晴天の春。
果てしなく、青い。
まだ3月だというのに、なんだか蒸し暑い。
むせかえるようなそんなこの熱気。
まだ会場に入っていなくてもわかる、この空気感。
全国高校野球選抜大会。
春の甲子園だとか、選抜とか呼ばれるこの大会。
春季とはいえ、甲子園。
夢の舞台に、到達した。
実感なんてない。
何せ、俺はほとんど何もしていないのだから。
だけど、届いた。
夢の舞台に。
ベンチでタオルを被り、俺は息を吐いた。
「緊張しているな、珍しく。」
声の主を、横目でみる。
蛙のような見た目に、確かな投球理論を持っているこの人は、俺のオフに大きな影響を与えてくれた。
「甲子園ですからね。空気感はやっぱ違いますよ。」
「安心しろ。マウンドはマウンドだ。どこだろうが、それは変わらない。」
コーチが笑顔でそう言う。
そして俺も、笑った。
息をもう一度吐き、俺は立ち上がる。
頭に乗せられたタオルをベンチに置き、目を閉じる。
ここが、甲子園か。
実感と、微かな緊張。
今までなかった感情に、俺は思わず笑ってしまう。
「大野。」
「はい、監督。」
褐色肌に強面、そしてサングラス。
明らかにそっちの方面に精通してそうな顔だが、野球一筋である。
「エースは時に、孤独なものだ。俺も最後に信じられたのは、自分だけだった。」
目は合わない。
だけど確かにわかる。
この人もまた、同じ番号を背負ったのだ。
「優れたエースは、エゴイストでなくてはいけない。自分勝手になれた時、投手は本当の意味で覚醒することができる。自分を信じろ。」
監督の言葉に、頷く。
俺は置かれたグローブに手をかけた。
声の圧が。
大地の熱が。
空の透明感が。
何もかもが、ひさしぶりだ。
グラウンド中央に用意された、小さな山。
ここが、投手だけに用意された、玉座だ。
ここからの景色を、どれだけ待ち望んでいたか。
大きく、深呼吸。
そして、そこに置かれた小さな板に手を置いた。
帰ってきた。
ついに、俺の場所に。
打者としてやってきたが、やはり俺の居場所はこのマウンドだけなんだ。
目を瞑り、胸に手を当てる。
そして、息を大きく吐き出す。
不安、緊張、雑念。
全てを吐き出し、己の投球に集中できると確信した時。
俺は、ゆっくりと目を開いた。
「いけるか。」
「勿論。」
女房役である御幸に言われ、最低限で答える。
半年前と同じようなやりとりに若干安心しながらも、俺は肩を小さく回した。
「体の調子は?」
「気にしすぎだ。大丈夫、俺は投げられるよ。」
俺がそう答えると、御幸は笑って俺の胸にミットを当てた。
「馬鹿、鼻から心配なんかしてねーよ。全部使ってくからな、ちゃんとついてこいよ。」
「わかっている。」
離れていく御幸。
それを見つめながら、プレート横に置かれたロジンバックに手を当てる。
白い粉塵が宙を舞い、消える。
「行こうぜ大野!」
「ヒャッハー!一つずつな!」
「後ろはまかしときい!」
バックの声に安心し、頷く。
なんとなく、足が浮つくが、抑える。
珍しく、緊張していると言うのは、あながち間違っていないかもしれない。
もう一度、念のため深呼吸。
戦う準備は、できた。
あとは、投げるだけだ。
まずは、切り捨てる相手が1人。
先攻めは、九州代表の宝明高校。
先頭打者の三森が打席に入った。
俊足巧打。
王道を行く、リードオフマン。
前大会でも高い出塁率から塁上の揺さぶりを行うという、得点に絡むことの多い選手。
これをまずは、しっかり抑えること。
御幸に口酸っぱく言われてきた。
(最初から全開で行く)
(だろうと思ってた。コースには決めろよ。)
頷き、モーションに入る。
ノーワインドアップから全身を三塁側へ向ける。
腰を回転、トルネード投法から全身を縦回転。
(ここ。)
最後の一押し。
自分の中で最後の歯車が噛み合った時、指先の力を一気に加える。
狙ったコースは、外角の低め。
俺が幾千もの回数投げ込んだ、俺の最も得意とするコース。
打者視点から見ると最も遠いこのコース。
このコースに、完璧に決まり。
審判の右手が、上がった。
「ストライーク!」
そこは一杯か。
ここから「今日の幅」を確認する。
2球目、同じようなコース少し外。
これもストライク判定、さっきよりも幅を広げた。
(今日の調子をみる、いいな。)
(わかっている。)
今更お前のリードに文句など言うか。
そう内心で呟きながら、俺は最後の一球を投げ込んだ。
最後はもう少し、外。
気持ちボール気味かなと思うようなストレート。
しかし審判の手は、上がった。
「ストライク、バッターアウト!」
思わず、審判に振り返る打者。
無理もない、ボールと言われても仕方のないボールだったからな。
しかし「今日の審判」は、そこを取る。
どうやら今日は、外に広いらしい。
「OK、ナイスボール!」
御幸から白球を受け取り、頷く。
続く打者は、田口。
典型的なアベレージヒッターで、ミートが上手い。
タイプ的には、薬師の秋葉に近いか。
彼よりパワーは、ないと思う。
(当てさせたくないよな。)
(使おう。暴走の可能性も捨てきれないから、早めに選別するのも悪くない。)
練習試合で何度も投げてきているが、公式戦では初めて。
だからここで、試しておく。
まずは、ストレート。
初球を見逃されて1ストライク。
続く2球目、真ん中低めの球。
コースは、甘い。
これに振りにくるも空振り。
甘いコースからボールゾーンに逃げるツーシームで早くも追い込んだ。
(いいコース。)
(遊び球は?)
(いらないだろ。ここで決めたい。)
御幸のサインに一瞬止まるが、頷く。
公式戦初か、投げるのは。
ここで投げきれなきゃ、意味がない。
ツーシームから握りを少しずらし、息を吐く。
狙ったコースは、インコース。
コースはあくまで、目安で。
浮き上がる軌道を生かすのであれば、高め。
回転の意識は、ジャイロ回転。
最後に人差し指で引っ掛けると同時に、肘を捻って回転を強くかける。
ストレートと同様の軌道。
そこから、真横に滑るように大きく曲がる。
ボールは、田口のバットの上をくぐり抜けるようにミットに納まった。
『2者連続三振!最後はスライダーで田口を三振に切ってとります。』
オフに手に入れた、ジャイロ回転のカットボール。
新たなる武器で、2つ目の三振を奪う。
最後は3番。
パワーのある強打者であり、典型的な当たったら飛ぶバッター。
ストレート3球で追い込んだ4球目。
この打者に対しては。
(ツーシームで決めるぞ。)
(バックドアで見逃し三振ってのはどうだ。)
(最高。決める。)
最後は御幸の要求通り。
外のボールゾーンからストライクゾーンに切り込んでくるツーシームファスト。
俺のウイニングボールで、見逃し三振を奪った。
『三者連続三振!甲子園デビュー戦のエース大野、最高の立ち上がりで闘志全開です!』