春の東京都大会は、降谷と天久の投げ合い。
前評判では、全国レベルと名高い投手2人ということもあり投手戦の予想だったのだが、序盤からスコアが動く。
互いに得点を取り合う展開になったものの、最後は天久がしっかりと投げ切って5−4で敗北した。
その試合から一夜明け、ブルペンに入った俺。
昨日違和感のあった肘は問題なく、投げた感じも変な感覚は無くなっている。
これなら昨日投げてもよかったかなーなんて思いながら、俺は口を窄めた。
「投げればよかった、と思ったか?」
図星をつかれた。
落合コーチの言葉に俺は目を向けて、すぐに首を傾けた。
「まあ、まだ無理する段階ではないですから。」
「わかっているならいい。今日は軽めに投げてお前も上がれよ。」
今日ブルペンに入っているのは、俺だけ。
昨日登板のあった降谷とノリは休み。
そして東条は今日、野手練習に参加している。
沢村はランニングであり、今は俺がブルペンで投げているのだ。
キャッチャーに入っているのは、もちろん御幸。
一息吐いて、俺は彼のミット目掛けてストレートを投げ込んだ。
「ナイスボール!今の何割くらい?」
「だいたい7割くらいかな。いい感じではある。」
コントロールは多少ぶれているが、試合になればもう少しまとまる。
なんというか、試合くらいの緊張感じゃないとコマンドに決める能力はない。
もう一球続けて投げようと言うところで、俺はとあることを思い出して投げるのをやめた。
「そういえばコーチ。」
「なんだ。急にどうした。」
「昨日の試合で言ってたじゃないですか。ほら、降谷の不調の原因ってのが。」
「ああ、あのことか。」
昨日の試合…と言うよりは、甲子園から帰ってきてからか。
降谷が少し、乱れているような気がする。
調子が悪いわけじゃない。
のだが、少し力が入りすぎている気がする。
「甲子園から戻ってきてからっすよね。燃え尽き症候群とかですかね。」
俺がそういうと、御幸と落合コーチがわかりやすく顔を顰める。
「違うのか。」
「おそらくな。」
御幸が端的に答え、腕を組み直す。
すると落合コーチは、右目を瞑って話し始めた。
「俺が想像するに、どこか焦りによるものだと思うんだがな。」
「焦り、ですか。」
「目の前で自軍のエースと同世代の、それも出身も同じスター選手がとんでもない投げ合いをしたんだ。追いかけてる身としては、焦りがあってもおかしくないだろう。」
巨摩大との、本郷と俺の投げ合いか。
確かにあの時の俺は、自分で言うのもなんだがかなり調子が良かった。
それこそ、本郷にも負けていないと思った。
目の前でエース争いをしている相手が好投したら、俺もやらなきゃと思う。
まさに俺も、秋に大きく飛躍した沢村と降谷を見て、すごく焦った。
だからこそ練習したし、もっと上手くなりたいと思った。
「あとで話に行ってきます。」
「そうだな。今のあいつに必要なのは、考えをまとめる時間だ。それを手伝ってやれ。」
頷くと、俺は再び投球練習に戻る。
降谷は、あれでかなり繊細だからな。
それでいて、不器用だ。
なら、まとめることくらいは手伝おう。
何球か力を入れて投げ終えると、タイミングよく沢村がブルペンに戻ってくる。
このあとは沢村が投げるから、俺は終わり。
クールダウンをして、練習を終える。
まあ、元々自主練だからね。
それに今日は午後からまた予定がある。
だから、とりあえずそれまでの空いている時間に降谷の部屋へいく。
彼も今日は完全オフを言い渡されているため、部屋にはいるはずだ。
部屋の前で一つ深呼吸して、俺はドアを叩く。
「入るぞ。」
そう言って、俺はドアノブをひねる。
同室の小野は、ウエイトか。
今部屋には、降谷しかいない。
「身体は大丈夫か?」
「はい。」
小さく、そして最低限返答して、降谷は身体をベットから起こした。
うん、本当に特に問題なさそうだね。
「そうか。今日はゆっくり休むんだな。なんだかんだで球数も放っているし、疲れも溜まってるはずだ。」
「わかりました。」
沈黙が流れる中、俺は落ちていた白球に手をかける。
それを右手の手のひらで転がしながら、俺は話を続けた。
今更、回りくどいことを言うこともあるまい。
「なあ、降谷。」
