最終回。
両投手のテンポのいい投球故に試合時間は短いが、非常に濃密な試合となったこの薬師と青道の一戦。
互いのエースが最大限のパフォーマンスを見せた試合は、9回表の時点で1-0の超接戦。
何とか追いつきたい薬師は、チーム全員でそのベンチの前に躍り出ていた。
「分かってんだろうな。もう後はねえんだ。死ぬ気で点もぎとんなきゃ、俺たちの夏はここで終わりだ。」
普段はベンチ内で指示を出す彼も、熱くなりベンチから出る。
センバツベスト4にも入れたこのチーム。
エースである真田がいたからこそ昇れたこのチームが、こんな所で終わる訳には行かない。
負けられない。
例え相手が、最強だとしても。
負けないために策を講じたい。
しかし、そのどれもが愚策でしかない。
奇策はそもそも、あのエースには通じない。
生半可なプレーは、却って悔いを残すことになる。
少し考え直し、雷蔵は腹を括った。
「てめえら。野球、楽しいか?」
予想外の質問に、ナインも思わずと言わんばかりにその目を見開く。
そして少し間を置いてハッとし、直ぐに頷いた。
大きく大きく、迷いなく。
それを見て雷蔵は、笑って言った。
「俺もだ。てめえらの野球見てんのは、すげえ楽しいぜ。多分真田もそう思ってっから、ここまで投げてくれたんだ。わかるな?」
唯一、ベンチ内で休むエースの姿。
普段よりもギアを入れて、尚且つ球数も多い。
凄まじいまでのプレッシャーの元投げてきたこの男は、間違いなくこの薬師のエースであった。
「まだ戦い足りねえだろ。まだ試合してえだろ。なら必死こいてやるしかねえんだ。てめえらでその権利、掴み取ってこい!」
「「「はい!」」」
「半端なプレーはいらねえ!自分の最大限のスイングで、てめえらの夏を掴んでこい!」
雷蔵の檄に、ナインたちが大声を上げる。
最終回。
残されたチャンスは、アウト3つまで。
全てを賭けて、思いを込めて。
彼らは、打席へと向かった。
「空気が変わったな。」
「あぁ。」
マウンド上には、変わらず大野。
薬師のベンチを見ながら、この試合8個の0を積み重ねてきた男はそう呟いた。
「疲れは?」
「そりゃな、だが余力はある。最終回はセーブせずにいく。」
汗で蒸れた帽子を外し、頭を軽く振る。
ふわりと銀髪をなびかせ、再び帽子に髪を納める。
季節は夏。
何もしていなくても、気温と太陽光で疲れが溜まっていく。
そんな中で投げ続けた102球。
さらにいえば、無失点とはいえ相手は強打の薬師高校。
当然、尋常ではない圧力が大野にもかかっていた。
頬を伝った汗を、肩の袖で拭った。
「1人でも出せば轟に回るからな。打たれてないとはいえ、1番事故があり得る相手だぜ。」
「わかっている。最後まで任されたからには、最後まで投手としての責務を全うする。」
打席に向かうのは、ここまで無安打の米原が入る。
今日の打撃成績は、セカンドゴロ、レフトフライ。
この試合数少ない三振のないという選手だが、それは大野が完全に手を抜いているだけであり、特段三振しにくい選手ではない。
(ランナー出しちゃ元も子もない。ここは掌握したい。)
(OK。)
初球、外角のカットボール。
外に逃げるこのボールに強振するも、空振り。
(やっぱ狙いはストレートだな。ここまで強く振るのは想定外だけど。)
(舐められてるみたいで癪だけど、妥当。)
最終回までスイングを貫くか。
その潔さに敬意を表しながら、大野はもう一球ボールを投げ込んだ。
今度はインコース。
ストライクゾーンからボールゾーンに切れ込むツーシームに空振り。
早くも追い込んだ3球目。
投じたストレートをファールにされ、カウントは変わらず0−2。
やはり、球の勢いは落ちている。
おそらく本人も自覚しているが、この終盤までくるとどうしても疲れが出てきてしまう。
先ほどまで八割くらいでも空振りを奪えていたストレートが、同様の力加減ではバットに当てられてしまうのだ。
(だいぶ改善された方だけどね、去年とか選抜の時に比べたら。)
(まあ、自覚あるしいいよ。それも加味してリードするのが俺の仕事だし。)
最後は低めに落ちるカーブを振らせて空振り三振。
完全に速いボールで目を慣れさせたのちに遅いボールで空振りを奪う。
緩急で呆気なく1つ目のアウトを奪うと、大野は小さく息を吐いた。
(後、2つ。)
続いて打席に入るのは、9番の増田。
打順の1番最後。
しかしこれは、9番の増田がしぶとく粘って上位の秋葉と轟に繋げる。
(こういう打者が9番にいるのが、かなり面倒。)
その証拠に、この試合少ない球数で各打者を抑えている大野に対して、増田は2打席で12球粘っている。
さらに、この試合で許したヒットのうちの一つはこの増田から生まれたものである。
長打は少ないが、なかなかバットコントロールがいい。
しぶとく中々三振しない、薬師の中では珍しい打者である。
初球、外角のゾーン内からボールに落ちるツーシーム。
まずはこれを見送り、1ボールとなる。
(…っぱ、見送るよな。さっきからツーシームは、なんか知らないけど見逃してくる。)
