桜の花も散り、徐々に春模様が薄らいできた。
それでも、まだ春。
朝方は少し冷える。
いつものジャージを身につけ、自室のドアを開ける。
風が冷たい。
しかしもう、慣れたものだ。
大きな欠伸をして、一呼吸。
まだ誰も荒らしていない綺麗なグラウンドに1つ礼をして、その中に踏み入れる。
「っし、行こうか。」
ゆっくりと歩き始め、そこから徐々にペースを上げていく。
眠気が段々と覚め、それに合わせて身体も起きてくる。
少し走っていると、いつものように元気な声が響く。
「おはようございます、夏輝さん!」
「おはよう、今日も元気だね。」
いつもの如く、早朝とは思えない大音声。
基、元気な声で現れた沢村に溜め息をつきながらも、ランニングを再開する。
春季東京都大会、3回戦目と4回戦目をコールドで勝利した俺たちは、準々決勝も危なげなく勝利。
対戦相手は春日第一高校。
足の速い左打者が多いというのもあり、こちらの先発は沢村。
テンポよく、尚且つマウンド捌きもいいサウスポーと、これまたかなり相性がいいということで先発を任された。
序盤こそ膠着状態で進んだ試合だったが、勝負を分けたのは4回。
白州のスリーベースから、この試合6番に抜擢された金丸が、低めのフォークを捉えて三遊間を破るヒット。
甲子園から好調をキープしている彼が、しっかりと返して一点を先制する。
さらに5回にも上位打線が連打。
少し乱れたところを一気に攻め立て、さらに追加点で4点。
中盤の時点で5−0と、大きく点差を作る。
守りで言えば、沢村が5回を完璧に抑えて無失点。
被安打2の6奪三振で、マウンドを降りた。
後を継いだのは、川上。
今大会初登板の彼が、残りのイニングをピシャリと抑える。
1失点こそしてしまうが、安定感のある投球でイニングをしっかり稼ぐ。
打線も終盤にさらに得点を重ねて、8回の代打由井のタイムリーヒットで8点差を作り、コールドで試合を決めた。
さて、今日は準決勝。
対戦相手は、秋大でも戦った俺たちのライバル校、市大三校である。
昨年同様強力な打線でどんどん得点を奪う、打のチーム。
そしてエースの天久の台頭により、今年もまた仕上がっている。
特に成長が著しいのは、エースである天久光聖。
ストレートの質や変化球のキレはもちろん、安定感がかなり増している。
特に秋大では終盤にかなり乱れていたのだが、それも改善されていた。
もともとムラっ気のあるタイプだが、絶好調の時は手がつけられない。
しかし悪い時はとことん悪いと、調子の振り幅が大きかった。
が、今大会を見る感じは、そこまで悪い投球はない。
悪い日でもある程度まとまってはいる、ようになった。
一応今日のスターティングメンバーは、以下の通り。
1番 遊 倉持
2番 中 大野
3番 二 小湊
4番 捕 御幸
5番 右 白州
6番 三 金丸
7番 一 山口
8番 投 降谷
9番 左 結城
先発は今大会初登板となる降谷。
打順は前の試合とほぼ同じ。
ただ前の試合レフトで入っていた降谷が投手に入ったため、4回戦目でサヨナラとなるホームランを放った結城が先発出場。
夏のシード権はすでに手に入れているため、あとは関東大会に行けるかどうかを決める試合。
甲子園制覇を目指すのであれば、この関東大会もとりに行きたい。
まずは決勝に行くこと。
そうすれば、関東大会への切符を手に入れることができる。
実際には甲子園につながる大会ではないのだが、数少ない公式戦で他地区と対戦することができる機会。
甲子園で勝つことを目標としているのならば、経験としてこの大会に出られるに越したことはない。
さてと。
ならばなぜ俺が先発ではないのか。
自分で言うのもアレだが、エースである。
今大会で言えば決勝よりも、関東大会出場を決めるこの大事な準決勝の方が、はっきり言って重要である。
ならばそこでエースが先発するのは当然。
とまではいかないが、まあセオリーではある。
理由は簡単。
俺の肘の調子が、まあよくはないからである。
痛みや張りがあるわけではないのだが、若干違和感がある。
少し寒さのある中で投げたからか、或いは何か他に要因があるのか。
感覚的には少し違和感があるだけで、去年怪我した時とはまた違った感覚だから多分、大丈夫。
だが今回は大事をとって、登板回避となった。
これが最後の大会というならばまた話は別だが。
まだ、その時ではない、と言うわけだ。
「よし、そろそろ飯だな。戻るぞ。」
「はい!今日も食いますよー!」
相変わらず元気な彼にまたため息をついて、俺たちは食堂へと向かっていった。
時刻は午前10時。
試合開始時刻となり、俺たちも一斉にグラウンドに出る。
「どうだ、降谷の調子は。」
先攻めは俺たち青道高校。
これまた、立ち上がりの悪い天久を打ち崩して、先制しておきたい
そうすれば、降谷もある程度気楽に投げられるだろう。
「うーん、球自体は悪くないんだけどな。」
「含みのある言い方だな。どうした。」
「少し気負いすぎている気がするな。白龍の時もそうだったが、少し硬くなってる。」
なるほど。
どうしてかわからないが、御幸が言うように降谷の調子が最近おかしい。
いや、怪我をしてたりとかそういう感じではないのだが。
おそらくは、精神的な面か。
俺自身、自分のことで手一杯になっていたからなかなか声をかけられなかったのだが、少し迷っているように感じている。
(少しごっちゃごちゃ考えすぎな気がする。)
元々シンプルな投球ゆえに、迷うことは少ないはずなんだけど。
しかしそれを今言ったところで、さらに心を乱すかもしれない。
まずは先制して、気楽に投げさせてやるのが最善策か。
先頭打者の倉持がセカンドゴロに倒れ、次は俺の番。
先ほどの打席を見る限りでも、やはりまだ球は高い。
なんとかここで、チャンスメイクして行きたい。
にしても。
(いい面構えになったな。)
秋大時点よりも、貫禄が出たというか。
なんとなく、エースらしい顔つきになった。
こりゃ後半になったら手えつけられなくなるぞ。
持ち球は、4球種。
ストレートと緩いカーブ、そしてキレのある縦変化のフォーク。
そして伝家の宝刀、スライダー。
このスライダーが厄介で、高速で縦に大きく滑り落ちる落差の大きい変化球であるため、奪三振率が以上に高い。
フォアボールが多いのだが、意外とコントロールは悪くない。
これは俺も勘違いしていたのだが、フォアボールが多いのは変化球がキレすぎて制御できないことがあるかららしい。
確かにコントロールは悪いわけではないのだと。
追い込まれたらスライダー。
前回対戦も、それで完全にやられた。
あまり考えすぎるな。
俺はまず、来た球にしっかり反応する。
初球、少し甘めのストレート。
これを、弾き返した。
詰まりながらも打球はショート後方に落ちるヒット。
ここはしっかり出塁してクリーンナップに繋いだ。
3番の小湊が安定しない天久に対して、フォークを捉えて右中間を破るツーベースヒットでチャンスをさらに広げる。
1アウトランナー二、三塁。
ここで打席には、4番が入る。
ここはなんとか先制しておきたい。
そんな心中を察してか、と言うよりリードする捕手だからこそ、なんとか安心させたいと言う心があるのだろう。
外のストレートを捉えて、レフト前。
タイムリーヒットで、一点を先制する。
さらに白州のセンター前ヒットで、この回2得点。
早くも先制点を挙げて、先発である降谷に繋いだ。