全国高等学校野球選手権大会西東京大会第3回戦。
まだ大会序盤のこの試合。
しかしながら、会場はなんと早々に満員になるという異例の事態となった。
それもそのはず。
今日のこのカード。
それこそが、青道高校と薬師高校の一戦。
ともにセンバツ出場、青道はセンバツ制覇、薬師はベスト4とそれぞれが全国トップクラスの実力者が大会序盤にぶつかる。
「俺たちは誰だ!」
「王者青道!」
「誰より汗を流したのは!」
「青道!」
「誰より涙を流したのは!」
「青道!」
「我が校の誇りを胸に、目指すは全国制覇のみ!いくぞおおおお!」
「おおおおおおお!」
青道主将の白州が、伝統の円陣を行い会場は大盛り上がり。
名門と、新生。
互いに今年実績を積んだ、文句なしの強豪。
その両チームが、今日相見えるのだ。
会場は、若干ながら薬師に傾くムード。
超攻撃的な薬師が、絶対的エースである大野を打ち砕くことを。
センバツ優勝校である青道を打ち破る大番狂せを期待する観客が、多々いた。
「かーっ、やっぱ盛り上がるよな、あー言うの。俺たちもやってみるか。」
青道の伝統的なその円陣を見据えながら、雷蔵は冗談まじりに言った。
「柄じゃないっすよ。」
「いざやるって言ったら嫌がるじゃないっすか。」
間髪いれずに、秋葉と平畠がツッコミを入れる。
まあ、言い始めた当の本人である雷蔵も、甚だやるつもりはない。
ハングリーと言うか、王道ではなく逆転が好きな雷蔵としては逆にああいう伝統的なものを行うチームを喰らいたいという欲望の方が強かった。
「相当気合いは入ってそう。やっぱ向こうも入れ込んでるよな。」
「なまじセンバツで結果残しちまったからな。むしろ無警戒でいてくれた方がやりやすかったんだけどなあ。」
そうはいかない。
雷蔵自身それもわかっていたのだが、思わずそう嘆きたくなるくらいには、相手の青道の実力は高いものだった。
(なんとか、出鼻を挫きてえ。)
相手は、大会初戦。
少なからず緊張もあるはず。
まだ体の調子もわからない。
だからこそ、この不安定の可能性が高い初回、ここで点を取りたい。
相手はマシンガン打線。
打ち始めたら止まらない。
できる限り、点は取れる時に取りたい。
何より、真田は打たせて取りたい投手。
先制点を取れば少なからず相手に焦りも生まれるはず。
そうすれば、よりテンポよく、有利に守りに就くことができる。
事故でもいい。
とにかく、何がなんでも先制点を取りたい。
その為に、打順も変更したのだ。
これまで最も多かった打順は、1番秋葉2番増田3番三島4番轟。
チームで最もいい打者である轟を4番に据えた、ある意味ベターな打順。
しかし今日は、その轟を2番に。
そして2番の増田を敢えて9番に置き、しぶとい打撃でチャンスを作るのだ。
まずは初回。
ここで秋葉に出塁してもらい、轟で先制パンチ。
あわよくば、続く真田で追加点が生まれれば。
淡い期待を抱いた、初回の攻撃。
そのマウンド上、白銀の髪がゆらめく。
グローブを傍に差し、右手に握られた帽子を左手で軽く叩いて形を慣らす。
太陽光で反射するその髪を帽子に収め、左手にグローブをはめ直す。
「騒がしいな、外野が。」
マウンド上、盛り上がっている観客席を見まわしている大野に御幸がそう声をかける。
あまりに、盛り上がっている。
それはもう、準決勝や大会終盤とも思えるような。
それほどまでに、熱気が停滞している。
しかし。
当のエースは、マウンド上の土を蹴りながら。
我関せずと言わんばかりに、帽子の横を手のひらの腹で抑えて言った。
「じきに静かになる。」
「だな。」
そうして御幸が笑う。
昨日からの状態は悪くない。
とはいえ、絶好調ではない。
どこか、気が散っている感覚がある。
ふと視線を薬師のベンチ方向に向けた大野に、御幸は釘を刺した。
「意識しすぎるなよ。秋葉もいいバッターだからな。」
「うるさい、わかっている。」
このチームで最も警戒しなくてはならない打者は、轟。
センバツでは大会本塁打王であり、打率も高かった。
さらにいえば、昨年の秋には沢村と降谷ともにホームランを打たれている。
自然と轟に警戒が向いてしまうのは、必然的なことであった。
(さて。初回からランナーを置いた状態で轟を迎えたくはない。ここは切りてーぞ。)
頷き、構える。
先頭は、出塁率の高い秋葉。
前回対戦時、青銅バッテリーが轟に次いで警戒していたバッター。
ヒット能力も高い上に長打も多い。
選球眼もよく、出塁率の高さから雷蔵からの信頼も厚い。
(まずは、ここ。出方を伺う。)
(OK。)
御幸が構えたコースは、外角低め。
打者にとって最も遠いコースであり、最も長打を打ちにくいとされているコース。
様子を伺うにはもってこい。
しかし、この球。
(傾向的には、大体7:3。外角低めのストレートか、内角のストレート。でも、様子をみるなら外低めか。)
秋葉は、狙い澄ましていた。
『外流し打ち!サイレンが鳴り響く中、秋葉が初球打ちー!詰まりながらもレフト前に弾き返します!』
狙っていた。
詰まりながら弾き返した打球はレフト前へ落ちるヒットとなる。
思わず顔を歪める大野。
そして御幸もまた、彼と同じような反応を浮かべた。
(狙ってたな、初球のストレート。)
確かに、大野のコントロールはいい。
しかし、良すぎるのだ。
完全に秋葉は外の真っ直ぐに。
もっといえば、外角低めギリギリいっぱいのコースを狙っていた。
(完璧に捉えたつもりだったけど、少し打ちあげちった。詰まってたし、球は去年以上にキレてる。)
ここは、流石の大野のストレート。
秋葉でも見慣れていないストレート軌道に、想定外の打球にはなった。
が、問題は出塁できるかできているか、否か。
そして秋葉は、出塁した。
轟の前に、ランナーを置いた。
正に、雷蔵が見ていた先制のビジョン。
その為か、ベンチ内で雷蔵は思わず拳を握り閉めた。
(でかしたぜ秋葉ー!)