(そーなんだよ。多分速いボールに山張りながら、ファールで甘い球待つって感じなんだろうけど。)
(こんな芸当できんのもまたこいつの強み。正直秋葉の次にやりたくない相手ではある。)
しかも、塁上に出ても鬱陶しい。
安易に出塁させられないというのが、また厄介である。
2球目、外から入るツーシーム。
今度はこれをファールにして、カウントは1-1。
次は手を出してきた。
追い込まれるまで手を出さないのかと思っていたが、振りに来た。
1打席目は、2-2からの外角低めのストレートを打つもサードゴロ。
2打席目は低めのカーブを拾ってのライト前ヒット。
中々、意図が汲み取れない。
変化球狙いかと思うのだが、その割に最初の打席はストレートを。
さらに今の打席も、バックドアの難しいツーシームを打ちに来た。
そんなバッテリーの読みの裏腹に。
案外増田側の思惑はシンプルなものであった。
(打つのは低め。ゾーンに来たら振る。あとは、完全なボール球は少ないから、バックドアとかは振りに行く。)
約束事だけ決めて、あとは見送る。
正直、高めのストレートや真ん中付近の甘いコースが来たら対応出来ていない。
ここまでバッテリーが警戒している為か高めが少ないため、これが上手く嵌っている。
(頼むぜマス。長打を警戒されていないお前が唯一出塁の可能性があるんだ。何とか出てくれ、そうすりゃ雷市に回る。)
(外角低めのストレート、狙う。)
とにかく、厳しいコースを狙う。
ここまでコントロールがいいと逆に狙いやすいまであり、増田は確実に来るであろうそのボールに狙いを定めた。
3球目のストレート。
内角のボールゾーンに抉り込むストレートに反応が遅れるも、これが功を奏して2ボール1ストライクと打者有利のカウントとなる。
(終わってたまるか。真田先輩が作ったこの試合、俺が終わらせない。)
相手投手も、疲れが出ている。
確かにいまだに速いが、先ほどまでよりもストレートの威力も落ちてきている。
これなら、狙える。
4球目。
カウントが悪くなったこの場面で、厳しく攻めたいバッテリー。
なかなか打者も手を出したくないコースのストレートで締め直したい。
御幸が構えたコースは、アウトロー。
サインはストレートで決定する。
しかしこれが。
外角低めのストレートを完全に狙っていた増田の思惑が合致。
それは即ち。
彼のヒットを意味するのだ。
『狙ったー!そう簡単には終わらないと9番増田必死のヒット!最終回、薬師にようやく同点のランナーが出ました!』
一塁ベース上、大声をあげてガッツポーズを掲げる増田。
普段声をあまりあげない彼が、大きく感情を露わにする。
終盤、ようやく出た同点のランナー。
しかしただの、1人のランナーではない。
薬師最強の打者である轟の前にランナーを置けた。
それが何よりも、大きいのだ。
1アウト、ランナー一塁。
ここで打順は1番にかえり、薬師高校屈指のアベレージヒッターの秋葉が打席に入る。
(中々、嫌な流れ。)
(わかる。ここは無理にいかず、丁寧に。1つ取りに行こう。欲張ってゲッツー取りに行く必要はねーからな。)
(OK、わかってる。)
まずはインローストレート。
ここはしっかりとギアを上げたストレートが唸りを上げ、136km/hのキレある直球がコースに決まった。
まだ力はある。
そう判断した御幸は、緩急ではなく速い2つの決め球を駆使してアウトを取りに行く選択をした。
2球目、低めのボール。
真ん中付近から大きく変化したツーシーム。
若干甘い。
しかしながら抜けている訳では無い。
変化は普段通り落ちているため、意図せず打たせる球に最適なボールとなる。
(やっべ!)
甘いボールに思わずバットが出てしまう秋葉。
その卓越したバットコントロールが仇となり、ピッチャー前に打球を放ってしまう。
少し強い当たりだが、ゲッツーコース。
フィールディングのいいピッチャーである大野が捌く。
(タイミング的に二塁、いける。)
そう思った瞬間。
野球の神の悪戯は、やはり真夏の大舞台で起こるものなのか。
大野…というよりは、アクシデントが起こる。
「っと!」
変な回転が掛かった打球はマウンドの傾斜で高く弾み、イレギュラー。
予想外の打球に大野も身の危険を感じて身体を避ける。
そしてこのイレギュラーに、内野手も一瞬反応が遅れる。
慌てて倉持が打球を処理しようとチャージ。
二塁は無理。
一塁に目を向けてランニングスロー。
(間に合うか…!)
倉持も何とかアウトを取ろうと果敢に全力プレー。
厳しいタイミングとなるが。
「突っ込め!秋葉ァ!」
ベンチから身を乗り出し、雷蔵が声を張り上げる。
同時に、秋葉が一塁に向けてその身体を投げ出した。
スライディング音と、砂煙。
一瞬間があき。
審判が、その両手を真横に開いた。
「セーフ!」
思わずといった様子で、ここにきて初めて大野が表情を歪める。
ただの内野安打ではない。
最終回、真夏の神の悪戯が。
奇しくも雷蔵が勝機を見出していた増田、秋葉の出塁を経て。
センバツホームラン王の、怪物スラッガーに打席が回った。
そう簡単には終わらない。