(やべぇな、こりゃあ。本格的に点が取れるビジョンが見えねえ。)
ベンチ内、マウンド上で三島のピッチャーフライを掻っ攫うようにして掴み取ったエースの姿を見て、雷蔵は組んでいた腕を解いて立ち上がった。
まるで圧倒的な投球を見せつけられた。
雷市どころか真田、三島に対しても。
この終盤に来て、確実にギアを上げてきた。
まるで、奪三振ショー。
彼の独壇場になりつつあるこの試合。
真田がなんとか堪えているから勝負になっているが、こちらが打ち崩せる姿がなんとも見えない。
その真田も、このピッチングがどこまで持つかわからない。
元々スタミナも多い訳では無いし、昨年から抱えている下半身の怪我のこともある。
何より、今の真田の投球スタイル。
この炎天下で、大野に負けないようにずっと高い出力で投げ続けている。
それも、強力な青道打線を見下ろすために敢えて奪三振を取るようにしているせいで普段よりも多く球数を使っているのだ。
センバツでも高い攻撃力を見せた打線に、相手エースもハイパフォーマンスで投げている。
1点も、取られては行けない。
ただでさえ重圧のかかる状況で、拍車をかけるように大野はプレッシャーを上乗せしてきたのだ。
延長になれば、勝ち目はない。
しかし残り1回で、どう点をとる。
「友部、投げる準備しとけよ。延長に備えておけ。」
珍しく声を張る。
立ち上がり、忙しく指示を出す雷蔵。
らしくないその姿に、真田が静止するように声を出した。
「監督が焦ったらそれこそ隙になります。俺なら大丈夫っすよ、心配しなくても。どこまでも投げますから。」
「真田、お前…。」
エースの頼もしい言葉に、思わず目頭が熱くなる。
チームを任されて初年度。
息子が入学する前に形だけは作ろうと手をつけた際、一際可能性を秘めていた投手。
全く期待していなかった初期の面々で唯一、このチームを背負う力を秘めていると感じた彼が。
ここまで、おおきくなったかと。
「んな事言って、大丈夫なんだろうな?そんなこと言われちゃ、俺も流石に期待しちゃうって。」
「平気っすよ、まだ余力あるし。それに…。」
帽子を被り、ベンチを飛び出す真田。
そして直ぐに、帽子の鍔に手を当てて雷蔵の方へ振り返った。
「俺、今すげー野球楽しいっす。あの怪物ピッチャーと投げ合ってると、俺もあいつと張り合ってんだなーって思えて。同時に負けたくねえって思うようになったから、そう簡単にマウンド降りれねーっすよ。」
そう言って、真田は笑う。
瞳孔は開き、普段とは異なる姿。
それほどまでに集中しており、没頭し。
なにより、楽しんでいる。
(んな面見せられちゃ、俺も易々と替われなんざ言えねーって。)
再び頭を掻きむしると、雷蔵もベンチを出る。
そして真田の大きな背中。
背番号1が刻まれたそこに右手をパンと当てた。
「っしゃあ!このチームの柱は間違いなくてめえだ真田!言ったからには絶対負けんじゃねえぞ!あの無敵のエースに勝ってこい!」
「ウッス!」
そして元気よく駆け出す真田。
エースナンバーを背負ったその背中は、余りに大きく。
そして、思わず頼りにしてしまう背中だった。
しかし、楽観している場合ではない。
正確に物事を把握し、動く。
チームの勝ちのために、二手三手先を読む必要がある。
たとえ嫌われ役になろうと。
それが、監督の役目なのだ。
「友部、お前はほんとに準備しとけよ。俺の目から見て真田がやべえと思ったら直ぐに替える。心の準備だけはしとけ。」
雷蔵の言葉に、友部は小さく頷く。
延長戦になれば、勝ち目はない。
しかしそれでも、戦わなくてはならない。
相手はエース級2人の投手に加えて、リリーフのプロフェッショナル2人がいる。
それも全て、違うタイプの厄介な投手たち。
対してこちらは、まともにイニングを投げられるのは三島と友部。
あとは野手と兼任している選手のみ。
なにより。
かなり消耗している真田に対して、向こうのエースは延長まで投げる実力もあるのだ。
幾度も経験している、長い投手戦。
それこそ0-0の延長戦まで進む試合は、真田も初めてである。
(頼む。何とか空気を変えてくれ、真田。絶対点は取る。)
そう願いを込めて。
半ば祈るようにして、雷蔵はベンチにドカッと座り込んだ。
マウンド、流れ出る汗を手の甲で拭い、真田は息を吐く。
(あー、啖呵切っちまったよ全く。どうしようかな。)
握られた白球を軽く手の上で真上に放る。
そうして、落ちてきた白球を掴んで、ベンチに目を向けた。
(でも、悪くねー。確かにプレッシャーはかかるけど。それでも、こうして頼ってもらえるのはいいな、一緒に頑張ってきたチームを任されてる気がして。)
そうして、その雲ひとつない真夏の綺麗な青空を見上げた。
(これがお前の見てきた景色なんだな。なおさら、負けられなくなった。)
また、黄金色の瞳が煌めく。
同時に、額からたらりと流れた汗が頬を伝った。
終盤戦。
疲れの見えてくるこの場面、なんとか打ち崩していきたい青道。
打席には、小湊が入った。
(絶対、疲れはある。シンプルに。さっきの打席は、もう忘れる。)
(うちで1番いいバッターがとことん抑えられてるんだ。対する俺が、4番を抑えてようやく対等になる。)
前の打席は、バットを折られて完全に凡打。
完璧に、捩じ伏せられている。
しかし、タイミングは合っている。
初球、外高めのストレート。
これを見逃すと、まずは1球外れてボール。
2球目、同じくストレート。
今度は内角の低め、これに振り遅れてファールとなる。
3球目、今度はシュート。
内からストライクゾーンに切れ込んでくるこの変化球を見逃し、2ストライクと追い込まれる。
球速表示は、ストレートが141キロ。
まだ気になる程落ちていない。
ふと、マウンド上の真田。
彼のとある仕草に、小湊は気がついた。
(今、御幸先輩のことを。)
ほんの一瞬。
しかし確実に、彼はネクストバッターズサークルにいる御幸に視線を向けた。
雷市が抑えられているからこそ、なんとか青道の1番いいバッター、つまり4番の御幸を完璧に抑えたい。
そんな意識が、無意識の中で自然と彼の視線を向けさせたのだ。
カウントは、投手有利の状況。
しかし追い込まれた小湊は、冷静だった。
(球速のわりに、キレは無くなってきてる。やっぱり疲れてる?それとも御幸先輩を意識してるのか?)
