春の選抜大会の準々決勝。
西東京代表の青道高校と南北海道代表の巨摩大藤巻の一戦は、両エースの圧巻の投球で幕を開けた。
互いに奪った三振は、3つ。
打者3人に対して、アウトを全て三振で奪い、その試合を開幕させた。
「すげえな、本郷。こりゃキツくなりそうだな。」
そう零す、大野。
しかしその発言とは裏腹に、大野の表情は澄んでいた。
先ほどまで、怪物が上がっていたマウンド。
そこにまた、もう1人の怪童が上がった。
「その方が燃えるくせに。」
「うるさい。行くぞ。」
また、ミットとグローブを合わせるバッテリー。
意思疎通をする為の、2人の癖のようなものだ。
4番から始まる、巨摩大藤巻の攻撃。
しかし大野は、この4番に対してストレートでの3球勝負で捩じ伏せた。
先程の、本郷の三球三振を。
そのまま主砲に、牙を剥いた。
それはまるで、己の力を誇示するように。
『ここもストレートで三球三振!前の回から4者連続の三振です!』
勢いのまま、左足を視点に右足を振り上げる。
そしてその流れのまま、空振りで体勢を崩した4番打者に、背を向けた。
背中に描かれた、「1」
大野の小さな背中に描かれたそれは、やけに大きく見えた。
(なるほど、正宗が成宮さんと並ぶって言ってたのも、頷ける。)
打席に向かう円城は、マウンドでロジンに手を当てる大野をじっと見つめる。
最速130km/h台のストレートは、数字上で見れば速くない。
トレーニングや技術の発達した昨今の野球界では、平均球速の向上が著しい。
特に高校野球でも、140km/h後半や150km/hを出す高校生も数年前より珍しくなくなってきた。
そう考えると、大野のストレートは球速表記で言えば平均値、寧ろ地区レベルでもざらに見る数値である。
しかし、単純にスピードガンでは測れない、スピード感。
この試合で目の当たりにして、彼の「フォーシーム」の質の高さに気がついた。
それでも円城は、落ち着いていた。
確かに凄い勢いのストレートだ。
それに変化球のキレも素晴らしい。
(わかってるな、このチームで一番気をつけなきゃいけないバッターだぞ。)
だが、本郷と比べれば。
絶好調の時の本郷に比べたら、それほどまでの脅威は無い。
(分かっている。)
そして今日。
本郷は、その絶好調の日だ。
球威も、キレも、闘志も。
先程までの投球を見た中では、今日の本郷を上回ることはない。
円城がバットを構え、大野を見据える。
(立ち上がり、叩かせてもら…)
その瞬間、彼の肌に突き刺さったのは、先程までとは比にならないほどの「違和感」のようなものだった。
彼の周りを漂う白銀の粉塵が、太陽光と反射する。
それが、大野の吐息とともに宙に消える。
本郷と組んでいても、感じなかった空気。
圧力ではない。
ただ純粋に、彼の纏う風格のようなものが漂っている。
深く被られた帽子の鍔の影で、表情は上手く読み取れない。
ただ一つ。
その鮮やかな紺碧の瞳だけが、キラリと艶めいた。
次に円城の耳に突き刺さったのは。
金属音のような異音と、それとは相反して子気味の良い乾いた破裂音だった。
「うお。」
ぱさりと、マウンドに落ちる青い帽子。
それによって押さえつけられていた白銀の髪が、ふわりと舞う。
速い。
投げたと認識したと思ったら、異常な風きり音とともに前を通過した。
否、視認すらちゃんと出来たか。
はっきり言って、軌道なんぞ全く覚えられなかった。
分かったのは、他のストレートとは比べ物にならない程のノビと、ホームベースで加速しながら浮き上がる軌道、ということ。
2球目。
同じようなコース。
これは敢えて手を出さず、見逃して2ストライク。
これ程までの質の高さを持つストレート。
今まで見たことのないボールだから、見送った。
次に打つために。
高い洞察力と打撃センスを持つ円城にとってその行為は、初めて本郷と対戦したときと同じ対処法であった。
(なるほど、ここまでのキレか。)
2球目で、訂正。
この大野夏輝のストレートは、本郷のそれよりも圧倒的に速い。
軌道も、大体把握した。
それを、この2球で掴む。
天才に相対するこの打者もまた、天才だった。
3球目。
真ん中高めのストレート。
これを円城は、捉えた。
「甘い…!」
「な…!」
強い当たりは右中間。
巨摩大藤巻に生まれた初めてのヒットは、女房役の痛烈な当たり。
右中間を破るツーベースヒットを生み出した。
(コントロール気にすんなって言ったけどさ…)
(悪い、ギア入れるとやっぱりまだブレる。)
本当は、御幸が構えたコースはインコース高め。
しかしそれは、縦横ともに真ん中に寄ってしまった。
とはいえ、初見でこのボールを捉えた円城の打撃センスも常人離れしているということには変わり無かった。
早速招いたピンチ。
1アウト二塁で、打席に向かうのは今日先発の本郷。
圧巻の投球に目を奪われがちだがこの男、リリーフとして登板した前の試合でもタイムリーを放つなど打撃も一流である。
しかし今の大野は、打者としての本郷には特に何も関心は無くなっていた。
(すげえな、本当に。)
昨年稲実の4番を打っていた原田ですら、自分の全力のストレートを初見で捉えることは無かった。
確かにコースは甘かった。
しかし間違いなく、あの円城という打者の打撃センスは非凡であることを表している。
(これが全国か。これが、王者か。)
打席から大野の姿を見た本郷は、思わず目を見開く。
マウンド上のエースは、先述の通り表情は読み取りづらい。
しかし、影で隠れていないその口角が上がっていることに気がつく。
そして、直ぐに身構えた。
何故ならそれは、大野が圧倒的なパフォーマンスを見せた試合と、同じような光景だったから。
夏の大会、西東京予選。
その決勝で投げあった2人のエースの表情は、笑顔だった。
今考えれば、甲子園の決勝で投げていた成宮は本調子では無かったのだろう。
度重なる連投、予選から続いていた勤続疲労。
そして、相対するエース。
あの2人が投げあっていた試合こそ、成宮と大野共に最高傑作と言っても過言では無い投球だったと思う。
その1人が今、目の前に立っている。
しかも今日の大野は、画面越しでみていたあの試合と同等。
いや、それ以上か。
本郷の打席。
外角低めのストレート2球で追い込むと、最後は高め。
136km/h、ギアを上げたストレートで空振り三振を奪う。
続く7番の羽生もツーシームで見逃し三振に切り捨て、最初のピンチを切り抜けた大野。
そのマウンドでは、エースの咆哮が木霊した。