2番に轟を置いた理由は、ここにある。
なんとか秋葉が出塁して、バタついている序盤に先制する。
あとは、轟。
彼がしっかりランナーを返せるかどうか。
打席に向かう轟。
それをマウンド上で見据えながら、エースは息を吐いた。
(意識しちまってたなら仕方ない。責任とって抑えろよ。)
(わかっている。らしくなく、打者に集中仕切れなかった。)
リセットするように、大野が息を吐く。
少し浮ついていた。
センバツでさらに進化したスラッガーと対戦できることを。
そして、最後のこの大会、大事な初戦で真田と投げ合えることを。
その2人に集中していたが故に、出鼻をくじかれた。
0アウトランナー一塁で打席には轟。
薬師としては、いきなり先制のチャンス。
バッテリーとしては、バッター集中だろう。
でなければ、抑えられる打者ではない。
特にこの大野。
得点圏にランナーを静止させるよりも、どちらかといえばバッターを切ることに念頭を置いている。
そもそもクイックが遅いため、ある程度走れるケースを想定しているというのもあるが。
この轟との勝負の場面。
大野は打者に集中していた。
ように見えた。
(トルネード投法だから、クイックは遅い。できれば得点圏に進んだ状態で…。)
そうして秋葉がリードをとった瞬間。
秋葉の前に、閃光が走った。
(まずっ…)
感じ取った時には、もう遅い。
大野の矢のような牽制に、秋葉は完全に逆を突かれた。
「アウト!」
ここで秋葉がまさかの牽制死。
グラブを掲げてアピールする前園に、大野も指を突き立てる。
まずは大野の鋭い牽制で、一つ目のアウトを奪った。
(これで、帳消し。ここから試合開始ってところでどうだ。)
(ナイス。とはいえ、相手は轟。気合いは…って、心配いらねーか。)
視線の先。
マウンド上の大野は、紛う事なきいつもの「エース大野夏輝」であった。
(来い、あの真っ直ぐ。ギュウンってくる、あのボール。)
轟がバットを掲げる。
狙いは、自分が昨年悉く空振りした、勢いのあるストレート。
純粋な縦回転で、噴き上がるように手元で加速しながら伸び上がる純度の高いフォーシーム。
その轟のバットが、空を切った。
『初球カットボール空振り!轟もフルスイング!』
まずはインハイ。
轟の胸元を、浮き上がりながら曲がるジャイロ回転のカットボール。
彼が初めて見る変化球で、空振りを奪った。
(すげえ!今、手元でギュインって!しかも、速えし浮き上がった!)
次は真っ直ぐ。
彼の武器の一つである快速球が膝下に決まり、すぐさま追い込んだ。
(遊び球は?)
(いらん。出し惜しみは、しない。)
(だよな。決めるぞ。)
御幸のサインに頷く。
握られた白球を右手で転がし、縫い目を合わせる。
幾度と投げてきたこのボール。
感覚がピタリとあったところで、指に縫い目をかける。
広げられた、御幸のミット。
外の若干ボールゾーンに構えられたそのミットを凝視し、モーションに入る。
豪快に腰を捻り、終着地点で静止。
限界まで捻転して集約された力を、徐々に解放。
マウンド上で巻き起こる、トルネード。
圧倒的な出力を誇る大野から、スピードボールは放たれた。
快速球は、ストライクゾーンの甘めを突き進む。
それを視認した轟は、思い切ってスイングを始める。
が、刹那。
白球は轟の近くまで迫った後。
打者が変化球を見極めることができるポイントを通り過ぎてから。
彼の「ウイニングボール」は、大きく沈んだ。
『空振り三振!マウンドの大野、センバツ3本塁打の轟をいきなり三球三振で切り捨てます!』
美しいほど、綺麗な空振り。
完全にストレートと誤認した轟のスイング。
それを見て、大野は小さく頷いた。
人差し指と小指をたて、大野がバックに声をかける。
まだ、アウトは二つ。
簡単に、終わる相手ではない。
自分に言い聞かせる意味も込めて、そうジェスチャーをした。
最後は、真田。
チームのエースである彼をストレートで見逃し三振に切って取り、この回を実質3人で終えて見せた。
吼えるでもなく。
ただ淡々と。
さもこれが当たり前だと言わんばかりに、大野はマウンドをゆっくり降りて行った。
「相当タフな試合になりそうだぜ。真田!」
迫り来る、死闘の予感。
それを覚悟し、雷蔵はこの試合の鍵を握るエースに視線を向けた。
「頼むぜ、なんとか…」
言いかけて、雷蔵はやめた。
なぜなら、そのエースの表情を見たから。
心配はいらない。
もう真田は、試合に入り込んでいる。
帽子を深く被り直し、右手で鍔に触れた。
「何か言いました、監督?」
切れ長で鋭い目。
その中心に位置する黄金色の瞳が、きらりときらめいた。