。
下位打線から始まる7、8、9番を3者連続三振。
先ほどの御幸からの言葉に発奮したからか。
何より、御幸のリードが変わった。
普段通りの、高めのストレートを最大限生かす、強気なリードで三振を奪いにいく。
しかし、まだ下位打線。
ここで攻めに行けるのは当然なのだ。
3回の表。
薬師高校の攻撃は、上位打線から。
先ほどこっぴどくやられた一年生トリオとの、真っ向勝負となる。
(ここだぞ、降谷。こいつらをしっかり抑えるかどうかで一気に流れは変わるからな。)
まずは、先頭の秋葉。
チーム内では轟に次ぐ打率を誇り、強いボールにも力負けしないパワーも兼ね備えている。
初球、ストレート。
低めにキレのある146キロの真っ直ぐが決まり、1ストライク。
続く2球目は、フォーク。
これが低いところに決まって、秋葉もバットを出してしまう。
3球目、ここでバッテリーは3球勝負を選択。
初球のそれとはまるで違う、152キロで空振り三振に切ってとってみせた。
続く増田に対してはカーブでセカンドゴロ。
最後の三島に対しても、最後はフォークボールで空振り三振で抑え込む。
初回の失点を全く気にしないと言わんばかりの投球に、会場もざわついた。
しかし、薬師先発の三島も粘り強く投げていく。
下位打線の8、9番と一番の倉持を三者凡退に抑えて、追撃を許さない。
3−0、薬師高校リードで、試合は中盤戦。
ここで打席に入るのは、4番の轟。
薬師としては、突き放すチャンス。
しかし青道にとっても大きな意味を持つ。
試合の展開を変えるにはここで抑えていけば。
或いは、流れが変わるかもしれない。
降谷と御幸が、大きく息を吐き出す。
自分の中の迷いと、雑念を捨てるように。
そして、視線を重ねた。
(こいつら、さっきと違う。)
打席に入った轟も、バッテリーの変化に気がついた。
さっきまでのような、迷いのあるバッテリーではない。
完全にこちらを捩じ伏せようという意志が、ヒシヒシと伝わってきたのだ。
闘争心剥き出しの姿に、轟も笑った。
「カハハハ!降谷暁、ぶっとばあああす!」
悲報御幸くん、不甲斐ない。