そうして、小さく頭を振る。
なんとなく、心を整理するように。
(どっちにせよ、変に意識した方が打てない。‘’俺‘’は、そういうタイプだから。)
雑念は、全て捨てて。
小湊春市の、彼自身の反射神経と、抜群の反応速度に身を委ねたのだ。
5球目。
インコースのストレート。
内角中段のストライクゾーンギリギリに迫るこのボール。
しかしこれが、手元で小さくシュート方向に小さく沈む。
ストレートと近い速い速度で、最後に小さく変化する彼の変化球の一つ。
ツーシームが、内角に切れ込む。
「っ!!」
若干ボール気味に入ってきたこのインコースのボール。
普通ならば凡打になるであろうこの球を、小湊は捉えた。
タイミングは、合った。
少し詰まりながらも強く振り抜いた打球は、ショートの頭を超えてレフト前に落ちた。
そのインコース捌きはさながら同室の前園を彷彿とさせるような鋭いスイングであった。
一塁上、パンパンと手を叩いた後に右手を掲げる小湊。
例に漏れず赤面しながら掲げるその姿に、らしさを感じながら御幸は打席に向かった。
(亮さんとはまた違ったバッターに成長したな。あの赤面だけは治んねーけど。)
小技やカット打ちなどチームバッティングを最優先としたいやらしい左バッターの亮介。
それに対して、基本的にバントのサインが出ない春市は、彼の生まれ持った天才的なバッティングセンスを活かしたスイングでガンガンヒットを生み出してもらう。
内外を苦にせず、多少のボール球でもしっかりとヒットにするバットコントロール。
これが彼の同室の前園の技術までも貪欲に飲み込み、さらに幅広い打撃を手に入れた。
(さて、と。ここまでタコってるからな。流石に打たなきゃ、話になんねー。)
ここまでの成績は、2打数の2三振。
文字通り完璧に抑えられている。
不振とは言わないが、全くいいところがない。
そんな彼の耳に突き刺さったのは、自軍のスタンドから一年振りに鳴り響いた主砲の演奏であった。
小気味良いアップテンポの前奏。
懐かしい、それでいて聞き慣れたその演奏に、思わず御幸も口角が上がってしまった。
(哲さんの。)
前年4番、結城哲也の採用していたルパン三世のテーマ。
小気味良いトランペットの音楽に、鳥肌がたつ。
昨年の代で絶対的な信頼を得ていた4番と同じテーマ。
それこそ御幸も絶大な尊敬と信頼を向けていた主砲と同じものを使ってもらえる粋な計らいに、自然と彼も高揚して行った。
真田も疲れが出てくる終盤、なんとか点を奪いたい。
それ以上に。
(俺がどこまで成長できてるのか、ここで確認しなきゃなんねえんだ。本当に‘’これ‘’を使える資格が、あるのかどうか。)
昨年の夏。
成宮と大野が投げ合った試合。
自分は全く、打撃で貢献出来なかった。
今は、違う。
この最後の夏は、打撃でも大野を楽にしてあげたい。
(あいつ1人に背負わせねえ。一緒に支えるって決めたんだ。)
せめて攻撃面では。
何も心配させないと。
この終盤戦。
御幸の集中力を極限まで高めたのは、大野の好投が最たる要因であった。
(すげ。さっきまでとはまるで違う空気。)
打席に入る御幸を見ながら、真田は彼の身に纏う雰囲気に若干気圧される。
4番であり、チームを支える守備の要。
そしてエースの幼馴染で、女房役。
おそらくは、打たなくてはいけないという使命感と。
彼の責任感が、青道の4番が身に纏う独特の風格を身に纏わせるのだ。
(でもよ。俺にも負けられねー理由があるんだ。)
チームを任されているから。
それこそこの薬師を再建するのにあたって最初に雷蔵が言っていた、甲子園というセリフ。
最初はただの発奮材料だったかもしれない。
しかしいざ走ってみれば手の届かない場所ではないことはわかった。
夢は、見せてしまった。
だからこそ、それをまっとうする責務がある。
チームを背負うとは、そういうことなのだから。
(それが、エースってもんだろ!)
(一緒に背負うって言ったんだ、俺がここで決める!)
勝負が決まったのは、3球目。
先ほど三振を喫した外に逃げるシュート。
少しばかり甘く入ったこのボールを、御幸は完璧に捉えた。
打球は左中間。
コンパクトに振り抜いた打球は鋭く、外野の横を抜けていく。
それを確認した青道の主砲は、右手を高々と掲げた。