「はい。」
「お前にとって、甲子園という場所はどんなところだった。」
俺がそう聞くと、降谷は俯き加減で答えた。
「僕の力不足を、感じた場所でした。」
自慢のストレートは弾き返され、低めの難しいコースでもヒットにされる。
白龍戦では、失点してから普段なら割り切れるのだが、それでも追加点を許した。
「同世代のすごい人たちがたくさんいて。僕はまだ、足りないと感じました。」
同い年、か。
この高校野球で、2年生で大きく活躍する選手は、少なくない。
能力の高い選手が優先的に使われるのであれば、学年なんて関係ないからだ。
巨摩大藤巻のエースは、降谷と同じ2年生。
それも、出身は同じ北海道の苫小牧。
彼なりに、意識するところはあっただろう。
他にも、俺がこの大会で唯一失点を許した、清正社の山田。
彼もきっと、将来的にはこの高校野球のスター選手になる器の選手だ。
そしてきっと。
降谷の言っている同世代のすごい選手という中に、沢村も含まれているんだろうな。
「厳しいな、この世界は。」
どんなに成長しても、周りの選手も成長している。
そして各地には、まだ見ぬ強敵がいて。
だからこそ面白いと、俺は思ったんだけどな。
「刺激になったか、甲子園は。」
俺がそういうと、降谷は迷わず頷く。
その姿を見て俺は、小さく笑った。
「そうか。」
「でもそれは、本郷を見たからじゃ、ないんです。」
そうして降谷は顔を上げて、俺の顔を見た。
「改めて、ここにいる人たちはすごいんだと、感じました。」
思わぬその発言に、俺も目を見開いてしまった。
てっきり俺は、甲子園で出会った選手に感化されたのかと思っていた。
「東条も、栄純も。それに、大野先輩も。僕にとっては、みんながすごい選手だと思いました。」
だからこそ、負けたくない、か。
もっと上手くなりたい、すごい投手になりたい。
その上でエースに、なりたい。
気持ちは、分からんでもない。
というか俺も、同じような気持ちになることはよくある。
その、焦りか。
「なあ、降谷。お前が目指しているところは、どこにある。」
「僕が目指すところ」
目先の、目標ではない。
言ってしまえば、現状考えられる自分の完成形を、考えてもらいたいのだ。
「僕は、誰にも負けないピッチャーになりたい。」
「ほう。」
「チームメイトにも、対戦相手にも。負けるのは、嫌です。」
そういう降谷に、俺は思わず笑ってしまう。
なんだ、思っていたより切実じゃないか。
全てを捩じ伏せようというように見えたが、案外考えていることはシンプルだな。
「大丈夫。お前はすごい投手になれるよ。」
苦い思いを知っているからこそ。
降谷はもっと強くなる。
稲実との試合で、負ける悔しさを。
巨摩大藤巻との試合で、大きな壁を。
そして、同じチームに好敵手を。
大投手になる素質もある。
何より、誰にも負けない武器がある。
「負けたくないのは、皆同じだ。ならどこで他を出し抜くか。」
少し間を置く。
そして俺は、降谷の右肩に手を置いた。
「それは、お前だけにしか持ってない、誰にも負けない武器なんじゃないかな。」
俺がそうだったように。
そこまで言わなかったが、降谷は理解をしたように頷いた。
「とはいえ、俺も負けるつもりは毛頭ない。多分沢村も、東条も、ノリも。」
「わかってます。その上で。」
「なら、練習するしかない。俺もまだ未完成なように、お前も未完成だ。もっと上手くなろう、もっと強くなろう。」
きっとこいつは、俺よりすごい投手になる。
世代を代表するだけじゃない。
きっと将来的には、日本を代表する投手になれる。
眠っている大器があまりに大きいからこそ。
そして、背負う意思が強いからこそ。
上手くいかないことは多くある。
だがそれを乗り越えた先に。
こいつはきっと。
「じゃ、俺は行くからよ。」
「はい。ありがとうございます。」
そういって、俺は椅子から立ち上がる。
降谷も見送るように立ち上がると、会釈をした。
午後からの予定も迫っているし、俺も部屋を後にする。
直前で、思い出したので降谷に言った。
「そういや今日、午後から1年と二軍の試合あるから、暇なら見に来いよ。」
「練習しなきゃいけないので。」
あ、そう。